NOVEL

堂森食品(株)営業二課 -7-

 始まって一時間半過ぎると、脱落者が出始めた。どう考えてもピッチ早い気がするけど。
「砂原ぁ、お前飲んでる?」
 ぼーっとしていたら神田川さんに声掛けられた。
「飲んでます。……なんかぼーっとしてきちゃって」
「そりゃ飲み方が足りないんだ。もっと飲めば治るって!」
 滅茶苦茶な事言ってる。
「勘弁してくださいよ。……俺、ちょっと外の空気吸って来ます」
「逃げるなよ、砂原。戻って来いよ?」
「戻りますよ。心配ないです」
 ふらつく足で立ち上がる。
「大丈夫か? 砂原」
 篠田さんが声掛けてくる。
「なんなら俺も一緒に……」
「篠田はダメ!」
 神田川さんが言った。
「何だと?」
「篠田、砂原と消えるつもりだろう? そういうのは許さないからな! 付き合い悪いんだよ、お前」
「何を言ってるんだ。俺は……」
「て言うか、飲め。俺の注ぐ酒が飲めないってのか?」
「酔っぱらった振りして絡むのはよせ、神田川」
「あの、篠田さん。俺、平気です。すぐ戻りますから」
「砂原」
「待っててください」
 言うと、篠田さんの頬が微かに染まった。
「じゃ、ちょっと出てきます。煙草の買い出しとかあります?」
「あー、じゃあ俺、キャスター・マイルド・ピュア・ボックス」
 神田川さんが言った。
「おい、お前……」
 篠田さんが顔をしかめた。
「判りました。あと、他どなたかあります?」
「じゃあ、僕はマールボロ・ミディアム頼める?」
 都倉さんが言った。
「んじゃ俺はキャメル・マイルドね」
 灘さんが言った。
「じゃあ、俺もついでだから、フィリップモリスお願い出来るかな?」
 黒崎さんが言った。
「お前ら!」
「あ。良いです。判りました。俺、買ってきます。……すぐ戻りますから」
「すぐ戻るって……砂原、あのな……」
「篠田ってば砂原いないと淋しいんだって! 愛されてるぅ!」
 神田川さんが言ったら、篠田さんは真っ赤になった。
「なっ……何を言ってるんだ! バカ!! そうじゃなくて、俺が言ってるのは……!!」
「いってらっしゃーい! 砂原ちゃん。俺達待ってるからね♪」
「はい、行ってきます」
 俺は店の外に出た。月がぼんやり浮かんでいた。雲がかかって少し輪郭がぼやけてる。心地よい夜風が吹いていて。すぐ隣にあった煙草の自販機の前に立った。
「あれ……フィリップモリスしかない」
 ひょっとしたら、篠田さんは知っていて、それで怒ったのかな? でもコンビニだって近い。道路を渡って向かい側。店に入って真っ直ぐカウンターへ向かった。
「すみません。キャスター・マイルド・ピュア・ボックスとマールボロ・ミディアムとキャメル・マイルド、それからフィリップモリスお願いします」
「え、すいません。もう一度お願い出来ますか?」
 店員に問われて、もう一度繰り返す。
「キャスター・マイルド・ピュア・ボックスとマールボロ・ミディアムとキャメル・マイルド、それからフィリップモリスです」
「キャスター・マイルドならあるんですが……」
「すみません、頼まれものなので違うと……」
 それ以外は揃った。……どうしよう。
「あの、近くに他にタバコ売ってるところってありますか?」
「この通りの裏にありますけど……そこの交差点を右に曲がって一本目を左に入ったすぐです」
 支払って外に出た。……なんか俺、面倒なこと引き受けたみたいだ。でも、神田川さんのだけないんじゃ、あの人だったら笑って許してくれそうな気もするけど、何か悪いし。
 こんな事なら、篠田さんと来れば良かったかな?言われたタバコ屋はすぐ見つかった。丁度、おじさんが手動でシャッターを閉めようとしているところだった。
「すみません!!」
 慌てて駆け寄った。
「ん?」
 おじさんは不思議そうにこちらを見た。
「あの、キャスター・マイルド・ピュア・ボックスとかっていうの、あります?」
「あー、キャスター・マイルド・ピュア・ボックスね。いつも買いに来る人がいるから、置いてあるよ」
「それ下さい」
 ギリギリセーフ。

