NOVEL

週末は命懸け10「恩讐」 -3-

「あっ……ぁあっ……ふっ……!」
 中原の上にまたがり、自分から腰を動かす。時折下から突き上げられて、悲鳴を上げる。汗の滴が玉のように転がり、シーツにシミを作る。汗で濡れた髪が顔に張り付くのを時折掻き上げながら、腰を振る。
「……すごく、イイ顔してる」
 中原が唇をゆるめて言う。その瞳が欲情を湛えているのを見て、更に欲情する。
「そんなこと言う暇があるなら、もっと真面目に腰を動かせよ」
「そういう郁也こそ、手を抜いてるんじゃないの?」
 甘い声で、にやりと笑う。……このすけべ野郎。思ったけど、惚れた弱みだ。
「抜いてねぇよ。サボってるのはお前の方だろ? 中原龍也」
 そう言って、掴んでいる肩に思い切り爪を立ててやる。僅かに眉をひそめて、中原は苦笑を浮かべた。
「いや、こうやって下から見上げる姿もなかなかイイな、と見惚れてたから」
「……バカなこと言ってると、途中でやめるぞ」
「そんなことしたら、コレどうやって始末してくれるの?」
「さあな。自分で自分のサオでもしごいてろよ。刺激が足りなきゃエロ本でも差し入れてやるよ」
「本気で言ってる?」
 誘うような声で、笑う。……くそ。
「……お願い。俺がつらいから、動いて」
 そう言うと、嬉しそうに笑み崩れた。
「最初からそう言ってくれれば良いのに」
 そう言って、両手で俺を抱きすくめると、ベッドに押し倒した。
「……お前、本気で質悪いよ」
「でも、そんな俺が好きなんでしょう?」
 ちょっぴり。ほんのちょっぴりだけど、こいつに好きだなんて言わなければ良かった、と思った。好きだけど、ちょっぴり嫌いだ。……いや、好きだから嫌なのか。
「図に乗るな」
「肝に銘じておきますよ、郁也様」
 慇懃無礼に告げて、俺の中心を撫で上げながらにっこり微笑む。……本当に。こういうやつだって事は判ってるけど。判ってるだけに嫌だと言うか。
「あんまり調子に乗ってると、嫌いになるぞ」
「そうしたら俺、泣くよ?」
「勝手に泣け」
「郁也もこっそり泣くくせに」
「お前のそういうところが嫌いなんだ。しつこい上に鬱陶しい」
 そう言うと、さすがの中原も一瞬顔を引きつらせる。
「う、鬱陶しい? この期に及んでそんなこと言うんですか!?」
「鬱陶しいから鬱陶しいって言ってるんだろ! とにかく、お前、さっさと腰動かせよ。折角盛り上がったのに萎えるだろ?」
「……自分の言動に疑問感じないんですか、あなたは」
 中原は渋面になったが、それでも諦めたように溜息をついて、苦笑した。
「まあ、いいか。それでも、俺はあなたが好きなんだし」
 そう言うと、どきりとするほど優しい笑みを浮かべた。
「……中原……」
「困ったことに、何を言われても嬉しいんだから、俺もつくづく病気だ」
「……なかは……ら……?」
 中原は額にキスを落とし、耳を舐め上げる。
「……早く」
「俺はあなたを愛してる。でも、ちょっぴり時々、後悔したくなりますよ。あなたと出会ってしまったことを」
「……どういう……意味だ……?」
 なかなか次の行動に移らない中原に、俺は戸惑いながら、訊く。
