NOVEL

週末は命懸け9「血」 -6-

 車に揺られながら、外の景色を見ていた。流れていく、電飾で彩られた街並み。見た目だけは派手で、だけど中味なんか何も無い。空っぽなやつらが空っぽなまま闊歩し、さまよい歩く夜の風景。太陽なんか似合わない。吐き気がするけど、それはたぶん俺も同類だ。そうそう清廉潔癖、公明正大な人間なんて転がってない。
  後悔することなんて、死ぬほどあるけど。……だけどたぶん、一番の後悔はこんな男の息子に生まれてきたって事実だ。自分にはどうにもできない事なのは、死ぬほど承知だ。けど、それを後悔してしまったら、何もかもを後悔しなくちゃならない。最悪の状況であっても、自分の能力で可能な最善を尽くす。救えない現在だったとしても、『今よりはマシ』な未来のために生きようとするのは、たぶんきっと間違いじゃない。誰に否定されようと、俺はそう思う。
 俺が生きるためなら、俺が俺であるためなら、迷うことなんか一つもない。目の前の障壁はぶっ潰す。俺が生きるために邪魔な障害ならば排除する。独善、エゴ、ナルシシズム。傲慢、身勝手と言われようと。俺はそれまでそうやって生きてきたし、これ以外の生き方なんか知らない。俺はたぶんひどくバカで、どうしようもなく救いようない人間だけど、それでも自分に恥じるような生き方だけは、死んでもできないから。
 生きるためなら。望みを遂げるためならば、どんな手段も是とする──筈だ。目の前で穏やかに笑っているこの男の顔を見ると──時折自信を無くす。無論、負けてやる気はさらさらないけど。諦めにも似たこの感情は、同時に俺に苛立ちを感じさせる。緩慢な……たぶん、怒り。あるいは嫉妬。拳をぎゅっと握りしめた。
「あなたは……俺に何をさせる気なんですか?」
「郁也はどう思う?」
 楽しそうに言いやがる。……性格悪い。
「そうですね」
 相手の反応を窺いながら。
「お父さんは次は中原が狙われるかも知れない、と思ってらっしゃるんでしょう?」
 俺も中原も護衛が強化された。だが、これまでの状況を考えると、俺が穴で中原が本命ってとこだろう。俺の警護に回ってる連中は、中原のより稚拙で脆弱だ。相手が稚拙な連中ならば、より派手な俺の方に重点を置いていると思うだろう。
「俺は敵を油断させるための囮。でも、実際、『敵』は騙されてくれますか? 楠木がいるんでしょう? 小賢しいことを言うようですが」
「敵を油断させるため? 僕は君の身辺が心配で仕方ないんだよ。君に何かあったらと思うと生きた心地がしない」
 嘘臭ぇ。
「それに楠木は『国外』だよ」
「え……?」
 俺は目を見開いた。
「本当は外に出る前に捕まえたかったのだけどね。致し方無い。ただ、追跡はしているけれどね」
 穏やかな口調で社長は言った。
「入れ違いにちょっと面倒な人が入ったって噂は聞いたけど」
 ……面倒な人? って言うか、何で知ってるんだ? この男。そういうの……『敵』は必死で隠すもんじゃないのか?
「物知りなんですね、お父さん」
「尊敬したかい?」
 厭味だって判って言ってるんじゃないだろうな! この男!!
 俺は一瞬、呆れて声が出なかった。俺の顔を楽しそうに見て、社長はくすくす笑った。
「まあ、それはともかく。本人が隠れっぱなしって言うのも困るよね? 次にやる事も、考える事も判るような気がするのに、相手の動きが見えないんじゃ次の行動の予測が立たない」
 どきん、とした。久本貴明の最大の強みはその情報力だ。何処から仕入れて知っているのか、全く不明な豊富なデータ。とても一人の人間の所行だとは信じかねるその行状は、それによって支えられている。この男が行動的なのは確かだ。わざわざしゃしゃり出てくる必要があるとも思えない事にまで首を突っ込んでいるのも事実だ。人間業を超えた範囲で行動できるのは、そのデータによって的確な指示を配下に出して、自分は机に座ったまま、望み通りの結果が出るまで待つことが出来るからだ。
 そう、この男は万能じゃない。そうだと人に思い込ませる能力があるだけだ。
「見えないんですか?」
 社長は困ったように笑った。
「途中までは見えるんだけどね。一体どういう手段で連絡を取り合っているのやら。それが突き止められない限り、状況は厳しいよ。……こちらが予測出来た時には、遅いかぎりぎりだからね。本当困ってるんだ」
 と、さして困っているようには見えない笑顔でそう言った。……もっと困った顔はできないのかよ?
