NOVEL

光の当たる場所 -10-

「……さて、と。僕はこれから『式』の打ち合わせに行かないといけないんだけど……」
 てっきり俺は留守番だと思った。
「……どんな服を着せたものかな?」
 何!? ……思わず俺は目を剥いた。
「待てよ!! 四条!! 俺も連れていく気か!?」
 四条は『何言ってんの』とでも言いたげな顔をした。
「君みたいな危なっかしいの、一人置いてく訳にいかないでしょう? 僕の部屋で手首切られたり、飛び降りられたりしたらかなわないもの」
 ……この……厭味野郎……。
「だから連れて行くよ」
「何て言って説明する気だよ!!」
 四条はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「……君、本当頭悪いね? 昨日言ったでしょ? 君はロスにいる僕の二番目の兄四条佑の次男坊界君。世界の『界』と書いてサカイ。何度も言わせないでよ。ちなみに年齢はそのまま、必要事項以外は喋らなくて良い。僕がフォローするから。『人見知り』でも『対人恐怖症』でも何でも良い。事情あって僕が預かってる事にするから」
「……っ!?」
「君をとても信用なんて出来ないからね? 大体、君、自分のしでかした所業を振り返ってごらん? 僕に言い訳出来るほどの正当な『理由』あるなら幾らでも聞くから」
「……っ!!」
 口でこの男に、かなう訳なかった。俺は思わず下唇を噛んだ。……最低だ。何でこんな男に関わってしまったんだろう。何でこんな奴に見つかったんだろう。他の人間なら、少なくともこういう目に遭わなかった筈だ。……後悔なんて、今更もう遅すぎた。どんな『理由』だって役に立たない。この男は、相手の事情なんて構わない。自分の『都合』が最優先なんだ。
「この、ブルーグレーのスーツ着てみてよ? たぶんサイズは合うと思うんだ。シャツはこれね。……えーとネクタイは……これ!! 待ってね、今、靴下とハンカチ出すから……」
 『聞く』からとか言ってもう既に、俺の着てくもん出してやがる……。俺は頭痛と耳鳴り感じながら、高そうな絨毯の上、座り込んだ。四条は嬉々として俺に服をコーディネートして差し出すと、自分はさっさと別の服に着替え出す。
「……何? 早く着てよ。それとも僕に着替えさせて欲しいの?」
 ……鬼畜。俺は渋々ながら着替え始める。……ひでぇ男。ンなの知ってるけど。四条自身は深緑のスーツに腕通してる。ワイシャツ一枚で判る。細身だけど結構筋肉質。……着痩せするタイプだ。無駄な物がない。素足なんかも結構筋肉付いていて……。
「何?」
 いきなり振り向かれて、ギクリとする。
「……何でもねぇよっ!!」
「ふうん?」
 きょとん、として四条は俺を見る。
「じろじろ見んなっ!!」
「……若いクセに結構筋肉あるね。何か特別してるの?」
「うるせぇなっ!! アンタに関係ないだろっ!!」
「……随分だね。ただ、体格の割に体力も筋力もなさ過ぎるんじゃないの? 何か何処かおかしいところでもあるの?」
「うるせぇよっ!!」
 ……そんなの……理由なんて俺自身が一番良く判ってる。けど、コイツに言う必要無い。
「医療費掛かるようなら、先にそう言ってね。僕は面倒な事になるのは遠慮したいから」
「…………」
 本当……この男、鬼畜。
「ぶっ倒れられてから、事情説明されても困るんでね」
 ムッとした。
「心配すんな。大した事ねぇよ」
「……嘘つかないでよね? 頼むからそれだけは勘弁してね」
「ついてねぇよっ!!」