 何とかタバコを手に入れて、店へ戻った。奥の座敷へ入ろうと靴を脱ごうとしたその時。
「……だから、そこのところ、どうなんだよ?」
  神田川さんの囁くような声が聞こえた。
「だから本当に別れたんだ」
「……円満に?」
 どきん、として思わず襖から離れた。そっと隙間から覗き込むと、篠田さんが神田川さん、都倉さん、灘さん、黒崎さんに囲まれている。
「……あの時の根上は話なんか出来る状態じゃなかったからな」
 観念したように、篠田さんは言った。
「でも、あいつは俺より時枝を選んだんだ。それは根上本人からも聞いたし、時枝にも手を引けと言われた──だから、俺は今の状況が本当信じられないんだ。どうして俺が責められなくちゃならないんだ? 俺を裏切ったのは、根上だぞ? 俺は一方的に振られたんだ。なのに、どうして……」
「それで、あれから一度でも根上と話したのかよ?」
「……お前に関係ない」
「そういう事言ってると、そのうち砂原にも振られるぞ。同じパターン繰り返すかもな。時枝が狙ってるみたいだし」
「っ!!」
「……神田川は心配して言ってるんですよ」
 都倉さんが横から口を添えた。灘さんが口を開く。
「篠田さん、何か出来る事があるなら俺達協力しますよ。根上の時のような後味悪い思いしたくないですから」
 その言葉に、篠田さんがぴくんと肩を震わせた。
「一人で会うのが厭なら、付き合っても良いですから」
 都倉さんの言葉に、篠田さんは頬を染めた。
「そんな……別に俺はそういうのは……」
「甘えても良いんだぞ、篠田。お前は一人で抱え込みすぎるからさ。この神田川様の胸を借りてどーんと……」
「相変わらずだな、神田川」
 篠田さんは苦笑した。
「……でも、何か……助かったかも」
 どきん、とした。
「そーそー。そういう弱音。吐いておきゃ良いんだよ。普段から。だからプツッとキレる羽目になるんだって。酔った時しか弱音吐かないなんて、お前厄介すぎるんだ」
「……悪かったな、厄介で」
「んで、どうすんの?」
「……根上に会うよ。一人で」
「大丈夫か?」
「……お前、俺を何だと思ってるんだ? あいつが言う『よりを戻したい』なんて話は問題外だが、俺はまともにあいつの弁明を聞いてやらなかったからな」
「良かった。砂原のおかげかな? お前、あれ以来余裕無い顔してたから」
「……そうだったか?」
「眉間に皺寄せて、苛々してたぞ。俺の事すぐ殴るし」
「それはお前が殴られるような事するからだろ」
 ……篠田さんが『根上』とかいう人に会う。元恋人だったとかいう人に。
 ぞくりとした。厭だ、と思った。そんな人と二人きりでなんて会って欲しくない。だけど、いつまでもその人が篠田さんにつきまとうのも物凄く厭だ。よりを戻したい? ……そんなの冗談じゃない。そんなの図々しすぎるじゃないか。だって篠田さんを傷付けたんだろう? 時枝さんを選んだって──それじゃ篠田さんと時枝さんの不和の種を作ってる人って、その根上って人じゃないか。自分の恋人が、篠田さんにちょっかいかけてるんじゃ、時枝さんだって可哀想だ。俺──時枝さんには酷い事しちゃったけど。
 俺、まだ会った事ないけど、根上ってひと嫌いだ。ずるい。そんなのってずるい。篠田さんから一度離れたくせに、別の人と付き合ってから篠田さんに戻ろうなんて、そんなのずるい。篠田さんが可哀想だ。篠田さんは今俺のこと好きだって言ってくれてるのに──昔好きだった人に付き合おうなんて言われたら、篠田さんがまだその人の事好きだったりしたら──俺は、俺はどうなるんだよ? どうしたらいいって言うんだよ?
 俺は篠田さんだけだ。篠田さんが好き。なのに、篠田さんを奪おうとしてるなんて、ずるすぎるじゃないか。時枝さんと篠田さんを両天秤? ……冗談じゃない。自殺未遂だかなんだか知らないけど、そんな事で俺から篠田さんを奪わせない。そんなの卑怯だ。
「……確かに砂原に出会わなかったら、根上と会ってみようなんて気にはならなかっただろうな」
 それは……どういう意味なんだろう?
「よっしゃ! この話はこれでお開き!! ……ところでそろそろ場所を変えない?」
「おい、砂原がまだ帰ってないんだぞ」
 篠田さんが言うと、
「あっれー? っかしいな。俺の計算ではそろそろ戻って来る筈なんだけどな。三丁目の煙草屋、閉まってたかな?」
「あそこ、八時までだろう? まだギリギリ営業してた筈だけどな」
 灘さんが言った。
「俺、一番面倒な注文しちゃったからな。ちょっと迎えに行って来る」
 うわ。来る。
「遅くなりました!」
 慌てて靴を脱ぎ、襖を開ける。
「あー、砂原ちゃん!」
「砂原!!」
「おっかえりー。遅かったね、大丈夫だった?」
 神田川さんが言うと、篠田さんが何か言いたげな顔でじろりと睨んでいた。……あの煙草の注文って──わざとだったんだろうか? 俺が言い出した事だけど──もしかして。
「神田川さんがキャスター・マイルド・ピュア・ボックス、都倉さんがマールボロ・ミディアム、灘さんがキャメル・マイルド、黒崎さんがフィリップモリスですよね?」
「有り難う」
「悪いね」
「ありがと♪」
「いや、サンキュー。本当悪いね、砂原ちゃん」
 嬉しそうに神田川さんがキャスター・マイルド・ピュア・ボックスを受け取った。
「キャスターって良く聞きますけど、それ初めて聞きました」
「うん。煙の出方が少ない、周りの人に親切設計なんだよ。ほら俺、人格者だから」
「そのネタ本当つまらないんだよ、神田川」
 篠田さんが言った。
「ネタじゃないでしょ。真実じゃん」
「……お前という奴には呆れ果てるな」
「まったまた! 大親友に向かって」
「大嘘つくな。誰が親友だ」
 ……やっぱり、仲良いよな。篠田さんと神田川さん。
「砂原ぁ、お前どっか行きたいとこある?」
「え? 俺……ですか?」
「そーよ、今日は砂原ちゃんが主役でしょー?」
「主役にタバコ買いに行かせるなよ」
 篠田さんが言うと、
「まあまあ、それはそれ。……どう? 砂原」
「え……いや、俺は……」
「あ! そうだ!! 俺んち来ない? うち騒いでも平気だからさ!」
 か……神田川さんの家?
「やめとけ、神田川。これ以上砂原を付き合わせるな」
「って言うか俺、あんまり砂原ちゃんに構ってあげてないし」
「余計なお世話だ」
「……独占欲?」
「だっ……!!」
 篠田さんの顔が真っ赤に染まった。俺もつられて赤くなった。
「神田川」
 ぽん、と都倉さんが困ったような顔で、神田川さんの肩に手を置いた。
「うん、そうだな」
 神田川さんはにっこり笑った。
「じゃ、ここで篠田センセを皆で胴上げして解散ということで」
「ちょっと待て! 何故俺が胴上げされなくちゃならないんだ!」
 篠田さんが叫ぶと、神田川さんはぺろりと舌を出した。
「あっ!!」
 篠田さんの背中から黒崎さん、灘さんが腕を掴んだ。すかさず神田川さんが足を掴み、厭がる篠田さんを後から押し寄せてきた人たちがわっと抱え上げる。
「篠田さん!!」
 篠田さんの体が宙に放り上げられた。

