NOVEL

週末は命懸け8「傷」 -2-

 『あさぎや』は俺達の通う八剣浜高校の三件隣にあるお好み焼き屋だ。ロケーション的に、うちの学校の連中が常連の八割を占めてるんじゃないかと思う。統計を取った訳じゃないから確かじゃない。夏にはかき氷なんかもやってるから──商売上手だと実に思う──たぶん、行った事が一度も無いって奴のが珍しいんじゃないだろうか。うまいかまずいかってのはともかく、値段の方は良心的だ。まずくはない。だからといって特別うまいって訳でもないけど。こういうのは味なんて奴は二の次だ。お好み焼きの良いところは、友達とわいわいがやがや言いながら、自分で焼いて食べる事だろって思ってる。自分で焼くから、出来の善し悪しを店の責任に押し付ける訳にも行かないしな。まあ、それはともかく。
「うわ! 昭彦!! お前、人の腕汚すなよ!! 静かにやれよ!! 静かに!! 迷惑だろ!!」
 びしゃ、と白い液体が制服の袖に飛んだ。……バカ野郎。小麦粉だけじゃないんだぞ。油分は染み込んだら取れにくいんだ。くそ。
「わ、ごめん。悪い! 郁也!! 飛ばすつもりは無かったんだ」
 当たり前だ。わざとやったらぶっ殺す。て言うか、百倍にして返すぞ、こら。
「弁償しろよ、弁償」
「……郁也。金持ちのくせにケチ臭いよ」
「俺は別に金持ちじゃない」
 金持ってるのは『親父』だけだ。俺の金なんて一銭も無い。まだ。
「……悪かったって。ごめん。俺に掛けても良いから」
「ほーう? 良い心がけだ。じゃあ、心おきなく」
 と言って、お好み焼きの具や粉、卵なんかの入ってる入れ物をそのまま傾けかける。
「うわぁっ!! やっ……やめろよ!! 何してんだよっ!! 郁也!! それ、そのまま俺に掛ける気か!? そりゃひどいよ!! 誰がそこまでやっていいって言ったよ!! 待った!! ちょっと!! 許して!! 頼む!! 母さんに怒られる!!」
「……奈津子さんの顔に免じて許してやるか」
 奈津子さんてのは昭彦の母親の名前だ。本人がそう呼んで欲しいって事で、そう呼んでいる。奈津子さんは俺が理想に描く母親像だ。ちょっと(?)太めだけど優しそうで、明るく元気でパワフルで。根性あって、太っ腹で、タフでしたたか。料理が上手くて、ちょっぴり抜けたところもあるけど良い人だ。「昔は私、葛名町の女王と呼ばれたのよ! うふふふふ」と言うのは本当かどうか不明だけど、確かに以前見せて貰った若い頃の写真は美人だった。今、についてはノーコメントだけど。
 下中は笑って見てる。
「早く焼かないと、久本君だけ食べられなくなるよ」
「……ああ、そうだな」
 具を手早く混ぜて、鉄板へと流し込む。じゅぅっという音が鳴った。
「あー、しっかし疲れたー」
 言ったら、昭彦が呆れたような顔をした。
「何言ってんだよ。郁也、何もしてないじゃん」
「何もしてないなんて事あるかよ! あんなに一生懸命働いた事ないぞ、俺は。真面目に参加してるのに、そういう言い方ないだろ」
「……って言うか、色塗りだけね。結局郁也ってば面倒そうな事全部、適当に言い訳して逃げ回ってるじゃん。ずるいよな。俺、お前が逃げて抜け出した分被らされたんだぞ」
「そうだったか?」
「そうだったか、じゃないよ。全く。俺、いつもお前の後始末させられるんだぞ」
「そりゃ悪かった」
「悪いとか思ってないくせに言われたくないよ。本当、勝手なんだから」
「ごめん、昭彦」
 にっこり笑って片手拝みした。昭彦は舌打ちする。
「そうやってお前、いつも笑って誤魔化す。俺がお前の笑顔に弱いって知っててさ。性格悪いよ、絶対」
「勘繰りすぎだよ」
「あー、俺の被害妄想ね。はいはい、くそっ」
 下中がくすくすと笑った。
「何?」
 聞いたら、下中が笑いながら言った。
「いや、本当、仲良いよね。久本君と藤岡。見てて楽しい」
