NOVEL

天使の歌声 -2-

「……川崎。本当バカだな」
 呆れたというよりは感心した、といった顔で四条は言った。
「……お前な」
 俺は顔をしかめた。
「いや、バカだ、バカだ、救いがたいバカだとは思っていたけど、これほどまでとは恐れ入ったよ。そんなにお気に召したのかい? 彼の事を」
「ただの気まぐれだよ」
「ふうん? ……気まぐれ、ね」
 何か言いたげな口調で、四条は唇をゆがめた。
 ちぇっ。……どうせ、そんな反応だと思ったよ。
「で? 気まぐれな川崎クンは? どうして彼におせっかい焼くことにしたんだい?」
 オレは苦笑した。
「いや、俺には全く関係ないし、正直どうなったってかまわないとも思うんだけど、どうやら本気で言ってるんじゃないかと思ったから。……それなら、俺が何をどうしようが、芽が出るもんなら放っておいても芽が出るんじゃないかなって」
「なのに世話焼くつもりなんだ?」
「見込み無い奴に世話焼いたってただの『無駄』だけど、見込みのありそうな奴に恩を売っておくのは悪い話じゃないだろ? そんなに一から十まで世話するつもりなんか毛頭無いし、最初のきっかけだけ与えて後は様子見るだけのつもりで、その辺については佐伯に言ってあるし、念押しもするつもりだけど」
「で? 叔父様のつてを頼るんだ?」
「俺に他にコネとか無いしな。拓巳[たくみ]叔父は、俺の頼みなら大抵何でも聞いてくれるし」
「……そのために自分の心を売って?」
 四条は冷たい表情で、突き放す口調で言った。
「売るわけじゃないよ」
 別に。そんな大それたことは。
「キス一つで済むなら軽いもんだろ?」
 四条は鼻で笑った。
「そのうちそんなもので済まなくなっても知らないから」
「そんなものって、どんなものだよ?」
「想像出来ないの? ……想像力貧困だなぁ、川崎は。それじゃそのうち食われたって文句言えないよね?」
「……食われるって──俺が?」
 びっくりした。まじまじと四条の顔を見つめた。
「どうして?」
 四条は呆れたような顔になった。
「……本当にバカだよね?」
 畳み掛ける口調で。
「そんなにバカか?」
「自覚ないなら重症だよ。手に負えないよね。川崎がバカでいたいって言うなら僕には何も言うべきことが無いけど、君がバカでいるのは厭だと思うのならアドバイスのしようはあると思うけれど、その辺りどう思ってるわけ?」
 ……つくづく思うけど、こいつはもう少し判りやすい言い方は出来ないんだろうか? ……たとえば、俺が助けを求めてるなら助けてやるよ、とか。
「なあ、四条。……ひょっとして、俺、マズイと思う?」
「何を言ってるんだい? 今更」
 四条は大仰に肩をそびやかして言った。
「僕は部外者だからね。君の代わりにはなれない。……で? 川崎自身はどうしたいと思ってるの?」
「どうしたらいい?」
 それが問題だ。
「僕に聞かれても知らないよ」
 ふふん、と鼻で笑った。……そりゃひでぇよ、四条。嬉しそうに。くそ。
「それって川崎が選ぶことだから」
「俺は……拓巳叔父のことは好きだけど、だからって全部売り渡していいとも思えないし。キスしてもいいやって思う程度の好意はあるけど、それ以上のことは想像もしたくないって感じだし。……でも、一度した約束を翻すのは男として問題だって思うから」
「素直にヤられちゃえば? 人生観変わって良いかもよ?」
 楽しそうに、四条は言った。
「あのな、四条」
 くそ。
「アドバイスしてくれるんじゃなかったのか?」
 言うと、四条はにやにやと笑った。
「うーん、そうだな。……報酬は貰えるのかな?」
 がっくりきた。
「……親友から金取る気か?」
「いやだなぁ、川崎。僕の親友はお金だよ。苦情があるなら、聞いてもいいけど」
 ……四条に苦情。そんな後が恐ろしくなるようなこと、俺にできるか。
「人間の親友は?」
「お金は僕を裏切らないし」
「じゃあ俺は一体何?」
「うんうん。川崎はイイやつだよね。無神経だけど」
「……まける気は更々ないんだな? ……で、いくらが望みだよ」
「一千万。と、言いたいところだけど、それはいくらなんでも吹っかけすぎだと思うから、そうだな、さしあたって十万でいいよ」
 ば、ばかやろう。
「そんな金があるかよ」
「何言ってるんだい、川崎。君が密かに僕の写真のネガを写真部に売り渡して、二十万からの臨時収入を得たことは知ってるんだよ? その半額で良いって言ってるんだ。僕は随分良心的じゃないか?本人の了承を得ずに、肖像権を金で売り渡した友人に対してさ。寛大な処置だと思うだろう?」
「だっ……!!」
 う、わ……。
「あのな!? 四条!! あれは、売ろうと思ったつもりなくて、同じクラスの飯嶋が、お前の写真持ってないかって言って、あったら焼き増ししたいからネガを貸して欲しいとか言ってきて、それであんまり深く考えないで渡したら、何故かそういう事に……!!」
