NOVEL

週末は命懸け6「報復」 -2-

 自室シャワーで汗を流して、中原の部屋をノックすると、先程の服装のまま、ベッド脇に腰掛けていた。俺は隣に腰掛ける。
「……慰めて欲しい?」
「……意地悪ですね」
 中原は至近距離で俺を見る。息が触れ合うほど、近くで。俺は笑った。
「……今、何か嬉しげでしたよ。鬼の首を取ったかのように」
「そりゃ考えすぎだろ?」
 俺はにやりと笑った。
「その顔の何処が意地悪じゃないって言うんですか?」
「これは自顔だ。気にするな」
「嘘です。……あなた、俺の弱味握ったつもりでしょう?」
「『弱味』? 『弱味』なのか? それ。初耳だな」
 にいっと笑うと、中原は滅茶苦茶厭そうな顔をした。
「……どうした?」
「……今、激しく後悔してるんです」
「……何で?」
「……意地悪」
「判らない事言うなよ」
「……そこでそんな魅力的な笑顔するなんて、『卑怯』です。……良く判りましたよ。あなた方が同じ『人種』だって」
「……『誰』と『誰』が?」
「……言ったら怒るクセに」
「だったら言うな。何度言わせる?」
 中原は深い溜息ついた。
「……俺は俺の駄目さ加減良く判ってるけど……どうしてこう、面倒な相手ばかり好きになるんだか……呆れ果てるな、我が事ながら」
「……喧嘩売ってる? お前?」
「……まさか。こんなにあなたに溺れきってるのに。喧嘩売ったところで俺が負けるのは決まり切ってる。負けず嫌いだから、負ける喧嘩なんてわざわざしませんよ。マゾじゃありませんから」
「そうか? 時折、わざわざ自分傷付けたくて言動してる気がするが? 俺は」
「…………っ!!」
 中原は真っ赤な顔で俺を見た。……うわ、こんな動揺しきった顔、俺初めて見たかも。思わず苦笑する。ぽん、と肩を叩く。
「そろそろ用意しようぜ?」
「……別にっ!! ……俺は『マゾ』なんかじゃ『絶対』ありませんからっ!!」
 力一杯言い切られて、俺は目を丸くした。真っ赤な顔で、泣きそうなくらい真顔で大声で主張する中原……。ぷっと吹き出した。
「……言ってみただけだよ」
 何か言いたげな顔で見られる。
「悪ぃ。気にすんなよ。……軽い気持ちで言っただけなんだ。すまなかった」
 そう言って、両手で中原の頬挟んでそっとキスした。中原は真っ赤な顔で、俺から視線外す。
「……そんな優しい声で言わないで下さい」
 何故か、泣きそうな声で。中原は俺から視線逸らしたままで、両目を閉ざした。
「……勘違い、されたいんですか?」
「……『勘違い』?」
 聞き返すと、カッとしたように俺を睨んだ。
「あなたは!! 俺の言ってる事どれだけ真面目に聞いてるんですかっ!!」
「ええっ!?」
 何だよ? 何でそんな怒るんだ? 俺、何かしたか? おろおろする俺を見て、中原はがっくりと肩を落とした。乾いた笑いを漏らす。
「……どうせ、あなたにはその『程度』なんでしょうよ。真剣に考慮する『値』もないんでしょう。判ってますよ。判ってるけど、もう少し何とかなるでしょうが……」
「……中原……?」
「あんまり俺に無防備な姿晒さない方が良いですよ。俺は不埒な『猟犬』なんでね。噛み付く相手は間違えるわ、『ご主人様』に『懸想』はするわ、『貞操』奪うわ、挙げ句の果てに『危害』加えるかもしれませんからね」
 にやりと中原は笑った。
「……なっ……」
「『身体』だけ欲しいなら、あなたなんかよりよっぽど魅力的な『人間』は腐るほどいるんです。掃いて捨てる程ね。……幸い俺は外面良いんで不自由はしてませんし」
 どの面下げて『外面良い』!?
「……でも俺は生憎『趣味悪い』んで」
「……は!?」
 意味が判らないぞ!? 全然!!
