NOVEL

週末は命懸け5「抱擁」 -5-

「……風呂、入りますか?」
 俺は顔をしかめた。
「……入れると思うか?」
「部屋にユニットバスが付いてますから、俺が介添えして差し上げますよ」
「……変な事するなよ?」
「……これ以上、ですか?」
 わざとらしいくらい大仰な口調で。俺は思わず舌打ちした。……けど、確かにここまで来たら、風呂でも入って身体流したいのは確かで。
「……頼んで良いか?」
「喜んで」
 中原、お前やっぱり『化け物』だ。軽々俺を抱き上げて、キスをする。俺もぐったりしながら、弱く応じる。思わず呻くと、中原は嬉しそうに笑った。……コイツ。
 包帯を全てはぎ取られ、巻き取られた。右腕右足のギプスだけになる。バスタブの蛇口捻ってお湯を溜める。その作業しながらも、中原は俺に何度も口づけて。気が遠くなりそうになる。中原は蛇口を止めて、ゆっくりと俺を浴槽に沈める。右腕、右足が浸からないようにしながら。子供のように抱きかかえられて、湯の中に浮かばせられて。俺はぼんやり中原を見た。中原はひどく嬉しそうな顔をしていた。片手一本に持ち替えて、もう一方の手で液体石鹸を取り、泡立ててそれを俺の首筋に塗り付けた。その感触に、ぞくりとする。
「……中原……っ!!」
「暴れないで。……沈みますよ?」
 中原……っ……お前……っ!! 抗議したい俺の気持ちなんて、きっと判っていて。ゆっくりと俺の身体、撫で回す。疲れてるのに、疲れ切ってるのに気持ち良くて……恍惚としながら俺は中原を見上げた。中原は熱い瞳で俺を見つめながら、湯船の中で徐々に下へ這い降りていく。
「……っ……バカ……っ」
 思わず呻く俺に、にやりと笑い返して。
「……『感じてる』クセに」
「……性格悪いぞ、中原」
「人の事は言えませんよ、郁也様」
「……んっ……!!」
 余計なトコ、マッサージすんなよっ!! 中原!!
 柔らかく揉みしだかれて、撫で上げられる。
「……ぁ……っ……」
「……イイ顔ですよ」
「……最悪……っ……お前……っ!!」
 息が乱れる。俺はそれでも、睨み付けて。
「だから余計な事すんなって!!」
「……少しは『期待』してたでしょう?」
「してねぇよっ!! 頼むからやめろっ!!」
「……まだイケそうですね?」
「だあっ!! やめろっ!! 余計な事考えるな!!」
 中原の指が滑り落ちて、『入り口』に到達する。
「バカ野郎!! 中原!! 『変な事』しないって言ったろうが!!」
「……誰が?」
 真顔で訊かれて。
「……誰がって……」
 思わず絶句する。
「……お前……っ……それ酷くないか!?」
 中原は笑った。
「……俺は何も言ってませんよ?」
「……中原!!」
 本気で泣きたくなる。
「今じゃなくても良いだろう!!」
「……『今』じゃなければ良いんですか?」
 厭な予感、がした。
「……確か、郁也様の隣室、空いてましたよね? 昔、俺が使ってた部屋……」
「……おい、中原……っ」
「マンションも家具も車も皆売り払って、預金も殆ど全部引き出したから、俺無一文も同然なんですよね。 あそこへ入れて貰おうかな」
「……おい、中原!! お前一体……っ!!」
「……『今夜』、楽しみにして下さいね?」
「バカ野郎っ!! 『自宅』なんて思い切り『社長』の『お膝元』じゃないかっっ!! 大体、『貯金』やその『金』はどうしたっ!! 『無一文』って何だよっっ!!」
「手元には五万円しか入ってません」
 けろりとして中原は言った。俺は血の気が引いた。
「……まさか、全部使ったのか?」
 中原はにっこり笑った。
「……どういう使い方したんだよ!?」
 俺は本気で泣きたくなった。一体全体、コイツ何考えてる!?