「……あなたのおかげで、逃げられなくなりましたから、ね。勿論それはあなたのせいじゃない。俺はあなたに身も心も囚われている。それはあなたが強制していることじゃなく、俺が好きでそうなっているだけだ。あなたに罪は無い。あなたの……冷淡さや残酷さすらも含めて、あなたの全てを愛している。だから、俺があなたに恨み言を言うのは筋違いだ」
「……え……っ……?」
 それってどういう意味だ、と問い返そうとしたその時、いきなり貫かれた。
「はぁっ……ぐっ……!!」
 悲鳴を上げそうになって、慌てて飲み込む。思わず息を飲みかける俺など気にかける風もなく、中原は腰を振り、突き上げ始めた。痛いというより、熱い。苦しい。ひきちぎられそうだ。俺は驚き、目を見開く。中原は両目を瞑ったまま、俺の腰を掴んで揺すり上げる。
「あっ……やっ……なかは……っ!!」
 恐い。すごく恐い。まるで、中原が知らない男のように見えて。
「中原っ!! なかはっ……なか……っ!!」
 悲鳴を上げる。
「……俺だって、人間なんですよ」
 苦しそうに、かすれた声で、中原は呟く。
「俺は、人間なんだ」
「……なかは……っ……やっ……!!」
「……だから、あんまり痛いこと、言わないでください」
 一瞬、全身が冷たくなって、どくんと心臓が波打った。
「……中原……」
 中原が動くのをやめて、目を開く。
「……ごめんなさい」
 傷付いた顔で、そう中原は呟いた。
「ごめんなさい」
 泣きそうな顔で。
「……許して」
 そう小さく呟く中原に、俺はかすれてしまった声で呟いた。
「許してるよ」
 ぼんやりと途方に暮れた瞳で俺を見つめる中原に言う。
「許してるし、俺も悪い。けど、勘弁してくれ」
「…………」
「ただでさえ、お前とのセックスって疲れるんだからさ。俺は、なんていうか、こういう性格で、お前のことも、お前以外の人間のことも、全然判ってない。それじゃいけないし、変わらなくちゃいけないって判ってる。俺は、お前のことが好きだ。好きだけど、お前の全てを受け入れられるだけの度量は無い。……でも、お前じゃないと、嫌なんだ。お前しか要らない。……だけど」
 ぽろり、と涙がこぼれ落ちる。
「……俺が、恐がるようなことは、しないでくれよ」
「郁也様……」
「お前を、失いたくはないから。頼む、中原」
「……すみません」
「謝るなよ。……お前を情緒不安定にさせたのは俺なんだし、困るから」
「すみません、見境なくて」
「だから謝るなって。俺はお前のそういうとこが嫌いだ。自分が正しいと思ったら、絶対何が何でも謝るな」
「だって正しくないですから」
「……お前、本当、卑屈だよな」
 いつものことながら、ちょっぴり呆れる。
「郁也様が高飛車なんです」
「全然褒めてねぇよ」
「褒めてませんし。そういうところも含めて惚れてますから、別に良いですけど。でも、俺からもお願いですから、鬱陶しいとか気色悪いとか言わないでください」
「気色悪いとまでは言ってねぇだろ」
「でも、『鬱陶しい』とは言いましたよね?」
「確かに言ったけど……ごめん、俺こそ軽率だった。その……嫌いになったか?」
「今更ですよ。だって、俺は、あなたに『死ね』と言われても嬉しかったくらいの変態ですから」
「……本当に悪かったよ。ごめん。謝って済むようなことじゃないけど」
 頭を下げて言うと、中原は驚いたように目を見開いた。
