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食事をおえたおれたちは、結局は酒盛りをすることになってしまった。琳琅酒を少し買い込み、部屋にあがる。宿の主人は特に何も言わなかった。一応一人部屋ではあるけど、得に何人で泊まっても構わないらしい。もちろん、制限はあるのだろうが・・・。
それにしても、端から見れば男を買ったように見えているのではないだろうか? 明らかに未成年の俺がそんなことをしていても何も言わないと言うのもどうかと思うけど。
部屋に入って、グラスを傾けながら何となく話していて。
やはりと言うかなんと言うか。カイオーリアは体をはった商売をしているらしい。平たく言うと、『売春』。どの町に行っても、そういった健全とは言いがたい宿があり、酒場では少なからず客を探す女や少年を見かける。かなりたくさんの数がいるのは聞いていたし、見ても来たが、まさか俺の所に転がり込んでくるとは思いもしなかった。その行為が悪いことだとは思わないし、言いたくもない。俺だって一歩間違えれば同業者だったかもしれないのだから。客がいるから成り立つ商売でもあるのだ。
・・・あまり、イイコトだとも思えないが。
「リドはどっちでもないんだよね」
今までの旅の話などをしながら飲んでいて、ふと話が途切れた時、カイオーリアはぽつりと言葉を落とした。弄んでいた杯の中で揺れていた琳琅酒の動きが止まる。
椅子に浅く腰掛けたカイオーリアは、机に両肘をたててその上に形のよい顎をのせ、ベッドに座った俺の方を見ているのだが、その瞳には形容のしがたい色があるような気がした。それよりもまず、彼が何を言っているのかが俺には分からなかった。
「大多数の人は俺みたいな子供を見ると軽蔑するか、舌舐めずりするかのどっちかなんだけど。リドは違うよね」
それは同意を求めているようには聞こえなかった。だから、俺はあえて聞くだけにとどめておく。
「子供のくせにあんなことをしているなんて、汚らわしい。親は何をしているんだ。とか。いい獲物が来た。ってね」
カイオーリアはくすくすと笑いながら囁くように言った。こいつ・・・。もしかして、酔っているんじゃあ? 白磁の顔にはほんのりと朱がさしており、目もいくぶん潤んでいる。まさかと思ってテープルの下に目を向けると、もってあがってきた琳琅酒がほとんど空いてしまっている。俺が少し気を抜いたすきに、カイオーリアがあけてしまったらしい。琳琅酒はかなりきつい酒だ。当然これだけ飲めば、普通の人ならかなり酔っぱらう。
「親は何をしてる、か。娼館に売ったの、両親だった奴等なのにねぇ」
くすくすと笑っている表情は、泣いているようにも見えた。俺はどうすることも出来ず、ただ、話を聞く。
それにしても。親が息子を娼館に売る。それはあまり穏やかな話ではない。もちろん止むに止まれぬ理由があるのだろうが、聞いていて楽しいはないしではない。そして、カイオーリアの物言い。「両親だった奴等」。彼は許すことが出来ないでいるのだろう。
「精霊ってそんなに酷いものだと思う?」
即席の酔っ払いは机に乗り出すようにしてそう聞いてきた。要するに、それが彼の売られた理由なのだろう。怖がる理由も分かるには分かるが、納得できるものでもない。それが本人なら、なおさらだろう。
「リドはアリバルスの人間だから分からないよね、多分。でも、俺の生まれた辺りって〈力の言葉〉なんて欠片もなかったんだ」
〈力の言葉〉が欠片もない。そういう土地があることは聞いていたけど、実際にそれがどういうことなのか俺には想像することも出来なかった。
「〈力の言葉〉の存在になれてれば、手を触れずにモノが動いてもそれ程驚いたりしないんだろうけど。俺の生まれた所じゃ、そんな訳には行かなかったんだ。そんなことができるのは、化け物に違いないってね。それでもせっかく産んだ子を捨てるのは勿体無いからって、娼館に売るんだもん。いい根性してるよね」
化け物、の言葉に、俺は沈黙するしかなかった。何度言われたか分からない言葉。色の違う左右の瞳のせいで。ちょうど俺が生まれた数年前にそんな〈魔物の王〉の話が流行っていたと言うから、俺をそれだと思った生みの親の気持ちも分からなくない。殺してしまえとまで追い詰められたと言う彼女を、哀れだとも思う。だけど。そうまで思ったのならなぜすっぱりとその時殺してしまわなかったのか。ためらったりなどせずに!
