いい、お前は、先に帰って部屋で大人しくしていろ。そうヴィンセントは俺に命じて、足代だけ渡して俺を帰した。一人になるのは久しぶりだった、切符売り場で行き先を確かめて、本当に渡されたのは足代だけだったことに気付く。途中で缶コーヒーなんて買わなくて良かった、煙草がまだ半分は残っていて良かった。
ヴィンセントは、ティファをどうするつもりなのだろう。
電車が来るのを、端に追いやられた喫煙所で煙草を咥えながら、想像する俺の身体は、何故だかだいぶ楽になっている。何故だか? 判っている。仮面を外したから、肩の懲りが取れたのだ。
そうさ。俺はソルジャーじゃない。
そうさ、俺は、同性愛者だ。
その両方を認めたくなくて、足掻きに足掻いた姿、それが、俺だ。そうか、だからか、何となく俺は、俺の知らないところでティファと結婚した「俺」の、ティファに好かれた理由が判ったような気になった。つまり、正直なところが良かったんだろう。嘘吐きはやっぱり、嫌われるよな。
急に口の中が苦くなった。煙で目が潤んだ。
ああ。俺は。ダメ男なんだよだなあ。笑いが零れかけた。とても、だらしない笑いが。隠し切れなかったよ、畜生。でも、しょうがないかあ、記憶喪失だもの。俺は頑張った、足掻けるだけ足掻いた、それで、……よしとしなきゃ。
電車がしずしずと入ってきた。空いた席に座って、知らない人だけに囲まれている。ここでまた、俺が「俺はソルジャーだ」と言ったなら、一体どれだけの人が信じるだろう。試してみようかなと、俺はやや本気で思った。もう一度、一番最初から始めたい。今さっき露呈した弱い俺を全部否定して、俺を信じた者だけで周りを固めてさ。「何言ってるんだ、俺がソルジャーじゃないって? 馬鹿なことを」、そういうこと、言いたいな。
トンネルを潜る轟音に考えが途切れる。馬鹿なことを考えているのはお前だろうと叱られた気になる。しかし、俺を叱る奴なんて、俺は要らないんだ。俺は俺を、ソルジャーと認めていたから、連中を好きだと思っていたんだ。俺が同性愛者だということを知らなかったから、だ。
だから別にもういらない。この、罪に塗れた卑怯な男の生きる理由は、ただそこだけだ。俺を認めろ。俺の言う俺が一番正しいんだ。お前の見る俺は捏造だ。俺の言う俺だけが、俺そのものを現す……、お前の見る俺は、捏造だ。
それから、俺は寝た。寝て起きたら電車は終点に着いていて、乗り換えて、またしばらく寝て、気付いたら、ヴィンセントのマンションの一つ手前の駅だった。電車は酔わない、楽だ。
鍵を開けて、しばらく、ぼうっとしていたら、案外に早くヴィンセントは戻ってきた。もちろん、一人で。けれど、ぼうっとしたままの俺に、「手伝え」と指図する。
「……なんだよ」
「誰の荷物だと思っている」
「……なに?」
命じられるままに動きたいような気分では決して無かったけれど、俺は、駐車場まで降りた。ヴィンセントの車のトランクは、荷物で一杯だった。
「あの家にあったものだ。お前の見覚えのあるものは無いだろう」
「……捨ててくればよかったんだ」
「彼女に持っていくように言われた。いつかお前が思い出すかもしれないとな。それに、側に置いてあるのは辛いのだそうだ」
自分のセンスなら、とても手の届かないような服。俺が着たって、似合うのかどうか、そういう想像もつかない。とにかく、俺一人なら持て余す量の「俺一人」の服があった。
「まあ、捨てるか、リサイクルにでも出すか……。どちらにしろ、お前の服のことなどどうでもいい」
「じゃあ、何でわざわざ呼んだんだ。疲れてるのに」
「これがあったから」
服の山を、ヴィンセントが退ける。
俺は、吸い寄せられて、思わずそれに掌をつけた。車のエンジンの熱で、ほんのり暖かくなっていて、それが不気味なくらいに、俺にとっては体温だった。
俺の……、ザックスの剣。
「記憶は飛んでいても、……つまり、お前の眠っている間でも、捨てたりすることは無かったようだな。気付かなかったのか。あの家の寝室の壁に立てかけてあった」
「……そう、だったのか」
握って見た。ザックスの剣だ。それでも、もう、俺のものだ。俺の掌のほうが、幾重にも巻かれた包帯にしっくりくるから。
「服はどうでもいい。それだけ持っていけ」
ヴィンセントは言った。俺は頷いて。剣を抱き締める。
話を、「俺」はしたんだろう。俺の知っていることを、たくさん喋ったんだろうな。ヴィンセントが言ったように、ザックス=カーライルのことも。そして、ソルジャーになれなかったこと、も。だから、……そう、俺は、どんどん愚かに、醜くなっていく。
しかし、一つだけ「俺」が隠し通したことは、俺が同性愛者だってことだったようだ。今日、ティファは明らかに、戸惑いとも言える表情を浮かべた。俺がソルジャーになれなかったこと、この剣がザックス=カーライルのものだということ、それは、俺が同性愛者だということと、直接的には全く関係の無いこと。