「殊勝ですね? どうしたんですか? 気分でも悪い?」
「どっ……どうしたも、こうしたも!」
 思わずカッと血の気が上る。
「お前がだいたい、最初に……っ!!」
「……殊勝でしおらしい郁也様だなんて似合いませんよ」
「余計なお世話だ!! だいたいなぁっ!! 俺はこれがお前のことじゃなかったら、気になんかしないし、謝ったりもしないんだ!! どうしてお前は俺が真面目になると、茶化したりはぐらかしたりするようなことばっかり言うんだ!!」
 怒鳴りつけてから、あれ、と思う。
「……お前、もしかして、わざと……?」
「痛かった、ですよね」
 不安そうな顔の中原に苦笑する。
「たいしたことねぇよ」
 言った途端、むず痒いような痛みが走ったが、顔には出さない。
「中原」
 そう言って口づける。
「でも、あんまり乱暴に扱うなよ? 俺はお前ほど頑丈じゃないんだ」
「すみません」
「だから謝るなって」
 俺は笑う。意地でも笑う。最高の笑みで。
「二度とこんなこと、するなよ。それでチャラだ。な?」
「……俺は、甘えてますね」
 中原が自嘲的に笑って言う。
「心配するな。俺も甘えてるから」
「あなたは良いんですよ。問題は俺で……俺の方が、大人なのに」
「心配すんな。俺はお前のこと大人だなんて思ってねぇから。ガキだよ、十分」
「……あなたにそういうこと言われたくないんですけど」
「ジジイと呼ばれる方が好きか? それじゃマジでマゾだろ」
 言うと、中原はうっと詰まった。
「あの、お願いしても良いですか? できればジジイと呼ぶのは勘弁してください。変態とか筋肉デブとかは良いですけど、ジジイだけはどうしてもダメなんです」
「……ごめん」
「え? なんで謝るんです?」
「だって、ジジイも変態も筋肉デブも俺がお前に言った台詞だろ? それも一度や二度じゃなく、何度も言った。何度言ったかは覚えてないけど、数え切れないくらい言った記憶がしっかりある。……冷静に考えたら、そんなの人に言って良い台詞じゃなかった」
「……別に良いですよ。あの頃の俺は、あなたに罵倒され怒鳴られるのが、とても嬉しかった」
「そんなこと言うなよ。今、俺、反省してるんだから」
「それって俺のせいですか?」
 中原が俺の顔を覗き込むように見つめながら言う。
「違うだろ。俺が……軽率で、考えなしで……そして今、お前のことを好きだからだ。後悔してるよ。俺がお前にしたこと全部。俺、お前にひどいことばかりした。お前は俺に、良くしてくれたのに」
「……郁也様」
「まあ、セクハラとかは本当まいったけどな。でも、俺、お前にからかわれてるんだとばっかり思ってたし。……時折わけのわからない感情に陥れられたりとかさ。今だから言うけど、バスルームでベルト外されたアレ、すげぇドギマギさせられたんだぞ。マジでヤられるかと思ったし。いや、さすがにHされるとまでは思わなかったけど、フェラくらいまではされるかと」
「あの時、しても良かったんですか?」
「バカ。あの時の俺とお前じゃ絶対和姦にはならねぇだろ?」
「あぁ、やっぱりそうなんですか。……俺としては、これ以上自分が暴走しないよう自制するので精一杯で、余裕なんて無かったですけどね」
 ってあれ、マジだったのかよ!