「正直お手上げなんだよ。だから、君の力を借りたいんだ。郁也」
 ……嘘臭ぇ。
「俺に出来ることがあるんですか?」
 俺にはとても想像ができないけど。
「だって君は僕が考えないような事を考えてくれるだろう?」
 それを予測して利用するのは何処のどいつだよ?
「僕らは互いに、互いの事を知りすぎているからね。……何処まで裏を読めば良いのか、迷う事も多いんだ。あまりに相手の思考が読めすぎるからね。君は、不確定要素なんだ」
 不確定、要素。
「彼にとって、君はまだ『未知』に近い存在だからね。僕は君が、取り敢えず僕の『味方』で良かったと思うよ」
 その言葉に、反発を覚えた。……味方、だって?
「あなたは……中原を随分気にかけているんですね。お父さん」
「嫉妬かい?」
「っ!」
 カッと血の気が上った。
「君も龍也君のこと好きだよね?」
 穏やかな微笑で言われて。絶句して、俺は呆然と相手の目を見つめる事しかできない。……情けないことに。
「……俺……は……っ!!」
 俺は確かに、あいつの事好きだけど!! だけど、この世でこの男にだけは言われたくない。……それはたぶん、俺がこの男に、負い目を感じているから……!
 負けてない。負けてたまるか。この男にだけは絶対に負けたくない。
「そうですよ」
 胸を張れ。萎縮するな。……これだけは、絶対に譲れない。この男にだけは負けたくない。中原龍也は俺の恋人だ。過去はどうあれ、今は俺のものだ。俺だけの。あいつは俺だけ好きだって言ってる。……そう。過去はどうあれ。……だから。
 正面から、見上げて。俺の背中には中原がいる。いつだってだ。これだけは絶対誰にも譲れない。譲ってたまるか。……久本貴明なんかに。絶対。
 お前には負けない。
「そうかい」
 くすり、と楽しそうに社長は笑った。くすくす、と。
「……仲良くやってるようで、実に羨ましいよ」
「そうですか?」
「そうだよ。……まったく、今度龍也君に会ったら、秘訣を教えて貰わなくちゃ」
「……は?」
 俺は目を丸くした。……一体、どういう意味だ?
「たまには僕にも甘えてくれないかな? 郁也」
「は!?」
 何だ!? そりゃ!! ……全く意味不明。理解不能。
「そ……それはどういう意味ですか?」
 訳判らなくて尋ねると、社長は困ったように笑った。
「それはそんな風に聞かれたらものすごく困るんだけど」
 んな事言われたってさっぱり判らねぇよ。
「と言われても……」
「真面目なんだよね?」
 たたみかけるように言われた。
「はい?」
 ……この男。俺を攪乱させるのが目的か? でなければ混乱させて、困らせる、とか。
「そういうところがとても可愛いよ、郁也」
「…………」
 俺に何を言えと言うんだ。この男。俺を呆然とさせてそんなに面白いか? それとも俺の毒気を抜くのが目的か? ……俺を油断させて何か企んでるのか?
