NOVEL

週末は命懸け -4-

 不意に、大きく車体を振って急カーブ。思わず、中原の背中に頭ぶつける。
「……ッカ野郎!! 何すんだよ!!」
 怒鳴ると、
「駅で乗り捨てます」
「は!?」
 駅前駐輪場へ乗り入れ、鍵付きのまま駐輪する。十中八九盗まれるな。でも、中原は素知らぬ顔で地下の階段を降りていく。慌てて追い掛ける。
「……ウエスト六十五cmでしたね?」
「……それが何だよ?」
 俺のスリーサイズなんか熟知してるだろうに。
「申し訳ありませんが、そこのファーストフードで二人分の食事、買って置いて下さい。メニューはお任せします。お迎えに上がりますから、店内でお待ち下さい」
「…………」
 厭な予感、を感じたが取り敢えず頷く。
「……そうだ。それから、何かあったら携帯、鳴らして結構ですから。電源入れておきます」
「……判った」
 けど、実際万一の場合、そんな暇、無いと思う。……確かに不本意ながら、俺の携帯には奴の番号が最優先に登録してあるが――ちなみに俺の手元に来た時は既にそうなっていた――掛けた事は一度も無い。
 中原は一人、衣料品売場の方へ向かった。ハンバーガー屋は結構混雑している。俺は帽子を目深に被り、サングラスを掛け、ガラスで背後なんかも気にしながら、店内や周辺に怪しい奴がいないかチェックする。……現時点で怪しいのは俺一人と思われる。ヤンキーか何かに見えるんだろうな。茶髪だし、こんな派手な革ジャケット着てるし。こんな趣味悪い服でも似合ってしまう俺の美貌には我ながら脱帽だが。
 七、八人列ついている。その後ろに並ぶ。店内に『敵』はいなさそうだ。外へと注意を払う。それらしき奴はいない。今のところは。
「……ねェ」
 不意に背後から声掛けられ、ギクリとする。
「……えっ……!?」
 コギャル風女子高生三人組。きらきらした目で俺の方を見てる。
「……俺?」
 聞き返すと、こっくり頷かれる。
「ねェカレシ、一人ィ?」
「……取り敢えず、今は」
 そう、答える。
「暇ァ?」
「……悪い、あんまり暇じゃない」
「待ち合わせェ?」
「まあね」
 苦笑する。
「カノジョ?」
「オジサン」
「名前、何てゆーのォ? 携帯番号教えてェ?」
「サングラス外してみてよォ」
「……ごめん。サングラス、訳あって外せない」
「エーっ? カッコイーのにィ」
「……目の縁の処に傷あってあんまり見せられる顔じゃないんだ。ゴメンね?」
「エーっ? 勿体なーいっ」
「カワイソーっ」
「……ゴメンね」
 にっこり笑う。恐らくは、外した時ほど感銘は与えないだろうが。
「……声、カッコイー」
「有り難う。君達もカワイイよ。でもまた暇な時、声掛けてね」
 君達だってェ、とか何とか小声で言われる。
「番号と名前、教えてくれないのォ?」
「……別に良いよ。書く物ある?」
「アタシ手帳持ってるーっ」
 手帳に番号と名前書き込む。
「へェー? 『アキヒコ』くんて言うんだー?」
「うん」
 頷く。
「じゃー、またねー」
「また、ね。待ってる」
 手を振り合って、三人組を見送る。
「……ナンパですか? イイ度胸ですね」
 気配も感じさせずに背後から声。ぎょっとして振り向く。中原が仏頂面で立っている。
「……っ!!」
「俺に対する態度と雲泥の差ですね。女の子とのお喋りに夢中で全然周りに注意払ってませんでしたね?」
「……ひっ……人聞きの悪い事言うなっ!! 大体、俺が声掛けたんじゃないぞ!!」
「……友人の名前使うなんてイイ性格ですね」
「……仕方無いだろ。今、それどこじゃないんだから。言っとくが、番号はデタラメだぞ?」
「……の割に楽しそうでしたよ」
「……うるせーな。お前のような男と話すより、可愛い女の子といる方が楽しいに決まってんだろ」
「……正直ですね」
 厭味たらしい笑い方する。……厭な奴だ。何か手提げ袋を持っている。……服、か。
「……で、何注文したんですか?」
「……並んでるとこだよ。見りゃ判るだろ?」
