NOVEL

週末は命懸け2 「罪」 -4-

「……今日は用事があるの。手短にして」
 固く緊張しきった声で、中西聡美は言った。朝の剣幕とはずいぶんな違いだ。太田知子はいない。けど、何処かに隠れてるんだろう。そんな気配がする。喫茶店に入るのは厭だと、『昨日』の公園のペンチに固執した。勿論、中西聡美は昨日、俺がここで見た事など知らない。時計を気にしてばかりいるところを見ると、あの男、滝川守が来るのを待っているのだろう。おそらく、『彼氏』を牽制に使う心積もりと見た。
「……随分時間に急いてるみたいだね」
 俺は半ば相手を安心させようと、笑い掛けた。しかし、まるで効果は無い。
「……俺を怖がってるの?」
 彼女は答えない。時計を見ている。
「見もしないで、断る気? 俺なんか見る価値も、話を聞く価値も無いって?」
 残酷な感情が頭をもたげてきた。それは無いだろうって思った。ただ、ここまで自分を無視された事は記憶に無かった。
「……中西さん」
 彼女は返事をしなかった。それが導火線になった。俺は無理矢理、彼女の腕を掴み、腕時計を取り上げた。中西聡美は慌てて腕時計を取り返そうとした。……それで、この腕時計が『彼氏』からのものだと瞬時に判った。俺は思いきり遠くにそれを放り投げた。中西聡美が声にならない悲鳴を上げて、それを必死で追い掛けた。ヤバイ、と気付いた時にはもう遅かった。中西聡美は車道に飛び出していた。しまった、と思った丁度その時、向こうの角から大型トラックが左折してきた。彼女が撥ねられる、そう思った瞬間、人影が飛んで、彼女が突き飛ばされた。悲鳴のようなブレーキの音。誰か少女の、絶叫する声。それから知らない誰かの声。無我夢中で駆け寄った。大型トラックはスピンして街灯にぶつかった。けれど、その前面には真新しい血が飛び散っていて。……そしてへたり込んだ中西聡美の目の前には……。
「っ!!」
 叫び出したい衝動に駆られた。そこに倒れていたのは、かつて人間だった残骸。見ただけで、死んでいると判る。大量の血。頭がぱっくり割れて中味が覗いていて、肋も首の骨も折れていた。目を見開いたそれは、空を掴むように腕を伸ばしている。余程必死だったのか、今なお腕が降りる気配は無くて。……そしてその顔は『滝川守』で。
「いやあああ〜っ!!」
 太田知子の悲鳴で我に返る。太田知子は絶叫していた。中西聡美は呆然としたように座り込んだまま。俺は、太田知子に近寄り、背後から肩をそっと叩いた後、中西聡美の傍に座り込んだ。そして静かに目の前で手を振った。中西聡美の目は、何も見ていなかった。
 正気に返った太田知子が、中西聡美に声を掛ける。けれど何の反応も無かった。人形のように、呆然とした表情のまま、何が起こったかまるで判らないかのように。……それは、警察や救急車が来た後でも、ずっと同じだった。
 俺は冷たい後悔が背中を這い昇るのを感じていた。太田知子の罵声すら、届かないくらい俺も呆然としていた。……俺は間接的に、人を殺したのだと自覚していた。取り返しの付かない事をしでかしたのだと気付いた。もう、遅かった。今更もう、遅かった。俺は何も知らなかった。中西聡美がどれほど滝川守を想っていたか、滝川守がどれほど中西聡美を想っていたか。そしてあの腕時計を車道に放り投げてしまった時点で、どのような事態が起こり得たのかという事を。……だけど、そんな事は何の言い訳にもならない。……俺は口実が欲しかっただけだ。太田知子と会話する、ただそれだけの。そして、その代償は取り返しの付かないものに……なった。

「……あなたのお名前は新聞にも雑誌にも決して出たりしませんよ、郁也様」
 中原が俺の背後でそう言った。俺は返事をしなかった。……それどころじゃなかった。
「……中西聡美という少女は、検査入院するようです。……取り立てて外傷は無いようですが、念の為。恐らく、一時的なショックだと思われます。太田知子という少女に関しては、事情聴取の後、家へ帰したそうです。何でも、中西聡美とか言う少女の傍にいると主張したようですが」
「…………」
「……随分な失態でしたね?」
「……うるさい!!」
 中原を睨み付けた。中原は面白い物でも見るような目つきで俺を見ていた。
「何ですか? 自己嫌悪? 罪悪感?」
「うるさいぞ!! 中原!!」
 誰の声も聞きたくなかった。
「……らしくないですね、そういうのは」
「お前の好みとは違うんだよ!! 俺は!!」
「……認めるんですね、あなたは。そんなに気になるんなら賠償金か慰謝料でも払っておきますか? でも、あなたはただの『目撃者』なんですから、そんな事をすれば三流雑誌に勘繰られますよ?」