「……楽しい?」
 何処が? ……不明。
「楽しがられてもなぁ……」
 昭彦がぼやいた。
「ねぇ、下中。下中からも言ってやってよ。俺が言ったってちっとも聞かないからさ。郁也、もうちょっと真面目にクラスの催しや企画に参加しなきゃだめだよ。皆が参加してるのにさ。そんなんだと浮くよ、絶対。真面目にやれよ」
「俺は至極真面目だ」
「……嘘つき」
 下中はくすくす笑う。
「ちょっと。下中、笑ってないでさ!」
 昭彦が言う。
「……うん。久本君が積極的に参加してくれると、こっちも仕事がやりやすくて良いな。クラスまとめるの、結構大変だからさ」
「……何? それ。俺がいると楽になるとでもいう訳?」
「うん。まあね」
「ほら! ……判ったろ? ちゃんと参加しなくちゃだめだよ。一人でも不真面目な奴がいると、まとまるものもまとまらないんだから!」
「……俺のせいか?」
 そりゃ酷くないか?
 すると下中が苦笑する。
「久本君のせいって訳じゃないけどね。いてくれた方が、場が締まるから」
「何で?」
 下中は困ったような顔をする。
「……うーん……まあ、久本君の人徳っていうか影響力っていうか……」
 俺は首を傾げた。
「俺は何もしてないのに?」
 訳判らないぞ。
 するとぷっと昭彦が吹き出した。
「早く決めて全体の意見まとめないと、郁也に怒られるとか思われてたりして。みんなに」
「何それ」
 憮然とした。昭彦はくすくす笑う。
「普段の行いが悪いからだよ、郁也」
「何だって?」
「まさか、否定しないよね?」
「……あのな」
 下中はくすくす笑った。
「……まあ、それはどうかともかく、久本君がいるのといないのとじゃ、意見のまとまり具合が違うんだ。あんまり無駄に時間掛けずに即決でぽんぽん決まるから。いないと、いつまで経っても案が出ないし、案が出ても否定意見は出ても代替え案が出て来なかったりとか。スピーディーにスムースに事が進んで楽なんだ」
「……そう言うなら、まあ積極的に参加してみるけど」
「有り難う、久本君」
「やったぁ! ……郁也、絶対前言翻すなよ? お前さ、もっと人に協力的に積極的にならなくちゃ!」
 なんか気に障る言い方だな。
「俺は一度した約束を破る事はないぞ」
「そうかな? ……俺は良く破られてる気がするけど」
「…………」
 い、厭味か? ていうか、破りたくて破ったんじゃねぇよ。
「……ひがみっぽい奴だな」
「どうせひがみっぽいよ」
 ……開き直るなよ。
「悪気は無いんだよ。約束破るつもりも毛頭無かったし」
「口では何とでも言えるよね。……もう気にしてないけど」
 嘘をつけ。根に持ってるじゃないか、しっかり。
「あ。そろそろ焼けたかな?」
「まだだろ?」
「もう良いって。ほら」
 昭彦は自分の分を裏に返そうとして失敗して、二つに折れた。
「あ、ああっ……!!」
 思わず吹き出した。
「だからまだだって言ったろ? バァカ」
「ひどっ! そういう言い方ないだろ、郁也」
「バカにバカって言って何が悪い」
「バカにバカって言っても、名誉毀損になるんだぞ!」
「へぇ? 訴える?」
「……くそぉ! お前、性格悪い!!」
「ごめん、ごめん」
「……悪いとか思ってないくせに」
「むくれるなよ」
「大丈夫だよ、ほら」
 下中が二つに折れたお好み焼きを上手に裏返した。
「あ。上手いな、下中」
「……ごめん、下中。有り難う」
「ううん。別に」
「優しいなぁ、下中! ……誰かさんとは大違いだ」
「……何が言いたいんだ? 昭彦」
「別に。誰の事とか言ってないし」
 ……最近、どんどん性格悪くなってないか? 昭彦。
「悪かった。謝れば良いんだろ? 怒るなよ、昭彦」
「別に? 謝れとか言ってないし。謝って貰うつもりもないし」
 だったら俺にどうしろって言うんだよ。
