「ほんとに? 来週の土曜日に行ってもいいの?」
直樹の声はいささか場違いな程明るく店内に響いた。暗いナイトの店内で立ち上がってテーブルに身を乗り出していた直樹は、突き刺さる視線に慌てて着席する。その頬がわずかに染まる様子を諸岡は楽しそうに眺めた。
「……本当に行ってもかまわない? だって、土曜って高野さん仕事じゃぁ……」
「いいよ。どうせあいつは寝てるだろうけど。騒ぐわけじゃないし。なんなら平田さんもつれてくれば? そのまま夕食にすればいいし」
一転して声をひそめ、こそこそと内緒事を話すかのような直樹に笑みを漏らしながらも、諸岡は確認をとるように高野に視線をやる。視線を向けられた相手は、そしらぬ振りをしてシェーカーを振っている。
土曜日を選んだ本当の理由は、翌日直樹が休みだからだ。そうでないときっと彼が辛い思いをする。諸岡の予定通りにことが運べば。
ことの起こりはなんだっただろう。なんにしても、諸岡が作るミートソースが絶品だったことに由来する。一度食べた直樹がその味を覚えたいと言い出すのに時間はかからなかった。作り方を聞いて作ってもうまく行かないとなれば、一緒に作って覚えようという話になる。前々からの直樹の頼みに、今回諸岡が答えたのがこの約束の成りゆきだった。
「あんなこと言ってるよ、いいの?」
「事実、ナオならうるさくしないでしょうから。構いませんよ」
和やかに、和気藹々と翌週の週末の予定を話す二人と同じように、やはり和やかに会話をする人物がカウンターの内と外にひとりづつ。だがこちらは和やかな会話とは裏腹に、面白く無さそうな顔をしている。もちろんカウンターの中の高野はそれを他の客に見せる程不用心ではなく、他の客に対しては笑みを崩すことはしない。
その笑顔の下も、同じように笑顔であるかどうかは別として。
「そちらこそ、いいんですか? せっかくの週末でしょう?」
「良くはないけど、決まっちゃったみたいだね」
いくつか席を隔てたところで仲良く会話をする諸岡と直樹を面白くも無さそうに、それでもどんな会話も漏らすことのないよう眺めていた平田は、小さく息をつく。これで直樹の来週末の予定が決まってしまった。自分と二人きりと言うわけには行かなくなったのだと、ため息ぐらい出ようと言うモノだ。
だから平田はそんな週末はこなければいい。あるいは、さっさと過ぎてしまえばいいと思っていた。それでも確実にその日はやってくるわけで。その日の平田はハッキリと乗り気でないことを隠しはしなかった。
「なんだってわざわざ週末に押し掛けなきゃいけないんだ?」
「しかたないって。秋良さんがこの日しかあいてないって言うんだから。それに秋良さんだって、平日は仕事だよ」
前日の夕方に会ってから何度目になるか分からない会話に直樹は大きく息をつく。こちらも疲れを隠しはしなかった。
「尚志さんだって秋良さんのミートソース、美味しいっていってたじゃない。食べたくないの?」
下から睨むように言われては、それが間違っていないだけに平田も言葉につまる。確かに諸岡のミートソースは絶品だったのだ。もう一度食べたいと思うくらいには。
だけどそれが直樹との休日を潰す程の価値があるのかと言うとはなはだ疑問になってくるだけで。
「とにかく、俺は行くから。そんなに行くの嫌なら、尚志さんは部屋で休んでる?」
そんなふうに挑発的に見上げられれば、平田の答えは決まってしまう。他の答えなど出せるはずもない。目に入れても痛くない程可愛い恋人なのだ。
「はいはい。お供させていただきます。……随分と仲良くなっちゃって……」
後半は彼自身にすら聞こえない程の小声だった。
それでもそれが待ち望んだことだったかと言うと、そんなことはない。平田はやはり面白くない様子を隠すことなく高野家のリビングに陣取っている。向いにはやはり面白く無さそうな高野がいた。だがこちらはいくらか睡眠不足が入っているせいもあるのかも知れない。
「あちら、随分ご機嫌ナナメみたいだけど、いいの?」
「いいよ。俺だってあんまり機嫌よくないから。意地でも作れるようになって帰ってやる」