「……それは気付きませんでした。じゃあ、スパイシーチーズバーガー二つとポテトM二つ、チキン五個セット二つにアイスコーヒー二つ……」
 ……え!? ぎょっとしてカウンターを慌てて見ると、前には誰もいなかった。
「…………」
「……あなたの分も頼んでおきましたよ」
「……任せるとか言ったクセに……」
「……日が暮れますよ」
「……心配しなくても、もう夕方だ」
「……減らず口はその辺にして行きましょう」
 支払い済ませて、品物受け取って外へ出た。トイレで服を着替える為、中原を見張りに立たせて、一人中へ入った。……着替え見て硬直。
「おい、何の真似だ!!」
 バン、と扉を開け放つ。
「……何って女装ですよ」
 しらっとした顔で中原は言い切った。
「見たら判る!! 何故俺がこんなっ!!」
「私には無理でしょう。体格的にも容姿的にも。あなたは美人だし華奢だし大丈夫。一七五cmの女性というのも十分あります」
「そーゆー問題かよ!?」
「男二人で仲良く歩くより、アベックに扮した方が目立たないんです」
 理屈は判る。判るが、どうして俺がそんな変態な真似を……。
「……大丈夫。似合いますよ? あなたに似合うと思って買って来たんです」
「……貴様
「あ、下着はきちんと付けて下さいね? その身長で胸がまるきり無いのはちょっと異様ですから」
「…………お前、面白がってるだろ!!」
「そんな事ありませんよ。ただ、どんな有様になるか少々楽しみですが。ウィッグも買ってあるので、後で付けて差し上げますよ」
「…………っ!!」
 絶対面白がってる!! コイツ絶対俺で遊ぶつもりだ!! こんなのクラスメートに見られたりしようもんなら、俺二度と学校行けなくなるかも。うっわすっげーイヤ。最悪。
「……俺は着ないぞ」
「……無理矢理着せて欲しいですか? 俺に着せて欲しいんですか? 郁也様」
 にやり、と中原は笑った。ぞっとして、首を振った。俺は仕方なく服を持って個室へ入った。便座の蓋の上に紙袋を置いて、着ている服を扉のフックに掛けて。……ブラや女物のパンティを手に取る時は思わず手が震えた。……あああ、最悪。こんなトコ昭彦なんかに見られた日にゃ、俺、ビルの屋上から飛び降りるかも。パンスト、を見た時には涙が出た。ここまでさせるか!? もう殆ど半泣き状態になりながら、俺は中原の用意した女物衣装一式を身に付け、荷物持って外に出た。中原はにこやかな顔で手招きした。
「いやあ、とても良くお似合いですよ」
「…………」
 俺はとても口を利く気にはなれなかった。そんな俺を中原は鏡の前に立たせる。俺は意地でも見なかった。無理矢理顔を正面に向かせられる。……それで、俺は今の自分の姿を見せられる事になった。……絶句。
「絶対似合うと思ってました。これならまだまだイケますね。もう少し育ったら判りませんが」
「………………」
 確かにそこには中性的な魅力の『美少女』がいた。……確かに俺はかなりの美形だ。それは判ってる。どんな服でも似合ってしまう。それも良く知ってる。だけど、女物まで似合ってしまうなんて!! ……絶叫したい。……泣くかも、俺。
 泣きそうな俺を後目に、中原は嬉々として俺の髪に櫛を入れ、ウィッグを取り付け、ああでもない、こうでもないと思案する。挙げ句の果てには、化粧セットまで取り出して、薄化粧まで施す時点に至っては、俺はもう全身ぶるぶると震えていた。
「はい、出来上がりました。このバッグ持って下さいね。それと今被せた帽子。これ、触らないで下さいね」
「……中原
「はい?」
「……お前、楽しんでるだろ?」
「そんな事ございませんよ。これも全て、郁也様を思っての事です」
「……それにしちゃ、随分用意が良過ぎやしないか?」
「気のせいでしょう」
 あっさり言い放つ。
「……この狸が」
「あ、外に出たら喋らないで下さいね。女の子の声としては、随分無理がありますから」
「…………」
 絶対計画的だ。絶対機会を狙っていたに違いない。……この変態野郎が!!
