Callin' Callin'

「おい、何処行く気だ」

 俺は言った。それは俺の出せる限りの、一番邪険な声のはずだった。

「いい加減にしろよ、……おい! ……聞いてるのか!」

 俺のそういう声を聞けば、止まるのが普通だろうと。だけれど、それまでだって簡単に俺の世界を壊してきたザックス=カーライルは、止まらなかった。長い足で大股に歩いて、俺の息を弾ませた。

「疲れた?」

 立ち止まらずに振り返って言う。

「そうじゃない、何で、こんな時間に、……言えよ、何処行くんだ」

「何処って、列車止まっちゃってるし……?」

「じゃあ……!」

「まあ、いいじゃん、歩こうよ。歩くのが一番基本、な? 歩こ」

 俺の踵はアスファルトに貼り付いて、剥がれなくなった。

 足音が一つきりになったからだろう。ザックスは俺の五メートル先、立ち止まった。

「なんだよ、どうしたよ」

「冗談じゃない」

「だって、しょうがないじゃん、明日の朝まですることない。ファミレスとかで無駄金使うのうぜえし、土曜なんだからいいじゃん」

 百個くらいあるはずの、言ってやりたいことは、どれも喉の辺りで纏まらず、胃に落ちていった。

 黒に沈んだ街。

 ひどく蒸し暑い、五月の終わりか、もう六月になっていたか。そういう週末の夜だった。たまには美味い飯食わせてやる、ザックスの作る飯は大体美味かったけれど、そう言って外に俺を連れ出して、確かに美味しい飯を食わせてもらった。ザックスはアルコールを飲んだし、俺もごく少量、口にした。満腹感も相俟って、俺はあっけなく眠りこけて、ザックスにではなく、店員に揺り起こされたのだ。

「もう閉店なんですよ」

「……ふにゃ?」

「なんで、そろそろ、ね、お願いしますよ」

「……ふ、え、……え?」

呆然とする俺は、ザックスにもたれていた。ザックスは苦笑いで煙草を吸っていた。

「あーあ、起きちゃった」

 ザックスは恨めしそうに笑い、店員を見た。

「そう仰いましても」

「金曜に二時閉店なんて、あんたんとこだけよ? この辺で」

「……申し訳御座いません」

 恐らくは何の非もない店員にそう零して、ザックスはやれやれと俺の髪を撫ぜる。俺は訳も解らないまま、ふらふらと立ち上がり、壁のオシャレな時計が午前二時を差しているのを見て、またすとんと尻から落ちた。

「可愛い寝顔だったから」

 信じられないことに、ザックスはずっと起きていた。俺が眠りに落ちた時刻を、平然と言う、「十時前くらいかな」、つまり三時間以上俺は居眠りをしていたことになる。もちろん、終電はとうに出ていて、寮には外泊届も出していなくって。

「いい夢見てんだろうなって。だから、寝たいだけ寝かせておいてやろうって」

 その顛末がこれであって、俺は未明の街を、もう二キロは歩かされた。

「じゃあ、ここらで休みますかねえ」

 丁度、次の駅が見えてきた。もちろん、静まり返っている。駅前に酔っ払いが潰れている。自分自身の吐瀉物に顔をつけて今にも息の止まりそうないびきをかいている。ザックスは駅の構内に侵入し、ホームに腰掛けた。

 俺を隣に座らせてから、煙草に火を点けた。

「ちょっと腹減ったなあ……。もっと食っときゃよかったか」

 眠くて眠くて仕方なくて、俺はリアクションをしなかった。

 だけど、もう眠れなかった。ホームに腰掛けたまま眠ったら、俺の隣りの男は、始発電車が動き始めても動かないだろう。そして、駅員が俺を起こすまで平然と座り続けているだろう。……それはもう、とてもリアルに想像できた。

