僕らが知らなくてはいけないこと

俺の目の前に魔物がいる。醜悪な魔物が狙うは、俺の大切なクラウド。その指一本触れさせない、半径一メートル以内に近づけさせない、俺はクラウドを守る。大上段から振り下ろしたラグナロクは、虚空に深い傷を刻み付ける。剣閃は鋭さに欠けた、がその殺傷能力に関しては申し分なかった。フォロースルーから滞ることなくもう一撃、袈裟、そして身を翻し、胴凪ぎ、最後に、突。 虚空に生み出した幻の魔物は姿を消した。

俺の使う剣は重い。いわゆる「剣」と呼ばれる両刃の長剣に比べると数倍の重量を持つ。これを軽々振り回す事が出来るのはジェノバのお陰だが、その特殊さ故に戦い方も異質だ。俺はソルジャーとしての教育は一切受けていないからこれは半自己流の剣術ではあるが、自分の腕力を剣に通わせ剣の重さに任せ、敵を斬るというより、叩く……ちょうど野球の打者のように。だから、剣と言うよりは巨大な棍棒で戦うようなものだ。恐らくソルジャー、それもザックスのような1stともなればもっと高等な戦法をとるのだろうが、エセソルジャーはかくして戦う。

ただ、大型剣を使うときはこれでいいわけだが、村雨や吉行といった細身の刀で戦うときは……もう、それこそテレビとかの見よう見まね。時代劇のそれもプロに言わせれば間違いだらけなのだろう形でやる、が、持っているのは間違いなく刃、振り回せば人は斬れる。

俺のいい加減な剣術に比べると、ダートのそれは、形も綺麗で動きに無駄がない。もっとも剣の形だって違うのだが、なんだかうらやましいくらいにまともな剣士だ。やっぱり本物は違うなと思う。俺のなんて、鍋の底に穴が開いたとき火で炙って目玉焼きが焼けることくらいしか取り柄が無い。いや、それはいっそ自慢にもなろうか。ウータイ名物に「瓦そば」というのがあるんだそうで、あの旅の途中ユフィはそれをやらせろとうるさかった。とうとう俺が見ていないところで、ナナキとシドを共犯に仕立て上げてその奇妙な麺料理を作り、バスターソードからは一時期香ばしい胡麻油の匂いが漂っていた。ともあれ、マテリアをたくさん填め込んだラグナロクは、手に馴染んでいた、そして腰に馴染んでいた。

クラウド=ザックス=ヴァレンタイン=ストライフ、体調完全復活、だ。

「でやっ、とおっ、たあっ」

嬉しいので、もう一度、見えない敵に向かって三段斬り、さらに剣をしまってに回し蹴り・フック・ジャンピングアッパー。

自分の力で動けるって、素晴らしい!

「何を踊っているのだお前は」

腰痛が解けたから、休戦協定も破られたらしく、ヴィンセントは憮然と俺の素振りを眺めていた。

「お蔭様で」

うっすらと滲んだ汗を拭う。ひんやりとさわやかな風が肌を撫でた。見上げると、常緑樹のはるか上、灰色の雲のカーテンの隙間から太陽が白い光を差し込ませていた。地脈の森も、未だ冬は開けていない。しかし、この森は元々、寒暖の差に弱いドラゴンたちの最後の故郷だったというだけあって、一年通しての気温差が十五度程度しかないという。今朝の最低気温、十度。ウータイでは毎朝余裕の氷点下だったから、大分暖かく感じられる。コートはいらない。

ドーナツの形をした地脈の森の、南の地帯に俺たちはいた。ここがドラグーンや、有翼人や、その他多くの人間の居住区になっており、背の低い木造家屋が生い茂る木々に隠れるように点在する。日照効率は悪いが、ジェノバがこの土壌にもたらす恩恵だろう、昔から農作物は普通に収穫され、牛や馬、鶏といった家畜もいる。ニブルヘイムと同じ程度の規模の村落であると言っていいだろう。暮らしぶりは外界の人間たちと殆ど変わらないが、俺たちに比べると自然と同化した暮らしだと言える。農業に頼り、ほぼ自給自足、その礎は地底深くのジェノバ。旧神羅のやろうとしていた事を話したらきっと真っ赤になって怒るだろう。

