NOVEL

週末は命懸け6「報復」 -1-

〜プロローグ〜

「……そう。判ったよ、有り難う、笹原[ささはら]君。又何か判ったら連絡お願いするよ」
 そう言って、久本貴明[ひさもとたかあき]は受話器を置いた。
「……全く、何を考えてるんだか……」
 そう呟いて溜息をつく。
「……僕が首を長くして待ってるのくらい、十分判っているだろうに。『嫌がらせ』かな?」
 貴明の机に緑茶の湯飲みを置いた土橋[どばし]が、苦笑する。
龍也[たつや]君だけならまだしも、郁也[いくや]までだ。……人の親になんてなるもんじゃないよ、土橋君」
「……来月結婚予定の人間に、そういう事おっしゃらないで下さい、貴明様」
「……スチュワーデスだったっけ? 結婚はしても良いけど、子供なんて作ったりしたら、色々大変だよ? 忠告するけど」
「……僕は欲しいけど、彼女はいらないって言ってます」
「賢明な女性だね」
「……そういう事おっしゃいますか?」
 土橋は困ったように笑う。
「……大体、君は何故子供なんて欲しいの?」
「可愛いじゃないですか」
「赤ん坊なんて『醜悪』だよ? そんなに欲しけりゃ、養子でも取ると良い。知ってる児童養護施設、紹介しようか?」
「自分と愛する女性の子供だから良いんですよ」
「君とは『意見』合いそうにないね?」
 土橋は苦笑した。
「本当は子供は十人くらい欲しいんですが、言ったら怒られました」
「そりゃそうだろう」
「だからせめて五人くらいで良いんですが……それも『駄目』らしいです」
「君、滅茶苦茶変だよ、それ」
「僕は兄弟がいなかったもので、だから余計そう思うんですよ。……父母も早死にしましたし」
「……兄弟なんて、大勢いたって良い事無いよ。かえって『害悪』だ。……肉親だからって必ず愛せるとは限らないよ」
「……『哀しみ』を『共有』出来る相手がいないって寂しいですよ? 友人に慰められても、恋人に慰められても拭えない物があって……貴明様にこういう事申し上げるのは、筋違いですが」
「確かにそうだね」
「貴明様は、何でもご自分一人でなさろうとするから……忙しすぎるのも『毒』ですよ」
「……もう少し、『部下』にやらせてやれ?」
「……お体を崩されますよ」
「余計なお世話だよ」
「……差し出がましい事を申し上げました。けれど、貴明様は……いつも急ぎ過ぎているようにお見受けします。何かに追われるように……」
 貴明は苦笑した。
「……性分なんでね。……死ぬまで変わらないよ」
「私の仕事は、あなたの足下を整理する事です。貴明様が、余計な物に躓かぬよう。けれど……差し出がましいのは十分承知しておりますが、あなたの身体の内部の事までは手が出せません」
「……判っているよ」
「……貴明様。今朝、中垣[なかがき]院長からご連絡がありました」
 貴明は無言で土橋を見る。
「……明日、手術なさって下さい。スケジュール調整も手配も全て整っております。……心配事は一段落されたでしょう?」
「……参ったな。それは『決定事項』かい?」
「すぐ済みます。三週間で退院できる筈ですよ。順調なら」
「……三週間も遊んでる暇、無いよ」
「……貴明様」
 貴明は溜息をついた。
「貴明様ご自身の為ですよ」
「……涙出そうなくらい、感謝してるよ。土橋君」
 生真面目に言う土橋に、貴明は至極真顔でそう言った。


 二〇〇五年、八月十五日月曜日。

 中原に『調査』依頼してる間、俺自身も雑誌や新聞などで、『鷹森』について出来る限り調べた。人に頼んでおいて、遊んでるのは厭だったから。
 悪い噂は特に無い。躍進しつつある優良企業。それが『表』の顔。『鷹森』の若社長、鷹森兼継[たかもりかねつぐ]は今年で三十四になるらしいが、二十代半ばくらいに見える。真面目そうな好青年。『後妻』の暁穂の兄というだけあって、見てくれだけはなんとかマシ。暁穂から毒気を抜いたらこんな顔。ただ、それは『表面上』だけだろうな……。