「……あなたじゃなきゃイヤだって、俺のココが言うんです」
「……ちょっと待て!! 何でお前っ!! ベルト外してんだ!? こら!! 何考えてんだよ!! おい!!」
「判りやすいようにコミュニケートして差し上げてるんじゃありませんか」
「何が判り易くだ!! 全然意味不明だぞ!!」
 馬鹿力で押し倒されて、シャツのボタン一気に外されて、ジッパー下ろされて……あっという間に身ぐるみ剥がされる。涙目で睨み付ける俺に、中原はにっこり魅力的な顔で微笑み掛ける。
「……判ってないでしょう?」
「は!?」
「この期に及んでまだ、判ってないでしょう」
 笑ってるのに、妙に寒い空気で。
「……俺が短気だって知ってます?」
「……知ってるけど……だけど何だって……」
「……あなた俺の言ってる事、どれだけ理解してます?」
 ……何か……寒いぞ? 滅茶苦茶寒い。凍るような空気……。ひどく穏やかな笑みだけど……。
「俺のか弱い忍耐力がぶち切れる前に、どうか理解して下さいね? 頼むから」
「……中原……?」
「……俺があなたの事、好きなの判ってますか?」
「……何言ってんだよ……。お前がそう……言ったんだろ? だから何だよ? ……それとも何か? まだ裏があるのか? 判らない言い方するなよ。俺はそんな……百戦錬磨じゃねぇんだから、過度の『期待』されたって……」
「……本当、判ってないですよね?」
 一瞬、シベリア・ツンドラ地方の空気を感じた。中原はにっこりと、ひどく『寒い』笑顔で。
「……時折、冗談でなく殺したくなるほど『愛しい』人ですね」
「……っ!?」
「あなた本気で『恋愛』した事無いでしょう? 『自覚』無いようならご忠告致しますが、今あなた凄く危険な立場ですよ? これ以上俺を刺激したら、かなりヤバいコトになりますよ? 気を付けて下さいね? 明日の三面記事になんか載りたくないでしょう? 俺もあまり載りたくないんで、言動には注意して下さいね? あなた物凄く『無神経』過ぎるんですよ。一言忠告しましょうか? あなたにはそうでは無いかもしれませんが、俺にとって『好き』という言葉は非常に『特別』な言葉なんです。かなり『狭い』意味しかないので、それを良く肝に銘じて下さい。……俺にとっては命よりも……例えそれがあなたの命だったとしても、それ以上に大切な『意味』なんです。だから『軽い』意味には絶対に取らないで下さいね?」
 ……物凄い剣幕。ここで、『意味』を問い返したら……殺されるんだろうな。手加減無しで。
「……す……すまなかった……」
 問答無用で謝らざるを得ない空気で。
「……本気で思ってます?」
「……だってお前……本気で怒ってるだろうが」
「だったら何です?」
「……謝らなかったら、もっと怒るクセに!!」
「ははは、現在以上に?」
 にっこりと中原は笑う。俺はごくりと息を呑む。
「……『当たり』ですね」
 にやりと笑う。俺は指一本動かせない。
「……判ってないクセに、時折妙に鋭くて厭ですね、あなた。わざと惚けてるんじゃありません?」
「どうしてそんな事するかよ!!」
「だから厭だって言ってるんでしょう? そこまで俺の事判っておきながら、俺がどれだけ繰り返し言っても理解しない。あなたに理解する気が無いとしか思えないでしょう? ……それとも理解したくない?」
「んな訳無いだろう!! 理解したいと思ってるよ!! 俺は!!」
「……どうだかね」
 中原は冷笑した。俺はもう泣きたい。
「俺を虐めて楽しいか!?」
「……あなたを虐めてる? 逆でしょう?」
「俺がいつお前を虐めた!!」
 中原はひどく嗜虐的な笑みを浮かべた。俺は思わずぎくりとした。逃れようとして身体を捻ろうとしたが、不意に物凄い力で押さえ付けられた。
「……痛っ……!!」
「……だから……判ってないって言うんですよ」
 冷たい目で。噛み付くようなキスで、俺の唇塞いで。氷のような視線で俺を射抜いて。
「……おかげで問答無用で殺したくなる……」
「……なかは……ら……」
「……『死人』なら『無口』ですからね」
 それは……何だよ!! それじゃまるで……っ!!
