僕らが知らなくてはいけないこと

ありがちな、ツボ漬けや山菜の水煮、なめタケの瓶詰めが並ぶ中に「ウータイ名物」と銘打って、ユフィが言っていたまんじゅうやらうどんやらがある。暇そうな店員が「宜しかったらどうぞ」とまんじゅうを丸々一個ずつくれた。本当ならば四分の一に切るところを。閑古鳥が鳴くとはまさにこの事だ。長期滞在の湯治客相手にする商売ではない。温泉湧出から相次いで建ったあちらこちらの土産物屋も同じような状況で、どうやらこの街は足を踏み違えてしまったようだ。

そんなこたぁわかってるんだけどー、とユフィは言う。今更やめようって訳にも行かないし。まあ、まるっきり赤字って訳でもないし、元の「忍者観光」メインに戻して、遠足とか修学旅行とかのお客さん呼んでさ、そのついでに「世界最大の温泉」に浸かってってもらえばいいかなぁ。この国を背負って立つこの娘は、俺たちと出会った頃から、もう十も年を重ねているのだ。

今日で滞在四日目となる。

老人たちに囲まれて、風呂に入って出て入って出て飯を食って入って出て寝てというのを繰り返していると、心が怠惰になっていくのが分かる。空気が弛緩しているから、内側も緩んできてしまうのだ。それはクラウドもヴィンセントも同じようで、何となく、ぼんやりとしている。退屈に身を委ねるのが心地良いなんて感じながら、また風呂に入って、出て。

ハッシェル、ダート、そしてメルの三人も、同じようだ。彼らの「オーラ」は日を重ねるごとに、柔らかいものになっていく。

「温泉の中に溶け出しておるんじゃな、こうゆったりしとると。困ったものよ」

ちっとも困っていなさそうに笑いながら、一日一回届けられる煎餅を齧った。彼の歯は全て自前、まだ一本も抜けていないのだという。たくさん動き、たくさん笑い、たくさん飲食してたくさん眠る、元気な秘訣は強いて言えばそれ。見習おう、俺たちなんか、心が老けてしまったらおしまいだ。こんなヨボヨボしてたら、駄目だ。

クラウドとヴィンセントが卓球をしている。と言っても、ラケットが持てないクラウドは、ボールを一回一回両手で受け止めては、投げかえす。それでも結構、反射神経が要るし、そこそこにいい運動だ。浴衣を乱れさせてはっはっと息を吐きながら、左右にプラスティックボールを振るヴィンセントに応戦する。ボールが跳ね返ってくるたびに鋭く震える尻尾が、彼の「猫」を如実に表しているように思えた。

俺は何をしてるかというと、彼らの卓球合戦に参加できようはずもなく、傍らのベンチに座って眺めてるのだ。眺め――主にクラウドのお尻を。こっちに来てから四日間、一度しかしていないというのは、我ながら、この痛む腰を抱えているとはいえ殊勝な事だと言えるだろう。温泉でほのぼのしていると、汗をいっぱいかく、汗は老廃物だ、廃すべきものの中にはきっと、ヨコシマな心も混じっているんだろう。かくもこの大地の恵は、人の心を穏やかにする。

「やっほっ」

「ぎ!」

ぽんっ、と肩を叩かれて、俺は歯を食いしばった。クラウドの尻を注視していたせいで、気配に気付くのが遅れてしまったのだ。メルが、浴衣の袖をひらひらさせてそこにいた。

「……なんだメルか」

「何だとは何だよっ」

「いや、そういう訳じゃなくて。……一人か? 珍しいな」

一人を好むタイプには、見えない。現に、ダートかハッシェルか、あるいはその両方と、彼女はいつも共にいた。多分、寂しいというのではなく、単純におしゃべりを聞いてくれる人が欲しいのだろう。ひところのユフィにそっくりだ。