地脈の森にある集落はここだけで、他はドラグーンも近寄らない。人口自体そう多くないので、あまり散らばるよりも一個所にまとまってくらしていた方がいい、というのがこの森をとりまとめるアルバートの考えなのだ。 俺たちは一階建ての樹の匂い溢れる空き家をあてがわれた。温泉も卓球場も無いけれどとダートは前置きして、今のところはとりあえず平和ないい村だからごゆっくり、と。ウータイからこちらへ移ってきて一週間がたち、カレンダーは一枚めくられ三月になった。ヴァラージも地獄の鬼もコルネオも、まだやってくる気配はないとヴィンセントは言う。ドラゴンバスターの存在はメル以外のドラグーン、総勢六名にとっては驚異的なものらしく、対策は着々と進められていた。しかも相手は雑多なモンスターではなく、彼らの天敵と言ってよいヴァラージと、未知の地獄からの魔物である。

だから、はじめ地脈の森の精神的指導者である緑碧竜のドラグーン・アルバートははっきりと、懸念を口にしていた。

「危険ではないのですか? いくら、ヴァレンタイン殿がその数を食い止めてくださるにしても、戦闘経験の無い民に危険が及ぶとなると……どこか別の場所で戦うわけにはいきませんか」

「でもー、余所で戦ったって、多分ここに来ると思うよ。ボクたちおびき出すためにさ。そしたら余計あぶないじゃん」蒼海竜ドラグーン・メルの意見にアルバートは眉間に皺を寄せ黙りこくってしまった。金色の長い髪はつやがよく、彼の立ち居振舞いからは良い意味で貴族的な物を感じさせる。彼の一族は代々この土地を納めてきたのだそうで、その穏やかな物腰は生来のものだろう。しかしダートの話では、彼は一流の槍術の使い手なのだそうで、森を荒らす魔物から民を守るときにはその実力を存分に発揮するそうだ。

「だけど……相手の手にドラゴンバスターがあるとなると、わたしたちも何処まで力になれるかわからないわ」

白銀竜のドラグーンであり、噂の赤眼竜ダートのフィアンセであるシェーナも不安を口にする。彼女は肩までの栗色の髪に、白い肌、愛らしい瞳。メルと比べるとずいぶんと女性的な女性に見える。……が、ダートに言わせるとやっぱり恐いところもある、らしい。まあ男にとっては、女性はどんな人だって恐いのが常だが。

それに恐いといえば、こちらの女性の方がもっとわかりやすく恐い。

「別にいいじゃない」

艶のある声、とでも言おうか。大人っぽい色気のある声は、まだ少女の面影を残すシェーナの声とは対照的だった。暗黒竜のドラグーンであり、千年以上も昔からこの森を守り続けてきた守護者的存在でもあるロゼが言い放った。

「どんな敵が来ようと……倒してしまえばいいのよ。つまらない事を心配しなくとも」

千年以上も昔から……それは、ジェノバによるものなのか、それとも何か他の理由によるものなのか、俺にはわからなかった。聞く勇気もなかった。ダートの言う「シェーナの怖さ」とはまた違った、威圧的な怖さがこの黒髪を靡かせる女性にはあるような気がした。ヴィンセントとは、似ているだけに気が合わなさそうだ。見た目は二十代半ばといったところか、しかしヴィンセントと同系の、心根の重厚そうなところがあった。

「……しかし……」

まだ渋るアルバートの肩を紫電竜ドラグーンのハッシェルがぽんぽんと叩いた。

「まあ、大丈夫じゃろ。ワシらだけではない、心強い味方が三人もおるんじゃ」

部屋の隅、置物のようにじっと黙って巨躯を折り曲げていたギガース(彼らの呼称に従えば「ギガント族」)のコンゴールが、

「俺たち、負けない」

と一言。二メートルをゆうに超す巨体とモヒカン、さらに顔に施されたギガント族伝統の化粧に迫力がある彼は、黄金竜のドラグーンである。クラウドやメルなど踏み潰されてしまいそうな程の巨漢であり、一週間見た限り、その表情は非常に乏しく笑ったところは今のところお目にかかっていないが、性格はそう無色というわけでもないらしい。

「……解りました。では、民に避難するよう命じましょう。それから……ダート、あなたの神竜王のドラグーンの封印を解きます」

「しんりゅうおう?」

ユフィが妙な発音で鸚鵡返しする。

「赤眼竜や緑碧竜は『神竜』と呼ばれる、六つの眼を持つ竜たちです。その更に上に立つのが神竜王、竜の中の竜であり、七つの眼を持つ覇者です」

神竜王の下に神竜がおり、その下に極竜王、極竜、竜王、竜、一番下に竜の子供である偽竜があるのが竜族の正しいランク付けなのだそうだ。竜といえばレッドドラゴンやブルードラゴンという概念ではないらしく、正しく区分けするなら、レッドドラゴンなどは竜王、ラプスは竜に位置するのだそうだ。