隠し事が無くなって、つまりは怖いものがなくなったから。
「教えてくれないか」
結局、ヴィンセントが一人で、最低限の買い物を帰りにこなしてきただけだったから、質素通り越して貧相な夕食だった。お互い、あまり食欲があるとも言えなかったから、それでよかったのだろう。だが、気鬱の時の食卓が貧しいと、救いようのない雰囲気が漂う。
「大丈夫だ。もう、どんなことを言われたって、あの時みたいに泣いたりはしない……。というか、……もう、あまり不安も無くなった」
「話すのは別に、構わないが」
煙草に、火をつける。
「私の知っていることを話せばいいのか? それとも、ティファの知っていることを話せばいいのか?」
「……それは、どういう意味だ」
「ティファがどうしてお前と結婚したのか、それを私の目から見て、勝手に想像して、一つの物語にすることは可能だ。それをして欲しければ、してやる。或いは、純然たる私の視界から見た景色の話をしてもいい」
「別に……どっちでもいいよ」
委ねると、ヴィンセントは少し考えてから、結局、前者を択んだ。
離婚届にティファが判を押したかどうかは知らない。けれど、俺の知る彼女は、判を押して、わざわざそれを役所に出しに行って、一人で呆然としてしまうような人だ。それを承知でああいうことを言ったのだから、それはそれで、たいしたものだな。
「だが、それをするのは、……お前がお前の知っているところを、全て正直に話してからだ」
「……あんたはもう全部知ってるんだと思ってたけどな。俺がソルジャーじゃないってことを知ってたんだろ?」
「だが、お前が同性愛者だということは、少なくともお前の口からは、聞いていないな」
「少なくとも?」
「話してもらおうか。お前のことを。……正直なところが聞きたい、お前の口から、お前自身の言葉でな」
少し笑えた。
「悪趣味だな」
ヴィンセントは動じない。但し、微笑む。
「何とでも言うがいい」
煙草に、互い違いに口をつけて、……俺のが尽きた。火を消して。そのきっかけを逃したら、俺は身を少しでも清める機会を永遠に逸するような気もしたので、切り出した。
「……俺はソルジャーになかった。俺が俺の、……一つの理想のソルジャー像としてイメージしてるのが、ザックス=カーライルだ。俺と一緒にニブルヘイムに行き、あの事件をきっかけに、命を落とした。ティファが会ったっていう、ソルジャー1stで……、あいつは、俺の同室だった。十三で俺が神羅に入って、最初に知ったのがあいつだった。
俺は……、いや、俺たちは、俺とザックスは、同室で……、恋人同士だった。ニブルヘイムでああいうことになるまで、俺たちはずっと恋人同士だった」
ふと、俺は立ち止まった。
「……あんたは、俺が同性愛者でも、平気な顔をしているんだな」
ヴィンセントは首を傾げた。
「何か問題があるか? 大仰に驚いたほうが良かったか」
「いや。……同性愛者であることは、俺にとってはコンプレックスだから。……俺は元々、なりたくて同性愛者になったわけじゃない、最初は、ザックス=カーライルに強姦されて、それで気付いてみたらっていう、そういう形だったから……。かと言って、異性を、ティファを愛せるかと言ったら、そうでもなくて……、消去法的っていうか、そういう同性愛者だから、だから、普通のゲイからも嫌われるのかもしれない」
「……よく判らないが、私にとってはどうでもいいことだ。続きを話してくれ」
「……ニブルヘイムで、俺はザックスと一緒に宝条の……神羅屋敷、あんたの寝てたあの建物の地下に収容された。そこで……よく判らないが、いろいろな生体実験のラットにされた。俺の目がこうなのは、恐らくその時の影響があると思う。だから、俺は『ソルジャー』だった経験は無いけれど、それでも一応『ソルジャー』の身体にはなってるんだと思っている。まあ……、今は、そんなことどうでもいいけれど。
ただ、俺が覚えているのはそこまでで。気付いたときには、血の海の中で呆然としてたな。ザックスが死んでたんだ。体中穴だらけになってた。何十発も弾を喰らって、死んでた。判んなかった、何が起きたのか。
そこから始まる記憶で……俺は、死んでるようなものだったよ。判るだろう、十幾つの餓鬼が恋人殺されたんだ、そうそう治るようなものじゃない。俺はザックスの剣を持って、引き摺って、ニブルヘイムに入って。乞食みたいなものだったかもしれない。何日も食べない日が続いたり、残飯を漁ったり、雨でも屋根の無いところで寝たり。そういうのが苦にならないくらい、俺はザックスを喪って、辛かった。いや……俺が失ったのは、ザックスだけじゃない、セフィロスもだ、ルーファウスもだ。俺は、あいつらとも、関係があった。同じように、愛されていた自覚がある。ニブルヘイムの事件で、俺は事実上三人の恋人を全員失ったんだ。俺に、何が出来る? どんな風にプラスに行動できる?