 四条は肩をすくめた。
「……なら、一応信じるけど」
 『一応』か!? おい!! 文句言おうとすると、
「それより早く着替えてよ。約束十時なんだから」
 ってまだ……一時間あるじゃねぇか……。
「……ねえ、僕に『遅刻』させる気?」
 睨まれた。俺は慌てて着替える。
「じゃ、こっちおいで」
 は!? 判らないまま洗面所連れて行かれる。そこで何の説明もないまま四条はいきなり、整髪剤を俺の髪に塗ったくった。
「っ!?」
 何を言う暇も与えずに、いきなり俺の髪をオールバックにする。
「四条!?」
「動かないで。すぐ済むから」
 俺の言う事なんて『無視』だ。手櫛でざっざとある程度整えてから、櫛でセットする。それからドライヤーを吹き付けられた。
「っ!!」
「はい、完了」
 そのままの手で自分の髪もセットする。そうしてようやく四条は自分の手を洗った。
「…………」
「由美子お嬢様は『見苦しい』のは嫌いでね」
「…………」
「特に、髪にはうるさいんだ。食事中に触ったりするのは厳禁だよ? 外へ摘み出されるからね。最悪、手酷く叱咤されて、『お手討ち』だから」
 にっこり笑って言うけど……。
「……凶悪な女じゃねぇの?ソレ」
 四条は笑った。
「どうかな? 外見的には美人の部類には入るよ? ……ただ……少々我儘すぎるきらいがあるのは確かだけど……それは仕方ないでしょう」
「……良くそんな女我慢出来るな」
「僕は『博愛主義』だからね。取り敢えず『美人』で『女性』なら大抵愛せるよ? ただ……由美子嬢の場合どうかな? あの人は『女性』だけど『女性』と言えた物かどうか……時折自信はなくなるけど」
「……そんなに凄い女なのか!?」
「見目は良いよ。それだけは確かだ。ただ、何というかな……『根本的』なところで少々問題があるんだ。でも、僕自身は嫌いじゃないよ。向こうが一方的に僕を嫌ってるだけで」
「……は!?」
 何か今、おかしな事聞かなかったか!?
「別に僕が何か『失態』したという訳じゃないけどね。僕が秋芳殿に気に入られてるから、それが気に入らないらしい。秋芳殿は……ともすれば由美子嬢本人より、僕を贔屓にして下さってるから」
「……それって」
「由美子嬢にとって、彼女の『恋人達』以外にこの世で愛せるのは、お父上だけのようだから」
「……どういう『意味』だ? それ……」
「深い『意味』は無いよ。僕が彼女の『格下』で有りながら、秋芳殿が『平等』に扱われる事が許せないだけらしい」
「……四条……それ厭な予感するんだけど……」
「由美子嬢はご自分を『特別』だと思われてるんだよ。だから、君は絶対あの方を誹謗したり中傷したりしちゃ駄目だよ。プライド高い方だから、根に持つどころの話じゃないよ。下手すると本気で殺されるから、気を付けてね」
「……っ!!」
 『選民意識』の『高飛車女』!? 四条は何でもなげににこにこ笑ってるけど!! どうしてそんな女と『婚約』して『結婚』なんてしようとしてんだよっ!! 四条!! お前どうかしてるよ!!
「由美子嬢は僕を『財産目当て』位にしか考えてないから。僕はそんな物に興味ないのにね。彼女は『経営』には興味ないから、僕が代わりにやるだけって事が理解できないらしい。僕は稼いだお金はマイナスにならない限りは自由に使って頂いて結構だと思ってるんだけどね。僕の『誠意』がどうも判って貰えないらしいんだ」
 『誠意』!? よりによって『誠意』!? やめてくれよ!! 冗談じゃねぇよ!! アンタの口からそんな台詞聞きたくねぇよ!! 四条!!
