NOVEL

堂森食品(株)営業二課 -3-

 どきどきしていた。待ち合わせ場所の公園。約束通りの五時半ぴったりに、篠田さんは現れた。
「……食べたい物、あるか?」
「何でも良いです」
「……寮の食事、不味いだろう?」
「……ああ、アレ。酷いですね」
「俺は常々思ってるんだ。我が堂森食品株式会社は、食品製造・販売を担っている。なのに、寮の食事があれほど不味くて良いのか、と。社員の味覚が破壊されたら使い物にならない。……あれはもう犯罪的だ、とね」
「……そこまで言いますか?」
 俺は目を丸くした。
「……実はあの寮の食事、引退した会長が趣味で作ってるんだ」
「ええっ!?」
 思わず声を上げた。寮の食堂の厨房にいるあのショボイじいさんがまさか堂森の元会長!? 嘘だろ!!
「……あそこで社員の生活態度監視してるって説もあるけどな」
 にやりと篠田さんは笑った。
「……笑い事じゃないですよ……」
 篠田さんは声を上げて笑った。気持ちよさそうに。俺は思わず目を細めた。
「……俺の手料理を振る舞おう」
「えっ!?」
 びっくりした。
「料理するんですか!? 篠田さん!!」
 すると、楽しそうに笑った。
「俺はプロ並みだぞ? まあそれは嘘としても……実家は飲食店だ。五十音を覚える先に『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』を覚え、はいはいよりも先にコンロに火を付ける方法を覚えたってくらいだ」
「……本当ですか?」
 コンロに火、ってそれは比喩だよな?と思いつつ。くすくすと篠田さんは楽しそうに笑う。
「……部屋はすぐそこだ」
 俺は篠田さんの住むマンションへと連れて行かれた。会社にも、寮にも近い。勿論銭湯にも。
「うわぁ……! 良い部屋に住んでるじゃないですか!」
 何故こんな処に住んでる人がわざわざ銭湯なんか行くんだろう? 疑問に思った俺に、篠田さんは笑った。
「……ユニットバスは俺には狭すぎるんだよ」
 ……判るような気がした。
「……納得するなよ」
 軽く小突かれた。
「……だって」
 すると肩をすくめられた。
「……まあ、言いたい事は判ってる」
「体格良いですもんねぇ……」
「……ああ、ラグビーやってたしな。大分筋肉落ちたけど」
「ラグビーですか!?」
「……砂原は?」
「……え、俺?」
 うわ……ヤだな……何かあまり言いたくないな。
「……何だ?」
「……笑わないで下さいよ?」
「笑うか。そんなの」
「……卓球、です」
 篠田さんはぽかん、とした。俺はカッと顔が熱くなった。
「……どうしてそれが恥ずかしがる必要あるんだ?」
「……大抵の奴が『暗い』って言うんです」
「……そうか? あれも結構真面目にやるとハードなスポーツだろう?」
 もっとハードなスポーツしてた人に言われたくありませんって。
 でも篠田さんは気付かない。優しく穏やかに笑った。
「適当にくつろいでいてくれ。すぐ作るから」
「はい!」
 とは言え、初めて来た人の部屋でくつろぐって言っても何をどうしたら良いか判らない。結局、耐えきれなくなって、キッチンへ行く。
「あの、何か手伝いましょうか?」
 篠田さんは目を丸くし、それから何か納得したようににっこり笑った。
「じゃあ、皿でも出して貰おうか?」
「はい!」
 俺は大きく頷いた。その時、不意に電話が鳴り響いた。
「……悪い。少し火を見ててくれるか?」
「はい」
 作ってるのは、キャベツや野菜の入ったスープとポテトグラタンとかだった。スープの煮込み加減を見ながら、つい、聞き耳を立てていた。悪い事だとは思いつつ。
「……『根上』!?」
 どきん、とした。篠田さんは思わず声を上げてしまってから、急に声のトーンを落とした。ぼそぼそと何か聞こえてくるが、ほとんど聞き取れない。何か口論してるようだった。
「……だからっ! 俺にはもうそれは関係ないだろう!! 言いたい事があったら、時枝に言え!! それが道理だろうが!!」
 びくん、とした。篠田さんは俺に片手拝みをして、電話口に目を落とす。そして相手に何か言い含めるように話し出す。……不意に。
「そうだ」
 妙にきっぱりとした声で。何か宣言するみたいに。