 四条はにやりと笑った。
「判ってるかな? 川崎。……君のそういう『判ってない』ところが、とんでもなく人迷惑で、問題だっていうことが。それで、僕の言いたいことは判ったかな?」
 ……氷点下の空気。
「言い出しにくかったんだよ。その、終わったあとで。それにその時の金は、なんか持ってるのやだなって思ったから、寄付しちゃったし」
「寄付?」
「そう。匿名で。ユニセフに」
「へーえ? 僕を売り渡した金で、ユニセフに」
「俺だってマズかったと思ったし、悪いことしたと思うし、だからせめてさ……」
「ねぇ、川崎? 見ず知らずの他人を救済する気があるんなら、目の前にいる僕を救済する気にはならないかな?」
「…………」
 ……こいつ。
「十万は無理」
「じゃあ、いくらなら良いわけ?」
「今持ってる金、全額三万円ちょい」
「なら、それでいいよ」
 真顔で四条は言った。
「なっ……!?」
「それが厭なら素直にバックバージン叔父様に捧げちゃいなよ? 僕には全然関係ないし、好きにしたら? 君の望み通りにしたら良い」
「ばっ……四条、俺は……っ!!」
「はい?」
 にっこりと、四条は天使の微笑で笑った。
「それだけは厭だ」
「じゃあ、どうする?」
 くそ。
「払うよ。払えばいいんだろ? この、守銭奴め」
 財布を取り出し、万札全部取り出して渡す。
「千円札や五千円札は無いの?」
 ちょっと待て!!
「洗いざらい出さす気か!?」
「本来は十万のところをたったそれだけでいいって言ってるんだよ? 僕ほど寛大な人間もなかなかいないと思うけど」
「お前寛大という言葉を履き違えてないか?」
「川崎。君も僕の寛大さに甘えるのはやめた方がいいよ。忠告するけど」
 ……四条、そのうち友達失くすぞ。大きくため息一つついて、財布から残りの千円札二枚と五千円札一枚を取り出した。
「小銭も?」
「それだけは勘弁してあげるよ」
 四条はにっこり魅力的に笑った。それだけ見たら、知らない奴は騙されそうだ。
「……これでいいんだろう?」
「そうだね」
 四条は言って、金を財布にしまって胸の裏ポケットに仕舞い込む。
「久人の手を借りるよ。……詳しくは明日になるけど」
九頭竜久人[くずりゅうひさと]さん? お前の従兄の」
「そ。あのひと顔だけは広いから」
 今は、四条は久人さんと二人で暮らしている、筈だ。詳しく話は聞いてないけど。四条はプライベートに立ち入られることをひどく嫌っている。久人さんは、俺も顔見知りで、背が高くて明るく軽くノリのいい、四条とは正反対の人柄だ。『オレねぇ、究極の遊び人目指してるんだよ』と以前言っていた。『人生を極めてやろうかと思って。オレは絶対畳の上では死なないことに決めてるの。つまんないでしょ? そういう人生。女に刺されて死ぬのとかってイイなぁ。腹上死ってのも最高だよね』とかいう物騒な事をけらけらっと笑いながら言っていた。素面で。
「久人さんあれから元気なの? 顔見てないけど」
 久人さんは作家だ。純文の。四冊ほど読んだことがあるけど、全部最後に主人公が死んでしまう話だった。面白かったけど、本人とはまるで共通項が見えなかったから、正直驚いた。なんだか切なくなるような、胸が苦しくなるような、人間ってなんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろうって、そういう話。判りにくい、気取った言葉や洒落た言葉はなくて。日常的にありふれた言葉で。ごく普通の言葉でつづられた、悲しい物語。
「ああ、今あいつスランプだから。ホテルに缶詰め」
「何? 今、お前一人なの?」
「心配いらないよ。ハウスキーパーが来るから。生活には問題ない」
「でも、味気なくないか? 一人じゃ。そういう時はうちへ来ればいいだろう?」
「別に。僕は一人でいるの好きだし」
 ……こういう可愛げのない事言うしな。こいつ。
「それに家にいないと、久人が何か欲しいものがある時、届けに行ったりとか出来ないから」
 四条は、久人さんにひどく懐いてる。そう言うと、たぶん四条は不機嫌になるけど。たぶん、四条にとって久人さんだけが家族なんだ。きっと。久人さんにだけは素直に甘えてるように見えるし。四条の生活は久人さん中心にあるように見えるし。
