NOVEL

光の当たる場所 -5-

 連れて行かれたのは、庶民的な大衆食堂。『たなか食堂』と看板が出てる。……意外な気がした。こういう男は、もっとキザな喫茶店や高級料理店に行くとばかり思っていた。
「ここの味がなかなか良いんだ」
 知らない連中なら絶対騙される、人の好さげな笑顔で言った。
「こんにちは、おばちゃん!」
 右手軽く上げながら、店へ入る。
「らっしゃい!!」
 恰幅良い体格(特に横が)のドスの利いた声のオバはんが、割烹着で出迎える。
「兄ちゃん、珍しいね。今日はお連れさんかい?」
「……食べ盛りだから、大盛りにしてくれる? いつもの、二人前ね」
 四条は常連らしく、にっこり言う。オバはんはガハハと笑う。
「任しときなっ!」
 俺は呆然とする。
「……何、突っ立ってるんだい? 早く入っておいで」
 四条の声に、はっとする。……滅茶苦茶似合わないのにこの男……妙にこの場に馴染んでる。俺はひどく居心地悪かった。はっきり言って俺はこういう処へ来た事無い。他人に馴れ馴れしくされるのも苦手だ。俺は回れ右して逃げ出したかった。四条はくすりと忍び笑いを洩らした。思わず、カッとした。
「何だよっ!!」
「……おいで」
 にっこりと、見惚れそうな穏やかな笑みで。
「誰も取って喰ったりしないよ」
 思わず顔が、熱くなった。
「誰がそんなっ……!!」
 四条は笑った。
「……心細いって、顔に書いてある」
「っ!?」
 今まで、誰も気付かなかった。兄貴、以外は。
「何をバカな……っ!!」
 俺は否定しようとした。
「……『他人』が『恐い』んだ?」
 見透かされた。俺は心臓が、止まりそうになる。四条は笑った。
「……年齢の割にそんな大きな身体して、『恐い』んだ?」
 俺はすぐに否定しようとした。違うと言いたかった。……けれど、その前に涙がこぼれ落ちた。
「っ!!」
 思わず隠そうとする。……遅かった。四条は『嬉しそうに』笑った。
「……随分可愛らしいじゃない?」
 悔しかった。物凄く、悔しかった。こんな奴に見破られたのが、とても悔しかった。『広香』でさえ、判ってなかったのに。
「……こっち来て、座りなよ。大丈夫。このおばちゃん、恐いのは『見掛け』だけだから」
「全く、失礼な子だね!」
「……ごめん、おばちゃん」
 四条はそう言って、片手拝みをする。俺は逃げる事も、四条の言葉に従う事も出来ずに、立ちつくした。
「……世話を掛ける子だね」
 そう言って、四条が俺の手を掴んだ。びくりとして、はね除けようとする前に、一気に引き寄せられた。動揺する俺に、にっこり笑い掛けた。
「こっちに来なさい」
 問答無用だった。俺は俯いて、四条に半ば引きずられるように連れて行かれ、椅子に座らされた。
「カワイイ坊やだね」
 俺は激しく動揺した。そんな事言われたのは、生まれて初めてだ。思わず顔を上げ、相手の顔を凝視した。
「……こりゃ将来男前になるね。いや、楽しみだわ」
 そう言ってオバはんはガハハと笑った。
「…………」
 俺は素直に喜べなかった。オバはんは目の前に熱い緑茶を二つ置いて、厨房へ入った。客はサラリーマン風とか学生風。俺は四条と向かい合って座る羽目になり、酷く居心地悪かった。正面なんか見れなくて、仕方ないから壁にあるお品書きを見つめた。和定食中心で、単品でも頼める。ご飯大盛りは三十円増し、とある。味噌汁や漬け物類まで単品で選べるらしい。一番高くてヒレカツ定食九百円。……成程、学生向きだ。四条の視線が気になってひどく落ち着かない。苛々する。
 知ってか知らずか、四条は無言で俺を見てる。にこにこと笑いながら。