「少しは黙ってろ!! 中原!!」
「……愚痴の一つも言いたくなりますね。あなたは私との約束も放棄して、こういう事をしでかして、余計な仕事をさせて、随分時間を取らせて下さったんですから」
「…………」
「……あなたが何処で何しようと勝手ですが、他人に迷惑懸けない程度に宜しくお願いします」
「……それは厭味か?」
「そう取られたのなら、申し訳ありません」
「……っ」
 舌打ちする。
「……つくづく厭味な男だ」
 もう、駄目だと思った。これ以上、もう何もする資格無いと思った。賠償金や慰謝料を払ったとしても、それでどうにかなる訳じゃない。死んだ人間は帰って来ないし、傷を受けた心はどうにかなる訳じゃない。何をしても、ただ、逆効果だ。ならば、忘れさせる為の努力をした方が良いのだろう。……何もかも。
 こんな自己嫌悪に陥った事は無かった。最悪だった。今までで一番最悪。自分の愚かさ加減に激しく嫌悪した。どうしてこんな事態を引き起こすまで、自分は軽率な行動を取ったのだろうと。嫉妬などである筈が無かった。中西聡美の事など爪の先程興味が無かったのだから。……子供っぽい虚栄心。そんなものが己の内にある事が、この上なく腹立たしかった。せめて、俺が中西聡美に何らかの愛情を抱いてるなら良かった。それならこんな気持ちには陥らなかった。自己嫌悪には陥るかも知れないが、それでもここまででは無かっただろうし、残酷で暗い愉悦すら感じただろう。なにせ、強力な『恋敵』が死んだのだから。滝川守は確かに『恋敵』であったのは確かだが、俺には太田知子を手に入れるつもりがまるで無かったのだから、理由にはならない。……俺は中西聡美をネタに、これからも太田知子にちょっかい掛けるつもりだった。ただ、それだけの……たわいのないくだらない事の為に、人を殺したのだ。嫌悪どころで済む話じゃなかった。
「……お前は人を殺した事、ある……よな?」
 ぽつりと言うと、中原はくすりと笑った。
「あるけど、そんな風に自己嫌悪に陥った事はありませんよ」
「……殺人容疑で少年刑務所入りだったって……以前言ってた……な」
「おや、そんな昔の事、覚えてました?」
「俺をバカにしてるのか!? 初対面の時、そう言っただろう!?」
「……いや、ほら。あの頃のあなたは今と全然違っていたし……昔の記憶なんて無いような気がしてただけですよ」
「……自分と母親が殺され掛けた記憶なんて、そう簡単に忘れやしないと思うけどな」
「……その割に随分、おとなしくなったじゃありませんか」
「……別に俺は他人に殺される趣味も、お前のように流血沙汰や面倒事を好む趣味も無いからな」
「それだけですか?」
「……それだけだ」
「本当に? やり返そうなんて思わないんですか?」
「……嬉しそうだな、お前」
「平和なんか飽き飽きですから」
「……誰だ、お前を外に出したの」
「貴明様でしょう? 随分お金を積んだらしいですけど」
「……無駄遣いも良いとこだな」
「……軽口が叩けるようなら心配ないですね。帰りましょうか」
「……何か食べたい」
「なら、その前に私のカードを返して下さい。そしたら中華でも仏料理でもスペインでも何でも連れて行って差し上げますよ」
「……返してなかったか?」
「頂いてません」
 財布の中味を見る。
「……入ってないな」
「入ってない!?」
「……あれだろ。まだ、昨日の衣装の中だろ?」
「入ってませんでしたよ」
「ってお前!! 俺の部屋勝手に入ったのか!?」
「と言うか、あなたの部屋なんて俺が入らなくても、メイドが入るでしょうに」
「そういう問題か!? お前とメイドは違うだろう!!」
「それより俺のカード何処やったんですか。一枚しか無いとは言わないですけど、無くされるとひどく迷惑なんですが」
「……お前のカードってそりゃ……」
 タクシーの支払いに渡して……。
「……タクシーだ……」
「タクシー? 何処の? 運転手の名は?」
「……え? 待てよ……えーと……確か……カナマルで……運転手……名前覚えて無いけど……」
 中原は慌てて携帯で電話掛ける。早口で捲し立ててる。……珍しい。中原が取り乱す処なんて初めて見た。
「……ありました」
 通話を切って、一言、そう言った。
「……良いですか? 郁也様。俺はあなたを信頼してお貸ししてるんですから、今後絶対しないで下さい。絶対ですよ? 今度やったら二度と貸しません」
「……判った。悪かった」
 さすがにそれはちょっと悪いと思ったので、素直に謝った。すると、中原は意外なものを見たように目を丸くした。
「どういう風の吹き回しです!?」
 何言ってんだ!! この男は!!