「そんなに『死人』が良けりゃダッチワイフでも抱いてろよ!! 変態!!」
 ムカついた。そんな事言われて笑って許してやれるほど、俺は度量広くない。
「……酷い事言いますね」
 無感動な声。何の感情も含まない顔。
「酷い事言ってるのはお前の方だ!! 俺を何だと思ってる!? 俺は……お前の玩具じゃないんだぞ!? 『玩具』が欲しいなら見当違いも良いとこだ!! 図々しいにも程がある!! 俺の『好意』を何だと思ってんだよ!!」
「……『好意』ね」
 冷めた声で。
「……郁也様、あなたやっぱり酷い人ですよ」
「……何だと!?」
「……卑怯で狡い。その上冷酷ときてる。俺の事なんて『人間』とすら思ってないでしょう? 拾った犬猫ほどにも想ってない。なのに俺を縛って繋ごうとする。『イイ子』の顔してなきゃどうせ許してくれないんでしょう? あなたの都合通りじゃなきゃ受け入れてくれない。そうでしょう?」
「そりゃお前の方だろうが!!」
 我慢出来なかった。
「お前の方こそ、俺がお前の都合通りに行かないから癇癪起こしてるんじゃないのか!?」
 中原の両目が大きく見開かれた。
「お前にお前の都合があるように、俺には俺の都合がある!! どちらかだけを優先させる事なんか出来ない!! そんな事すら判らないのか!?」
 どうして俺がこんな事言ってやらなきゃならないんだ!! こんな図体デカイ男に!!
「おとなしく聞いてりゃ、自分の都合ばっかり!! しまいにゃぶち切れるぞ!! ガキじゃねぇんだから、ちったあ我慢とか忍耐しろよ!! そんな事抜かして『大人』面すんじゃねーよ!! それと物事後ろ向きにばっか考えんじゃねーよ!! 考えすぎなんだよ、お前!! 裏ばっか考えてるから、被害妄想的な発想になって自滅的思考回路になってるんだろうが!! ちったあ俺の事信用しろよ!! 俺がそこまで性格悪いと思ってんのか!? 俺に失礼とか思わないのか!? 俺は一度した約束途中で反故にしたりするほど、無責任じゃないんだよ!! もし結果的にそうなったとしても、不可抗力の結果なんだよ!! 十年付き合ってそれくらいも判んないのかよ!! バカにすんのも良い加減にしろ!!」
 滅茶苦茶頭キて捲し立てた。
「……お前、俺の事信用できないか?」
 睨み上げると、中原は苦笑した。
「……信用するなって言ったクセに」
「揚げ足取るなよ!! お前は!!」
 カッとして怒鳴った俺に、中原は笑った。さっきまでの凶悪さ嘘みたいに。
「本当、変な人ですよね?」
 あのな、中原。……本当こいつは。
「俺の全てを信用しろなんて俺は言えない。ただ、俺は昔も今も、お前に嘘言ってるつもりは無いから、それだけは信用してくれ。いいな?」
「……口説き文句みたいですね、それ」
「……ふざけてんのか? お前」
「……いえ、本気で言ってるんです」
 拳振り上げると、中原は苦笑しながら掴む。
「……駄目だな、余計な『期待』するでしょう?」
「……お前、な」
「……本当厭な人だ……口説いてるつもり無く口説き文句言えるんだから……」
「……気色悪い事言うな」
「これ以上あなたを好きになったら俺、本気で駄目になりますよ。使い物にならなくなる。そうなったら責任取ってくれるんですか?」
「……そんな事言われたって……俺のせいか?」
「……そういう冷たい事言います?」
「つーか、お前さっきから『二重人格』だぞ? 言ってる事支離滅裂で、訳判んねーし! しかもころころ人格豹変するし、本当質悪いったら」
「……タチの悪さでは郁也様の方が勝ってますよ。俺なんかまだまだ序の口です」
「お前!! 俺に本気で喧嘩売ってる!?」
「……冗談でしょう? 真実を申し上げたまでです」
「……おっ……前……っ!!」
 ぶち切れた。襟首掴んで睨み付けて、頭突きした。……ぐわん、と頭の中がシェイクされて、ズキズキ痛む。涙を堪えながら、中原を見ると、床に転がっていた。バカ野郎。俺が反撃しないとでも思ってたのかよ? ざけんじゃねぇぞ。俺だってそうそう我慢しないんだからな! 幾らお前が巨体で馬鹿力でも、こうやって隙と意表さえ突けば……ってコラ、いつまで寝てんだよ。まさかあれくらいで伸びたりしないだろ? だってお前頑丈で……右腕の骨折だってあっという間に直してけろりとしてて……おい?
