Anticlimax!!

俺がゲイだってことは誰にも知られていないはずだ。

 所謂「カミングアウト」というやつを、俺はしていない。隠しながら異性とまぐわうことが出来るはずもない。そもそも、俺はあのティファの乳房に、恐怖感を覚えるほうだ。「恐怖感」は言い過ぎにしても、俺の感じるのは、恐らくノーマルな男が男の性器を見て感じるような、遠ざけておきたいような鬱陶しさ。その上俺は彼女の持っているような身体を持つことは出来ないし、子を作る能力も無い、……全部、マイナスな感情に繋がってしまうのは否めない。こうも歪んだ俺が、自発的にティファを愛するはずもない。しかし、一般的な男の目には彼女の裸体に「何か」を抱くのは当然のはずで、あの瞬間にした俺の特異なリアクションというのは、正常の男のものではなくって……、気付いているとしたら、あの時点でヴィンセントは。しかし、疎んだり気持ち悪がったりしている様子は無いから、気付いていないか、そういうふりをしているかだ。いずれにしても、俺は少なからずの感謝をヴィンセントに対して抱いている。

 腐食してゆく空しい柱の上でも、生活がある程度の平べったさを変わらず持っているもので。俺はこの生活の安定を手放したいとは思わない。ヴィンセントが側に居る理由は、義務感であると、一応判っているくせに。ティファと会いたくない、自分の過去と向き合いたくない。それが許されなくてもいいから、俺は今しばらく怠惰に寝そべっていたいと思う。どうにかそれくらいの我儘は許されないものかと、ソファに寝て天井を見て、思う。

 腹の底に力の入らないような気分は続いている。

 いつからこんな風に弱くなってしまったのか。

 寝ていたい。

 ヴィンセントが三十分程前から起き出して、ユニットバスに行ってシャワーを浴びて、台所に行って。

 起きろ、とは言われない。頭にタオルを垂らして、上半身を晒したまま、インスタントコーヒー、入れて、机の上に座る。机のすぐ側に俺の寝るソファがある。俺はまだ、起きない。このところ、朝にすっきり目が覚めることが無い。ふくらはぎが重くだるい。体の奥に乳酸が篭っているような状況だが、ほとんど身体を動かしてはいない、眠りが浅く、体力の回復が正常に行なわれていないのだろう。毎夜、夢を見る。俺の見た夢は、俺の「眠って」いるときに俺の周囲で起こったことかもしれない、そんなことを考えてながら、眠っている。ヴィンセントは起きろと言わない。

 とは言え俺は居候だ。俺が起きないから、まだカーテンも開けていない。何より、トイレに行きたくなった。

 何も言わずに起き上がり、トイレに行く。身体がぐったりしている。それでも、この身体は一応は男なのだな。疲れていても変わらないのだな。そう思わせる反射をしている。

「おはよう」

 俺が起きたから、俺の分のコーヒーまでを入れてくれるヴィンセントに、俺はもやもやっとした声で「おはよう」と返す。まだ、眠い。目脂がついていた、指で拭った。

「まだトーストは焼けないから、顔を洗って来い」

「……いいだろ……、誰にも会わないし」

「買い物に連れて行く」

「なら、その時に洗えばいい」

「徐々に本性を現してきたな」

 俺は攻撃態勢で聞き返したが、ヴィンセントは何も言わなかった。間もなくオーブントースターから美味しそうな匂いがしてきた。

 そういうことをイキナリ言われたら、どうしたってまた、考えてしまう。今、ヴィンセントが使った「本性」、という言葉……に。ああ、確かに、着飾っているさ。シャツに短パンだけの姿でも、俺はけばけばしく色いろなものを身につけている。そして、ポケットに隠している。