「俺が謝ったらおかしいとでも言うのか!?」
「いつもの態度からは想像つかないじゃないですか。殊勝な郁也様なんて」
「……判った。お前にはもう二度と謝らない。それで良いな?」
「誰がそんな事言いました。謝って頂く分にはどれだけ謝って頂いて貰って結構ですよ。ただ、同じ理由で何度も、というのはお断りですが」
 そう言うと、中原は俺の肩に手を置いた。
「……今日亡くなった方には気の毒ですが、気に病む必要はありません。生きている人間は今日生きる事だけ考えていれば良い事です」
「……それ、慰めてるつもりか?」
「たまには良いでしょう?」
 そう言って、俺の腕を取る。
「……気になるんなら、二度とやらねば良い。違いますか? 俺は客観的に見て、あなたが責任感じる必要はないと思いますが」
「……少なくとも、太田はそう思ってない」
「あなたがそんな事を気にするとは思いませんでしたね。悪いのは飛び出した少女と、庇った男と、それを撥ねた運転手です」
「……お前、な。原因は俺だろうが」
「……そう思うなら、二度とやらなければ良いでしょう? おかしな事をおっしゃいますね」
 訳が判らないとでも言いたげに。
「車道に腕時計投げられたくらいで飛び出す方がおかしいんです。常識で考えたら判るでしょうに」
 ……って言うか、コイツには何か基本的に『違う』ものがある感じがする……。
「……お前、さ。執着する物ってある訳?」
「執着するもの?」
「……中西聡美にとって、腕時計は執着する物だったんだよ」
「……命を投げ捨てても?」
「……そこまでじゃ無かったかも知れないけど……それに近いくらい」
「やっぱりバカですよ。腕時計なんて幾らでも替えが利く。そんな物と命は引き替えに出来ないでしょう」
 ……やっぱりコイツとは根本的なところで何か違う……。
「とにかく、車でタクシー会社まで行って、それから食事に行きましょう」
「……タクシー会社が先なのか?」
「当たり前でしょう? さ、行きますよ」
「……カードの一枚くらい後でも良いだろう」
「落ち着かないんです。高給レストランで下着一枚で食事するのと同じくらいね」
「…………」
 外に出る。車は中原個人所有の赤のBMWだった。中原にドア開けられて、助手席に座る。
「……香水臭いぞ」
「臭くなるほど乗せてませんよ」
 さらりと返してくる。
「……じゃあ、このフレグランスの匂いは何だってんだよ?」
「……フレグランス? ……ああ……そうか……」
 ちらり、と中原は俺を見る。
「何だよ」
「いえ、別に。ただ、女じゃありませんよ」
「男でこんなの付けるのか?」
「別に珍しい事じゃないでしょう」
「……そうか?」
「俺は、職業柄付けませんが」
「……どうして?」
「匂いが残ると、色々困るでしょう?」
「ただのボディーガードの癖に?」
「俺が近寄る度に匂いさせてたら、郁也様の背後になんて立たせて頂けないでしょう?」
 ……それは……そうかも知れない。
「で、何処にします?」
「……お好み焼き屋」
 中原が物凄く厭そうな顔をした。
「……お好み焼き、ですか?」
「じゃあ、焼き肉」
「……焼き肉?」
 もっと厭そうな顔になった。
「……だったら聞くなよ」
「もっとマシな処にしておきませんか?」
「……服が汚れるから厭なんだな?」
「判ってるなら言わないで下さい」
「……じゃあ、お前のマンション」
 中原が無言で俺を睨んだ。表面には出さなかったが、一瞬俺はギクリとした。
「……あなたが俺と『寝る』つもりなら結構ですがね、そうじゃなければ不用意にそういう事おっしゃるのはやめていただけませんか?」
「……お前、他に何か言いよう無いのか?」
「俺のマンションはどうせ、そういう用途にしか使われておりませんから」
「……そういう事、俺に言うなよ。お前のプライバシーなんか聞きたくない」
「最初に俺のプライバシーに口突っ込んで来たのは郁也様でしょうが」
「……悪かった」
 中原はクン、と左に急カーブを切った。どきり、とする。……怒ってる? 本気で?
