NOVEL

週末は命懸け6「報復」 -3-

 マレーシア人が経営してる、雑居ビル地下のこぢんまりとした店。レストランと言うよりは料理屋に近い。客は多くもなく少なくも無い。カウンターもある、『社長』が俺を連れて入った店ではかなり『普通』のとこ。いつも俺は正装して入るような店しか入った事無かったから、ちょっと意外で不思議な気がした。『社長』はにこりと笑ってこちらを見た。
「なかなか良い店だよ。値段も良心的だから、学生同士でも来られるしね」
 店内はほどほどに清潔で明るい感じ。明かりは蛍光灯ではなくカラフルなかさを被った白熱灯。店内の色調は厭味じゃない程度の亜熱帯風。壁に掛かってるモチーフもそれ風だ。椅子とテーブルは木目。斜めに掛かったテーブルクロスは手織風のすこしごつごつした生地。BGMはマレーシア音楽。
「……これ、もしかして『久本不動産』の管轄ですか?」
「……そうだよ。どうして判った?」
 『社長』はにっこり笑った。
「……何となく」
 答えると苦笑された。
「何となく、ね」
 何か言いたげだ。俺はさりげなく視線逸らして水を含んだ。と、『暁穂』の視線にぶつかった。なんか痛い『視線』。俺と……中原に向けられてる。何で? ……不意に、『暁穂』は口元を弛めた。
「同じ家に居るのに、正面向かってお食事するのは何だか初めてのような気がするわ。ねぇ、郁也君?」
 何処か毒を含んだ声。
「……そうでしたか?」
 『暁穂』は笑った。
「……私の質問に初めて今、返事してくれたわね」
 相手の意図が上手く読めない。
「そうですか? そういうつもりは、ありませんでしたが」
 慎重に答える。にこにこと『社長』は笑ってる。中原は目を伏せて無表情だ。
「そうよ。……いつも、私が何を言っても返事一つしてくれなかったわ」
 何処か……絡み付くような声。何を考えてる? 俺は思わず相手を見つめた。
「……いきなり出来た『継母』だから嫌われてるのかしらと思ったわ」
「……そう思われたなら、失礼しました」
 何なんだ? 何か……厭な視線。声。
「これからは気を付けます」
 一瞬、『視線』から毒が抜けた。くすくすと、忍び笑いが聞こえた。『社長』だ。
「……だから言ったろう? 郁也はそういう子だって」
「……酷いわ。笑うなんて」
 暁穂は媚びるみたいな声で。『社長』はにっこり笑う。
「……食事の席でならちゃんと返事してくれる筈だって何度も言ったろう? なのに、そうしなかったのは君の方じゃないか」
「……だって……」
 何なんだ? 一体。憮然とする。『社長』は苦笑して、意味ありげに俺を見た。
「僕だって『苦労』してるのに」
 は!? 何言ってるんだ!?
「……なのに、龍也君は後からしゃしゃり出てきて『狡い』よね?」
「……そこで俺に『振る』んですか?」
 中原は無表情で静かに答えた。先程の狼狽えようが嘘みたいに平静だ。俺が騙されてただけじゃないかと思いたくなる。
「だってこの中で郁也ときちんと『会話』成立させられるの、君だけでしょう?」
 中原は無言で答えない。くすくすと『社長』は笑った。
「『狡い』よね?」
 中原は答えない。
「……本人の前で噂話ですか?」
 堪らなくなって言うと、嬉しそうに笑われた。
「だって『自発的』に話し掛けてくれないし、こちらから話し掛けた言葉の殆どは返事がまともに返ってこないし。……寂しい限りじゃないか」
 嘘寒い台詞。
「それは申し訳ありません」
「……『他人行儀』だしね」
 何だ、これは。俺の吊し上げ大会? 眉間に皺を寄せる。『社長』は苦笑した。
「……まあ、話があって今日は来たんだ。けど、食事を先にしようか。飲み物は何が良い?」
「……お任せします」