「そこでどうして僕をまじまじと見るんだい? そんなに僕を困らせたい?」
 ……この場合、困らせてるのはどう考えたってそっちだと思うけど。ため息をついた。
「それよりも、一体今、どういう状況なんですか? 力を借りたいとおっしゃるなら、教えてくださらないと、こっちもどうしたら良いのか判らなくて困るんですが」
「それもそうだね」
 にこにこ笑って言うが、そのまま口を閉ざしてしまう。まるで続きを言う気配が無い。しんと静まり返った。
「……俺達はこれからどうするんですか?」
 耐えきれなくて、俺は言った。
「取り敢えず家に帰るよ。……ところで、郁也」
「なんです?」
 不意に、社長が真剣な表情になった。
「もし、龍也君が死ぬような事があったら、君はどうする?」
 その瞬間、カッと頭の中が真っ白になった。
「冗談でも!! そんな事……っ!!」
 目の前を埋め尽くす、怒り。
「あいつは死なない!!」
 目が、脳が、全身の血が熱くなる。
 俺を置いて、死んだりしない。そんな事になったら、耐えられない。考えたくもない!! 中原がそんなっ……そんな事は絶対に許さない。俺の目が黒いうちは、絶対に許さない。地獄の果てからだって、呼び戻してやる。そんな事をになる前に、俺は絶対捕まえる。捕らえて絶対に離さない。俺からあいつを奪おうとする奴は殺してやる。俺の全身全霊かけて殺してやる。
「死なない、ね」
 社長は唇を笑みの形に歪めて笑った。目だけは真顔のまま。冷たい微笑。無表情な鋼鉄の笑み。
「信頼されてるんだね、龍也君は」
 信頼なんかじゃない。そんな言い方はされたくない。
「そんなのじゃありませんよ」
 絶対。誰に見えなくても。誰に認められなくても。
「俺が死なせない」
 中原と俺じゃ、どう考えたって俺の方が力が無い。久本貴明からしたら、俺なんか赤子同然だろう。それでも。
 死なせるくらいなら俺が殺してやる。
「誰かに殺されたら?」
 ……お前が殺すのか?
「殺しますよ」
 それは、俺の当然の権利だ。他の誰が認めなくても。
「殺されるくらいなら、殺します」
 失うくらいならば。殺人の禁忌は俺を止めない。人を殺すのは嫌いだ。人を殺すのなんか簡単だ。誰にだってできる。後のことなんか考えなければ、保身を考えさえしなければ、誰にだって。どんなバカでも無能でも。
「あなたでも」
 宣戦布告。
「それは恐いね」
 社長はそれでも笑ってかわす。……つくづく太い神経。実は頭良さそうな外見嘘で、有能なブレインでも付いてて、実際本人ニブイんじゃないか?と、疑いたくなるくらいに。
「覚えておくよ」
 社長は言った。俺は無言で目を伏せた。
「……郁也」
 俺は返事をしなかった。
「ねぇ、郁也?」
 肩に手を置かれた。振り払う代わりに、相手を睨み上げる。
 社長は苦笑した。
「僕は龍也君を殺したりしないよ。……約束したんだ。ずっと、以前に」
 腹の底で、ぐらりと煮え立つ熱いもの。
「でも、あの子ときたら、自分の保身というものには本当無頓着だからね」
 そんな事は知っている。
「自分が死んだら、困る人がいるかも知れない、なんて事はまるで考えないんだ。最近の彼は、以前に比べて随分穏やかになったと思うし、落ち着いて、余裕すら出てきたと思うけれど……心配なんだ。大丈夫だ、と思っても何処で何があって、また自暴自棄になるか判らない。あれほど見ていて不安になる子もなかなかいない」
 ……何が言いたいんだ?
「あの子は、自分に何かあってもちっとも話してくれないからね」
 その時、ふっと優越感を覚えた。……この男は、中原が泣いて真情を吐露するところなんて見たことが無い。きっと。
「トラウマがある筈なんだ」
 不意に、どきりとした。
「トラウマ?」
「以前、本当酷い目に遭っているからね。命に別状は無かったけれど、下手すれば死の危険性もあった」
「何を……っ」
 血の気が引いた。
「それは僕の口からは言えないよ。聞くんだったら、龍也君から聞いた方が良い」
 俺は思わず睨み付けた。そう思うなら、最初からそんな話俺に振るな!!