 外に人がいない事を確認して、男子トイレから出る。中原はすっと腰に手を回してくる。
「っ!? 何……っ!!」
「しっ。静かに。……それらしく見せる為ですよ」
 ……気色悪い。この男っ……絶対……狙ってたに決まってるっ……!! ……ぞっとする。腰を引き寄せられ、左肩がぴったり中原の身体に密着する形になる。無言で睨むと、中原は苦笑した。
「そんな色っぽい目で見つめないで下さい。その気になりますよ?」
 げんなりする。……全くこの男と来たら……。ふと、中原の腕に緊張が走る。どきりとする。中原が耳元に口を寄せて来る。
「……左斜め後ろ。絶対、見ないで下さい」
 囁く。俺は僅かに頷く。そのまま、中原は腕を滑らせて俺を両腕で抱き寄せる格好にする。そして、通路の壁に押し付けるようにして抱きしめる。俺は目を伏せて、『そいつ』が通り過ぎるのをじっと待つ。足音がやって来て、通り過ぎて行く。その背中だけちらりと見る。思わず、息を詰める。途端、中原が右手で顎に触れ、屈み込んでくる。
「!?」
 ぎょっとした。キスされるかと思った。寸前くらいで止めて、真顔で俺を見る。どうしたら良いか判らなくて取り敢えず、中原の顔を見る。傍からは恋人同士がキスしてるようにしか見えないだろう。舌打ちしてく通行人もいた。『その男』の気配が通り過ぎるまで、中原はずっとそうしていた。俺はかなり動揺していた。
「……今の……」
 掠れ声で、呟いた。中原は判ってる、とでも言いたげに頷いた。
「……行きましょう」
 腕を引いて、歩き出す。向かった先はラブホだった。……俺は複雑な気分になった。生まれて十五年と十ヶ月。俺は未だ、女の子とこういう処へ来た事が無い。……初めてが、男同士ってのはどうかと思う。……そりゃ、諸事情でシティ・ホテルくらいなら、中原とツインで宿泊、なんて事もあるが……こういう『いかにも』な感じの処で男二人きりというのは……傍目にはそう見えない分、悲しいものがある。……恐らく、こういう処はベッドは二つじゃなくて、一つなんだろうな……。
 ああ、泣けてきそうだ。くそっ。……中原は慣れた調子で部屋を取って、俺の腕を引いて、エレベーターへ乗り込む。俺は先程の『男』の姿を思い返していた。
「……さっきのあれ、見間違いじゃなければ……」
 小声で言うと、中原は無言で頷く。
「どうして!? 佐久間[さくま]はお前の部下の筈だろ!?」
「……佐久間だけじゃないですよ」
「何!?」
「……だから、おかしいって言ったんですよ」
 先程の中原とその『兄』の会話を思い出す。
「……他にもいたのか?」
「……かなりね」
 苦々しげに、中原は言った。
「……それで『俺』を狙ってるのか?」
「だからおかしいと言ってるんです」
 それは確かに。
「……誰が黒幕? 大体、俺が『狙われてる』って何で最初から判ってたんだ?」
「……最初に言ったように、脅迫状が……」
「……その『脅迫状』ってどういう内容だったんだよ? それが判れば首謀者だって判るだろうが?」
「……『社長』の退陣要求、それと五千万」
「……それで何で身内がいるんだよ?」
「……だからおかしいって言ってるでしょう?」
「『社長』が退陣したら、『俺』が継がなきゃ現時点で一体誰が『後釜』になるって? そんな『力』持ってる奴、今何処にいる? そんなに身内の『人間』動かせるのが何処にいるって?」
「……だからおかしいって言ってるんです」
「……『二人』いるのか?」
「かもしれないし、一人がもう一人を操ってるという可能性があります」
「とにかく、『容疑者』は二人いると思ってるんだろう?」
「……一人は『あれ』を見た時に判っていました」
 ……『あれ』。たぶん、時限爆弾の事だろうな。
「でも、そういう事云々するのは我々の仕事ではありませんから」
「時間稼ぎって言ったよな? 時間制限でもあるのか?」
「要求金の支払期限が翌日三時。それまでには『社長』が『首謀者』を捜し出す、と」
「要求を呑む気は無いんだろ」
「当然でしょう?」
「おかしくないか? 身内が混じってるなら、それくらいの事、判りそうなもんじゃないか?」
「……『二種類』いる事はご存じでしょう?」
 ボディーガード風と不良崩れ。頷く。
「……連動しているようで、実は連動してないんですよ。……これは憶測ですが」
 そう言えば、別々に襲って来た。アレが混じって一斉にだったら、どうだっただろう?
