Anticlimax!!

 早い段階で、エアリスは『クラウド』が『壊れる』ことを予測していた。

 そして、黒マテリアがまだこちらの手にある段階で、メテオが詠唱されることを知っていた。

 その両方の条件が揃ったから、エアリスは命を賭して詠唱後のメテオを防ぐ唯一の手立てとなる『ホーリー』を使った。

 しかも、殺されることを承知で……いや。

「殺される為に」

 ヴィンセントは言う。

「タイミングのおかしさに、気付くべきだったかもしれない……いや、気付いたところで、どうしようもなかっただろうがな。エアリスはメテオ詠唱の前に既に、ホーリーを唱えていた。まだメテオが発動しても居なかったし、まだ黒マテリア奪還の可能性はあった。実際に私たちは一度は、セフィロスのコピーから黒マテリアを取り戻した。

 それでも発動してしまったのは、お前をセフィロスが操って、黒マテリアが渡ったからだ。エアリスはそこまで予測していた」

 最後の力がすうっと吸い取られていくように思えた。

「この星は、エアリスが死ななくては、メテオの餌食となっていた。

エアリスが死んでどうなったか。エアリスは『ソルジャー』のお前と『セフィロス』との間に立つ壁だった。その壁がなくなると、どうなるか。古代種の神殿でも、エアリスはお前のセフィロスへの衝動を抑えられなかったが、その障壁がなくなってしまえば、メテオは確実に詠唱され、また、発動する。エアリスはセフィロスにメテオを使われることを承知で……、違うな、エアリスは、メテオを使わせるために、ホーリーを唱えたのだ」

 メテオが空にある状態を「異常」とするならば。ホーリーは「治療」の手段ではなかった。あくまで「予防」の手段だったのだ、と。

「何で……」

「お前の為さ」

「俺の為……?」

 ヴィンセントは、俯く。笑っている。

「どういう、ことだよ」

 まだ、笑っている。

「……判らないか?」

「判らない。……教えてくれ、何故エアリスは、死ななきゃならなかったんだ。なあ、……何故」

「お前を守る為さ」

「……」

「厳密に言えば、お前を守れる相手を、お前の側に置く為さ」

 俺はうめいた。身体の表面が、びしびし、割れていくような、身の強張りを感じた、口の中の渇きを感じた、言わないでくれその先を、声にもならなかった。

「彼女は、お前とティファが結ばれぬように仕組んだんだ」

「嘘だ!」

 声は掠れて、喉が割れた。

「……否定も肯定も出来まい、エアリスはもういないのだから」

 ヴィンセントはまだ、笑っている。とても優しく、穏やかに、エアリスをいとおしむように。

 顔が冷たくなった。

「ただ、……エアリスはティファのことを信じていなかった。少なくとも、自分亡き後のお前を委ねる相手としては、択ばなかった。何故か? ……私も、答えを見たさ。

 まずお前が耐え切れないのだ。……同性愛者だからな。エアリスはそれも気付いていたんだろう、お前が同性愛という自分の性癖を隠匿しているということに。

 そして、ティファにも問題はある。彼女は優しい。優しいだけではない、エアリスとティファを比べれば際立つだろう、ティファは弱いんだ。……お前という人間を抱え込めるほど、彼女は強くない。少なくともエアリスのように、お前を守る為に死ぬという選択は出来ないだろう……と、こんなことを私が言うのは失礼の極みだが」

 コーヒーが冷めてしまうぞ、とヴィンセントは言った。俺は今俺がここにいる理由、この場所に座っている理由を突きつけられて、慄然とする。エアリスが、俺の腰を縛ったのだと気付く。そして、その先に俺の幸せが在るのだと、彼女が決めたのだと気付く。俺はエアリスによって生かされているのだと気付く。決して「生きて」いるのではなく、「生かされて」いるのだと。

「あんたが」

「そうさ……。エアリスはお前を私に委ねたんだ。何があっても、どんなことがあっても、クラウドから目を離すなと。そして、出来る限りいっしょにいろと、側で守れと。……頼まれた、いや、命令されたと言ったほうがしっくり来るのかもしれない。今ではどちらでも構わないことだが」

 ずっと、ヴィンセントは笑っている。

 ついでに俺は、ヴィンセントのその笑いが、自嘲の笑いだということにも気付いた。

「断れるか?

