NOVEL

週末は命懸け6「報復」 -5-

 携帯のコール音。慌てて取った。
「中原?」
〔……俺〕
 カッと血の気が昇った。……忘れてた。
「昭彦!」
〔電話、待ってるとこだった? 切った方が良い?〕
 耳まで熱くなった。
「んな訳無いだろ!! ……電話、有り難う。今、帰ったのか? 部活」
〔……ん、まあ、メシ食い終わったトコ〕
 何か含むところがあるような言い方。
「……昭彦……お前……」
〔大した用件じゃないから、俺の方は気に留めなくても良いぜ?〕
「……そういう言い方するなよ」
 俺は本気で困ってそう言った。
〔……ごめん〕
 素直な口調だった。
〔……悪かった〕
 どきり、とした。
「いや、悪いのはこっちの方だ。すまん、昭彦」
〔ううん。俺も今ちょっと八つ当たってた自覚あるから〕
「……八つ当たり?」
〔そ。……だから、俺が悪い〕
「……昭彦……」
 ふっと笑う気配が聞こえた。
〔いや、心配すんなって。愚痴だから。結果は出ないし、ちょっと鬱々してて、それでちょっとガラにも無く悩んだりしてて〕
「……何かあったのか?」
〔そんな深刻になるなよ。……あ、そう、昨日から……中西と付き合う事になった〕
「ああ、おめでとう。お前らの事は本当心配してたから、収まるところに収まってほっとしたよ」
〔……収まるところって〕
 昭彦は苦笑したようだった。
「んで、どう? 中西。ちょっとは何か変化あった? 進展は?」
〔……『進展』って……お前、何か妙な事考えてないか?〕
「ってお前……やっと付き合い始めたのに、キスもまだなのか!?」
〔そんな付き合ってすぐするかよ!! バカ言うな!!〕
「まさか手も握ってないなんて言うなよな?」
〔……いや、手は一応握った〕
「…………まあ、昭彦なら『上等』か」
〔あのな。……俺は……『大切』にしたいんだよ〕
 声が少し、揺れた気がした。
〔お前の事も、中西の事も、何もかも、全部〕
 少し、淋しげな口調。
〔……急ぎたくないんだ〕
「……昭彦?」
〔……だから、郁也が整理付くまで待ってる。待ってるから……忘れるなよ? 俺は諦めてる訳じゃないんだ。諦めたりしない。待ってるから、俺を必要な時には、ちゃんと呼べよ。ちゃんと頼ってくれ。たぶん、お前は俺に頼ったりしようなんて最初から思っちゃいないんだろうけど、それでも俺にだって出来る事の一つや二つはあるんだから、困った時には悩んだ時にはたまには俺に相談してみろ。出来るだけ力になる。力になるから、たまには俺に頼れよ。お前一人じゃないから。人の力を借りるのも、結構良いもんだぞ。人は一人じゃ生きられない生き物なんだからさ〕
「……昭彦……」
〔……思うんだけど……人の心の傷って……どうしたら癒えるんだろう?〕
「……昭彦?」
〔郁也も、中西も、皆傷付いてる。傷を抱えながら生きてる。……俺はその傷を癒したいんだ。……なあ、郁也。お前の心の傷は、どうしたら癒される? お前はどうしたら人を頼るようになる? ……そんなの本人に聞くのもどうかって気もしないじゃないけど……郁也自身はどう思う?〕
「俺は別に傷付いてなんかいないよ」
〔……嘘つき〕
 昭彦は溜息ついた。
〔お前はいつも、嘘ばっかりだな。俺には……お前がいつも、泣いてるように思えるよ〕
「なっ……!!」
〔お前が本当に自分は傷付いてないって思うんだとしたら、それはきっと自分の傷が見えてないだけなんだよ。見ようとしてないだけなんだ。……郁也。苦しいと思うこと、ないか? 辛いと思うことないかよ? お前さ……一人で我慢しすぎ。確かに我儘帝王だけどさ、肝心なところで他人頼らないだろう? 俺だって他人の一人だ。いつも蚊帳の外で、俺はハタから見てる傍観者にされてるんだ〕
「そんなっ……!! 俺は……っ!!」
〔……たまには頼れよ。何かして欲しい事、ないか?〕
「大丈夫だよ。……大丈夫なんだ。昭彦の心配には及ばない」
〔……お前は……いつもそうだな〕
