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週末は命懸け5「抱擁」 -4-

「……そういうのを『普通』と思わされた俺は、どうなるんだよ?」
「えっ!? ……なっ……何言ってるんですか!?」
 驚愕したように、中原は叫んだ。俺は溜息つく。
「……他の人間はともかく、『お前』が『そう』だと思った俺の身にもなってみろ。……判るか?」
「何言ってるんですか!?」
 愕然としたように、中原は叫んだ。頭痛がする。
「……普通、思うだろうが」
「どうして!? そんな事普通考えます!?」
 ムッとした。
「五歳の幼児だぞ!? 知識もろくに無いんだぞ!? 英才教育受けた訳でもない、幼稚園通う唯の普通のガキだぞ!? 初対面も同然の十九・二十歳の男に、んな事され続けてまともな判断下せるか!?」
 呆然としたように、中原が俺を見た。
「……俺はずっとお前がそういう『男』だと思い続けてきたんだからな。深い『意味』なんて考えもせず」
 中原が真っ赤な顔で俺を見た。
「……嘘でしょう!?」
「嘘もクソもあるか!! お前、自分の所業、胸に手を当てて良く考えて見ろ!! お前、今まで俺にどんな事をしてきた!? お前、それに一度でも解説・説明付けた事あったか!? お前、いつもはぐらかしてばかりで……『本音』なんてただの一度も口にした事無かったろう!! それで俺に判れと言う方が、無茶な話じゃないのか!?」
 呆然としたように、中原は俺を見つめる。途方に暮れたように。
「……そんな……っ」
「……良いか?」
 俺は溜息ついた。
「お前、もう少し考えろ。お前のやり方じゃ、何も伝わらないぞ? それで俺に理解しろって方が、間違ってる。……そりゃ、俺も『変』かもしれないけど、お前の方が絶対『変』だぞ? 俺は聖人君子でも大天才でも、全知全能の『神仏』でも無い。ただの『人間』で、年端もいかないガキだ。超能力者でも無いんだから、頼むからもう少し考えてくれよ?」
「…………」
「……だから、『これから』だ」
 中原が不思議そうに、俺を見る。
「……これからで良いから、『努力』してくれないか? 俺も……『努力』するから」
「……どういう意味です?」
「……『判り合える』方が良いだろ?」
 中原は目を丸くした。
「……っ……!!」
「……確かに俺は、特に理由もなくお前に反発し続けてきた気もするけど、お前だって十分すぎる態度だったろう? ちゃんと『理解』する『努力』するから、お前も俺に『理解』させる『努力』しろ。……俺に『何も知らないクセに』とか言ったりして突っぱねる前に、最低限の事しろよ」
「……郁也様……」
「……そもそも、お前、人と『対等』な『関係』作れないとか言って、『努力』した事あるのか? やろうとしなければ、そりゃ誰だって出来やしないだろう? ……その後でなら、どうとでも言えば良いさ。何もせずに、出来る訳ないって……そういうの、俺が一番嫌いな論法だ。ただの『逃げ』でしか無い。俺に偉そうな事、言えないけどそれくらいは判るぜ? 中原」
「…………っ!!」
「……俺に対するお前の態度見てたら、とても『努力』したなんて思えないけど?」
「悪かったですね!!」
 おとなげなく、中原は激昂した。眉間に思い切り皺寄せて、沸騰せんばかりの勢いで。ダン、と敷き布団叩き付けて。ぎらぎらとした目つきで、物騒な顔つきで。そんな事俺に言われたくないって表情で。噛み殺さんばかりの勢いで。それでも俺はあんまり恐くなかった。凶暴な目つきで睨め付けられて、それでも俺は平然と胸を張った。
「……そうじゃないって言うなら、『証拠』見せてみろよ? 身体空いてる時なら、いつでもお前に付き合ってやるぜ?」
