NOVEL

光の当たる場所 -2-

 今日は四月十二日。広香の九歳の誕生日。
「誕生日おめでとう、広香」
「ありがとう、龍也お兄ちゃん」
「……おめでとう、広香」
「ありがとう、英和お兄ちゃん」
「……ファミレスくらいしか行けないけど、仕事終わったら、皆で外へ食べに行こう。院長先生に外出許可は取ったから」
 兄貴の言葉に広香は文字通り、飛び上がって喜んだ。
「本当!? 嬉しい!! やったぁ!!」
「……お前、大袈裟な」
 俺は呆れた。
「だって外食よ!? 外食!! 初めてじゃない!!」
 物凄いはしゃぎようだ。
「……だからってお前な。少しは落ち着け、恥ずかしい」
「まあ、良いじゃないか、龍也。仕方ないさ。お前は昔、父さん達が生きてる時に外食ぐらい、した事あるけど、広香は物心付いて初めての外食なんだし」
 そう言って、朝食を食べ終え、口を拭う。
「……仕事、頑張ってな」
 俺が言うと、兄貴はにっこり笑う。
「お前に言われるまでもなく、ね。早々に帰ってくるから、準備しておいで」
「はあいっ♥」
「……判ったよ」
 俺も食べ終え、トレイをカウンターへ出す。広香はまだはしゃいでる。本当、恥ずかしい奴。まあ、まだガキなんだし……仕方ないか。溜息つく。
「あ、龍也お兄ちゃん♪ 途中まで一緒行こっ?」
「……お前、妙に機嫌良いな」
「……だってぇ……へへへっ♥」
「……気持ち悪ぃぞ、広香」
「じゃ、俺は行くから」
「行ってらっしゃい」
 俺達二人は背広姿の兄貴を見送った。広香も食事終えて、トレイを出す。
「さ、行こっ♪ お兄ちゃん」
 腕なんか、組んでくる。
「……お前が機嫌良いと、雨でも降りそうだな」
「ひっどぉい!! 何言ってんのよ!! お兄ちゃんっ!! 大体いつも私を怒らせてるの、龍也お兄ちゃんでしょ!?」
「……急に怒るなよ」
「怒らせたの、誰だと思ってるの」
 睨まれる。……素直に謝る。
「……ごめん、広香。本当、悪かった」
 深々と頭下げる。
「判れば良いのよ!!」
 勝ち誇ったように、広香は胸を張る。……何だかな。苦笑する。
「……でもどうして急に?」
「お兄ちゃんが本当に毎日学校行ってるのか、心配だから」
 何!?
「……と、言うのは建前で、本当は単にお兄ちゃんと並んで歩きたかっただけよ」
「……ブラコン」
「他人の事言える!? お兄ちゃん!!」
「……俺は妹なんかと手ェ繋いで歩きたくない」
「良いじゃないのよ!! たまには!! 今日は私の誕生日なんだからねっ!!」
「……偉そうだな、広香。いつもの事だが」
「うっさいわね!! 今日はお兄ちゃん私の下僕!! ちゃんと言う事聞いて、真面目に学校行ってよね!!」
「……俺は最近真面目に通ってるってば」
「口先だけならどうとでも言えるの!!」
「……本当だってば」
「広香のお願い♥ ねっ?」
 そんなうるうる目で見上げなくても……。
「……判った」
 勘弁しろよ。ったくよぉ。
「そん代わり、腕組みだけは勘弁してくれ」
「じゃ、手ぇ繋ご!! 手!!」
「……そんなに嬉しいか?」
「幼稚園以来じゃない。ねっ?」
「……まあ言われてみれば……そうだが……」
 広香の歩幅に合わせて歩くと、物凄く歩きづらい。ちょこまか跳ねるな!!
「……それにしたって、はしゃぎすぎだろ?」
「だってお出掛けだよ? 外食だよ? お兄ちゃん達と三人でだよ? そういうの、初めてじゃん。嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねちゃうよぉ?」
「……だから飛び跳ねるなって。恥ずかしい」
 ひょい、と広香は歩道のブロックの上に飛び乗った。
「おい、バカ。危ないって!!」
「平気だもーん♪ へへっ。嬉しいなっ♥ 最高の誕生日だよねっ♪」
「……本当バカ……」
「龍也お兄ちゃんにバカなんて言われたくないも〜んっ」
 言って、ひょいっと飛び降り抱きついてくる。
「……こら、おい!!」
 おまっ……何処触んだよっ!! もう少しで……そのっ……くそっ!!
