NOVEL

週末は命懸け8「傷」 -5-

 失えないものがある。何に変えても。……望むもののためなら死んでもいい。それはたぶん変わらない。変わっていない筈だ。今更後戻りなんて出来ない。それでも、俺は……。

 昭彦と下中は、体育館用具室に閉じ込められていたらしい。中原の部下が見つけて既に救出されていた。
 そして、中原は。
「……大した事ありませんよ。大袈裟なんです」
 笑って言い切ったりするし。
「バカ」
 睨み付けた。……五日間の入院。全治三ヶ月。
「この際だから、ゆっくり休養を取っておくんだね。龍也君」
 そう言ったのは、久本貴明。
「後の事は心配要らないから」
 社長はそう言って笑ったが、目は笑ってなかった。一瞬、ぞくりとした。
 中原は眉をひそめた。
「……まさか、また何か企んでるんですか?」
 くすくす、と社長は笑った。
「人聞き悪いなぁ、龍也君。僕に任せておけば問題ないよ。君はゆっくり養生してなさい」
 途端に、中原の顔が不審そうに歪んだ。
「……この入院もあなたが手を回したんじゃないでしょうね?」
「何故? 何のために? ……主治医が言ったんだよ。検査と安静のために入院した方が良いってね」
「この程度の傷で入院なんか有り得ません」
「……そこまで言うかい? 君は余程僕を悪人に仕立て上げたいらしい。……僕はこんなにも君を心配しているのに。僕の愛情が判らないなんて本当君は淋しい人間だね」
 ……愛情。
「何言ってるんですか! ふざけるのも良い加減にして下さい!!」
 中原が怒鳴って、それから傷口が開いたのか少し顔をしかめた。
「僕はいつだって本気で本音だよ。勘繰るのは君の良くない癖だ。僕は君を息子のように思っているんだよ。……郁也の次に可愛いと思っているんだ」
 にっこりと笑うけど。……嘘臭ぇ。って言うか……。
「僕はこれで帰るけど、郁也、君はどうする?」
「……後で一人で帰ります」
「一人で……ね」
 社長は苦笑した。
「車を下に一台残して置くから、それで帰りなさい。寄り道はしないでね」
「……判りました」
 言うと、社長は苦笑した。
「……君は、本当に『素直な良い子』だよね」
 どきり、とした。
「本当にそうしてくれると助かるけど」
「…………」
 ひょっとして……。俺は、社長を見上げた。
「黒幕が誰か、知っているのでは?」
 社長は笑った。
「僕は千里眼じゃないよ」
 だけど、その笑顔は──偽物だ。
 目が笑ってない。笑みを浮かべているように装っているだけ。目に、ギラギラとした静かな怒りが宿っている。それは……俺が初めて見た、この男の『感情』で。
「心当たりがあるんでしょう? 俺は、知る権利がある筈です」
 少なくとも、相手は俺を二度襲っている。春の事件も同じ黒幕なら、三度だ。
「大丈夫。心配要らないよ」
 久本貴明は笑って言った。
「楠木の追跡は続けているからね。身柄は拘束出来ていないけれど、居場所は特定出来ている。解決は時間の問題だよ」
「本当にそう思っているんですか?」
 俺は訊いた。社長は苦笑する。
「……初めてだよね?」
「え……?」
「郁也が僕に、要求した事」
「…………」
「欲しい物が何も無いと言われるより、断然良いよ。誰かさんは、何も要らないとか言うしね」
 楽しそうに言って社長は中原を見た。俺も中原を振り返る。中原は窓の外を見ていた。聞こえないフリ。
「……人の話を逸らそうとしてませんか?」
「そう言えば、龍也君の誕生日が近いよね? 何かお祝いしてあげたいんだが、当日は予定があるそうだ。郁也は何か聞いてるかい?」
「え……?」
 中原を見た。中原は真っ赤な顔で叫んだ。
「べっ……別に今、ここで持ち出す話題じゃないでしょうが!!」
「水くさいよね。何の用事があるんだかちっとも教えてくれないし。いつも一緒にいる郁也だったら、知ってるだろうと思ったのに」
「……予定あるんだ?」
 初耳だ。中原が泣きそうな顔になる。
「ちっ……違っ……!!」
「違うのかい? 龍也君」
 社長がにやにやと笑って言った。