台所からリビングの様子を覗いていた諸岡が、外にはもれないように声量に注意しながら聞いてくるのを、直樹はそれをさらりと流してしまった。その言葉に男はおや、と首をかしげる。確かに今の直樹は機嫌がよさそうには見えない。だが、それは台所に来てからのはずだ。平田と一緒にこの家にきた時は、にこやかに笑っていた。それはもう、楽しそうに。些か大袈裟過ぎる程に……。
「どうして?」
「だって……」
たまねぎをみじんに刻みながら、直樹は唇を噛んだ。
「腹たつじゃん、尚志さん、俺が作ったのよりよっぽど美味しそうに秋良さんのミートソース食べるんだから。絶対俺が作ったの食べて同じか、それ以上の顔させてやるんだ」
そのあんまりな理由に諸岡は笑みを堪え、自業自得で二人の時間を失った男を覗き見る。直樹の思い人は、諸岡の大切な男と和やかとは言いがたい雰囲気で喋っていた。いや、文句を言い合っているのか。なんにしても平田が直樹にしか感心がないのは分かり切っていることだから、たとえ二人きりにしたところで諸岡にはなんの危機感も生まれない。むしろそう言った危機感を持っているのはリビングの二人の方だろう。
「何をそんなにイライラしているんです。アキのミートソースは絶品ですよ」
諸岡が先刻出していったお茶に手をのばしながら、高野はゆっくりと目をふせる。湯気を吹いてのんびり茶をすする姿は、部屋の景色からうかんですら見えた。
「そりゃ、分かってるけどね。そんなさり気なくのろけないでくれる? 俺がイライラしてるって言うなら、原因は作ってるものよいりも、作ってる人の方だろう?」
「アキが何をすると言うんですか? 躾は行き届いてますよ」
すました高野の言葉にどうだかと平田は鼻をならす。信じていないことは明白だ。こんなふうに直樹をさらわれては、信じろと言う方が無理だろう。
「御不満なら、お二人が帰った後で躾なおしておきますよ。しっかりと」
「ぜひとも、そうしてもらいたいね」
含み笑いを漏らす高野にため息とともに平田は言葉を漏らす。一気に脱力した気がする。
「取りあえず大人しく待つさ。それしかできないしね。あんたは? もう起きてて大丈夫なのか?」
ポケットのたばこに手をのばして唇に一本挟んで火を近付ける。その瞳には先ほどまでの暗い感情はなく、ただ心配だけがうかんでいる。その優しい瞳に高野は思わず笑みをもらす。先ほどまで、子供のように拗ねていたのが嘘のようだ。
「大丈夫です。いつもこの頃には起きてますから。暇なあなたの相手をするぐらいの時間も体力もありますよ」
「それは嬉しいね。あっちは時間かかりそうだし。いっそのこと飲んじゃえば話は早そうだけど、さすがに昼間っからってのもね」
肩を竦める男をおかしそうに見て、高野は焚き付けた自分はきっと間違っていなかったのだとあらためて実感する。直樹もずいぶん楽し気に笑うようになったし、会った頃の辛そうな表情はなくなった。何処か大人びて見えていた様子は、年相応のそれにかわり、ずっととっつきやすい雰囲気になった。すべてが平田の影響とは言えないかも知れないが、それが大きな割合をしめていることは間違いないだろうと高野は思う。
「それじゃぁ、二人がいる時には出来ないような話をしましょうか?」
悪戯めいて笑う仕種に同じように笑いかえしながら、平田は話の内容に思いを馳せる。もちろんそれは二人がいてできないような話ではなかったけど、それなりに楽しみながら時間を潰したのだった。
そうして放ったらかしにされた二人がなんとか時間を潰している間に、諸岡特製の美味しいミートソースは出来上がった。しっかり味見も済ませ、直樹はそれを鍋ごともって帰って平田の家でさらに煮込み冷凍保存をする。出来るまでの過程がどれだけ面白くなかろうと、それはしばらく平田の非常食となった。
この後、ふた組のカップルがいつもと同じく平穏な週末を過ごすことが出来たかどうかは、本人達のみ知ることとなる……。
END
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