 四条って何でも出来るような顔して、思いのほか不器用で、勉強・スポーツ・武術なんでもござれだけど、絵を描かせれば幼稚園児よりヒドイし、習字やらせれば字を書く前に墨をこぼしたりするし、今時ビデオ録画もCDのダビングすらも出来ないし。家事をやらせば、何か一つ仕上がる前に、家を破壊しかねない有様で、掃除機でテレビ壊した伝説も持ち合わせてる。どうして壊れたかって言うと、テレビの埃が気になったとかで、掃除機で埃を吸っていたらしいんだけど(って言うか普通は雑巾か乾布で拭くだろう)ディスプレイ側を掃除機でごしごしやった後で(それも問題アリだが)裏の配線側も掃除しようと思ったらしく(何故そんなことを考えるかが不思議だ)掃除機で裏側を、思い切り掃除機の吸い込み口で掃除した、らしい。配線を滅茶苦茶に吸い込んで絡ませてしまい、慌てて吸い込み口から外そうとして、掃除機の柄を握ったまま吸い込み口上に上げ、絡まったコードを外そうと四苦八苦しているうち、テレビをテレビ台の上から床に落っことした、らしい。言うと怒るけど──そんな事するのは四条だけだ。俺の知っているだけで四条が掃除機の吸い込み口部分を破壊したのは八回。ホースを詰まらせた事がニ回。コードをショートさせたことが他に四回。窓ガラス割ったのが二回。タンスを倒したのが一回。書棚を倒したのが二回だ。食器を割るのなんてカワイイものだ。そんな事は数え切れないくらいあるらしいけど、それでもテレビ破壊二回、ビデオデッキの破壊三回、オーディオセットの破壊二回には負けると思う。よくもまあそんな事が可能だと俺は思うけど。本人がひどく気にしてるようなので、わざわざ口に出して言わないけど。自分でも恥ずかしいとか思うらしい。四条はそういうこと絶対口割らないけど、久人さんが楽しそうに嬉しそうに、教えてくれた。四条は顔を真っ赤にして怒っていたけど。
「久人さん戻ったら教えろよ? また、話したいからさ」
「……久人がいいって言ったらね」
 たぶん大丈夫だと思うけど。
「俺、久人さん好きだから」
「本気で?」
「あのひと、いいひとじゃん?」
 言うと、四条は苦笑いした。
「久人が聞いたら嫌がりそう」
「そうか?」
「そうだよ。……久人、お前のこと初対面で気に入ったって前に言ってた。あいつさ、結構人見知りするんだよ。好き嫌い激しいし」
 それは、たぶんそんな感じだったけど。
「楽しいひとじゃん?」
「そうかな?」
 四条は言った。
「外からは見えない事って多いよ?」
「かもな」
 俺は答えた。
「でも、俺は久人さんのこと好きだよ。お前のことも、勿論好きだけど」
 ぷっと四条は吹き出した。
「何それ」
「言葉どおりの意味だろ?」
 俺は笑った。
「あのさ、川崎」
 四条はくすくすと笑いながら言った。
「それ、久人には言わない方がいいよ」
「え? どうして?」
「あいつ、節操ないから」
 それってどういう──と、問い返しそうになって。不意に、顔に血の気が昇った。
「え!? もしかして!!」
 四条はにやにやと笑みを浮かべてる。
「あいつさ、文学書くためだったら、何でもやるから。……あれは本当、病気だよ」
「……四条?」
「前に一度、凍死する主人公の気持ちが判らないって言って、雪山に遭難しに行った事もあるから」
 ……それって。
「……四条。聞いていいか? 今、久人さんが書いてるのってどういう小説?」
「知りたい?」
 楽しそうに、四条が言った。にやりと笑って。
「聞きたい? 川崎」
 聞きたい、けど聞くの恐いような。
「今度のはね、男とも女とも平気でヤる、どうしようもなく自堕落な生活してるジゴロ。男も女も食い物にして、薬やってウリやらせて、癇癪任せに恋人を殴って、そのまま酒瓶抱えてふらっと出て行く男の話。最後は手ひどく振った女にメッタ刺しにされて、病院行く途中で虹を見上げて『ああ、綺麗だ』って言うんだってさ。でも主人公の気持ちに入り込めないって言ってたからね」
「……大丈夫なのか? 久人さん」
「さあね」
 四条は笑った。
「僕は久人じゃないから」
「あのさ……もし俺に何か出来ることあったら……」
「たぶん良い気分転換になるよ」
 四条は言った。
 ……疲れてるんだろうか? ふと、思った。
「四条」
「何処か遠くへ行きたくなることってないか? 川崎」
 目を細めて、四条は言った。
「うん、そうだな。……今度、三人でどこか旅行でも行こうか? 俺とお前と久人さんで。きっと楽しいと思う」
「そうだね」
「もし、何だったら今度の日曜、遊びに行くのもいいし」
「……久人に聞いてみるよ」
「ああ。それで……本当に頼んでもいいのか?」
「それは久人次第。……連絡するよ」
「なあ、四条」
「何?」
「無理はするなよ」
「川崎に心配されるようじゃ僕も終わりだな」
「そんなことばっかり言ってるからだろ」
 言うと、四条は唇ゆがめて笑った。
「……他人のことより自分のことを心配した方が良いよ、川崎」
 う……まぁ、そうだけど。
「でも、なんか、さ。俺が引き受けたことなのに、お前や久人さんに尻ぬぐいして貰うのって、本当悪いし。俺は、久人さんも四条も本当好きだし」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
 にっこり四条は笑って言った。

To be continued...
Web拍手
[RETURN] [BACK] [NEXT] [UP]