NOVEL

週末は命懸け2 「罪」 -5-

 それから二週間強経った頃。昼休み、昭彦と屋上でメシを食おうという話になって、俺は購買へパン買いに行った。のは、良いのだが、屋上へ行くと、そこには誰もいなかった。……代わりに昭彦の弁当箱が中味ごと辺りに散乱していた。
「……嘘だろ?」
 誰がどう見たって異常事態だ。慌てて辺りを見回すけれど、誰もいない。……いないって事は……こういう場合、やっぱり……!
 踵を返し、階段を駆け下り、保健室へと駆け込んだ。
「先生!! あのっ……昭彦っ……!!」
 飛び込んで、ギクリとした。養護教諭の向かいに、椅子に座ってこちらを振り返った少女……!!
「中西!?」
 すると、彼女はきょとんとした。
「……どちら様、ですか?」
「は!?」
「……私の事、知ってるんですか?」
 不思議そうに、中西聡美はそう言った。
「……久本君、藤岡君なら今、出て行ったところよ」
 養護教諭が言った。
「……えっ……!?一体……どういう事……!?」
 俺は混乱した。すると、養護教諭が言う。
「……彼女、屋上の手摺りから転落しそうになったんですって。幸い、擦り傷と打ち身で済んだけど。……藤岡君が助けてくれたのよ」
「……えっ……昭彦……? ……何でっ……!」
「偶然、通り掛かったんですって」
「私の事、どうして知ってるんですか?」
 中西聡美が警戒の色を滲ませながら、そう言った。
「知ってるも何も……っ!! そっちこそ何言ってんだよ!! 中西!! 大体、何で中西と昭彦が接触するんだよ!! 何かおかしくないか!?」
「……あの、おかしな事言ってるの、あなただと思います」
 あなたなんて全く知らない。……そういう顔をして。俺はますます混乱した。
「だって……覚えてないのか!? 六月十日だぞ!? あのっ……どうしてっ……!! 何をっ……!!」
「……十日?」
 怪訝そうな顔をする。
「……その日、何か、あったんですか? 他の人にも、聞かれたんですけど」
「は!?」
 相手が何を言ってるのかさっぱり判らなかった。
「……ちょっと待てよ!! 中西!! まさかっ……まさかお前……っ!!」
 その時、ガラリと扉が開いた。
「どうしてあんたがここにいるのよ!!」
 悲鳴のような怒声。一気に血の気が引いた。振り向かなくたって判る。太田知子だ。すぐさま逃げ出したい気分に駆られた。けど、一瞬足が動かなかった。つかつかと歩み寄ってきて、いきなり平手で叩かれた。爪が頬を掠めて熱い痛みが走った。滲む涙を堪えながら、恐る恐る太田を見た。……憤怒の表情だった。ぞっとするくらい、恐くて綺麗だと思った。……この期に及んで。
「……あんた、一体何考えてるの!? あんな事しといてまだ足りないって言うの!? あんた、聡美に何の恨みがあるって言うの!? 聡美を殺す気!?」
「……ちょっと、太田さん……」
 養護教諭が止めに入ろうとする。
「折角聡美は忘れてるんだから、わざわざ目の前に姿見せて思い出させないでよ!! これ以上、聡美を不幸にさせないでよ!! あんた、一体何様のつもりなのよ!!」
「……忘れて……?」
「二度と私達の前に顔見せないでよ!! 疫病神!!」
 不意に、はっと気付いた。……中西聡美は事故のショックで暫く何にも反応しない状態になっていた。もしや……中西聡美は……事故とその前後の記憶を抹消する事で、正気に返ったのだろうか……だとしたら……。
「……覚えて無いのか!? 何もかも!?」
「そうよ!! あの日の記憶は何も無いわ!! だからもう、構わないでよ!! 聡美の幸せは誰にも壊させない!! あんたなんかに、壊させないわよ!!」
 急に、笑い出したくなった。……そんな場合じゃないと、判っていて。気が狂いそうな程、笑い出したくなった。……忘れた? あの日の朝、俺に話し掛けられた事も、あの日の午後、公園であった出来事も、それからあの事故の事も。俺が自己嫌悪に陥って……ガラにもなく落ち込んでいたあの事全て、全部。
「……別に、会いたくて会った訳じゃないさ」
 自分でもイヤだと思うくらい冷たい声だった。
「……知り合いがいると思ったら、君達がいたんだ。俺の方こそ……会いたくなんか無かったさ。一生な」
「何ですって!?」
「うるさいんだよ。ヒステリックに。……そうやって一生キイキイ言ってろよ、優等生。……邪魔したね、センセ。失礼するよ、じゃ」
