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週末は命懸け9「血」 -5-

 パトカーで送られて、俺たちは病院に到着した。事前に連絡が入ってたらしく、担架がスタンバイしていた。すぐに笹原を乗せて、手術室へ運んで行く。
「お体の方はあれからいかがですか?」
 病院長が、俺と社長に向かって言った。
「おかげさまで問題ありませんよ、中垣院長」
 社長は完璧な笑顔で言った。
「そうですか。それは良かった。機器は全て準備を整えてありますから、こちらへどうぞ」
 俺達は病院長自らによる診察とレントゲン、及び血液検査を受けた。MRIも、と言われたがそれは断った。三人とも擦り傷以上の怪我をしているとは、とても思えなかった。
 あとは結果待ち。
「さて、と」
 『社長』は俺の方を振り返った。
「何か聞きたそうな顔だね?」
 確かに聞きたい事はいくらでもある。
「全部予定の範疇なんですね?」
 質問では無い。確認だ。この男に質問などして、まともな答えなど返ってくるとは思えない。まともに答えの返らないような質問をして、時間を潰す趣味は無い。
「そうだね。そういう事になるよ」
 それにしたって、『社長』のやり方とは思えない。
「……もう帰っていいか?」
 面倒臭そうな声で、金山氏が言った。
「俺は関係ない」
 すると社長は笑った。
「そんな冷たいこと言わないでよ? 久しぶりに会ったんだから」
「……そう思うなら、少しは相手の気を遣ったらどうだ? 俺はお前に関わってろくな目に遭ったためしが無い」
 律の、父親。声は似てない。目元が──少し、似ている。
「別に今回は嫌がらせのためだけじゃないんだ」
 ……その言い方では、嫌がらせのために呼んだと聞こえるんだが、俺の気のせいか?
「つまり、今回君に接触してきた連中がどういう人間か、君も知っておいた方が良いと思って。参考になっただろう?」
「……そういうのは、普通口で言えば済む事であって、呼び出す必要があるとは思えないが?」
「本当は二人きりで話したかったんだよ」
 俺は立ち上がった。
「……席を外しますか?」
「いや、郁也はいても良いんだ」
 ……一体何だ?
「俺は聞きたくないんだがな」
「そう言わずに聞いた方が良いよ、金山君」
 金山氏は不機嫌そうに眉を顰めた。が、反論は無かった。
「今回、この件は君を狙った、君の熱烈なファンの過激な行動って事になるから」
 それは既に決定事項?
「……銃撃戦は?」
「そんなものは無かった」
「……強引だな」
 金山氏は舌打ちした。
「そういう事で口裏を合わせて欲しい。君はファンに襲われて、怪我をして入院する。一週間で済む怪我だ。その間にマスコミは君に同情する報道を流すようになる。一週間内でバッシングは消える筈だ。退院したら、犯人を責める内容のコメントを、マスコミ各社に流すと良い。何か問題があれば、いつでも相談に乗るから連絡してくれたまえ」
「……君はどうやら予言者なようだな」
 金山氏は嫌味を言った。社長は笑って答えない。
「それで、交換条件でもあるのか?」
「どうして?」
「君がただでそんな事をするとは思えない」
 それは確かにそうだ。
「酷い言い種だな。僕の親切だとは思わないのかい?」
「思わない」
 きっぱりと金山氏は言った。
「何を企んでいるんだ?」
「棗が君の前に姿を現したら、僕に連絡をくれないか?」
「……それだけで良いのか?」
「僕の前に現れてくれれば、もっと話は簡単だけどね」
「日頃の行いが悪いからだな」
 金山氏は笑った。楽しそうに。
「何か動きがあったら教えて欲しい」
「判った。……じゃあ、これで」
「待ちたまえ。君は入院すると言ったろう?」
 金山氏が顔をしかめた。
「……何だと?」
 低く唸るような尖った声。
「悪いけど、君は今日から一週間家に帰る事は出来ない」
「君という男は!」
 金山氏は睨んだが、社長は相変わらずマイペースだ。
「君の奥さんには病院から連絡が行く」
「な……っ!!」
「奥さんは君が怪我をしていると聞いて心配して、慌ててやって来るだろう」
「貴様!!」
「……そういう訳だから話を合わせておいてくれたまえ」
「この、疫病神が!!」
「随分元気な怪我人だね。……言動には気を付けた方がいいよ、金山君」