「普通のドラグーンなどよりも更に強力な力を持つため、普段は封印してあるのですが、こうなっては仕方がありません。ドラグーンの血を絶やしこの森を危険に晒すわけにはいきませんから」

こうして、ドラグーンたちの秘密兵器も投入され、戦闘態勢は整ってゆく。

メルのフィアンセであるガラーハや他の有翼人たちも、ありがたいことにこの戦いには協力的だった。

「僕たちの魔力が、この森の平和のために少しでも役に立つのであれば、喜んで協力しますよ」

「へーえ、普段は弱虫なのにねー?」

勇ましく凛々しく表明したガラーハを、メルが茶化す。

「普段はうじうじくんなのにねー。どしたの?」

「僕は君の為に強くなるのだ」

「ふーん。クラウド、遊び行こ」

「にゃん」

「め、メルっ」

空しく突き出された手。気を取り直して、

「……とにかく、僕も協力させてもらいます」

と言いつつ、その眼はどこかやる気を失している。フィアンセと言っても、その想いは今のところ一方通行気味らしい。と言っても、メルに言わせればガラーハだって大好き、なのだそうだが。

まあ、とにかくそんな訳で。俺の腰も治ったしドラグーンの数も増えたし神竜王とかいうごっつい戦力も加わったし有翼人も協力してくれるし。戦力はウータイでのあの戦いの時よりもはるかにアップしたとみていい。何より、俺が全快したというのが大きいだろう、百人力だろう、一騎当千だろう。

「問題は、奴等の数だ」

ヴィンセントは銃を磨きながら言った。もちろんカオスにはなる予定だが、準備は怠らない。

「この間は結局どれくらいだったんだ?」

「六千……五六百というところだろうな。地獄の門で流れをせき止めたからな」

「流れを止めなかったら……」
「無尽蔵だったかも知れん。……今度はヴァラージも一体だけということはないだろうから……」
「考えたくない」
 どんな大軍だってヴィンセントにしたら蝿や蚊と同じ。しかし、蝿や蚊にもそれなりに、嫌味なのだ。そんなのにかかずりまわっている暇に、他のヴァラージに囲まれる可能性だってある。あの鈍重そうなボディ、機動力の無さは先刻承知だが、破壊力だけはありそうだから。

拭いおわった銃を握った。黒く光る銃はそのまま、彼の力だ。銃口をこちらに向けて狙いを定める眼には殺気が篭っていて冗談だと解っていても俺はちょっと背筋が冷たくなった。思わず手を伸ばして、銃を取り上げる。

「やめろよ」

「お前こそ、人がせっかく磨いた銃に指紋を付けるな」

「俺の指紋だ、ありがたいとは思わないのか」

「何故」

「俺の、だぞ」

銃は、剣よりも重く感じられる。引き金一つ指一本で命を食うという業の重さだと思った。

「……悪くはないな」

俺の手首を捻じり上げる。思わず落とした銃が床に落ちる前に拾って、仕舞う。引き寄せて、頬を舐めた。

「腰治ったのに、優しいんだな」

「優しい? 勘違いをするな」

彼は腕を放した。俺は身を捩じり、頬を舐めかえした。あの子のようにと、互いに解っている。

「今日はまだ恐くない?」

「ふん……」

面白くなさそうに、俺の手を取って中指と薬指の股に舌を挟ませた。ぞくっと背筋に震えが走った。

「取り込み中のところ悪いわね」

ぞくぞくぞく、と身の毛がよだった。咄嗟に身を放し戸口を見ると、ロゼが立っていた。

「……ノックしても出ないから開けたの。失礼?」

「いや……」

彼女は口元に、うっすらと笑みを浮かべ、しかし笑っていない目で俺たちを見据えていた。

「神竜王のお披露目よ。一緒に戦うんだから、見ておいて損はないんじゃないかしら?」

「神竜王……ああ、ダートの」

俺の後ろ、ヴィンセントは苛立ったようにため息を吐いて髪の毛をざっと掻き揚げる。千年以上を生きるロゼと、不死身とはいえまだ齢七十足らずのヴィンセント、である。

「私はあの女が嫌いだ」

道すがら、ヴィンセントはきっぱりと口にした。

「だろうな。あんたの十倍生きてるんだもの」

「……ああいう老人にはなりたくないものだ」

もうすでにそっくりだと思う。

「あの女が何年生きたか知らないが、生きた長さなど何の問題にもならない。そこに確固たる存在の重みがあるかどうかだ。私にはクラウドがいる、クラウドは私とともに永遠に生きる。これから先、一万年、二万年、生き続けていけばクラウドも同じように。クラウドが私の重みだ」