 スクラップブック作っていると、背後に中原が立った。
「……何だ?」
「お茶か珈琲飲みたくありません?」
「じゃあ、アイスティー。ストレートな」
「判りました」
 中原は階下の喫茶店に注文する。
「割にマメですね」
「……お前な」
 ふと、顔を上げて思い出す。
「……今、何時だ?」
「四時です」
「……ちょっと電話する。……外出てするから」
「……藤岡君ですか?」
「……盗聴するなよ」
 言うと、中原は肩をすくめた。俺は部屋を出て、外の非常階段にまで出てから、昭彦を呼び出す。六回目のコールでようやく出る。
〔……はい?〕
 ……何だろう? 寝惚けたみたいな声。
「……俺。昨夜はすまなかった」
〔……ああ、郁也……〕
 何だ? ……『違和感』。
〔……何?〕
「……あのさ、昨夜ごめん。結局電話しなくて……それで俺、今……」
〔……今度、又落ち着いたらで良いよ〕
  ……何か物凄い『違和感』。声が少しおかしい。何だ? ……思いかけて。
「……昭彦、今何処にいる?」
〔え? 『自宅』だけど……〕
 どきん、とした。『向こう側』で昭彦の母親と話してる相手の声!
「……いつの間にそういう関係になったんだ!?」
〔はあっ!?〕
 昭彦が素っ頓狂な声を上げる。俺は思わず耳を塞いだ。余韻が収まってから耳を当てる。
「そりゃ悪かった。邪魔したよな、俺」
〔……郁也?〕
「中西、いるんだろ?」
〔何で判るんだ!?〕
  俺は苦笑する。
「声、聞こえたぜ。今」
〔……あっ……そうか……〕
「良かったじゃねーの? これで俺も肩の荷が下りる」
〔……『肩の荷』……ね〕
 昭彦は溜息ついた。
「……何だ?」
〔……いや、郁也には関係無い事〕
「何? 手に入れたらもう飽きた?」
〔違うってば!! そうじゃなくて……〕
 何か言い辛そう。
「電話、切った方が良いか?」
〔……色々と複雑なんだよ〕
「……何それ?」
〔……今度……電話するよ。電源入れておいてくれるか? 迷惑じゃなけりゃ、だけど〕
「……やっぱ、昭彦か。悪い。質の悪い『犬』がさ……切ったんだよ。勝手に」
〔……『犬』って郁也ん家のドーベルマン? あの庭に何匹も放し飼いにしてある……〕
「その『犬』は新幹線に一人で乗って『福井』くんだりまで行って、『自殺』企てるようなバカな『犬』なんだ」
〔…………それって…………〕
「危なっかしくて放っておけないから、追い掛けてって拾ってきた。俺もあんまり昭彦の事、バカって言えない」
〔……郁也……〕
「今日、一時過ぎに帰ってきた。色々面倒あって……暫く会えないけどごめん。電話はしてもOKだから」
〔……判った。郁也……言っても無駄かもしれないけど……危険な事はするなよ?〕
「有り難う、昭彦」
〔……俺、良い加減疲れるからさ〕
「……ごめん」
〔……郁也の事、好きだよ。お前と『友達』になれて、凄く嬉しいと思う。ただ時折、無性に寂しくなるんだよ〕
「え?」
〔……お前、誰にも何にも相談しないから〕
「…………」
〔……もっと甘えて欲しくなるんだ〕
「…………」
〔……忘れて良いよ、郁也。今、言った事〕
「……昭彦……」
〔……俺の、我儘だから〕
「……昭彦……お前……」
〔たぶん、お前は絶対俺になんか甘えてくれたりしないだろう?〕
 ずきり、とした。
「……あのな!? 昭彦!!」
〔……判ってるんだ。そんな事はずっと前から。それでも時折、期待する俺の方がバカなんだ〕
「……昭彦……っ!!」
〔……もう良いんだ〕
「あのなっ……俺は……っ!!」
 昭彦の事、大切で。全然軽んじてるつもり無くて……それどころか……っ!!