 憤然として、中原は俺を睨み付ける。俺は笑ってやる。
「……『弁明』はその後で聞いてやる。親切だろ?」
「……あなたって人は!!」
 ふるふると怒りに身を震わせて、中原は物凄い形相で俺を睨み付ける。……普通の奴なら、気絶しそうな、とんでもない目つきで。殺人者だってこんな目はしないだろう。……たぶん。目線で人を殺せるなら、こんな感じだ。
「……殴るか?」
 中原はカッと目を見開いて、俺を見る。酷薄な笑みに唇を吊り上げて、中原は言葉を返した。
「……そうまで言われて素直に殴るほど、俺は性格可愛くありませんがね。……そうと判ってて言ってるんなら、あなた相当性格悪いですよ?」
「性格悪いお前に言われる程、酷くもないだろ?」
「……全然自覚無い方に言われると、ぞっとしますね」
 喰い殺されそうに、低い声。怒りと憎悪。一歩間違えば、殺されかねない。言葉遣いは丁寧だけど、そんじょそこらのチンピラだって、こんなドスの効いた声は出せない。びりびりと、殺気に似た空気が漂ってくる。
「俺はお前が『理解』したいんだ。……そういう『理由』じゃ『駄目』か?」
 中原は目を細めた。身に纏う、空気はそのままで。
「……『理解』させてくれ。頼むから」
 俺は中原の目を見つめた。ぞくぞくする。本気でコイツ、怒ってる。情け容赦なんて無い。俺は今、この男の逆鱗に触れている。そうと判って、無理矢理足を踏み入れようとしてる。……一歩中に入れば、二度と引き返せない事承知の上で。
「……中原?」
 『危険区域』。『猛獣』の顔で、中原は俺を睨み付ける。俺は心臓を高鳴らせながら、それでも脅えてなんか無かった。噛み付くなら、噛み付けば良い。殺されるなら、それでも構わない。飼い慣らそうなんて思わない。利用しようとも。ねじ伏せようなんて、バカな真似だ。この男は決して屈服したりしない。子供のように泣きじゃくっても、俺を『愛している』と熱っぽく抱きしめても、俺に穏やかで幸せそうな笑みを向けても。絶対に。
「……試しても……みないつもりか?」
 中原は、ぎりりと下唇を噛んだ。鮮血が、溢れ落ちる。
「……それで?」
 凍った声。冷たい目で、中原は俺を見つめた。
「……俺もお前に、『本音』で接するから。それでフィフティ・フィフティだろ? ……それでもまだ『不満』か?」
「……随分、自信過剰なんですね」
 底の知れない声で言う。
「……俺が『恐い』か?」
 『挑発』。中原が俺を睨む。心底冷たい目つきで。油断してると、持ってかれそうな残忍な目で。俺はドキドキする心臓を、懸命に自分の身の内に押し止めながら、努めて冷静な声で告げる。
「……『恐い』ならやめてやっても、良いぜ?」
「……イイ性格してますね」
 中原は、俺の顎を掴んだ。凄惨、とも呼べる笑みを浮かべる。『普通』の奴の浮かべる表情じゃない。『狂人』の目つきだ。俺は眉をひそめながら、それでも視線を逸らさない。中原は、低く笑った。くっくっと、口の中で。喉の奥で。押し殺した、やがてはヒステリックに響く、厭な笑い声へと。喉を鳴らして、耳障りな笑い声で、俺の間近で、物凄い力で顎を掴み上げながら、中原は笑った。耳を塞ぎたくなりながら、それでも俺は中原が笑い止むのを辛抱強く待った。
 中原は俺の顎から手を離し、自らの喉を押さえながら、狂ったように笑った。涙を滲ませるほど笑って、顎を逸らして喉を見せて、それから不意に真顔で俺を見た。
「……仕方ありませんね」
 冷然とした響きで。俺は表情に出ないよう、堪えた。……まだ、安心した顔したら『駄目』だ。
「……それで? 俺のメリットは?」
 ……この男。溜息出そうになる。