「……そういう事だ。……判ったな?」
 ガチャン、と少し乱暴に電話を切った。見つめる俺の視線に気付いて、柔らかく篠田さんは笑った。
「……悪かったな。ちょっと迷惑な電話で……」
「……『根上』さんて誰です!?」
 詰問口調になった。篠田さんは軽く目を見開いた。
「答えて下さい! 篠田さん!! 『根上』さんて一体誰です!? どういう関係なんですか!?」
 篠田さんは俺を安心させるように笑った。
「元社員だ。一個下の。……友達ですら無い。心配しなくて良い」
「嘘だ!!」
 俺は叫んだ。
「だったら神田川さんが言ってた『根上』さんて一体誰の事ですか!!」
 篠田さんは苦い笑みを浮かべた。
「……気になるか?」
「……気になります!」
 だって俺は、何も持っていないから。まだ何も持ち合わせていないから。
「……『根上』は……時枝の『恋人』だ」
「……えっ……!?」
 俺は大きく目を見開いた。篠田さんは苦笑した。
「だから、俺との関係は元先輩と元後輩だ。気にしなくて良い」
「……だって……っ!!」
「……恋人の愚痴をわざわざ聞かされるんだ。全く冗談じゃない。俺は人の相談を聞くのが苦手なんだ。特に色恋沙汰だなんて。……自分の恋人の嫉妬や愚痴ならともかく、ね」
 甘い、微笑。何だか全て誤魔化されてしまいそうな。抱きしめられて、口づけられる。優しく、甘いキスの雨が、そっと静かに振り落ちる。額に、瞼に、頬に、唇に。……誤魔化されようとしてる。思いながら、抗えなかった。右手がワイシャツのボタンを外し、中へと滑り込み、腹筋の上を静かに撫で上げ、這い登り、突起に触れる。
「……し……のださっ……ん……っ!!」
 篠田さんは耳に、うなじに、鎖骨に次々キスを落としながら、左手でボタンを全て外して行く。ネクタイは既に退社直後に自分で外していたから、俺の胸は無防備にさらされた。熱に、欲望に濡れた瞳が、俺を見つめる。
「……篠田さ……っ」
「……博樹[ひろき]
「……え……?」
「……俺の名は博樹だ」
 ひろき。口の中で呟き、甘い口づけに喘いだ。
「……んっ……ああっ……!!」
 篠田さんの右手がベルトのバックルに掛かり、それを片手で器用に外し、引き抜いた。自らの無防備さに、ぶるりと身が震えた。
「……ひ……ろき……さ……っ」
 篠田さんは笑った。にやりと。魅力的に。何か企んでるみたいな顔で。共謀者の顔で。ジッパーを下ろされ、中の物を引きずり出された。
「あっ……やっ……!!」
 羞恥にカッと身を染める。それはもう半ば以上勃っていた。そんなものを彼に見られたくないと思った。思わず身をすくめた。篠田さんはそれを口に含んだ。
「まっ……待って下さいっ!! 篠田さんっっ!!」
 慌てて腰を浮かして逃れようとするのを、片手一本で押さえつけられ、封じられる。
「……あっ……!!」
 足下から這い上がるような快感。舌と唇で舐め上げられ、扱き上げられる。びくりと身を震わせて、俺は快感に呻いた。固く熱くなったそれをようやく解放して、篠田さんは笑った。
「……やめて欲しい……?」
「……篠田さん……」
 熱く、息を吐いた。意地悪な顔も、ひどく魅力的で。
「……やめようか。食事もまだだし」
 起き上がろうとする篠田さんの腕を捕まえる。
「待って!」
 俺は震えた。
「……やめないで」
 小さく、呟いて。篠田さんが俺を抱きすくめる。それからふわりと抱き上げられた。
「……えっ!?」
 片手でコンロの火を消して、俺を抱えたまま部屋の奥へと進む。……放り出されたのは、ベッドの上で。
「……し……のださんっ……!!」
 俺は激しく動揺した。篠田さんは魅力的に笑う。
「ここまで来てじたばたしない。……中断して欲しいのか?」
「って……まさか……っ!!」
 唇を塞がれる。篠田さんの舌が俺の舌を舐め、すくい取り、強く吸い、上顎を撫で、歯列に触れ、俺を波に呑み込んで行く。
「……んっ……!!」
 キスをしながら、両足がみっともないくらい大きく開かれ、腰を軽く浮かされる。左手で愛撫を加えながら、右手が何処かに伸びている。
 不意にひやり、とした。冷たいジェル状の物が後ろに塗りつけられる。
「なっ……!!」
「心配ない」