「……人の足、触んなっ!!」
 引き剥がす。広香はむぅっとした顔する。
「冷たぁ〜いっ!!」
「冷たくない!! 腕ならともかく足なんか触るな!! ボケ!!」
 ……いや、足どころの話じゃねぇって。おい。
「足なんか触ってないよぉ!! 腰に腕回しただけじゃん!!」
「同じ事だっ!! 今度やったらぶっ殺す!!」
「……ひっどぉーいっ!!」
「酷くない。酷いのは広香」
「お兄ちゃんのバーカッ!!」
 思い切り『いーだ』をする。……このクソガキ。思わず拳が震える。……いや、堪えろ。堪えるんだ。こいつはまだガキなんだ。第二次性徴どころか、第一次性徴もまだ発展途上の一桁台のお子様で。……だからここで怒っても仕様がない。
「……本当お前って……」
 溜息つく。
「龍也お兄ちゃんの冷血漢っ!!」
 まだ言うか、このクソガキ。広香の両頬を指で摘む。
「いふぁいっ!! なにふんのおっ!! ぼおひょくまふぃんっ!!」
「うっせぇ!! 兄を侮辱した当然の罰だっ!! お前なんか口裂きの刑だっ!!」
「いふぁいっいふぁい!! おにいふぁんきあいっ!!」
 涙目になったから、離してやる。
「……ま、このくらいで許しといてやろう」
「バカぁっ!! 乙女の顔に何すんのよっ!! 戻んなくなったらどうしてくれんのよっ!!」
「はっはあ、乙女ね? 乙女。……へー乙女」
「何言ってんのよっ!! ぴっちぴちの九歳よ!? 立派な乙女じゃない!! 何の不足があるって言うの!?」
「……そういう事は、グン○下着を卒業して、ブラジャーと伸び縮みするパンティをはくようなお年頃になったらお言いなさい」
「お兄ちゃんのH!! 変態!!」
「……お前、変態まで言うか?」
「最低ね!! 男の風上にも置けないわっ!! そーゆー人が実の兄だなんて、私人間不信に陥っちゃう!!」
「……そんな事絶対ないクセに、言うな。バカ」
 このませガキ。何処でそんな言葉覚えて来るんだ。……頭痛ぁ……。
「そんな事、レディに言ったりするなんて、恥知らずもイイとこよ!!」
 びしっと指差したりするし。こら。
「……お前がレディだとはついぞ知らなかったな」
「ひっどぉい!! 最っ低っ!! 侮辱よ!! 侮辱!! こんなに素敵なレディ捕まえてどの口が言うのかしら、どの口がっ!!」
 いきなり人の脇腹つねり上げる。
「うあ痛ぁっ!!」
 思わず仰け反った。広香はくすくすと笑う。
「……ふふっ。天罰よ、天罰」
「……天罰もクソもあるか。てめぇでやっといて」
 ……畜生。こいつ、妹じゃなかったら、ふんじばって箱詰めして海に流してやる!!
「お兄ちゃん、子供のする事におとなげないよ」
「……都合の良い時だけ、子供のフリすんなっ!!」
 このクソガキ。脇腹撫でる。……ジンジンする。何て奴だ。妹だからと甘い顔してりゃ。
「……あのね、お兄ちゃん」
 指を突き付けて、真面目な顔を近付けてくる。
「……うん?」
 俺は広香の視線までしゃがみ込む。
「……女の子の成長は、男の子よりずっと早いのよ? バカにしてたら、あっという間に育っちゃうんだから! その時になって焦っても、遅いんだからねっ!!」
「……お前、何言ってんの?」
「そうやってバカにしてられるの、今だけなんだから。覚えてらっしゃいよ?」
 と言ってふんぞり返る。……このませガキめ。力抜ける。
「ふんだ。私、すっごいモテるんだから。大人になったら、すっごい美人よ。お兄ちゃんなんか足元にも及ばないんだから」
「……お前、そういう事は人に言って貰うもんで、自分で言ってちゃ仕様がないだろ?」
「だってお兄ちゃん、全然判ってないもん!!」
「はいはい、わっかりましたっ。お姫様っ」
「あ、中学校の校門ね。じゃあねっ、またねっ!! お兄ちゃん!!」
「ああ、気を付けてな」
 騒がしいガキ。……ぱたぱたと走ってく。大丈夫か? 車轢かれたりすんじゃねぇぞ? うわあ、落ち着かねぇガキ。
「可愛らしいお姫様とご登校? な〜かはらっ!!」
「うあっ!! びっくりしたっ!! 何だよっ!!」
 同級生の、草薙優花[くさなぎゆうか]。俺とは又違う意味で学校の問題児。……何故か時々絡んでくる。……同類だと思われてるのかもしれない。物凄く厭。美人で派手でプロポーションも良いがいかんせん……。
「なっかはら〜っ♪ アンタ最近まっじめクンじゃん? ど〜したのぉっ?」