 『そうすることが、あなたの、何よりもの、つぐないになる』

 そう言われて……断れると思うか?」

 笑った。笑いながら煙草を吸った。

「我ながら……、笑い事だ。重大な笑い事だ。ああ、知って居たさ、お前が同性愛者であることくらい。そして、お前が猿芝居をしていたことも。だから、私は再び戦列に加わったお前を、『クラウド』とは思っていなかった。お前が自分の嘘を認めた時点で確信したよ。『ソルジャー』ではない何者かが、『ソルジャー』を装っていると」

 外がだいぶ、暗くなっていて、室内の明かりが、ここは六階、それでも、ヴィンセントは立ち上がってカーテンを閉める、時計は六時を回っていた。ちっとも腹が減らない。

 俺は、ヴィンセントが再び座るまで、ヴィンセントを目で追っていた。エアリスが俺に嵌めた首輪のリード、握る男だ。嫌とか、良いとか、そういう以前に……。

「大丈夫か? 顔色が良くないが」

「……当たり前だ……」

「余裕が無いのなら、ここで話を切り上げても良い」

「……いや……」

「どんな気分だ? ……ここから出て行きたくなったか? もっとも、依頼された手前、簡単に逃がす訳にも行かないが」

「……あんたが俺の味方だったのは、エアリスに頼まれたからだったのか。俺なんかを拾ったのも」

「三分の一は、そうだな。もう三分の一は、私はそうすることに価値があると思ったからだ。どうせ無駄に生きなければいけない命ならば、誰かが少しでも救われればいいと思ったし、また誰かに罪を犯させるきっかけを作らせたくないとも思った。私がお前の側に居ることで、それが叶うならと」

「……残りの三分の一は、何だ……」

 ヴィンセントは、笑顔を消した。

 もう何を聞いても、

「言って構わないのならば、言うが」

 何も思わない、

「言えよ」

 驚きもしない。

「……だそうだ、エアリス」

 ヴィンセントは天井に向かって独語した。それから、コーヒーカップの中のコーヒーの残量を、目を細めて見る。さっきよりも費やす時間が長くて、それだけのダメージを俺に与えかねないと思ったのだろうか。

「お前に頼まれた」

 彼は呟いた。

「お前に、『非ソルジャー』のお前に頼まれた。『守ってくれ』と。……そう、お前がいつだったか言ったことは、正解だよ」

 もしも人間に自由に失神したり覚醒したりする技能が備わっていたら、こういうとき俺は迷わず使うのに。

 心を閉ざし、何も無かったかのように、俺はまた、永遠に記憶が飛んでしまうことを、少し祈った。

「……へえ」

 ヴィンセントは言った後、じいっと俺を見ていた。赤い目だなあ、俺はしみじみとそう思った。血の色、なのだろう。黒髪なのに、黒目だけは色素がないんだろうか。

 そうだよ、初めてみたときその赤い目に俺は少しく興味を持った。人間の目があんな赤くなるのかと。

「でも、その俺は、ティファと結婚したんだろ?」

「……そうだな。だが」

 いいよもう、……。

「何でも……、教えてくれ。あんたの知ってることを、全部俺に教えてくれ。俺はもう判った。俺は手のひらの上にいるんだな。……エアリスのことを悪く思ったりはしていないし、あんたでも俺は別に構わない。俺は俺が幸せになれさえすればいいんだろうし、死んだ人間のことをとやかく言ってはいけないし。もう、いいよ、演技もしないし、隠してることは何一つ無い。同性愛者だから、俺は相手がティファよりもエアリスよりもあんただったことがありがたいくらいだ。もう何も怖くない。寧ろ知りたい。ここから俺が幸せになるためにね」

