消失地点
2010/12/16 Thu
m25
グスタフは闇を揺らさないように、身体に必要以上の負荷が掛からないように、ゆっくりと振り返る。
明らかな怯えを孕み、頼りなく揺れている瞳は逸らされ、ゲーニッツの視線と交わることはなかった。
忠誠心溢れる部下の珍しい反応に、ゲーニッツは低く笑ってから再び口を開いた。
「この冬は、当分寒い日が続くそうですね」
「―――――ッ」
続けられた言葉は、事実上の死刑宣告で、グスタフは切れ長の瞳を一杯に見開いた。
その言葉は、『次』を仄めかす響きを持っていた。
一夜の戯れだと、二度はないのだと震える身体に言い聞かせていた内心を悟られたようで、グスタフは思わず視線をゲーニッツへと向ける。
縋るような視線の先で、ゲーニッツは微笑んでいた。一分の隙もなく、常と同じような、穏やかで静かな笑み。
その中で、龍蛇の瞳だけは爛々とした輝きに満ち、グスタフの苦悩も苦痛も全てを見透かすようだった。
ゲーニッツがこの戯れを一夜だけにする気はないのだと気づいたグスタフは、何も言えずに口を噤んだ。
グスタフは不敬だと理解していながら、就寝の挨拶すら紡げずにただ頭を下げて姿を闇に溶かした。
気配を殺し、音もなく寝室から辞しても、ゲーニッツの視線が身体を這い回っている感覚が収まる気配はない。
そして、その夜から深夜の夢は悪夢へと変わった。
甦る記憶に耐え切れず、手の甲を唇へと当てた。
けれど、皮膚同士が合わさる感触に頭が割れるように痛み、刹那の間でその手を力任せに払う。
暗闇の中で、払った手がサイドボードに乗せていた水差しに当たり、硝子が砕ける音が深夜を切り裂いた。
「…は、ぁ…ッ…」
手の甲がじくじくと、熱を孕むように痛む。
切ってしまったのだという自覚以上に、手から広がる血臭と、サイドボードから滴る水音がグスタフの正気を蝕んだ。
自分の荒い呼吸音でさえ、思い出したくもない陵辱を思い出す呼び水でしかなかった。
長い間、良き隣人であり、眷属であった闇が、今はこんなにも恐ろしい。
否、グスタフにとって恐ろしいのは、闇ではなく、むしろ――――
「……違う」
グスタフの脳裏に、愉しげに龍蛇の瞳を和ませるゲーニッツの顔が浮かんだ。
その笑みは本当に楽しそうで、穏やかであるとさえ思えた。
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