 中原は無言のまま車走らせて、タクシー会社へ辿り着いた。
「待っていて下さい。車からは決して出ないように」
 そう言い残し、中へ入る。中の男と二・三、言葉を交わし、カードを受け取り出て来る。ふと、バイクに乗ってこちらを見ている学生服姿の少年を見つけた。何だろう? 思った瞬間に、学生服はそのまま何処かへ去った。顔はヘルメットで判らなかった。ヤマハ、SR。エンジン音と共に。
「……どうしました?」
「……別に」
 大した事じゃない。俺は伸びをした。
「……この時間だ。ファミレスで良い」
「……ファミレス、ね。それなら許容範囲です。服も汚れないでしょう。ただ、浮くと思いますが」
「BMWにスーツじゃヤ××と間違われるかもな」
「……喧嘩売ってるんですか? 郁也様。売られた喧嘩は買いますよ?」
「……お前みたいな筋肉バカとまともに喧嘩なんか出来るか、ボケ」
「随分ですね?」
「腹減った」
「……それだけ元気なら問題無いでしょう」
「……で、ところで報告ってのはどうなった?」
「ああ、ばたばたしてて忘れてましたね。彼女、白神多可子嬢ですが、あの後暫くして帰りました。ただ、西条……」
「……それは聞いた」
「彼女からあなたの事を何度か聞かされた事があったらしく、今回の話があった時に更に詳しく聞いたそうです」
「……どうせろくでもない事だろう?」
「……さあ、それはどうですかね。ただ、彼女自身はあなたに対して、それ程悪い印象は抱いてないようでしたが?」
「……お前の方こそ俺に喧嘩売ってるのか?」
「まさか」
「……ところで、どうしてお前が西条の事、知ってるんだ?」
「秘密です」
「……調べたのか?」
「こう見えて、俺は結構顔が広いんです」
「…………」
「いつまでこんな事、続ける気ですか? 鬱屈溜まるでしょう? だから、今日みたいな事が起こったりするんじゃありませんか?」
「……お前に関係ない」
「……関係ない、ですか? それは随分な台詞だと思いませんかね?」
「……俺の面倒見るのがお前の仕事だろう」
「俺はただのしがないボディーガードですよ。あなたの秘書になった覚えも、お守り役になった覚えもありませんが」
「……何言ってんだ。初対面の時、力ずくで俺にメシ食わせたのは何処のどいつだよ?」
「あなたがハンガーストライキしてたからでしょう? おかげで俺はムショから保釈されて、雇われる羽目になったんですが。『普通のご子息』はハンガーストライキする為に、相手構わず噛み付いたりしないものです」
「……っ!!」
「……あの頃のあなたは天使のように愛らしかった。『人間』に噛み付く事以外は、ね」
「……あのな」
「もう一度やる気はありませんか?」
「……お前、俺を一体何だと思ってる?」
「じゃあ、何か俺を喜ばせるような『騒ぎ』を起こして下さい。こういう『事後処理』なんかじゃなくて、出来ればもっと派手でエキサイト出来る代物を。刺激が欲しくてたまらないんです。あなたにはそれが出来るんじゃありませんか?」
「……だからそういうのはごめんだと言ってるだろうが。何度言ったら判る?」
「……つまらない人生ですね」
「勝手に決め付けるな。俺はお前の暇つぶしのネタなんかじゃ無いんだからな」
「最近郁也様は誘拐もされないし、襲撃もされないし、平和すぎて……」
「バカ野郎!! それが普通だ!! そうそう誘拐されたり襲撃されてたまるかよ!! 大体お前がそういう連中を派手に駆逐したからだろう!!」
「……そうでしたっけね?」
「ま、俺にはその方が良いがな」
 中原はハンドルを左に切った。ファミレスの駐車場。中原が降りて助手席のドアを開ける。俺は無言で降り、入り口へと向かう。
「いらっしゃいませ。何名様でいらっしゃいますか?」
「二名」
「かしこまりました。こちらの方へおいで願います」
 視線が注がれるのを感じる。音も無く中原が付いてくる。……この組み合わせは確かに目立つだろうな。案内された席に着く。
「ご注文お決まりでしたら、このブザーでお呼び下さい」
 俺と中原は向かい合って座った。中原は仏頂面だ。俺は無視してメニューを開く。