 そう言って、踵を返し外へ出て、扉を閉めた。太田知子の罵声が飛んできた。俺は思わずその場に崩れ込んだ。声も無く、笑いが込み上げてきた。肩が、背中がひくひくと震える。手が、ぶるぶると震えていた。声は出なかった。苦しくて、気が狂いそうだった。両目から、涙がこぼれ落ちてきた。体温が下がっていくような感覚。衝動的な笑いは、ひどく空虚だった。何にもなくて、空っぽで、気がおかしくなりそうだった。足がガクガクと震えて、とても立ち上がれそうになかった。……情けなかった。ひどく情けなかった。とにかく、ここから移動しなくちゃならなかった。震える手を床について、震えながら壁に手を掛け、よろよろと歩いた。……みっともなくて、誰にも見せられない姿だった。壁伝いに、ふらふらしながら歩いて、何とか階段に辿り着いた俺は、そこに腰掛けうずくまった。両手で顔の周りを囲ってそこに座り続けた。もう、涙は出なかった。笑いの発作も治まっていた。頭痛と眩暈がした。ひどく身体が重くて、俺は始業のベルが鳴っても、そこに座り込み続けた。普通教室が近くに無いその階段には、放課後になるまで、誰も来なかった。

「……あのさ、郁也」
 昭彦がそう言った時、俺はとても厭な予感がした。脳裏には中西聡美の顔が思い浮かんでいた。
「昨日、ちょっとさ……可愛いんだけど、何か変わった女の子を助けて、さ」
 的中、だ。俺の顔は暗くなったに違いない。
「それで聞きたいんだけどさ、お前校内の可愛い女の子について詳しいだろ?こう、髪が長くて色が白くて、背は一六二cmくらいですらっとした……」
「……やめとけよ」
「まだ何も言ってないだろ?」
「やめとけって!! ろくな女じゃないから!!」
「……そういう言い方あるかよ!! 大体、そういうんじゃないんだよ!! ただ、変な事言ってたから、その後が気になってさ!! 知りたいだけなんだよ!!」
「……変な事……?」
「……あのさ……何て言うんだ? ……その……大きい声で言えないんだけど……」
 と、耳に口を近付けて、小さく『飛び降り』と言った。思わず俺は目を見開いた。
「……を、したように見えたんだけど……俺の目には、ね」
「……ちょっと待てよ!! 何だよ!! それ!!」
「落ち着いて聞けってば!! 大声出すなよ!!」
「お前だって大声出てるって!」
「……揚げ足取るなよ。……とにかく絶対大声出すなよ? ……あのさ、俺はそうだと思って、何て言うの? 丁度、その瞬間に居合わせたから、慌てて駆け寄って……その……」
 また、耳元で『足を掴んで、引き上げたんだ』と言う。
「……おい、それって……」
 昭彦は神妙そうな顔をする。
「……そういうのって普通『そう』だと思うだろ?」
「普通も何も、そのものじゃないか!」
「だから大声出すなってば!」
「……ってお前な……昭彦……」
「……けどさ、彼女はそうじゃないって言うんだ」
「は?」
 何を言われたのか、判らなかった。
「『鳥のように空を飛ぼうと思った』って」
「は!?」
「『鳥のように空を飛ぼうと思った』からそうしたんだって言うんだ」
「…………」
「これって絶対、またやると思わないか?」
「!?」
「……それでさ、彼女にもう一度きちんと言おうと思って。……俺、昨日『こんな処から落ちたら、普通人間は死ぬ』って言ったんだ。そしたら……その……昨日はそれほど俺、深くは考えなかったんだけど、彼女……『じゃあ、ここから飛ばない』ってそう、言ったんだ。……だから、あれから家帰って考えたんだけど……それって『屋上から』って意味じゃないかと思って……さ」
 何だって!?
「……ヤバイと思うだろ? だから早く何とかした方が良いと思うんだよ」
「……って言うかお前、そんな事に首突っ込んでんじゃねーよ!! バカ!!」
「は!? 何言ってんだよ!! だって放っとけないだろ!? 放っといたら、絶対とんでもない事になるだろ!? そうと判って放っとけるかよ!!」
 ……物凄く頭痛がした。
「……あのな、昭彦。どうしてお前、そう、わざわざ面倒事の臭いのするような事に首を突っ込むんだ? 昔から? ……お前、厄介事背負い込むの、そんなに好きか? バッカじゃねぇの? そんなの、お人好し以前にバカ以外の何物でも無いんじゃねぇ? お前、自分の自己満足の為に、他人の事ちょっかい掛けてんじゃねーよ。お節介なんだよ。それくらい判んねーの? 判んねーなら一回俺がその空っぽの頭殴って、正気付かせてやろうか?」
「は!? 何でそんな事郁也に言われなくちゃならないの!? それってあんまりじゃない!?」
「そりゃお前がすっげーバカだからだろ? バカはバカらしく、余計な事に頭使わずおとなしくしてろ。中西聡美みたいな面倒な女なんかより、ずっと可愛くて優しくて性格イイ子幾らでもいるだろ? 何なら俺が紹介してやるから……」
「中西聡美!? それで、何組!?」
 ……げ!!