〔……じゃあな、郁也〕
「待てよ!! 昭彦!!」
 思わず大声で叫ぶ。
〔……何?〕
「……いちいち口に出して言わないけど、俺昭彦の事好きだから。……お前以外に『友人』なんか作る気無い」
〔……郁也……〕
「……お前は俺の『親友』なんだ。そりゃ時々ムカついたり、苛立たしく思ったりもするけど、俺はいつだってお前の『幸せ』祈ってるから」
〔……郁也……〕
「絶対ずっと、幸せでいろよ? そしたら俺は、ほっとするから。不幸なお前なんて、絶対見たくない。いつも幸せそうに『のほほん』としてれば、それで良いから」
〔……最後、何か引っ掛かる言い方だぞ?〕
 しまった。
「……ええと、だから、お前の笑顔は『世界』を明るくするって、つまりそういう事!!」
〔……何か苦しい言い訳っぽいぞ?〕
 絡むなよ、昭彦。
「昭彦の『存在』が俺の『救い』になってる部分もあるんだよ。……お前という人間が、この世にいるから……世の中全部、『敵』にしなくて済む」
〔……郁也?〕
「昭彦といると、藤岡家にいると、物凄く心地良いんだ。だから俺はいつも甘えてる。俺に本当の意味での『家族』なんていない。お前とお前の『家族』が俺にとって『家族』同然なんだ。だから厭な事があっても、お前のとこなら癒される。……俺はお前みたいに、無条件で人なんて信じられないから……そういう環境に育ってきたから……お前がいつも羨ましいよ、昭彦」
〔……郁也……っ〕
「俺は昭彦になれない。でもそれは仕方ない事なんだ。基本から、何もかも違うから。俺は一生昭彦の考え方にはなれないし、昭彦だってたぶんそうだ。だからきっと一生完全には理解し合えないと思う。……それでも……一緒に『時間』を『共有』するのは無駄じゃないと思う。俺は昭彦を理解したいし、俺を理解して欲しいと思う。ただ前にも言ったけど、俺は己の全てを明かすつもりは無いんだ。……それは昭彦を信頼してないとかいう事じゃない。……言っても通じ合えないって判ってるからだ」
〔……何だよ、それ……〕
「……昭彦、お前……見ず知らずの他人に殺されそうになった事って経験あるか?」
〔は!?〕
「……無いだろ? 普通、そうだよな。誘拐だって新聞載ってないだけで、覚えてる限り七・八回はある。襲撃なんて数えても無い」
〔……郁也……〕
「俺だって俺の『日常』は『異常』だって判ってる。だから敢えてそんな『異常』な話題、お前なんかに振らない。言ったって、余計な心配懸けるだけだろう?どうせもう済んだ事なんだから、素知らぬ振りして……お前といる時くらい『普通』でいたいよ、俺は」
〔……郁也……〕
「危害加えられそうになる事なんて、日常茶飯事だよ。でも俺は……『特別』なんて望んで無い。ささやかな『日常』しか要らなかったんだ」
〔……郁也……〕
「……だから……お前といる時くらいは、きな臭い事や煩わしい事から、解放されたいんだよ」
〔……判ったよ〕
 穏やかな、声。
「……嘘つくつもりも、騙すつもりも毛頭無い。そう見えたとしたら……謝るより他に無いけど……お前といる時の俺は、少なくとも『本音』だよ。……まあ時折、嘘はつくけど」
〔……郁也……お前、な〕
 呆れたような声。
〔……まあ、今更文句は言わないけど……無理するなよ?〕
「判ってる」
〔その台詞が一番信用ならないんだよ〕
「俺にどう言えと言うんだ?」
〔……別に良いよ。駄々こねたりしないから。じゃあね、郁也。明日又かけるよ。……忘れなければね〕
「…………」
 うわ、コイツ根に持ってないか?