 恐る恐る、覗き込んだ俺が見た物……それは。
「……中原っ!! お前なっっ!!」
 中原は肩を小刻みに揺らしていた。
「あははっ……ははっ……郁也様っ……あなたって本当、最高です!! こんな簡単な事で騙されてくれるなんてっ……なんて可愛い人なんだ……っ!!」
 涙まで流して大爆笑。……畜生。なんて性格最悪な奴。
「……そんな可愛い顔して拗ねないで下さいよ」
 笑い噛み殺して、そんな事言うけど!! 俺にはご機嫌取りどころか、バカにされてるようにしか思えないぞ!! 中原!!
「……お前、最低!! お前なんか構ってやらない!! 嫌いだ! 大っ嫌いだ!! 俺の事バカにしやがって!!」
「……そういう事言わないで下さいよ、愛情なんですから。愛情。……郁也様に構われたくて、ほらつい。判りませんか? ねっ?」
「お前、俺に話し掛けんなっ!! 病気が移る!! お前みたいな二重人格、もう二度と信用しない!! 俺の身体、触るんじゃねーよっ!! この変態!!」
 抱きすくめようとする中原の腕、はね除け逃れて、さっき脱がされた服手に取って距離を取った。
「……酷い言い種ですね」
 憮然とした顔で中原はぼやいた。
「信用なんか出来るか!! お前、本当大嘘つき野郎だよ!! お前にとっちゃ俺なんか赤子の手を捻るより簡単だろうよ!!」
「……不安だったのは……嘘じゃありませんよ。情けない話ですけど。……『恐怖』って奴だけは……それだけで人を『殺せる』代物ですよ。他のどんな『感情』よりも、ね」
「……そんな恐い思いしたのか?」
 中原は曖昧に笑った。
「俺は何度逃げても『あの人』に捕まって、彼が言う通りこれはもう『運命』なんだと諦めるより他になくなりましたよ。……今思うと、アレは『運命』と言うより『あの人』の『思惑』以外の何物でも無かったんですが」
「……なあ。厭な話だったら明るい顔で言う事無いんだぞ?」
「……だって深刻な顔で言ったら、同情されるかもしれないでしょう?」
「……同情されたくない?」
「……まあ、付け込ませて頂けるかなとか『期待』したくなる気持ちはありますけど……ソレは『フェア』じゃないんでしょう?」
 溜息ついた。
「……それに、今以上深刻になってどうするんですか」
「……お前、それ深刻になってたの?」
 中原は曖昧な笑みを浮かべた。
「……俺は物凄く臆病なんですよ。吐き気がする」
「……お前、少しは俺を頼れよ?」
 中原は目を見開いた。
「……正気で?」
「『本気』ならともかく『正気』とか言うか? バカ。……バカだよ、お前」
 言うと、中原は頬を染めた。あまりに意外で、俺は目を見開く。中原は慌てて顔を背けた。……耳まで赤い。苦笑して俺は中原の首に腕を回した。
「……お前、さ」
 そっと、抱きしめて。
「すげーヤな奴なんだけどさ、どっか……似てんだよな、俺に。それも一番ヤなとこが」
 中原が一瞬、硬直した。
「……だからお前の事、嫌いって思うのかもな」
 複雑な表情で、中原は振り向いた。
「……それ、どういう意味に取れば良いんです?」
「……つまり、俺に似てない部分は結構好きかな」
 中原はひどく動揺した顔で、真っ赤になって俺を凝視した。
「……なっ……なんっ……!!」
「あ、でも勘違いすんなよ? 嫌いなとこは嫌いだ。でも、そういう情けないとこは好きかも」
 笑って言うと、面白いくらい真っ赤になった。俺はそんな中原を見ながら、くすくす笑った。中原はバツの悪そうな顔になる。
「……今、俺の事バカにしてません?」
「お前のカッコつけ過ぎのとこ、嫌い」
「……っ!!」
「……けど、いつもいつも情けなかったら、俺の命なんか危なっかしくて預けられないからな。どっちが良いとか俺には決められないよな?」
 真っ赤な顔で、厭そうに俺を見る。苦笑して、俺は中原にキスした。
