「ふわぁ〜……ねみーなー……」
慎一は欠伸をしながら廊下を歩いていた。
1時限目が始まるまで、まだ十分すぎるほど時間がある。
この日、慎一は珍しく早起きをした。
そして、折角早起きをしたということで、たまには早く学校へ行ってみようと思いたち、聖丘学園に来たのだが。
彼はその考えが甘すぎたということを、今現在十分すぎるほど痛感していた。
何故なら、何もやることがないのだ。
部活に入っていない慎一は、遅起きすることは特権と言ってもいい。
なので普段やりなれていないことをすると、途端に暇を持て余してしまう。
「慣れないことはするもんじゃないな……」
慎一は自虐的にボソッと呟いた。
だったら折角学校に早く来たので、今日の授業の予習等でもすればいいという話もあるが、生憎と慎一の頭はそんなに便利にはできておらず、すぐに飽きてしまうか眠ってしまのうがオチだ。
しかし、平和であることに越したことはない。平和は何事にも変えがたいものなのだから。
「あっ!!先輩!!いいところに!!」
そこへ、確実に平和をぶち壊すであろう、かわいらしい声が聞こえてくる。
「……………………」
慎一は無言のまま歩を早めた。わざわざ自ら災難にかかわることはない。
「ちょっとちょっと!!あたしの声が聞こえないの!?先輩、そんなに耳遠くないでしょ!!」
しかし声の主はだんだんと近づいてくる。
「……………………」
それでも慎一は、振り返る足早に教室へと向かった。
「ねぇ先輩!!無視しないでよ!!ねぇってばぁ!!」
直も執拗にその声の主は慎一に食い下がる。
「いいもん!無視するならあたしにだって考えがあるんだから!!えいっ!!」
そして声の主は、強硬手段に打って出た。慎一に近づくと、背後からギュッと慎一を抱きしめ、捕まえる。
「うわっ!?」
突然の行動に、慎一は驚きの声を上げた。
「つーかまえた」
そんな慎一などお構い無しに、声の主はのんびりした声を出す。
「な、何するんだ恵理子!?」
背中に柔らかい膨らみを感じ、ドキドキしながら慎一はその少女の名前を叫んだ。
「だーって先輩、あたしのこと無視するんだもーん」
「わかったわかったから。無視しないから離れてくれ」
「ヤダもん。だって放したら、先輩逃げちゃうじゃない」
「逃げないから。絶対に」
「本当に?」
「本当だって」
「それじゃあ、放してあげる」
恵理子はそう言うと、慎一から離れた。
「まったく、いきなり何てことするんだ」
未だに心臓が高鳴り、下半身に血流が集中して股間に力がこもりそうなのを必死に抑えながら、慎一は恵理子に抗議する。
「だって先輩がいけないんだもん。あたしのこと無視しようとするから」
「いいじゃねえか別に。最近、お前にかかわって酷い目に遭ってばかりいるんだから」
「それはあたしだって同じだよー。おかげで、最近生傷が絶えなくって」
恵理子はわざとらしく、腕をまくってフーフーと息を吹きかける。
「自業自得だろ?だから俺を巻き込むな」
「まあまあ。ところで、先輩にいい話があるんだけど……」
「お断り。俺は忙しいんだ」
慎一は即座に拒否の反応を示した。
恵理子の言ういい話は、大抵商売に直結していて、結果としてつばめを怒らせて、自分に痣が増えることになる。
流石に今度という今度ばかりは、付き合ってられない。
「いいの?」
すると恵理子はニヤニヤと意味深な笑顔を浮かべながら慎一の前に立ちふさがった。
「実は、先輩に用があるとかで、つばめを待たせてあるんだけど……そっかそっか。行きたくないんだ?じゃあ、あたしが断りの……」
「ま、待て!!」
慎一は慌てて恵理子の両腕をガシッと掴んだ。
「その話、本当か!?」
「い、痛っ!!痛いってばぁ!!」
「あ、ゴメンゴメン」
慎一は慌てて手を離すと、念を入れるように尋ねる。
「本当に、つばめが待っているのか?」
「本当だよ。先輩にいつも迷惑かけちゃってるから、たまには先輩の役に立つこともしないとね」
「そうか……」
慎一の表情がだんだんとほころんでいく。
持つべきものは後輩だと、心の中で慎一は恵理子に感謝の言葉を述べずにはいられなかった。
「で、つばめはどこで待ってるんだ!?」
「ついてきて」
恵理子は慎一を先導するかのようにゆっくりと歩いていく。
慎一は妄想にふけりながら、恵理子の後を黙ってついていった。
つばめも照れ屋だな……何も恵理子をつかわなくったっていいのに……
ひょっとして……あんなことやこんな展開が待っていたりするのか!?
考えれば考えるほど、慎一の心の中で妄想が膨らんでいく。
やがて慎一は、禁断の地とも呼べる恵理子の店へとやってきた。