「ちょっ……中原っ!!」
「時限爆弾仕掛けてくれて本当良かったですよ。あれのおかげで、冷静に仕事モードになれましたからね」
「…………」
 前から思ってたけど、本当、質悪い。この男。……どうして俺、こんなやつが好きなんだろう……。
「一つ訊いていいか? なんで女装だったんだ?」
「それは俺の趣味です。ソファに縛り付けたのと同じ理由で」
「……女装は当然却下だが、縛るのも好きなのか? 俺はそんな趣味ないぞ」
「心配しなくても無理矢理やったりしませんよ。あなたがアルコールに弱くて泥酔してくれるようなら、やってたかもしれませんが」
「……それはやめとけ。俺だけじゃなく誰にやっても嫌われるから」
 がっくりきた。
「肝に銘じておきます」
 ちょっと後悔したくなってきた。……でも、まあ。
「俺もイカれてるしな」
 それでもこの目の前にいるとんでもなく人迷惑な男が好きだと思うから。
「……頼むから、俺以外の人間にそんなことするなよ?」
 言うと、中原は唇をゆるめた。
「あなたにはしても良いんですか?」
「勿論駄目だが、俺以外には絶対に駄目」
「了解いたしました」
 そう言って、額に口づけてくる。俺はそれを、両目を閉じて受け入れ、中原の背中に両手を回す。
「あのな、中原」
「なんです?」
「……ヤバイと思うくらい、お前に溺れてるよ。ついこの前まで天敵だと思ってたのが嘘みたいに。お前に触れていると、足下の地面も忘れそうだ」
「……郁也様」
 中原がごくりと息を飲む。
「どんどん弱くなってる。……俺は以前はこんなふうにぐらついたりしなかったのに。責任、取れよ。責任取ってずっと俺のそばにいろ。黙って離れたりしたら赦さない。裏切ったりしたら殺すからな」
「イヤだと言われてもそばにいますよ。なにせ、十年越しですから」
 俺は苦笑した。
「お前、実は忍耐強い?」
「……たぶん、しつこいだけなんだと思いますよ」
「前は逃げたかったけど、今は逃げたいと思わないよ。毒されてるかもな、俺。もう、慣れた」
 それどころか嬉しいとさえ思ったり。……本当に毒されてる。
「中原。もう一度、ちゃんと俺を抱い……」
 そこへ、ばたん、と扉が開かれる。思わず悲鳴を上げそうになった。
「うーわー。マジでヤッてるとは。すげぇわ、郁也」
 開け放した扉の向こうに立っていたのは志賀秀一。中原が俺を庇うように前に立つ。
「っておっと、ドアはちゃんと閉めておかないとヤバイな」
 と、言いながら志賀は後ろ手でドアを閉める。にやにや笑いながらこちらを向き、
「ところでヤる時は鍵閉めてからのがイイと思うぜ? それとも人に見られんのが好きなワケ? マニアだなぁ」
「……何の用だ」
 中原が冷徹な声で言う。
「いや、そういう台詞はマッパで言われても困るんだが。とりあえず郁也はともかくヤローのハダカは見たくねぇから、着替えてくんねぇ? 後ろ向いててやるから。見られてる方がイイって言うなら見てやるけど、その時はUSドルで百ドルくれ。勿論現金[キャッシュ]で。俺、そういう趣味ねぇから」
 けろりとした顔で飄々と志賀は言った。
「なら、後ろを向け」
 中原は言い、志賀が後ろを向くと、俺に服を手渡した。俺は黙ってそれを受け取り、着替え始める。中原も自分の服を着始める。志賀は背中を向けたままの状態で口を開いた。
「棗がもうすぐやって来る」
 その言葉にぎくりとする。
「ここへか?」
 中原の問いに、志賀は肩をすくめる。
「タダで教えてやったんだから感謝しろよ。恋人同士二人きりならさぞや盛り上がってるだろうなと思ったけど、ここまで盛り上がってるとは思いもしなかったよ。その格好の時に乗り込まれるのは勘弁したいだろ?」
 それは嫌だ、絶対に。