〔……冗談だよ。……またね〕
「うん。また」
 そうして切った。溜息ついて、辺りを見回す。雑多な町並み。ビルやその合間の小さな家屋。犇き合って、林立してる。統一性なんてまるで無い。蒸し暑くて、額から汗が滴り落ちる。俺は汗を拭って遠くを見た。……俺の住む『場所』。『母』の面影は鮮明だけど、その『最期』の『記憶』も鮮烈だけど、俺はここへ来る前の記憶が殆ど無い。母との想い出の大半が、抜け落ちている。母と住んでいた東京……練馬区の小さなアパート。手を繋いで保育園か何処かに連れて行かれた記憶がぼんやりあるだけ。……感傷なんかに浸る気無いけど、もう少しマシな『記憶』が欲しかった。せめて写真アルバムや母子手帳なんて物、残っていれば良かったけど……『強盗』に見せ掛けた『襲撃』されて、何一つ残って無かった。形見の品すら、俺の手元には残らなくて。母さんの骨すら、俺は見てない。俺の知らない間に葬式も納棺も済まされて。後には『久本貴明』唯一人が立っていた。母さんの墓には、いつも一人で墓参りに行くけど……俺は謝る事しか出来ない。
 『聖母』のように美しい人。俺はいつも憧憬と誇りを持って見ていた。俺は今でも、あれほど美しい人に出会った事が無い。清楚で穏やかで静かな人。柔らかく、『聖女』のように笑う人。俺の『世界』の全てだった人。もう会えない。一生会えない。……例え俺が死んでも。
 俺は汗を拭いながら、ドアを開けてホテルへ戻り、部屋へ向かう。部屋に入ろうとして、ふと視線を感じた。……ギクリとした。扉を開け、閉める時に向かい側を確認した。ドアを閉める。
「……中原、向かいに誰かいる」
「……でしょうね。はい、アイスティー」
 俺は拍子抜けした。
「……知ってたのか?」
「俺を誰だと思ってるんです? ずっとですよ。しつこいとは思いますが」
「……『笹原』?」
 厭そうに、中原は頷く。俺は背中を汗が伝い降りるのを感じた。
「うるさいハエだとでも思っておきゃ良いんですよ。今更気にしても無駄です」
「……お前良く平気だな……」
「……だって慣れてますから」
「…………」
 俺は厭だ。そんな状況、慣れたくない。
「それじゃ『行動』に出られないじゃないか」
「『家』に帰るか、『社長』に電話してみりゃどうですか? 変わるかもしれませんよ」
「……そうする」
 俺はアイスティーを一気飲みして、携帯で『社長』に掛ける。
〔……やあ、郁也。どうしたんだい?〕
 うっわ、わざとらしい声。
「すみません。帰って来たんですが、家に戻らなくて。無事連れ帰って来ました」
〔……報告は貰えないかと思ったよ〕
 くそったれ。
「……それで、部屋なんですがどうしますか?」
〔君が子供の時、龍也君が使ってた部屋があるだろう? 今でも空室だから、そこに入って貰うと良い〕
「……では家に連絡しておきます」
〔……いや、それはもう準備させてある。それより郁也。今夜一緒に食事でもしないかい?龍也君も入れて四人で〕
 俺は一瞬、固まった。
「……四人……ですか?」
〔僕と暁穂と君と龍也君。……四人だろう?〕
「……はあ……」
〔フランス料理と中華、どっちが良い?〕
「……別にどちらでも構いませんが」
 何で中原も?
〔じゃあ、マレーシア料理にしよう。夏だしね〕
「……は!?」
 俺は目を丸くした。
〔……良い加減戻っておいで。服も着替えなきゃいけないだろう? 久し振りに家族の団欒と行こう〕
 ……めっちゃ嘘臭い台詞……。
〔予約は七時にしておくよ。六時までには戻っておいで。楽しみにしてるよ。じゃあね〕
 返事もして無いのに、一方的に切れた。俺はがっくりとその場に座り込んだ。
「……どうなさいました?」
「……今更ながら、あの『親父』の考えてる事は良く判らねぇよ」
 思わずぼやいた。
「俺とお前と入れて四人でメシ食いに行くから、六時までには戻って来いだと」
「……それはそれは」
「……マレーシア料理って食った事ある?」
「……無いけど……東南アジア系ってスパイスものですよね?」
「知るか!! 食った事ねぇんだぞ!?」
 行った事も無いし!!
