消失地点
2010/12/16 Thu
m25
けれど、その笑みを思い起こすたび、グスタフは背筋が凍りつくほどの恐怖を思い出すのだ。
冷たい、オロチに近しい体温を有する手がグスタフの肌を這いまわり、長い舌は獲物を嬲るように味を確かめた。
グスタフの恐れも不快も苦痛も全てを丁寧に喰らい、うっそりと微笑む顔は常となんら変わることはない。
それが一層、恐ろしかった。
ありとあらゆる死を永劫続ける地獄の方がまだ明るいと思えるほど、恐ろしかったのだ。
「―――違う……ッ」
グスタフは否定を口にしながら頭を振った。
黒い髪が空気を孕み、パサパサと微かな音を奏でる。
視界は闇に慣れることはなく、間近に広がる自らの黒髪ですら捕らえられなかった。
「違う…ッ」
苦しむように歪んだ顔から、悲痛な呻き声が零れる。
その弱弱しささえ否定するように、グスタフは両手で顔を覆った。
血の気の失せた白い頬に、止まらない血が鮮やかな朱色を添えた。
「―――…祭祀様…ッ」
尊い風の名を呼びながら、グスタフは収まらない震えを渾身の力で抑え込んだ。
いつか、この恐れがグスタフを全て飲み込んでしまったら、グスタフはきっとゲーニッツの前に膝を着くだろう。
それは、それだけは許されないことなのだ。
ゲーニッツが一族の導き手だからではなく、ゲーニッツが恐ろしいという理由だけで膝を着けば、それはオロチが唾棄する人間と何ら変わらない。
一族を尊び、一族を導くゲーニッツを崇拝するグスタフにとって、それは決して犯してはならない禁忌。
グスタフがゲーニッツに傅くのは、ゲーニッツが一族の導き手だからという理由だけでなければならない。
魂に刻んだ使命が、今生の恐怖に負けてはならないのだ。
ゲーニッツに対する恐怖に飲まれた瞬間に、グスタフは一族としての存在意義も、今まで誇り、頼みにしていた自己さえも破壊される。
それが、何より恐ろしいのだ。
今まで疑うことすらしなかった世界が、目に見える範囲から瓦解していくのを見るようで、堪らない焦燥を募らせる。
グスタフは震える手で、まるで身を守るように痩躯を抱きしめた。
月光を覆い隠すように吹いた強い風が窓を鳴らし、闇に埋もれる影が小さく震えた。
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