「……何が面白いんだよ」
 耐え切れなくなって、俺は口を開いた。
「……落ち着き無いね」
 にっこり言われて、俺は硬直した。
「最初は僕が嫌われてるのかと思った」
 俺は思わず、四条の目を見た。真顔だった。
「……『違う』んだ? 『安心』したよ」
 『嬉しそう』に。……思わず睨んだ。
「『面白い』ね、君は」
「……何が」
「『面白い』よ。君は『違う』んだね?」
「……何を……」
「少々『退屈』していたんだ」
 相変わらず、人の好さげな笑顔で。
「『面白い』よ」
「……俺はアンタの『玩具』じゃない」
「……そういうとこが、ね。僕に脅えてるクセに、逃げ出したりしないし」
「……逃げても良いのかよ?」
「『支払い』はまだ済んでないよ」
 にやりと四条は笑った。
「……だったら何で……」
「……だから、さ」
 四条はにっこり笑った。
「僕は結構『自信』があったのに」
「……何が」
「……人に、『第一印象』良く見せる自信が、さ」
「……『第一印象』?」
 俺は眉をひそめた。
「……あんな『第一印象』でか?」
 四条は笑った。
「……それでも、『君』みたいのは珍しいさ。僕は『こういう』つもりは『毛頭』無かったんだけどな」
「……『こういう』って『どういう』つもりだったんだよ?」
 物凄く、厭な予感がして俺は訊いた。
「ちょっとした、『興味』だったんだけどね」
「……は?」
「もうちょっと、『構う』事にしたよ」
 『決定事項』みたいな口振りで。
「おいっ!?」
 俺は慌てて、立ち上がった。
「座りなよ。みっともないから」
 四条は言った。
「そりゃどういう意味だよ!?」
 すると四条は笑った。
「……自分で考えなさい。『頭』があるでしょ? 僕は『バカ』と会話するのは嫌いなんだ」
「だったらどうしてその『バカ』相手にしてんだよっ!!」
「そりゃ、『反応』が『面白い』から」
「……は!?」
「お願いだから、もっと楽しませてね」
 人の好さげな笑顔で、『鬼畜』な台詞吐いて。
「……お前っ……最初から……っ!!」
「『自業自得』」
 きっぱりと四条は言い切った。
「君が好きこのんでやった事だから、仕方ないよね?」
「……なっ……!!」
「……『違う』の?」
 楽しそうに、笑って。俺は呆然と、座り込んだ。
「『墓穴』掘ったのは『君』だよ。その『墓穴』に落ちたのも『君』」
 恨みっこ無しだよ、と四条の明るい声が耳に響いた。……『悪夢』だ。これが『災厄』以外の何だってんだ? 頭がガンガンする。最悪。
「はい、お待ちっ」
 オバはんがトレイ二つ持ってきて、どんと置く。……白いご飯と豚汁と、白菜の漬け物と梅干し、カレイに大根の煮付けに、ほうれん草の白和え。それと、俺の方だけエビフライが一コ入っていた。
「おまけだよっ」
 デカイ声で言われた。……俺はしばしそれを見つめた。
「食べて良いんだよ?」
 四条はそう言って、両手を合わせていただきます、と言って箸を割る。……俺は目の前で湯気を立ててるそれを見つめた。
「……大丈夫、毒なんか入ってないって」
 面白そうに、四条は言った。
「ちょっと!! 兄ちゃん!! 変な事言わないどくれ!! 商売の邪魔する気かい!?」
「……まさか、おばちゃんにそういう事する訳ないでしょ?」
 四条はにこにこ笑って言う。……俺はこれ以上四条に何か言われる前に、箸を割ってご飯に手を付けようとした。
「待って!! 『いただきます』は!?」
「!?」
「最低限の礼儀でしょ?」
「……『いただきます』」
「はい、良く出来ました」
「…………」
 俺は憮然とした。何故こんな事、こんな奴に言われなきゃならないんだ!?