「……ま、今頃きっと青筋立てて怒ってるんだろうけど……」
「誰が?」
 中原はにやにや笑った。
「このまま、いっそ『駆け落ち』しますか? たぶん、見張りの一人や二人、いるんでしょうけど」
「……中原……お前な」
 溜息つく。中原はにやにや笑いをやめない。
「俺も大口叩いて出て来た手前、『社長』に合わす顔がありませんしね」
「……出来る訳無いだろう」
 俺は憮然として言った。
「……口添えならしてやるから。けど、頼むから余計な事考えるな。俺は正直言って……」
「どうせあの人は知ってますよ?」
 思わずカッと血の気が昇った。
「俺の部屋に、朝まであなたがいた事で、大体の『経緯』も想像なさるんじゃありません?」
 耳まで、熱くなった。
「……んなバカな……っ!! ……大体、そんな事で『邪推』されたら……俺なんか……っ!!」
「……俺の事なんて、たぶん俺自身よりも良く知ってるみたいですからね。見透かされてるでしょう? 俺も厭ですけど……諦めきれるくらいには、『経験』ありますから」
「……なっ……!!」
「……あの人、見た目以上にタチ悪いですよ? あなたはプライバシー無いのかって、以前俺に言いましたけど、俺なんかそれ以上ですよ。あの人にとって、俺は『研究動物』も同然なんですよ。それより更にタチ悪いですよ? モルモットなら、身体いじられるだけで済みますけど、俺なんか『心』まで『蹂躙』されたんですから」
「……中原……お前……一体何されたんだ?」
 中原は厭な笑い方した。
「……別に? 年端も行かぬ俺にあの人が『性的』に何かしたとか、『暴力』振るったって訳じゃありませんし? 『物質的』には俺は『親切』にして貰ったんでしょうよ。そりゃあね。物凄い『暴力的』なやり方だったと思うけど。俺が虐められたのは、あくまで『精神的』な面においてのみで、それを除いたら俺は感謝すべき立場なんでしょうよ。確かにね。噛まれた事は別にすれば」
「……中原?」
「あの人は『人間』なんかじゃありませんよ。ああいうのは『人間』なんて呼びません。本人はそのつもりでいるようですけど」
「…………っ」
 限りなく憎悪に近い口調で。
「……中原……一体何が……っ」
 中原は口元だけで笑った。
「……俺が『故意』で『本心』で『殺せる』としたら、たぶん『あの人』だけでしょうよ。けど、今となったらそんな『執着』すら無い」
 嘘だ、と思った。
「……十数年の間に、俺の一番強かった『感情』さえ、枯渇した。今の俺を支えてるのは、あなたですよ。郁也様」
 それは絶対に、嘘だ。全てじゃない。お前は……!!
「……中原……っ」
「……あなたにこんな傷……負わせて俺は……っ」
 苦渋に顔、しかめて。
「……心底自分が不甲斐なく、居たたまれなくて……死のうと思いましたよ」
「……中原!?」
 ぎょっとした。中原は弱く笑った。
「……『失敗』しましたけど」
「……まさか……お前……っ!!」
 ぞくりとした。
「……おかげで『隔離』されて、酷い目に遭いました。毎日毎日、炎天下で汗水流させられて」
「……お前……」
 呆然と、中原を見た。
「……『命の大切さ、勉強させてあげよう』って……そんな事で誰が『勉強』出来るって言うんだ」
 中原の中の、深い『闇』。
「……あの人のやり方には、反吐が出る」
「……中原……」
 中原は苦笑した。
「……すみません、愚痴ってしまいましたね」
 そう言って、俺の身体を手早く素手で液体石鹸で洗って、浴槽の湯を抜いて、シャワーで流す。髪をシャンプーとリンスされる。それを流して、中原は丁寧にバスタオルで拭った。
「……中原」
「はい?」
「……死のうとするなよ?」
 中原は笑った。
「今、とても幸せなのに、そんな事しませんよ?」
 ……俺は返答に困った。中原はひどく穏やかで静かな笑み、湛えて。
「……そんなものか?」
「……そんなものです」
 軽口叩こうとして、結局やめた。
「……お前……俺なんかの何処が良いんだ?」
 本気で判らなくて。
「……言葉で上手く説明できませんよ」
「……判らねぇよ、全然」
「敢えて言うなら、全部、ですかね? 顔も姿も身体も性格も中身も含めて、『全部』」
「……おまっ……!!」
 思わずカッと顔に血の気が昇る。
「……あなたの我儘も、実は心地良いんです。まあたまに、問答無用でねじ伏せたくなる事もありますが」
 ……それ、滅茶苦茶質悪いだろう、中原。
「……郁也様、なんだかんだ言って、結局結構俺に甘えてるでしょう?」
 甘えてる? ……俺が?