「さて、そろそろ行こうか。『約束』の三十分前には必ず向こうに着くのが、僕のポリシーなんだ」
 そう言って、腕を引かれる。思わずつんのめりそうになって慌てて歩調を合わせる。やめろよ!! 人の都合考えずに好き勝手するの!! ……って強く言えない情けない俺……。
 四条の車――意外な事に国産車で青のアコード――に乗ってホテルへ向かった。
「……ここも『系列』か?」
 表の看板を見て厭な予感を抱きつつも、性懲り無く俺は訊いた。四条は頷く。
「ホテル・RTH。『直営』だよ。そのうち『改名』リニューアル予定もあるんだけど」
「……まさか」
「僕達の結婚式でそのお披露目もやる予定。お得意先様も呼ぶし、一石二鳥でしょう?」
「……ソレ誰の提案だ?」
「僕」
 にっこりと四条は笑った。
「……でも通したのは秋芳社長。だから、『式場』は現在建設中。出来たら見せてあげたいけど……式当日に完成式典もやる予定なんだ。鳩や花火なんかも『有り』でね」
「…………」
「黒服連中で一杯になるから、居心地悪いかもね。僕はとても当日は君の相手できそうにないし」
 ……んなもん誰も期待してねぇよ。
 四条は俺を二階の喫茶に連れ込んだ。吹き抜けの一階噴水が見える位置に座らされた。
「ここで待ち合わせで、お昼はここの十四階の和食になるから」
「……『和食』?」
「懐石だよ。いつもの食堂と雰囲気違うけど、ビビらないでね。食べ方はいつも通りのマナーで間違いないから」
「…………」
 ……待てよ!! そんなん聞いてねぇよ!! 何で俺がそんなご大層なトコで食わにゃいけねぇんだよ!! ソレも何かとんでもなさそーな女と一緒に……!!
「リラックスしてよ」
「出来るか!!」
 四条は肩をすくめた。
「大丈夫だよ。『和食』なら何処へ出しても恥ずかしくない程度には、食べられるようになってるから。太鼓判押すから自信持ってよ」
「……その自信に水差すような事言ったの、何処のどいつだ」
「ヤだなあ。そんなつもりは毛頭無かったのに。ただ、土壇場で挫けられても困るから先に言っただけでしょう?」
 悪気なんて毛頭ないって顔で抜かすし。俺は無言で睨む。四条は苦笑した。
「大丈夫だよ。……『和食』なんて箸一本じゃない。『懐石』は出された順に食べるだけだから、全然平気。よっぽどポカやらない限り平気だよ」
「……そのポカって何だよ」
「君、そこまでバカなの?」
 何!?
「大丈夫でしょ? 『常識』の範囲内なら大丈夫だよ。君は『おまけ』だからおとなしくしてれば、平気、平気」
「……どうしてそんな『おまけ』連れてくよ?」
「……『理由』もう一度言って欲しい?」
 俺は硬直した。四条はにやりと笑った。
「厭だよね? 君、そういう人だよね? だったら言わないでよ。こんな処で。僕の性格、良い加減判ってきたんじゃないの? それとも全然学習能力無い? 僕は君に、全然猫被らずに接してるんだから、そろそろ判っても良い頃合いじゃない?」
 って事は普段は『猫被って』んだな? 四条。大体、俺が厭がるって判っててお前、そういう事言うんだな? …………何て野郎だ。
 と、そこへウェイトレスが注文取りに来た。
「……あ、すみません。珈琲と……何が良い?」
 俺は返事をしなかった。
「……あ、じゃあ、珈琲二つ。お願いします」
 俺は四条の視線を避けて、吹き抜けの噴水を見下ろす。
「……割と良いだろ? 『建設』の若手の設計なんだ。僕の一押し。鶴木義隆[つるぎよしたか]って言うんだ。たぶん、彼、これから伸びるよ」
「…………」
「今、建設中のも彼の設計なんだ。この建物ではあの噴水だけだけど、そっちは全部なんだ。一部で反発もあったらしいけど……頭の固い年寄りより、才能ある若手でしょ? 『冒険』なんて何処かでしないと、『発展』なんて有り得ない」
「……ソレがアンタの『ポリシー』か?」