「三時半か。あと一時間半くらいで動き始めるな」

 ザックスは俺が答えなくても気にせず、一人で喋って笑った。

 煙草をホームに押し付けて、ザックスは不意に言い出した。

「第三軌条」

 難しい言葉が耳に引っかかった。

「第三軌条、……解るかクラウド」

 ザックスは、俺の足の下を指差す。四本の線路が並行して並び、踏面は常夜灯の光で銀色、左右、大分先まで続いている。

「神羅カンパニーの鉄道は電気で動いてる。機関車に電気流して、な。でも、電気は電線からじゃない、足元、二本のレールの間に、もう二本、あるだろ。あれが電線の代わりなんだ。あそこに電気が流れてて、それで電車動いてる。あの二本のレールが、第三軌条、それから第四軌条」

 あまり為にならない知識をたくさん持っているのがザックスだった。ただ、それをひけらかすのではなく、時折思いついたようにぽつりぽつりと零すのが、俺にザックスがカッコいい大人であると思わせる要素になった。

「あそこに電気が走ってるんだ。触ったら一発感電即昇天」

 ふうん、と、特に興味も無く俺は言った。

 次の瞬間に凍り付く。ホームから気安く尻を浮かせて、ザックスは外側二本のレールを踏まえ、「第三軌条、それから第四軌条」を跨いで見せたのだ。

「始発も動いてないけど、多分今も電気流れてるんだろうなあ」

 ザックスは笑って言う。俺は一言も口を聞けず、身を硬くしたまま、動けない。

 ザックスはあっさりと、ホームに手をかけ、元のとおり、座りなおした。俺は急に、ぶらつかせた足の先が震えるような気になって、ホームに立ち上がり、後退った。そんな俺を肩越しに振り返った。水蒸気が霧となる白っぽい景色の中の、そう言う顔が鮮明だった。

「死なないよ。馬鹿だな、そんな怖がるなよ」

 いつもいつも「馬鹿」と言う対象からそう言われても、俺は苦しみを覚えない。

「俺は死なないの。まあ、心配ならよすけどさ。……悪かったよ怖がらせて」

 神羅の鉄道が「第三軌条」なるものでは動いていない、と知ったのは、後のことだ。俺はトンネルの中、鉄道の屋根に乗ったことがあった。あの時は煙たくて苦しくて死ぬかと思った。つまり、電気では動いていないのだ。電気で動いていないのであれば、あれは電気を通すためのレールではなかった。脱線防止用に敷かれるレールの一種だと知ったのは、もうずっと後の話だ。田舎の子供は呆気なく騙された。

 ザックスも立ち上がり、俺の頭を撫ぜた。大きな手のひらで、太い指で。手のひらも硬い。その頃の俺の手は、ある所にひどい肉刺がある一方で、ある所は赤子のように柔かかった。

「可愛いな、クラウド。お前はホントに可愛いな」

 嬉しそうにザックスは何度も言った。

「側に居るよ、クラウド。俺側に居たいもん、お前の側にさ。居たいから居るんだ、お前が嫌がったって。だから心配すんなよ、安心しろ。でも、油断するなよ」

 ザックスはホームのベンチに座る、俺を膝の上に乗せた。

「俺だって人間だ、大事にされなかったら痛いよ。なあ、お前の一番好きなのは誰? るーちゃん? セフィロス?」

 騙されたような気のある中で、ザックスが硬い指先で俺の頬を凹ませたことに安心しきっている自分を認めざるも得ない。

 だから俺は求めに応じる義務があった。

「……あんただよ」

「ちゃんと言って」

「……あんただ。俺が一番好きなのは、ザックス=カーライル」

「はい、よく出来ました」

 ザックスはそして毒っぽく笑う、「いいぜ、俺の目の前でだけはそう言えよ。あいつらの前で何言ったっていいからさ」……。

 何もかも知った上でそう言うザックスは、本当はどの程度まで容認していたのか、実は俺はその辺りを何もかも知らなくて、ただザックスが好き、セフィロスが好き、ルーファウスが好き、その感情に立ち止まっていた。本人は、三人の丁度中央にいるつもりも無く、一番ザックスに近いところに居るはずだったけれど、そんな子が他の誰かに、仮令許されていたとしても、「愛しているよ」、言うだろうか? ただ、俺は言ったんだ。あの頃関係のあった、三人に、同じ声で、同じ顔で。そして、甘く「愛しているよ」、言われて、喜んだ、幸せになった。