負け犬の遠吠えのように聞こえなくも無いのは気のせいだろうか? 俺はそうだねと相槌を打って、まだ不愉快そうに何か呟く彼を丁重に取り扱った。妙に大人げないところもあるのだ、このおじいちゃんには。

森南部に位置する集落の、ちょうど中央部分は木の数が少なく、ちょっとした広場になっている。光の差し込むその場所に、ドラグーン、有翼人ガラーハ、そしてコンゴールの肩にちょこんと座ったクラウドが集まっていた。

「揃いましたね。では……ダート」

アルバートの手にあった、黄金色の……単色ではない、多くの色が複雑に絡み合って、そう見えるのだ……竜眼石が、ダートに手渡される。ダートは神竜王のドラグーンスピリットを掌の中におさめ、目を伏せ、思念を送り込む。眩しい。ドラグーンたちが変身するときはいつも眩しい光が生ずる。その光が彼らの姿を、人間からドラグーンへと変じさせるのだ。その光にはもう慣れたつもりだったが、ダートの身体から放たれる真っ白い光は桁違いだった。俺の目が辛うじて確認できたのは、彼の身体が徐々に、鎧に包まれてゆく様子だけだ。

光が収まった。赤眼竜のドラグーンとは明らかに違う、銀色に輝く鎧が、彼の全身を覆っていた。 ふわりと、ダートが浮き上がる。彼の周囲は陽炎のようにぶわぶわと歪んでいる。その羽根は二重で神々しく、左眼に当てられた緑色のレンズはそのまま、神竜の瞳のように思えた。

「やっぱり、雰囲気が違うのう、神竜王は……」

ハッシェルはニヤリと笑った。

「かっこいい……」

ロボット戦隊ものでも見るかのような羨望の眼差しでクラウドがぽつりと呟いた。

「ヴィンセント」

地面に着地したダートが、俺の右隣でコンゴールの肩の子供に寂しげな視線を送っていた男を指名した。

「……相手してもらえないか。この力は、人間や、普通のドラグーンじゃ止められない。でも……君になら」

「私だって人間だ」

「でも、この中で一番強いのは、間違いないだろう? もう長いこと神竜王は使ってないんだ。実戦で使う前に、慣らしておきたいから」

「……」

ヴィンセントは仕方なさそうに、羽根を生やした。全員の視線が集まっているから、上着を脱ぐのがはばかられたのだろう。ああ、Tシャツ、セーター、一度に二枚も。あーあ、って眼でユフィが苦笑いを浮かべた。

「ただ、……まともには受けないでくれ。空に受け流すような感じで……」

ヴィンセントは肯く。俺たちは衝撃から身を守るために、相対した彼らから離れた。クラウドはコンゴールの肩から無理矢理下ろし、俺の背中にかばう。

「どれくらいだろうね?」

ユフィはちゃっかりコンゴールの巨体の後ろに隠れている。

「神竜王サマのパワー」
「さあ。赤眼竜でも十分強かったからな……」

「比べ物にならないわ」シェーナが呟く。

「わたしたちの、倍、いえ、それよりもっと強い力を持っているの。……あの人、大丈夫なの?」

不安げな視線はヴィンセントに向けられる。セーターを突き破って広げられている禍禍しい翼を除いては、百八十超の体躯は体重は人並みにある割に細長くひょろりとしていて、明らかに優男だ、余計な事だが、色白で端整な顔立ちは遊び人風にも見え、二児の父には絶対に見えない。

「平気だよ」

俺は平然と言える。たとえ神竜王がその名のごとく神の竜の中の王であったとしても、ヴィンセントはその誇りにかけて、その身体に傷一つ付けさせはしないだろう。俺に、クラウドに、辛い想いをさせないために。

「いつでも、どうぞ」ヴィンセントは肩を竦めて言う。余裕、そんなものはないはずだが、しかし悠然と、構える事も無くただ、突っ立っているといった風情。

「……いや、ヴィンセント、本当に、……」

その余裕にダートが面食らって、攻撃を撃てない。

「構わないから。あんたは私がくたばるはずがないと見越して、私を指名したのだろう。来るなら本気で来い」

でないと、つまらないからな、無表情でそう言い放つヴィンセントはカッコよかった。俺もああいうカッコいいところだけは、似たいと思う。諦めたように、ダートは構えた。右腕を、ちょうどバレットのギミックマシンガンのように突き出す。これまたクラウドや同じ年代の男の子たちが喜びそうなぐあいに、メカニカルな動きをして、右手に秘められていた銃口が姿をあらわす。