「……お前、俺に話し掛けんな」
 病気がうつる。
「ひっどぉ〜っ。冷たぁ〜いっ。あいか〜らずだねっ、最低男っ」
「……嬉しそうに言うなっ!! 同類だと思われたらどうすんだっ!!」
「はっはぁ♪ イイじゃん。べっつに〜? 気にすることぉ〜? らっしくないじゃん♪」
「……俺は至極気にする」
「まった♪ おっカタいコト言っちゃってぇ〜? 不真面目少年のクセにぃ♥」
「……俺はお前と関わり合いになりたくない」
「まったまたそんな冷たいコト言っちゃってぇ♥」
「ええいっ!! まとわりつくなっ!! うっとぉしい!!」
 振り払う。
「あん♥」
「紛らわしい声出すなっ!!」
「え〜♥ 何ぃ〜? カンジちゃったぁ?」
「…………」
 脱力する。
「……頼むから、俺に構わないでくれ。迷惑だ」
「なかはらぁ、アタシとヤんない?」
 力抜けるっ……やめてくれ!! こんなっ……校門前でっっ!!
「……悪いけど、そんな気全くない。他当たって」
「え〜? 何でぇ〜?」
「……少なくとも、俺はお前のような口軽くて尻軽なのとヤりたくない」
「……童貞だからぁ?」
 思わずっ力抜ける事言うなっ!! このバカ女ッ!!
「見た事もないクセにンな事言うなっ!! ボケ!!」
「見た事ないけどぉ〜ったぶん何となくぅ〜想像つくから〜っ♪」
「……残念でした。大外れ。だからさっさと他行け、他っ!!」
「やっぱチェリーなんだぁ♥」
「バカ野郎!! 朝から校門前で恥ずかしげも無くそういう事言うな!! お前、俺に何か敵意あるのか!?」
「ないよぉ〜っ? なかはらってぇ、結構アタシの好みだしぃ〜っ」
「……だから俺はお前に興味ないって!! 頼むからあっち行ってくれっ!!」
 ああああ、やめてくれっっ!! 何で朝からこんな女につきまとわれなきゃならないんだっ!! 今日は厄日かっ!? 女難の日か!?
 懸命に振り切って、足早に駆け込む。
「待ってよぉ〜っ!! なかはらぁ〜っ!!」
 絶対無視。息切らせて、教室へ飛び込む。鞄机に掛けて……。駄目だ、教室にいたらまた捕まる。アイツの来ないトコ……図書室……か。急いで移動する。それから机の上に突っ伏して、手足ぐたぁっと思い切り伸ばす。……はぁ。何だってんだ。あの女。学校で『ヤリ魔』と噂のちょっとたるい女。ちょっとお願いすると誰でもOKという話だが、俺は死んでもお願いしたくない。何でか気に入られて付きまとわれてるから本当最悪。
「……あの、中原君ですよね?」
 は? 顔を上げると、見た事無い女子生徒が傍らに、友人らしき人物と、立っている。
「……そうだけど……何?」
 よくよく見るけど……やっぱ知らない奴。
「あの……お話があるんですけど……ちょっと……良いですか?」
「……はあ?」
 何か、ヤなパターンじゃないか? これ。
「……ここじゃ……駄目な訳?」
「……えっ……その……っ」
 相手は口ごもる。うわ〜、滅茶苦茶ヤな予感。
「……廊下で?」
「……その……もっと人気無いところで……」
「……悪いけど、ヤらせてくれんじゃなかったら、お断りするわ。俺、アンタの事知らないし」
「っ!?」
「そういう気じゃないんなら、お互いつまんないだろ? 俺は嫌がる女押し倒す趣味ないし」
「……ひどっ……!!」
「……その酷い男に自主的に声掛けてんのって誰? 俺、別に自分からこういう事言う男じゃないんだけど?」
「最っ低!!」
 ぱしん、と派手な音立てて平手打ちされた。痛ぇ……爪、切れよ。血が、滲む。女子生徒は駆け出して行った。
「アンタ、最低!!」
 そりゃどうも。その友人も走っていった。周りの視線が冷たい。溜息ついて、外へ出る。水でじゃぼじゃぼ顔洗う。……爪の傷って痛むんだよな。放っとくと、腫れ上がってみっともない事になったりするし。でも、これくらいで保健室とか行くの邪魔くせぇし。大体恥だし。……本当、今日、マジで女難? 俺が一体何したっつうの。
「……ったくよぉ……」
 水道の栓、閉めてぶるんと顔を振った。濡れて落ちてきた前髪、掻き上げる。
「……あ〜あ……かったりぃなぁ……」
 狭い箱の中、閉じ込められて。お仕着せの同じ服、着せられて。毎日毎日同じような事、繰り返しやらされて。
「……他の連中、良く我慢出来るな、こんなトコ」
 理解できない。奴ら、マゾか?それとも俺には全く理解できない精神構造してるのか?