 そう例えば俺はその夜の前の昼、ルーファウスに抱かれた。腹の中を何十往復もされた。手を伸ばし、頬に触れ、言ったんだ、「……あいしてる……」。

「本当に? 本当に私を愛してくれるのか?」

「うん、……俺、愛してるよ、ルゥのこと、愛してる」

 許された気になってそう言う俺を、ルーファウスは本当に嬉しそうに、抱き締めたものだ。

 甘い、甘い、日々。それは許されなかった、恐らくは倫理に。全ては壊れた。運命のような顔をして。違う、あれは因果応報と言うのだ、運命なんていう大げさなものじゃない。俺が一番恐れた結果はあっさりと訪れた。俺はセフィロスを殺し、ルーファウスと離れ、ザックスを喪った。あんだけ幸せになったなら、もういいだろう、と。

 だけど俺は死ななかった。死なないで、今、語る立場にある以上、生きている。

「大好きだよ、クラウド」

 生きているザックスは俺に言う。

 今の俺の声に、少し似ているのかもしれない。けど、どうだろうな、……似てる? 自分の声を自分で聞くだけでは判らない。似ていたらいいなと思うけれど。

「大好きだよ、クラウド。愛してる。ずっと一緒だよ」

 やがて夜が明ける。俺はザックスの隣りに座って、眠らないで、ずっとその肩に頭を委ねていた。

「大好きだよ、クラウド」

 今も耳に残る。

 何より、言われることが嬉しかった、言うことが、幸せだった。今思えば呪わしくもあるその幼児性を、当時は疑いもしなかったし、その幼児性自体を愛でるつもりもあったのだろう、疑われることも無かった。俺の身体も心同様幼かったから、彼らには俺そのものが、嗜好品として好ましく映っただろうし。時折、言われもしないのに、俺は自分で誇るべきいい玩具だと思ったりもした。……愚かな子供。

 愚かならば愚かなままで行けばよく、その後の俺は、今も含めて、愚かな部分を色濃く持っている。

 ザックスの声を、明瞭に、覚えているから、

「大好きだよ、クラウド」

 そう言う、彼の声を、この耳の奥、染み込ませた。今も、かつても、必要なときに絞り出して、心地良いその温度を、俺は感じる、……「だいすきだよくらうど」、その音を。

 俺を愛してくれた人を、死なせていいのか。俺をあれほど幸せにしてくれた人が、この世からいなくなる、あんないい、いい、いい、人が。そんな不条理を誰が許すのか。

 誰かが許しても、この俺は許さない。許さないで、最後まで否定しつづけよう。

 俺は頭が悪かった、お世辞にも、スマートなやり方を択んだとは言えない、今もそれは認める。けれど、誰に認めてもらわなくてもいい、俺はザックスだ。ザックス=カーライルだ。あの雨の中で死んだのがクラウド=ストライフだ。ずっとずっとずっと、いつだって側にいるよ、クラウド、お前が死んでも、お前の肉の中に俺は息衝いている。

 だから安心しろ。お前の分まで俺は生きてやる。

「俺はクラウドだ」―「俺はザックスだ」、元ソルジャー、神羅の裏切者、テロリスト。

ザックスの服を着て、ザックスの剣を振るい、ザックスみたいな顔をした俺は、ザックスでしかないのだと、信じていた。

何もかも「嘘」と否定された今、俺はクラウド=ストライフでしかない。何の力も無い、嘘吐きの、無力な同性愛者だ。愛も力も金もなく、ただ欲に空へこの手を伸ばす。何も答えぬまま、ただ冷たい雨を幾粒も降らせ、俺を濡らし、俺に飲ませ。俺は安易にヴィンセントに抱かれ、一粒の涙も零さず、呆然と、暗闇の天井を見上げる。情を持つ生き物のはずが、嗚咽すらなく、空っぽに等しい心は何故、この身体に再び宿るのだろう。今この身体にあるのがどうして、悲しみでなく、空しさなのか。