「てっきり誰か美人とデートでもするのかと思ったけど」
 美人とデートって……。
「違いますよ!! 郁也様!! 睨まないで下さい!!」
「……別に俺は睨んで無いぞ」
「嘘つかないで下さい!! 睨んでるじゃないですか!!」
「気のせいだろ」
 そんな事、聞いてない。全然。
「だからっ……そのっ……!!」
「じゃあ、僕はこれで帰るから」
 と、社長は立ち上がった。
「はい」
 俺は見送り、それから中原を見た。
「……誕生日、予定あるんだ?」
「かわされたんですよ!! 社長に!! 気付いてないんですか!?」
 ……あっ……。
「あのクソオヤジ……!!」
 慌ててドアを開けてみたが、既に姿は見えなくなっていた。素早い。……なんて男だ。病室に戻った。
「……で? 誕生日の予定って?」
 中原は赤い顔で言った。
「俺は……あなた以外の人と過ごすつもりありませんよ」
 どきん、とした。
「……中原……」
「あなた以外の誰とも、過ごしたいとは思わない」
 どうしよう、俺。……恥ずかしいくらい、嬉しいとか思ってる。そんなの、こいつにだけは知られたくないと思ってるけど。
「キスして良いですか?」
 そんなの、普段言った事ないじゃないか、中原。俺がどうだろうと、関係無しにやるくせに。
 返事の代わりに、目を閉じた。中原の腕が伸びて、指が耳元に触れた。
「中原さーん! お見舞い持って来ましたーっ!」
 バタン、とドアが開いて。聞き慣れた声が。
「……あ」
 振り返ると、野木がケーキか何かの箱片手に立っていた。
「すっ……すみませんっ……!!」
 慌てて回れ右して立ち去ろうとする。
「……野木」
 呆れたように、中原が言って。
「ドア閉めろ」
「はっ、はい!!」
 慌てて野木はドアを閉めた。が、自分がまだ部屋の内側にいる事に気付いてあたふたする。……こいつって。
 不意に、ぐいと中原が俺の腕を掴んで引き寄せた。
「?!」
 厚い唇に覆われて、舌で強引に唇割られて。
「!!」
 見られてるのに。同じ部屋に野木がいるってのに。舌でまさぐられて。強く吸われて。中原に撫でられて。ぞくぞくする。
「……ふっ……ぁっ……」
 舌を絡め取られて、強く吸われて。中原の指が背中を伝い降りて、シャツの中に指が滑り込んで。
「バッ……やめっ……!!」
 そんなの!!
「やめろよっ!!」
 半分泣きながら。突き飛ばそうとして。その腕を絡み取られて、上に抱え上げられ、更に引き寄せられて、強く抱きしめられた。
「……俺のだからな」
 中原が、野木の方を見て言った。
「お前は妄想も絶対するな」
 何を言って……。
「触ったりするなよ?」
「……なかはっ……!!」
「こんな風に触れられるのは、俺だけだ。他の誰にも許さない」
 中原……。
「……俺のいないところで、この人を誰にも触れさせるな。……良いな?」
 良いなって……お前……!!
「判りました!」
 野木は答えた。
「……は?!」
「この命に替えても、郁也様は死守します!!」
 野木は興奮した顔で。……おい、お前……何考えて……。
「だから安心して入院なさってて下さい!!」
 胸を叩いて、野木は言った。何故か嬉しそうに。
「おい、待てよ……」
「これ、ケーキです!! お二人でどうぞ!! 失礼しました!!」
 野木はそう言って、ケーキの箱を置いて、病室を出て行った。
「なっ……」
 何なんだ!? 今のは!!
「ああいう、単純バカには何か使命を与えてやった方が良いんです」
「使命って……何考えてるんだ?」
「勝手に俺の事美化して憧れてるようなんで、利用してやろうかと」
「……は?」
「あいつ、俺になりたいんですよ」
「中原に?」
 中原は苦笑した。
「もっとも、あいつの理想の中の『中原龍也』に、ですが」
「それが一体さっきのアレとどういう繋がりになるのかさっぱり判らねぇけど」
「あいつは、俺になってあなたを抱きたいんですよ」
「!?」
 それって!!
「待てよ!! それ……っ!!」
 何でそんなっ……!! それって何だよ!? 何で俺にっ……!!