「……そうか……」
 『親父』の『プライベート・オフィス』には身内風の連中。元『中原の父所有の廃工場』には不良崩れ。駅には『佐久間』。
「……『予定』では何処へ行く筈だった?」
「今夜の最終で『長野』へ行く予定でした」
「……別荘?」
「いえ、今回特別借りたコテージです」
「無駄になったな」
「……それくらい予測の内でしょう。貴明様には」
「…………」
 エレベーターを降りて、部屋に入る。……うわ、何かベタベタな部屋……。ベッドがハート型だったり回転したりしない辺り、まあ、少しほっとしたって言うか……。少し(?)派手なビジネスホテル(ベッドはキングス一つだが)にでも泊まったと思えば──つーか、ビジネスホテルには置いてない『ブツ』もちらほら見掛けるが──気にしない事にする。
「……シャワー浴びますか?」
「…………」
 何か憮然とした気分になるのは、気のせいじゃないと思う。
「……大丈夫ですよ。別に覗いたりしませんから」
「……ってーか、そこの浴室、こっちから磨りガラス越しとは言え丸見えだろーが」
「いや、わざわざ見ませんって。どんなモノが付いてるかくらい判ってますから」
 何か物凄くヤな台詞。げっそりする。
「でも、化粧したまま寝ると、肌荒れしますよ?」
「風呂に一日くらい入らなくったって死なねぇよ。洗面所で顔洗や済む事だ」
「後学の為に見てくれば良いのに」
「……お前、わざわざ俺を行かせたがってないか? おい」
「私用電話をしたかっただけで、他意はありませんよ」
「……判った。入ってくりゃ良いんだろ? ただし、絶対覗いたりするなよ!?」
「大丈夫。男の裸見て興奮する趣味ありませんから」
「……それは良かった。ただ、その台詞裏切ってみろ。左腕の傷痕よりもっと酷いのを、その首筋に付けてやる」
「……では、ごゆっくり」
 にっこり笑ってみせる中原に背を向け、磨りガラスへと向かう。……って、ここ、脱衣場が無いじゃねーか。何処で脱げと言うんだよ。おい。……仕方無いから、中原の位置をちらちら確認しながら、傍にあるソファへ着衣を投げやる。とにかく素っ裸になって中へ入る。中原の位置はここからは見えない。湯船に浸かると、ぼそぼそと声が聞こえ始めたけど、言ってる内容は判らない。このとんでもない時に私用とは、何て奴とか思うけど、まあ奴にも色々と事情があるだろうし……仮にも十年ボディーガードやってて、俺に説教垂れるくらいだから、ポカはやらないだろう。ひょっとしたら、今後の手配を付けるつもりかもしれないし……。
 あー……。何か俺って不幸。折角の週末、何であんな暑苦しい男と過ごさなきゃならねーんだ。この件無事に済んだら、カワイイ女の子誘ってデートでもしようかな? それくらいの気晴らしは十分許されるよな? 取り敢えず、それを楽しみに何とか乗り切ろう。……じゃなきゃ、気が滅入る。鬱陶しい事この上無い。たぶん、このくらいはまだまだ序の口なんだろうから。
 顔洗ってざっと流して、タオルで拭いてガウン羽織ってベッドルームの方行くと、中原は丁度携帯の電源を切ったところだった。
「……良いタイミングだったか?」
「……そうですね」
 中原は、何考えてるか不明な穏やかな笑みで答えてみせる。……つくづくヤな男だ。
「……囮の方は異常ないらしいですよ?」
「……そんな電話して大丈夫なのかよ?」
「……バレるような処には掛けてませんから」
 そうかよ?
