NOVEL

週末は命懸け -3-

「……大丈夫ですか? 郁也様。舌なんか噛んでないでしょうね?」
「……幸い、噛んでは無さそうだが、な」
 恨みがましい声になったのは仕様が無い。銃弾は少しずつ遠ざかって行く。
「……ここ、近くに民家は無いのかよ?」
「……民家はありませんが、この辺りは民間会社や工場が幾つもある筈です」
「……一体どういうつもりだよ? 連中」
「どうにか出来ると思ってるか、それだけ捨て身になってるかのどちらかでしょう?」
「……どっちにしても質悪くないか?」
「……この車、早々に乗り捨てましょう」
 げんなりした。中原は寂れた場所にぽつんと建つ廃工場へと車を乗り入れた。そして車の残骸の山の真ん前で乱暴に停める。そして外に出ると、後部座席のドアを開ける。
「……どうぞ、郁也様」
 憮然として俺は中原を見上げた。
「……酷い有様ですね」
「…………」
「……ガラスの破片、取って差し上げます。じっとしていて下さい」
 返事の代わりに俺は溜息をついた。中原は丁寧に破片を摘み取っていく。
「……さっきの男……」
 ぴくり、と一瞬、中原の身体に緊張が走る。
「……お前、『兄さん』って呼んでたな?」
「…………」
 中原は返事はせずに、黙々と作業を続ける。
「……兄弟がいるなんて初めて聞いた」
「……元々、プライベートの話なんてしないでしょう」
 固い声。
「確かに、そうだな。付き合いは……長いけど……一度もそういう話にはならなかったな」
「聞いてもつまらないでしょう?」
「……話したくないなら、無理には聞かない。ただ……『狙われてる』のは『俺』なんだろ?」
「…………そう……ですね」
「最低限の説明は欲しいな? まずここは何処だ?」
「……廃工場です。土地の名義は社長秘書の土橋[どばし]氏になっていますが、実質は貴明様の物です」
「……珍しい話だな。あの男がそういう無駄な事するか?」
「……ここは元々、車の修理工場でした。今でも手つかずの鉄クズが幾らでも転がっていますから、一台くらい増えても判らないでしょう」
 淡々とした口調だった。
「……証拠隠滅?」
「今、部品を崩す暇はありませんが、部下にでもやらせておきますよ」
「……それで?」
「前もってここにバイクと服を隠して置きました。今もここにあるかは不明ですが」
「あれば、ここからまた移動するのか?」
「……長くいると、すぐバレますから」
「……それで?」
「その先は次の目的地に着いてからです」
「……それは一人で考えたのか?」
「いいえ。俺と貴明様を含めた『特設スタッフ』で立案しました」
「……洩れてるんじゃないか?」
「そうでしょうね」
「……なのに、その通り行動するのか?」
「……失敗した時のマニュアルは、と貴明様に申し上げたら、『臨機応変に』との事でした」
「……それって……」
「……別れ際に『臨機応変で頼むよ』とおっしゃっていたので、おそらくこれも計算の内でしょう」
 ……最悪。
「……つまり、自力でどうにかしろという事か?」
「たまには宜しいんじゃありませんか?」
「……お前、な」
 バックアップ無しでどうしろってんだよ!! それとさっきから!!