「君の教育って一体、どうなってんの?」
「……アンタなんかにそんなの、言われたくない」
「何かあんまりじゃない? 『常識外』だよ」
「……アンタが言うか!?」
 本気でムカついた。
「……これは苦労しそうだな」
「……は!?」
  何を言われたのか、全く理解できなかった。
「気にする必要ないよ」
「……どういう意味だよ?」
「自分で考えなさい。その頭は飾り?」
「……なっ……!!」
「僕は自分の頭で物事考えられないバカ、相手にする気無いから」
「っ!?」
「……だから、君が『答え』だしたら、『返事』してあげるよ」
「……アンタっ……何考えてんだっ!?」
「それを『今』の君に言う気はない。考えて、それから言ってみてよ? 僕は小賢しい人間は嫌いだけど、バカはもっと嫌いだから」
「……てめぇっ!!」
「ほらほら、ちゃんと食べて。人に箸を向けるものじゃないよ?」
「…………っ!!」
 悔しい!! 何でこんな奴にこんなっ……!! ムカつきながら、カッ込む。
「こら!! 何てみっともない食べ方するの!! 犬猫じゃないんだから、ちゃんと箸の使い方くらいまともにしなさい!!」
「っ!!」
「……頭痛くなるなぁ。そんな事すら教えないのかい? ……やめて欲しいよ、全く」
 四条はそう言って、頭を抱えた。……何でそんな事、コイツに言われなきゃならないんだ!!
「まず、箸はこう持って!!」
 いきなり握り方を直される。
「茶碗はこう!! 指揃えて底に添える!! 指を開かない!! 肘は上げない!!握り拳一つ分空けて!! ……そうそう、それから首は曲げない。食べ物は箸で摘んで、口元へ持っていく。口を持っていかない!! ……そうそう、やれば出来るじゃないか」
 ……何で……俺……こんな事……っ。
「僕の前で食事する時は、最低限のマナーを守ってくれ。頼むから」
「……何で俺がそんなっ……!!」
「……君は『人間』の子供でしょ? それくらい当然でしょうが」
「……どうして俺がそんな事、アンタのためにしなきゃならないんだよ!!」
「……『僕』のため? 何か勘違いしてない? 『人間』として、最低限の事出来ない奴の話なんて、聞きたくもないね。……箸置きがあるんだから、箸を置く時はそれを使って!! 一度箸で触れた物は、離さずに口まで運ぶ!! 同じ物を何度もつつかない!!」
  ……俺はそれを全て平らげるまでに、げっそりした。……味なんか判らない。米粒一つ、綺麗に残らず箸で拾わされて、俺が脱力すると、四条はにっこり笑って言った。
「じゃ、出ようか」
「!?」
「おばちゃん、勘定ここ置くね」
「あいよ!!」
 四条は千百六十三円をカウンターに置くと、俺の腕を取って外に出た。……俺は疲れて口を利く気にもなれなかった。
「……さて、どうする?」
  俺は一瞬、何を言われたか判らなかった。
「……珈琲でも飲みに行く?」
「…………っ!!」
 思わずぎょっとして、胃を押さえた。
「……要らないみたいだね」
 四条はしみじみと言った。
「……じゃあ、服を買いに行こうか」
「……何で」
「……そんな汚い格好で目の前いられると、鬱陶しいから」
「…………っ」
 だったら構うな!! バッカ野郎!!
「……さ、行こうか」
 俺の視線の意味など無視して、襟首引っ掴んで歩き出す。……必然的に、歩調を合わせないと首が締まるので、渋々ながら俺も歩く。四条はひどく楽しそうだ。……俺は滅茶苦茶暗い気分になった。……何でこんなのの言う事、聞いてるんだ……冗談じゃねぇ!!
「あのな、四条!!」
「何?」
 にっこり笑う。……毒気抜かれそうになる。
「……何で俺、アンタに付き合わされなきゃならないワケ?」
「間違ってるよ、『少年』。付き合わされてるのは、僕の方」
「……俺の名前は『少年』じゃねぇよ」
「知ってるよ。中原龍也君」
「!?」
 ぎょっとした。
「何で!!」
「……だから言ったでしょ?『有名人』だって」
「…………何で」
「……知らないの?」
「…………何を」
 四条は面白そうに俺を見た。
「……ま、良いか」
 何っ!?
「何なんだよ!!」
「……わざわざ僕が言うまでの事も無いからね」
「だから何がっ!!」
「……本当、無駄に元気だね、『少年』。これが人知れず『空き家』で手首切るように見えないね。世の中不思議だね。……七不思議だよ」
「……てめぇっ……!!」
 そんな風に茶化される筋合い、絶対ねぇ!!