「無理に格好をつけるのはやめたほうが楽だぞ」

 とヴィンセントは食後のコーヒーを飲み干して、言って立ち上がる。また、逆撫でられたような気持ちになる。

「人を多重人格者みたいに言うな」

「違うのか?」

 ヴィンセントはそこで、ささやかに微笑んで、「十一時には買い物に出るから支度をしろ」と言った。十時を回っていた。

 確かに俺は「多重人格者」と、そう言われても、仕方がないだろう。……そう言われること、そう見られることは、ある種の想像の範囲内であって、だからヴィンセントがそう言ったことは、特に驚きではない。しかし、俺が、どこまでいってもやっぱり失ってしまったらしい「二年間」という、あやふやなブランクを持つ以上、「多重人格」という言葉は全く俺の想定していなかった事態を招くことになるのだ。そして、恐らく、その言葉以外では説明することの出来ない事態だろうと思う。

 ああ。確かに俺は多重人格者だ

 ヴィンセントがたった今さっき言った通りだ、俺は、無理をしている、無理をしていた。本当の俺じゃない俺をずっと装っている。それは、認めよう。俺は「こう」在りたいと思って、だから無理に「こう」しているんだ。「こう」し続けていれば、そのうちに自然と「こう」振舞えるようになるはずだと信じたからだ。

 しかし、そんなことをどうして話せよう。

 ヴィンセントが平板な揶揄以上の意味を篭めて「多重人格者」と言ったのであれば、「俺」は……、話していたってことなんだろうな。この俺の、知らないところで。

 訳が一つも判らない。

 ただ、ヴィンセントは俺の困惑をよそに、仕事を辞めてから出来た一定のペースを崩そうとはしない。俺を車に乗せて、十五分ほどの距離にあるスーパーマーケットに午前中のうちに行く。夕方になればタイムサービスとかで何割も安くなることを承知の上でだ。混雑が嫌だと言っていた、そして、夕方まで置かれてどこの誰とも知らぬものがベタベタ触った肉など、ラップに包まれていても口にしたくないとも言っていた。そういう感性をしているのかとはじめて知った。

 そして昼には帰ってきて、簡単な昼食を作って。あとは、俺の過去を暴くか、もしくは本を読んでいるか。退屈と言ってしまっていいような日々を送っているように見える。少なくとも、二十代半ば、いや、二十一歳のつもりのある俺には想像しにくかった生活形態だ。

 ヴィンセントは俺が弛緩しきらぬよう、しかし、緊張し通すことも無いよう、バランスに気を配っているのだと思う。朝のように、寝ているのを起して彼の生活へ強制的に組み込もうということはしない、その一方で、細かな、どうでもいいように思えることに口を出したりもする。

 要するに俺は居候なのだ。これは、居候の立場なのだろう。撓むことなく繋がれた鎖の自由だ。今の俺にはこれでも贅沢すぎると言う人だって居るだろう。しかし、何処まで行けば俺は己の罪にぶち当たるのか判らない。ティファは確かにあんな声を出した、俺に悪いという気を与えた、しかし、何故俺が悪いのか、判らない。そんな男を非難するという人がいるなら、非難してくれて構わない。だが、俺は仮に痛罵浴びせてくる人に、俺は多分むきになって反論するだろう。

 それくらい、俺は自分の悪さがまだわからない。そして、そういう自分をヴィンセントが判ってくれていると想像することは、俺の力になった。好ましい方向に働く力には思えないが、とりあえず、落ち着きを取り戻すのに必要なのは、肯定する者の存在だと思った。味方ですら、俺を非難するなら、今の俺には過負荷だと、甘えと思いながら決め付ける。

 ゲイであるってことも隠している、無愛想なフリをしている自分で隠してる。俺は本当はもっと弱くてダメな男で、だから俺の記憶には、俺を守ってくれていた人たちが居る。今はたまたまヴィンセントだ。俺にはそういう力の側に在ることが必要なのだ。

 自分でそれを認めたくなかったから、俺は強く在ることを選び、そう振舞った。

 

 

 

 

