あなたとなら

 わが同胞の攻撃は実に凶悪で、死ぬのかなって思うよりも前に、自分の身体の大半は消滅していた。  もうどうしようもない逆らう術など無い状況で、死んでもいいやってあきらめて、でもそれと同じ くらいの比重で死にたくないって強く思う。  だって香澄の声が聞こえたから。 『生きて』と。  それで気づいたらこうして街中を歩いていた。裸足でペタペタと。それだけでも目立つはずなのに誰 もあたしを気にかけない。  近寄っていったら、皆は自然とあたしを避ける。 「ふむ、じゃあこうしたら」  すれ違う女の人の腕を一寸掴んでみる。 「きゃっ! ……ってあれ?」 「どうした?」  彼女と一緒に歩いてた男の人が声を掛ける。 「いや、気のせいみたい」  眉をしかめ首を傾げると、それでもただ歩き去っていく。  こうやって足を使って歩いて、誰かと顔を合わせたって相手はそれに気づかない。それじゃわざわざ 道を歩く必要もないか。そう思ったら体がふわりと宙を浮いた。 「ははは、便利! って……」  わらってもひとり、だなぁ。浮かびながら呆れるほど青い空を見上げる。  あのまま肉体を維持するのはコストが掛かりすぎると本能で判断されたのだろう。   生き物としてのコストを引き換えにあたしが手に入れたのはその程度の物。身体を捨てて魂のような ものだけかろうじてここにある存在。 「じゃ、あたしは幽霊か?」  ううん。自問しておきながら心の中で即否定する。  だって生きてって願いでここにいるんだから、幽霊じゃ香澄の言葉を裏切った事になる。  ふわりふわりと移動していく。自然と身体が向かうのはかつて自分が暮らしていたマンション。  けど、行ってどうしよう。行った所で空き室だったり他の人が暮らしていたりするんじゃないだろうか。  街の風景が変わっていた。少なくとも季節があたしの最後の記憶とずれてる。つまり、時間がそれだけ 経っているという事。  あの角を曲がれば自分の家が見えるはず。だけど。  折角ここまで来たのに。それでもやっぱり怖い?   うん。この自問にもやっぱり即答。  でも行こう。そこだけが今のあたしのこの世界のよりどころなのだから。  ベランダ側から回り込む。ベランダに干してあるのは……あたしの家の絨毯だ。中を覗いてみる。  部屋は綺麗だった。家具も配置も――といっても大したものはないけど――確かにあたしの暮らして たまま。  誰か掃除してくれてるのか。両親はこの部屋のお金を払ってくれてて、私が暮らしてきた痕跡はその ままにしておいてくれている。ん、まぁ片づけるのとかがめんどいだけかもしれないけど。  掃除はひなたがしてるのかな、って思ってたら部屋の奥から出てきたのは。 「あ……」  思わず小さく声を上げる。姿を現したのは香澄だった。 「今日もいい天気ね」  そんな呟きを漏らしながら、干してあったミニ絨毯や布団のホコリを払って、部屋に取り込む。  ぼんやり様子を見ていたら香澄はもう一度ベランダに出てきた。  ふぅとため息一つついて空を見上げる。 「まひる?」  不意の問いかけ。見えてる、の? まさか! 「香澄!」  あたしは思わず大声を出したけど。  香澄は俯いて首を横に振った。  独り言か、そうだよね、見えてるはずない。 「見えてないんだよね。声だって届かないんだよね」  あたしは何のために命を望んだんだろ。ここに留まりたいと思ったんだろ。  もう、いいや。もう、行こう、ここから飛び去ろう。  どこにも行きたくないけど、ここにはもういられない。  どこに行くあてもないけど、どこにだって行けるから。  別れの言葉を紡ごうとして口を開いたけど、返事がないのが寂しいからただ笑顔だけを向ける。とっときの 笑顔。  それから香澄に背を向ける。まずは太陽へ向かおう。今は住み慣れた街の風景は見たくないから……。 「さよなら……」  ああ、やっぱりはあたしは馬鹿だ。さよならは言わないでおこうと思ったのに……。 「まひる!」  え、今の香澄。独り言じゃなくて?  振り返る。香澄と目が合った気がしたけど、それは気のせい? 「まひる!」  香澄がベランダの手すりをぎゅっと掴む、そのまま足をかけ、勢いをつけると空へ向かって身を。  わわっ! 何やってんの! 「香澄!」  反射的に伸ばした手が香澄の指先に触れる。  もう少し手を! そこからもう少し手を伸ばし、あたしの指は香澄の指にしっかり絡まる。  見えてなかったはずなのに。何でこんな真っ直ぐに躊躇いなくあたしの所に。 「やっぱり、まひる居たんだ。ここに」  弾んだ声で。引き寄せ合い、ぎゅっと抱きしめあう。香澄もその存在を透き通らせていく。きっと、もう 手を離しても大丈夫なくらいに、香澄があたしと同じ物になっていく。 「無茶はあたしの専売特許なのに」  ふーっ、わざとらしく溜息までついて見せたのに。 「ふふっ、そうそう、まひるの真似よ」  香澄はあたしに怒るどころか、こちらを笑みを含んだ眼差しで見つめる。  愛おしいものを見る目であたしを。  「まひる……本当に天使みたい」  そうかな、あたしはいつもの姿だったつもりなんだけど……あれ? 「本当だ、白い羽が生えてる。きっと見てる人が望む姿になってるんだね……香澄も綺麗だよ」  黒い髪が靡いて白い肌が一層際立って……。 「ありがとう……ってなんで私、全裸な訳!?」  そう、何故だろうなぁって……わざとらしいか。あたしは頭を掻きながら答える。 「あは、あたしが望んだからかなぁ」  香澄は真っ赤な顔で口をむぐぐとさせると拳を固めて声を上げる。 「そっちがその気ならこっちだって!」  ボム。体の周りに白い煙が取り巻いたと思うと、次の瞬間には服が消え失せ、うわっあたしの貧相な身体が 衆目に……いや、見えてはいないのか、けど。  自分の身体を両手で必死に隠しながら涙目で訴える。 「痴女! ムッツリーニャ!」 「あんたが先にしたんだろうがっ!」  何だろう、この異常な事態に、このいつもと変わりないノリは。二人顔を見合わせて笑う。  それから衣装替え。すり合わせた訳でもないのに。二人とも白いひらひらのドレスワンピース。 あたしの方が少しフリルが多めの。それで背中には二人とも白い翼。 「まひる、これからどうする、二人でどこに行こうか」 「このまち自慢の穂積タワー見に行きたいな。あたし、まだ行った事なかったんだ」 「ちょっ、範囲狭いな」 「それから皆に挨拶していきたいな。見えなくてもいいから」  もう皆に見えなくてもわかってもらえなくても怖くない。 「うん、そうね。一緒に行こう。それから?」 「それからは……それからの事」 「……ん」  ……きっとあなたとなら、ずっと、こうやって旅を出来るから。

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