「やっぱり知ってるんだな!? それで!?」
「お前な!! そのお節介でどれだけ酷い目に遭えば、反省するんだ!! 学習能力無いのか!?お前、それで今までどれだけとんでもない目に遭ったと思ってるんだ!! バカ!!」
「……え? そんな事、あったっけ?」
「あったっけも何も!! 拾った財布届けて、落としたオバハンに盗人呼ばわりされたり!! 迷子になった子供助けて、人さらい呼ばわりされて、危うく警察呼ばれそうになったり!! 訳の判らん女助けて、お腹の子供の父親にされ掛けたり!! 数え上げれば、きりが無いぞ!!」
「……って言うか、どれも皆、すぐ疑い晴れたじゃないか」
 なんてへらっと笑ったりするし!!
「バカ野郎!! 三件目なんか、一週間停学喰らっただろうが!!」
「でも、すぐ疑い晴れたし、父親も見つかって丸く収まったじゃないか。大体、そんな事大声で言うもんじゃないだろ? 郁也」
「どうしてお前はそうけろっとした顔してるんだよ!! 普通、そういう事あったりしたら、少しは慎重になるもんだろうが!!」
「……って言うか俺、そんな酷い目に遭ったとか思わないし」
「……思わないし、とかいう問題か!? 少しは思えよ!! 普通はそれで十分なんだよ!!」
「……って言うかさ、そんなのより、困ってる人を見ると助けずにいられないんだよ。判らないかな? 郁也」
「判るか!! そんなの!! お前、変態か!?」
「……あのな……そうじゃなくて、そうせずにはいられない。つまり、俺がやりたくてやってるだけで、見返りとかそういうの、全然無いんだよ。他人の為じゃなくて、自分の為なんだ」
「それが自己満足以外の何だって言うんだ!!」
「……そうは言うけどさ、郁也。性分なんだよ。判らないかな? それが正しいと思うとか言うんじゃなくて、義務感でもなくて、それで自分が嬉しく思ったりするんでもなくて、そうやらなくちゃ駄目なんだ。何て言うんだろう? 助けを必要としてる人がいて、その人を助けようとしないと、その日の朝食を取り忘れたみたいな、何か物足りない感じの、欠乏した感じになるんだ。だから、そうせずにはいられないんだよ」
「……病気か? お前」
「……って言うか郁也。俺がこういう性格じゃなけりゃ、お前と付き合ってないと思う」
「何!? お前、俺とお情けで付き合ってんのか!? そりゃ何か果てしなく間違ってないか!? 大体俺は、お前に友達になってくれと頼んだ覚えも、何かしてくれと頼んだ覚えも無いぞ!!」
「……いや、そうじゃなくて、面倒事を嫌う性格だったら、郁也と付き合ってないって事」
「……そいつは随分俺に対して失礼な話じゃないか? 昭彦」
「……って、自分がトラブル・メーカーだって自覚、ないだろ? 郁也」
「は!? 俺の何処がトラブル・メーカーだって言うんだよ!!」
「……全然自覚ないじゃん。別に俺はそれをお前に直せとか言わないけど、その代わり俺にどうこう言われたくもないんだよな」
「……何か? 俺に問題があるから、お前にもあるんだとそう言いたいのか?」
「自覚ないんだから仕様がないじゃないか。郁也の場合性格と言うより存在そのものがそうなんだから、直せないのは明白なんだよ」
「……どういう意味だ?」
「……いや、俺はそういう処を含めて郁也の事を好きだし、その事を問題だとは思ってないからどうだって良いんだけどさ、同時にお前が問題視してる俺自身の点についても、それは全く問題ないと思ってるから、郁也がしつこく固執する事に対して、疑問を感じるだけなんだ」
「……あのな……昭彦」
 がっくりくる。
「……良いか? そんな事になる前に、一言言っとくぞ? お前みたいな大バカ野郎はな、将来良く知りもしない奴の借金の保証人なんかになって、相手に逃げられて、自分にゃ一生かかっても払いきれない借金背負わされて、首くくって死ぬんだ!! その時になって泣いても、どうしようも無いんだからな!! 判ったか!? この大ボケ野郎!!」
「……って郁也……それ……話飛躍しすぎ……」
「……バカ野郎!! 俺はそういう大バカ野郎をこの目で何人も見て来てるんだ。どうしようもなくなってから、『親父』に泣きついてきたり、逆恨みしてナイフで切り掛かってきたり、俺もとばっちり喰らったりな」