「『現状維持』じゃ『意味』がない。『古い』ものはいつか必ず廃れていくものさ。早い遅いは別にして」
「……アンタもさぞ嫌われてるだろうよ」
「それはね。……仕方ないよ。トップになるまでは『反発』なんて当たり前。『実力』で言う事利かせたって、『バカ』はバカだからね。……『バカ』を黙らせるには、『出世』するのが手っ取り早い」
「……アンタらしい答えだぜ」
 鼻で笑ってやる。四条はにっこり笑った。
「君も悔しかったら、それくらいやってみれば? そしたら僕も君の『扱い』変えてあげるよ?」
「……俺にアンタの『真似』しろって?」
「別にそうは言わないさ。君が僕のテリトリーで僕の『邪魔』するようなら徹底的に叩きのめしてあげるよ。そんな事、二度と考えられないように。それは僕の当然の『権利』でしょう?」
「……アンタ、本当タチ悪いな。喜んで言ってないか? それ」
「……そうだね。そうなったら少しは面白いかな、とか思ってる節はある」
 真顔で頷かれた。
「…………やめてくれよ。俺はアンタみたいな『化け物』相手する気ねぇよ」
「……『化け物』。言い得て妙だね。でもね、はっきり言って僕の生きてる『世界』は生き馬の目を抜くような『場所』だからね。『全て』が敵で『出世』出来る人間なんて極一握りだから、油断すると足を引っ張られて引きずり落とされるんだ。まあ、もっともそれくらいじゃないと『人生』賭ける『醍醐味』無いけど」
「……アンタ『人生』賭けてんの?」
「男だったら一度は夢見る『世界』でしょ? 『出世欲』も『向上心』も無い奴なんてカスだよ、カス。『社会』のゴミ」
「……悪かったな、『社会』のゴミで」
 四条は肩をすくめた。
「そういうつもりは毛頭無かったんだけどな」
 言って、マジマジと俺を見る。
「……本当、僕の『周り』には絶対いなかったタイプだよねぇ……」
 感心したように、そう言われた。……何か俺、バカにされてないか?
「……悪かったな。アンタとは住む『世界』が違って」
「……そういう『意味』じゃないけどね。いや、こういう『人種』もいたんだなってつくづく感心してるだけ」
「俺は『天然記念物』か!?」
 四条は目を丸くした。
「『天然記念物』は実物見れなくても、百科辞典くらいには載ってるでしょう?」
 うわ……最低。この男、本気で言ってる。滅茶苦茶厭な気分になった。……絶対バカにされてる。こんなにバカにされた事って絶対無い。俺は憮然とした。
「そんなに拗ねないでよ?」
 思わず見惚れるような笑顔で笑った。……本当、コイツ最低。中身最悪なのに、『笑顔』だけは『とびきり』だったりするし。……『広香』に似てるから俺は『違う』と判ってて、いちいち動揺したりするし。……情けない。コイツの思うつぼじゃねぇか。……全てはこの『顔』がいけない。『広香』そっくりなのに、全然『違う』男。判ってるのに……引きずられる。
「……来たよ」
 そう言われて、硬直する。目の前に珈琲置かれたのと同時くらいに、一際目立つ長身の女が颯爽と、黒服の男三人従えて、カッカッと歩み寄って来る。
「『高井』はまだなの?」
 ボブ・カットのひどくキツイ感じの目の女。凄ぇ。女のクセに身長一七〇は軽くある。等身が滅茶苦茶高い。下手な男だと見劣りがする。確かに見目は悪くない。どっちかって言えば、かなり『美人』だ。東洋系美人。モデル並のスタイル。真紅のシンプルなワンピース。甘さのない『大人』な。肩剥き出しで。日本人離れしてて、どっか他の血が混じってる感じにも見える。動きがキビキビしてて、確かに『手強そう』だ。しかも物凄く『偉そう』。傲然と胸を反らして前置き無しで、いきなり用件だけ言う。四条はすらりと答えた。
「約束の『十五分前』ですから。確かに伝えてありますのでもうすぐ来るでしょう。お座り下さい、由美子様」