「良い加減にしろよな、昭彦」
「それはこっちの台詞。まあ別に良いけど。今更」
「…………」
 気にしてないなんて大嘘じゃないか。って言うか、何が原因なのかさっぱり俺判らない。何考えてんだかさっぱりだ。苛々する。
「喧嘩しちゃいけないよ。藤岡、久本君。……ね?」
「……してないよ。な? 郁也」
 ……お前、な。昭彦。……言葉返す代わりに溜息ついて。
「言いたい事があるなら言えよ?」
 昭彦は笑った。
「……別に。隠し事してるのは俺じゃないだろ?」
「…………」
「……でも、もう話せとか言わない。全部話してくれなんて俺には言えない。だから良いだろ? もう、それで」
「昭彦」
「……そっち焼けてるんじゃないの?そろそろ」
 ……だって、何から話せば良い? 何を話せば良いっていうんだ? 昭彦に言えるか? 何を? どこまで?
 全部なんて話せる訳ない。中原の事も、『社長』の事も、母親の事も、それから楠木のやった事も。……それでも。
「今度、お前の家行くよ」
 最近、そういえば行ってなかった。全然。……だって、自宅には中原がいるから。あの場所はあまり好きじゃないけど、どうしても好きになれないけど、あそこには中原がいるから。
「ちゃんと、ゆっくり話すよ」
 それでもやっぱり、全部は話せないけど。精一杯の譲歩。
「無理しなくて良いよ」
 昭彦が言った。
「無理なんかじゃなくて!」
 下中が居心地悪そうに肩をすくめた。
「俺、席外した方が良い?」
 昭彦は首を振った。
「……ごめん、下中。気分悪かったよね」
 何処か、遠い。……遠くて。
「昭彦」
 切実に。厭だと。
「……昭彦」
凄く、厭だと思って。……だって、俺は昭彦以外に友人なんていない。他に、いないから。
「……大丈夫」
 昭彦は笑った。
「大丈夫だから」
 穏やかに笑うその顔を見て、俺は少し、安心した。
「……泣くなよ」
「泣くかよ、バカ」
 言い返すと、昭彦はくすりと笑った。

 会計を済ませて、暖簾をくぐって外に出た。
「じゃあ、俺、こっちだから」
 下中が言った。
「うん。悪かったな」
「……ううん、こちらこそ」
 手を振り合って別れた。
 昭彦と、ふと顔を見合わせた。
「自転車、乗ってく?」
「……少し、歩こうぜ」
「そう」
 昭彦は自転車を引きずって歩き始めた。その隣を歩く。
「……なあ、昭彦」
「うん?」
「俺、さ」
「うん」
「……お前みたいにはなれないんだよ」
「なれなんて言わないよ。俺、郁也が郁也だから、助かってるとこあるし。そんなの仕方ないだろ? 当たり前だし」
「そうなんだけど……でも俺、本当は昭彦みたいになりたかった」
「……郁也」
「なりたかったよ。本当、本気でそう思う。……でも、どうしても俺、お前みたいにはなれないから。絶対無理だから。だから俺はお前にはならない。俺はたぶんこの先ずっとこのままだ。変われない。変わるかも知れないけど……変われない」
 きっと。
「俺、お前に隠し事なんか幾らでもあるけど、それは隠したいからってよりは、お前に話すべきじゃないって思うから。話してもお前がきっと困るだけだって判ってるから。だからわざわざ話さない。……例えば、俺が殺され掛けた話なんかしたって、昭彦にはどうにも出来ないだろ? そんな過去の話ほじくり返して話したって、取り返しなんてつかないし、もう終わった事だし、あってもなくてももう今更取り消せないし、変わらないし。……それに」
「……うん?」
「……例えば、俺、今、好きな奴いるけど、そいつに好きとか言われてキスとかするけど、そういうの昭彦にはまるで関係ない話で……」
「……太田さん?」
 びっくりした。
「……何で太田?」
「……違うの?」
 不思議そうな顔された。思わずカッと頬が熱くなる。