 大きな拳が飛んできた、俺はそれを、多分受けなければいけないのだと思ったのに、反射的に避けた。

 俺の言ったこと、その内容、考え方、全部、よっぽど気に食わなかったんだろう、肌を紅潮させて、バレットは怒った。

「……落ち着け」

 ヴィンセントが左手でバレットを押し止める。

「無駄だ」

「ふざけんな! 何が……何が忘れただ!」

「殴って思い出すなら私も殴るさ」

「クラウドてめえ、ティファが……どんなに苦しんでるか知ってんのか! おい、ふざけんな、……何とか言えこの野郎」

 唾が顔にかかった。

 本当に、殴って頭の引出しが空いて、全部判るっていうんなら、殴って欲しい。そして、……でも、ブランクが埋まったところで、俺はティファと元通りになんてなれない。

 何も、言えないんだよ。

 申し訳ないと思う気持ちが全く無いわけでもない。人が自分のせいで泣いていると知れば、反射的に「すまないな」と思う……が、俺が出来るのはただ、その、人が人の間に生まれてきたからには当然備わっている「反射」までで、そこから成長して抱くようになる愛情の伴う反省には至らないのだ、「ああ、俺のせいで苦しんでいるのか、それは『すまないな』」、それで完了してしまうこの俺という男、あるいはこの人格の現在の精神状況、殴られたって仕方がないくせに、どこかで開き直って、殴られたら痛いし腹が立つから殴られたくない。

 きっと他の誰からもこういうリアクションを受けるんだろうなと、俺は判っていたから、心が閉じていく。

「……悪いとは思っているさ」

 俺は言った。少し、笑いながら。両手を鷹揚に掲げて。

「ただこの通り、覚えていないんだ。全く、何一つ。なるほど確かに、俺がしたんだろう……、俺が、間違いなくこの身体でしたことなんだろう。しかし覚えが無いんだ。……一番いい加減な、誠実さに欠いた言い方だってことは判っていうけど、本当に覚えが無い」

「てめえ!」

 また、飛んできた拳を俺は、避けてしまった。

 吠えて噛み付く、バレットは狂った犬のように。俺は、ヴィンセントが抑える大きな身体を見ながら、どうして俺なんかにみんな苦しむのだろうなどと、おそらくは見当違いのことを考えている。

 バレットはヴィンセントに送られて帰っていった。帰り際まで「俺はてめえを絶対に許さねえからな!」と怒号を浴びた。俺は玄関先でぼうっと立ち尽くして、腹を立てたいのに、腹の底に力が入らなくって、そのままくるりと塒のソファに戻って、灰皿を片手に煙草を吸った。煙草の味は体調さえ悪くなければいつでも同じに思える。吸い込んで吐き出すまでの間に収まる心臓が、相変わらずちゃんと動いているし、手は慣れたように煙草を挟んでいる。どうしても、この身体なんだと俺は、俺の居ない間を思った。

 バレットは突然にやってきたんだ。多分、ティファから聞いたんだろう。誰に文句を言ってもいけないのだろうけれど、二人に対して不快感を抱いてしまう。

 出かける予定が完全に崩れたヴィンセントが帰ってきた。下のコンビニで買ったという、つまらない弁当が二つ。

「知っていることを証明するのは簡単だ」

 ベタベタの飯粒を食んで、ヴィンセントは料理が上手いのだと気付く。

「だが、知らぬことを証明することは……難しいな。人間は知っていて知らぬふりをすることが出来てしまう動物だから」

 少しだけ、笑う。

「まあ、免疫がついたろう。他の誰にも、似たようなリアクションをされることと覚悟をしておくのだな」

 冗談じゃない。

 何で俺が。

 俺が。

「ただ覚えてないんだ」

「……それを信じているが」

「ああ、そうか。あんたは信じてくれるかもしれないな、だが、それだってどうか判らない。それに他の連中が信じていないんだったら意味が無い」

「と言っても、お前はティファと結婚生活を再開できるのか?」

 俺は答えなかった。

「縦しんば出来たとしてもだ。当分、或いは永遠に、ぎこちなさは残るだろうな。そして、ティファは常に今のお前と以前のお前とを無意識に比較することになる。彼女の望んだ幸福が手に入ることはないだろうな」