「だけど、そんな事は出来ないから、俺とあなたの関係を垣間見る事で満足している」
「……あの、覗きの一連は全部、あいつの故意だというのか?」
「故意とまでは言いませんが、あいつの望んでる事の一つでしょうね。俺とあなたの関係がますます深まると、自分の事のように喜んだりする、とか。自己投影して妄想して、それで満足している」
「…………」
 判らねぇ。て言うか判りたくない。
「妄想するな、と言ってやめる事は出来ないでしょうが、少なくとも脅しを掛けておいた方が良いでしょう。俺を恐いと思う間は、手を出さないでしょうし」
「……俺はあいつに気を付けた方が良い訳?」
「あなたはあいつにヤられるような人じゃないでしょう? と、それくらいは信じていたいんですが」
「……まあ、な」
 でも。男にセックスの対象として見られるなんて。それってつまり……。
「別に、あなたが男らしくないってことじゃありませんよ。それだけ魅力的って事です。特に、俺に抱かれてる時はね」
 嬉しそうに言うし、こいつ。信じられない。
「……バカ」
「あいつは今、あなたを守る、という使命を与えられて喜んでますよ。間違いなくね。取り敢えず守らせておけば良いんです。でも、あなたが本当に信用して良いのは俺だけですから」
「……それがお前の自負?」
「それくらい、自惚れても良いでしょう?」
「…………」
 頬が、熱くなった。中原は嬉しそうに笑った。それからキスをしてくる。頬に、額に、瞼に、唇に、顎に、首筋に。
「……中原っ……!!」
「あなたを抱きたい」
「バカ。ここは……っ」
「あなたを押し倒して、気絶するくらい何度もしたい」
「駄目だって! 誰か来るだろ……っ!」
 シャツの中に指が滑り込んできて、乳首をつねり上げた。思わず声が洩れる。中原はゆっくりと、手の平でそれを転がし始める。
「……バカ……っ」
 中原は笑った。
「本当はそう思ってないクセに」
 そう言って、噛み付くようなキスをした。
「……中原っ……!!」
 中原は俺をベッドの布団の上で押し倒す。唇をちろりと舐めた。
「あなたの目が、俺を誘っていますよ」
 そう言って、シャツのボタンを外していく。
「待てよ! せめて……鍵を……!!」
「見たい奴には見せてやれば良いんですよ」
「冗談やめろよ!! 俺は、露出狂じゃないんだからな!!」
 中原は軽く舌打ちした。
「……俺に、抱かれるのは厭?」
 真顔で。厭と言うのは簡単だけど……。
 ずくん、と身体の中央で、それが身震いした。
「……好きだよ」
 声が、掠れた。厭じゃない。……少なくとも、今は。
「でも、他の奴には見られたくない」
 だってそれは。
「俺とお前だけが知っていれば良い。お前が知ってさえいれば」
 他の誰にも、知られたくない。俺が、どんなにお前を想っているか、なんて。俺がどんな風にお前に抱かれるか。そんな事、俺とお前だけが知っていればそれで良い。俺がお前のもので、俺がお前のもので。そう思える瞬間は、至福だから。他の誰も、何も要らない。
「お前だけが知っていれば、それで良い」
「……俺は自慢したいんですけど」
「俺はしたくない」
 中原は複雑な表情になった。情けないような、顔。
「それはどういう意味で?」
「お前の事は俺だけが知っていれば良いし、お前との事は俺だけが知っていれば良い。他の奴なんか関係ない」
「……それって独占欲ですか?」
 思わず、顔が赤くなった。
「だっ……!!」
 中原は嬉しそうに、ひどく幸せそうに笑った。
「……それだけ俺の事好きだって、そう思って良いですよね?」
 この男は。どうして。……こんな恥ずかしげ無いんだ。
「鍵、閉めてきます」
 嬉しそうに。起き上がろうとして、微かに眉をひそめたのを見た。
「いや、俺が行く」
 立ち上がろうとするのを制止して。ベッドから降りて、ドアの内鍵を閉める。振り向くと、中原が嬉しそうに俺を見ていた。どうして、この男は……こういう……。
 溜息ついて。歩いて行った。自分から、またがって。
「……郁也様?」
「お前、一応怪我人なんだから、あまり動かない方が良いだろ?」
 ぶっきらぼうに、言い放って。
「それって、つまり」
「余計な事言うなよ?」
「はい」
 中原は、だらしないくらい嬉しそうに笑った。……何か、後々厭な展開になりそうな気もするけど。中原の分身をそっと、布越しに撫で上げた。ぴくり、と震えて立ち上がって。それを引き出して、そっとくわえた。舌先で舐めながら、唇を使って扱いていく。段々と、堅さ・熱さを増していくそれに、両手を包み込むように添えた。
 中原の手の平が、俺の髪を撫で上げる。視線を注がれているのを感じる。耳たぶを、弄ばれる。首筋を、指が伝って。まるで猫でもあやすように、撫でられた。
「……俺は、あなたを信じてますから」
 中原が言った。
「誰が何と言おうと、あなたの言葉だけを信じていますから」