「目玉焼きハンバーグ」
「……またそういう変な物を……」
「何処が変だって言うんだ」
「……俺はそういうジャンクフード臭いのはごめんです」
「何処がジャンクフードだよ?」
「……せめてこのコースにしときませんか?」
「子牛肉の煮込み? ……食べたけりゃお前一人で食えよ」
「…………」
 コイツの方が余程変だと思うがな。流血沙汰や暴力沙汰が好きだと騒ぐ癖に。高給レストランとか好きで、庶民的な処とかファミレスとかファーストフード入るの厭がるんだ。……持ち帰りとかそれ程気にしない癖に、そういう処で食事するのが厭らしい。普段人前でカッコつけてるから、誰か知り合いに見られたらどうしようとでも思ってんじゃないだろうか? 絶対。
「……襲撃されたら反撃しにくそうな場所ですね」
「は!?」
「入り口からは死角になっていて、誰が入ってくるか見えない。……セキュリティはなって無いし。早々に出ましょう」
「…………」
 中原はポォン、とブザーを押す。
「ラーメンセットと目玉焼きハンバーグセットで」
 おい!?
「かしこまりました。復唱いたします……」
 さっきと言ってる事全然違うだろ!! 何考えてるんだ!! 中原!!
 店員が去ってから中原はきっぱり言った。
「ここでは食事を楽しむのはやめにしました」
「…………」
 やっぱりコイツ、果てしなく変だ……。
 中原は何かやけにきょろきょろと落ち着かない。
「いらっしゃいませ。何名ですか?」
「……一名です」
 客が来たらしい。中原の肩がびくり、とした。
「……ちょっと、良いですか?」
「……トイレか?」
「すぐ戻ります」
 俺の軽口を無視して慌ただしく立ち上がり、中原は出入り口の方へ足早に歩いて行った。ドアが開く音がしたから、外へ行ったのだろう。それで俺は車へでも行くのかと思ったから、駐車場の方を見たが、いつまで経っても車の傍に中原は現れなかった。……何してるんだろう、そう思った頃、ドアが開く音がして、中原が足早にやって来た。
「……事情が変わりました。帰りましょう」
「おい!?」
「店員には言ってあります。さ、早く」
「……ってメシは!?」
「ご自宅でなされば良いでしょう?あんなにご立派な家があるのですから」
「じゃあ俺は何の為にここへ来たんだよ」
「水でも飲みに来たんじゃないですか?」
 しらっとして言い切る。未練ある俺の腕を無理矢理掴んで立たせ、ぐいぐい引っ張って歩かせる。
「……何かあったのかよ?」
「だから事情が変わったと言ってるでしょう」
「……さっき誰かお前に会いに来たのか?」
 中原は無言で俺を見た。
「……何だよ?」
「口を塞ぎますよ? 郁也様」
 にいっと笑みを浮かべ、中原は言った。……コイツの口を塞ぐというのは、息の根を止めるとかそういう事じゃなくて、唇で唇を塞ぐという意味だ。……幼い頃の俺は何度それをやられたか。
 中原の思惑通り、俺は黙り込んだ。車の助手席に座り、俺は辛抱強く説明を待った。
「……いや、まだまだ効力ありますね。この呪文」
「…………」
 って言うかお前……。中原は俺の視線の意味など無視して『久本邸』へ直行した。
「……じゃあ、また明日」
「……説明は無しかよ?」
「個人的な事情なので」
「……何か企んでるのか?」
「企むだなんて、そんな。ただ、俺の個人的な『趣味』の事までどうこう言われたくありませんよ」
「……その『趣味』ってのは、本当に俺には関係無いんだろうな?」
「ありませんよ。安心して下さい」
「……さっき、落ち着かなかったのはその所為なのか?」
「……まあ、可能性は有り得たので自業自得という奴です」
「……は?」
「では、また」
「……ん……ああ」
 何だろう。あいつが必要以上に俺に何か隠す時って、絶対俺に関わる厭な事ばかりな気がするんだが……でも、そんな危険信号は感じないし……気にする必要は無いって事か?
 腑に落ちない気分のまま、俺は食事をして自室へ行って、寝た。

To be continued...
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