「……そこまで考えてやらなきゃならないか?」
「……これでもかなり『譲歩』してると思いますが?」
 凶暴な、目つきで。
「……お前な……望まなければ、何も手に入らないぞ? 『努力』しなければ、何も手に入らない。『俺』が『欲しい』なら相応の『努力』しろ。『努力』次第では、お前の望むモノも手に入るだろ?」
 中原は鼻で笑った。
「……つまり、あなた自身が『報酬』で?」
「お前自身が決める事だ。そこまで俺は『干渉』出来ない。途中でお前の気が変わるかも知れないし、それに関しては明言できない。お前は……『望まない』か? ……本当は、喉から手が出るほど、『欲して』たんだろう? 『他人』との『共存』を」
 中原が、痛そうに眉を顰めた。唇を、ぎゅっと引き絞る。俺は静かに、待った。中原は、こめかみを震わせて、キツく俺を睨み、目を細めた。拳をぐっと握り、何かを堪えるように唇噛み締め、ごくりと何か嚥下して、それから暫し瞑目した。俺は息を潜めて、中原の言葉を待った。中原は両目を開けて、俺を見た。
 静かな目だった。凪の海のような、湖面のような……穏やかな瞳。
「……随分『痛い』ところを突くんですね」
 何処か、諦めたような……けれど、投げやりでは無く。
「……何処まで判ってて言ってるんだか」
 溜息ついて、中原は笑った。
「……『千里眼』なのか『当てずっぽう』か、判らないですけど……『後悔』しますよ?」
「……『後悔』なんて結果がどうあれ、必ずするものだって言った奴がいたんじゃなかったっけ?」
 俺の台詞に、中原は苦笑する。
「……『酷い』ですね。そこでその台詞を持ってくる訳ですか?」
「……俺はお前の為に言ってるんだぞ?」
 中原は微笑する。
「……それがご自分の首絞めてる事、自覚してらっしゃいます?」
 そうして深い溜息をついた。
「……俺が本気で腹立てて、視線逸らさずにいれたのはごく数人ですよ。……無事に済んだのもね」
「……判ってる。お前の『自制心』のおかげだろ?」
 中原は目を丸くした。
「……そこまで買い被ってるんですか!? 俺を!?」
「……は?」
 俺はきょとんとした。中原は苦笑した。ひどく苦い笑み。
「……本当、『バカ』ですねぇ……」
「……『バカ』で悪かったな」
 中原は喉を鳴らして笑った。
「……本当、『バカ』ですよ。俺は……噛み付く相手も間違うくらいの『狂犬』なのに、そういうバカな真似してたら……いつか俺に殺されますよ」
「……『賭け』だったんだ」
「……『バカ』ですよ。俺はそんなに優しくもないし、出来てもない。俺の『自制心』なんて当てにしてたら、いつか本気で死にますよ? 俺は本当、自分で持て余すくらいの『狂犬』なんですから」
「……それでも、噛み付かなかっただろう?」
 中原は本気で厭そうな顔になった。
「……それ、本気で言ってます?」
「……それがどうした?」
 滅茶苦茶厭そうな顔になる。
「……やめて下さい。そんな『信頼』、ただの『苦痛』以外の何物でもないですよ」
 舌打ちまでして。
「……何で?」
「良いですか?」
 物凄い目で睨まれた。
「二度と絶対に!!こういう事、しないで下さい!! 良いですね!! ……じゃないと、ただじゃ済みませんからね!!」
 噛み付かんばかりの勢いで。
「……そんな怒らなくても……っ」
「冗談じゃないですよ!! あなた、俺を『殺す』気ですか!? 咄嗟の『勢い』であなたを殺したりしたら、俺は一生浮かばれないでしょうがっっ!!」
「……は?」
「『は』じゃないでしょう!! 『は』じゃ!! 俺の『理性』や『良識』なんてほんの一瞬で、宇宙の彼方へ飛来するんですから、絶対にやめて下さい!! 冗談でも!! 俺は『まとも』じゃないんですからっ!! 良い加減『理解』して下さい!! 『弾み』なんかで俺は『絶望』したく無いんですから!!」
