Callin' Callin'

 「悪魔」にしろ、「少年」にしろ、どうして俺の身体に「俺」の心を……、つまりこの、恐らくは本当の俺、に返したのだろう。そして、それ以前に、悪魔は何故ヴィンセントやユフィを強姦した上でティファと結婚するという非道な真似をし、「少年」はヴィンセントにこの身体を委ねていたのだろう? もちろん、それについての間接的な答えは「エアリスが『クラウド』をヴィンセントに委ねたかったから」……、ティファや他の誰かでは俺を支え、幸せにすることが出来ないから。

 エアリスのそういう発想のベースに何があるか。

 一つには、ザックスだろうと思う。エアリスはザックスを知っていた、話したこともある。その過程で「クラウド」という名の神羅兵の存在が情報として彼女に伝わっていた可能性は、ザックスの陰日向を作らぬ性格を鑑みれば、確実と言ってもいい。

 好きだったザックスの好きだった相手である俺、だから、守りたい。そして同時に、エアリスは俺のことも好きでいてくれた、俺もエアリスのことは好きだったけれど、異性の肉体に興味は無かったものだから、それは成就の仕様が無い、そして、エアリスはそれをも知っていた。そもそも、エアリスは自分の死が近いことを、知っていた。

 だからこそ、ヴィンセントを脅迫するような形で、俺を押し付けたのだ。

 エアリスは俺の身体を、二つの「俺ではない」肉体が支配し、操縦するということまで予見していたのだろうか? 最終的にこうして、彼女の願った通りに事が纏まるまで、これほどの紆余曲折を経る必要があっただろうか?

 もう、壊れたり、しない。だからまたファミリーレストランで、俺たちは話をする。二人で外に出ることが増えた。最近の俺の、将来の関心ごと、もう一回り広い家に引っ越すために、不動産屋に二人で行くのが、俺には楽しく思えるようになっていた。今日だってその帰りに、いつものファミレスに寄ったのだ。

「お前には無理だっただろうな。現に隠していただろう、同性愛者であるということを」

 ヴィンセントは無責任な煙を吐き出した。

「ソルジャーではないことを、同性愛者であることを、弱い人間であることを、何もかも隠していたのに、エアリスが仮にそれを望んだとして、尻尾を振ってそれを択ぶとは思えない。現在に至るためには、お前が精神崩壊状態にならなければならなかったのだ。エアリスはそれも判っていた」

「俺が中毒になるってことを」

「そうでなければ不条理の一言だ。エアリスはお前が壊れることでしか、結論が出ないと判っていたのだ。お前が竜巻の迷宮でライフストリームに落下した際、お前の中にライフストリームから、見たところ『悪魔』と『少年』という二つの人格がお前の中に流入し、お前を操作するようになる。それによりお前は自我を失う訳だが、お前よりも『悪魔』は、リーダーシップという面に限れば、よほど優秀だ、戦闘能力でも上回っていた。メテオからこの星を守るためには、最高の役者だったのだと思う。……無論、エアリスが『悪魔』と『少年』という二人格がお前に流入するところまで読んでいたかは知らないがな、お前が中毒のままで終わったならば、エアリスの狙いはおろか、この星自体が死んでいた。ただ、それをしなければどの道救えない星であり、お前の未来だった訳だ。エアリス自身は死んでしまうから野となれ山となれ、願っていれば良いこと。……結果はこうして、お前は戻り、エアリスの目論んだ通り私の側にいる、……お前そのものの人格としてな」

 こうして考えると、ザックスからエアリスに、エアリスからヴィンセントに、委ねられる過程において、「エアリスから『悪魔』と『少年』へ」というプロセスが差し挟まれる可能性がある。それがエアリスの意図かどうかは置いてもだ。

 「少年」もエアリス同様、「クラウドを守ってください」とヴィンセントに依頼した、それと引き換えに身体を許した。「悪魔」はまた、ヴィンセントと敵対するとともに、エアリスの目論見とは全く異なる道を辿ろうとした。しかし、その過程に於いて、確かに星は救われている。「悪魔」の行為、とりわけ、何故ヴィンセントとユフィを強姦し、ティファと結婚するのか。そして、ある朝に突然、俺のこの心に身体が返されたのか。一貫性のない行動を振り返るに、不気味さを感じる。

 そう、分析すれば簡単に答えが出る。「悪魔」は俺の身体で、それはもう好き勝手してくれたのだ。ある所では、潔く自分の(クラウド、つまり俺の)弱さを認めた人間であり、ある所では卓抜したキャプテンシーを発揮した勇者であり、またある所ではティファという花嫁を得た成功者である。しかしその一方で、ユフィを、ヴィンセントを―俺には無差別な選出にも燃えるが―強姦するという悪事を働いた。「悪魔」は俺の身体を使って自分のプラスマイナスあらゆる快感を得たのだ。そして最後は、「少年」に屈した。そこにどういった戦いがあったか、俺はもちろん知らないが、俺は目を醒まし、ティファから逃げ出した。前夜にティファと、俺と、会っていた、俺が駅まで車で送ったという、ヴィンセントは、既に前夜の段階で、その夜に勝負がつくことを知っていた。