「……興味はあるけど……服、汚れません?」
「…………」
 お前、何か論点違うく無いか? 激しく脱力。
「……お前……そういう問題か?」
「……貴明様の考えてる事なんて、凡人の俺にはまるで理解できませんよ」
「……お前、な」
「十五年の経験です。あの人の思考回路、どっか変なんですよ」
 ……って、お前人の事言えるのか?
「一度に複数の思考を展開させる事が、出来る人ですからね。あの人の発想や思考回路は何処から何処へ、どう飛ぶのか……永遠の謎です」
「…………」
「……既に『人間』じゃありませんよ」
 そこまで言うか。……溜息つく。
「……どうする?」
「拒否権なんて無いでしょう? あの方はそうです」
「……返事も聞かずに切られたよ」
「そうでしょうね。素直に従った方が良いですよ? 催促のコールが欲しくなければね」
「……っ……」
 気分悪。中原が俺の肩に手を置いた。
「……ま、諦めた方が良いでしょう。言う事聞かないと押し掛けて来られますよ?」
 ……最悪。溜息ついて、立ち上がる。
「……何処まで行った?」
 中原は肩をすくめた。
「……俺のしてる事、バカだと思うか?」
「『今更』ですね」
「……『今更』だよ。早く……大人になりたい。こんな子供じゃ、ろくな事出来やしない」
「大人になったからって何か特別、出来る訳でもありませんよ」
「『力』が欲しいんだ。自分のしたい事、出来るだけの『力』が」
「……そんなもの、一朝一夕に手に入るもんじゃありませんよ。大人だから持ってるなんて思ったら、大間違いです」
「……判ってる。人間、自分の両手に持てる物なんてたかが知れてる。自分の手の大きさが決まってるのに、それ以上の物なんて持てないの当たり前なんだ。……俺はそんな大それた事、考えて無いつもりだ」
「……冗談。十分大それてるでしょう?」
「……そうか?」
 聞くと、溜息つかれる。
「『久本』も『鷹森』も大きい山ですよ。そんな物、わざわざ相手に回す人間、そうそういませんってば。あなた、感覚かなり麻痺してますよ」
「……物心付いて初めての『敵』だったから」
「……長生きできませんよ」
  俺は笑った。
「取り敢えず? 戻る? 久本邸へ」
「……仰せとあらば」
 わざとらしく、膝まで折って礼をする。ムカつくから、軽くケリ入れる。あっさり避けられた。
「……乱暴ですよ?」
「うるせぇよ」
 中原は笑って俺にキスした。
「ちょっと片付けます」
 そう言って背を向ける。……何だかな。俺、違和感無くなってる。抵抗感全く無いしな。慣れって恐い。この二日間だけで、俺、何度コイツとキスしたか判らない。それ以前のキス経験の倍以上、してる。……今後、キスくらいじゃもうときめかないかも。……終わってるよ、俺。
「……どうしました?」
「……軽い自己嫌悪」
 きょとんとした顔される。
「……行くか」
「ええ」
 一緒にビジネスホテル、出た。
「……車が要りますね」
「え?」
「取り敢えずレンタカーで良いですか?」
「わざわざ要るか?」
「今だけの事言えば、タクシーで事足りますけどね」
「……今後?」
「……どのみち、厭味は言われるだろうな……」
 中原は暗い声で呟いた。
「『親父』?」
「……本当は、一生顔合わさずに済むものなら、そうしたかったんですけど」
「……逃げ回りたいか?」
「……口添えして下さるんでしょう?」
「してやるけど、あんま期待すんなよ?」
 何かコイツって……。
「……大体、そんな恐いならどうしてそういう事する?」
「誰も恐いだなんて言ってませんよ」
 ムッとした顔で。
「……俺には良く判らねーよ」
「……あなたはあの方に怒られた事無さそうですね。そう言えば」
「そんなに仲良くしてねーもん。ったり前だろ?」
「…………」
「それに、お前みたいにちょっかい掛けられるような事、してねぇし」
「……そうですか」