「……え……っ……?」
「あんまり俺を怒らせないで下さい!! 血管ぶち切らせて脳溢血で『殺す』気ですか!?」
 息を切らせる勢いで怒鳴りつけられて、俺は混乱する。……言ってる意味がいまいち良く判らない。苛々と中原は舌打ちした。
「……頼むから、ろくに考えもなく俺を『挑発』するの、やめて下さい。俺は……とんでもなくタガの外れやすい……『欠陥人間』なんですから」
「……中原……」
「……こいつのせいで、どれだけ俺が『傷害事件』起こしたと思ってるんです? 『傷害』だけじゃない。『殺傷』で捕まったのだって四件ほど……」
 そう言って、溜息をつく。
「……『故意』で無く俺が殺したり傷付けた人間の数、どれだけいると思ってるんです?」
「……中原っ!!」
「……俺の両手は血塗られてる。それはあなたと出会う以前からだ……俺は……『人間』としての『枠』を外れて生きている……俺は……俺自身を呪い……憎悪しながら生き長らえて……」
「中原っ!!」
「……俺はいつも気が狂いそうに、飢え乾きながら生きてきた。……本気で狂えたらと、何度望んだか。……逃れようとしても、逃れられなくて……狂おうとしても狂えなくて。一時的に狂って血に酔って暴走しても、いつも最後には正気に返る。俺は愕然としながら『それ』を見て……」
「中原っ!! もう、いいっ!!」
「……生きてたくないと思う、その一方で……確かに枯渇しなおかつ、涸れ尽きぬ欲望を叫ぶ己も存在していて……俺は……『自己嫌悪』なんてものじゃ足りないくらい……!!」
「もうやめろっ!! 中原っ!!」
「……今更『まっさら』になんてなれない。何人傷付けたかなんてもう、覚えてない」
「中原っ!!」
 俺は中原の口に自分の唇押し付けて、言葉を塞ぐ。中原は真顔で俺を見つめた。俺は中原の唇を舌で割って、その中へ侵入する。唇を強く、吸って。中原の目が細められる。
「俺が『許す』」
 傲慢と呼ばれても良い。身勝手と呼ばれようと。
「俺が『許す』から……全部『忘れろ』」
 中原は苦笑する。
「……あなたって人は……」
「『忘却』は『罪』じゃない。お前はもう悔いてる。それ以上覚えていても、『辛い』だけだろ? 『忘れろ』。俺が『許す』。『過去』は忘れろ。『未来』と『今』だけで良い。責任取れと言うなら、俺が取る。……泣きたければ泣けば良い。けど、もう全部『忘れろ』。……『救われたい』だろ?」
「……『傲慢』……ですね?」
「……中原……」
「……『責任』なんて……子供のクセに」
「……世間知らずの傲慢で無謀なガキだからこそ、言える台詞だろ?」
 にやりと笑ってみせる。中原は喉の奥で笑った。
「……それで? 忘れてどうしろって言うんです?」
「新しく生まれ変われ、なんて言わない。『忘れる』だけで良い。どうしたいかは、お前自身の事だろう? 自力で『忘れる』のが無理なら、俺も協力してやる。……どうしたら忘れられそうだ?」
「……『バカ』ですよ」
「『バカ』でどうした? お前な? 『バカ』より他に強い者は無いぞ? 向かうところ敵無しだろうが」
「『バカ』は早死にするって相場が決まってるんですよ」
「……ただの『バカ』ならな」
 中原はくっくっと喉を鳴らした。
「……どっから来るんですか? その『自信』」
 俺は目を丸くする。
「『自信』じゃねぇよ。そんなんじゃなくて……」
 ちょっと、考える。上手く言葉が見つからない。
「……何となく、そう思うだけ」