「あんまりカッコつけ過ぎんなよ? 張り詰めすぎるとどんな奴だって神経切れる。お前は色々我慢しすぎなんだよ。……溜め込んで後で大爆発させるよりは、マメに発散させとけ。その方が迷惑掛けずに済む」
「……マメに発散させとけって……付き合ってくれるんですか?」
「……お前、今物凄く『下世話』な事考えただろう? そういう発想しか出来ない? お前?」
「……すみませんね。そういう男なんで」
「だったら一人でトイレでマスかいてろよ。それで我慢出来なくなったら仕方無いから相手してやる。いつもいつもじゃこっちの身が保たねぇよ。俺はお前みたいな体力魔人じゃないんだからな」
「……駄目、ですか?」
「当たり前だ!! お前と一緒にすんなっ!! バカ!!」
 大体、これまでこいつ、一体どうやって『処理』してたんだ。ったく……。
「……体力付いたら良いんですか?」
「……お前、余計な事考えんなよ?」
 釘を差す。こんなペースじゃいつか死ぬ。
「お前、他に考える事無いのか?」
「……人間の一番素直な欲求でしょう?」
「お前のは有り過ぎ。俺はそんな無い」
「……って言うか、あなたの場合無さ過ぎでしょう? だから誰に対しても『淡泊』なんですって」
「中原。お前自分を基準にするな」
「そりゃ俺は異常でしょうが、あなただって十二分に異常です。健康な青少年を自認するなら、女経験の一人や二人当然でしょう? これまで複数の異性と付き合ってながら、キス以上の経験が無いなんておかしな話です」
「……つーか、一度デートした相手ともう一度デートする事、ごく稀なんだ。そうそうそんな……」
「……あなた、本当鬼畜ですね」
「は!? 俺が!?」
「あなたじゃなかったら、一体誰の事だって言うんです?」
「……何で……」
「……どうして二度目のデートが『稀』になるんです?」
「……って……その……ほら……判んないか? 一度キスとかしちゃうとその……達成感て言うか……気が抜けちゃうんだよ」
「……そりゃ相手の事好きじゃないからでしょうが……」
 がっくりと、中原は頭抱えた。
「……それじゃ何? 俺が悪いの?」
「あなたが悪くなくて何だって言うんです? あなたどうかしてますよ。そんなんだったら相手しない方が親切ってもんでしょう?」
「じゃあ、お前だったら我慢出来るか? 女房面されて仕切られて、我慢出来るか?」
「俺は我慢なんかしませんよ。その代わり納得ずくでその場限り、ですけど。……まあ、たまに勘違い女が付き纏ってくる事ありますけど、そういうのは体よく適当に追い払ってるんで。……けど、一応言いますけど、俺があなたの年頃の頃には、純情可憐で口数少なくて男一人に操立てて至れり尽くせりの女を夢想してましたよ。少なくとも女房面されて『飽きる』なんて発想、俺にはありませんでしたから」
「……それで実際は?」
「……ま、良いじゃないですか。そんな事」
 中原はしらりと言った。
「バカ野郎!! 自分の出来なかった事、俺に押し付けてんじゃねーよ!!」
「別にしろと言ってる訳じゃありませんよ!! 大体、あなたにそんな事させる気毛頭ありませんから!!」
「だったら俺ばっか責めてんじゃねーよ!!」
「俺が言ってるのは、そういう男は人迷惑って事です!! ただの一人も愛せないなら、そういう事『素人』にするのは迷惑以外の何者でも無いでしょうが!! 判ってないから言ってるんです!!」
「人迷惑!?」
「俺が女の立場だったらそう言いますよ」
「気色悪い事言うな。お前が女だったらなんて想像したくも無い」
「ははは、教えてあげましょうか? 俺、昔母親そっくりって言われてたんですよ? その母はもう息子の俺が言うのもなんですが、結構な美人でプロポーション抜群で、色気もあってミステリアスで、ついでに言うとあの面食いな『貴明様』の愛人だったんですよ? ほら想像して下さい」
 やめろっ!! そんなのっ……!!