「おじいちゃんは昼寝してるし、ダートは散歩に行ったよ。なんかねー、ダートったら、この街には娯楽っていうもんがないのか! ってうろうろしてたよ」

「……娯楽。ダチャオ像とか」
「もう登っちゃったって。確かに高さと景色はすごいけど、ああいうのって……」

「ああ、まあ……地元の人には悪いが、一度登れば気が済むたぐいのものだな」

ポニーテールにした銀色の髪をくしゃくしゃっとして、「あ〜あっ」とベンチで伸びをした。

「メルも退屈なのか?」

「んー……、三人だけだったら退屈かも。まだねぇ、ザックスたち居るから気が紛れてるよ。みんな、可愛いし、カッコイイし」

ポイントを取られたクラウドが「にゃああっ」と声を上げる。軽い音を立てて跳ねてくるピンポン球を、手を伸ばしてメルが掴み取った。熱中していたクラウドはそこで始めて、メルに気付いた。

「こんにちは、メルねえちゃん」

「こんにちはクラウド。楽し?」

「うん、楽しいよ。メルねえちゃんもやる?」

「んー、ボクは見てる方がいいや、頑張ってね」

クラウドのサーブ――と言っても、掴んでえいとばかりに弾ませるだけだが――からゲームが再開する。ヴィンセントが百分の一程度の力しか出していないから、ラリーが続く。時々、ヴィンセントも(わざと)ミスショットや空振りをするから、二人のポイントは拮抗している。何でも、負けた方は勝った方に夕飯のおかずをどれか一品上げなくてはいけないルールなのだそうで、刺し身を取られてはオオゴトだからクラウドは必死だ。仮にヴィンセントが勝っても、取るのは漬物とか佃煮程度なのだろうが(それどころか、夕食時にはいつだって、俺とヴィンセントは先を争って、クラウドに刺し身をプレゼントするのだ)。

「素朴な疑問、構わないかな」

「なーに?」

「……あんたは、どうやって戦うんだ?」

クラウドがスマッシュ――精いっぱい放り投げ――で、ヴィンセントのラケットを弾いた。刺し身が一歩、彼に近づく。

「どうやってって?」

「得物は? ……武器の事だよ」

「とんかち。カナヅチっていうか……もっとずっとでっかぁいの、柄も長くて。あれ振り回して、どかーんって」

「他の二人は?」

「ダートは剣、ハッシェルはないよ、ゲンコツで。なんでそんなこと聞きたがるの?」

「いや……。『地脈の森』は俺たちの文化と、どれくらい差があるのかなって。ちょっと興味が湧いただけだ」

服装を見れば、俺たちとそう変わらないらしいっていうのは解かる。ただ、彼らの"森"が閉鎖された空間であれば、独自の文化が形成されても構わないだろうと思ったのだ。ちょうどこの、ウータイのように。この国は長いこと神羅と戦ってきたから、国の形自体がゴテゴテの反神羅思想で塗り固まっていて、だから独特の、ユフィの言葉を借りれば「和の文化」というものが形作られた。神羅が崩壊し、リーブ体制下で正式に和解し、対神羅という図式も潰滅したが、いまだにこの国の、例えばマテリアを介さない「水団」「火遁」といった魔法技術や忍者は、大きな特色として残っている。同じような事が、メルたちの森にもあるのではないかと思ったのだ。我ながらヴィンセントみたいな事を考えるものだと思うが、かつての世界の隅々を巡る旅で味を占めながらもしばらく眠りに就いていたらしい探究心が久しぶりに頭をもたげたのだろう。

彼女は、マテリアを知らなかった。そのことも、俺を意外な心持ちにした。

「へええ。こんなので魔法が出るんだ?」

地面掘れば出てきそうなほどの、マテリアの権化のような土地に住んでいるというのに。試しに人畜無害な魔法でも出して見せようかと思ったが、生憎腕輪も剣も部屋に置きっぱなしだ。職業病という言い方はおかしいかもしれないが、どうも、武具はこういった旅先にも携帯していないと不安だ。ヴィンセントに至っては、それこそ「職業病」だが、卓球をしながらもその太股には短銃を忍ばせている。
「じゃあ、あんたたちの森には魔法がないってことか?」