「身構えてください」

「ん?」

「衝撃が大きいので……。クラウド君が飛ばされないように注意してください」

アルバートに言われるままに、俺はクラウドを抱きしめて後ろを向いた。首だけ相対する二人に向ける。

「クラウド、見えるか?」

「んー……見える」

「あー、クラウド、ずるーい、ボクの事は守ってくれないの?」

「お前はコンゴールの後ろにいればいいだろ。いや、その必要もないな、丈夫だから」

「むきーーーー」

丈夫だと誉めてやっているのに。

首をぐいと後ろに捻じりながら、戦況(?)を見守る。ダートの目つきからさきほどの困惑はすでに消えており、戦士のそれへと変わっていた。

いや、それも違う。戦士というより、もっと静かで、水のような瞳だ。明鏡止水、それはつまり神の目線なのだろう(もっとも「神竜王」は竜の中の王というだけあって、非常に獰猛な性格をしていたというのは後でシェーナから聞いた話だ)。

彼のメカニカルな腕に、エネルギーが集まる。星や空気や……生命エネルギー、つまり魔晄キャノンと似たような性質ということになる。シスター・レイから放たれた閃光は、この森を覆うバリアを一瞬にして消し去った。 ヴィンセントは? 灰になるつもりなどない彼は相変わらずのんびりと構えていた。翼を、畳むでも広げるでもなく、ゆらゆらと揺らしながら。

ダートの銃口が真っ白い光で見えなくなった。来る、俺の肌がざわ、と粟立つ、クラウドをぎゅっと抱きしめた。

どうん、という衝撃が走り、ダートからヴィンセントに向けて神竜王のエネルギー弾が発射された。ヴィンセントは依然そこにたたずんでいるだけで、まるで離れたところからダートの様子を眺めているだけのようにも見える。

ヴィンセントが動いたのは、俺にはもうその痩せた体を光が包み込んだ後のように思えた。彼はゆっくりと……実際には一瞬だったのだろうが……腕を前へ出した。

「受け流せ!」

エネルギーの銃弾を放ち終えたダートが、悲鳴のような声で叫んだ。ヴィンセントは光に包まれたまま……ただ、光の中に手を突っ込んでいた。

「無茶です! 早く、受け流して!」

アルバートの声も裏返っている。シェーナにいたっては元から白い顔色をさらに青白くさせている。

「つまり死にたいのね」

ロゼが断定的に言った。

ハッシェルとメルは、他の連中よりも多少、不安は少ないようだった。彼の戦いぶりを見ているからだろう。

「ヴィン……」

クラウドが肩越しに見つめる先、ヴィンセントは光に、完全に包まれていた。真っ白な光の向こう側、細く黒い影が手を突き出しているらしい姿を、辛うじて確認できた。光は巨大なゴムの球のように、ヴィンセントを弾き飛ばそうと躍起になっているのだ。ヴィンセントの形だけその身体を歪ませ、何としてでもその身体を裂いて破壊しようと。パン、と破裂する音がした。腕の中でクラウドがびっ、と震えた。風船が弾ける音に良く似ていた。

ヴィンセントがいた。前に突き出していた腕を下ろす。セーターの手首のあたりが黒っぽく焦げていたが、それ以外は、その白い肌に傷一つ付いていない。

息一つ切らさず、呆気に取られているダートに言った。

「一発だけで良いのか」

ヴィンセントはセーターの袖を手で弄った。焼けこげた繊維がぽろぽろと落ちる。

「もう慣れたのか? もう少し付き合ってやってもいいぞ」

コンゴールが低い声で呟く。

「……強い」

腕の中でクラウドがぱたぱたと暴れた。離してやると、ヴィンセントのところへ飛んでゆく。ヴィンセントはひょいと抱き上げてその耳を撫でる。

「だいじょぶ? 怪我してない?」

「もちろん。平気だよ。……危ないから下がっていなさい」

「にゃうー……」

呆然としていたダートは我を取り戻し、首を振ると、クラウドを喜ばせたあの姿から、元の人間の姿に戻った。

「ありがとう、もういいよ……十分だ」

クラウドがまた、ヴィンセントに抱っこされる。ヴィンセントは苦笑いして、その頬にキスする。 ダートの神竜砲の威力というよりは、ヴィンセントの人間離れした力の方が目立ってしまった。メルとハッシェルを除いた他のドラグーンは、みなただ唖然とするばかりだ。ロゼまでも、その乏しい表情の中に明らかな驚きを浮かべている。俺はみんなの様子に、誰も見ていないけれど誇らしくて胸を張った。ヴィンセント=ヴァレンタインは俺のコイビトなんだ。

