新 し い 朝

  「ごちそうさま」  二人で手を合わせる。 「ひなた、おいしかったよ、最後の晩餐」  皿を片付けながらわたしは言う。 「何、縁起でもないなぁ。まひる、先にお風呂に入っちゃって。歯磨きしたらちゃんとバッグにし まっておくように。転校初日なんだから、朝、慌てて香澄さんや美奈萌さんに迷惑かけたら駄目だよ」 「はーい。ひなたはしっかり者だなぁ、きっといいお母さんになれるよ」  むっとして、わたしは後ろを向いて言い返す。 「そこ、普通『いいお嫁さん』でしょ」  思わず言い返したけれど返事が無い。浴室に行ってしまったらしい。  皿を洗い、よく拭いてから片付けていく。湿気を残さないように。この部屋はしばらく無人になる のだから……。 「おっ先ぃ!」 「……」  わたしが物思いにふける間もなく、能天気な声でまひるがお風呂から上がってきた。           * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ―――さしてすることも無く、明日も早いので、もう寝ることにする。頭と頭を突き合わせソファに 毛布で寝るのもすっかり慣れた。結局布団をこの部屋に入れることはなかったんだな…ふと思う。 「おやすみ、ひなた」 「おやすみ」 「…………」 「…………」 「あのさ、まひる」  我慢できずに話し掛ける。少し驚いた気配が伝わる。 「何、何」  嬉しそうなまひる。そんな様子についとまどい、素っ気無い口調になる。 「さっき、『ひなたはいいお母さんになれる』って言ったでしょ」 「うん、うん」 「何で『いいお嫁さん』じゃないわけ」  よく考えたら、何こだわってるんだ、わたし。『やっぱりどうでもいい』そんな風に言おうと する前に、明るい声でまひるが答える。 「それはもう、クリアしてるから」 「え?」 「あたしね、お嫁さんてさ、まぁ、お食事やお洗濯やお掃除や…そんなのもお仕事だとは思うん だけど、一番大事なものって……………」 「寝てない?」 「そんなことないって、んー、引き上げることだと思うんだ」 「は?」 「誰だってさ、ましてや外でいろんな人に会って働く男の人って、きっと、つらくなったり、 へこたれたりしてさ、沈んでっちゃう事ってあると思うのよ」 「うん」 「そんな時に自然にさ、当り前に元気付けてあげられるのって大事だと思うんだ」  一寸間があく。言葉に思いを込めるようにまひるが口を開く。 「ひなたは、あたしにそうしてくれたんだよ」 「そんな事―――してない」 「してくれたよ!自分では気づいてないだろうけど」  ガサ、わたしの顔をまひるが上から覗き込む。  こんなに近い距離に――心も身体も――二人がいるのはあの日以来かもしれない。  あの日、まひるに助けられた、まひるは覚えてないけど。そして誰も知らない、あの日から始 まった、そして今も続くわたしの想い。 「それなら、まひるだって」 「あたしは、そもそも男だか女だかも怪しいからなぁ」 「まひるだって!―――蓼食う虫も好き好きって言うしさ」 「はは、ナイスフォロー、かぁ?」  素直になれない自分にわたしはそっと舌打ちした。 「そういえば不思議でさぁ」  まひるは、つと離れるとうつぶせになって話を続ける。 「あたしってば結構、しょっ中ドジったり、バカやったり、インパクトのある事してる割には 昔の記憶とか曖昧なところがあって―――まぁ、鳥頭なだけかも知んないけど」  突っ込まれる前に自分で言う、まひる。 「でも、そんなこぼれ落ちた自分のかけらをひなたが全部拾い集めてさ、守ってくれてる様な 気がするんだよね」  一寸詰まりながらも何とか返答する。なるべく素っ気無いいつもの口調に聞こえるように。 「わたしが生まれる前のことは知らないよ」 「そりゃ、そうか……ねぇひなた、何か話さない?」 「別にいいけど」  無愛想に答えながらも、わたしはうつぶせになり、まひると向かい合った。 「んー、それじゃあさ」  それから、わたしたちは他愛の無いおしゃべりを続けた。今までよそよそしく感じさせた二 人の溝を埋めるように。でも、本当にわたしの伝えたかったことは何も言えないままで。             * * * * * * * * * * * * * * * * * 「んにゃーねむいー」  案の定、寝不足のまひるは半分溶けたような顔で、みんなの前に現れる。いるのは一緒に女 学院に通うことになっている香澄さんと美奈萌さん。それと何となく見送りにきたという透さん。 「もう、初日だってのに何、その顔は。夜更かししてたの?」 「ちぃーっす、美奈萌。朝まで別れを惜しんでひなたと生トークしてたのさ」 「そっか」  ぽつんと呟く、香澄さん。  わざとか天然か、明るい声で透さんが言う。 「いやー、でも寂しくなるなぁスチャラカ三人組がいなくなると」 「…誰がスチャラカだぁ…」 「まひるの事でしょ」 「あんただ、あんた」  寝ぼけて力の入らないまひるの反論に、するどくつっこむ二人。スチャラカかはともかく、 いい三人組であることは間違いない。  わたしは二人に向かって丁寧にお辞儀をして言った。 