「……いつまでチンタラやってんだよ……っ」
 言いかけたその途端、熱い痛みが首筋を走った。
「……っ!!」
「……あ、すみません。手が滑りました」
「てめぇわざとだなっ!?」
「そんな勿体無い事しませんよ。この美しい白い首にわざわざ傷を付けて楽しむような趣味など私には……」
「……気色悪い事言うな」
 ガラス片を取り除くと、中原はおもむろに俺の首筋の傷をぺろりと舐めた。ギクリとして硬直する。咄嗟に声が出ない。中原は傷口を一つずつ舐めていく。ぞくり、として思わず手で薙ぎ払った。
「……乱暴ですね」
「……変態……っ!!」
 すると中原はにやりと笑った。
「喜んでいるのだと思いましたが?」
 頬がカッと熱くなる。
「それ以上変な事してみろ!! ぶっ殺す!!」
  中原は肩をすくめる。
「……あなたに殺されるなら本望、と言いたいところですが、私にはあなたを護るという任務がありますので、ご辞退申し上げますね」
 ……この男。
「……『復讐』って何だよ?」
 中原は笑った。何の感情も無い顔で。
「……ま、生きていれば人生色々ありましてね」
「……それで納得しろとでも?」
 中原はにやにやと笑うだけだ。
「……お前、都合の悪い事は隠そうとするのな」
 言うと、にっこり笑って言う。
「……ちなみにこの工場、私の父の物だったんですよ。そうだな、かれこれ二十二年程前か」
「……まさか」
 厭な予感がした。
「……悪徳金融に金を借りてここで首吊って死にました。その現場の事務所は老朽化して取り壊されて、影も形もありませんが」
 穏やかに見える笑みすら浮かべて。さらりと。
「……中原……」
「……悪徳は言い過ぎですかね? やはり」
「……中原、あのなっ……」
「……何です?」
「……笑って言うなよ」
 胸が、痛かった。
「笑い事ですから」
 けろりとした顔で。……だから、物凄く痛くて。
「……バカ野郎……同情しちまうだろ?」
「……してくれるんですか?」
「……ったり前だろ? キツイ事言えなくなるじゃねーか」
「そりゃ好都合ですね」
 真顔でけろりとして言ったりするし。
「……何考えてんだよ」
「……言わせる気ですか?」
「……別に。……ただ……お前……初めて俺に会った時……」
「……十年前ですか?」
 『世界』全てが『敵』でしか無くて。『母さん』を失った俺は何の望みも無くて。近寄るモノ全てに攻撃して、必死で固辞してた頃。他の誰にどう見えたって、少なくとも俺自身では、真剣に戦っていたあの頃。剣呑な目つきで、ひどく乱暴な言葉遣いして、体格差考えずに問答無用で俺を押さえ付け、無理矢理口の中にスプーンねじ込んだ、乱暴な男。噛み付かれて左腕から血を流しながらも、俺を床に叩き付け、右手で口をこじ開けて。
『死にたいなら死ねば良いさ。嗤ってやるから』
 中原龍也はそう言った。ぎらぎらした瞳で。凶悪な笑顔で。俺を噛み殺しそうな顔で。
「……どうしてお前、『久本』へ来たんだ?」
 中原は笑った。
「……あれが『採用試験』だったんですよ。つまり、あなたに食事をさせる事が」
「……だから、何で……」
「……良く憶えてませんね。頭、悪いんで」
「……嘘つき」
「物忘れ、ひどいんですよ。困ったものですねぇ」
「……隠したいなら、そう言え」
「……それで良いんですか?」
「……仕方無いだろ?」
「……優しいんですね」
「……バカ」
 中原は笑った。
「……別に俺は『復讐』なんて考えていませんでしたよ。だって『抜け殻』でしたから。他に行く場所が無くて拾われただけですから」
「……だって……っ」
「……俺は人を殴り、傷付ける事しか出来なかった。誰ともまともに会話出来なかった。……そしたら、貴明様が現れて言ったんです。『それを正当化できる割の良いバイトがあるんだけど来ないかい?』って」
「…………」
「……『アンタを殴っても良いのかよ』って言ったんです。そしたら『相応の金を払ってくれるなら構わないね』って。思わず笑いましたよ。あの方、本気でそう言ったんです。冗談言ってる目じゃなかった。思い切り笑いました。『いつも金で解決するのか?』って聞きましたら、『そうだ。金は裏切らないからな』って。それで一緒に行く事にしたんです」
「……お前……」
 頭痛がした。
「あの方、俺達の両親死んだ後、匿名で生活費とか送って下さったんですよ。『施設』入ってからバレるまで、ずっと。金で解決する事しか出来ないって言ってるけど本当は……」
「……中原」
「……照れ屋なんですよね、あなたも貴明様も。物凄く不器用で人と上手く付き合えない。思ってる事が上手く相手に伝えられない」
「……あのな、中原……」
「……俺は好きですよ、とても」
「……あのなぁっ!!」
「……何です?」
 真顔で訊かれて、何も言えなくなって、代わりに中原の頭をガシガシ撫でる。中原は驚いた顔をした。……上手く言えない。中原が優しげな笑みを浮かべる。
「……どうせなら熱烈な抱擁とか、キスの嵐の方が嬉しかったですけど」
「……バカ。そういうふざけた事ばっか言ってっから……!!」
「……本気ですけど?」
 一瞬、硬直する。
「……本当、可愛い人ですね」
にっこり笑う。……一体何考えてるんだ!? この男!!