「『他』の連中には見せてくれない『顔』も見せてくれますしね」
「……中原……」
「現時点で『藤岡君』に負けてるかもしれないってのが、唯一の『不満』ですけど……彼はこういうあなたを、絶対見たりしないって判ってるだけ、『救い』ですかね?」
「……中原……っ!!」
 お前、昭彦にまで嫉妬するか!? ……思いかけて、どきりとする。
「……げっ……!!」
 ヤバっ。昭彦に電話……忘れた……。
「……どうしたんです?」
 怪訝な顔で、中原は俺の顔覗き込んでくる。
「……昭彦に電話……必ず『する』って約束したのに……」
 思わず、恨めしく中原を見上げた。
「……どうしてくれんだよ? お前のせいだぞ?」
「……俺のせいですか? 俺だけの? あなただって物凄く悦んでたじゃありませんか。かなり積極的に『応じて』ましたけど?」
「うるさい!! 大体、お前人の電話切っといて……」
 どきりとする。
「……そうだ、携帯!!」
 思わず走ろうとして、足の事忘れてつんのめって、中原に抱き留められる。
「……危ないですよ?」
 そう言って抱きかかえられる。……中原の、臭い。ムッとする体臭。……けれど、不快ではなくて。身体の芯がぞくりとする。
「……汗臭いぞ、中原」
 中原は笑った。
「……俺もちゃんと入りますよ、後で」
 中原は、宿の浴衣を俺に着せる。中原のサイズで、俺にはぶかぶかだ。腕をまくり上げる。
「……はい」
 俺の携帯、手渡される。電源、入れた状態で。
「……俺も入って来ますよ」
「……ん」
 頷いて、留守番電話、確認する。無言が数件と、『社長』から。
『……やあ、郁也』
 ぞくりとした。
『上手く龍也君には会えたようだね? 宜しく頼むよ。君しかいないんだ。……待ってるよ』
 ……それだけ。背中が寒くなった。室温が五度ほど下がった気がした。……何処まで、この男、知ってる? ……この電話、一体何時だ? 少なくとも、中原が電源切ったのは……。
 七件目。
『笹原です。特急券、グリーン車で二枚、受付に預けてあります。時刻は十五日の十二時丁度、福井発の便です』
 ……待てよ、コレ。昨日の内に『手配』したのか!? ……俺が中原、連れて帰ると踏んで!?
 入ってたのはそれだけ。昭彦からのメッセージは無い。無言で切れたのが、それかもしれないけど。時刻……早朝五時。まだ掛けるには早すぎる。昭彦が起きるのは五時半だ。舌打ちする。中原が風呂場から出て来た。思わず眉をひそめる。
「……お前、せめて何か着ろよ」
 全裸で出て来た相手に言うと、大袈裟に肩をすくめられる。
「……今更?」
 そのまま下着だけはいて、胡座を掻いて座った。
「……中原……お前まさか……着替え持ってきてない?」
「……翌日の事まで、考えていなかったもので」
 うわあ、すげぇヤな奴。俺が来なかったら、どういうつもりだったんだ? コイツ。物凄く厭な気分になる。
「……二度と、そういう事するなよ?」
 噛み含めるように、俺は言った。
「はい」
 素直に、中原はそう言って笑う。……その顔は確かに、物凄く『素直』で『純真』なんだけど……コイツって……。
「……俺、隣り行って着替えのリュック、取ってくる。新しい包帯とか……薬とかもあるし」
「……戻って来るんですか?」
 眉をひそめて、中原に尋ねられる。俺は溜息ついた。
「戻ってくるから……じっとしてろ。その格好で旅館うろつくなよ?」
「……判ってますよ、それくらい」
 部屋の鍵、渡される。
「……待ってますから」
 真っ直ぐな目で。
「……すぐ帰る」
 俺は頷く。そうして、部屋を出て、隣へ行く。部屋の鍵開けて、綺麗に敷かれた布団横目で見ながら、リュックを手に取る。無地熨斗に万札二枚ほど入れて、枕の下に入れる。それから部屋を出た。ぎくりとした。……眼鏡掛けたサラリーマン風。……『笹原』。俺に会釈する。
「……おい……」
「……留守電、お聞きいただけましたか?」
 俺は頷いた。
「受付でお名前おっしゃれば通じます。……では」
 そう言って、目の前通り過ぎる。……そうかよ。聞かなくても判るってか。……面白くない。
 踵返して中原の部屋へ戻る。
「……中原」
 中原は冷蔵庫のビール、飲んでた。おいしそうに、喉を鳴らして。……それは良いけど、缶ならともかく瓶をラッパ飲みすんの、やめろ。思わずがくりとする。俺の視線に気付くと、瓶を差し上げて、
「飲みます?」
 俺は脱力した。
「……冗談やめろ」
 俺はぼやいた。
「アルコール、飲みませんか?」
「俺はお前と瓶ビール、回し飲みしたくないぞ」
「……『下品』?」
「……判ってるなら、やるな」
 中原は残りをぐいと一気飲みした。やめろって言うの、判んないのか!?げっそりした。
「そう言えば、郁也様がビール飲むの、見た事ありませんね?」
「……ビールなんて滅多に飲まねぇよ」
「成程。いつも、シャンペンかワインですよね?」
「……アレは食事の『一部』だろうが」
 中原は変な顔をした。
「……何だよ?」
「……大酒飲んでるの、見た事無かったんで気付かなかったんですが……実は『強い』?」
 きょとんとした。
「……え? ……いや、俺は別にアルコール単独で飲んだりしないけど……」
「……酔った事、あります?」
「別に? 水みたいなモンだろ? 味と香りが付いてるだけで」
 中原は厭そうな顔になった。物凄く厭そうな顔に。
「……何だよ?」
「……やっぱり……『親子』……ですね」
「はあ!?」
 俺は目を見開く。中原は溜息ついた。
「……確かに『血筋』ですよ。似てないと思ったけど……やっぱり似てます。厭な事に」
「何がだよっ!!」
 一人で納得すんなっ!! 中原!!