 ぶっと吹き出された。思わず俺は顔をしかめる。中原は大爆笑する。……おい、何でそんな笑うんだよ? お前……ひょっとして笑い上戸か?……ヒィヒィ喉を鳴らして、笑い転げられる。俺は憮然として、中原を見た。腹を抱えて笑い転げて。コイツ……本気で『二重人格』だ。
「……以前から……ずっと思ってたけど……本当、あなた『変』ですよ。本気で『変』です。……おっかしくて……っ!! ……涙出る……っ!!」
「もう、出てるだろうが」
 憮然として言うと、中原はヒィヒィ言いながら、目尻に滲んだ涙を拭う。
「……そんなにおかしいか?」
 落ち着いたかと思ったのに、中原はまた更に声を上げて笑い転げる。俺は溜息ついて、笑い止むのを待った。中原は肩を大きく震わせ、ぜぇぜぇ荒い息をついて、ようやく笑い止むと、真顔で俺を見た。
「……どうしたもんでしょうね?」
「……あのな、中原」
 がっくりする。
「……『駄目』ですね。危なっかしくて放っとけない。あなた、本気で『恐い』人ですよ。確かに世の中に一人くらい『あなた』みたいな人、いれば面白いでしょうけど……もう『他人面』出来ませんね」
「……中原?」
「……『責任』取って下さるそうだから、取っていただきましょうか。それと別に……」
「?」
「むやみやたら、『命』張ったりするの、やめて頂けます? もう少し『慎重』になって下さい。子供だからなんて言い訳、そろそろ効きませんよ?」
「……それで、お前は?」
 中原は苦笑した。
「……少なくとも、俺はあなたを『忘れる』事は出来そうにありませんよ。『責任』取って下さるんでしょうね?」
「……取れと言うなら取ってやるけど……」
「……それ、どういう『意味』か判ってます?」
「え?」
 中原は舌打ちした。
「……判りました。……どうせ、何もかも俺が悪いんでしょうよ」
「……中原?」
「自分で掘った墓穴と思えば、少しは諦めもつくと……まあ、俺も大概バカですけど……」
「はぁ!?」
「……くだらない嫉妬と独占欲ですよ。俺は……あなたの後ろに立てる『栄誉』を誰にも渡したくなかった……あなたに触れられるのも、俺だけであって欲しかった」
「……中原?」
「……本当は、あなたを誰の目にも触れさせたくないけど……」
「中原!!」
「……それは無理だから、せめて『約束』して頂けますか?」
「……何だよ?」
「その唇も、目も、指も、胸も、足も、腕も……ペニスもアナルも髪の先から、爪の先まで、何もかも俺のモノだって」
「っ!?」
 俺はカッと血の気が昇るのを感じた。
「……なっ……ななっ……何をっ……!!」
 みっともないらいに、俺は激しく動揺した。
「……『責任』取って下さるんでしょう?」
「……なっ……!!」
 開いた口が、塞がらない。
「『責任』取って下さいね? 勿論女の子と『デート』なんて許しませんから」
「……中原?」
「……じゃないと俺は嫉妬で、相手を殺してしまうかもしれない。『困る』でしょう? そうなったりしたら」
「……なかは……っ!!」
 俺は愕然とした。
「……『婚約』なんてものもしませんよね? そんな事になったら、血の雨が降りますよ。『白神』と殺傷沙汰になんかなったら、最悪ですよね」
 にっこりとそんな事言うけど!!
「……お前まさかっ……!!」
「……まさか、気付いてなかったんですか? 俺がずっと『嫉妬』してた事」
「……なっ……!!」
 思わず目を見開く。
「何で!? 一体!?」
  中原はにやにやと笑う。
「……『狡い』でしょう? 今まで何の面識もなくて、付き合いもなかったクセに、急に目の前降って現れて。それで勝手に『婚約者』面されたら、絶対気に食わないでしょう?」
「……なっ……!!」
 それじゃ俺が太田の事好きなのバレたりしたら……一体どうなるんだ!? おい!!