「……そろそろ出ましょう」
 平然とした顔で言うから、訳が判らなくなる。
「……お前、ホモかよ」
「女性の方が好きですよ。二十一・二から八・九くらいがベストですね。身体も成熟してるし」
「…………」
「……結局の処、まともな恋愛が出来ないだけですよ。『契約』や『命令』、『目的』が無いと他人と付き合う事が出来ない。感情移入出来ないだけです」
 ……どういう、意味だろう。
「……愛しく思うのが愛情なら、俺は郁也様を愛しています。が、恋愛感情か否かという事になると良く判りません」
「……っ!!」
 いきなり何言い出すんだ!!この男!!
「……別に欲しいとは思いませんから」
 中原は微笑していた。
「俺みたいな人間になっちゃ駄目ですよ、郁也様。絶対に」
「……中原」
「……楽しいんですよ。例え目の前で血を流している『敵』が『兄』でも。判った時、本当どうしようもないなって。自制しないと、肉親でも殺せるかも知れない。本当に鬼畜ですね」
 やっぱりあの時!! 殺してたんだ!!
「……こんなに歯止めが無いんじゃ、もう畜生以下ですよ。……喰う為じゃない。快楽の為に生きてるんだから。ぞっとします」
「……中原……」
「……『兄』に会えても嬉しくないんです。困ったものですね。……かつて『憧れ』だった『兄』を『敵』にするという事が、楽しくてぞくぞくするんですよ。病気だ」
「……中原、もう良い」
 中原の腕を掴む。
「……お前が自己嫌悪に陥ってる事は判る」
「……俺が?」
「……自分をそう、追い詰めるな。見てる方が痛い」
「…………」
「行こう。……どっちだ?」
「……こちらです」
 倉庫の一つに近付く。と、俺を見て無言で言う。
『隣の倉庫の陰にでも隠れていて下さい』
『……何?』
『厭な予感がします。じっとしてて下さい』
 俺は素直に頷き、隣の倉庫の裏へ行った。注意深く、音を立てないように。……見た限り、人の気配は無い。……落ち着かない。突如、爆発音。ぎょっとして俺は慌てて中原の方に駆け寄った。
「中原!!」
「ほんっとに頭悪い事する人ですね!! 邪魔になるからあっち行ってろってのが判らないんですか!!」
「……なっ!!」
 何でそこまで言われなきゃならないんだっ!!
「……俺の努力もするだけ無駄って事ですね!! 全く!!」
 あっという間に取り囲まれる。
「……銃、持って来てますか?」
「……使えもしないのにわざわざ持つと思うか?」
「……念の為、ですよ。役立たずなんだから、黙って隠れてりゃ良いんです」
「言わない方が悪い!!」
「指示には従って下さい!!」
「あんなデカイ音すりゃ誰だって驚く!!」
「素人みたいな事言わないで下さい!!」
「悪かったな!! 俺は素人だよ!!」
「……護身術は習ってるんでしたっけ?」
「……嗜み程度には」
「じゃあ見せて下さい。採点してあげますから」
「いちいち偉そうなんだよ!! お前!! 謝りゃ良いのかよ!!」
「謝って切り抜けられるものならね」
 男達が次から次へと襲い掛かってくる。幸い、銃持ってる奴はいない。木刀持ってる奴もいれば、アーミーナイフ持ってる奴もいる。さっきみたいに警備員かボディーガード風じゃなく、不良崩れかヤクザの下っ端みたいな感じ。動きも統率もなってなけりゃ、武器の使い方も下手くそ。
「何、こいつら!! 遊んでんの!? それとも手ェ抜いてんの!?」
「郁也様!! 一応この人達本気らしいから、そんな事言っちゃ失礼ですよ!!」
「テメェら好き勝手言いやがって!!」