俺の言葉に、怒る事も、笑う事もなく、彼はただ。

「正確に言うならば……、『非ソルジャー』の、別人格だ。お前の、もう一つの人格が、だ。その人格が、エアリス以上に、この結果に至らせる原因となったのだ」

 ヴィンセントは、目を伏せた。眉間に皺が寄っていた。俺はそれを、楽な気持ちで見はじめていた。俺は、俺の足の置き場所を今、探している。しかし、さほど躍起になることは無く。記憶喪失者の気楽さかもしれないと思った、何があっても、恥ずかしさを割り切ってしまえばそれは「自分じゃない」と言い張れる。

 峠は越えた。

 背負わなければいけないのは、死者でも、記憶喪失者でもなく、継続的に意識を持ち続け、今もある生者だけに降り掛かる痛みなのだろう。そして、それに特権意識を持ち始めた時点を振り返る。

「お前はルーファウスとも関係があったと言ったな」

「……うん」

「その関係に対してとやかく言うつもりは無いが、一つ疑問に思うところがあるので、はっきりさせておきたいな。『ソルジャー』のお前はルーファウスと会っているな、……会っているどころか、一対一でやりあっている。あの時の状況について、詳しく聞かせてもらいたいな」

 神羅ビルの屋上で戦ったときのことを言っているのだ。

 ルーファウスは?

 俺のことなんて、覚えていないといった風情だった。仕方ないだろうと思う、俺は公式的には「死んだ」ことになっている、当然ルーファウスにも上がった情報だろう。彼がどんな感情に苛まれたか、俺は想像するほか無いのだが、……どんなに似ていても、彼は俺を違う人間と思ったのだ……、そう考えるのが一番自然だと思った。しかし、俺はクラウド=ストライフと名乗り、間違いなく彼の恋人だった男で、その上、ソルジャー1stと自称した。つまり、ティファ以上に騙しづらい相手だった訳で。……そこに、俺はあのタークスの男を思い出す。ツォンといった。あいつは俺の記憶の限り、いつでもルーファウスの側にいた。俺がルーファウスに抱かれている間も、部屋の外で立っていた。たまに俺がルーファウスを連れ出すと、間もなくルーファウスの携帯電話が震え出し、彼の焦った声が俺にも聞こえてきた。ルーファウスが俺に何ら興味を示さなかったことを説明したいと思ったなら、そこにはツォンの介在に言及するほかないだろう。つまり……、うん、あまり想像したくないけれど。忘れさせた、んだ、ろう、と。

 ……俺は?

 俺は、判っていた、覚えていた、相手がルーファウスだって。認識していたなんてレベルじゃない。俺を抱いた相手だ。しかし、その時の俺にとって、一番重要なことは、俺がザックスで、ソルジャーで、強いのだというただその点のみだ。その上、ルーファウスは神羅だ、それが、どうしようもなく、俺に剣を握らせた。そしてあの時は、全ての感傷を廃して戦わなければならない場面でもあったから。セフィロスについても、まるで同じだ。「セフィロスは、ルーファウスは、俺の大切なものを奪った!」、ザックスを故郷を母さんを俺の宝物を。呪文のように自分の芯に染み込ませた、しかしそれらも途中からは「セフィは、ルゥは」に変わっていたかも知れない。

「なるほど。……では次の質問だ」

 ヴィンセントの口調は平板で、それは取調べでもしているかのようだ、と思って、ああ、取調べをされているんだなと気付いた。大げさな言い方をすれば犯罪者な俺がいるのだ。

 全く……。ヴィンセントが俺だったら、迷わずこの舌を噛んで死んでいることは容易に想像がつく。しかし、それを出来ない俺がいて、その上俺は自分の不幸を嘆き、何で俺がこんな苦労をしなくちゃならないんだと、苛立ちすら覚えているのだ。冷静に考えたならば俺の犯した罪は相当に重い。「覚えていない」で済むような問題でもない。しかし、……そこにしか逃げ場を持てない俺の気持ちを慮ってくれてもいいだろう。一人ぐらいそういう奴がいてもいいだろう。そして、あんたは俺を守ってくれるんだろう、だったら、頼むよ。