「……だって……俺自身は……っ!!」
「……だから、きっちり断って下さいね?」
「……だって他の『婚約話』持って来られたりしたら……」
「……『断って』下さいね?」
 有無を言わせない口調で。顔は笑ってるけど……コイツ、中身は全然笑ってない……。俺は思わず泣きたくなった。
「……中原……お前……っ」
「本当は俺以外誰にも笑うの禁止、とか言いたいところだけど、それだけは勘弁して差し上げます。親切でしょう?」
「……お前……っ……最悪……っ!!」
 中原は目を細める。
「……それは『心外』ですね。そんなのはとっくに『承知』だと思ってましたが?」
 笑いたくなった。……ひどく、疲れた。おかしくなりそうだ。
「……っ……ははっ……」
 乾いた笑い。涙も出ない。けたけたと、俺は笑い出した。中原は目を細めたまま、俺を怪訝そうに見る。空虚な笑いの発作。……笑う、しかない。俺の、俺自身のしでかした、……その『結果』。この男を……助けたいと思ったのは『事実』だ。いなくなるのは『厭』だと思ったのも。『救って』やりたいと思ったのも確かに『事実』で。『欲しい』と思うのも、『必要』なのも『そう』だけど……俺は何もかも引き替えで、この男を助ける気があったか? この男の為に、他の何もかもを犠牲にしても良いと思ったか? 俺はこの男の『申し出』にどう感じた? ……俺はコイツに、嘘言ったつもりは無い。誤魔化しを言ったつもりも、騙したつもりも毛頭無い。……けど、『コレ』は何だ? かえって俺、酷い事してないか? コイツを『救う』つもりでかえって『深み』にハメてないか? ついでに『俺自身』まで『深み』にハマって。
 今更『厭』とは言えない。ここまで来て、引き返せない。ここで『拒絶』出来るか? 俺は……『我慢』出来るか? ……悪気は無い。傷付ける気も毛頭無かった。むしろその逆で。……でも、『コレ』は一体何だ? 俺はこんな事態まで、予測してたか? ……知らなかったで済まされるか? コイツ、笑ってるけど、物凄くとんでもない事考えてるぞ? 判ってるつもりで……俺は全然判ってない……。コイツはそう気は長くない。さっさと『返事』しないと、ぶち切れる。下手すると殺される。……ははは、俺って……今更ながらひでぇバカ。
「……郁也様?」
 俺は中原を見上げた。
「……どう『社長』に『言い訳』する?」
 中原はにやりと笑った。
「……向こうに断らせるってのはどうです?」
「……お前、『波風』立てる気じゃないだろうな?」
 厭な予感。
「……『穏便』に済ませたいんですか?」
「……済ませたいだろ? 普通」
「……手っ取り早いと思ったのに」
 俺は眉を顰める。
「……中原、お前、物凄く『不穏』な事考えてた?」
「女の口を黙らせるなんて、ひどく簡単ですよ」
「……頼むから、そういうの、やめろ」
 げっそりした。
「……俺はそこまで『人道』踏みにじれない。頼むから……俺の気持ちも少しは汲んでくれ」
 ……本気でやめて欲しい……。
「そうですか? プライド高そうだから、あの手のタイプにはぴったりだと思ったんですが」
「……お前……物凄く『最悪』だぞ。言われた事無いか? ……発想が、物凄く『下品』」
「……ああ、言われますね。時折」
 ……『時折』じゃねぇだろ。
「……ああ、判った。その件は俺に任せろ。お前は何もするな。悪いようにはしない」
 って言うか、お前は何もするな。頼むから。
「……どうする気です?」
「……頭、下げてくる」
「……それで何とかなるとでも? あのお嬢さん、結構『本気』ですよ?」
「……は?」
 何それ。
「判ってなかったんですか!?」
 中原が大仰なくらい目を見開いた。
「……あの人、あなたの事かなり『熱心』に『好き』じゃないですか!!」
 何!? ……思わず中原を凝視する。中原は舌打ちした。
「……まさか気付いて無かったんですか?」
 物凄く厭そうに。つまらない事言った、と言わんばかりの口調で。
「……だって……!!」
「……プライド高いタイプだから、自分からは決して折れたりしないでしょう。可愛くないと思われても、しおらしい態度なんて絶対しないんじゃありません?」
 溜息ついて、中原は言った。……そんな……そんなの……全然知らないぞ!? だって……あの『態度』……っ!! ……アレで判れってのは……!!