 微笑みながら、ヴィンセントは言った。この人の表情筋ってどうにかなっているんじゃないだろうか。とても微笑むべきとは思わないところで、微笑んでる。ただ、その気の触れたような感じは不愉快ではなかった。少なくとも、彼女が不幸になれば俺が幸せになることだけは、凄惨に成り立つ事実だからだ。そして、ヴィンセントは別に、俺に不幸になれとは言っていないのだ。ただ、説明しろと。説明して信じてもらえなければそれは仕方がないと言っているのだ。それに、言っていることには納得が出来た、俺の味方とかティファの側とかそうではなくて、的を得たことを言っていると思うのだ。仮に俺が、ティファと戻ったとしても、どんなトラブルだってあるだろう。そして、たまにはいがみ合う。そうしたときに彼女の言うことは、苦しいが、十分に想像の範囲内なのだ。

 バレットと、修復の仕様の無い諍いをしたわけで、その点では確かに免疫はついたといえる。まあ、もう、いいや、みたいな。別に、元々深い繋がりがあった訳じゃない。ただ同じ方を向いていたと言うだけで、いくら食い違ったっておかしくは無かったんだ。仲良しクラブで和気藹々の方が不自然。同じような、希薄な関係性の中で、何故だか一定以上俺寄りのスタンスでヴィンセントはいてくれて、俺に必要なものを与えてくれるのだったら、今のところはそれでいい。

 ヴィンセントが俺と一緒にいるのは、俺のことを好きだと思っているからかもしれないし、単なる贖罪活動の一環としてのボランティアなのかもしれない。どちらでもいいと思う。俺にとってマイナスになることではないから。

 そこまで考えられたからだろう、俺は、ティファと会うことを決めた。

 俺の、やや自棄の混じっていることは否定できない申し出に、ヴィンセントはかすかな躊躇いの色を見せたが、ならば早いほうがいいと、食後の煙草を一本だけ吸ったら、俺を車の助手席に載せて、近くにあるとは言えないティファの家……違う、俺とティファの、家へ、走らせた。

 外から見てみると。

 どうしてもその白い家に全く見覚えが無いのだ。

 開けて入った部屋の匂いに、鼻がひくひくする。違う匂いがするからだ。

 ティファは俺を見て、表情を薄めた。俺は、どういう顔をするべきか判らなくて、挨拶も出来ないまま、ただティファを見ていた。少し顔の形が変わったような気がする、それは、化粧の仕方を変えたからだろうか。ティファは専ら、ヴィンセントに向けて話す形で、俺たちをリビングに通した。こぎれいに纏められたリビングだけで、ヴィンセントのワンルーム並の広さを持つ。こんな立派な部屋を、どういう感覚で俺が買ったんだろう。

 ティファがお茶を持って来てくれる。ティファと、俺のと、ヴィンセント。……ティファと俺のカップが、揃いのもので。しかし、俺がそれに気付くのは話し始めて暫くしてからで、気付いても何かを思い出すには至らない。

「……さっき、と言っても昼前のことだが」

 ヴィンセントが切り出す。机の上には、俺が吸っていたからだろう、灰皿が置かれている。

「バレットがうちに来た。物凄い怒りようだった。……彼の気持ちも判るつもりだが」

 少しだけ、考えるように中空を見て。

「……私は、これからこの男の言うことを、とりあえず全面的に肯定してやるつもりでここに来た。せめて私くらい肯定してやらないと、誰もこの男を信じる者がいなくなってしまうからな」

 話せ、と言った。

 話を、はじめて数秒で、俺は煙草の必要を感じる。

「……この間は、すまなかった。電話を途中で切ってしまって。俺も、動転していたんだ。自分の身に起こった事が、そして自分の周りで起こった事が全部スルーされていまこうして在ることに。今だって、落ち着ききった訳じゃない。迷惑をかけてしまったことは、知っている。そして、俺がティファと結婚したってことも、知っている」

 煙草を一息。口の中がずいぶん乾くものだ。ティファのお茶を一口もらった。砂糖もミルクも入っているが、その量が半端でなく多く、甘ったるい。

「俺は……、正直に言って、何にも、何にも、覚えていないんだ。あの竜巻の迷宮で……黒マテリアを手に持った所までしか、俺は覚えていない。その後、どうしてしまったのか……。俺は……、セフィロスに、黒マテリアを渡してしまったのか、どうか……、それも」