「……それよりお腹空いたでしょう? 夕食にしませんか?」
 黙って頷く。それから男二人、黙々とハンバーガーに食らいつき始める。……ヤな光景。
 中原は片手で食いながら、右手一本でノートパソコン閉じている。
「……そんな物、いつの間に持ってた?」
「……つい先程購入しました」
「…………」
 何つーか無駄な……。B5サイズのモバイル。
「……私用電話ってお前……それ……」
「……電話より話が早いのでね。判った事があれば、後ほど掻い摘んでお話しします」
「……何やったんだ?」
 と、どうしたものかな、という顔を一瞬して。
「……関連の通信情報及び記録を少々」
「……関連て……」
「本宅から別宅、本社もグループ会社も全てです。……実は全て、私用電話も含めて『我々』が管理しています」
「……つまりその……何か? 盗聴して記録を保存してるとでも言うのか?」
「盗聴だなんて人聞きの悪い。万一の情報流出を防ぐ為に常時チェックして、外部から盗聴されたりハッキングされてないか管理してるだけです」
「……じゃ、今のは?」
「プログラムを組んだのは俺なので、少々その管理システムの情報をダウンロードしただけですよ」
「……それって、同じ方法で他の奴も盗めるんじゃねぇのか?」
「パスワードは三分おきに千七百二十三通りに、変化するようになっています。そうそう破れるとは思いませんが」
「……その管理システムを監視してる連中はどうなんだよ?」
「管理システムを把握しているのは、貴明様お一人です」
「あの野郎、そんな事までやってるのかよ!?」
「他人を信用できるくらいなら、ワンマン社長だなんて呼ばれてないでしょう」
「……そのうち過労で死ぬぜ」
「……ご心配ですか?」
「んな訳ねーだろ」
 吐き捨てた。中原は何か言いたげににやりと笑った。……むかつく野郎だ。
「ま、少なくとも貴明様が黒幕では無い事だけは確かなようですから、ご安心を」
「……随分きっぱり言い切るんだな?」
「今、割り出しを極秘スタッフで急ピッチで指示してらしてるそうですから」
「……その極秘スタッフってのは『安全』なのかよ?」
「大丈夫でしょう? そんな軽いは混じってませんから」
「……お前の『部下』?」
「まあ、色々と。今は気にする事じゃありません。考えるのは『専門』に任せましょう」
「……それで良いのかよ?」
「我々がここで云々しても、どうせ結果なんて出ませんから。時間の無駄です。取り敢えず今日はゆっくり休んで下さい。疲れたでしょう?」
「……お前は?」
「私はやる事がありますので」
「…………」
「……郁也様に手伝って頂く事なんて全くありませんから、早々にお休み下さい」
 ……判ってるよ。判ってるけど、そうはっきり言うか!? もっと他に言い様があるだろう!!
「……あなたはあまり体力無いんですから、足手まといにならないよう、十分休息を取って下されば、こちらとしては有り難いんです」
「……判ったから、それ以上言うな」
 うんざりした。俺はベッドへ向かう。
「お休みなさい」
 中原の声を背に、俺は布団に潜り込んだ。ルームライトが落とされる。暫くしてモバイル起動の振動音と、キーボード叩く音が聞こえ始める。ボリュームは最小に絞ってあるらしい。そっと目を開けて見遣ると、手元のシェードランプのみの明かりで、中原がモバイルと向かい合ってるのが見えた。笑える事に、長い前髪を上げる為かバンダナなんかして。……そんな邪魔なら切りゃ良いのに。バカな奴。そんなカッコつけたいかよ? 真剣な顔見たら、そんな軽口、とても面と向かっては言えそうにないけど。……あいつも部下やら兄貴やら関わってて、色々複雑なんだろうけど……そういう弱音、絶対吐かないんだろーな。俺が気にしてやる義理も無いんだが……俺に軽口叩ける間は心配無用か。俺と中原はほぼ毎日、起きてる時間の半分くらいは一緒に過ごしてるけど……十年の付き合いの中でプライベートの会話は一度もした事が無い。奴がろくでもない事しか言わないのと、俺自身が興味なかったのと……アイツ自身が話したがらなかったのと。俺はたぶん、『久本』の誰よりも中原の事、知ってる。外面は良いけど、中身最悪で性格悪くて、スマートなフリして実は全然そうじゃない事。カッコつけたがりで、すました顔で、他人に弱味見せるのはカッコ悪いと思ってる事。でも、俺は何も知らない。アイツがここへ来るまで、何をしてたかとか、俺の目の前にいない時間、何処で何してるかとか。住んでる処も、家族構成もペットの有無も。
 アイツの方は、俺の家族構成は勿論、スリーサイズも身長体重も、健康診断の結果も、成績や試験結果、現在の俺の交友関係なんかまで知っているのに。……何か、俺の方が損してる気がする。確かに俺に、プライベートなんて無いけど(たぶん中原に限らず)それでも奴が自分のプライベート隠し切ってるのに、俺一人さらけ出してるって状況はあまり面白くない。不公平だ。それで知ったかぶりされて、『あなたは何も知らないでしょう』なんて顔されて。……別にわざわざ探ろうなんて興味無いけど。