「威力に関しては申し分ないと思う」

彼はダートにコーチする余裕まである。

「ただ、多少スピードに欠ける様だな、もっともまだ本調子ではないんだろうが赤眼竜の時のような機敏な動きが出来るのであれば……」

神竜王もカオスの前では形無しといったところか。

俺の見たかぎり、ヴィンセントの強さはどんどん進化していっている。青天井というか……恐らくこれからもその強さには果てなどないだろう。それは成長というよりは覚醒と言った方が良いのかもしれない、カオスがその本来の力を発揮しはじめているのと同時に、ヴィンセント自身の魔力もそれと同化し、操縦するに足るようになったのは、彼にとっての恋人、愛する人の存在が、彼を無気力な眠りから叩き起こし、眼を覚まさせたのだ。 まったく、元々からあれくらい強くあってくれれば、あの旅だってもう少し楽になっていたはずなのにな。クラウドの嫉妬するのも変な話だが、俺と二人だけで暮らしていたときはもうちょっと、人間的な強さだったのだ。

「ダートのパワーが決して弱いというわけではない、あれでも赤眼竜の魔法の三倍の威力じゃ……ヴィンセントが鬼神のごときであるというだけでな」

ハッシェルが満足そうに肯く。

「心配はなさそうじゃ。老いぼれの出番なぞ無いかも知れんのう」

「敵の数は知れないんだ、それに神竜王にだってドラゴンバスターは効くんだろう? 油断は禁物だ」

一応釘をさすのを忘れはしなかったものの、想いは俺も一緒だった。勝負はきっと一瞬でつく、神竜砲と、ヴィンセントの多分何か手品みたいなので。そして俺はきっと、クラウドに良いところ一つ見せることが出来ないのだろう。腰の調子は何ら、戦況には関係無くなりそうだった。 俺たちは、勝つんだ。

「クラウドっ」

ヴィンセントに抱かれたままのクラウドのところに、メルが走り寄る。クラウドの表情は明るくなり、ヴィンセントは顔の表皮一枚下に不快感を示した。

「遊びに行こう。森の奥に、綺麗な泉があるんだよっ」

「ヴィン、いい?」

ヴィンセントは何も言わずにクラウドを降ろした。

「夕飯には帰るよ」

そう言い残して尻尾の尻はすぐに離れてゆく。

「……やはり私が前線に出て戦った方が良いと思う」

すぐにまた、話を始めた。ダートは肯いて聞いている。

ユフィが小さく笑っていた。

「強いよね」

「ああ」

「アンタにゃ真似出来ないよねえ」

「……?」

「駄目って言うだろうね、アンタなら」

「ああ……、そっちか」

確かに。嫌なものは嫌だし。

「最近、アタシなんかよりもあの子だもんねえクラウドは。またいつかみたいに壊れるんじゃないよ」

「もう二度とあの子を傷つけたりするもんか」

ただ、メルとクラウドは姉弟のように仲が良い。その親密さは日に日に深まっていくように思える。ガラーハはいつもはらはらしながら見ているが、こっちだって同じような状況だ。一度ガラーハに「自分の恋人ならちゃんとしてくれ」と言いたいが、何だかおとなげないような気がしてやりかねる。俺たちの危惧の念はクラウドと共にある時間が少なくなればなるほど増幅し、その寂しさは夜に集中して訪れる。ユフィは「外にも聞こえるから注意しろ」と。彼女は隣の家に住んでいるのだ。

「こんなことを思ったらいけないのかもしれないけど」

敵よ、来い。早く来い。

 

 

 

 

ディナーはヴィンセントが丸一日かけて作ったビーフシチューだ。ルウは濃厚で、スプーンに乗せただけでとろける牛肉に絡まるデミグラスソースは、にんじんやセロリや玉ねぎといった野菜の甘みがぎっしりと詰まっていて、寿命が延びる旨さだ。実はにんじんセロリともに好きではないのだけれど、俺の癪に触る独特な匂いや苦さが無く、ただその旨みだけが抽出されたこのルウは掛け値なしに旨かった。強い上に料理も出来る。俺は口には出さないが、最高の旦那であり父親であると思うのだった。