「ん? そんなことないよ、ちゃんとあるよ」

「でも、マテリアないんだろ? ……じゃあ、何で魔法を使うんだ?」

メルはわかりやすい「秘密の微笑み」をした。

「門外不出の技術って訳か」

「うん、ダートに、言っちゃ駄目って言われてるから」

にゃっ、クラウドが声を上げた。手で弾いた玉が、再びこちらに転がってくる。メルが拾って、投げかえした。

「クラウドって、かぁわいいよねぇ」

メルが改めてそう言った。

俺たちがここに来た次の日、クラウドはほぼ一日中彼女たちと共にいた。朝の十時から夜の六時まで、そして八時から十時まで。俺はその日ヴィンセントと四回風呂に入ったが、二回鉢合わせた。隣の芝生は青いと言うが、俺たちと遊ぶよりもメルたちに囲まれている方が楽しそうに見えてしまう。ひがみだと解かってはいるけれど。そろそろ迎えに行こうかと立ち上がったちょうどその時に、ダートが遊びつかれて眠ってしまったクラウドを負ぶって入ってきてくれたのだ。

「おねえちゃんおねえちゃんって言ってくれてたのになぁ、何だか寂しい」

ユフィをして、そんな事を言わしめた。もっとも翌日は、クラウドの中では「おねえちゃんの日」だったらしく、ユフィと一日中いちゃいちゃと。俺とヴィンセントは休戦調停、もともとは一ヶ月の契約だったところを、ここにいる間中と改めたのだった。まあ、昨日は俺とも遊んでくれたからいいけれど。……何だか、主従関係が逆になりつつあるな。

俺たちの悩みの種は、にゃあんっ、ダイビングキャッチ。うん、いい運動神経をしている。

「俺たちの、宝だ」

口を衝いて出てくるそんな台詞にも、俺は羞恥を感じない。

「宝かぁ……」

「ああ。この世に二つと無い、宝石だ」

「そっかぁ……、じゃ、取ったら怒る?」

「……ん?」

俺はひとつ間抜けな表情を浮かべてから、ぼおっとした頭の上に冷水で濡らしたタオルを乗せられたように、徐々にしゃっきりしだした。 俺が何か(とりたてて何かを考えてた訳ではないが、「言わなきゃ」って思ったのだ)言うよりも早く、メルはにぃ、と笑った。

「冗談だよっ、ビックリした?」

「……冗談でも、止めてくれそういうのは」

「あはは。そうだよねえ、それにボクも、クラウドもらったって困っちゃうな。ザックスがとおおおおくの方で、恨んでるのわかっちゃうから」

ぜぇぜぇはぁはぁ、十二対十二、取っては取り、取られては取り返し、好ゲームを演じている。ヴィンセントは汗一つかかず、文字どおり「演じ」ているのだが。

「ね、じゃあさ、ヴィンセントは? ヴィンセントならいい?」

「……俺に聞かないでくれよ。あの男のことは知らないよ」

「へー、冷たいんだ?」
「……だって……」
 俺は言い淀んだ。多分、もうバレているんだろうが、

「……あいつは俺たちの……、あいつも、俺たちの、宝物だから。だけど、俺が一方的にそんな風に言える相手じゃないから」

こう言うのには勇気が要った。今、ラリーの真っ最中の彼には聞こえなかった事を祈る。

「そっかぁ、そうだよねぇ」

メルはあっさり引き下がった。

「残念」

「残念?」

「そう、残念。ヴィンセントみたいな美人〜っな男の人、ボク、だ〜い好きだから」

「……ダートは?」

「ダート?」

クスクスッと、少女らしくメルは笑う。

「ダートにはねえ、フィアンセがいるんだよ。森に。シェーナっていうの、かわいーんだよ、もう、ほんとにこっちが恥ずかしいくらいラブラブなんだから」

「ふうん」

「あ、ひょっとしてザックス、ダートのこと狙ってたとか?」

「馬鹿言ってるなよ。誰が」

「えー、じゃあダートの事嫌い?」

「誰もそんなこと言ってないだろ」

「じゃあ好きなんだ?」

「……だから」

「メル。迷惑かけてんじゃないぞ」
当の本人のご登場だ。ぐううと頭を押さえられ、メルは不満の声を上げた。外で買ってきたらしいビールを袋に提げている。

「メーワクなんてかけてないよ! ねぇ、ザックス?」

「ああ……まあ」

俺は否定とも肯定ともつかない返事をするほかなかった。説明不要だろうが、別にゲイだからって全ての同性が恋愛対象になるわけではないのだ。ダートもハッシェルも嫌いじゃないが、それはヴィンセントとクラウドに対して抱く気持ちとは全く異なる質のものなのだ。そんなの、異性愛に当てはめたって合致するだろうに。