「……だから『面白い』んだよね」
 マジマジと俺を見つめて。
「何が『面白い』んだよ!! クソジジイ!!」
「……ジジイ、ね。三十でジジイは厭だな。中学生からしたら、仕方ないかもしれないけど。……そんな事言ってると、将来君がそう言われるよ」
「何っ!?」
「……僕は童顔だけど、君は老け顔だから」
「っ!!」
「……それが僕の息子だったりしたら、面白いよね?」
「…………っ」
 俺はふるふると震えた。もう、我慢出来ない。拳に力入る。思わず、殴り掛かった。顔面に入る、と思った瞬間、四条は難なくそれを左手で受け止めた。ぱしっという良い音が鳴る。止められた、俺の方がじぃんと来た。
「!?」
 四条はにっこり笑った。
「……この体格だから、結構舐めてたでしょ?」
「…………」
 四条は華奢に見える。俺は同年代からしたら、筋肉質な方だ。喧嘩だったら、負けない自信がある。相手さえ間違えなければ、大の大人だって十分勝算はある……つもりだった。
「たぶん、君より強いよ? ……けど、そんな事してもただの時間の無駄だから、やらない」
「っ!!」
「……『無駄』な事はしたくないんだ。基本的には、ね」
 にやりと四条は笑った。
「だから、『無駄』な事させないでね」
「…………っ」
 俺は憮然とした。
「……そこへ入ろうか?」
 この男は、まるで俺にお伺い立てるみたいな言い方するけど、本当は『命令』で、俺の都合なんてまるで無視だ。俺は四条に引っ張られて、無理矢理店内へ連れ込まれた。何だか店員がじろじろ俺を見てる。……何だ?
「これ、試着して良いですか?」
 四条、勝手に掛けてある服手に取ってるけどそれ……。
「……おい!?」
 やっと気付いた。ここ、外国製の高いスーツばっかじゃねぇか!!
 四条はそんな事お構いなしに、俺にその服合わせてみてるけど……!!
「おい!! コラ!! 四条!!」
「これ、試着してみてよ」
「……何考えてるんだ?」
「一着くらいこういうの持ってないと困るでしょ?」
「……だから何で俺が」
「今時、破れたTシャツにジーンズで入れてくれる『店』なんてないでしょう?」
「……何の話してる?」
「ああ、でもその姿で試着すると汚れちゃうか。そうだな。……でも、肩幅だけでも通して合わせてみたいよな」
「……聞いてるか? 四条」
「しまった!! 先、風呂入れるべきだったか」
「……おい!?」
「……まあ、この位だし何とかなるか。……念の為、俺と同じサイズくらいにしておこう。……すみません、これ。カードで翌月一括」
「おい、コラ、四条!!」
「……何?」
 けろっとした顔で問い返す。……この野郎。
「……お前、無視するなよ」
「あ、この分も『貸し』ね」
「……何っ!?」
 お前……っ……一体何考えてんだよっ!!
「僕は小汚い乞食のような子供連れて歩き回りたくないんだ。……特に君みたいな、ね」
「だったら構うんじゃねぇよ!!」
「……仕方ないでしょ?何の因果か君みたいのを拾ってしまったんだから、出来る限りの『改良』加えないとどうしようもないでしょう?」
「誰がそんな事してくれって頼んだよっ!!」
「……どうしようもないくらい救いよう無いなら、僕も諦めるけど、この位ならまだ『改善』の余地はあるからね。……多少苦労しそうだけど、何とかなると踏んだんでね」
「……だからどうしてっ……!!」
「……『退屈』だから」
「……何っ!?」
「いや、僕はとても忙しい人間で、本来なら君みたいなのに関わり合ってる『暇』なんてないんだけど……君みたいな『じゃじゃ馬』を育ててみるのも面白そうだなと思って。……何せ、今まで僕の周りにはいなかったタイプなんでね」
「勝手に決めるな!! クソ野郎!!」
 俺は激怒した。とんでもない男だって判ってたけど……何て野郎だ!! コイツ!!
「……君、自分の『立場』判ってるの?」
「!?」
「……大丈夫。僕が飽きるまでだから。あんまり救いようなければ、ちゃんと捨ててあげるから安心してよ。……もっとも、拾った場所には捨ててあげられないけど」
「っ!?」
 ……なっ……何て奴だ!!