「……良くそんなので、今までGFとか作れましたね? かなりニブすぎませんか?」
「……悪かったな。『連中』は判り易かったんだよ。一言、二言話し掛けたトコで大体『感触』掴めたし……」
「……つまり、あなた『態度』で示さないと判らないんですか?」
「……どうせ俺はバカだよ。うるせぇな」
「じゃ、俺なんかはベタベタに甘くして差し上げれば宜しいんで?」
 ……うわ、何か厭味な言い方。
「……あのな、中原」
 溜息つく。
「最初に『釘』刺しておくけど、お前人前やその近辺で変な事すんなよ? ……ほら、昨日みたいに見られたりしたら……」
「……『野木』ですか? 大丈夫ですよ。ひょっとしたら『社長』には洩れてるかもしれませんが、それ以外には絶対洩れません」
 思わず俺は赤面した。
「……っ!!」
 中原はにやりと笑った。
「……『恐い』ですか?」
 ぞくりと身震いした。
「……あのな……っ!!」
 滅茶苦茶厭だ。泣きたくなる。
「……そういう問題じゃなくて!! ……大体、アイツ、あれ以来俺見る度に顔赤らめるんだけど!!」
 勿論『社長』に知られるのは厭だが!!
「……ああ。じゃあ、俺から『釘』刺しておきますか?」
「……お前……何するつもりだ?」
 不穏な気配。中原はにっこり笑う。
「大丈夫。そんな心配するような事ありませんよ」
 何か厭な予感。物凄く。
「ちゃんと『指導』しておきますから」
 にっこりと。
「……お前、『暴力』はやめておけよ?」
 中原は目を丸くする。
「……厭ですね? 俺をそんな風に思ってらっしゃる?」
 って言うか、お前そういう奴だろうが!!
「……心配しなくても、『問題』にはなりませんよ」
「……中原……お前……」
「……まあ、でも……『社長』の耳に入る場所では『控えて』おきますか。俺もあの人の『厭味』はあまり聞きたくありませんし」
「……なっ……!?」
 ちょっと待てよ!! 中原!! お前……っ……それ、どういう意味だ!?
「……中原!?」
 思わず凝視する。中原は笑った。
「……俺の考えてる事なんて、とうの昔にバレてるんですよ。俺が否定したって何もならない。その『証拠』にあの人はあなたをここへ寄越したんでしょうし。……俺があなたに何をしようが……結局あの人は……自分の手の平にいる分には……『干渉』さえしてこない……。本当に『恐い』のは、あの人の『思惑』から大きく外れて『行動』し始めた時ですよ。あの人はどんな手を使っても妨害してくる。『人身御供』を使ってでもね」
「……『人身御供』……?」
 俺は訳判らなくて聞き返す。中原は気まずそうに、下唇を噛んだ。
「……『俺』が巻き込んでるっていうよりは……『あの人』が巻き込んでるって気もしないではないんだがな……」
 自嘲気味に。
「……中原?」
「……どうせ『あの人』には俺の『感情』ですら、『ゲーム』のデータ・ソースでしかない。俺はもうずっと『あの人』の『玩具』でそれから抜け出せて無い」
 意味が良く判らない。
「……『あの人』って『社長』か?」
 中原が複雑な表情をした。泣き笑いのような、苦笑のような。
「……とんでもない人ですよ。『信用』なんかしたら酷い目に遭わされる」
「俺はただの一度も、『信用』なんてした事無いぞ?」
 中原は苦笑した。
「……確かに俺の『都合』の良い時には『利用』させて貰ってるが……『使える』からな」
「……あの人、あれで結構あなたの事、可愛いんですよ?」
「そう思ってるなら、尚更『利用』するべきだろ? もっとも、あんまり『借り』や『恩』は作りたく無いが」
 中原は笑った。
「……成程。……だから『可愛い』のかな」
「……何が?」