 俺は、金山氏に同情した。入院、とか言って実は余計な言動したりしないように隔離しようとしてるんじゃないだろうか? でなければ目の届く場所に閉じ込めて監視する、とか。その方がさっきの件よりずっと社長らしい『やり方』だ。
金山奏[かなやまそう]さん」
 看護婦が金山氏を呼びに来た。
「結果が出ましたので、こちらへどうぞ」
 がたん、と乱暴に立ち上がって、金山氏は診察室へ入って行った。
「郁也。聞きたい事があるんだ」
 突然、話を振られた。
「……何でしょうか?」
 俺は心の中で、身構えた。表面上は平静を装いながら。
「子供が親に甘えたい時って、どういう行動に出ると思う?」
「……は!?」
 あまりに突飛な質問で、俺は面食らった。
「僕はとても想像がつかないんだ。判るような気はするけど、具体的な想像が全くできない。相手の人柄も何を考えているかも大体のリアクションも、判るような気がするんだけど、先手を打って布石を敷いて上手く相手を引きずり込んだとしても、こちらの希望に沿うような相手のリアクションがどうしてもシミュレーション出来ないんだ」
「……『お父さん』が望むリアクションというものが、どういうものなのか判らないので、返答に困るんですが──」
 何かの謎かけか?と思ったが、良く判らない。
「相手が子供ならば、きっと、相手が予想しないような事をして驚かせるか、駄々をこねて騒いだり暴れたりするか、素直にすりよって甘えるか──そんなところじゃありませんか?」
「じゃあ、それにプラス嫉妬を加えたら?」
「……嫉妬?」
「『彼』はもう親に素直に甘えられるような年齢じゃない。けれど、年の離れた『弟』がいる。自分は蔑ろにされているとしか思えないのに、『弟』の方はべたべた甘やかされている。『彼』が子供の頃でも、そんな風に『父親』に甘やかされた経験は無い。むしろ、冷たくあしらわれ、放置された。なのに、親に甘えるような年齢でもない大人になった今、その同じ親に甘やかされ可愛がられている『弟』がいる。……どうする?」
「……弟に嫉妬するならば、その存在が疎ましいと思って、いじめてやろうと思うんでしょうね。でなければ、弟に何か罪を被せて、親に怒られるように仕向けるとか。そうでなければ、反動で親に憎しみを抱くようになる、とか。自然なのは弟に矛先が向くってパターンでしょうけど──」
 あれ?と思った。……何かそれって、もしかして……。
「それで?」
 疑惑。
「俺には兄弟がいないから、そういうのは良く判らないんですが、弟に何か仕掛けても、親からの反応が全く向かなかったら、標的を違うものに変えるでしょうね。例えば、親が大事にしているものだとか、でなければ自傷行為に及んでデモンストレーションするとか」
 言うと『社長』は目を丸くした。
「ああ、そうか。『自傷行為』。それは思いつかなかった」
「自分の保身を考えなくなったら、危ないと思いますよ。それこそ何でもありですから。恐いものなしです」
 そう。失って恐いものが無い人間には、抑制が無い。歯止めになるものが無い。俺はそれを良く知っている。誰かを何かを好きだと思う。これだけは絶対譲れない、これだけは絶対守りたい──その想いはたぶん、強さであると同時に弱さだ。でも、得てしまった今では失えない。失くしたあとのことなんて、想像もしたくない。
「自暴自棄になれば、禁忌なんて何も無いですよ」
 尊属殺人でさえ。たやすく。
「つまり、『父親』が『彼』のする何もかもを先回りして禁じたら、『自傷行為』に走る危険性も出てくるわけだね?」
「……その『彼』がどういう人物なのかにもよりますが」
 これは、仮定の話なんかじゃない。現実だ。たぶん。
「それで、その『彼』っていうのは誰なんです?」
 俺には聞く権利がある筈だ。
 『社長』は笑った。
「そうだな。本当の父親に息子として扱って貰えなかったから、別人を父親だと思い込んでいる可哀相な子供だよ」
「本当に別人なんですか?」
 相手の目を見て尋ねる。
「可哀相なことにね。『彼』はそれでも本当の『父親』が欲しいらしい」
 まるで他人事のような口調で。
 心当たりがあるなら、どうしてここまで放置した? そのために、どれだけ犠牲が払われたと思ってる? 俺のせいじゃないとは言わない。それでも、この男がもっと早く適切に処理していれば、太田が巻き込まれることも、昭彦や下中が巻き込まれる事も、中原が怪我する事も無かったんじゃないのか?