「てめぇっ!! 俺を一体何だと思ってんだよ!!」
 すると四条は面白い物を見るような顔をする。
「……本当『無駄』に元気だね」
「……なっ……!!」
「……やっぱり僕には理解できないよ」
「お前なんかに理解されたくないっ!!」
 四条は楽しそうに笑った。
「君は、ただの『暇つぶし』には勿体ないくらい『面白い』よ」
「そんなもんにされたくねぇっっ!!」
「……そんなにプライド高いのにね……どうしてそうなるかな? ……教えてよ」
「……何をだ」
「……手首切るのってそんなに『楽しい』?」
「……っまえっ…………!!」
 絶句した。……言葉が、何にも出てこない。
「……僕には全く判らない心境だよ」
 俺は下唇を噛んだ。……この男に見られたのが一番の『失態』だった。こんな人目のある処でそんな事……言及されたくない。けど、言ってもたぶん他人の都合なんて知った事じゃないんだ。この男は。……俺が厭がるのなんて承知で言ってる。むしろそれを楽しんですらいる。……何て奴。
「僕は自分が可愛いから、わざわざ自分を傷付けてみようとなんかしないからね。『厭』な奴がいたら、僕の都合の良いように『処理』するし、『望み』があればそれを『実現』するし。『嫌がらせ』なんてものは『勝利者』には必ずつきもので、それを止めるにはもっと勝てば良い事で、結局の処『勝てば官軍』だと思ってるし」
「…………」
「……僕には君がそんなに深刻に『人生』考えるタイプにはとても見えないんだけどな」
「……放っとけよ!!」
 俺は怒鳴った。四条は楽しそうに笑ってる。
「だから暫く『構う』事にしたよ。君は『観察』するにはとても『面白い』人材のようだから」
「迷惑だっ!!」
「……悪いけど、君の『都合』なんて知らない。僕はね、とても『人間』が好きなんだよ。大好きで大好きでたまらない。この世の全ての人間を愛せそうなくらい、とても好きなんだ」
「……なっ……!!」
 何言ってるんだ!? こいつ!!
「……だからね、出来得る事なら、この世の全ての『人間』を『理解』したいんだよね」
「……まさか……お前そんな『理由』で……」
「だから、僕の『常識』で『理解』出来ない君がとても気になるんだ」
 人の好さげな笑顔でにっこり笑って言うけど!! 何か無茶苦茶じゃないのか!? この男!!
「だから君の『都合』なんて知った事じゃない。僕が『もういい』と思うまで付き合って貰うよ。勿論、僕の知らない処で勝手に死ぬのは許さない。何処へ逃げても世界中追い回してでも、君を見つけて『邪魔』するよ。だから、『覚悟』してね」
「……なっ……!!」
 何て奴なんだ!! 何でっ……何で俺なんだよ!! もっと他にいるだろうが!! どうしてっ……!!
 さあっと血の気が引いた。……思わず、目の前が暗くなって、ふらりと倒れそうになった。
「……危ないな」
 そう言って、俺の背中、抱き留めるけど……。
「……冗談……だろ?」
「僕はあまり『冗談』は言わない質なんだ」
 にっこり笑う。……ひどく魅力的な笑顔で。俺はくらくらする。
「……何でっ……!!」
「僕は基本的には『無駄』な事は嫌いな質なんだが、ごくたまに気まぐれに『無駄』な事もしてみたくなるんだ。……人間だからね」
 そんなのっ……唯の迷惑以外のなにものだって言うんだ!!
