僕
お前は暇人だよ、笑うブランクに、ジタンは歯ブラシケースを投げてやった。
「馬鹿言うな。俺はめちゃめちゃ忙しいんだぞ」
「何にだよ。せっかく、やんごとなき御身分になれるっていうのにさ、わーざわざ、田舎に引っ込もうってんだからさ。相当偏屈、で、相当暇人」
はん、とジタンは手を広げ肩を竦め、馬鹿にしたポーズ。ある程度の見た目の良さのせいで、そんな仕種が必要以上に憎たらしく思えるブランクだった。
「わかってないねえ…。俺はな、黒魔の村行って、朝から晩まで、いや、夜が明けるまでも含めて、ずーーーーーーーっと、ビビのこと可愛がるのに忙しいんだよ。シロートは引っ込んでるんだな」
別に玄人になりたくもねえや。ブランクは苦笑いし、ジタンの荷造りをぼーっと眺めているビビを、ひょいと抱き上げた。帽子の中の、見慣れた、顔はやっぱり可愛い。
いや、単純に可愛いというよりは、内包されているものによるのだろう。この胸が甘く痛む、この子の顔。
「ビビ、なあ、よかったなぁ。お前はジタンのこと、誰より一番覚えていられて」
「え……?」
「世界でいちばん好きな奴と、ずっと一緒に居られるんだぜ? もうお前、ビビ=トライバルに改名しちまえば?
ケッコンだよ、結婚……。ビビ可愛いから、良い奥さんになれんぜ」
結婚、奥さんという言葉に、ぼっと赤く染まった頬がまた可愛い。もうどうせ当分は出来ないのだから、その熱そうな頬に口付けた。
「っし、終わった終わった。準備出来たぞ」
「だってさ」
ブランクの胸の中から下ろされたビビは、反射的に帽子のズレを直す。
例の仕種。
「じゃあ、ビビ、行こうか?」
差し出した手の平に、小さな手を入れて、もうはぐれないように。
「……遊びに行っても邪魔者扱いするんじゃねーぞ」
鼻頭に拳骨を押し当てて、ブランクは笑いながら言った。自分は敗者である、敗者は素直に、負けを認めよう。そして新しい幸せを心から祝福しよう。同時に二人にふられても、二人がこの上ないほど幸せな笑みを浮かべていれば、腹も立たない。一緒に笑ったほうが、幸せになれる。
ただ、自分の想いは自分で、抱いていけばいいんだ。288号がしたように。ク
ジャがしたように。
「いいのっ? ジタン、もう行っちゃうよっ」
ぴょこぴょこと弾んで急かすエーコに、ガーネットは困ったように笑うだけだった。先は見えていた。
命を賭してジタンを守ったブランクとビビに、自分はどうやって太刀打ち出来ただろう?
「そんなカッコつけなくても、いいんじゃないか?」
いっぱしの口を聞く黒魔道士の少年は、トン、と杖を一つ突く。
「あいつらだって、相当こたえてるんだぜきっと。それに君だって…」
「ビビ」
ドレスの裾を、邪魔だと思ったのは随分昔のことなのに、それが昨日のことのように思えるほど、時間は早く過ぎ、こんな風に、思い描きもしなかった未来の上を歩いている。スマートにしゃがんで、物言いたげな少年に、微笑んだ。
「ダガー……」
焦れていたエーコだったが、再び立ち上がったガーネットに、もうそれ以上歩を進める気配がない事をはっきりと感じ取って、あ〜あ、と諦めの溜め息を吐いた。
「……会いに行きたければ、行けば良いの」
チョコボから振り落とされないように、必死の思いで腰にしがみついているであろう、小さな姿を想像するのは、難儀でも何でもない。寧ろ、極上の絵画を見たときのような、幸せなイメージの方が先立つのだった。
「ケーキ焼けたアルよ」
のそり、とドアの隙間から巨体が覗く、その足元、同じように覗き込むのは、とんがり帽子にエプロン姿。ゆっくりと立ち上がり、
「行きましょうか、エーコ」
端から見れば強がっていると見られるかもしれない。しかし、自分らしいメッセージの篭ったすがすがしい「未来」を歩いていることに、今は満足している。
半年前着ていたパジャマのズボンのサイズが違っている。
「あれぇ……?」
ジタンが首を傾げる。上着のボタンも下まで閉じて気が付いた。その袖の長さも。
「ビビ、ひょっとして……」
良い夢が見られるからか、それともかぶっていないと落着かないのか、普段かぶっているものと同じように、先っぽから力無く折れているナイトキャップを被り、既にセミダブルの中に滑り込んで睡眠態勢のビビの顔に、それまでとは確かに違う影を、ジタンは見ていた。この住み慣れた部屋の、飴色の照明のもとで、記憶と比べてみるまで気付かなかったのだ。
自分もベッドに入り、用心しながら、抱き寄せる。その身体の描くカーヴに添って、自分の身体も折り曲げてみる。
「大きくなってる……少しだけど、ビビ、お前、大きくなってるよ」
声に出してみてその事実に改めて驚いた。思わず半身を起こし、揺する。
「んん……」
既に夢の尻尾を追い始めていたらしい彼は、身じろぎひとつして、夢に縋り付く。ジタンは小さく笑い、その瑞々しい頬にくちづけた。細胞の蠢きが、柔らかな皮膚の下、感じられたような気がした。
それがなんだかとても、当たり前に思えた。
そう思わせること、それが当たり前であることが。
『僕』が君に贈る、最後のおくりもの。