 昭彦はそっと溜息をついた。
〔……仕方ないから、待ってる。俺は無理に踏み込まないけど、待ってるから。忘れるなよ。お前は一人じゃないんだ〕
「大丈夫」
 きっぱりと言い切る。
「俺は一人じゃない。一人じゃないって判ってるから、心配要らない。……俺に出来る事なんてたかが知れてる。お前には、いつも感謝してるよ。……本当に」
 本当に、心底そう思うから。
〔……判った。ありがとう。……また、そのうち掛けるよ。じゃあな〕
「ああ、おやすみ」
〔おやすみ〕
 そうして切れた。通話ボタンを切った。その数秒後、コール音が鳴り響いた。
「はい」
〔……俺です〕
 中原の声。思わず、吐息が洩れた。
〔……郁也様?〕
「……何でもない」
 俺は笑った。
〔……何かありましたか?〕
「無いよ」
 言って。
「……お前さ……俺、人の事言えないけど……人の事考えろよ?」
〔あなたに言われるなんて心外ですね〕
 憮然としたように。
「……うん、まあ、そうだ」
〔……郁也様?〕
 怪訝な声。
〔熱でもあるんですか?〕
 心底不思議そうに。
「……バカ。知ってるだろ?」
 くすり、と笑う声が洩れた。
〔……確かに知ってますけど〕
 笑みを含んだ声で。話題を変える。
「それで今、何処にいるんだ?」
〔……知人のところに〕
「……知人って?」
〔……昨日駅のホームで会った『じいさん』ですよ。あの頑固そうな〕
「……ああ、あの人。お前が世話になったとか言う……」
〔彼の奥さんの身の回りの世話してるって名目で。実際それは三割くらいですね〕
「え? じゃあ、本当に悪いのか?」
〔……悪いのは以前からですよ。もう二年くらい前から寝たきりです。そこを拠点に準備中です。まあ取り敢えずは何とかなりそうですよ〕
「何で、昨日途中で席立ったんだ?」
〔聞く事は聞いたと思ったので。甘かったようですが。……あと、本当に用事を思い出したんですよ。まあ、本当はすぐ行く必要も無かったんですが〕
「ふうん?」
〔……詳しい事は今はまだ話せませんが、そっちはどうです?〕
「……どうも妨害と監視目的って気もする」
〔じゃあ、この通話も盗聴されているかも知れませんね〕
「……そう思うか?」
〔……それくらいやりかねませんよ〕
 くすり、と中原は笑った。
〔そう、一つ。……貴明様ですけど〕
「え?」
〔……今日、肝臓の一部を摘出する手術を行ったそうですよ〕
 瞬間、頭の中が真っ白になった。
「なっ……んだって……!?」
 スパークした。真っ白になって、目の前の景色が消失する。
「そんなバカなっ……!! だってあいつっ……そんなっ……っ!!」
〔……癌、らしいですよ。『転移』していなければ、回復するだろうって事らしいですが〕
「……そんなっ……だって一言も……っ!!」
〔……言わないでしょうね。あの方の性格では〕
 冷たい汗が、滴り落ちた。
「……ガセじゃないのか……?」
〔……そんな情報をあなたに言う訳が無いでしょう? ソースは明かせませんが〕
「……待てよ……お前……」
 くらり、と眩暈がした。ベッドに倒れ込む。ぐたり、と寝そべって。
「……『盗聴』されてるかもって……それでそんな……っ」
 中原は笑った。
〔……だから、今は麻酔が効いて良く眠ってます〕
「……え……?」
〔手術直後に麻酔無しで『仕事』してると思ってたんですか? それ程あの方は化け物じゃありませんよ。死んだように良く寝てらっしゃいます〕
「……それって……」
 ごくり、と生唾を呑み込んだ。
〔あと、数日はそんなものでしょうね。……本当におとなしく寝てらっしゃいますよ〕
「……中原……?」
 不意に、中原の傍に、もう一人誰かがいる事に気付いた。
「……お前……何処にいるんだ……?」
〔……もう出ますよ。用はありませんし〕
 目の前がカッとした。
「お前!! 何考えてるんだ!! 一体!!」
 思わず飛び起きた。何考えてるんだよ!! 中原!! 本当に!!