 誰かに何かを、言い聞かせるように。
「あなたが、俺の存在意義です」
 例えば、お前も、不安になっているとしたら。
「俺が好きなのは、中原龍也、お前一人だ」
 他の誰も、お前の代わりになどなれやしない。今の俺は、お前を失くして、これまで通りいられるか判らない。
「お前が俺を、そんな風に変えたんだ」
 この世でお前だけだなんて思えない。お前だけで良いなんて思えない。だけど、お前無しで生きろと言われたら。……俺はきっと途方に暮れてしまう。以前はそうじゃなかったのに。
「俺がお前にやれるものは、みんなやるよ」
 口付けた。
「俺がお前にしてやれる事は何でもしてやっていい」
 譲れる事と譲れない事があるけど。
「お前が必要なんだ」
 真っ直ぐに目を見て。熱い瞳で見返されて。
「俺もです」
 中原の両手が、俺の首の後ろに回される。
「あなたが必要です。あなたがいなかったら、俺は何処にも行けない。あなた以外、何もいらない」
 それに同意してやる事は出来ないけど。
「好きだ」
「郁也様……!!」
「好きだ」
「好きです!! 俺も……っ!!」
 先のことなんて判らないけど。今、この瞬間は。お前が欲しいと思う。お前を好きだと思う。お前が必要だと思う。
 自分でジッパーを下ろして、ズボンを下着ごと脱ぎ捨てて。
「……何だか、ドキドキしますね」
「バカ言ってんなよ」
 そう言い捨てて、腰をゆっくりと沈めた。そっと、静かに。ゆっくりと。身体を割るように、中原が。中原のそれが、俺の内部を満たしていく。
「っ……!!」
 びくん、とそれが中で震えて。俺はびくりとして、一瞬固まって。
「……郁也様」
「もうちょっと」
 深呼吸して。ゆっくりと、沈めて。
「……たるかったら言ってくれ」
 言うと、中原が苦笑した。
「俺は動かなくて良いんですか?」
「……言ったろ? 動かさない方が良いって」
 顔が熱くなる。
「それで良いんですか? あなたは」
「何言ってるんだ。俺は……」
「俺に、抱かれたいと、思わない? 満足出来るんですか?」
「やってみないと、判らないだろ?」
 自信たっぷりに言うところが、何だか厭味っぽくて、ムカつく。
「お前、俺が上だとイケないとか思ってんの?」
「初めてでしょう? こういうの」
「うるさいな」
 舌打ちした。
「厭なのか?」
「まさか」
 中原は嬉しそうに笑った。
「そんな訳無いでしょう? この上なく嬉しいと思ってます。だって、俺のためでしょう?」
 恥ずかしげも無く。
「お前、一言二言多いんだよ。ちょっとは黙ってろよ。無駄口叩かないで」
「はい」
 腰を上下に動かし始める。ポイントを探しながら。『中原』を感じながら。……言われてみれば、俺、ただの一度も上になった事無かったんだ、と今更ながら気付いてたりして。俺、中原任せだったんだな、セックス。
 身体がひどく熱い。ぞくぞくする。中原の視線が、俺の身体を這い回る。中原が俺の手の平をそっと握り締める。俺も握り返した。
 楠木が、言った事、気にしてるんじゃないだろうか? 気にしないと中原は言ったけど、俺だけを信じるって言ったけど、本当は気にしてるんじゃないだろうか?
 中原の目が、俺の目と合う。
「好きだ」
 言わずにいられないのは、俺が不安になっているから。
「俺を」
 俺を、信じて。俺だけを見て。頼むから。他の誰の言葉にも耳を貸さないで。俺以外の誰かなんて見ないでくれ。俺の目の前で。
「好きです」
 熱い吐息。
「あなただけだっ……!!」
 壊れそうで恐いから。
「中原っ……!!」
 お前を傷付けるものは許さない。お前の心を奪うものは許せない。お前の目が、俺以外のものに向けられる瞬間が、とてつもなく恐い。お前を信じてないとかじゃなくて。俺が……俺を信じてないからだ。お前に愛して貰えるほど、俺は綺麗な生き物じゃない。お前に信じて貰えるほど、俺は真っ直ぐじゃないから。
 失いたくない。
 どうしよう。
 失いたくない。
 恐い。
「中原……っ!!」
 両手を握り締めて、自分から腰を振って。……目の前の男の名、叫び続けて。他の奴に見られたら、きっと俺はバカに見える。バカでいい。そんなの構わない。
 お前が欲しい。欲しいんだよ、中原。
「あなたがっ……好きです……!!」
 今はそれを、信じるしかないから。その言葉を疑ってしまったら、俺は不安でどうしようもなくなるから。
「中原……っ」
 涙が、こぼれ落ちる。
「……あなたは、綺麗です。この世の何よりも……」
 熱い、手の平。
 繋がっていても、恐くて。
 中原が、俺の手の甲にそっと口付けた。
「俺は、あなた以外を愛せそうにないですよ」
 今は、信じる。それしか無いから。

To be continued...
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