NOVEL

週末は命懸け8「傷」 -1-

〜プロローグ〜

 中原龍也は自室に戻り、私用の携帯を取り出し、画面を開いた。3通のメール着信。一件目。
『連絡待つ。いつもの場所。   工藤』
 苦笑した。これで判ると思っているのだから、始末に負えない。返事を書く。
『了解。  中原』
 次のメール。
『良いネタ入った。大トロ級』
 ……また訳の判らんメールを、と中原は苦笑した。
『味見をしないと、善し悪しは判らない。』
 と、返事。三通目。
『見つかった。目撃情報あり。  T』
 どきり、とした。……まさか、と思う。
 メール着信のブザーが鳴った。新着メールを開く。
『あんたの探してた男だよ。新情報』
 どくん、と心臓が脈打った。
『目撃? それとも詳細?』
 メール送信。
 脈拍が早い。……返事が来るのが待ち遠しい。
 着信。
『詳細。ただし、確認は出来てない。』
『ガセじゃないだろうな?』
 送信。
 着信。
『面倒だ、来い。珈琲でも飲みに。』
『了解。』
 財布と免許証と車の鍵を背広の内ポケットへ突っ込んで、外に出る。
「……中原?」
「ちょっと、出掛けて来ます」
 何か聞きたげな表情だったが、すぐ背を向ける。
(……すみません)
 今はまだ、何も言えないから。きちんと裏付けも取れてない。まだ話をできる段階じゃない。だから、今は、まだ。
(……判ったら、話しますから)
 だから。
 走る。もどかしい。気持ちのスピードに、身体が追いつかない。
(空を飛べたら良いのに)
 早く、確かめて。事実かどうか確認して。それから彼に。……それで、間違いない筈だった。