 そう言って立ち上がり、その『偉そう』な女のために椅子を引く。有り難うも言わずに女は座り、それから初めて俺にはたと目を留める。
「……誰?」
「甥です。二番目の佑兄の次男坊で四条界です」
 即答だった。淀みない声。言われた俺の方が、動揺しそうだった。俺は女の注視に耐えられなくて、思わず俯く。
「……初めて聞くわね」
「佑兄は米国で暮らしてるんです。プロデューサーをしています。……二十五年前に日本を飛び出してまして」
 女は興味なさそうに首を振った。
「何か飲み物を頂戴。……赤ワインで良いわ」
 四条は肩をすくめた。
「……今、持って来させます」
 そう言って、四条はそのまま厨房の方へ向かった。置いてきぼりにされて、俺は慌てて顔を上げた。すると女と目がまともに合った。
「……ふうん……『界』君、ね」
 じろじろと検分されるような目で。何だか俺は全身を犯されるような厭な気分になった。顔を背けようとした途端、顎を掴まれる。
「!?」
 くふん、という笑い声を上げて、女はにやりと笑った。
「……結構カワイイじゃない。四条にあんまり似てないわね。……ああ、でもアイツ、確か何処かの『売春婦』の息子だったんだっけ」
「!?」
 背後の男達が忍び笑いを洩らす。俺は思わずカッとした。
「……なっ……!!」
 女はくすくす笑った。腹が立った。四条の事は嫌いだ。けど、こんな事言われて放って置けなかった。そこまで言われる程、酷くなんてなかった。
「何をアンタ……っ!!」
 不意に背後から、誰かに頭を掴まれる。ぎょっとする。女は冷笑した。どきりとした。……四条だった。
「あんまり純な少年をからかわないで下さい。まだ中学生[こども]なんですから」
 そう言って、俺を引き寄せる。
「別に私は何もしてないわ?」
 四条はやれやれと言いたげに溜息をついた。
「……大切な預かり物なんですから、あまり『無茶』はしないで下さいね? 僕の『所有物』じゃないんですから」
「……あら、そう」
 女は声を上げて笑った。その女の前に、ワイングラスを置く。それからそれにワインを注ぎ、ウェイターが持ってきた氷の中に瓶を入れる。
「七十年物のブルゴーニュ産です」
「ありがと」
 ぞんざいな口調で、女は言った。……それだけで、コイツと四条の関係が良く判る。俺は思わず四条を見た。四条は苦笑する。何も言うな、と言わんばかりだ。俺は困って、目を逸らした。
「……ソレで? どうして甥っ子殿があなたなんかを訪ねてきたのかしら?」
「……どうも向こうで馴染めないらしいようでしてね。日本語しか出来ないんです。それに少し神経質な子で。……ちょっとした『療養』ですよ。 [たかし]兄の処は頼れないもので、僕の処へ来たんです」
「……つまり、兄弟揃って『はみ出し物』?」
 四条は苦笑した。
「……子供の前でそういう事、おっしゃらないで下さいます? ただでさえ神経質で落ち着かないのに、あまり刺激しないで下さい」
「ソレで心配で放っておけないって訳? 冷血漢のあなたにしては、珍しいじゃない。あなたでも身内の人間となると、可愛いのかしら?」
「……あまり、そういう言葉は軽々しく口にしないで頂けます? 出来れば、『彼』の前では」
「……余程可愛がってるのね。そういう顔、初めて見るわ。あなたの困った顔なんて、早々お目に掛かれないわね。いつも涼しい顔して」
「……由美子様」
 女は甲高い笑い声を上げた。
「……まあ、良いわ。今日の処はこれで勘弁してあげる」
 癇に障る笑い声。……俺は思わず耳を塞ぎたくなった。不意に、四条が俺の頭を撫でた。どきりとした。四条を見ると、穏やかに微笑んでいた。四条はそのまま俺の隣りに座る。女は四条の顔をじろじろ見ている。
「……ソレで? 『話』は何処まで煮詰まったの?」
「……用件は高井女史が来てから、ご説明いたしますよ。……とりあえず、これを。目を通して頂けますか?」