ザックスが死んでから何年か経った、俺の嘘もぼろぼろに崩れた。だから単に俺は、疲れてしまったのかもしれない。ザックスという存在に拘泥し、自分を抑殺して得られる微かな快感に、飽きてしまったのかもしれない。可哀想なのはザックスじゃなくて俺だったと、俺がそう考えていたことに気付き始めているのかもしれない。十代の子供が失った宝物の大きさ、俺ではない、客観的に「クラウド」を見て、俺は落涙したのだ、可哀想な、可哀想なクラウド、ね、大好きだったのに、ね。大丈夫だよ、「俺がずっと側にいてやるから」、あんたは誰? 俺は、「ザックスだよ」……。

ザックスの写真なんて今は無い。思い出そうと思っても、どんな顔だったのか。俺が鏡に見せる顔が、俺にとってはもう、ザックスの顔だった。ザックスは、確かに俺だった、俺の望みは叶ったのだ。「愛してるよ、クラウド」、そう、耳から聞く自分の声が、俺にとってはザックスだった。鏡にキスすれば冷たくても返してくれた。

もう俺が悲しむのに飽きたから、それすらどうでもいい。

誰かから与えられる愛情に貪欲なこの身体は、側に感じられる体温が欲しい。そして現状、その俺の欲を満たす可能性を一番秘めているのは、ヴィンセントだ。俺はなんだか笑いたくなった。ああ、こんなに大きな幸せの種が側にある。

こういう器用さが必要なんだろうと思った。

 俺が肩を二度叩くと、ヴィンセントはあっさりと目を覚ました。眠りが浅いのだろうか。それとも、ずっと起きていたのかもしれない、寝ないで、俺が泣いたりしないか、おかしくなったりしないか、気にしていたのかもしれない。

「どうした」

 起き上がり、俺を見る。暗闇の中で、静かな顔が俺に見える。俺が微笑んでいるのを、じっと見る。俺の心の茂みを掻き分けて進もうとしているみたいだった。

「側にいてくれてありがとうな」

 俺の舌がスムーズに紡いだ言葉だ。それは多分、本当に素直な言葉だ。人間的にどうか、倫理的にどうか、ヴィンセントがそういう瑣末なことを問題視しないのは、もう判っていた。俺は俺に素敵な喜びをくれる人のことを、心から慕う。

「今俺の側にいてくれるあんたのことを、俺は、好きなんだろうと、思う」

 ヴィンセントは、俺からふと目を逸らすと、また枕に頭を戻した。目を閉じる。

「……答えてくれないのか? なあ……」

 狡猾な線引きの仕方と、彼は判っている。うやむやにはできないことを、うやむやにして、幸せになろうというのだから。

 ただ、彼はそれを肯定してくれると信じられた。彼自身がそれを出来るようになったからだ。

「……側で寝ていればいいのだろう」

 ヴィンセントはそう、溜め息混じりにいった。喉に絡むような、眠そうな声だった、そんな声を聞いたのは初めてかもしれなかった。

「……裸で側に寝かせているのだから……」

 否定でも肯定でもない、ただ好きにしろ。それで十分だった、ああ、この人好きだ、好きになろう、好きになった、もっと好きになろう、でもって、俺のことを愛するように仕向けて、俺は幸せになろう。

 「よかったね、クラウド」、俺は言った。「もう俺がいなくても……」、俺が、俺に、確かに言った。それはザックスの声かも知れなかった。ザックスが俺の不幸を願おうはずが無いから。

このことに関しては、そう信じてもいいはずだった。


back top next