「……そう。暁穂は?」
「何が良いのかしら?」
「……残念ながらここの飲み物は、普通の居酒屋にあるような物しかないんだよね……出来ればもっと面白い物入れてくれれば良いんだけど、そこまではこっちの管轄じゃないし……」
「……だったら烏龍茶で良いわ。だってこのメニュー見たらそういう感じでしょう?」
「……不満?」
「……たまには良いんじゃないかと思うわ」
「それは良かった。君に不評だったらどうしようかと思ったよ。僕の女王様に厭な気分をさせるのは、本意ではないからね」
「……あなたったら」
 ……何なんだよ。思わず憮然とした。
「……龍也君は?」
「……お任せしますよ」
「そう。じゃ、全員烏龍茶で良いかな?」
 黙って頷いた。それから暫くして飲み物と食事が運ばれてくる。
「まあ、烏龍茶だけど取り敢えず乾杯」
 訳判らないままにグラスを触れ合わせる。キン、という音が重なった。出て来た料理はチキンの煮込み? スパイスでしっかり味付けされて、サフランが乗ってる。何か本場のカレーに似てる……と思ったら食べてみたらそのものだった。そう言えばナシゴレンとかもこれ系だよな。とか思っていたら不意に、
「そう言えば体の具合はどうだい? 郁也」
 『社長』の声。
「……取り敢えずは何とか」
「病院へ戻った方が良くないかな?」
「……その方が良いですか?」
「その判断は君に任せるよ。自分の身体の事くらい、自分で判断できるだろう? もっとも、通院はするべきだが」
「明日にでも、病院へ行ってみます」
「……そうかい」
 にっこりと『社長』は笑った。
「……大怪我してるのに、大変ね。治療をちゃんとしておかないと、将来困る事になるわよ?」
 と暁穂が言った。その瞬間、何故だか中原の表情が強張った。一瞬だったけど。
「……お気遣い有り難うございます」
 『社長』は呆れたような溜息を洩らした。
「……本当、他人行儀なんだから。だから、君は色々と誤解の種を生むんだよ」
「……誤解の種?」
「……君が好きでやっている事なら、僕がわざわざ口を出す事でも無いけれどね」
「…………」
「無駄ですよ、貴明様。郁也様はご自覚無いんですから」
 中原が口を挟む。穏やかな口調なのに、何故かぴりりとしたものを感じた。
「……それは困ったものだね」
 『社長』は穏やかに言った。中原の周りの空気が、一瞬尖った。
「……ええ、困ったものです」
「でも君は人の事、言えないよね?」
「……そうですか?」
 『社長』はくすりと笑った。
「まあ? ……僕の迷惑にならない限りは黙認してあげるよ。全部。……許容範囲ならばね」
 牽制。瞬間、空気がぴしりと音を鳴らした。
「……貴明さんたら、随分優しいのね」
 暁穂はそう言った。
「……優しすぎるくらいだわ」
 すると、『社長』は穏やかに笑った。
「……知らなかったかい? 僕はそういう人間だよ。僕の許せる範囲でなら、何をしても構わない。それが誰であろうと、ね。世の中はね、生きて存在するのが僕一人じゃないからこそ、面白いんだよ。君だってそうだろう? 一人でいたって何の楽しみもない。自分以外の人間が、自分の思惑とは関係無しに生きて存在するからこそ、生きる意味がある。……全てが自分の望み通り行くものなら、生きてたって何の意味もない。自分の望みが全て寸分違わずに存在する世界に生きたいなら、一生眠ったまま目覚めなければ良い。その方が間違いないからね」
「……貴明さん……」
「ね? ……皆、生きていて楽しいだろう?」
 どきん、とした。
「つまらない生き方したくないよね? ……限りある人生だから、大いに楽しもう。料理は温かいうちに、ね」
 この男……何を何処まで知ってるんだ?