「……いや、太田の事はもう良いんだ。好きだったけど、諦めたし……それにもう、既に俺……」
「……太田さん、お前の事、好きなのに?」
「…………え……っ!?」
 目の前、真っ白になった。
「……な……んだって……?」
 ぐらり、と足下の地面が揺れた。
「俺、てっきり太田さんとその後何か進展あったのかと思ってた。郁也、何も言わないけど、たぶんきっと……」
「って何で!!」
「……何でって……郁也……?」
「……何で太田が俺の事好きになんか……だって俺……嫌われてて……!!」
 救いよう無く嫌われてて。
「少なくとも、今は彼女、お前の事好きだよ? だって良く目でお前、追い掛けてるし。……気付いてなかった? もしかして?」
「だって……!!」
 だってそんな!! そんな事、太田は一言も言わないし!! 大体、それじゃ俺……かえって太田に悪い事……!!
 だって、俺が今、好きなのは中原龍也なのに。太田の事、今はもう以前のようには好きだと思えないのに。なのに、今、太田が俺を好きだったとしたら。俺が好きだった時の太田は、俺の事なんか好きじゃなかったのに、今の太田が俺を好きなのだとしたら。
 俺、太田に負い目あるのに、更に傷付ける事になるんじゃないのか? だって俺は……今はもう、太田の事好きじゃないのに。嫌いじゃないけど、どちらかと言えば好きに近いけど、だけど俺の一番は既に中原龍也で、それ以外もう有り得なくなってるのに。
「……他に好きな人、いるんだ? 郁也。……じゃあ、俺の考え過ぎだったんだな」
「……何が?」
 俺は眉をひそめた。
「俺、ずっと郁也が太田さんと付き合ってるって思ってたんだ」
 昭彦が言った。ずきん、とした。
「……俺……っ」
「郁也、顔が……表情変わったからさ。雰囲気も以前より柔らかくなって。好きな人と付き合ってるんだろうって思ってた。太田さんも面変わりして雰囲気変わったし。だから俺、てっきり二人が付き合い始めたんだと思って。……でも、俺の勘違いだって言うんなら……」
「……昭彦」
 泣きたい気持ちになった。凄く、泣きたい気持ちになって。
「……俺、好きな奴、いるんだ」
「うん」
「……そいつ、すげぇヤな奴で、最低で最悪で、ひねくれてて滅茶苦茶で、とんでもなくて。どう考えたってヤな奴で、良いとこなんて思いつかないくらい酷い奴なんだ」
「……うん」
「大人なくせに子供っぽくて、どうしようもなくて、救えなくて。卑屈なのかと思いきや高飛車だったりして。……なのに、好きなんだ。上手く言えないけど。誰にでも判るように説明出来ないけど」
「……判るよ」
 昭彦は笑った。
「判るから」
 ……少し、安心した。
「……ひょっとして、以前言ってた『新幹線に一人で乗って行っちゃう犬』っての、その人の事?」
 昭彦はにやりと笑った。思わずカッと頬が熱くなる。
「……あ……うん……」
「……俺、その人の事、知ってる?」
「……え……?」
 どきり、とした。
「会った事、ある?」
 どくん、と心臓が跳ね上がった。
「あ……いや……」
 だって。あいつがそうだって。……俺、まだ。
 まだ、ちゃんと胸張って言えない。……心の準備が、まだ。
「……両思い、なんだろ?」
 昭彦が言うのに、俺は曖昧に笑った。……そう。たぶん。でも俺は……まだ……。
「……恋人なんだろ?」
 真っ直ぐな昭彦の目。
「……どうかな」
 キスはするけど。セックスだってするけど。
 だけど俺は未だに、俺と中原が『恋人』なのかどうか、自信持てない。中原は俺を愛してるって言う。何度も繰り返し好きだって言う。だけど、中原の心が本当に俺だけに向けられてるのか、怪しんでいる。俺は中原を好きだ。他の誰よりも好きだ。
「……自信ないの?」
 俺は笑った。
「心は見えないからな」
 形がないから、身体と違って触って確かめる事も出来ない。