しかしその味を、確かに俺は認識しているのだけれど、クラウドの言葉によって遠ざかる。

「今日はねえ」

クラウドは唇の端にソースを付けたまま、嬉しそうに話す。

「メルと王様と一緒にすごろくしたんだよ、三回やって、一回だけ勝ったんだ」

手を伸ばして、拭く。「王様」とは、アルバートの事だ。

この森における統治者はとりあえず彼だから、村人たちは大体において、彼の事をそう呼ぶ。彼はその呼び方を好まないらしいが、呼びやすいからかクラウドは構わなかった。

コルネオたちはまだ来ない。だから平穏な下宿生活が続いていた。昼間は剣を磨いたり、少しばかり体を動かしたりなどして過ごしている。ヴィンセントと二人きりのこともあるし、ユフィと三人でお茶を飲んだり、そこにハッシェルやダートが加わる事もある、たまにアルバートも。コンゴールはいつも森の奥で鍛練に励んでいるし、ロゼは何処にいるのかわからないことが多い。

クラウドは森の中をうろちょろとする。あまり遠くには行かないように厳しく言ってあるし、ドラグーンや有翼人が常に何処かで目を光らせているから、見てないところでいきなり襲われるなんて心配は無いけれど、どうも俺らが見ていないあいだに彼は、例えば王様や、相変わらずメル、そしてダートなどとイチャイチャしているらしいのだ。イチャイチャという表現は自分でも笑ってしまう事だが、気に食わないものは気に食わない。やきもち焼きだと自分で思うのは心苦しいものだが……やはり。

「それで。クラウド、明日はどうするんだ?」

「んー……どうしよかなあ。多分、またメルと遊ぶよ」

「そうか。仲がいいんだな」

食器を洗うヴィンセントの浮かべている表情は見えないけれど、手に取るように解る。

「風呂を沸かすが。どちらと一緒に入る?」

エプロンを外しながらこちらにやってくる。クラウドは首を振った。

「メルと一緒に入るよ。昨日、約束したんだ」

ヴィンセントはそうかと肯くと、ソファに座った。ここにはテレビが無い、新聞も無い。座ったはいいが、どこか手持ちぶさただ。

「クラウド。今回の件が片付いたら、帰るんだからな」

必要はないと思いながら、俺は言った。首をかしげる彼はすでに行く体勢を整えていたが、俺は抱き上げて、その目を見詰めた。

「それは明日かもしれないし明後日なのかもしれない。それを覚えておくんだ」

「……?」

「お前のそばにいられるのは俺たちだけなんだからな」

我ながらつまらない男だ。

「へんなの」

クラウドは呟いて、すぐまた笑顔になって、

「じゃあ行ってくるね」

ヴィンセントは掠れた声で、

「またあの時と同じ轍を踏むつもりか。二度目は許さんと言ったはずだが」

「まさか。そこまで馬鹿じゃない」

言いながら、彼の隣に座る。ヴィンセントも心得ていて、俺の肩に手を回して身を寄せさせる。

「休戦協定はここから帰るまでにしないか?」

「生まれて二年も経たぬ子供にここまで振り回されている事を、お前が幸せだと思う限り私は構わないよ」

「もうちょっと大人になれないものかな」

「お前は十分大人だよ。……クラウドがまだ子供だと言うだけで」

そして彼は、寒色系の微笑みを浮かべる。目元は何処と無く黒ずんでみえる。

「安心しろ。お前の行っていたとおり私たちが持っている永遠を、他の誰も持ち得ない。仮にドラグーンや有翼人であってもだ。私たちの強みはそこにある、誰にもクラウドを渡しはしないよ」

「クラウドは引く手数多だけど俺は無い。俺にはそういう風には思ってくれないのか? 誰にも渡したりはしないって」

ヴィンセントはまた、馬鹿にしたように笑う。

「お前を愛しているよ、ザックス」

「ありがとう」

「奴らが来る時は近いぞ。安心しろ、クラウドと彼らの関係もそれきり途絶える。また元の通りの生活に戻れる」

まったく、ヴィンセントは溜め息を吐く。

「嫌な人間であることよ……」

恋をすると人は優しくなる。しかしその優しさは決して、暖かいものであり続けるわけではない。

「私たちとあの子を結び付けるものは、愛情しかない」

愛情は、深く深く、そして何より強く。しかしまだ永さの痛みに気づかない少年にとってそれは、つまらないものなのだろう。俺たちは永遠に、顔を突き合わせたまま生きなければならない……。