〔……聞いたら、この目で確かめたくなったんですよ。……あなたも実際見たいと思うでしょう? 何なら実況中継して差し上げても良いですが〕
「そんなの必要ない!! さっさと出ろ!! 人に見つかったらどうする気だ!! バカな事してんじゃねぇよ!!」
 滅茶苦茶腹が立った。
〔……了解。判りました。……そんなに怒る事無いでしょう?〕
「お前のやる事、本当判らねぇよ!! 理解出来ない!! お前っ……そんなんでよくっ……!!」
 身体が、震えた。
「『社長』が恐いとか何とか言っておきながら、その態度は何だ!? お前自ら近付いて……お前の言動支離滅裂だよ!! 一体何考えてるんだよ!!バカ!!」
〔……死体のように眠ってる人なんか恐くありませんよ〕
 何だか、許せなかった。
「俺はそんな事望まない!!……俺が……望むとでも思ったか?」
〔……郁也様?〕
「……お前……一体何考えてるんだ……?」
〔……何を怒ってらっしゃるんですか?〕
「早くそこから出ろ。誰にも見つからないうちに。お前……バカ以外の何者でも無いだろう……」
〔……判りました。また後で連絡します〕
「必要ない」
 俺は言った。
「『下準備』はどこまで終了してる?」
〔六割方は〕
「残り最低日数は?」
〔二日、でしょう〕
「一日で終わらせろ。明後日の十一時五十分に駅前のコンコース。良いな?」
〔……了解〕
「……決行は十二時丁度に。『時限爆弾』もその時刻だ」
〔了解。では〕
「暫く何か特別あるまで、連絡はしなくて良い」
〔判りました〕
 通話は切れた。携帯を枕元へぽんと放り出した。髪を掻き上げる。シャワールームへと向かった。
 腹の中で、渦巻いてるモノ。とぐろを巻いてのたうってるモノ。熱い淀み。ぐるぐると内蔵を掻き混ぜ、ぐちゃぐちゃに浸食しながら、這い上がってくるモノ。
 水音がタイルを叩く。肌の上を心地よい湯が降り注ぎ、滑り落ち、流れていく。……俺の心の底に澱むモノ。俺の心を掴んで引きずり込もうとする深淵。沈み込もうとするそれを振り払うように、俺は両目を閉ざして雨音に似たシャワーの音に耳を傾けた。
 ひどく、厭だと思った。物凄く、厭だと思った。あいつの目に──中原の両目に──『あの男』が──『久本貴明』が、映る瞬間が。
 今の今まで、そんな風に感じた事は無かった。あいつが何処で何をしていようと構わない。俺は俺の目の前にいる時のあいつが──死のうとしてるんじゃなきゃ──全然構わないと思っていた。そこまで俺はあいつを縛る権利なんて無い。俺の『迷惑』になる事をしてなければ、それで構わないと思っていた。……なのに……。
 何故、『無防備』な『久本貴明』と中原とのツーショットがひどく厭な気分になるのか──耐え難い程『厭だ』と思うのか──。
 シャワーに打たれながら、目を開けた。左拳を、ひどく強く握り締めていた。ゆっくりと開くと、白くなっていた。じぃん、と痺れが走った。
 俺は笑った。ひどく、笑いたくなって、けたけたと笑った。シャワー流しっぱなしのまま、地べたにへたり込んで、けたけたとけたたましく笑った。……声が、ひどく虚ろに響く。
 無性に虚しくなって、シャワーのコックをゆっくりと捻って湯を止めた。ぐっしょりと濡れた髪に、そのままタオルを巻く。ぽたぽたと滴り落ちる水滴。肩先に、胸に落ちて、ゆっくりと流れ落ちていく。俺はそのままの体勢で自分の肉体の中心をそっと握り締めた。ゆっくりと円を描くように、扱き始める。