「気ぃ狂いそう……」
 思わずぼやく。外はひどく天気良いし。
「……畜生……っ」
 壁を思い切り、叩き付けて。……どうかしてる、絶対。俺には我慢出来ない。こんな狭い箱の中、息が詰まって呼吸できない。……苦しくなる。俺が俺でいられない場所。『他人』なんかぞっとする。触られたくも、構われたくもない。俺は『異常』なのかもしれない。そうと判っていても、俺はとても耐えられなくて。我慢なんて出来なくて。ふつふつと爪先から脳天へと突き上がってくる暴力的で『動物的』な『衝動』が。身体の奥にジンと『痛み』を響かせて。気が、狂いそうになる。きっかけがあれば、すぐに破れる。まるで水を入れた風船のように。簡単に。誰かを何かを、衝動的に滅茶苦茶に傷付けたくなる。血が滴るくらいに傷付けて、恍惚に浸りながら犯したくなる。俺は『おかしい』。こんなのは『異常』だ。絶対そうだ。俺は『同級生』が唯の『獲物』か『物質』にしか見えなくて。『俺』と同じ『生き物』だなんて、信じられない。こんなトコ、毎日来てたら本当どっかおかしくなる。……兄貴に迷惑掛けるつもりなんか、毛頭ないけど。今は必死で正気保ってるけど。こんなの絶対『正気』だなんて普通言わない。
 大切な存在、大事なものがなければ、とうの昔に俺は自滅してる。こんなとこに来れば来るほど、俺は自分が『異常』なのだと自覚する。誰とも会話できない。誰とも対等になれない。『誰』も『俺』と『同じ』に見えない。どうして、誰も判ってくれないんだ。こんな、『明白』な事。草食動物の中に放り込まれた肉食獣みたいに、何の気無しに襲って喰っても良いなら、幾らでもそうする。だけど俺は『人間』だから、そんな事する訳にいかない。そんな事しちゃ駄目だと知っている。俺の『倫理』が俺の『意志』を抑え込む。だから俺は俺になれない。俺は俺でいられない。『自分』を殺して、息を潜めてひっそりと生きてなきゃならない。……誰にでもあると言うのか? こんな『衝動』が? ……嘘だ。あるなら、連中あんな『平然』とした顔、出来る訳ない。俺の内部はどろどろに腐っていて、衝動的で動物的で、醜悪で。こんな中身、他人に見られたらとても生きていけない。ぞっとする。……『こんな』でも俺、『生きてる』なんて言えるだろうか? 切り落とせるなら、切り落としたい。素直に自然に笑えるようになるなら、俺のおぞましい部分全て捨て去りたい。誰にも知られない内に。自分の中に隠しておける内に。糸が切れてしまわない内に。
 『綺麗』なものに生まれたかった。『純粋無垢』に生まれたかった。こんな『醜悪』な『生き物』は厭だ。吐き気がする。今更もう……無理だけど。それでも『願う』のは『無駄』な事だろうか? もし、この世に『神』がいるのなら、どうかこの醜くおぞましい『俺』を、『浄化』して普通の『人間』にして欲しい。……その為になら、這い蹲って地べたに口づけても良い。この世に『絶対』の『神』がいるというのなら。
 『神』なんていない。どれだけその名を呼んでも、『神』などは現れなかった。……それとも、こんなに汚れきった『人間』の前にはその姿など、見せてくれない? ……『神』などでなくても良い。『俺』を救ってくれるものならば。贅沢なんて言ってられない。『俺』が『人間』以外のものになる前に、『悪魔』でも良い。……救ってくれ。その為ならば、ちっぽけなプライドの一つや二つ、かなぐり捨ててやる。特に……広香などにはこんな『俺』の『正体』なんて見られたくない。知られるくらいなら、死んだ方がマシだ。どんな苦しい痛みよりも。

To be continued...
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