 何があったのか、語られはしない。

 ただ確かなのは、その「前夜」まで俺の身体で好き放題やっていた以上、俺の肉体のイニシアティブは「悪魔」が握っていたことであり、その「前夜」にそれが逆転したという、二点。

「どうだろうな、イニシアティブを……、握らせていたのかもしれないが」

 ヴィンセントは微妙な言い回しをした。

「あの日の……前夜、私がユフィを連れてお前たちに会いに行ったのは、判っていたからだ。知っていたからだ。『少年』が、決着をつける、と。……『クラウド』を目覚めさせる、今夜『悪魔』を殺すから、と……」

 「悪魔」は「少年」の手の上で躍っていたに過ぎないのだろうか? しかし、それにしては、と思う。

「何か引っかかるか?」

 ヴィンセントにそう問われると、上手く答えることが出来ないのだが。

 「悪魔」の好き勝手にさせて、ある瞬間に抹殺する。そう出来るのであれば、と思うのだ。なるほど、星が救われるには確かに「悪魔」の力が必要だったのかもしれない、「少年」が強かったかどうかは知らないが、昼間「クラウド」として戦っていたのは「悪魔」らしいし、セフィロスにも勝ったというのなら、なるほど強かったのだろう。しかし、……星が救われてもなお、「悪魔」を俺の身体に居座らせたのは何故だろう。「少年」は「悪魔」がティファと結婚することで、後の被害者を増やし、ヴィンセントとユフィを傷つけ、今の俺が後味の悪い思いをすることを、何故放置していたのか。

「確かに疑問が残る気はする」

 俺の意見は意見として受け容れておく、しかし、そうではない……、そういう意味の言葉だった。

「第一に、……『悪魔』がユフィと私を強姦していたことを知っているのは、ユフィと私の二人しか居ない。自虐的な言い方だが、それは放置していても構わぬ問題だ。ティファと結婚するのは、それが『悪魔』の望みだったのだろう。お前の身体で勝ち得ることの出来る最高の幸福は間違いなくティファとの結婚だっただろう。それに対して『少年』が、それを止められなかったのは、ティファを思いやる気持ちが多少なりともあったからだろうと推測する」

「……思いやってたら、わざわざ俺にこういう形で離婚を選ばせるようなシチュエーションは作らないだろう」

「言っただろう、……あの旅が終わる頃には、お前と彼女は、甘ったるい言い方をすればもう『恋人』だった。ユフィと私以外の誰もが『悪魔』と彼女の望む結論を見ていた。時間の問題だと思っていたからな。当然彼女もその気だったろう。

 微妙な問題だがな。結婚寸前で壊されるのと、一応は一つの形をつけてから壊されるのと。彼女の苦しみを先延ばしにしたいと思う気持ちは、判る気がする。それが優しさとは思わないがな」

 離婚届に捺印したとき以来、ティファとは会っていない。電話もしない。ただ、時折ヴィンセントの携帯が震えるのは知っている。それがティファからのものかは、確認しようとも思わない。ただ、ああいう形で引き千切ったからのだから、俺も当然、彼女を心配する。憎く思う気持ちと、人間が残る部分は、この身体の中、当たり前の顔をして呉越同舟。

「人の心のことなど判らないが」

 ティファは、あっさりと離婚届に捺印した。最後はもう、俺の都合に沿って、全面的に思うまま、動いてくれた。

「彼女はお前と『結婚』することで、一つの区切りを見たのかもしれないな。あの夜の彼女は本当に幸せそうだった。私はこの笑顔を壊すのかと、『悪魔』が壊れる様を見るとき、心の冷たくなる思いをした。だが、……全て仕方の無かったこと。彼女も被害者だ。そしてその傷を一番浅くするのが、あの夜というタイミングだったのだろうな。『悪魔』は彼女にいくつもの幸せを与えた、喜びを。恋人として、夫婦として、生活し、共に存在した時間を。あと手に出来なかったのは、子供くらいか。それでも彼女の年齢と美しさを考えれば」

 言葉は、罪を愁うる響き。

「『少年』は私たちの味方だった。『悪魔』を、私は憎んでいた。しかし、……そうだな、あの瞬間、確かに私は少し、ティファと『悪魔』に同情した」

 俺は自分の左手の薬指を見た。

 そこには指輪がはまっていたのを思い出す。あの朝目覚めて、泣いて眠って目を醒まし……、ずっと気付かなかった、自分の指にリングがはまっていることなど。

 気付いたとき、俺の身体はそこから生えるものでがんじがらめにされている気がした。慌てて外した、放っておいたらなくしそうで、でもなくしても構わないかという気もあって、しかし微かな良心に従い、ヴィンセントに預けた。