「にゃうっ」

クラウドの、渾身の一撃がヴィンセントのラケットの二センチ先を通り過ぎた。猫手のガッツポーズを作り、俺を振りかえり、誇らしげな微笑み。

「おめでとう」

そこで始めて、メルに加えてダートがいたことに気付き、ぺこりと頭を下げた。

「そろそろハッシェルも起きて退屈してるだろう。みんなで風呂でも行かないか?」

ダートの提案に、汗びっしょりのクラウドが同意した。クラウドが行くなら俺もヴィンセントも行くのであって、さらには一旦部屋にタオルその他を取りに行く途中で会ってしまったから、ユフィもついてくることになる。大所帯になって風呂に入るとなると、……というか、ユフィとメルと一緒に風呂に入るとなると、いよいよ水着が要る。水着ではないが「浴衣」という、来たまま入る浴衣みたいなものがあるらしいのだ。ここ二日は幸い彼女らと鉢合わせる事はなかったのだが、みんなで和気あいあい「楽しくお風呂にはいりましょ」ムードになっていると、「水着が無いから嫌だ」とは言い出しづらい。温泉への道すがら、買って行こうとヴィンセントと話していると、

「大して自慢できるもんじゃないんだから、隠しても隠さなくてもいっしょ」

「なっ……」

と、ユフィが心臓に穴を開けるような事を言う。

「……では、私だけでも」

耳元でお前の分も、と言い残しヴィンセントが店に向かおうとすると、ぐい、とその背中を引っ張る。危うく浴衣がはだけそうになったヴィンセントは思わず声を上げた。彼が虚を衝かれて声を上げるなんて、そうある事ではない。

「男ならそんな小さなトコのコトにこだわってんじゃないよっ」

「小さ……!?」

ヴィンセントの顔がぴくと引き攣った。ユフィに対し赤い目を見張ったが、すぐに堪えるような表情になって、大きくため息を吐いた。大人だ。いやむしろ、とてもガキなのか、どうなのか。男はこういう事、言われてしまったら何も反駁出来ない。仮にしてしまえば、今はもう流行語に化してしまった感のある「セクシャルハラスメント」になってしまうようなのだ。こちらは泣き寝入りするしかない。職権乱用の尻触りとかは俺たちだって許せない、だけどこういうのだって ……セクハラじゃあ? かくして、タオルで前を隠して俺たちは入る。クラウドはいいとしても、俺とヴィンセントは、回りがちゃんと水着で大事なところを隠している中で、尻は丸出しなのだから、何だか新手のSMのようだ。嫌なたぐいの恥ずかしさでいっぱいだ。何にも気にせず泳ぎ回るクラウドが羨ましい。

「具合はどうなんだ?」

いつも通りヴィンセントの肩を並べて浸かってたところに、ダートが寄ってきた。

「うん……まあ、少しはよくなってるんだろうけど」

「まだ、痛むのか?」

「ああ。……この分だと大分かかりそうだ」

……どうもコイツとは相性がよくないのかな、ということに、いいかげん鈍感な俺でも気付きつつある。会話の転がし方が解からない相手というのはいるものだ。原因は多分、ダートと俺の類似性にあるのだろう。ダートがどう想っているかは分からなかったが。

「ザックス……ひとつ質問しても構わないか?」

ダートが俺「個人」に興味を示したのは多分これが始めてだろう。俺はもちろん、と頷いた。

「……一体、何でそんなに腰をやっちまったんだ? 俺も何度かスジやったことはあるけれど、そんな……歩けなくなるくらいまでやったことは一度も無いから……」

「…………」

ユフィやメルがいないときに聞いてくれて助かったよ。とはいえ、理由を話すのにはそれ相応の準備が要るのだった。すなわち、ヴィンセントと顔を見合わせ、俺は気まずい笑みを浮かべ「いいよな?」「いいよ」という短いやりとりをし、クラウドを遠くに眺め、眉間を指で押さえ。