「……最悪だな……俺って本当……」
「だから何がっ!!」
「……ま、いいか」
 中原が悪戯っぽく俺を見返してきた。
「……今、俺が好きなのは郁也様な訳だし」
「……おい?」
 俺は何だか厭な予感がした。
「細かい事は気にしないでおこう」
 そう言って、唇を寄せてくる。
「……こら……っ」
 胸元に、唇押し当てられて。
「……バカ……っ!!」
 赤い、キスマーク、付けられて。浴衣剥ぎ取られて、押し倒される。
「バカ野郎!!まだヤる気か!?」
「……一回だけですよ」
「もう、たくさんだ!! 一睡もしてないんだぞ!!」
 昨夜だけで……何度『した』と思ってるんだ。覚えてるだけで、七回はしたぞ!? お前それでまだ足りないのかよ!!
「……付き合わされるこっちの身にもなってみろよ!! 俺良い加減疲れた!!」
「……若いクセに何言ってるんですか?」
「お前みたいな『化け物』の基準、俺に押し付けるな!! 俺を『殺す』気か!?」
「『殺す』だなんて人聞き悪い。大体、郁也様は何もしてないでしょうが?」
「何もしてない事あるかっ!! とにかくやめろ!! もうたくさんだ!! 少しは俺を、休ませろ!!」
 怒鳴りつける。中原は舌打ちして俺を下ろした。
「……どうしても『駄目』ですか?」
「……お前な、はっきり言って『拷問』だぞ?」
 中原は厭な顔になった。
「……今日の十二時、福井発の便だそうだ。受付に届けてあるとさ」
 言ってやると、中原はさもあらんと言わんばかりに溜息ついた。
「……少し、休ませてくれ」
 中原は深い、溜息ついた。
「隣で手を握っていても良いですか?」
「……『手』だけならな。それ以外のとこ、触るなよ?」
「……『手』だけで十分です」
 座布団枕に、うとうととしかけた俺の左手を握り、中原は口づけた。……それから。
「……なっ……!!」
 何て事しやがんだ!! この男!! ……判ってたけど、とんでもない男だなんて、十分知ってるけど!! 俺の左手で、自分の『分身』勝手にしごき始めて……バカ野郎!! この状態でとても寝れるか!! お前、人の言ってる事の意味、半分も判ってないだろ!! かなり切羽詰まった感じで、俺の手右手でしっかり握って、擦り切れそうな程激しい勢いでしごき上げて。荒い息遣いが俺にまで掛かりそうなくらい。俺は眉をひそめて、中原を見上げる。中原は両目閉じて、『没頭』してる。……人の『迷惑』ってもん、考えてないだろう? 『陶酔』しきって気にもしてない。……やめて欲しい。こんな身勝手な男に、『好きだ』なんて言われても嬉しくない。……そりゃ嫌われるよりは、マシなんだろうと思うけど。……コイツ、敵に回すのかなり辛そうだし。けど、こんな惚れ方されるのは、かえって『迷惑』って気もする。『放出』して、ティッシュで拭い取って、ようやく『正気』な顔で俺を見る。
「……お前、最悪」
「……どうして?」
 自覚無いのか? 憮然とする。
「……隣で寝て良いですか?」
「……本当に寝るんだろうな?」
 俺は本気で訊く。中原は苦笑する。
「……寝ますよ? 少し、仮眠取ったら『観光』行きませんか? どうせですし」
「……出来れば車な」
「判りました。……けど、手配に時間取られたら時間きつくなりませんか?」
「……歩かずに済むなら何でも良い。バテた」
 中原は苦笑した。
「……考慮いたしますよ」
 ぐらり、と頭の中が揺れた。中原の唇が近付いてくる……けど、それが触れるか否かの内に、俺は眠りに落ちた。……『限界』だった。疲労で『糸』が切れた。これ以上は『無理』だった。ゆっくりと重いどんよりした『夢』の中へ落ちていく。
 何も見ないで眠り込んだ。

To be continued...
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