 離婚届に押印したときも、彼女の左手には、俺と同じ指輪がはまっていたことを、思い出す。今日も彼女はしているのだろうか? 俺のは、あの日、返してしまった。内側には「T to C」、そう彫ってあって、確かにあれは、証としての指輪だった。

「可哀想なことをしたと思うか?」

 ヴィンセントは俺を見透かすように言った。

 俺が何とも答えられないでいると、煙草に火を点けて、脈絡なく、笑って言った。その笑顔はどこから生れるのだろう?

「余裕の出てきた証拠だな、いい傾向だ……」

 例えばこの人と俺は結婚することは出来ない。まだそんな関係でもないけれど、結婚して、子供を作ることも出来ない。俺たちのどちらもが男だからだ。しかし、ティファと俺なら出来る。結婚も、子供を作ることも。結婚指輪はさながら、彼女と俺とが、異性であることの証明であり、また社会が正しいと認める根拠でもあったろう。「悪魔」が罪を犯したことは確かだが、「少年」が、そしてそもそもエアリスが、社会に背を向けたことも、同じくらい確かなことだったのかもしれない。そしてそれに応じたヴィンセントも、彼女が敷いたレールの上を走る俺も、また、同じくらい罪人だ。

 笑うヴィンセントを見て、俺は、困る。俺は俺の幸せを追っていいのかと、開き直って消したはずの問いが、また、顔を覗かせる。ちっともいい傾向じゃない。

 だが俺は、もう後戻り出来ない。現実問題として、ティファと再婚することなど考えられない。俺は自分の罪を十分判っていても、それを贖うことなど出来はしないのだ。だから、許されざる道を、それでもヴィンセントが側にいる、エアリスとザックスが願った、それだけを拠り所にして、往くしかないのだ。

「面白いものを見せてやろうか」

 車に乗った、ヴィンセントは、不意にそんなことを言った。

「……なに?」

「少し走る。気分が悪くなったら言え」

 走り出した車は、俺に気を使った丁寧な運転ぶりで、一時間ほど走った。ずっと外の景色を見ていたから、幸い、吐き気を催すことは無かった。

 街から外れ、荒れた野原を背景に、彼は車を止める。降りろ、と言う。

 おもむろに、彼は服を脱ぎ始めた。俺が困惑しているうちに、上半身裸になり、裸を風に晒した。もう何度も見た。しっかりとした男の裸であり、俺にはそれが好ましく映る。俺は同性愛者だった。

 その背中、俺の瞬き一つの間に、黒く禍々しい翼が生えている。

 俺は、思わずたじろいだ。そんな変身能力まで身につけていたなんて、知らなかったから。

 その顔のまま、その人間の身体のまま、背中に翼を生やしたヴィンセントは、ふわりと浮き上がる。

「この呪われた体」

 静かな声で、微笑みながら言う。人間と、そうでないものが交じり合った身体は、邪悪なものではあれ、俺には綺麗な男の裸でしかなかった。

「呪わしき、力。罪に塗れた過去」

 自嘲の微笑ではない、俺はそう思った。彼は心底から微笑んでいる。どこか誇らしげに、嬉しげに。俺を、いつもより少し高いところから、じっと見つめて。

「……ルクレツィアは、私に最高のおくりものをしてくれた。こんな素敵な力を、……正義に屈する事のない、心を。馬鹿な女だよ、愚かな人間だよ、あの女はこの世界に魔王を送り込んだのだからな」

 ルクレツィア。

 誰だったろう、少し思い巡らせ、辿り着く。ヴィンセントが自責に駆られ、眠るきっかけとなった女性だ、……セフィロスの母親だ。

 ヴィンセントが魔獣や魔人に変身することは知っていた。それは、宝条の手によって施された忌むべき改造手術だったはずだ。だから俺の記憶の限り、彼が自ら望んで、そういう姿を晒したことはない。

 なのに、今彼は、微笑んでいる。俺に見せている。手のひらに光を宿らせる、それを、打ち上げた。甲高い笛のような、空気を切り裂く音を残し、天空高くで破裂させた。エネルギーの雨が降る。俺の周囲にそれは散らばり、下草を真っ黒に焦がす。

 彼女を不幸にしたと、ヴィンセントは悲嘆に暮れ、自ら永い時を、幽閉された空間で過ごすことを択んだ。真っ暗の心を自分ひとりで抱え、自責の念に駆られ身を焦がしつづけた。自らの「呪われた体」を、どこか誇らしげですらある微笑を浮かべて晒すことなど。