 不良崩れ達は逆上したようだ。けど、さっきの連中とは雲泥の差。訓練されてない動きだ。これなら俺でもどうにかなる。当て身や蹴りで次々倒す。俺が習ってるのは、合気道と柔道。それからキックボクシング。対戦は一度もした事が無い。ただ、屋内で十対一で模擬を繰り返しやらされるだけ。型は教えられたけど、どうも自己流になってしまった。『教師』に変な癖が付いていると何度も注意されたが、別に試合に出る訳じゃないと言い逃れている。
「……成程、楠木[くすのき]が嘆く筈です」
「悪かったな!!」
  かし、障害物が無いって不便だな。こういう広い隠れる処が無い場所は初めてだ。しかも、こう人数がいちゃ。何人いるんだ? ……畜生。状況判断なんて出来ねぇよ。近付いてくる奴相手にするだけで精一杯。突き出されたナイフ屈んで避けて、相手の懐飛び込んで肘で鳩尾入れて、相手倒れ込む前に離れて、背後から来た奴の膝に回し蹴り入れて、落ちてきた顎にアッパー喰らわせて、駄目押しに腹に右ストレートぶちかまして、脇から来た奴の木刀ステップで避けて、開いてる脇腹に蹴り入れて、取り落とした木刀で脳天ぶちのめして、更に背後から来た奴の腕と腹に続けざま木刀叩き込んで、左脇から来た奴の足引っ掛けてバランス崩れたとこ木刀で殴ったら折れたから放り投げて、斬り掛かってきた奴のナイフ払い除けて、腕取って背負い投げして急所ついでに蹴って、背後から来た奴に頭突き入れて腹に回し蹴り喰らわせて、顔を上げたら、他の連中は中原が全て料理したらしかった。重症・死傷無し。全員骨折や打撲程度。
「……手加減出来るんじゃねーか」
 涼しい顔した中原に言うと、
「二十六点」
 とおもむろに言われた。
「は!?」
「……動きに無駄が多すぎます。後日特訓して差し上げましょう」
「何ぃ!?」
「大体他の連中はあなたに甘すぎます。これ以上つけ上がらせてどうするんですか。徹底的に根性から叩き直して差し上げますから、涙流して感謝なさい」
「何だよ!! その言い種は!!」
「誠意がこもってるでしょう?」
「ふざけてんのか!? お前!!」
「この分じゃバイクも着替えも非常食も当てになりませんね。仕方無いから彼らのを借りていきましょう」
「……中原、それって強盗って奴だぞ?」
「それはさっきの『車』の事でしょう? 彼らが好意的に貸してくれれば犯罪じゃありません」
「……誰が貸すんだよ?」
 すると中原はにっこり笑った。中で一番、体の大きい奴の傍らにしゃがみ込む。
「ねぇ君? 君は五本ある指の内、どれなら無くなっても良いと思う? 人差し指なんてどうかな?」
 そう言っておもむろに右人差し指を反対方向へ向けて曲げようとする。
「……ひっ……!!」
 人の好さげな顔でなおも続ける。
「たぶんここが限界点だよね? これ以上やると、たぶん指の骨が折れるんだけど、君、イイバイク乗ってるね? どう? 二万で譲らない? それからその服も貸してくれたらもう一万出すよ? それとも指が無くなる方が良い?」
「ひいいっ!! 言う通りにします!! 何でもします!!」
「……中原……」
 頭痛がする。
「……それは恐喝だ……」
 ……俺、前科者の一味にされてしまうかも。……いや、たぶん既にそうか。……少なくとも俺の所為では無い。無い筈だ。……クソッ。
「どうも有り難う。これ、代金ね。え? いらない? 無料で良い? 気前良いなぁ、本当にイイ子だねぇ。でも何のお礼無しってのもあんまりだから、俺の熱いベーゼをあげよう。大サービスだよ」
 男の絶叫が聞こえてきたけど、見ない事にした。
「……行きますよ」
 ……ああ、早く平穏な日常に戻りたい。中原と縁切って。……溜息つく。奪った服に着替えて、バイク二人乗りで走り出す。

To be continued...
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