ま……、平気だろう、メルが平気だったんだし。彼にも伝わっているかもしれないし。

「あの子と遊んでて」

俺はまた、今はハッシェルじいちゃんの昔話に熱心に耳を傾けるクラウドの姿を見た。ダートが俺の視線を追ってクラウドに辿り着いて、首を傾げた。

「……ただ遊んでた訳じゃない。夜に、な。まあ、いろいろしてて」

ダートがクラウドを見つめたまま息を止めた。

こういう反応をされるのが一番しんどい。ここに来た最初の夜に猫ヴィンセントに指摘された通り、俺は露悪的趣味に駆られることがしばしばあり、こんな風にクラウドと自分の関係を明かすことには、心苦しさ居心地悪さとともに、取りたてて特別ではない幸福感を覚えるのが常だったが、その幸福感は相手の反応とは別の原因から成るものだから、もしも相手が「ゲイ」という恋愛観念に拒否反応を示す相手だったらと思うと、また常に冷やりとするのだ。

「クラウドと……?」
「地脈の森には向かない考え方かもしれないな。……私たちは同性愛者だ」

ダートはヴィンセントを見、俺を見、そしてまたクラウドを見た。

「……そう、か。……まあ、そうだな、クラウド、可愛いからな、うん、気持ちは分かる」

「そんな、無理しなくてもいい」

「いや、無理なんかしてないよ。森にもいるよ、たまに。君たちが思ってるほど、過疎な土地じゃないからいろんな種類の人がいるし……でも」

「でも?」

「いや、ちょっと、正直驚いたよ。……余計な事かもしれないけど、別にそんなことを原因に君らを見る目が変わるなんてことはないよ」

「……君にも、婚約者がいると聞いたが?」

ヴィンセントの言葉に、ダートは何気ない風を装って「ああ」と答えたが、その頬にはさっと赤みが走った。

「メルの話だと、ずいぶん仲がいいそうじゃないか。大切にしてやらないとな」

「……うん、解かってるよ。いや、これを言ったら笑われるかもしれないけど ……。連れてこようと思ってたんだ、俺の……シェーナっていうんだけど」

「笑やしないさ。だったら俺たちだって、正々堂々学校休ませてあいつ連れてきたんだから」

「それも、そうだな」

ダートは笑った。案外人好きのする笑顔だと思った。固い話題で話してたからいけないんだろう。もっとフランクにするのがいい。って、フランクすぎる気もするけれど。彼は少し照れくさそうに言った。

「偶然でも、君たちに会えてよかったよ。いい友達が出来たと思う」二十三歳の彼がそんな風に言う顔は、その年齢よりももっとずっと幼く見えるのだった。

俺たちはそうして話題をひとつ消化した。あとでまた、部屋に遊びに行くと約束をし、湯煙の中に消えていく彼を見送った。入れ替わりでクラウドが戻ってきた。

「顔、紅いぞクラウド、上せたんじゃないのか?」

「んーー。でも、ふわふわして気持ちいいよ」

「なら、いいけど」

「ほら、頭とかはお湯の上だから冷たくて気持ちいいし、上せたりしないよ、だいじょぶ」

彼の髪や耳にも、うっすら白い粉雪がかかる。ニブルヘイムにも雪は降るし、毎年積雪量はある程度のものになるが、こんな風に、濛々と湯気がけぶるなかにちらちらと舞う雪の姿を見ることなどありえない。だからよくよく観察すれば、彼の頬は紅くても、双眸に点る光は凛と張っていた。彼は、俺が手を伸ばすと、請われるままに胸の中に入り込んだ。回りにこれだけ人がいるからまさか妙な事はすまいという確信の上だろう。 いや、「……声を出してみろ、みんなにお前の恥ずかしいところがばれてしまうぞ」ってヴィンセント風味のことを強要してもいいんだけど、アフターフォローが大変そうなのでしない。

「うにゃぁ……」

「気持ちいい?」

「んー、にゃあ……」

この子の鳴き声……「猫語」とでも言おうか、それの解読が少しずつだけど、出来るようになってきたような気がする。「にゃうぅ」って鳴いたときは、不機嫌だから、もう止めておいた方がいい。そこらあたりの機微を少しずつ知っていくことの何となく素敵さ。大好きな人と心を通わせることはいつになってもたまらない快楽を伴う。それをくれるお前はいつだって優しい。 湯に身を委ね、舐めさせ、撫でさせ、心地よさげに目を細め。腰にタオルも巻かず、お姉さんたちの中でもすっぽんぽんでいられる勇気に最敬礼。どさくさに紛れて「ちょっとだけな?」と前置きして、湯の中にたゆたう柔らかい皮膚に触った。ぷわぷわしてる。