ザックスが居なくなって、セフィロスもルーファウスも居なくなって。俺は、苦しくってさ、悲しくってさ。
それで、俺は……、もう、あんたも知っているだろう、俺は『ザックス』っていう、ソルジャーに自分を投影した。俺の知っている『ザックス』は、俺の演じた『ソルジャー』の『ザックス』じゃなかった、少なくとももっと汚い男だった……、俺も、十分に汚いけどさ。でも、俺はザックスを尊敬していたから、ザックスみたいになりたかったから、だからさ。
ティファと、駅で会って。その瞬間だな。……俺は、『ザックス』だって、……強い男なんだって、……そういう、欲求って言うか、……何ていえばいいんだろ、俺のなれなかったソルジャーに、今なれるんだ、今しかないんだ、って、すごく、強く、俺はそう思った。記号が……揃っていたからな、俺には。ソルジャーの格好をして、ソルジャーの剣を持っていた、ザックスから受け取ったたくさんの知識があった、戦闘能力があった、……だから、『これは騙せる』……、なりたい自分になれるんだって……。
……ティファって言う存在が、俺には最大のコンプレックスだったんだよ。
彼女は、ニブルヘイムで俺がいなかったと思ってる。ソルジャーになって故郷に錦を飾ることが出来なかったと……。事実はそれだけじゃない、俺はよりによって神羅兵の制服を着てあの場所に戻らなくてはならなかった。……彼女がガイドだったから……いや、彼女が、いたから、俺は、あの時、……あの時に、物凄い敗北感というか、屈辱って言うか……苦しみを、感じることになったんだ。
だから、俺はティファを否定するために、『ザックス』という、『ソルジャー』という、存在に自分を変えたんだ、演じたんだ。
後は……、もういいだろう。後は、あんたの方が詳しいだろう。あんたの知っている俺を教えてくれ」
ヴィンセントは黙って俺を見て、煙草半分の時間を費やして、俺の顔に何かを探す。
「中毒症状に陥ったお前を見つけたのはミディールだった。あの場所は、ライフストリームの流れが地表に噴出する場所だからな、まあ、出てくるとしたらあの場所しか無かったわけだが。お前をあそこで見つけ、ティファが看病すると言って残った。私たちはすぐに『ヒュージマテリア』……まあ、詳しい用語についての説明は省くが、それを探しに出てしまったから、その間のことについては良く判らない。
……メテオが発動するに伴って、『ウェポン』という、……まあ乱暴に言ってしまえば巨大なモンスターが現れた。そのうちの一体が、ミディールにやってきた。お前とティファが、ライフストリームに落ちた。ティファが言うには……、断っておくが私はこれを一切信用していないが、『精神世界でバラバラになったお前の心を一つひとつ繋ぎ合わせて、元の、本当の、クラウドを取り戻した』のだそうだ。ここまではいいか」
「全く何もかもが良くない気がするが、知らないから、いい。……植物人間か」
「お前の記憶でも一度成ったことがあったようだな。その、ザックス=カーライルが死ぬ前に……。どうやら、そういう状態に陥ると人間の記憶と言うのは寸断されるようだな。失神するのと同じか。
ともあれ、お前は……お前の知らぬ「お前」は、私たちの前に戻ってきた。……あまり詳しい経緯を思い出すのは面倒だ、簡単に言ってしまえば、お前は私たちの先頭に立ち、この星の北の果てにある大空洞でセフィロス……と言っていいのかどうか私にはわからないが、とにかくセフィロスの姿をした者に勝ち、エアリスが死ぬ間際に詠唱していた、メテオに対抗し得る唯一の魔法、ホーリーの、セフィロスによる発動妨害を打破し、この星を守った。
その……二年半後か、今から丁度一年前になるが、お前とティファは結婚する。まあ、私たちには大いに想像できていたことだが。そして、……今に至る。先日、お前がベッドの上で目を覚まし、喚いた……、あの瞬間に至る」
途中から、信じようとするのが困難になったことを、仕方がないと思ってもらえるんじゃないかと思う。
「以上が、まあ、お前の知らない間の、お前の姿だな。……そうだ、なぜティファがお前と結婚したのか。
お前は、……違うな、お前の知らないお前が、ティファによって『再構築』されて、お前は己を晒したんだ。お前の隠していた、お前自身を洗いざらいに。……唯一、さっきお前の明かした『同性愛者』という点を除いてな。