 そう言って、篠田さんの右指が、その冷たい物と共に、つぷりと差し込まれた。
「……うわっ……!!」
 思わず身を浮かし、身体を捻ろうとした俺を左手で難なく押さえ込む。篠田さんの唇がまた俺を襲う。指が深く差し込まれる。その初めて味わう異物感に、俺は恐怖に似たものを味わった。
「……大丈夫」
 穏やかな、甘い囁きが耳元で。俺はどうしたら良いか判らなくて、不安になりながら篠田さんを見上げた。優しく笑っている。
「落ち着いて。楽にして。……力抜いて。俺に任せてくれ」
 こくん、と頷いた。ゆっくりと指が抜き差しされる。冷たいジェルがその抜き差しの度に奥へと入り込み、体の中でじんわり溶かされていく。最初恐かったその感触が、痛みを伴いながらではあるけれど、徐々に快感へと変わっていく。口から溢れる吐息。篠田さんの口からも甘い吐息が洩れ始める。左手で、中心部をそっと撫で上げるように愛撫されながら、右指で徐々に中を押し広げられていく。二本目が入った。
「……あっ……!!」
 思わず洩れた声に、篠田さんの下腹部が反応した。大きく固くなったそれが、俺の膝あたりに触れた。三本目が追加される。
「……くっ……!!」
「……辛い?」
 優しく聞かれて。
「……へ……いき……っ!!」
 後ろの刺激が徐々に激しく早くなっていく。それと共に、膝に当たる感触が固く熱くなっていく。
「……しっ……のださっ……!!」
 目の前が、ひどく熱くなる。篠田さんで、気持ちがいっぱいになる。
「……挿れるぞ」
 びくん、と肩先が震えた。俺は頷く。不意に、熱い痛みが俺を貫く。
「……ひっ……!!」
 予測より、遙かに強い衝撃だった。思わず腰が浮く。
「……大丈夫。激しくしないから」
「……しっ……!!」
 声が、出ない。息を詰めてしまう。
「……呼吸止めないで。静かに、ゆっくり呼吸して。深すぎず、浅すぎずだ」
 篠田さんの左手が、俺の前髪をそっと掻き上げ、頬を撫でた。
「……し……の……だ……さ……ん……っ」
 優しい眼差しが、俺を見下ろしている。俺は篠田さんの手を握った。篠田さんは俺を熱く握り返した。両手の平を合わせ、指を絡み合わせて、しっかりと握る。ゆっくりと深呼吸。篠田さんがそっと笑った。俺も、引きつってはいたけれど、何とか笑みを浮かべた。篠田さんがゆっくりと動き始める。焦れったいくらい、ゆっくり静かに。俺に負担かけないように、そっと。
「……篠田……さん……」
「……砂原……」
「……もっと……」
「……何……?」
「……もっと……早く……して良いから……っ!!」
 言いかける内に、急に動きが早くなった。語尾は震え掠れて言葉にならなかった。
「あっ……ああっ……はぁっ……!! ……あぁっ!!」
 最奥にまで、突き上げられる。痛みにひどく似ている。けれど、決して『痛み』ではないもの。溺れて、呑み込まれて、何もかも見失い引きずり込まれそうな深淵。
 イイ、とか良くない、とか、そんな物はもうどうだって良くて。とにかくこのまま繋がっていたくて。離れたくなくて。必死に髪を、肩を、腕を掴んで貪るようにキスを求める。ぐちゃぐちゃになって、どろどろに溶けて、獣のように暴れ猛り狂って。
 白い飛沫が放たれた。一瞬遅れて、内部でも叩き付けられる。荒い、息をついて暫し見つめ合った。汗で濡れて乱れた髪。静かに俺を見つめる穏やかな瞳。首の後ろに手を回して、舌を絡め合った。そっと抜き出されるそれを、心惜しげに見送って。
 この人の胸の中にずっといたい、と思った。明日なんてもう一生来なければ良い。この腕の中から、胸の中から、離れたくない。もう一瞬たりと離れたくなかった。
「……そんな目で、見るな」
「……だって」
 篠田さんは笑った。
「暫く寝ていろ。すぐ夕食作って持ってくるから」
「……行かないで」
 腕を引いた。篠田さんは苦笑した。
「……初めてですぐじゃ辛いだろう? 俺の理性が効く内に離してくれ。……本当はこんな風にすぐするつもりじゃなかったんだ」
「……篠田さん……」
「……お前は俺の理性を吹っ飛ばす。頼むから、手を離してくれ。すぐ、戻るから」
 俺は黙って手を離した。優しい、笑顔。篠田さんがそっとキスする。俺もキスを返す。抱擁して、キスを交わして、見つめ合って。