 ムカつく。一度で良いから、奴のポーカーフェイス崩してみたい。度肝抜かして、謝らせてみたい。……俺ばっかり負けてる。そんな気がする。腕力や体力なんかで奴に勝てる訳なんか無いから(大体体格見比べりゃ厭でも判る)何か他に頭使って、ぎゃふんと言わせたくなる。……たぶん、アイツ、そんな事当然判ってて俺を構うんだろうけど。……悔しい。振り回されてばかりで。俺に『力』が無いのが最大の原因だけど、俺が『子供』扱いされて、バカにされて、それでいて反撃できないところ。反撃しようとしても、全然効果無いのも。……たぶん、アイツ、俺なんかには絶対弱味見せたりしないんだろうな。悔しい。
 神様なんかこの世の何処にもいない。だから俺はお祈りなんてしない。『人間』を救うのは『人間』だけだ。誰に否定されようが、非難されようが俺はそう思う。そして、それは『他人』なんかじゃなくて『自分』だけ。本気で救われようと思うなら、『他人』本意じゃ駄目だ。『人間』は『自分』の事しか考えてない。誰だって『自分』がカワイイ。だから『他人』なんか無条件で信じる奴はバカだ。詐欺なんかに引っ掛かるのも、悪徳金融に金借りるのも、宗教団体なんかに騙されるのも、全部『他人』なんか信じるからだ。騙されるのが厭なら、『他人』なんか信じなきゃ良いし、ローン返せなくて首くくったりするくらいなら、そんな金利の高いトコから借りなきゃ良い。そんなトコから金を借りなきゃやってけない程なら、店でも工場でもさっさと畳んじまえば良い。そうやってさっさと見切り付けないから、ギャンブルと一緒で失敗する。……どうせ俺は、養う家族なんてものいないし、この世に命懸ける程大切な物なんてもう無いし、好き勝手言ってるけど、これは『真実』だと思う。確かに、どうしようも無くて、金借りて息詰まって家族残して首くくるのは、気の毒だとは思うけど、結局の処、それはただの無責任で、誰かがそれに対して責任感じる事じゃない。ただ、自分で責任取るのが厭で逃げただけだ。後の事なんて何も考えてない。結局、『自分』の事しか考えてないからだ。自分自身がそうなのに、『他人』がそうじゃないと非難するのは、ただの身勝手だ。『他人』は『自分』の行く末がどうなろうと、知ったこっちゃ無い。『自分』の損になる事は決してしようとしないのが──とりわけ商売においては──当たり前なのに、自分を護る権利を放棄して、それで『他人』に罪を擦り付けるなんて、勘違いも甚だしい。だから俺はちょっとは可哀相だと思ってやるが、自分の身をどうこうさせてやろうなんて思わない。そんな自己陶酔の、自己悲哀ナルシシズムの為に、俺自身が何かしてやる義務が、一体全体何処にある? 冷血人間、極悪非道、結構。俺はそれで十分。見ず知らずの誰かに自分の身体投げ出して、『感謝』の代わりに『報復』なんてクソ喰らえ。俺はマゾじゃないし、博愛主義なんかでも無い。俺は俺以外の人間の為に、どうこうしようなんて思わないし、そうされるのだって迷惑だ。愛情なんて信じてないし、そんなものが『人間』を救うとも思ってない。俺は甘えた人間が大嫌いだ。自分では何もしないクセに、反っくり返って威張り散らして命令して、それが当然なんて思ってる人種なんてぞっとする。ひょっとしたら、俺もその部類に入ってるかも知れないけど。そんな事はどうでも良い。俺は『他人』の都合の為にどうこうされるのが、一番嫌いだ。……俺の望み、『久本貴明』の『帝国』転覆にはまだまだ遠いけど、だから俺は『力』溜めるまで、それに従順なフリし続けるけど、他の誰かにまで『俺自身』を蹂躙されても良いだなんて思わない。俺を踏み散らすつもりなら、俺も相応の事くらいは考える。黙って蹴散らされる気なんて毛頭無い。やられそうになったらやり返す。殺(や)られる前に殺(や)る。実力及ばなくて返り討ちにされるなら、それもまた仕方無い。だけど、ただ殺されるのを待つのは俺の性分じゃない。中原みたいに『厄介事』や『荒事』に燃える『趣味』は無いけど、俺は理不尽な事に黙って耐える趣味は無い。マゾヒストなんかじゃ無いんだから。
 中原が何考えてるかだなんて、俺には到底判りゃしなくて、取り敢えず『今』は『敵』じゃない事判っているけど、それでも俺には……信用できるモノなんて一つも無くて。それしかないなら、現在[いま]は従ってやるけど、未来[あす]はどうなるかなんて判ったものじゃない。だから、今、眠りに就くまでの少々の間くらいはちょっとだけ同情してやる。……明日の事は判らないけど。

To be continued...
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