ティファには、それが好もしく映ったんだろう。お前の『演じて』いたお前は、ティファにとっては『クラウド』ではなかったのだから。
私の知らぬ過去の話を、私がするのも妙だとは思うが、容易に想像はつくよ。お前が神羅に行った、神羅でソルジャーになると言った、しかしニブルヘイムにはやってこなかった、ソルジャーになったのか、或いはなっていなかったのか、ティファには不透明だ。その幼馴染と再開する、『ソルジャーになった』と言う、しかし、カームでされたお前の話に、ティファは矛盾を見いだす。お前が、彼女の知るお前ではないのではないかという疑念が起こる。その疑念はずっと彼女の中で蟠っていたろう。しかし、彼女はその疑念を口にしてお前の演技を暴くことが出来るほど、そして責任が取れるほど、強い人間ではなかった。その結果隠し通し、エアリスが死ぬ、メテオが発動する、お前が中毒症状に陥る。彼女にあるのは強烈な自責の念だ。
しかし、お前は帰ってくる。それだけではない、『彼女の知っているクラウド』が帰ってきたのだ。ティファの責任は、少なくとも半分以上は軽減する。その上、帰ってきたお前は自分の罪を全て潔く認め、背負った。そうすることで、……一歩間違えれば最悪な男というレッテルを、反転させたのだ。この言わば『転身』は、鮮やかだったな。お前はお前の抱えていた嘘というコンプレックスを、全部克復してみせたんだ。
単純な距離の問題だと思う。ゼロから百と、マイナス百から百と。到達点が一緒でも、あの時お前はマイナスから始めた、マイナスに自分を置いた。そして、勝利によって全てを昇華させた。ゼロをプラスにするよりも、マイナスをプラスにするほうが、移動距離が大きいものだから、……ティファはそこにお前の魅力を見たのだろうな。
もちろん、お前のやり方も非常に巧みだったのだろう。お前は、……今ここで私の話を聞いているお前と、つい先日までティファの夫だったお前を別の人間とした場合のことだが……、仮にお前を『ソルジャー』、あの人格を『非ソルジャー』としようか。コンプレックスの塊で、暴いてしまえば情けない演技者に過ぎないソルジャーを貶めることで、非ソルジャーは自らマイナスに設定し、しかしハードルを越えることで、自分をより高く見せた。到達点は同じ百でも、マイナスから飛べばそれだけ凄いように錯覚をする訳だ。そういうテクニックには優れていたのかもしれない。ともあれ、ティファはお前に惹かれた、それも、相当に強く。そして、お前も彼女のその想いに応えた。だからお前たちは結婚したのだ」
気のせいではないと思う。ヴィンセントは途中で、その静かな表情にかすかな憎悪を漲らせた。
「以上だ」
ヴィンセントは長く喋って疲れたらしく、立ち上がって、流しで水を飲んだ。
「コーヒーを飲むか」
「……ああ」
俺の好みの量をヴィンセントは覚えてくれていて、砂糖は一杯ミルクは多めで。やや苦味の残ったマイルドな味。しかしこれも、ソルジャーを演じていた頃はザックスがしていたように、ミルクは入れなかった。
「単純に遠回りをしただけなのだがな」
コーヒーが俺の前に置かれた。
「ゼロからスタートしたんだよ、『非ソルジャー』も。あの復活した時点がスタートだったならば、あの時点でゼロだった。にも関わらず、『非ソルジャー』は『ソルジャー』を比較対象に出して、自分をマイナスに持っていった。あれは、巧みだった」
同じことを、ヴィンセントはまた言う。
「私たちの誰もが、『ソルジャー』の人格を偽者だと思う。そして目の前に現れた『非ソルジャー』を本物だと思う。……苦しい演技に伴う矛盾への対応で、『ソルジャー』はしばしば、細かな逸脱を私たちに見せてくれていたからな。一体誰が『非ソルジャー』を偽者だと思う。……なあ」
ヴィンセントは俺に目をやって、穏やかに笑う。
「……俺が、本物の、クラウドだ」
「私はそれを、ずっと知っていた」
「……何?」
「お前が演技していることも知っていた、ティファと結婚したお前が偽者であることも知っていた」
穏やかに笑いながら、言葉を、彼は繋いでいく。
「私だけではないよ、ユフィも知っている、そして」
コーヒーに口をつけてしばらく言葉を切って。
決定的なことを言うんだと、俺に覚悟させるだけの時間を設けてくれてから。
「エアリスも知っていた」
月並みだが、俺は煙草の先から灰が落ちるまで、呆然としていた。
「エアリスに依頼されたからこそ、私はお前を拾って、ここに置いてやっているんだ」