「……そんな顔しないでよ。嬉しくなるでしょ?」
「…………っ!!」
「……もう少し『楽しんで』から言おうと思ったのに。つい、『反応』が楽しくて、『本音』を言っちゃったじゃないか。……そんなに僕を喜ばせて『楽しい』?」
「……っの鬼畜野郎!!」
「失敬な。別に誰にでもこんな事、する訳じゃないよ。『気に入った』人間だけにだから、『安心』して」
「出来るかっっ!!」
 力一杯叫んだ。ますます四条は嬉しそうな顔をした。
「……本当、『面白い』よ」
 俺ははっとした。むやみやたらに激昂しても、コイツを喜ばすだけだとようやく気付いた。
「…………『悪趣味』」
「……君にだけだよ」
 まるで女口説くみたいに、甘い声で。
「僕は本来、出来るだけ『人』には『優しく』接する主義なんだ。おかげでとても『人気者』なんだよ?」
「…………『本性』隠してるだけだろうが!!」
「……『本性』なんてものはね、誰だって『人間』なら隠してるものなんだよ。どんなに善良な『人間』だって『嘘』くらいつく。つかなかったら『嘘』なんだよ。そうじゃなかったら『人間』じゃない。『正直』なだけの『人間』なんて『他人』の『エサ』にされるだけだよ。『人間』は『嘘』をつくからこそ、『人間』なんだ。『知恵』のある証拠でしょ?……『人間』は『嘘』をつく事で、取り敢えずの『平和』と『共存』を生み出せる存在なんだ。……それがなければ、世の中、争いと災いばかりだよ。『人間』が殺し合いをせずにいられるのは、『嘘』をつくからなんだよ。取り繕う事を知ってるだけなんだ」
「……アンタッ……!!」
 狂ってる、と思った。……いや、ひょっとすると、この男の言ってる事は『正常』なのかもしれない。だけど、俺にはとても受け入れられない事だった。何かが何処かで、決定的に間違ってると……俺は言いたくて、でも、俺にはその言葉は決して言えないと気付いた。
 この男が狂ってるなら、『俺自身』も狂ってる。
「……だから、僕はとても『人間』が好きだよ」
 四条は笑った。
「……だからこそ、とても愛おしいと思う」
「…………アンタ、『変』だよ」
「それは『君』もね」
 さらりと言われた。
「……俺よりおかしいアンタに言われたくない!!」
 言い返すと、四条はにこりと笑った。
「少なくとも僕には自虐趣味はないよ」
 グサリ、と胸に刺さった。
「……それから、加虐趣味もないから」
「アンタがサドじゃないって言ったら、何になるんだよ!!」
「失敬な。……僕は君の『反応』を楽しんでるだけだよ」
「……それの何処がそうじゃないって言うんだ!!」
「別に僕は君を嬲る事が目的じゃない。君の『反応』が怒りでも哀しみでも喜びでも何だって構わないという、ただそれだけの事だよ」
「……なっ……!!」
「そうだな?……僕はまだ、君の泣く処と笑う処を見せて貰ってないよね?」
「……だっ……!!」
 俺は目を見開いた。
「……どうして俺がそんなもの、アンタに見せなきゃならねぇんだよっ!!」
「別に今すぐでなくて良いよ。……焦ってないから」
「……俺はアンタの『玩具』じゃない!!」
 四条は笑う。
「勿論そうだよ。僕は君が僕の『玩具』だなんて思ってない。君は、僕の所有じゃなくて『君自身』の所有だものね」
「…………」
「でも、『君自身』は『君』の事をあまり大事に扱ってないようだから、別に少しくらい僕が『君』の事好きに扱っても良いんじゃないの? 少なくとも、僕は『君』が『君自身』に対する『処遇』よりはずっと『親切』だよ?」
「何が親切だっ!!」
 思わず叫んだ。
「そのプライドの高さも気に入った。僕はプライドが高い人間は好きだよ。簡単に『服従』する『人間』より『面白い』からね」
「鬼畜野郎!!」
「『死ぬ』より『面白い』ゲームじゃない? 君が何処まで僕に抗うか見てみたいね?」
「迷惑だっ!! どうして俺がアンタなんかに構われなきゃならない!!」
「それはもう『天命』だと思って諦めるより他にないでしょう? 僕は君に『運命的』なものを感じてるんだ」
「んなもんあるかっ!! 勝手に決めるなっ!!」
「……決められるのが厭なら、僕に抵抗しきってみたら? 僕も、自分の手に負えない『子供』に係り切りになれる程『暇』じゃないから、諦めるかもしれない」
「それこそがアンタの思うツボなんだろうが!!」
「……もっとバカかと思ったら、意外に勘が良いんだね? ……それでもまあ、半分くらいは僕の『本音』だよ。……全然手に負えないなら、諦めるしかないけど……僕は『そう』は思ってないから」
「っ!!」
「君、実は僕の事、結構好きでしょう?」