そして、ふと思う。殺そうとするのと、娼館に売るのとではどちらがよりマトモな親なのだろう、と。
「リド、どうかした?」
「いや。なんでもない」
知らずのうちに考え込んでしまっていたらしい。カイオーリアは机から離れて、ベッドの俺のそばに座っていた。琥珀の瞳が覗き込むように俺を見ている。まるで隠している銀の右の瞳までを見すかすかのように。そして、なんでもないと答えたにもかかわらず、彼はほんの少し首をかしげてから俺の首に腕をまわしてきた。
「おい、こら。カイ。離れろ」
引き離そうとしても、柔らか組んだだけに思える腕がなかなか離れない。頬を肩にのせてぴったりと引っ付いたカイオーリアには、離れる気がまるでないらしい。柔らかい薄茶の髪が俺の頬にひらひらと当たる。男に抱きつかれていると言うのに、何故か嫌な気はしなかった。カイオーリアが美人に類するものだと言うのも理由に入るのかもしれない。だけど、どちらかと言うと頼られているような気がしたからだ。・・・・と、思いたい。
「どうした、カイ?」
「カイって呼ばれたの、久し振り」
くぐもったような声が耳元でする。口元が俺の肩についているのだろう。言葉が少しはっきりしない。そしてその一言は、彼をとても頼り無いものに見せた。
「そう呼んでくれた唯一の人は、俺が殺しちゃったし」
その言葉にぎょっとして、抱きついたまま離れようとしないカイオーリアの頭を見た。今の俺からはそれだけしか見えない。
それにしても。
これが剣に頼っているような無骨な風貌のモノの台詞ならまだ分かる。だが、偏見であってもなんであっても、カイオーリアに人殺しができるようには見えなかった。そしてその、消え入りそうな雰囲気を見て、思わずそっと頭を抱き寄せる。それが何かの役にたつのかなんて分らないけど。
カイオーリアはしばらく動かなかった。まさかこのまま眠ってしまったのだろうかと疑い出したころ、その小さな肩が小刻みにふるえ出した。初めは泣いているのかと思った。さっきの台詞を考えればそれでもおかしいとは思わない。
なのに。
人が心配していると言うのに、この野郎。我慢出来なくなってきたのか、声をたてて笑い出した。つまり、ふるえていたのは笑いを堪えていただけ、ということだ。
「・・・・おい・・・・・」
抱き寄せていた頭を思いきりはたいてやりたくなってきた。とりあえずその手を離してカイオーリアの肩を押すと、今度は簡単に離れた。だけど、まだ笑い止まない。
「・・・・おい・・・・・」
「ごめん。リドって、優しいね」
そう思うんだったら、いいかげんに笑うのをやめてくれ。そうんな風にくすくす笑われていると、何かはずかしいことでもしたような気になる。
だけど。笑っていただけではないようだった。目の端にはうっすらと涙が滲んでいる。笑ったせいだけには思えないそれは、やはり泣いていたためのモノなのだろうか? 彼の態度を見ていると今一つ自信が持てないけど。
「リドってやっぱり優しい。ごめんね。全部、うそだよ。う・そ」
そんな俺の表情を読んだのか、カイオーリアはまたくすくすと笑った。どこまでが本当だったんだろう? 彼の言うつもりがないのなら仕方がないが、俺はそんなに頼り無い、優しいだけの男だろう? まぁ、今日知り合ったばかりの男に、べらべらと自分の事情を離す必要などないし、そんな不用心なことはしないに越したことはないのだけど・・・。
ふと気付くと、カイオーリアがまた神妙な面持ちで俺を見ていた。
「なんだ?」
「ごめんね」
急に謝られても、なんのことだか分らない。何にしろ、すぐに考え込んでしまう癖は直した方がいいのかもしれない。気付くと時間が飛んでいるというのは、余り面白くない状況だ。
「何がだ?」
謝られても、理由が分らなければすっきりしない。だからと思って問うたと言うのに、カイオーリアは少し言い淀んだ。まあ、ふつう、何か似ついて謝罪をする時と言うのは、そんなものかもしれない。
「さっき。俺、何か気に触ること言ったんだろう? リド、考え込んでたから・・・」
「ああ・・・」
あれは別に、カイオーリアが悪い訳じゃない。俺はそう言ったけど彼はそれだけでは納得しなかった。小さく首をかしげて、先を聞こうとしている。言うのは構わないのだけど・・・。
「さっき、〈化け物〉って言っただろう? それがちょっと、な」
ずっとそう呼ばれてきたから。今でもそう呼ばれ続けているから。その呼び名には鋭く反応してしまう。だけどやはり、それだけでは分らないのだろう。カイオーリアはまだ首をかしげていた。だけど、俺もさすがにそこまではまだ言えない。
色違いの瞳は、いつも騒ぎの元だった。カイオーリアもこの瞳を見れば、「化け物」と叫んで走り去るのだろうか? そんなことは考えたくなかった。だけど俺には、このうすい布きれひとつを取る勇気さえない。特に失いたくない友人を前にしていたりすれば、なおさらだ。 ・・・失いたくない友人?