「いたらぬ…まひるですが、よろしく面倒を見てやってください」 「あー、そんな気にしないで」 「自分で言うな―――まひる、そう言えば、今度はいつ帰省するの?」  困ったように少し眉をしかめてまひるは言う。 「あー、それね」 「もしかして帰らないの?実家に」 「んー、この部屋も借りといてくれるみたいだし、ほら、一人ってのも気楽だし、ハハ、あ、 そろそろ駅行った方がいいのかな…ふぁー…」  寂しがりの癖にまひるは強がる。でも、帰ってきなよ、とわたしは言えない。父さん、母さん、 まひるとのギクシャクした関係を見たくなんか無かったから。 「一寸、まひる寝ないでよ」 「しょうがない二人で運ぼう、美奈萌」 「まったく。あ、じゃあ、ひなたちゃん、透、行くね」 「またね、ひなたちゃん、透」  言いにくいことを言って、気が抜けてふにゃふにゃになったまひるを、香澄さんと美奈萌さん が両側から持ち上げ、連行していく。  それはそのまま三角関係の図だ。まひるはどっちを選ぶんだろう。あの屈託の無い笑顔を独り 占めにするのは誰なんだろう。 ―――わたしじゃないんだ。まひるにとって、わたしはただの妹なんだから。事実は違っている にせよ。 「お互い取り残されちゃったね」  話し掛けられて、わたしの物思いは中断される。その言葉をはぐらかすようにわたしは言う。 「あの、まひるが寮生活なんて不安で。いくら三人一緒の部屋っていっても、あ、でも透さんも 女学院にもぐりこもうとしてたとか?」  多分、まひるの冗談だろうけど、そう思いながら訊いてみる。  まじめに透さんは答える。 「あー、いろいろ八方手を尽くして、手続きをしてみたんだが」 「無茶だ」 「学校側の転入日確認の電話を、親がとってばれてアウトだ」 「そこまでやったんかい」  ついつっこんでしまった―――それにしても、香澄さんや美奈萌さん、透さん、三人とも…。 「あたしには真似できないや」 「いや、そんなことは無いよ。学力審査さえとおれば、後はどうにでもしてあげる」 「そうじゃなくて―――みんな、まひるに真っ直ぐだなぁって」  冗談めかしてると思われるように、無理して笑いながら言う。  透さんが腰をかがめ、わたしの顔を覗き込んできく。 「ひなたちゃんは―――あきらめちゃうの?」 「え?」 「きょうだいじゃないんでしょ?本当は」 「何でそれを―――」  頭が真っ白になる。何で透さんが?まさかまひるも…  出し抜けに透さんが頭を下げる。 「ごめん、かまかけた」 「あ、ハハ、やられた。えと、何で分かったんですか」 「見てたら分かる―――まひるのこと大好きな人たちのことは―――あきらめちゃうの?」  トクン、と自分の鼓動が聞こえ、わたしの足は走り出す。駅に向かって、と、急ブレーキ、 振り返って、透さんに言う。 「ごめんなさい、わたし、まひるに忘れ物!」  透さんが手をあげる。ついでに訊いてみる。 「どうして、ライバル増やすような事してくれたんですか?」  にっと笑って答える。 「香澄と美奈萌は手強そうだからさ、かく乱作戦しようと思ってね。ひなたちゃん、グッド ラック!」  わたしも親指を立てて、ウインクして返す。 「グッドラック!」       * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  間に合うかどうかも、何を伝えたいのかも分からないまま、わたしは走る。  駅に着き、ポケットの小銭でどうにか改札を潜り抜ける。ホームにつくとまひるの背中、 電車に乗り込もうとする………わたしは叫ぶ、思いのありったけをこめて。 「まひる……まひるっ!」  プシュー。扉が閉まる。ホームにはまひる。香澄さんと、美奈萌さんを乗せたまま、電 車が走っていく。 「いっちゃったか、ま、どうにかなるでしょ。どうしたのひなた」 「まひる!」  駆け寄っていく、少し二人の間に距離を置いて、立ち止まる。 「どうしたの、あたし何か忘れ物した?」 「お布団、お部屋に入れとくから!」 「え?」 「やっぱり考えてなかった。あのままずっとソファで寝るつもりだったの?」 「ありがと」  照れたように鼻の頭をかくまひるに、わたしは続ける。 「わたしの分も置いとくからね」 「え?」 「帰ってくる時はちゃんと電話するんだよ。独りぼっちになんか、もう、させないんだから」 「ありがと」  そう言って、まひるはわたしの方に一歩近づいて言った。 「ひなた―――いっぺんしてみたい事があったんだ、いいかな」  あっと思う間もなくまひるはわたしの側により、そして、ぎゅうっと抱きしめた。それか ら頭を撫ぜながら。 「どうだぁ、まるで仲のいいきょうだいみたいだろー」  まひるが嬉しそうに言った。 「しょうがないなー」  わたしは目を閉じ、笑みを浮かべた。 ――それから、しばらくして次の列車が駅に着く。まひるは何の憂いも無いような笑顔で言う。 「いってきまーす」  わたしも精一杯の笑顔で言ってみせる。 「いってらっしゃい」  今度はもっともっと素敵な『おかえりなさい』が言えるように。           お わ り

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