「何バカな事言ってんだ!!」
 思わず叫んだ。
「照れなくて良いんだよ。……僕もちゃんと君の事好きだから」
「嘘つくなっ!! アンタ本当は誰でも良いんだろうがっっ!!」
「……随分な言われようだね。僕が一人の人間に、ここまで真面目に付き合ってあげるなんて、ほとんどない事なんだから、もっと感謝して欲しいよ」
「誰がするかっ!! くそったれ!!」
「……ま、一朝一夕で相互理解に至るとは、思ってないから別に良いけど」
「何言ってんだよ!!」
「僕ほど懐の広い人間もあまりいないと思うよ? 自分で言うのも何だけどね。『君』を『理解』出来る『人間』がいるとするなら、たぶんこの世で僕一人くらいなんじゃないかと思うんだけど、それでもこの機会を棒に振りたい?」
「ふざけんなっ!!」
 四条は目を細めた。
「……死にたいなら勝手に死ねば良いけどね? 僕には関係ないから。けど、君本当に『死にたい』なんて思ってるの? 僕はとてもそうは見えないけどな。ただ、『面倒』だから『生きていたくない』だけなんじゃないの? そんな『人間』に何処でも好き勝手に死なれたら、実際『迷惑』なんだよね。僕があそこへ到着するのがもう少し遅かったら、僕は危うく『死体』を見つけて、『警察』の『事情聴取』受けて半日棒に振るところだったんだよ? 僕にとっての『半日』がどれだけ『貴重』なものか判ってるの? 『大損害』だよ? まあ、実際今君にその貴重な『時間』削り取られてるんだから、結果的には似たような事になってるんだけど、それでも『警察』の『事情聴取』よりはマシだよね。だってもし君に『他殺』の疑いがあるなんて言われたら、僕なんて『最重要参考人』にされちゃうじゃないか。そんな事になったら、僕が苦労して得てきた三十年が水の泡でしょう? 疑いなんて晴れても、一度そういう目に遭ったってのは一生消えないよ? 僕はようやく掴み掛けた機会を棒に振る事になる。……僕は光の当たる場所にいたいんだ。日陰の、ジメジメした鬱陶しい処になんていたくない。……君がそういう処に生きたければそうすれば良い。勝手に一人でそうなってろ。だけど、僕まで巻き添えにするのはやめて欲しいな? ……君は自分がああいう処で、ああいう事するのがどれほど『罪』な事か全然判ってないだろう。……そういう人迷惑なクソガキを、僕がきちんと『教育』してやろうと考えるのは、至極当然の事じゃない?」
 物凄い早口でマシンガンのように捲し立てられて、俺は何も言えないで、呆然と四条を見た。
「……言いたい事はこれで全部だけど、まだ他に君、言う事ある?」
「…………謝れば良いのか?」
「謝ったって、気は済まないけどね」
「…………俺にアンタの『玩具』になれってか?」
「君の気持ち次第でしょう? ま、僕はそんなの気にしないけど」
「…………」
「別にそんな無体な事、要求しないよ。僕は結構寛大なんだ。君の自由にさせてあげるよ。……ただし、僕の『許せる』範囲で」
「…………っ!!」
 泣きたく、なった。絶対泣いたりしないが。何だってこんな奴に目ェ付けられたんだ、俺。こんな奴、『悪魔』なんかよりタチ悪ぃ。最低最悪で絶体絶命。……信じられない。
「……じゃ、行こうか」
 何事もなかったかのように、四条は言った。俺は一瞬、反応できない。そんな俺を引きずるように腕を掴んで、店を出る。俺は思わず、転びそうになって、慌てて体勢を整える。四条は俺になんかお構いなしでさっさと歩く。転びたくなかったら歩けと言わんばかりだ。
 それから俺は風呂屋やら散髪屋やらそこら中引き回されて、最後に四条のマンションへ連れてかれた。……まるで高級ホテルかと思うような外観。十五階建ての最上階の4LDKへ連れ込まれた。
 居間の絨毯の上に力尽きてバッタリ倒れ込んだ俺に、四条は立ったまま言った。
「じゃ、僕は仕事行くから」
「……へ!?」
 飛び起きる俺ににっこり笑う。時計はもう五時を回ってる。
「七時頃には帰るから。部屋にある物触って構わないから。ただし汚さないように」
「……おい!?」
「あ、夕食は一緒にしよう。じゃ、行ってきます」
 呆然と見送った。……アイツ、一体何考えてんだ? 俺は一人取り残されて、そこで初めて辺りを見回す。モノトーンの色調の、最低限の家具しかない広い部屋。一歩間違えれば、殺風景一歩手前の。俺は何故、ここに自分がいるのだろうかと考えた。何か間違ってる。……何かひどく騙されてないか!? 俺!!

To be continued...
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