 憮然とした顔。
「でも、厭味くらいならしょっちゅうだぜ?」
「……しょっちゅうで済むなら、幸せですね」
「その代わりお前の厭味や愚痴は、毎日のように聞かされてるよな」
「…………」
「今更文句言わないから、安心しろ」
「……何処がですか」
 表通りでタクシー拾う。
「明日名二丁目お願いします」
「……明日名二丁目ね」
 中原は無言だった。珍しい。窓の外、ぼんやり見てる。
「……面白いもん、あるか?」
 俺の軽口に、中原は苦笑した。けど、何も言わない。俺はそっと中原の手を握った。無言で俺を見る。中原の手の平は汗で濡れていた。
「……恐い?」
 中原はふっと微笑する。
「……二人きりにはなりたくありませんね。正直」
「……二人きりじゃなければ良いのか?」
「……少なくとも、二人きりじゃなければそんな『無茶』な事はなさらないでしょうし」
「…………」
 悪いけど、何をそんな脅えてるのか判らない。
「……俺が傍にいたら、平気か?」
「……たぶん」
 たぶん、ときたか。段々顔色も悪くなってるし。
「……俺、さ」
「……え?」
「……俺、昔……『友人』なんて必要ないって思ってたんだ」
「……?」
「それは別に、特別な事じゃなかったんだ。けど、当時の俺はそんな物作ったら、『邪魔』になるって思い込んでいたんだ」
「…………」
「……今はバカだったと思うよ。『こだわり』なんて必要なかったんだ。単に、俺が『友人』になりたいって思う奴がいなかっただけだったんだよ」
「…………」
「『信頼できる奴』なんて、この世にほんの一人か二人いれば十分だ。誰もいないなんて思ったら、地獄だぞ? 生きてる事が苦痛にしかならない」
「…………」
「……泣きたかったら泣けば良いぞ?」
「……そうそう泣きたい事なんて有りませんよ」
  泣き上戸のクセに、何言ってやがる。
「カッコつけすぎてると、疲れるだろう?」
「……カッコ悪いですよ。俺なんか」
「当たり前だ。そんなもんだろ? 現実なんて」
「……俺はいつも負けてる気がしますよ」
「お前な? 『負けてる』と思った時点で『駄目』だろうが。『勝つ』つもりで行けよ?」
「……滅茶苦茶ですね」
「……何が?」
 中原は苦笑した。
「……励ましてるつもりですか? ソレ」
「……そういう風に聞こえたか?」
 中原は曖昧に笑った。
「……大丈夫ですよ」
「それなら良いけどな? ……頑張ったらご褒美やるから」
「……良いんですか?」
「……励みになるだろ?」
 中原は苦笑した。
「……同情? それともあなたがそう望んでる?」
 同情だなんて抜かしたら、絶対怒るクセに。
「考えろよ? 自分で」
 ようやくまともな顔色になってきた。
「……あなたに気を遣われるようじゃ、俺もお終いですかね」
「年寄りはたまに気遣ってやらないとな」
「……あなたに言われたくないですよ」
「誰もお前の事だなんて言ってない」
「…………」
 憮然とした顔で天を仰いだ。
「ああ、そうですか」
 俺は思わず苦笑した。中原の手を、強く握った。
「……ま、お互い頑張ろうな」
「…………」
 中原は真顔で俺を見た。
「あ、そこ。右入って下さい。……そうです。次を左。……右手の家です」
 支払いして、降りる。正門前。
「……行くか」
 中原は頷いた。インターホン、鳴らして。
「……俺だ」
 遠隔操作で鍵が解除され、自動で門が開く。俺と中原は中庭を真っ直ぐ歩く。中庭の番犬達が伏せで俺達が通り過ぎるのを見守る。玄関前のポーチを突っ切り、ドアの前に立つ。中原が扉を引き開ける。
「お帰りなさいませ」
 執事の米崎。それからメイド達。
「……ただいま」
 そう言って、後ろ手で中原の手を握った。

To be continued...
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