 二〇〇五年、九月二十六日月曜日。

 なんか面白くねぇ。
「どうしたんだ? なぁ、郁也」
 ……あいつ、俺に隠し事してやがる。何を企んでるんだか知らないけど。何だって言うんだ? あいつの誕生日、そろそろだから、何か良からぬ事でも企んでるんじゃないかって疑うのは、俺の考え過ぎか? ……大体、俺がこんな風にあいつの考えてる事、やってる事の裏を読もうとするようになったのは、あいつのせいであって、決して俺のせいじゃない。これまであいつの隠し事で、俺がどんな目に遭ったかを思い返せば、こうなるのは当たり前だ。ここのところ、やたら動き回って外に出て、俺への挨拶もそこそこだ。キスくらいはするけど、あっちの方はさっぱりだ。……一体、何だって言うんだ? くそ。苛々する。何だって俺がこんな、あいつのせいで、苛つかなくちゃならないんだ。一体何を隠してるって言うんだよ。あのバカ。ろくでもねぇ事してんじゃないだろうな。ったく。俺はあいつのとばっちり食らうのなんかもうこりごりだぞ。絶対厭だ。そりゃ、あいつの事は好きだけど、それとこれとは全然違う。大体あいつ、自分がトラブル・メーカーだって判ってんのか? あいつが何かすると、絶対俺まで酷い目に遭うんだ。でなかったら、俺があいつに酷い目に遭わされるとか。好き嫌いの問題じゃない。好きでも厭なものは厭だ。
「なあ、郁也ったら!」
 その声で、初めて昭彦の顔がすぐ目の前にある事に気付いた。
「うわっ! ……びっくりしたぁ! 何でそこにいるんだよ?」
 心臓口から出るかと思った。すると、昭彦は眉を顰めた。
「俺はさっきからここにいるよ。何度も声も掛けたって。……お前、さっきから人の話、全然聞いてなかっただろ?」
「……え? 話? 何それ。何の話?」
 きょとん、とした。すると、昭彦は大きな溜息をついた。
「……おい?」
「ま、良いけど。今更。もう一度言うよ。俺、男バレ所属だろ?」
「知ってるよ。そんなの」
「聞け」
 昭彦は真顔で言った。俺はこくんと頷いた。
「学園祭、男バレの方の催しにも顔出さなくちゃならないんだ」
「何やるんだ?」
 何か言いたげな顔をして、昭彦はゆっくりと首を振り、それから呆れたように言った。
「昨日、言ったつもりだったけどな。男バレは喫茶やるんだ。それでさ、昨日決まったんだけど……お前の家、メイドさん、いるだろ?」
「メイド? それが何? お前、何度もうち来て知ってるだろ?」
「知ってるから言ってるんだよ。……その、悪いけど、衣装、借りられないかな? 三・四着で良いんだけど。なるべく大きめの奴」
「……なんでそんな物が必要なんだ?」
 目を丸くした。昭彦は真っ赤になった。
「ば、……ばか。だから……そのっ……!!」
 ぴん、と来た。
「うっわ、最低。お前、女装すんの?」
「だああっ!! はっきり言うな!! て言うか俺がするんじゃない!! ……いや、ひょっとしたら着る羽目になるかも知れないけど、まだ決まってない!! 本決まりじゃないし……その……っ!!」
「……へえ、メイドねぇ?」
 って言うか、昭彦がメイド? うっわ、そりゃ笑える。昭彦は確かに目ェでっかくてくりくりだけど、眉太いのに。背もまあ男バレにしてはチビだし? まあ、それに関しては俺も四cmしか違わない訳だから、あまり言えないけど。……しかし、メイド……ねぇ……? ウケ狙いか? ま、そうだな。じゃなきゃ、シャレにならない。うちは共学だ。
「どうせなら、女子バレに着せりゃ良いのに」
「……それが、女子部員は宝塚なんだって」
「ぶっ。何それ。安直。女子が男装だから男子は女装?」
「うるさいな。人の事気にするなよ。……それより、お前一体何考え事してたんだ?また面倒な事に首突っ込んでるんじゃないだろうな?」
「別に突っ込んでねぇよ」
 俺は。少なくとも。
「お前に心配される事なんか何も無いぜ」
「……ひどいよな、お前」
「何で?」
「……そういうとこが、だよ。ったく。……それで、衣装、頼まれてくれるのかどうなんだよ?」
「……うーん。まあ、何とかならない事は無いと思う。未使用で良いよな? うちのメイド、そんな大きいのあまりいないから」
「郁也のとこのメイドさん、美人揃いだよな」
「……ああ、あれは……『社長』の『趣味』だから」
「趣味? 社長って、郁也のお父さんの?」
「……あの人すげぇ『面食い』だから。顔とプロポーション選んでるんじゃないの? 美意識がどうのってうるさいし」
「……郁也、人の事言えないだろ」
 昭彦がぼそりと言った。
「何だって?」
「……必ずしもそうだ、とは言わないけどね」
 昭彦はにやりと笑った。
「でも、面食いじゃん」
 ……ぐっ。違う、とかあんま言えないけど。でも。
「……別に俺は……顔でメイド選んで侍らせる趣味とか無いし」
 ある程度男前の連中選りすぐってスーツ着せて侍らす趣味も無いし。そんなの連れ歩いて、パーティー渡り歩いたりもしないし。素人女次々口説いて、ちゃっかり愛人関係になったりしないし。金づるになりそうな女がいないか、漁ったりしないし。
 そうだ。俺は、絶対にあんな最低野郎みたいには、ならない。絶対にならない。なるもんか。絶対。
「いや、別に俺はそこまで言ってないけど」
 昭彦の言葉に、思わずカッと顔が熱くなった。
「あ、だから!! それは物の例えで!!」
 だから、俺があの男みたいになるとかそういうんじゃなくて!!
「……何赤くなってんの? 郁也」
「…………」
 机の上に、突っ伏した。
「……郁也?」
 はあ、と溜息一つついた。
「忘れろ」
 顔を上げて、俺は言った。
「は?」
 昭彦はきょとんとした。
「今言った事、すぐ忘れろ」
「はぁ?」
「絶対忘れろ。良いか、忘れろ!」
 昭彦はきょとんとした顔で暫く俺を見ていたが、ゆっくりと頷いた。
「判った」
「絶対だぞ」
 念を押した。
「変な郁也」
 うるさい。お前になんか、言われたくない。畜生。