「こうやって皆で会食できるのは最後かも知れないから」
 思わず目を見開いて凝視した。一瞬、場が静まり返った。俺だけじゃない。中原も、暁穂も呆然としたように、驚愕して久本貴明に見入っている。『社長』は満足そうににっこり笑った。
「……僕は暫く、入院する。そんなに長くは掛からないけれどね」
「何ですって!?」
 ヒステリックな悲鳴を、暁穂が上げた。『社長』は苦笑した。
「ちょっとした『検査入院』だよ。大袈裟な声上げないで。……まあ、ひょっとしたら手術する羽目になるかも知れないけど。入院は出来るだけ避けたかったんだけど、院長と土橋君が厳しくてね。結局スケジュール調整してそうなった。心配ない」
「心配ないって……何処か悪いんですか?」
 俺は出来るだけ冷静な声で尋ねた。
「医者は大袈裟なんだよ。土橋君もね。……肝臓に何か不調があるらしいよ。禁酒命令が出てね。参ったよ。……付き合いも色々あるのにね」
 ふふっと『社長』は笑った。
「まあ、心配要らないよ。僕はこう見えてタフだから」
 それは知ってる。いつ眠ってるか判らないくらい遅くまで仕事してる癖に、朝早くに起きてやっぱり仕事してたりするし。実は分身がいるんじゃないかってくらい大量の仕事して、しらっとした顔してるし。殺しても死にそうにない男。……だからこそ、この世で一番倒したいと思う男だ。
「大丈夫なの? あなた」
「大丈夫だよ、暁穂。君を置いて先に死ぬ程、僕は無粋な男じゃないから。安心して良い」
 うわ、寒い台詞……。でもそんなので暁穂はうっとりしてたりするし。俺は烏龍茶のグラスをからん、と鳴らした。
 中原が、そんな二人を見ている。何処か、厳しい目で。
「……?」
 見上げると、中原は俺の視線に気付いて振り向き、苦笑を浮かべた。
「……失礼します」
 そう言って、立ち上がる。
「何だい? どうかしたのかい? 龍也君」
 『社長』の言葉に、中原は完璧な微笑を返す。
「用事を思い出しました。途中ですが、失礼させて頂きます」
「まだろくに食べてないんじゃない? 食べないと身体に悪いよ?」
「お気遣い有り難うございます。でも、結構です。申し訳ありませんが、失礼させて頂きます」
「……そうかい。それは仕方ないね。大切な用事?」
「ええ、まあ」
「……中原?」
 中原は苦笑を浮かべた。
「それでは、失礼致します」
 一礼すると、立ち去った。
「……一体何の用かしらね」
 暁穂がそう呟いた。俺と『社長』を見比べながら、……それを知りたいのはこっちの方だ。俺は溜息をついた。それを面白そうな顔で『社長』が見ている。
「……逃げられたかな?」
 『社長』はくすり、と笑みを洩らした。
「……は?」
 俺はきょとん、とした。『社長』はくすくすと笑う。
「……つくづくつれないよね? まあ、仕方無いけど」
「…………」
「……貴明さん……」
 『社長』は笑いを収めた。
「ところで、郁也。僕がいない間、『代理』やってみるかい?」
「……っ!!」
 俺は思わず目を見開いた。
「大丈夫。……いきなりそんな無茶はさせないよ。実質上の執務は僕が病室で執り行う。君にやって貰うとしたら、まあ視察とか接待──って言っても君は未成年だから、まあそれなりの内容にはなるけど──そういった事だよ。後の勉強にもなるだろう? どうだい?」
「……そんな……いきなり無理です。全く経験が無い若造が突然そんな事をすれば、問題になるかも知れません」
「……君は問題になるような事をするのかい?」
 きらり、と『社長』の瞳が光った。思わずぎくりとした。
「……いえ、しかし……こんな若輩者が突然『社長代理』なんて……恐らく社員が納得しないでしょう。重役連も」
「……そうかな? 君は自分が『失敗』すると思うのかい?」
 はめられてる、と思った。何かこの男の計略にはめられてる、と。ここで更に断れば『俺はこれから何か重大な事しますから、疑って下さい』と言っているようなものだ。舌打ちしたくなる気分を抑えて、真顔で正面から相手を見上げた。
「……俺に、出来ると思いますか?」
「出来るよ」
 事も無げに『社長』は言った。
「僕の息子だからね」
 ……そんなのは理由にならない。
「俺一人でフォローは難しいですよ」
「大丈夫。藤堂[とうどう]副社長と土橋君には言ってあるから。それに言っただろう? 決済なんかの実務処理は僕がやるって。君がやるのは外回りと接待関係だけだから。報告書を提出してくれれば良い。土橋君と藤堂副社長が一緒に回れば、君を『代理』だからって軽んじる人間もそういないだろう? 判らない事があれば彼らに聞けば良いから」
  ……監視役、か。それとも妨害? ……まあ、決行日までは俺はいてもいなくても支障無い訳だけど……問題は中原、だ。俺が出歩くのに中原がついて行かない、となると怪しまれる。
「スケジュールは土橋君に聞くと良い。明日は十時出勤で頼むよ」
 この場に中原がいないのを、つくづく恨めしく思った。俺は頷くしか無かった。
「はい、判りました」
 それ以外のどんな返答をすりゃ良いってんだ!! くそったれ!! 冗談じゃねぇよ!!