「あの子は、本当にストレスに弱い子だからね。心配なんだよ」
 ……こいつ、絶対わざとだ……。判っていて、俺に喧嘩売ってやがる。そうとしか思えない。
「それで?」
 切り返してやる。
「中原に自分が狙われてるって教えてやらなくて良いんですか?」
「良いんだよ」
 社長は笑った。
「あの子は事前情報を与えない方が上手く行く。……僕にとってのワイルド・カードはね、君達二人だよ」
「でも、俺は既に中原に警護が強化されていると言ってしまったんですが?」
  すると、社長は困ったように笑った。
「言っちゃったのかい?」
 仕様がないなぁ、とでも言いたげな口調で。……ムカつく。バカにされてるみたいで。にこにこと穏やかに笑っているけど。
「言ってしまったものは仕方ないね」
「すみません。知らなかったもので」
 思惑知ってたって、だからどうだ、てのが本音だけど。
「それで? ……俺はどうすれば良いんですか? 好きにして構わないんですか? 状況判らずに引っかき回したら、そちらの邪魔になるのではと思うんですが」
 言うと、社長は苦笑した。
「All Right, 本題に入ろうか?」
 社長は魅力的な笑顔を向けた。……俺以外なら、騙せる顔で。俺は無言で頷いた。
「郁也と一致団結、協力して、なんて楽しいなぁ」
 本題はどうしたんだよ。
「相手は四条棗。君の従兄。彼は父が僕だと思い込んでいる。それは彼の思い込みで、本当は僕の一番上の[たかし]兄の次男坊。出来はあまり良くなかった筈だけど、真面目な性格。僕の知る限りでは。まあ、思い詰めやすい一本気な性格だね。思い込んだら梃子でも動かないっていう」
 それは、昭彦みたいな性格? ……とか本人に言ったら怒り狂いそうだな。
「棗は友達はあまり多くないんだ。生真面目で、人見知り激しくて、シャイで純な質。悪い子じゃないけど、思い込み激しくて、口数少なくておとなしげなんだけど、実はかなり結構激しい気性の持ち主で、言いたいことがあってもあまり言わない、そうだな──一言で言うと、傍にいると鬱陶しい」
 ……それは……俺に何てコメントさせる気だ。
「でも、まとわりつかれないと何となく寂しい、駄犬って感じかな?」
 ……俺でもなかなかそこまでは言えないぞ。この男。そんなこと、歯磨き粉のCMにでも出てきそうな爽やかな笑顔で言うなよ。どうだって良いけど。
「……気に入ってたんですか?」
「そういう風に聞こえたかい?」
 まさか。
「まあ、気に入ってなかったと言えば嘘になるけど。それでも、あまり相手をして楽しいタイプじゃないのは確かだね」
 こいつ鬼畜だ。……俺の周りはこんなのばっかりか? 確かに鬼畜だって事くらいは知ってた筈だけど。……最低。
「それでなかなか腰を上げなかった?」
 挑戦的に、睨み上げた。……つまり、中原が今回負傷するまで。
「まあ、今回の件で、見えてきたところはあるんだよ」
 くすり、と社長は笑った。
「目処が立ったしね。方向性は決まった」
「方向性?」
「相手はね、加虐趣味のあるマゾヒスト、なんだよ」
「は?」
「本当は相手しないのが一番だと思うけれど、これ以上放っておいたら、君も中原君もこれまで以上に危険だし。こういう状態からは早く解放されたいだろう?」
「そうですね」
 はっきり言って、現在の護衛強化は、ただの厭がらせ以外の何物でも無い。これ以上長引くようなら、ストレスで発狂する。
「棗とその仲間の居場所の捜索はこちらに任せて良い。たぶん、僕か龍也君の周辺に現れると思う」
「さっきの銃撃戦も、その人の仕業なんですか?」
「……現時点で断定は出来ないよ、郁也」
 読んでいた訳じゃなかった? ……てっきりあの展開を読んでたんだとばかり思ってたけど。
「身辺がうるさくなる。……そうだな、今後近付いてくる人間がいたら、怪しんだ方が良いかも知れない。龍也君は、あの通りの性格だから、見知らぬ人間に心を開くってことはそう無いと思うけど。……郁也は優しい質だからね」
 俺が……優しい?
「見知らぬ普通の人には、ね」
 そんな。だって俺は……。
「そんなんじゃありませんよ」
 だって俺は冷たいって良く言われるし。酷い奴だってしょっちゅう言われてる。自分でもそう思う時がある。……俺は、昭彦みたいにはなれない。
「俺は……優しくなんかないです」
 社長は笑った。
「そういう君だからこそ、僕はとても愛してるんだよ」
 ……嘘臭い、というよりは居心地が悪い。歯が浮かないのか? この男。よくまあ真顔で言えるよな。
 俺は無言で頷いた。

To be continued...
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