「こういう事言ったからって俺が棗、ナツを売ったと思うなよ? 俺は単にあいつに小判鮫のようにまとわりついてる楠木成明って男を引っぱがしてやりたいだけなんだ。ああいう薄気味悪くて手段選ばずのナルシー男は、ナツには似合わねぇしな。本当はナツは優しい良いヤツなんだ。まあ、ちょっとひがみっぽくて根暗で粘着質な面はあるけどよ。基本的に人を殺したり傷付けたりするような人間じゃない。あの楠木ってヤツが現れてからだ。ナツが変わっちまったのは」
「それで俺達にどうしろって言いたいんだ?」
 俺が訊ねると、志賀はくっくっと低く笑った。
「察しが良くて助かるねぇ。ぶっ殺してくれとまでは言わねぇよ。ソレは俺がやるからな。ナツから楠木をひっぱがしてくれりゃ十分だ。できれば、ナツがヤツに幻滅するか決別してくれさえすれば、言うことねぇな。ところで郁也、俺と付き合わない?」
「俺はお前と付き合う気は一生無い。他を当たれ」
「イイねぇ。そういうつれないクールなところがそそられるぜ」
 志賀の言葉を発する度に、中原の肩がぴくりと揺れる。
「言いたいことはそれだけか?」
 氷点下の低い声。怒ってる。顔を見なくても判る。中原は今、志賀を睨みつけている。でも志賀はそんなことなど歯牙にもかけない。背中向けてるから見えないっていうのはあるだろうけど。
「……協力してくれとまでは言わねーよ。そんな義理はないだろうしな。それに、俺は俺で、伝手はある。俺はコネだけで食ってるからな」
「寄生虫が偉そうに」
 中原の暴言に、志賀は大声を上げて笑った。
「ぎゃははははは! き、寄生虫か!! そういう呼ばれ方されたのは初めてだ!! あんたのことも気に入りそうだぜ、たっちゃん♪」
「誰が『たっちゃん』だ」
「判ってるくせに聞き返すなよ? ところで俺、そろそろ前向いても平気か?」
 俺の着替えも中原の着替えももう済んだ。衣擦れの音がしなくなったから、そのくらい志賀も気付いているはずだと思うのだが……。
「ムカつくからこっち向くな」
 中原が子供のようなことを言う。俺は中原の隣に立ち、そっとその手を握りしめた。
「ぎゃはははは! うーわー、イイねぇ。ハッキリ言いすぎ! 明朗快活ハッキリキッパリっての俺、好きよ? とは言え、あんたに抱かれるのも、こっちが抱くのもお断りだが」
「ならわざわざ言うな」
 苛々と中原は吐き捨てる。志賀は笑いながら振り向いた。
「こっちを向くなと言っただろう」
「別にあんたの言葉に従うとは言ってねぇだろ? 良く見るとあんた男前だな。俺には負けるが」
「…………」
 中原の眉間に皺が寄る。
「ところで熱烈な求愛者の前でイチャつくのはやめてくれよ? な、ご両人」
「別にいちゃついてないだろ。あと、寒いこと言うな」
 俺が言うと、
「じゃあ、熱ければ良いのか? 郁也。ならば、俺の熱い愛と肉棒を……」
「それが寒いと言ってるんだ。無駄口叩くようなら、そこの窓から放り出すぞ。……中原」
 ちらりと中原を見ると、中原は頷き、俺の手を離して志賀に歩み寄る。
「ちょっ……待っ……マジ!?」
 さすがに志賀も慌てたらしく、声が裏返る。中原がその襟首を掴むと、本気で抵抗する。
「やっ……そりゃマズイって!! いくら無敵の俺でも窓から放り出されたらマジで死ぬから!!」
「それが嫌なら、知ってること全部吐き出せ。命と引き替えなら良心の痛みも少ないだろう? お前に良心があればの話だが」
「郁也、本当、顔に似合わず過激……ってマジで拘束しようとかすんのやめろっ!! この、筋肉男!!」
 そう叫ぶ志賀の鳩尾に中原は一発殴って、うずくませる。……いや、そこまでやらなくても良いんだが。しかし、その一発で志賀はおとなしくなって、呻きながら、一切の抵抗をやめてその場にしゃがみ込む。
「くそ。こんな無茶苦茶なのは初めてだぜ。……暴力震われそうになったり、乱暴に手荒に扱われたことはあるけど、いつだって俺はそんな修羅場からキレイに逃げて来たんだぜ?」
「たまたま運が良かっただけだろ」