その夜遅くに、すっかり乾いた髪で戻ってきたクラウドに、……止めておけとヴィンセントに忠告されたけれど、その晩俺は、また愚かしくもクラウドに言った。

「あの人たちとはどうせすぐに別れるんだ」

クラウドの瞳が傷ついた色を見せるのを、俺は直視していた。

「この森には二度と来られない。それを念頭に置いておくんだ。親しくなればなるほど、お前は辛い思いをする事になるんだぞ」

あとはお前の勝手だ、そんな言葉をクラウドにぶつけた。クラウドは少し呆然としたように俺を見てから肯いて、しゃくりあげはじめた。

「……私たちとメルと……お前はどちらの方が好きなのだ?」

ヴィンセントはクラウドの方を見ずに言った。

メルの家に走ってゆく後ろ姿を見て、俺たちは酷く下らない気分を味わうはめになった。

悲しい事に、俺たちにとっては「出会い」は全て、あまりにも近い将来の「別れ」に繋がっている。永遠からしたら一ヶ月など瞬き一つの儚さ。絶対的なものなど、俺たち自身しかいないのだ。それは俺たちに課せられた、十全であらなければいけないことの痛み。

翌朝、クラウドはメルに引っ張られて戻ってきた。正しく純粋な気持ちを矯めることなど本当はしてはいけないのだろう、俺たちはクラウドの保護者としては失格なのだ。しかしユフィがそれを知りつつも俺たちに理解を示し、根気よくクラウドの説得にあたってくれた。
クラウドのことを世界で一番想ってくれてるのはザックスとヴィンセントなんだよ? 大切にしてくれてる気持ちには、ちゃんと答えてあげなくちゃ、ね? 嘘をつかせてごめんなさいそれは、とんでもなく間違った考え。クラウドに、どうぞ自由に生きるがいいさなんて俺たちは……口が裂けても言えない。この世で一番強いヴィンセントは、クラウドの一言でその命を絶つだろう。すなわち、「サヨナラ」で。

「大好きだ」

クラウドは言う。嘘偽りの無い気持ちを俺たちにぶつける。俺たちはその言葉に、クラウドを許した。そして俺たちは自分の狭量をクラウドに知らせることなく、小さな部屋に閉じ込めて、その目を塞ぐ。瞼の裏にある美しい俺たちの姿だけを見ることを強いる。「お前の事を幸せに出来るのは私たちだけだ」「お前の事を心から愛せるのは俺たちだけだ」「お前の傍にずっといてやれるのは私たちだけだ」「お前にとっての絶対は、俺たちだけだ」 お前は余りにも、俺たちだけによって齎されることに囲まれている。それは気の毒だけど運命だ。 だけどお前はそれでも幸運だ。

「ざ……っ、んっ、ぅ、ヴィ……い、ぃ! ……っ」

お前は俺たちだけで感じられる。俺たちだけがお前を、汚れる事も恐れずに愛する事が出来る。

「ボクは……」

メルは傷ついたように言った。

「ボクたちは、友達なのに」

「解っているよ。お前とクラウドは友達だ」

「だったらなんで」

「そうあることが全く正しいとは限らないからだ。……お前にはガラーハがいる、クラウドには俺たちがいる。前提を無視して発展させるべきじゃない。お前がクラウドを大切にしてくれていることには心から感謝するよ。だけど、それが全部クラウドを幸せにするわけじゃないから」

「……なんだよそれ」

「お前たちとはすぐに別れなければならない、お前たちが死んだ後もクラウドは生き続けなきゃいけない。思い出の数だけあの子は辛い思いをする」

解ってくれなくともいい、正しくなくともいい。クラウドの心を乱さぬためになら俺はどんな汚い生き方だってするつもりだった。

その日から……それでもクラウドとメルは仲良しだった。シェーナやダートもそこに加わった。ユフィも、アルバートも、ハッシェルも、無口なコンゴールも、ごく希にロゼも。俺とヴィンセントは遠くからそれを眺めながら、敗北感に苛まれ続ける。そして胸中には「それでも俺たちだけなのだ」という悲しい想いが碇のように重くぶらさがっていた。その胃痛をこれからも俺たちは大切にしていかなければならない。二人でいる時間がますます増えて、俺たちは瞬間的にではあったが……恐ろしい事に……クラウドの事など忘れる時を過ごすようにもなっていた。無論、家に戻ってくれば抱きしめるし口付ける、今日あったことを彼は笑顔で話してくれる、俺たちはその笑顔を眩しい想いで眺める。ヴィンセントの作ったごはんをおいしいおいしいと平らげ、俺の耳掃除をくすぐったいとはしゃぎ回り、そして回りが寝静まったころにその身体を甘く濡らし、俺たちを惑わせる、何度も何度も「大好き」「愛してる」……だが、その意味をやはりこの子はまだ知らないのだと、俺たちは知った。


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