「この身体はな……、その気になれば、何もかもを壊すことが出来るんだ。本気になれば、街一つを更地にすることくらいは楽に出来る。マテリアを使わずとも無尽蔵に魔法を使える。つまりこの身体は……私は……もう……人ではない」

 ヴィンセントが両の拳を一つ、軽く握った。瞬間、爆発するような生命の波動が空気を震わせ、俺は危うく吹っ飛ばされそうになった。

「人間を一人残らず根絶やしに出来る力だ。この星を自分の物にしてしまえるだけの力だ。欲したもの全てを飲み込むことさえ容易い力だ」

 微笑みは優しいが、悪魔そのものと言っても良かった。ただ、俺はそれに戸惑うだけで、恐怖感も無ければ、嫌悪感も無い。どんな類の表情をしていたとしても、それがヴィンセントの顔をしていたからだ。

「怖くないのだ……何も。この姿でいれば……、己の力を感じていれば……。女一人不幸にしたこと位、何の痛痒もない。ただ、……そうだな……、私は、人間が嫌いじゃない。瑣末なことで惑い苦しみ、悲しみ嘆く。……お前を見て……私は可愛いと思うよ。貪欲で……かつ……空しい生き物」

 彼を中心に、風が起こる。びゅうびゅうと耳で鳴いた。

 そして、不意に翼が消えた。

 彼は、ボンネットに置いた服に、袖を通した。俺は髪がくしゃくしゃになったのを判っていながら、直すこともせず、見ていた。

「真実が何処にあろうが……、罪が付き纏おうが……」

 俺の代わりに、彼の手が、俺の髪を直した。

「お前には関係ないだろう。お前は何も悪いことをしていないと言ったんだ。お前がそう決めたのなら、それが本当だ。それに異議申し立てをするような者があれば、全て壊す力がここにある。つまらぬ良心など捨てることだ」

 悪魔の瞳は俺を捉えた。髪から降りた手は、頬に触れる。

「折角銃をくれてやったのに……、お前は臆病らしい。なるほどそれではセフィロスも倒せなかったろうな。安心しろ、以後、お前が要らないと思うものは全部私が排除していくから。……お前の胸が痛む必要はない」

 立ち尽くす俺を尻目に、彼は車の、助手席の扉を開けた。俺はのろのろと座り、言われるまでシートベルトも締めなかった。

 エンジンをかけ、また、落ち着いた走り方。信号待ちで、彼は呟くように言った。

「真実が常に正しいとは限らない」

 ぽつり、置いていくように。

 ただ俺は、何故あのような姿を俺に見せたのか、それだけ考えていた。

 傲慢に解釈すれば、世界が敵でも味方でいてやる、それだけの力はあるのだから心配するな、……そうなる。

 だが、それ以上に――そう感じることが、解釈することが、正しいかどうかは覚束ないが――俺を好きになるところまで、発展してくれたのかもしれない。

 これまで俺は何度も何度も、彼に醜態を晒してきた。何度泣いたか判らないし、困らせた、パニックになったりした、いくらでも我侭を言った。それら全てに、彼は最高の対応をしてきてくれた。

 あの悪魔の翼、彼自身「呪わしい」と、肯定的にしろ否定的にしろ、認識している姿は、彼自身、自分の輪郭として認めたいとは思っていないだろう。そもそも、あんな悪いことを考えるような人ではないと、俺は想像したいのだ。優しく、穏やかで、頭が良い。俺などよりもよほど良心的な人だと信じられるから、あの力を持っていたとしても、それを行使する気があるかは甚だ疑問だし、そうであって欲しいと俺は思うのだ。

 彼にとって、あの姿は多分、「醜態」なのだ。「素敵な力」「人ではない」、微笑みながら言ったが、やっぱり自虐だったのではないかと、俺は解釈する。つまり、自分はこれほど醜い、これほど悪い。お前など私の足元にも及ばないぞ、と……。

 彼の真意がどこにあろうと、俺がそう解釈していればいい。そして、俺が少しでも落ち着けばいい。俺がくよくよ悩んだところで、過去の罪が消されるわけではない。そして、罪は永遠に消えない。ただ、ティファが幸せになってくれれば良いなと思うし、俺も幸せになりたいのだ。

「なあ……」

 帰り着き、人心地着き、部屋に座り、隣りで煙草を吸う。

一緒に煙を吐き上げながら、同じ時間を過ごしている。

「ヴィンセント、あのさ、本当に嬉しいよ」

 ヴィンセントは答えない。答えなくていいと思った。とりあえず俺は、支えになる本当を一つ手に入れ、そこから何か生み出せれば良いと思うだけだ。

 答えは無かった。ただ、俺の望みは叶った。


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