「お前は黒マテリアを渡した。黒マテリアが渡ったことがきっかけでメテオが発動した。……お前は魔晄中毒症状になり、……まあ、一言で言えば植物人間状態となった。それを看病したのがティファだ。ティファの話、そして、お前の話に拠れば……、ライフストリームの中で分散しかけたお前の精神を再構築したのは、……精神世界においてはティファだったのだそうだ。……まあ、これは……正直なところ、ティファには申し訳ないと思うが私は、一切信じていない。ただ、私も医学を学んだわけではないから、そういう奇跡を信じてみたい気もする。

 退院したお前は再び私たちを仕切り、メテオから星を守らんと、神羅と、そしてセフィロスと戦い、大空洞……という場所が、まあ、あったのだが、そこでセフィロスに打克った。これがあの旅の顛末だ。

 旅が終り、お前はティファと結婚した。そして、つい先日まで、続いていた」

 ヴィンセントが、解説を入れた。全部、どれも、正直に、心から、初耳のことばかりだ。

「……そんなことがあったのか」

「覚えていないんだな?」

「一つも覚えていない」

「そうか。……この男はこういう風に言っているが、ティファ、信じられるか?」

 ティファは、強張った表情のまま、変わらない。

「では、一つ質問をしてみよう」

 ヴィンセントは和み様の無いこの場で、少しだけ微笑んだ。

「さっきバレットが来て……、私は、どうしたらこの男が記憶を本当に喪っていることを証明できるのか、考えた。そして……まあ、私のような人間の考えることだ、到底不十分だが、……一つの指標となりうるのではないかと思われる質問を考えてみた」

 二人で煙草を吸う。その本数が増えていく。部屋が白くなる。幻想的で、俺にはありがたかった。

 ティファは、白い顔で俺を見ている。

「クラウド。……お前は、何者だ?」

 唐突に、そう、聞いた。

「……なんだと?」

 ヴィンセントは同じ質問を繰り返す。

「クラウド。お前は、何者だ」

 俺は、笑いかけた。

「今は記憶喪失だ。……だけど、俺は元ソルジャーだ」

「これで、判っただろう」

 ヴィンセントはティファに言った。ティファは、白い、砂のような顔色で、俺をじっと見ている。

「この男は正気だ、そして、嘘はついていない。実際にティファ、お前と暮らした日々を、忘却しているのだ」

 どういう意味だ、とヴィンセントを睨んだ。

 ヴィンセントは微笑んだままで言い放つ。

「お前は元ソルジャーなどではない」

「何だと?」

「お前はソルジャーにはなれなかった。一介の神羅兵でしかなかった。それでいてソルジャーの剣を持ち、ソルジャーの知識を持っていたのは……ザックス=カーライルの存在があったからだ。そして、お前のその目が魔晄の色を成すのは、お前がかつて宝条の研究施設に収容され、そこで魔晄照射を受けたからだ。お前は純性のソルジャーではなく、偽造されたソルジャーに過ぎない」

 そうだよ。

 そうなんだよ。

 俺はよく判っている、知っているさ、そんなことは。

「嘘だ」

 だけど、

「そんなのは嘘だ」

 そうだよ、

「嘘をつくな」

 ……認めてはいけない。

「嘘ではない」

「嘘だ」

「他ならぬお前自身の口から語られたのだ。……あの剣はザックス=カーライルのもの、お前はソルジャーにはなれなかった……。私もティファも、お前から聞いたのだ」

 俺は、呆然と、……ただ、屈辱が、顔を赤くさせた。心が悲鳴を上げる。俺が壊れていく気がする。俺の肌にひびがはいって、内側からひどく醜く爛れた肉が覗くんじゃないのか――

「ティファ」

 ヴィンセントは、ティファに向き直る。

「この男が記憶を失ったのは本当のことだ。……だからこそ、この男は今、ああいう嘘をついた、平気な顔をしてな。判るだろう、このことの指す意味が」

 クラウド=ストライフは、ソルジャーには、なれなかった。乗り物に酔う、ただの特徴の無い少年兵だった。なぜ、……なぜ? 俺は、そんなことを言ったのか。……なぜ?