「……郁也は臆病だよね」
 ぽつり、と昭彦が言った。
「普段、妙に自信ありげだったり、変に高飛車だったりするくせに、肝心なところで臆病だよね? ……恐がりすぎだよ」
「……あのな」
「自信がないから? でもね。……自分に自信がないからって、そんな風に脅えてびくびく警戒してるの、相手にすごく迷惑で失礼だよ? 言いたい事があるなら、確かめたい事があるなら、本人に直接ぶつければいい。郁也は失敗するのが恐いんだ。相手の事信用してないから、だから相手に裏切られる事をものすごく警戒してるんだ。自分が相手に傷付けられるって思い込んでるんだ。それってすごく失礼だよ。そっちの方がずっと裏切りだよ。……郁也、いつも俺にハッパ掛けてるだろ? 自分に対しても同じ事言えるんじゃない? 少しは相手を信用して、どーんとぶつかってみれば良いんだ。そうすりゃ、それまで見えなかった事が見えるだろ? お前は少し人を疑い過ぎ」
「だって俺は……!!」
「大丈夫。お前、見る目あるから。俺が保証する。お前の好きになった人はお前をきっと裏切らないから。だから、もう死ぬ気で体当たりしたって大丈夫。……受け止めてくれるよ」
「……な……!!」
 あ……呆れた。
「……俺が誰と付き合ってるかも知らないくせに、良く言うな。そういう事」
「うん。知らないけど……何となく」
「……何となく?」
 昭彦はにやりと笑った。
「……何となく、判る気がするから」
 どきん、とした。
「なっ……!?」
 顔が、ひどく熱くなった。
「ばっ……!!」
 昭彦はくすくす笑った。
「あのさぁ、郁也のボディーガードの中原さんて人」
 どきん、と心臓が跳ね上がった。
「な、……何?」
 声が、上擦った。
「すごく、いいひとだよな」
 ……中原が……いいひと?
「……そうか?」
 結びつかないぞ。中原といいひと。
「郁也のこと、真剣に思ってくれてる。ひどく心配して。ほら、あの……夏休み前の、あの事件の時」
「……うん」
 ちり、と胸が痛んだ。
「あのひと、本当一生懸命で必死だったから」
 ……昭彦には、俺の心の中身なんて全部知られてる気がした。隠しても、全部判られてる気がして。
「あのひと、本当郁也のこと好きだから」
 かあっと頬が熱くなって。
「……昭彦」
 昭彦の目が、真っ直ぐ俺を射抜いた。
「お前の事、好きなひと、いっぱいいるからさ。だから、そういう人の事、お前は信用して良いよ。もっと信用しろよ。お前に信頼して貰えたら、すごく嬉しいから。……お前、他人を信用しなさすぎ。もっと頼れよ? 甘えてみろよ? ……そうしたら、お前の周りにいる人達、今よりもっとお前の事好きになるから。……俺も、そうして貰えたら、すごく嬉しいと思うし」
「……昭彦」
 昭彦は笑った。
「大切にしろよ? 好きなひと。……って俺の口出す事じゃないか」
「……有り難う」
「別に。……俺だって郁也に助けて貰ってる事いっぱいあるし。お前冷たくて、時折挫けそうになるけど」
「……俺、冷たい?」
 昭彦は肩をすくめた。
「得な性分だよな? ……それでも、恨めないんだから」
「でも、俺……」
 人に恨まれたり、傷付けられそうになったりするし。何度も。
「……あれ? あの車……」
 昭彦の視線の先を追った。赤い、ロードスター。幌を開け放って、中に金髪で短髪の、夜なのにサングラスした三連ピアスの派手でチャラい男がガムでも噛みながら、ゆっくり蛇行運転している。
「……さっきも見たなぁ」
 昭彦の言葉に、どきりとした。思わず、立ち止まった。赤いロードスターがゆっくりと近付いて来て、俺達の前で止まった。男はガムを吐き捨てた。
「どうも、こんばんは」
 その瞬間、血の気がさっと引いた。
「……何? 郁也、知ってる人?」
 知ってるなんてもんじゃない。こいつは!!