「お前は一度も女性と関係を持ったことが無い……、少なくとも、お前の記憶している限りでは」

「ああ、そうだ。……想像すれば判るだろ」

「……想像?」

「あんたが、自分で、想像するんだ。簡単な話さ。男の性器を、ペニスを、咥えられるか? ……同じことだ。俺は女の、……例えばティファの身体に、何ら興味を覚えないんだ」

 ヴィンセントが何を想像したかどうかは知らない。ただ、彼はほんの少し唇を微笑ませた。

「そんなお前が……、ティファと結婚した。精神が入れ替わったくらいで鞍替え出来るようなものだろうか」

 『覚えていないんだから、仕方がないだろう』、その科白を言わない為に黙った。

「お前が目を覚ましたのはどういう状況だった、もう一度言え」

「……裸のティファが隣りに寝ているダブルベッドの上だ」

「お前も裸だったのだな?」

「……まあ……、そうだ。……布団もシーツもぐしゃぐしゃだった」

 思い出したくはない。どうしてあんな場面で目を覚ましたのだ。もうちょっと普通の……、贅沢にしても、願ってやまない。

「……何をしていたかは詮索せずとも判るな」

 俺は自嘲気味に笑って見せた。

「なあ……? 俺が。ゲイなのに。ティファを抱いたんだ……」

「絶対にお前は女相手に欲情することはないのだろうな?」

「絶対にって言われてもな。白状すれば女の裸を生で見たのはこの間が初めてだった。もちろんそういうメディアに近づいた事だってない。……まだ何か質問が?」

 ヴィンセントはちらりと時計を見る。七時を回った。

「……何か食べたいものはあるか?」

「こういう話をしながら物は食えないな」

「食事中くらいは勘弁してやる。……ファミレスにでも行くか。買い物に行けなかったからジャンクフードしかない」

 今日はろくなものを食べていないな、ヴィンセントはそう言って、財布と鍵を持って、さっさと立ち上がる。腹が減っているのは確かで、俺もすぐ立ち上がる。腸がぐうと鳴った。ポケットの中に煙草がない。どこへやったっけと探しかけて、

「買えばいい」

 ヴィンセントに制される。

 マンションの下から徒歩で、駅方面、改札横目に、跨線橋を抜けて、北口のファミリーレストラン。丁度夕食時だからか、既に二組のウェイティングがかかっている。順番待ちに名前を記入して、喫煙席希望にマルをつけて、ヴィンセントは入口の自販機で煙草を買い、立ったまま待った。空席は一つしかなかった。俺も立ったまま待った。

 前二組は家族、そして、恋人同士――もちろん異性同士の――。

「……待ちきれないなら、他のところでも良いが」

 比べたら俺たちの関係性は奇妙なものだろうとは思うのだが、俺は曖昧に首を振って、壁にもたれて、別に観察もされていないのだと、落ち着いたまま、ヴィンセントから新しい煙草とライターを貰って、吸い始めた。赤ん坊を連れた母親が、何か凄い目をして俺を見た。

 禁煙じゃないだろう。現に、ここに灰皿がある。それでも、「子供がいるんだから気を使え」? 馬鹿か。ヴィンセントは咎めないで、ずっと自分の靴の先っぽを見ている。こいつに咎められたら辞めようと思って、結局二本目三本目、四本目を咥えたときに、その家族はウェイトレスに先導されて席に向かう。

 空白になった座席に座らないで、俺は立ったまま煙草を吸いつづけた。空腹が、紫煙で少し収まる。ヴィンセントも、煙草をライターで二本吸った。

 ろくに口も聞かないで、それでも側に立って同じように煙草を吸っているヴィンセントという男が、俺は少しも判らない。

 自分ではない身体にどうして? ずいぶんと気を使うじゃないか。どんな得があるのか教えてもらいたいと思う。それが単なる寝覚めの良さの為とそれはそれで俺に全く負担のかからない答えを既に受け取ってはいるけれど。