「……まあ、でもあの二人の『絡み』だけはこの俺でも想像したくないですね」
「……中原……」
 げんなりした。
「別に『恋愛感情』なんか無くても、他の男とヤッてるトコなんて想像したくも無い。それがそういう『事実』目の前突き付けられてご覧なさい。ぞっとしますよ。……殺意すら覚える。自分の内で否定しても……確たる証拠が目の前にあるんだから……腹が立ちますよ」
「……中原……」
「……俺の事、みっともないと思うでしょう? 情けなくて、醜悪で格好悪くて愚かでどうしようもなくて……」
「そんな事、思ってない」
「……哀れまれてる事くらい、知ってる」
 どきん、とした。
「蔑まれても、哀れまれても、バカにされても、嫌悪されても……っ……それでもっ!!」
 物凄い力で、掴まれて。
「……それでも、俺はあなたを諦めきれない」
 中原の目が、真っ直ぐ俺を射通した。
「……醜悪なのは判ってる。こんなおぞましい物は早く『消えた』方がマシだ」
「中原!!」
「……俺は『執着』だけで生きている。こんな『生き物』は存在するだけでおぞましい」
「どうしてそんな事考えるんだよ!! お前は!!」
「……じゃあ、あなた自身はどうお考えで?」
「俺は……俺には、俺が生きてるよりは、お前が生きてる方が世の中には役に立つと思う」
「は!?」
「お前は確かに人迷惑な性格だし、言動も変だし、すげぇヤなとこもいっぱいあって、時々ウンザリしたくなるけど……それでも俺が生きていてやれる事に比べれば、お前の方がずっと有益だと思う」
「……何言ってるんですか? 郁也様」
「人間なんてどいつもこいつも『醜悪』で『おぞましい』。そんなのはごく当たり前で、普通の事だ。そんな事くらいで『自分』を責めちゃ気の毒だろう? 俺も俺自身の事はすげぇヤになるし、ウンザリもするけど、それはもうどうしようもない事で、今更どうこう言っても仕様が無いし、こんなもんどうにかしようったって、どうにもならない。俺はどうにもならないものを、どうにもならないと考え込む方が良く判らない。悪いけど」
「…………」
 ぽかん、と口を開けて中原は俺を見た。
「じゃあ、聞くけど『醜悪』だったら何がいけないんだ? 『倫理観』に『道徳観念』に反するから? 世の中『聖人君子』じゃないと生きてちゃいけねぇの? そんなの冗談だろ? そんな世の中だったら、この世はこんなに腐りきって乱れ切ってる訳無いし、世界に『清廉潔癖』な連中がはびこってるんなら、もっとマシで秩序あるそれはもう『お綺麗』な世界になってんじゃねぇの? 少なくとも汚職政治家が堂々とのさばってたりしないよな?」
 中原は目を大きく見開いて、俺を見つめた。
「……なあ。俺、そんな変な事言ってるか?」
「……変も何も……っ!!」
 上擦った声で、中原は俺を呆然と見つめて。
「お前の論理で行くと、たぶん世界中の人間死ななきゃならない事になるぜ? ホモ・サピエンス絶滅の危機? ……笑えない冗談だぜ」
「……郁也様……あなた……」
 暫し呆然と俺を見つめて。俺はにやりと笑った。
「お前、考え過ぎなだけじゃねぇの? 『被害妄想』じゃねぇの? 自分に『汚い』部分が無いなんて言えるの、厚顔無恥な奴か身の程知らずの勘違い野郎だけだろう。『神』でも無いのにそんな事出来るのか?」
 ましてこの世に『神』などいないのに。
「『醜悪』だから『人間』なんだろう? それの何処がいけない?」
「……あなたって人は……」
 中原は、掠れた声で小さく笑った。肩を、全身を小刻みに震わせて。しゃくり上げるみたいな声で笑った。顔を、笑ってるとも泣いてるともつかない奇妙な表情に、歪ませて。