「……くそぉ……あいつら……」
 篠田さんは呻いた。
「……大丈夫ですか?」
 俺は篠田さんの腰に、そっと湿布を貼った。
「あー……くそ……すまん、砂原」
「え、いえ、俺は別に」
 だって俺黙って見てただけだったし。
「俺こそすみません。まさか、誰も受け止めないとは思わなくて」
 そう。皆で篠田さんの体を放り上げた後、蜘蛛の子を蹴散らすように一斉にわあっと逃げたのだ。後に残ったのは俺と篠田さんと課長だけ。課長は支払いして帰ってしまった。
「……ああいう奴らなんだよ。覚えておいた方が良いぞ? 砂原」
 今更ながら、とんでもない人ばっかりだ。
「大丈夫ですか? タクシー呼んだんですけど」
「……情けないとこばかり見られてるな」
「そうですか?」
「砂原」
 篠田さんが俺の目を見た。
「俺の好きなのは、砂原だけだから」
 どきん、とする。
「……篠田さん……」
「だから、何があっても、俺を信じて欲しいんだ。困った事や厭な事があったら言ってくれ。……頼む」
 その目がひどく真剣で真摯で。
「はい」
 俺は思わず唇が緩んだ。
「砂原……」
 篠田さんの手が、俺の頬に触れた。ひどく熱い。その眼差しが真っ直ぐ俺を射抜いて。
 外で車の止まる音がした。
「あ……篠田さん」
「……砂原」
 引き寄せられ、抱きしめられた。
「あの、たぶん車が……外に」
 胸が高鳴る。体が震えそうになる。
「砂原」
「……一緒に行きますから」
 言うと、篠田さんは穏やかに笑った。

To be continued...
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