 俺が言い捨てると、志賀は頷いた。
「そうかもな。俺、ラッキーマンだから」
「それはともかく、白状しろ。じゃなきゃ、そこの窓から吊してやる。首か腕か腰か足か、好きなところを選ばせてやるよ」
「や、俺、そういう趣味ないんで。情報入手先については、勘弁して。どうしてもって言うなら俺のオトモダチってことで」
「結論・結果だけを簡潔に話せ。情報経路についてはお前には問わない。安心しろ」
「じゃあ、ま。ええと俺の迎え、アンド君達、特にたっちゃんを狙って、ナツが金でチンピラ集めて、この病院を襲撃するんだと。で、それに先立ち、俺が以前作った時限爆弾で久本邸を大爆破、らしい。あの豪邸なくなっちゃうのは淋しいね」
「いつだ?」
「それが今日。もう間に合わねーだろ? 豪邸は。いやー、勿体ねー。俺全部屋見てねぇし、庭だってちゃんと見てないのに」
「それ、他に誰かに言ったか?」
「言ってないぜ。だって今、あの豪邸には誰もいないだろ?」
「いないことないだろ! 執事と女中と護衛と犬がいる。知らないのか?」
「俺にとっては、必要以外の連中は数に入らねぇの。あんたがそんなに優しいなんて知らなかったな、郁也」
 やっぱりこいつはクズだ。慌てて携帯で自宅電話番号を選択する。
「……仕掛けた場所は?」
「俺が知るワケないでしょ? 仕掛けたのは俺じゃないし」
その時、電話の向こうで米崎が出る。俺は告げる。
「……米崎。今、志賀が、仲間が本宅のどこかに爆弾を仕掛けたと言っている」
 中原が冷ややかな声を上げる。
「春日か?」
 志賀はにっと笑った。
「そういうことじゃねーかと思うぜ。他に潜ませていなけりゃな。楠木と親しくしてた連中は全員疑った方が良くねぇ? あんたら甘いぜ。わざとだとしたら恐いけど」
 わざと。
[それでしたら存知あげております]
 米崎の声が、静かに耳を打った。
「え……? 今、何って……」
[それでしたら存じ上げていると申し上げました。仕掛けられた爆弾はその日の内に偽物と取り替えて置きました]
 ひやりとした。
「……じゃあ、本物はどうした?」
[貴明様が適切に処理するとおっしゃって、そのままどこかへお持ちになりました]
「……適切に……処理……?」
 呟いて、そのままボタンを押して通話を切った。
「郁也様? どうなさいました?」
 中原が驚いたように、俺を見る。
「仕掛けられた爆弾は、社長が既に持ち去ったそうだ」
 呆然としたまま言う。
「すげぇ、久本社長。さすが仕事早いねぇ♪」
 俺はごくりと息を呑む。
「……まさかと思うけど、使ったりしないよな?」
 俺はかすれる声で呟いた。
「判りませんよ」
 中原はあっさり言った。
「あの人は、しらっとした顔で、時折『そういうこと』もする人ですから」
 ……最悪だ。
 鬼に金棒、久本貴明に爆弾。
「……お前が作った爆弾ってのは、どういう代物だ?」
「遠隔操作できるリモコン式で、PHS使ってるよ。ついでに言うとあっちで仕入れたTNT火薬を使ってるやつだ。PHS安くてイイねぇ。無線機より断然扱い易いし。日本なんか来てもつまんねーとか思ったけど、違ったよ。結構意外とゴチャゴチャしてて、同じ街の中でも温度差・落差激しくて面白いぜ。ま、全部使えばこの病院くらいの建物なら跡形もなく吹っ飛ばせるかな。でも、さすがに全部は使わないと思うからその半分以下だろ。ナツがいくら根暗で執念深くて粘着質でも、そこまでしつこくないし、偏執的でもないから」
「お前、自分が罪を犯した自覚はあるか?」
「顔も知らねーやつが決めた法律なんてものに興味ねぇよ。俺は俺のルールに則って生きてるだけだ。それ以外なんざ知ったこっちゃねぇな」
 ぞくりとした。世の中には、こういう生き物もいる──そして、実は俺とそう大差はないのだ、という事に気付かされて。でも、違う。絶対に違う。俺は、こいつみたいな人間には絶対にならない。