 学園祭が近い。二週間を切った。うちのクラスはオバケ屋敷をやるらしい。て、高一にもなって、オバケ屋敷をやろうと言う人間の根性が信じられない。ちなみにそれが可決した時、俺は早々に寝に入ってたから、昭彦に教えられるまで知らなかった。もっとも、知っていたからと言って、俺が何かしたかどうかってのは別だが。
 それで今、俺はオバケ屋敷の背景を塗っている。ああ、何が悲しくてオバケ屋敷。もうちょいマシなもの考えろよ。お前らガキか? なぁ。中学生だって今時オバケ屋敷はねぇよ。ちなみに今、書いてるのはお岩さん登場予定の井戸。ベニヤで四角く囲んで、中からお岩さん役の女生徒がばぁ、という事らしい。寒すぎ。て言うか、お前らそんなの楽しいか? なあ。俺には絶対判んねーよ。絶対。
「なあ、郁也。その色、さっきと微妙に違うくない?」
 色が足りなくなって作り直したら、昭彦に言われた。
「別に多少色が違ったって構いやしねぇよ。どうせ照明暗くて見えねーから。それに全部同じ色で塗ってどうすんだよ?」
「郁也、神経質かと思えば時にアバウト。って言うか面倒臭いだけだろ? 美術のがもっと真面目にやるよね?」
「うるせぇ」
「……はいはい、うるさいね」
 昭彦が、俺の混ぜてるパレットに緑を少し足した。
「どう? これくらい」
 ……あ。同じような色になってきた。
「緑が入ってたんだ?」
「さっき、下中が入れてるの見たから」
 成程。茶色に緑、はあんまり考えつかなかったな。俺。何で同じにならないんだろうって思ってた。
「下中、何で緑?」
 すると、下中学祭委員長はにいっと笑った。
「グレーよりイイ味出るから」
 そんなものか?
「やってみたんだ?」
 昭彦が尋ねた。
「ブリリアントグリーンって、青と黄色だけじゃ出来ないって知ってた?」
「へえ。そうなんだ?」
 下中は歴史学研究会所属だ。美術が得意だったかどうかは記憶にない。
「絵の具箱に入ってる色はさ、大抵赤・青・黄の三色だけじゃ同じにはならない色なんだよ。皆、混ざり物が入ってるんだ」
「純粋な色じゃない?」
「だから、カーマインレッドとかレモンイエローとか、コバルトブルーとかって書いてあるだろ?純粋な赤や黄色や青じゃないんだ。ま、この絵の具セットに関しては、だけど」
「純粋な赤・青・黄色ってあるのか?」
 下中は歯を見せて笑った。
「純粋な色なんてのは、この世の何処にもないよ。たぶんね」
 ……ふうん。下中ってそういう事、考えてたんだ?
「それ、哲学?」
 下中は一瞬、目を丸くして、それからにやりと笑った。
「まあね」
 それで、話は終わった。
「さ。井戸も塗れたし。今日はこれで帰るか!」
「郁也ぁ。まだ、その後ろに使う藪が描けてないよ」
「俺の担当は井戸なんだろ?」
「だから人の話はちゃんと聞けよ。皿屋敷関係は全部俺達三人の担当なの!」
「……皿屋敷関係って、あとどれだけあるんだよ?」
「藪と、井戸に続く飛び石を含む中庭。建物は全部描けてるし」
「あと、二週間しか無いんだぞ?!」
「だから! 下描きは済んでるんだって!! 下塗りも入れてあるし!!」
「塗ってあるんだから良いじゃないか!!」
「そういう問題じゃないだろ!! 郁也!!」
 すると、下中は苦笑した。
「まあまあ、喧嘩しない。大丈夫。何とかなるよ。藤岡、そろそろ男バレ行く時間だろ? 久本君も帰って良いよ。俺、後やっておくから。また明日頼むよ」
「……悪ぃな。下中」
「下中、甘やかすとろくな事ないよ? 郁也」
「俺、暇だからさ。下校時間ギリギリまでやってる。家帰ってもする事ないしさ。久本君は家庭教師とか来るんだろ?」
 いや、そんなものは来ないけど。
「下中、そんな暇なの?」
 下中はちょっとびっくりした顔した。
「あ、いや。うん、まあ……ほら、俺、頭悪いし。特技ないし」
 ……何言ってんだ? こいつ。
「お前だって、歴史学研究会入ってんだろ?」
「いや、そっちの方は普段の活動内容文集みたいにして出すだけだし。もう自前の原稿は終わってるから。編集は先輩の仕事だし。印刷屋回って本になるまで、こっちの仕事ないから。暇なんだ、どうせ」
「ふうん?」
 そんなもんなのか。
「それより、久本君、帰るんだろ?」
 気が変わった。
「もうちょっといる。……手伝うよ。俺も、特に用事ある訳じゃないし」
「え? 良いのか?」
 下中は目を丸くした。
「ああ。良いぜ。取り敢えず藪、仕上げよう。ま、たぶんそれくらい今日中に終わるだろ?」
「うん。たぶんね。……なんか悪い気がするな」
「どうして?」
「だって、久本君。色々忙しそうだから」
 ……厭味か? こいつ。
 と、思ったけど、至極真顔だった。たぶん、本気で言ってる……。
 昭彦がくすり、と笑った。
「じゃあ、俺。男バレ行くよ。下校ギリギリまでいるんだったら、一緒に帰ろう」
「判った」
 答えると、昭彦は笑った。
「下中も」
 昭彦の言葉に、俺も下中も目を丸くした。