「……ばかぁ」

「ごめんよ。ほら、もうやめただろ?」

「……にゃぅう」

よしよし、って、耳をこりこり撫でた。

「さぁったら駄目だよ、こんなとこでぇ」

「解かってる。な? もう触らない。悪かったって。よしよし」

風船みたいに膨らんでしまうほっぺたに、そっとキスをした。

「あっ、スケベ」

「ぶ」

右前方の靄の中から詰られた。予想もつかないところからユフィに見つけられたのだ。その声に、今し方いなくなったと思ってたダートも、離れた場所にいたハッシェルも、そして更にハッシェルと話を始めていたメルまでも、俺に興味を向けた。

「いや、あの……い、いいだろキスくらい。恋人なんだから……」

「こ、恋人なんかじゃないもんっ」

「うわ」

ぐさ、と胸に何か鋭い物が突き刺さった。

「ふぉふぉふぉ、まあ、そう言いなさんなよ。若さとは罪作りな物じゃ」

ハッシェルが意地悪く笑う。

「あー、いーなーー、何か。ザックス、ねえっ、ボクには? ボクにはしてくんないの?」

「ちょ、メル、下がってろお前はっ」
「ったくこんなトコに来て、しかも人に囲まれてまでしますかねアンタって人は。ほら、クラウドこっちおいで」

「にゃうぅ」

「クラウドー、ねえねえ、ボクにキスしてっ、ほっぺたー」

「まあ、元気な事は良い事じゃのう」

「メルっ」

「…………」

このまま、湯の中にぶくぶく沈んで行って仕舞いたい衝動にかられるのだった。俺は自主的に、自我を喪った。聞こえてくる声は湯の波の音と一緒。次に覚醒したときは、みんなやれやれって顔をして、また別の会話の糸口を探しはじめていた。クラウドはユフィの腕の中で、照れくさそうにしてる。そこにメルがちょっかいを出す。「クラウドって、ほんっと、かぁいいよねー」って。ほんとにあの子、クラウドの事、好きなのか? だとしたら……また、陰険なライバルが登場ということに……。

「ザックス」

「……ん、ん?」

「しっかりしろ。……軽率だったな」

「あー……うん。でも……」

ヴィンセントは濁湯の中で俺の腰をそっと、さすった。

「気持ちは分かる、私にも」

甘美な愛撫を心からありがたく思いつつ俺がいるのは、何だかとてもひとりぼっちなにぎやかさ。

「ただ、マズかったと言えば、やはりそうだ。まあ、恋人ではないというのは言い過ぎだろうが……。私はお前の恋人だよ、ザックス」

私は、の「は」を強調して、ヴィンセントは言った。どうも、このご同輩、優しすぎる裏に何かありそうで、ちょっと気になる。そう言えば彼は、傷ついた顔を耳元に近づけて「いやなら、やめてもいいよ。僕はもう、帰る」って、猫の声で。

「信じてくれないのか。休戦協定だ。私のほか、誰がお前を守る」

「……あんたしか、いない」

「ならば言え、愛していると。それが契約だ」

「……愛してる」

「あーっ、なんかまたスケベなことしてるよっ」

「…………!」




 ビールを開ける頃には、クラウドは機嫌を直して、また元の通り俺のあぐらのなか。ヴィンセントは嫉妬したフリをしてまた耳元で「いじわる」、メルとユフィの間には、何だか妙な女の友情の芽生えが伺え、想っていたよりかはずっと良い奴なダートは酒がすすむにつれ鬱に入っていき、全体を見渡してハッシェルは、細い目をよりいっそう細める。困った事に、この休暇はまだ始まったばかりなのだ。そして、決して退屈はしないことを、保証されていたのだ。

そんな事を俺たちはもちろん知らず、例えば俺は噛み砕いた南京豆が奥歯に詰まったのを、舌先でほじくるのに精を出している。


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