「……あの人、自分に『忠実』だったり『素直』だったりする人間には、かなり結構『冷たい』んですよ」
「……は?」
「……ええと確か……何て言ってたかな? ……たぶん……『誰にでも尾を振るような』のより『誰にも懐かない』のを懐かせるのが醍醐味だとか何とか……。大体、あの人昔から『趣味』悪いんですよ」
「……中原?」
「……言いましたっけ? 十年前に『久本』へ勤める更に五年前、まだ中坊だった頃、独身時代のあの人に会ったんですよ。……アレが俺の『災厄』の付き始めです」
「…………」
  初めて、聞いた。
「……今も『極悪』ですけど、あの頃は更に『極悪』でしたよ。今じゃ悠然と構えてますけど……あの頃は若かったですから……」
 そう呟いて、中原は左手の腕時計を外して俺の目の前かざした。
「……っ!?」
 刃物か何かで切り付けた古い傷痕と、それを更に何か大型動物かなんかに噛まれたような、醜い引きつれ。
「……手首を切った痕と、あの人に噛まれた痕です」
「っ!!」
 中原は苦しそうに、眉をひそめた。
「……忘れさせて、くれますか?」
「……中原……」
 何か厭なモノを、呑み込むような顔して。真っ直ぐに、俺を見つめて。
「……俺はいつも……『悪夢』しか見られない。俺に『平穏』な『夜』なんて無い……。薬の力を借りないと、ぐっすり朝まで熟睡できない……」
 俺はその左手首に唇を押し付けた。
「……俺は何をしたら良い?」
 中原は微笑した。
「……そばにいてくれますか?」
「『いろ』というなら、『いて』やるさ。……どうせ、逃げられないだろ?」
「……逃げる気ですか?」
「……お前といると、窒息しそうだからな。けど、どうしたものかな……俺自身も結局……」
「……何です?」
「……『失えない』から」
 俺の言葉に、中原の瞳に涙が浮かび上がった。コイツ、本当泣き上戸だな……。思わず苦笑する。頬にキスする。中原は目を閉じて、それを受ける。
「……嬉しい……」
 心底嬉しそうな顔で。つられて俺も笑う。目を開けた中原に抱きしめられる。
「……『夢』みたいだ……恐いくらい……っ」
 何だか、胸の奥がツンとする。子供のように無邪気な顔見てると……一体どうして、と思う。どうして……コイツは……。
 目を閉じて、唇を交わす。優しいキスに微睡みながら、俺は中原を見上げた。
「……好きです」
 俺は返事の代わりに、その唇へキスを返した。俺は同じ言葉を返せない。……だから、代わりに。中原は目を閉じた。
「好きです。俺は……あなたが……っ」
 嘘はつきたくないから。『残酷』なのは知ってる。判ってる、つもりだ。キスで返答して……俺の精一杯の『想い』を込めて。
「……郁也……っ……様……っ!!」
 熱い瞳で見つめられて。俺も真っ直ぐ見返す。まだ俺は『応えられない』けど……『判って』欲しい。俺は……お前が……。
 キスを交わしながら、溺れ込んで。どろどろになって。熱く溶けて。夜が明けて空が白むまで、キスと身体交わし続けて。ヘトヘトになって、朦朧としながら。気が狂いそうになりながら。荒い呼吸の中で、互いに視線交わして。
「……中原……っ」
「……郁也様……」
 身体の中、おかしくなりそう。ガクガクになって、崩れ落ちる。中原の腕に抱き留められて、口づけられる。……これ以上は、『限界』だ。全然『駄目』。中原はそっとキスした。
「……誰にも……触らせない……」
 俺は苦笑した。
「……『不可抗力』は『考慮』しろよ?」
 中原は頭を振った。子供のように。
「……中原、お前……な」
 思わず笑った。中原が微笑した。

To be continued...
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