「……待ってろ」
 俺は頷いた。

 篠田さんが夕食を持って寝室を訪れた時、俺はとろとろと微睡み掛けていた。篠田さんのキスで、目覚めて見上げる。
「……篠田さん……」
 篠田さんは笑った。
「起きあがれるか?」
「はい」
 俺はのろのろと身体を起こした。
「……食事、持ってきた。……身体、大丈夫か?」
「……平気です。そんな気を使わなくて良いです。だって俺……」
 見つめる。優しい眼差し。眩しくて。
 篠田さんが顔を近付けてきた。俺は目を閉じる。互いの唇を、舌を貪った。貪欲に。篠田さんの肩に、背中に腕を回してしっかりとしがみついて。篠田さんの腕が、俺の腰と背中に回され、強く、しっかりと抱きしめられる。
「……砂原……」
「……篠田さん……俺……」
 奥底から、溢れてくる気持ち。全て篠田さんで埋め尽くされて。
「……俺、篠田さんの事……」
「うん」
「……凄く……好きです。ずっとこうやって……ずっと……傍に……」
 想いが溢れて、言葉にならない。喉の奥が詰まって。苦しくて。
「……どうしてだろう……こんな……こんな気持ち……初めてで……!!」
 痛いくらいに、凄く求めていて。好きとか嫌いとかそんなの超越していて。どんな言葉も何だか嘘で薄っぺらくて意味がないものに思えてくる。こうやって肌を合わせる事以上に、気持ちなんて伝わらない気がする。
「……まだ、あなた自身のこと……何も知らないのに……俺……」
 凄く惹かれている。惹かれてるなんてものじゃ足りない。苦しい。狂おしいまでに欲している。
「……離れたくない……」
 俺を、離さないで。一瞬たりと離さないで。抱きしめて、決して離さないで。
 篠田さんは俺を強く抱きしめた。耳元で囁く。
「……砂原……!!」
 篠田さんは俺のこと、どう思ってるんだろう? 今更確認するのはとても恐かった。物凄く恐かった。俺が想うほどに、彼が俺を想ってくれなかったら、俺はきっと彼を殺してしまう。篠田さんを殺して、俺も死ぬ。
「……凄く……嬉しい……!!」
 幸せそうに、彼は呟くから。凄く幸せそうに、甘く囁くから。俺は恍惚とした。陶然とする。篠田さんは俺に口づける。幾度も、幾度も、繰り返し。夢のように。甘く静かに。
「……砂原……今日はもう……帰したくない。……良いか?」
 問われて、俺は頷いた。力強く頷いた。それは俺自身が、思っていた事だったから。……着替えの事なんて全く頭になかった。

 翌朝。俺が一瞬途方に暮れたのはその日着るスーツだった。篠田さんのスーツ、なんて代物は俺が借りて着られるようなサイズの物じゃない。
「……悪い。全く失念していた」
「いえ。俺もそうですし。……それに昨夜は……」
 凄く、幸せだったし。篠田さんの腕の中で眠れて。俺の言わんとする事を篠田さんも察したのだろう。白い顔が真っ赤になった。
「……時間ありますし、寮へ行って着替えますよ。それにほら、他の寮の連中にも、朝いないと言い訳困りますし」
「……そうか。すまないな」
「いえ」
 取り敢えず昨日の服を着て。二人で顔見合わせて朝食、だなんて。何だか夢の続きみたいだ、と思った。現実なんだが。不意にしたくなって、キスをする。篠田さんはびっくりしたように目を見開いた。
「……砂原!?」
 今更何故驚いたりするんだろう? 俺が苦笑すると、篠田さんも苦笑した。
「……目が離せないな」
 柔らかく笑って。
「……どういう意味です?」
「……心配だって事」
 篠田さんは笑った。判らない。首を傾げる俺の頭をくしゃりと撫でた。
「そろそろ行かないとまずいな」
「じゃあ、また」
 そう言って立ち上がり、キスした。
「……二課で」
 にやり、と共謀者の顔で笑みを浮かべる篠田さん。格好良すぎる。もう一度キスした。
「……じゃあ、後で」
「ああ」
 にっこり笑う篠田さんを残し、俺は寮へと帰った。寮の部屋の前に、高石が立っているのを見つけた。
「……高石?」
 何故か機嫌が悪いみたいだった。
「……昨夜、何処へ行ってた?」
「え?」
 どきん、とした。
「……あ、いや、ちょっと飲みに行ってたけど」
 本当の事など言える筈がない。
「ふうん?」
 疑わしげに見る。……何だ? どうしてそんな顔されなきゃならない?
