ピピピッピピピッピピピッ
静寂を破るかのように目覚ましのアラーム音がけたたましく鳴り響く。
「ううん……」
手を伸ばしてアラーム音を止めると、素早く2つ目の目覚ましのアラームも解除した。
そして、片方の目覚まし時計を手に取って、時刻を確認する。
午前6時。
いつものように一日の活動を開始する時間だ。
「……ふぅ……」
俺は大きくため息をつくと、時計を元の位置へと戻した。
ムクリと起き上がり、カーテンを開ける。
眩しい朝の斜陽が差し込んで、目に染みるようなすっきりとした青空が目にはいる。
窓を開けると新鮮な空気が吹き込んできて、少しだけすがすがしい気分になった。
「……結局眠れなかったな……」
俺は頭をポリポリかきながら大きく欠伸をした。
いつもと変わらぬ平凡な日常。
今日もそんな一日になる……はずだった。
そう……今日が百合先輩の誕生日だということを知るまでは……
沙夜姫先輩……教えるんだったらもうちょっと早く教えろよな……
俺は昨夜突然尋ねてきた珍客に、恨み節を呟かずにはいられなかった。
あれは……俺が風呂から上がってベッドに入り込んだ……そう、ちょうど日付が変わるか変わらないかというくらいの時分だった。
突然玄関のチャイムがけたたましく鳴り響き、何事かと思って慌ててでると、そこにいたのは他でもない、沙夜姫先輩だったのだ。
沙夜姫先輩は俺とは違う高校に通ってるのに、何故か俺に興味を持ってくれている。そして時々、情報を持ってきてくれたりするのだ。
ただその情報が時には騒動を引き起こすこともあったり、嘘情報(本人いわく勘違いしちゃっただけというのだが、アレは絶対面白がってやってるはずだ)を吹き込んできたりと、なかなか一筋縄ではいかない。
そんな沙夜姫先輩が玄関の戸を開けると目の前に立っていたのだ。
一体どうやって俺の家を調べたのかはわからないが、沙夜姫先輩のことだ。きっと何かとんでもない手段を使って突き止めたに違いない。
例えば俺をストーキングしたとか、芹里香の口を割らせたとか。
このこと自体はあまり驚くことではなかったが、それでも深夜の来訪というのには、夜討ちをされたみたいで、いささか面食らわずにはいられなかった。
そして沙夜姫先輩は開口一番、「重要な情報を持ってきてあげたわよ。感謝しなさいよね」と言って、今日が百合先輩の誕生日だということを教えてくれたのである。
何故沙夜姫先輩がそれを俺に教えてくれたのか。その真意を問いただそうとしたが、残念ながら沙夜姫先輩はその情報を伝えると、すぐに満月に照らされた夜道を走り去っていってしまった。
俺はしばらく呆然としていたが、やがて家の中に入り自分の部屋へ戻ると、ベッドに入りそのことについて考えた。
何故沙夜姫先輩は俺にそんなことを教えてくれたんだろう?
そもそも、何故こんな時間になって突然訪ねて来たりしたのだろう?
それほどまでにして俺に伝えたかったから?
それとも、ただ単に俺を困らせるため?
電話で済むことを直接俺に話して困る顔を見たかったから?
百合先輩は沙夜姫先輩と大の仲良しで、ベンチに腰掛け本を読む姿がとてもよく似合う、まさにお嬢様と形容するに相応しい女子生徒だ。
ただ、ちょっと変わっているところがあって、時々突拍子もない行動をとるところがある。
そこがまたかわいいんだけど。
その百合先輩の誕生日を、何で俺に伝える必要があるんだ?
百合先輩と俺の関係は、先輩と後輩、ただそれだけじゃないか。
ひょっとして、恋人同士とでも思ってるのかな?
そんなことありっこないのに。
……でも……はたして本当にそうだろうか?
もし百合先輩が、俺に好意を持ってくれてるとしたら……
百合先輩の笑顔が、俺だけに向けられてるとしたら……
百合先輩……
百合先輩って、どんな物をあげれば喜ぶのかな……?
そういえば俺……百合先輩のことってあんまりよく知らないんだよな……
なんせ誕生日だって知らなかったくらいだし。
一体百合先輩に、どんなことをしてあげたら喜んでもらえるのだろう?
うーん……まったく思い浮かばん。
自分で考えてダメなら、誰かに聞いてみるか……
俺の脳裏に、数人の少女の顔が思い浮かぶ。
同じ新聞部の八木崎、年下だけど頼りになりそうなかりんちゃん、さっき情報を持ってきてくれた沙夜姫先輩、従妹でとても口うるさくおしゃまな芹里香。
一体誰に相談したらいいだろうか……
八木崎はどうだろう?
百合先輩の情報をそれなりに持ってるようなこと言ってたし、百合先輩が喜びそうなものを知ってるかも。八木崎だったら……
……ダメだ。
あいつに聞いたら『くだらない』って見下されるか、『見返り』と称して一生タカられそうだ。
かりんちゃんはどうだろう?
百合先輩をとっても慕っているし、クラスも学年も違うが、百合先輩のことについてそれなりに詳しいはずだ。かりんちゃんだったら……
……ダメだな。
それじゃあ一緒にお祝いしましょうと言い出しかねないし、やきもちを焼かれて泣き出すかもしれない。
沙夜姫先輩はどうだろう?