 そう言って、茶封筒に入れた書類を渡す。封を解いて女は中身を取り出した。ワープロか何かで印字した書類。
「おおよそのタイム・スケジュールです。これを元に『進行表』と『司会草案』を作成して来るとの事でした」
「……これは誰が作ったの?」
「僕です」
「……あなたらしい『やり方』ね」
 くっと笑って、女はぽいと書類を投げ捨てた。数枚の紙がふわりと風に舞いながら、テーブルや床に落ちる。四条はそれを律儀に拾った。女はくっくっと笑う。
「……どうだって良いわ。ただの『ショー』でしょ?」
 紅い唇で、にやりと笑う。
「最終的な『判断』は由美子様に委ねておりますから」
「……ひどくわざとらしい『嘘』をつくのね」
 女は喉を鳴らした。
「私なんてただの『飾り』でしょう? その場に居れば良いと思ってるんじゃなくて?」
「そんな事は考えた事もございませんよ」
「そうやって忠義面して見せるけど、腹の中では何を考えてるやら。お父様は随分あなたにご執心なようだけど、もしかして『寝た』の?」
「……由美子様」
 窘めるような口調で四条は言った。俺は胃がムカムカするのを抑えられなかった。……ひどく、気分が悪い。
「何? 『本当』の事だから口にするな?」
「……由美子様は秋芳殿が本気でそういう事する方だと思ってらっしゃる?」
 女はけたたましく笑った。俺は思わず耳を塞いだ。女は神経衰弱患者のように笑い続けた。逃げ出したくなった。四条が俺の背中に手を置く。
「……由美子様」
 女は目に滲んだ涙を拭って言った。
「あなたの考えてる事なんて判るのよ」
 四条は溜息ついた。
「……あなたがどのように『僕』をお考えか存じませんが、こういう人の多い『場所』でそういう『態度』なさるのはやめて下さいませんか?」
「……あなたが私に頼み事するの?」
「あなたのためでもあるんですよ。……ここの者はあなたが『誰』か皆存じ上げております。あまり『不適切』な『態度』をなされると、後々お困りになる事になりますよ」
「……私を脅すの? 良い度胸ね、四条」
 女はキラリと目を光らせた。『肉食獣』の目。ぞくりとした。四条は穏和に微笑む。
「由美子様のためを思って申し上げてるんです。あなたがどうお考えかは判りませんが、僕はあなたをお慕い申し上げていますので」
「……大嘘つきね、四条。顔に書いてあるわよ」
「……『決定事項』ですよ? 厭なら一年前にそうおっしゃれば済む事だった」
「……誰も私の話なんて聞こうとしなかったじゃない」
「そんな事はございませんよ。由美子様が『どうでも良い』とおっしゃられただけです」
 ムッとしたように、女は黙り込んだ。かと思いきや、いきなりワイングラスを取って中身をばしゃりと四条の顔に引っ掛けた。
「!?」
 思わず俺は立ち上がり掛けた。途端に四条が俺の足を蹴り付けて無理矢理座らせた。俺は思わず顔をしかめて、足を撫でさすった。何て事すんだよ!! 四条!!
 四条は自分のハンカチで自分の顔を拭う。
「……気はお済みになりましたか?」
 穏やかな口調で。女は鼻を鳴らした。
「あなたのそういう処が大嫌いよ」
 四条は構わず空になったグラスに新しいワインを注ぐ。女はそれを無感動に見る。そこへ新しく客が入ってきた。頭をきっちりシニョンにした三十代後半くらいのスーツの女。こちらへとやって来て、はっと息を呑んだ。
「……ご苦労様、高井さん」
 何でもなげに四条は言った。
「……お疲れさまです、四条支店長。お久し振りでございます、由美子様」
 スーツ女に傍若無人女は一瞥くれただけで、何も言わない。目線で鷹揚に座れと促す。高井とか呼ばれた女は四条の隣りに座った。これで三人と一人が向かい合うような形になった。

To be continued...
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