 俺のことが好きなのか? 冗談ではなく、考えてみて、その空しさに苦笑する。だったらどうだと? 嬉しくなくはない、誰かに愛されることの喜びを、俺は小さいころからずっと知っているから。相手が自分を大切に思う気持ちが、俺の餌になる。ずっとそういう風にして生きてきた。多分、ティファと「出来た」俺も、そういう価値観で生きていたんだろうと思う。

 待つこと二十分、ようやくウェイトレスがやってきた。咥え煙草で四人がけの喫煙席に陣取る。大きなメニューを広げて、自分の空腹を何で塞ぐか検討する。

「決めたか」

「……まだだ」

 あっという間に決めてしまったらしいヴィンセントはもうメニューを閉じている。何でそういう急かし方をするんだろう。

「……決めた」

 ヴィンセントは卓上のボタンを押す。遅れて、ウェイトレスがハンディ片手にやってくる。

「エビフライとハンバーグ、ライス、ドリンクバーのセット」

「……同じのを」

 何となく悔しくて、

「何を飲む」

 と立ち上がり、俺のためのドリンクを取ってきてくれようとするヴィンセントに、

「あんたと同じのでいい」

 と言った。アイスティーを持ってきた。

 体裁は、一緒に暮らしているけれど。「話」こそすれど、「会話」はない。俺は当面行くところもないし、やりたいこともない。というか、何もしたくない、何処にも行きたくない。しばらくは……、じっとしていたい。身体が心が、休息を、安寧を、求めている。その望みをかなえるためには、ヴィンセントが必要だ。そういう相手が一応でも自分を愛してくれるのならばそれには甘えたいと思う。そう考えながら、やっときた二人分の、いかにもファミリーレストランな夕食を、黙って食べた。

 食べ終わってもすぐには立ち上がらないで、立ち上がったとしたらまた新しいドリンクを取りに行ったり、トイレに行ったり。煙草を何本も吸って、また新しい一箱を買いに行ったり。

「……コンビニでカートンを買って帰るか」

 ヴィンセントはそう呟いた。

 俺のいる生活をヴィンセントが認知するのだ。今頼れるものはヴィンセントしかないものだから――精神的だけではない、経済的にだってそうだ――俺は、そういうヴィンセントの発想をありがたく思った。

「……ちゃんと眠れているか? ソファで」

「……ああ、……まあ」

「そうか……」

 もう九時を回った。夕食時間は終わって、店内は閑散とし始めた。

「もう少し広い部屋に引っ越すことも考えている」

 新しい話だ。

「……引っ越す?」

「ああ。……嫌かも知れないが、私にも責任がある。お前の面倒をみなくてはならない。一人では生きていけないだろう、働くところも見つかるまい。当面は側に置く」

 煙を吐き出しながら、ヴィンセントはメニューを開いた。デザートでも頼もうと言うのか、それとも、何かサイドメニューか。財布を持っているのはあんただから、

「任せるよ」

 新しい部屋も、メニューも、委ねてしまった。

 灰皿と、中途半端なグラスだけが乗っていたテーブルに、フライドポテトが湯気を立てた。ケチャップは使うか、問われて頷く。恐らく、もう聞かれないのだろう。次からは、もうケチャップがかかっているのだろう。

 ヴィンセントの顔を、見る。

「今日は、もう話の続きをするのはやめよう」

「……任せるよ」

 居心地のいい場所にいたいと思う。この場所、居心地がいいのかどうかは、わからない。選択の余地はないし、比較対象もない。ただ、窮屈でもいいからベッドがあって、窮屈でもいいから側に一人いることの意味だけは、俺も判っていなければならない。

 いいよと俺は言ったのに、薦めているのだからと、俺はヴィンセントのベッドで寝た。その代わり、ヴィンセントがソファで寝た。諍いと裏切りで彩られた一日が、それでも温かく終わっていく。


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