百合先輩とは親友同士だし、互いのことをよく知っている。なんたって百合先輩の誕生日を知ってるくらいだから、データは豊富に持ってるはずだ。沙夜姫先輩だったら……
……論外だな。
沙夜姫先輩は絶対何かを企んでるはずだ。仮に相談に乗ってくれたとしても、『ギブアンドテークよ』とか言って法外な報酬を要求してくるだろうし、面白半分で嘘情報を吹き込んでくるかもしれない。
芹里香はどうだろう?
世話好きだから、女の子の喜びそうなものを知ってるはずだ。芹里香だったら……
……ダメだダメだダメだ〜!!
聞いた途端逆ギレされ、挙句の果てに泣き叫ばれるか半殺しにされかねないじゃないか!!
うーむ……いったいどうしたら……
……そうだ!!梢がいるじゃないか!!
俺の脳裏に、のほほんとした幼馴染の少女の顔が思い浮かびあがる。
梢だったらそれなりにまともだし、幼馴染のよしみで何か言い助言をしてくれるかもしれない。
でも……梢、時々抜けてるところがあるからなぁ。
このまえも『何か変わった昼食が食べたいな』って言ったら、すき焼きセット一式を用意したくらいだし……
まぁ、あの時は百合先輩や合歓も交えて屋上で鍋パーティーになったから、あれはあれでよかったんだが……
またとんでもない奇抜なアイデアを出されたらどうしよう……
うーむ……やはり自分で考えるのが一番ベストなのか……
そして俺は、そのまま眠れずに百合先輩のことだけを考え続けた。
瞼を閉じても、百合先輩の笑顔が浮かんでくる。
どうやったら百合先輩が喜んでくれるか……
どんなことをしたら百合先輩が微笑んでくれるか……
俺はそのことだけを考え続けた。
そしていつしか、目覚ましのアラームがなったのである。
結局一晩使っても考えがまとまらなかった。
まいったなぁ……
俺は窓を閉めると、着替えて下へと降りて行った。
考える時間はまだたっぷりとある。
こーゆー時こそ落ち着かねば。
俺はトーストをトースターへセットし、冷蔵庫から牛乳を取り出しコップへ注いでテーブルに置くと、椅子に腰掛けた。
ふと、見慣れない瓶がテーブルの一角に置かれているのが目に留まった。
「……なんだこれ?」
俺は手を伸ばしてその瓶を手に取った。
中にはドロドロになったワインレッド色の物体が入っており、貼られたラベルには、黒マジックの丸文字で『苺ジャム』と書かれてある。
「苺ジャム……こんなもん買ったかなぁ?」
俺は首をかしげながら、その瓶を再びもとの位置へと戻した。
最近物忘れが激しいせいか、こーゆーことが多々ある。
まるで覚えのないものが、平気でそこに存在してたり、身に覚えのないことを体験していたり。
まぁ、ここにあるということは、俺が買ったか芹里香が作って持ってきてくれたのだろう。
芹里香はジャムを作るのが大好きだからな。
苺ジャム……か……
縁起を担ぐって意味で、今日はこれを塗って食べるとするか。
ファーストキスは苺の味って誰かが言ってた様な気がするし……って、俺は何を考えてるんだ!? いかんいかん……百合先輩のプレゼントを考えないと……
ファーストキスをプレゼント、何てことしたらそれこそ嫌われそうだし……うーむ……
チーン 思考が停止したところでタイミングよくトーストが焼きあがる。
「おっ、焼けた焼けた」
俺はジャムの瓶を取って、蓋を開けた。
ふわっとした甘い香りが鼻をつく。
そして、香ばしい薫りを放つこんがりきつね色に焼けたトーストに、苺ジャムをたっぷりと塗りたくった。
苺ジャムはとても甘く、微妙に酸っぱさと苦味が混じっている。
そういえば……誰かが『初恋は甘酸っぱいもの』っていってたよな……
これが初恋ってヤツの味なのか?
俺はそんなことを考えながらぺろりと2枚のトーストを平らげた。
「ふぅ……食った食った」
俺は牛乳を飲み干すと、時刻を確認した。
まだ多少の余裕はある。
朝からこんな甘い食事を取ることになろうとは自分でも想像していないことだったが、なんだかホッとした気分になったような気がした。
朝食を終えた俺は歯を磨くと、リビングに行ってテレビをつけた。
ちょうど占いのコーナーが映し出される。
「占いかぁ……こんなもんあてになるのかな……」
俺はそう思いつつも、心のどこかで引っかかる部分があり、そのまま消さずに見ていた。
「えーっと……おっ。1位か。なかなか今日は運勢がいいじゃないか。何々……ラッキーポイントは喫茶店で……ラッキーアイテムはリボン……?」
おいおい……なんだよそりゃ?
男の俺にリボンをつけろっていうのか?
やっぱり占いなんてあてにならないな。
リボンは女のつけるもんじゃねーか。
まったく……ん……まてよ?
リボンを百合先輩にプレゼントしてみたらどうだろうか?
リボンをつけて微笑む百合先輩……
すごくかわいいかも……
よし決めた!百合先輩へのプレゼントはリボンだ!
ちょうど、いい雰囲気の喫茶店も一件知ってるし。
本音を言うとあまり行きたくないんだが……まぁ、あそこなら百合先輩も喜んでくれるだろうきっと。
考えがまとまった俺は、テレビを消すと、学校に行くべく、カバンを持って持って家を出た。