「弱者を踏みにじるのは楽しいか?」
 俺は冷ややかに訊ねる。
「無抵抗の人間を、お前に暴力を振るったわけでもない赤の他人を、自分は安全な場所に身を置いて、遠隔操作で爆破するのは楽しいのか?」
「……楽しいよ」
 志賀は笑って言った。
「自分が作ったものがその機能を果たして燃え上がる姿は美しいと思う。俺は昔から大きな打ち上げ花火が好きなんだ」
「だったら、花火を作ってろよ」
「花火は昔作ったさ、黒色火薬で。……でも、打ち上げ実験途中で妹が近寄って黒焦げになったけどね」
「っ!?」
 俺と、それから何故か中原までもが、息を呑んで立ちつくした。
「危ないって何度も言ったはずだけどな。人間ってのは、基本的に他人の話なんか聞きゃしねぇんだ。聞いていても実は、話してる人間が思ってるほどには聞いてねぇんだよ。特に、ガキはさ」
「…………」
「おかげでこっちは更正施設に入れられちまうし。踏んだり蹴ったりだ」
「……ちょっ、待て! 志賀!!」
「あ? なんだよ、郁也。急に大声上げて」
「お前はそれ……そのことについて、何も思わなかったのか?」
「何って、何をだ? 人の話をちっとも聞かねー妹に腹が立ったとか、やたらと騒ぐ近所のガキどもとかオバハンだとか、気が狂ったように怒鳴る親父やヒステリックに泣き叫ぶお袋に辟易したとか? さすがにあの時は、人間嫌いになりそうになったよ。当時の俺は真面目で無口な天才少年でねぇ。それまでは神童とか言われて、嫌がらせも多少はあったけど、それ以上にちやほやされてたってのに、その一件以来、手の平返されちまった。世の中そういうものかと学習したぜ。痛い授業料だったけどな」
「ち、違う。そういうことじゃない。お前は……妹が死んだことに対して、その喪失について、悲しんだり苦しんだりしなかったのか?」
「どういう意味だ?」
 きょとんとした顔で、志賀は言った。何のことだか判らない、という顔で。
「お前は、妹が死んで悲しいとは思えなかったのか?」
「どうして? いつも煩わしくて邪魔してまとわりついてくるしつこいガキ一人死んで、何故俺が悲しむんだ? 恋人ならともかく」
「……お前、本当に、恋人が死んだら悲しむのか?」
「普通悲しむだろ? 代わり見つけるまでは」
 思わず絶句した。……違う。絶対に違う。そういうことじゃない。そういうものじゃない。
「……お前、本気で、人が死んで悲しいと思ったこと、ないのか……?」
 そういう人間に、人を殺傷することがどれほど罪なことか、言って聞かせられるだろうか。俺には無理だ。絶対に無理だ。……俺の手に余る。扱いきれない。こんな人間に、通じる言葉があるものなのか?
 志賀は俺の気も知らずに平然とへらへら笑っている。俺は、初めてこの男が恐ろしいと思った。この男だけじゃない。『無関心』というものへの恐怖だ。この男は、本当に、自分以外の他人のことなど、どうだって良いと思ってる。たとえ相手が、自分が思い入れのある人間だったとしてもだ。恋人の死すら、モノのようにしか考えられない男に理を説いても理解不可能だろう。理屈や道徳というものは、相手にそれを理解できるだけの引き出しがなければ、無意味なものなのだ。バカに真面目に話をしても時間の無駄だというのは、つまり、相手にはそういうものが理解できないからだ。でも、志賀の場合はバカより質が悪い。バカは学習すれば直る可能性があるが、志賀が努力や学習で直るとは思えない。この男の場合は、トラウマとかそういうものじゃない。最初から、そういう人間なんだ。傷などなくとも、そういうふうにしか生きられない。……そういうふうな人間なんじゃないだろうか。
 俺は背筋が寒くなるのを感じた。

To be continued...
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