 隠していたのに。

 ――俺は、誰だ?――

 そうだよ確かにあの日、セフィロスとザックスと俺で……、ニブルヘイムに着いたあの日、俺は「いなかった」……? いや、いたんだよ。いたんだ、それは……確かだけど……、でも……。アア?

 ティファには、会わなかったんだよ。

 そうだ。ティファには会わなかった。だから……カームで俺は、あの村で起きたことを、話した。たった一つだけの虚構を交えて。それは、俺がティファに会ったという事。それはそして、少しも重要なことじゃないはずだった。俺が「ティファに会った」、その事実一つが、俺を真逆の姿に歪め、……そして、嘘を吐かして。

 一番危なかったのは、そうだ、あの時だ、カームの宿屋で、みんなに説明したときだ。ティファがあの場にいて、……だから、俺は必死だった。あの時俺が、村に居たんだってこと――兵士でもソルジャーでも同じだ、「いた」という事実に関しては――を証明するために、執拗に言葉を塗り重ねてべたべたべたべた立体感を持たせて。そしてティファ一人が疑問に思ったところでそれは、押し通せると思っていた。そうだ。

 あの瞬間俺の中に巣食った恐ろしい心。

 違うと言われたら、それこそ違うと俺は新しい事実を植え付けてでも、自分を守ろうと思ったんだ。俺は、ソルジャーで、セフィロスの隣りで、戦って、ニブルヘイムで、ティファが側にいて、……そうさ、俺は。

 自分を壊すのが恐ろしかったんだ。そうだよ、そうだよ、そうだよ。

「クラウド」

 ティファが俺の名を、呼んだ。その目は、神羅兵の俺を見る目だった。ソルジャーの俺を見る目じゃない。でもティファはソルジャーじゃない俺を好きになって結婚した? 意味が判らない、意味が判らない、意味が判らない。頭がもう回らない。

「何故だ?」

 俺はうめいた。

「……何故、それでいて、俺と結婚してくれたんだ、君は」

「それは……」

「俺に、どんな価値が、あったんだ」

「あなたは、素敵だったわ。仮にソルジャーでなかったとしても、わたしの目には、あなたは、クラウド……、たった一人の英雄だったから」

 違う、と俺は落ち着く為に煙草に火をつける。

「……ごめんよ、ティファ」

 俺は、目を瞑って、開く。充血した血管がぷちぷち切れてしまいそうに、目が痛い。

「覚えていなくて。そんなにも君に愛された俺は、幸せだったろう。……そうか、ソルジャーじゃないってことが、もうバレていたんだ。……ハハッ……馬鹿な芝居をしたものだと今少し思ったよ。君にさえ隠せていれば、あとは簡単な演技を続けていれば良かったんだ、俺は俺に失望しないで済んだのに。君さえ騙せれば、俺がソルジャーだってことを否定する奴は一人もいない、君だけ騙せればよかった。俺は、俺に、失望することなく、生きていけたのにさ」

 ソファに、背中を当てた。俺が俺の為にサイズが合うのを調べて買ってきたソファなんだろう、俺の背中に丁度フィットして、なんだかお仕着せのようで、気に入らない。

「じゃあ、失望ついでに言ってみようか」

 俺は、笑う。笑ってる。俺が笑ってる……これは、間違いなく仮面を外した俺の本当の笑顔なんだろう。誰にも見せたことの無かった、俺の本当の笑顔なんだ……そうだよ、クラウド=ストライフはこういう風に笑うのさ。

「俺はゲイなんだよ。君の知っている俺がどうだったかは知らない。君と幸せに暮らしていたんだったら、一般的な性嗜好の持ち主だったんだろうな。だけど、俺は……本当のクラウド=ストライフっていうのは、同性愛者なんだ。俺は今の今まで、君のことを恋愛対象として見たことは一度も無いし、今後も恐らく無いと思う。だから、自分勝手を承知で言う、ティファ、俺は君と今後、夫婦という関係で生き続けていくことは到底出来ない。俺だけじゃない、君にとっても不幸なことだ。俺と離婚してくれ。……こういうことを言ってしまえる俺に、俺はすごく失望する。だけれど、今俺は、本当に俺としてこういっている。だ

から、うん、俺はもうこれで構わないと思う」


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