「……俺も? ……だって……良いのか?」
 と、何故か下中は昭彦じゃなく俺の方を見た。どうして俺を見るんだ?
 昭彦はくすくすと笑った。
「良いよ。……郁也、良いだろ? 下中がいても」
「構わないぜ。どっかでメシでも食ってく?」
「賛成。何食べたいか考えといてよ。俺、何でも良い。二人で話合わせておいて」
「判った。じゃあな、昭彦」
「うん。後で」
「藤岡!」
 下中が焦ったように言った。
「何? 下中」
「……本当に、良いのか?」
 昭彦は笑った。
「良いんだよ。大丈夫。安心して」
 ……何それ。その安心て何? ……意味不明。気まずそうに、下中が俺を見た。
「何?」
「あ! いや。良いんだ。別に。俺、久本君とあんまり親しくないのに、いても良いの? 本当にさ」
「良いよ。何気にしてんだ?下中」
 すると、下中はほっと胸を撫で下ろした。昭彦はそれを見てくすくす笑った。
「じゃあ。俺、男バレ行ってくるから。郁也、ガンつけするなよ〜」
「するか! バカ!!」
 俺を何だと思ってるんだ。
「じゃ、早速藪行こうぜ。藪。……藪は何色塗るんだ?」
「うん、それはね……」
 絵の具を混ぜるのって結構面白い。俺、今まで混色って全くしなかった訳じゃないけど、入れたって同色系とか、混ぜる前に色の想像が出来るような組み合わせだとか、そういうのしか入れた事無くて。下中は美術部でもないのに、詳しくて。
 色塗りがこんなに楽しいとは思わなかったな。いや、色塗りそのものより色を作る方が。
「美術部とか入ってた事あるの?」
「ないよ。下手だし。俺、パレットの上で色混ぜたりするの、好きだったから」
「へ〜え」
 そんなものか。
「で、下中何か食べたい物ある?」
「え? ……俺は別に」
「別にとか言ってんなよ。そういう事言う奴に限って、人が何か言うと、それじゃない方が良いとか抜かすんだ。言いたい事言った方が親切ってもんだぜ」
 言うと、下中は腕を止めて俺の顔を見た。
「……何?」
「あ……いや、その……」
「言いたい事があるならはっきり言えよ?」
 思わず声が尖る。下中はびくりと肩を揺らした。
「……あ……その……お好み焼き……」
「お好み焼き? OK。俺もそれで良いや。決まりだな。何処がお薦め? 俺、昭彦と良く『あさぎや』行くんだけど」
「あ、俺もそこ」
「本当? あそこ、八剣浜高生多いもんなぁ。ま、近くだしな。たまに、変わったとこ行きたいとか思うけど、大抵行く場所決まって来るよな?ちょっと遠くへ出たつもりでも、駅前とか。結局遠出とかしないな。自転車か定期使えるとこしか結局行かねぇもんな。免許でも取れば別だけど」
 やっぱ車無いとな。
「うん、そうだね」
「ところで下中って何処住んでるの? 俺、明日名二丁目。昭彦は葛名町五丁目なんだけど」
「あ、俺、八剣浜一丁目なんだ」
「うわ。学校のほんとすぐ隣じゃないか。そんな近かったら遅刻しなくて良いよな」
「いや、それがかえって油断の元なんだ。なまじ、予鈴が鳴ってから玄関出ても間に合う距離なばっかりにさ。朝の連続テレビハマってて」
「おいおい、遅刻理由、テレビか?」
 そりゃ担任聞いたら怒るぜ。
「内緒にしてくれないか?」
「了解」
 あまり吹聴されて楽しい事でもないしな。しても楽しくないし。
「でも、久本君て思ったより、話しやすい人だったんだね」
 ……は?
 俺はきょとんとした。それから、不意に、それまでの下中の挙動不審な態度が脳裏に甦った。
「……もしかして、お前、俺の事密かに脅えてた?」
 下中は真っ赤な顔になった。
「ごめん。……その、大仰に脅えたりしたら、失礼だと思って」
 それは確かに正しい。正論だ。が。
「……俺、そんなに恐いか?」
 下中は真っ赤な顔で答える。
「いや。久本君が恐いとかそういうんじゃなくて」
 どういう意味だ。
「……いや、その、近寄りがたいって言うか、その……ほら……久本って頭良いし、顔も良いし、スポーツも得意だし、何でも出来るって感じだろ?」
「て言うか、そんな何でも出来るって事もねぇぜ。努力はしてないと言えば嘘になるけど」
 でもその為に命懸けてないし。目を血走らせてまで必死になってやる気、更々ないし。やる時は一生懸命やるし、手を抜く時は程々に手を抜く。そんなものだ。
「でも、俺、学年トップでも無いし、スポーツ選手になれる程の運動能力も持ち合わせてないぞ?」
 何でも程々。たぶん、目の色変えて必死にやっても。
「……だから、凄いんじゃないか」
 下中は言った。
「どうして?」
「何でも広範囲に出来るだろ?それって凄いよ。才能だよ」
 そうか? 俺は、一芸に秀でた人間の方がよっぽど優秀だと思うけど。
「たぶん、この学校の大抵の奴が、久本君は凄いって一度は思ってるよ。絶対」
「おだてるなよ」
 俺は笑った。

To be continued...
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