考えてから、はたと気付く。カイオーリアがそうなのだろうか? ついさっき会ったばかりだと言うのに? 騙すことの辛さと友人を失うことを天秤にかけた時、俺はどうするのだろう?
「リド。この瞳、怪我じゃないよね?」
言わなくてもカイオーリアはそっと手を伸ばして右目を被う布に触れてきた。柔らかい、問うような瞳が俺を見つめる。この布をはずしてもいいかと問われているのは分っていたのに、俺は拒絶することが出来なかった。自分でもしらないうちに、天秤は傾いてしまっていたらしい。
久し振りに直接空気に触れた瞳は、驚きに見開かれたカイオーリアの琥珀の瞳を捕らえた。その表情は、俺が恐れていた恐怖からは程遠い。そしてその驚きは、何故か喜びに変わった。
「・・・〈夜〉・・・」
呟くように言うと、カイオーリアはまた俺に抱きついてきた。さっきよりもかなり強く、押さえられない感情を堪えるように。そしてそれきり、何も言わずに肩を震わせている。今度こそ、本当に泣いているようだった。
なだめるように背を撫でていると堪えるような泣き声が少しづつ小さくなり、肩の震えがおさまる。おさまった泣き声は、そのまま寝息に取って変わられていた。きつく抱きついたまま、眠ってしまったらしい。
そのままの体勢では辛かろうとベットに移動させようとしても、余りにもがっちりとまわされた腕は離れようとしない。引き剥がすことも出来ず、さりとてこのままの姿勢で寝るのはお互い辛い。仕方なくそのままベッドに倒れ込み、掛け物を引き上げた。眠るカイオーリアは先ほど見せた妖艶な姿からは程遠く、小さな子供のようだった。まるで、弟を寝かし付けているような気分だ。
カイオーリアは途中で一度目を覚ましたようだった。そしてそのままきつく抱きついてくるのを、俺は知らない振りで受け入れた。
次の朝、目を覚ますとカイオーリアはすでに起きていた。起きていた、といっても、ベッドから出ている訳ではない。今だ俺にくっつくようにして布団の中で丸まっている。俺は唐突にこいつが夜の相手をするようことを言っていたことを思い出した。一瞬パニックに陥りそうな気がしたけど、昨日の寝顔を思い出せば、なんとか落ち着くことができた。
「ねえ、リド。ファリオスに行くんだろう? 一緒に行かない?」
俺は起き上がって、伸び放題伸ばしている髪をかきあげながら今の提案を検討してみた。思考が鈍っている。朝だからというせいだけではない。カイオーリアの提案が悪いのだ。こんな時に性急に答えを出すと碌なことはない。だが、少し落ち着いてみるとカイオーリアの言葉におかしな所が見付かった。
「カイ。お前、サールに行ってギルサリア様にあうんだろう?」
「それ、後回し」
もっと悩むかと思っていたカイオーリアは、思いのほかあっさりと答えた。とても会いたいというようなことをいっていたというのに。そして、その後にいらない一言を付け加える。
「だって、リドと一緒の方が面白そうだもん。・・・・駄目?」
好きにしてくれ、とさすがに最初は思った。だけど、考えてみれば確かにこいつと一緒の方が面白そうだ。どうせ往復でも二年とかからない旅だ。思いきり楽しむのが得策だろう。忘れられているかもしれないという不安が拭えないならこいつが父上に会うのは早いに越したことはないだろうが、カイオーリアが後回しというのなら、それも含めて後回しなのだろう。
「宿代は割り勘だぞ?」
これを聞いたカイオーリアが、嬉しそうな表情をした後、くすくす笑っている。承知の合図としては、少しひねくれていたのかもしれない。
END
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