「……楠木!!」
 目の前の、記憶にある楠木とは似ても似つかないチャラ男が、サングラスを引き抜いた。それからにっこりと穏やかに笑うその顔は、確かに楠木成明[くすのきなりあき]だった。
「……てめぇっ……!!」
「……中原さんの真似です。……結構良いでしょう? 確かに、いい手段だ。人間の先入観って奴は、目先の物を眩ませる。現に、ここ数日間様子を見てみましたが、私が口を開くまで、あなたは私が誰か判らなかったでしょう?」
「……何を、企んでる?」
 冷や汗が、背中を伝った。
「……郁也……?」
 はっとして、昭彦を背中に庇った。
「……美しい友情、ですか」
 ぎり、と睨み付けた。楠木は、相変わらず柔和そうな顔立ちでにっこり微笑んだ。……その目と口元は、確かに以前と何ら変わりない。鼻にまでピアスが無ければ、全く変わらない顔だ。人を殺し、傷付けても。変わらない。
「何のつもりだ」
 俺の詰問に、楠木は笑った。
「一緒に来て貰えますか?」
「……何だと?」
 厭な、予感。
「お友達を、傷付けたくはないでしょう?」
「……まさか……!!」
 まさか……また!!
「また同じ事を……!?」
 楠木は笑った。
「……あなたは、一度懐に入れた人間がどうなっても構わないと思える程、冷淡にはなれないようですからね。以前の事で、それは実証されていますし」
「……貴様っ……!!」
 憎悪で人が、殺せるなら。
 今すぐ。
 目の前のこの男を。
 殺したい。この場で。すぐにでも。
「どうしますか?」
「……郁也!!」
 昭彦が、俺の腕を掴んだ。
「俺が行けば、こいつも、それからお前が拉致してるもう一人にも、手を出さないと保証するのか?」
「……私は、ね」
「絶対なのか、聞いてるんだ」
「……取引?」
「そうだ」
「……そうですね。あなたが来るなら他はいらない」
 発信器は身に付けている。昭彦と下中が無事なら。それなら、後はどうにでもなる。だから。
「……でも、あなたの事は、あまり信用してないんですよ」
 そう言って、楠木は自分の口元をハンカチか何かで覆って、スプレーで何か噴射した。
「!?」
 目の前が、霧で白くなる。……クロロ……ホルム?
 ぐらり、と視界が揺れた。
「あ……き……ひ……」
 昭彦の方へと、腕を伸ばす。……だけど手が届く前に、視界が歪んで。昭彦が膝を歩道に落とすのが見えた。俺も、立っていられなくて。……畜生。俺……すっげぇバカ。物凄い、バカ。この男が……楠木成明がどんなに酷い奴か、知ってて。それで、油断するなんて。
「……く……しょぉ……っ!!」
「……おやすみなさい」
 後頭部に衝撃を、食らった。

To be continued...
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