第5話
草吹コーヒー営業中

 耳を澄ませば蟋蟀(こおろぎ)の唄声が聞えてくる。
 目を移せば色付き始めた紅葉に彩られた街中を、楽しそうに赤とんぼが華麗なワルツを踊っている。
「もうすぐ冬かぁ……」
 百合はそんなことを思いながら校門をくぐった。
 校内はほとんど生徒の姿はなく、時折校庭から部活の練習にきている生徒達の掛け声が聞えてくる程度だ。
「やっぱり日曜日の学校って寂しいな」
 妹尾高校は門戸開放、地域密着をうたっているので日曜でも自由に出入りすることができる。しかし、生徒は日曜でも登校する際は制服の着用を義務付けられていた。当然、今の百合も制服姿だ。
 昇降口をくぐり下駄箱で靴をはきかえると、百合はそのまま図書室へと向かった。
というのも先日通から聞かされたキノコに関する話について少し興味をもち、調べてみようかと思ったからであった。
 幸いなことに今の季節も秋。味覚の宝庫で商店街の八百屋に行けば色とりどりのキノコが店頭に並んでいる。中には食べられるのかと疑ってしまいそうな怪しげな色をした物まで置いてあるから不思議だ。
 もちろん、こんなことを同居人のニーナが知ったら『未来の亭主に愛妻弁当をプレゼント?やるぅ〜♪』とでも言われるに決まっているので、朝家を出る時ニーナには『調べ物がある』とだけ言ってきたのだが。
「失礼しまーす」
 百合は静かに図書室のドアをあけた。誰もいないと思われる静かな校内なので、ガラガラガラという音がいつもより余計に大きく聞える。
 図書室の中にはいると、独特の本の匂いが鼻をツンとついた。この匂いが百合は結構好きだったりする。
「あ、百合ちゃん」
 ふと、カウンターから誰かが百合に声をかけてきた。
「どうしたの?日曜日に図書室に来たりして」
「うん、ちょっと調べ物。夕ちゃんは?」
「私は図書委員の仕事があって」
 夕ちゃんと呼ばれた少女は本を置くと、百合にそう話した。彼女の傍にはカウンターに堆(うずたか)く積み上げられた本が置かれている。
 彼女の名は鴻上夕奈(こうがみゆうな)といい、百合と同じクラスの生徒で、普段は目立たない存在の人物だ。内気でおとなしい人物ではあるが、とても真面目で優しく、時には想像がつかないような積極的な行動をとることもある。図書委員を務めており、図書室をよく利用する百合とはいつのまにか仲がよくなり、今では数少ない百合の理解者の一人となっていた。
「ところで夕ちゃん。キノコに関する本って、どこにあるんですか?」
「キノコに関するもの?それなら奥から3番目の本棚を左に行ったところの一番奥にあるよ」
「ありがとう」
 百合は言われたとおり、その目的の本が置かれている場所に向かった。
 その棚は自然科学の分類になっており、生態系に関する解説書や気候に関する著書などが並べられていた。
「えっと、キノコ……キノコは……っと……」
 素早く目で追いながら本のタイトルを流し読みしていくと、下の一角にそれらしき本が多数置かれていた。
「あったあった。これね」
 百合はしゃがみこむと、その中のひとつ「妹尾きのこ百科」という本を手にとった。立派な茶表紙の左綴(と)じの本で、中を開くと全ページカラーの写真が掲載されており、発生地や形態、識別方法や食べることができるかまで記されている。
「ふーん。キノコって一口にいっても、いろんな種類があるんですね」
 その本の中には百合の知らない様々なことが書かれていた。よくニュースや新聞で目にする極ありふれたキノコからほとんど誰も知らないようなマニアックなキノコまで。
 同じキノコでも地方によっては呼び方が違うとか、サルノコシカケ科という変な名前の分類のキノコがあるかと思えば、実はそれはとても貴重なキノコで漢方薬に用いられるとか、猛毒を持ったキノコでも地方によっては毒抜きをして食べられるとか、様々な知識を百合は吸収していった。
 百合は夢中になってその本を読みつづけた。
 そしていつしか時間は過ぎて行き、百合が本を読み終わった頃には既に正午を過ぎていた。
 


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