「……携帯、電源切ってか?」
 確かに電源は切りっ放しだった。留守番電話サービスに入ってるから、そっちへ接続される。
「……その分だと聞いてないだろ? 留守電」
 棘のある口調。何故そんな言い方されるか判らない。
「……高石?」
 眉を顰めた。高石が不意に、俺の腕を掴んで、部屋へと押し込む。
「ちょっ……まっ……何だよ!! 高石!!」
 不意に、シャツを無理矢理押し広げられて、押し倒される。
「高石!?」
 驚愕に、目を見開いた。高石は舌打ちした。
「……やっぱり」
 俺の身体に残る、愛撫の痕跡に目を落として。暗い瞳で俺を見下ろす。
「……高石……何でっ……!!」
 声が上擦った。高石の目に、何か恐怖感を覚える。
「……厭な予感はしてたんだよ。そうじゃないかって……あの男か!?」
「……何を……っ!!」
「鳶に油揚げかっさらわれるってこういう事だよな!! 大事にしようとしてたら、横から知らない奴に分捕られるんだ!」
「……何言って……!! ……高石!?」
 不意に、唇を塞がれた。引きちぎられたワイシャツを、口の中に押し込まれる。抵抗する俺の鳩尾に、高石は拳を入れた。口から洩れた悲鳴はシャツに遮られ、くぐもった音を上げただけだった。咳き込む俺の両手首をネクタイで縛り上げ、スラックスのジッパーを無理矢理下ろされる。俺は暴れて高石の身体を蹴った。高石が、俺の顔を容赦なく殴る。痛みに呻き、一瞬抵抗が弱まった隙に、高石はスラックスを下着ごと引きずり下ろし、俺を俯せにした。
「……っ!!」
「……俺がどんな想いでいたかなんて知らないだろう!! 砂原!!」
 知るかよ!! そんなもの、どうして俺が知る訳あるんだ!! 何も言われなくて、説明されなくて、どうやって俺がそんな事知る事出来るって言うんだ!!
 必死で暴れ、抵抗した。滅茶苦茶に、半ば自暴自棄に。俺が、俺が一体何したって言うんだ!! 少なくとも高石にこんな事されるような酷い事した覚えはない!! 俺はこんな事される謂われなんかこれっぽっちもない!!
 手に触れた、何か重い物を掴んで背後に渾身の力を込めて投げた。重い音と、高石の悲鳴がして、俺は解放された。投げ付けたのは、ガラスの花瓶だった。粉々に割れて、その中心部分に高石がいる。高石は両手で顔を覆っていた。その手の隙間から、紅い血が滴り落ちていた。どきりとする。
「……たっ……高石……!?」
 物凄い怪我でもさせたんじゃないだろうか。慌てて俺は高石に近付いた。
「……くっ……くくっ……くっ……」
「……たっ……高石?」
 高石は肩を震わせて、くっくっと笑っていた。俺は思わず立ちすくむ。高石は声を上げて高らかに笑った。
「…………」
 声を掛けるのも躊躇して、俺は距離を置いて高石を見つめた。高石はゆっくりと顔を上げた。額が割れている。血が滴り落ちて鼻や口を赤く染めていた。俺は息を詰めてそれを見つめた。
「……悪かったな」
 陰鬱な表情で、高石は言った。
「……さぞや迷惑だったろうよ?」
「……高石……」
「……俺は道化か……」
 高石は舌打ちして、呟いた。俺はどうしたら良いか判らずに、高石を見つめる。高石はゆっくりと立ち上がる。
「……もう二度と、話し掛けない。お前もそのつもりでいろ」
 言うと、それ以上何も言わずに立ち去った。俺は荒れ果てた部屋の中、ぼんやり立ちつくした。急に、眩暈と疲労と痛みに襲われて、崩れ込む。じんじんと痛む頬と腹。そっと口元を拭って血が付いたのに気付いた。……マズイ。仕事行くのにこれはマズイだろう。他の人はともかく、篠田さんに勘付かれるのは困る。ふと、縛られたままの両手に気付いてぎくりとした。……早く外さなきゃ。でも…………どうやって?
 テーブルの上のペン立てに立てかけてあるカッターナイフを見つめた。……やっぱり……他に……方法無い……か? 少し憂鬱な気分になりながら。

To be continued...
Web拍手
[RETURN] [BACK] [NEXT] [UP]