「……そうは言うけどさ、俺、そんな風になると思う?」
「……ならないとでも言うのか?」
「大体さ、逃げたって思われた人だって、ひょっとしたら本当は、一生懸命お金稼いで戻って来るつもりかも知れないじゃないか」
「なっ!!」
「なのに、勝手に逃げたなんて決め付けちゃ可哀相じゃないか。信じてあげなきゃ、何も始まらないよ。信頼ってそういうものじゃない?」
「何バカな事言ってる!? この腐れボケが!! 人間なんか皆悪意の塊だぞ!? 自分の事しか考えない勝手な生き物なんだぞ!? そんなモン信用したら、身ぐるみ剥がされてどっか売り飛ばされて、臓器切り刻まれるぞ!? お前何とち狂った事言ってんだ!!」
「……って言うかそれ、かなり大袈裟だと思う」
「……お前な、昭彦。本当お前、世間知らなさ過ぎるぞ? 世の中にはな、信用するととんでもない人種がいるんだ。けどな、そういう連中は表向きは人の好さそうな顔していて、相手に警戒心を抱かせないんだ。そういうのが得意なんだよ。判るか? 連続殺人犯も女児誘拐犯も、生きた人間から無理矢理臓器摘出して売るような連中も、一応人の姿をしてるんだ。じゃなかったら何処の誰が信用なんかする? いかにも怪しそうなオーラ発してますぅなんて奴が、実際犯罪やってたら、すぐバレて豚箱行きになるに決まってんじゃねーか。そうならないのは、そういう事しそうにない顔で、平然として日常生活してるからじゃないか」
「……郁也って、物事悪く考えすぎだよ」
「違う!! これは俺の経験上忠告してやってんだ!!」
「……って普通そういうの、日常茶飯事にある訳ないだろ?」
「……あのなぁっ!!」
「郁也はもうちょっと人間信用しなきゃ駄目だよ。世の中、良い人はいっぱいいるよ?」
「……だからっ……!!」
 ……駄目だ。昭彦とはどうも、肝心な所で話が通じない。根本的な処が違うって判ってる。判ってるけど、俺が心配してやってんだから、ちょっとは素直に聞けよ、コイツは。
「郁也がさ、俺の事心配して言ってくれてるのは判ってるんだ。だけどさ、何て言うんだろう? 郁也はちょっと恐がり過ぎだと思う。そんなんだから、俺外に友達いないんだろ?」
「そんなものが何の役に立つ?」
「……真顔で言うなよ、そんな事」
 昭彦は溜息をついたが、溜息つきたいのはこっちの方だ。
「俺、郁也にそんな心配されるほど危なっかしくないよ? むしろ、お前の方が俺は心配だよ」
「何言ってんだ!?」
 とち狂ってるとしか思えない。
「……囲いを作りすぎるって言ってるんだよ。俺も含めて皆に、さ」
「それの何処が悪い」
「……開き直るなよ。そんなんじゃ誤解されるだけだって。……判らないだろ? 他の奴に」
「おかしな事言うな、お前」
「おかしいのは郁也だろ?」
「…………」
「…………」
 埒があかない。
「じゃ、俺。中西さんとこ行って来る」
「……教室知らないだろ?」
「聞けば判るよ」
 昭彦は自信ありげににっこり笑う。……こうなったら駄目だ。昭彦はかなりの頑固者だ。梃子でも動かない。
「……1−Dだよ。……ただ……あんまり深く関わるなよ? ろくな事にならないから」
「ありがと、郁也」
 そう言って、昭彦は行ってしまった。……俺はもうずっとヤな予感しかしない。昭彦の奴、果てしなく面倒な事に足を突っ込もうとしてるんじゃないか? アイツは誰にでも同じくらい『優しい』。割とイイルックスをしているので、実は結構モテてはいるのだが──俺とは違って愛想も良い事だし──本人自覚が無くて、誰にでも友達感覚で接してしまう。俺が思うに、あいつは未だ『初恋』すらした事が無いんじゃないかと思う。奥手と言うより『ニブイ』のだ。単に。俺自身は異性間に友情は芽生えないと思うが、昭彦に限っては有り得る。……が、俺の見たところ、今のアイツは……。
 たぶん、自分じゃ自覚無いんだろうな。……今までとはちょっと様相が違う。……昭彦が、中西に惹かれつつある。そういう予感が……悪夢みたいだが……俺の脳裏をよぎりつつあった。

To be continued...
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