「……俺がずっと……ずっと重荷に抱えてた事そんなあっさりと……」
「間違った事言ってるつもり、毛頭無いぞ」
「……どうしてそんなに『断言』出来るんです?」
「心底そう思ってるからだろ?」
 中原は苦笑した。
「……その年齢でそんな事考えてるクセに、そんなさっぱりしてるのって……一体何です?」
「……何ですって言われても……そうだから、としか言いようないだろ?」
「それで人生絶望したりとかって無いんですか?」
「どうして? お前そんな事くらいで『絶望』したりすんの?」
 中原は苦笑した。
「……あなたには本当、負けますよ。あなたの思考回路、覗けるものなら覗いてみたいくらいです。突き抜けていて、個性的で信じられないくらい……真っ直ぐで」
 は? 何それ。俺は眉間に皺寄せた。中原は小さく笑った。
「……聞きたいんですけど、郁也様。あなた、悩み事ってありますか?」
「悩みくらいある。お前、俺をバカにしてる? 俺を何だと思ってんだ。そんなもん無い奴いたら、余程のバカか楽天家か脳味噌欠陥ある奴だろう!!」
「……そこまで言いますか?」
「そんなお気楽で幸せな奴いたら、お前俺の目の前まで引っ張って来い。そいつの後頭部蹴り入れて、もう一度悩みなんか本当に無いか聞いてやる。あると答えるまでボコボコにしてやる」
「……滅茶苦茶ですね」
「当たり前だ。そんな奴、野放しに出来るか。ムカつくだろうが、そんなの」
「……あんまりですね」
 くっくっと中原は笑った。俺は横目で見る。もうけろりとした顔してやがる。この二重人格。
「ところでお前、いつになったら俺を解放してくれるんだ? そろそろ着替えないとマズイと思うんだが」
「……そりゃどうも、すみませんでしたね」
 仏頂面で。……この男。
「じゃあな、また後で」
「……何処行くんですか?」
「自分の部屋だよ。着替えるんだから」
「あなたの服はこちらに用意しました」
「は!?」
 俺は目を見開いた。
「着替えもセットもして差し上げますから」
 にっこり中原は笑った。俺は思わず、後ずさった。……この男……何か絶対……!!
「……お前……何かヤな事考えてないか……?」
「厭ですねぇ。どうしてそんな否定的な考え方しか出来ないんですか? 俺の好意だとは思って下さらない?」
「……だってお前……っ……俺にそんな事言えるような言動普段からしてるかよ!!」
 それにひどく厭な予感してるし!! 中原は笑った。淫靡な笑い方、で。ぞくりとした。
「……そういうつれない事言うの、よして下さい」
「……中原……っ……やっぱお前……っ!!」
 組み伏せられて、唇奪われて。逃れようとするけど逃れられない。簡単に押さえ付けられて。
「お前!! 最悪!!」
 何でこんなんばっかり!! 良い加減にしろよ!!
「暴れないで下さい、郁也様。時間が無くなるでしょう?」
「時間無くなるような事してるの、何処のどいつだ!! バカ!!」
「厭だなあ、そんな節操無しに見えますか? 俺が」
「見えるだろうが!! 大体こんな格好で何をするって言うんだよ!! 普通!!」
「大丈夫、心配する事ありませんから。ほら、力抜いて。大丈夫、恐がる事ありませんから」
「じゃあ何するつもりか言ってみろよ!!」
「言ったら素直に言う事聞くんですか?」
「内容によるに決まってるだろうが!!」
「……本当、強情ですね」
 俺はげんなりした。……今更ながら、俺はこの男に関わった事に激しく後悔したけど……今となっては手遅れと言うより他に無かった。

To be continued...
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