 俺の返答に『社長』はにっこり満足そうに笑った。

〔……何ですって?!〕
 受話器の向こうで、中原が怒鳴った。
「うるせぇよ!! そんなデカイ声出さなくたって聞こえるんだよ!!」
〔どうしてそんなのにOK出すんです!! 魂胆なんか見え見えでしょうが!!〕
「バカ野郎!! あの狸に他にどう返答すりゃ良かったってんだよ!! それに一体お前、今何処にいるんだよ!! ったく!!」
〔……悪かったですね。あなたのご要望の為に、奔走してるんですよ〕
 うわ、すげぇ厭味口調。
「……そりゃ……悪かった。……けどさ、他にどう言えば良かったって言うんだよ? あの百戦錬磨の狸親父に。下手な事言えばすぐバレるだろう? どう処理すりゃ良かったってんだよ?」
〔……ああ、はい、あなたを一人にした俺が悪ぅございました。失礼いたしましたね〕
「悪かったって! 拗ねるなよ」
〔拗ねてなんかいません〕
「だったらそんなひねくれ口調で受け答えするなよ!!」
 頭痛い……。
〔しかし厄介な事になりましたね?〕
「……お前さ、土橋と仲良いんだろ?」
〔…………誰に聞きました?それ〕
「え? 違うのか? ええと……誰だったかな? ……ああ、ほらあいつ、ボディーガードの。野木[のぎ]。そいつがお前が出て行った事、教えてくれて……その時お前が土橋と親しいみたいだって……ちらりと」
〔……ああ、そっちからですか〕
 何か、含んだ笑い声で。
「……中原?」
〔……確かに悪くは無いですよ〕
 厭な、感じがした。
「……お前……もしかして……?」
〔きっと彼は俺が『お願い』すれば少しは融通利かせてくれるかも知れませんね〕
 何か言いたげな口調で。
「……おい?」
〔……ただ、それは『仕事』以外のプライベートに関してなら、ですけど〕
「中原?」
 くっくっと、笑い声が聞こえてきた。俺は背中に冷や汗が滴り落ちるのを感じていた。
「中原……お前……もしかして…………土橋の事……『嫌い』なのか……?」
〔……まさか〕
 笑みを含んだ声で。
〔……彼はとても『人が好い』んですよ? そんな事ある訳無いじゃないですか〕
 って言うか!! その声がお前、言葉を裏切ってるんだよ!! 嘘つき!!
「悪かった! 今言ったの忘れてくれ!!」
〔どうして? ……彼は『利用』出来ますよ? あなたがそう言ったんだ。確かにそれは正しいと思いますよ? ……俺も、実際見た目の割に食えない奴だとは思いますが、結構『使える』と思ってますし?〕
 ああ!! 言うんじゃ無かった!! 俺のバカ!!
「もういい!! 良いから!! 中原!!忘れろ!!」
〔いえ、大丈夫ですよ。……あなたのおかげで思いついた手段がありますから。何とかなります。平気ですよ、郁也様〕
「……ってそれ、人道的な手段なんだろうな?」
〔……『人道的』? 今更そんな事考えるんですか? あなただって随分凶悪な事考える癖に?〕
「だってお前、そう言わないとろくでもない事しかしないだろう!!」
〔くくく……俺が、ですか?〕
「お前、これまでの所業省みれば十分過ぎるだろう!!」
〔……大丈夫ですよ。問題ありません。ご心配なさる事はありませんよ。……使えるなんて思っていませんでしたが、以前ちょっとしたミスで振ってしまったカードが使えそうです。大丈夫。『非人道的な』所業なんかじゃありませんから。……俺はこのまま戻らないかも知れませんけど、心配要りません。あなたからの電話だけはちゃんと取りますから〕
「……中原……?」
〔大丈夫。安心して待ってて下さい〕
 そう言って、通話は切れた。
 ……お前の『大丈夫』ほど、安心出来ない台詞無いんだよ。溜息ついたけど、何もかも手遅れって気がした。

To be continued...
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