「……バカ野郎……中原……」
 中原の腕を、指を。唇を思い出しながら、手を動かしてる自分に気付いて、吐き捨てた。
「……あいつ無しじゃ……マスターベーションすら出来ねぇのかよ……俺……畜生……」
 もう、前には戻れない。何も無かった事には出来ない。俺をぼんやりと襲う『不安』。
「……中原……お前……本当は……」
 言葉にならない『不安』。俺をやんわりと包み、覆おうとするモノ。俺は懸命に抗って、否定して。
「……っ……ぅっ……!!」
 弧を描いて、放たれる白い飛沫。ぼんやりとその軌跡を見つめながら。
「……俺は……今更迷ってるのか……?」
 自嘲の笑みを浮かべて。
 誰にも認められなくて良い。誰の事も何の事も関係ない。俺は俺の信じる道だけを突き進む。俺は俺が望む事だけをする。それだけが重要で、あとは二の次だ。『他』の事なんて知った事じゃない。
 脳裏に、『社長』と中原の姿が浮かび上がった。
「……中原の『過去』なんて……『社長』の『過去』なんてどうだって良い……そんなもの……っ!!」
 くそくらえだ。知った事じゃない。知ったってどうにもならない。そんなものは唯の無駄だ。知る必要なんて無い。……だけど……。
 苛々とするモノ。ぐつぐつと腹から煮立って煮上がって昇ってくるモノ。俺の内臓を満たし、喉から溢れそうなモノ。
 激しい嫌悪、拒否感。俺を『好き』だと言う中原。だけどあいつの心の奥底まで支配してる『久本貴明』という存在。俺には理解できないモノ。苛々する。あいつは『久本貴明』から逃れたいと言いながら、逆に近付いたりする。……何故?
 『恐い』と言いながら、『談笑』したりする。こっそり『病気』について調べてみたり。……俺はあいつの言うこと、何を何処まで信じたら良い? 言う事なんて二転三転する。何をどれだけ信用したら良いか判らない。言動は支離滅裂で、噛み合わない。
「……判らねぇよ……」
 俺は呻いた。……絶対、俺には理解できない。お前の事なんて何一つ判りゃしねぇよ!! 中原!! ……俺を……どれだけ掻き乱せば、お前の気は済む? 俺のしてる事は……お前のしようとしてる事は……一体どれだけ……!!
 白濁した床を、思い切り叩き付けた。飛沫が飛んで染みを作った。
「判らない……っ……判りたくねぇよ……っ!!」
 ……判らない俺が悪いのか? 理解しようとしない俺が悪いって言うのか!? だってお前は……中原、お前は……結局俺に『本音』なんか見せちゃいないだろう!!
「……振り回されてるのは俺の方だ……」
 立ち上がって、洗面台で手と顔を洗った。鏡の中の自分を見る。疲れた顔。無理に、笑顔を作ってみた。……不自然過ぎ。俺は嗤った。くっくっと嗤った。俺自身を。
 俯いて、くっくっとひとしきり嗤い、そうした後で、睨め付けるように正面を見た。……よし。
「取り敢えず『正気』の顔だ」
 ……誰にどう見えようとも。バス・ルームを後にした。ベッドに這い上がり、潜り込む。
 ……動揺なんてしている場合じゃない。自分を、鼓舞しながら。不意に、糸が切れたように眠りに落ちた。

To be continued...
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