「……どうして……!!」
 社長は苦笑した。
「……昔から『そう』だったんだよ」
 困ったような顔で。
「……どうするつもりです?」
 俺は薄く笑みを浮かべた。
「あなたはどうするつもりなんですか? お父さん」
 社長は笑った。
「それが困ってるんだよ。どうしたら良いと思う? 郁也」
 ……よく言う。全然困ってない顔して。
「それで、どういうひとなんです?」
「聞きたい?」
「……質問してるんですよ。お父さん」
「それもそうだね」
 にこにこ笑ってやがる。この男。
「答える気が無いなら無いで構いませんけど」
 そう言ってやると、くすくすと笑った。
四条棗[しじょうなつめ]。君の従兄だよ」
「……親戚がいたんですか。知りませんでした」
「四条家はもう今は誰もいないんだよ」
 ……は?
「一家離散というか、ね。一人だけロスに住んでいて所在も判っているけど。僕の従兄弟筋に当たる九頭竜は無事だけどね」
「……一家離散……」
 初耳だ。
「ずっと一人っ子なのだと思っていました。親戚の話なんて出てきたことありませんでしたし」
「僕は縁を切られてるから、似たようなものだよ」
 縁を切られてる? この男が? ……普通、成功した親戚を妬む者があっても、そのおこぼれに預かろうと、表面上はおべっかを使って親しくしようとする筈だ。人間なんて大抵そうだ。金がなきゃ親戚は減るし、金が集まるところは親戚は増える。絶対数が増えるって訳じゃない。金の亡者なんて奴はこの世の中には溢れていて、例えば母の弟の妻の従姉妹の夫、なんて奴が親戚面して挨拶に来たりする──勿論利権や金目当てに──そういうのが普通だ。ツテやコネなど幾らあっても多すぎることは無い、そう思う連中の多い事。
 俺はそういうハイエナ共を、ガキの頃から見慣れてるんだ。
「……どうして……」
 その時、金山奏氏が出てきた。
「……この性悪が」
 顔をあわせるなり毒づいた。
「養生するのも悪くないよ」
「そんな事思ってもないくせによく言う」
 看護婦が車椅子を持って現れる。
「どうぞ。おかけください」
 それを見て、金山氏は嫌そうに顔をしかめ、舌打ちした。
「自分の足で歩ける」
「そう言わずに座ったらどうだい? 無理はせずに」
「……狸め」
「君のピアノ、楽しみにしてるよ」
 そう言って、社長は金山氏の肩先をとん、と押した。彼は後ろに倒れ込み、そのまま車椅子へと収まった。
「……それでお前は何を企んでいる?」
 金山氏が言った。
「何も。……よければうちの護衛をお貸しするけど?」
「……何の護衛だ」
「奥さん一人じゃ心配でしょう?」
「……っ!!」
 金山氏はカッとしたように、社長を睨み上げたが、社長はけろりとしている。
「お大事に」
 看護婦と金山氏を見送った。
「……良いんですか?」
「慣れてるから良いんだよ」
 ……慣れてるって。そんなもんじゃないだろう……。
「で、俺は何をすれば良いんですか?」
 社長はにっこり笑った。
「付き合ってくれるかい?」
 ……何だか物凄く、厭な予感がした。

To be continued...
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