風と夜




<1>

 旅に出たのは、ほんの一月くらい前のことだった。それがずいぶん昔のことのように感じるのはどうしたものだろう? 何をするでもなくただ歩を進めてきた一月。何もしなかったのに、ずいぶんと騒がしかった一月。だけど、これからはそう騒がしくはならないだろう。騒ぎの元は分かっている。それを隠してしまいさえすればいいのだ。
 小高い丘の上から今来た道、自国アリバルスに続く道をひとしきり眺めたあと、俺は背負いの袋から一枚の布きれを取り出した。細長いそれで銀色の右の目を隠す。こうすれば片目の不自由な普通の男に見えることを俺は昔からよく知っていた。残る左の瞳は、空のような、青。だいたい色違いの瞳をさらすと言うこと自体、気狂いの沙汰なのだ。これが原因で騒ぎが起こっていたことなど明白なのだから。父上の命令がなければ、たとえどこであっても、俺はこの一枚の布きれを手放すことはなかっただろう。
 たとえそう思ってはいても、俺は父上に逆らうことは出来なかった。彼は王国の絶対だったから。それは彼が暴君であると言う意味では決してない。彼程立派な人間はいないだろう。彼に従うことこそ正しいと思わせる、そういう意味での絶対だった。すばらしいカリスマをもつ、《言剣士》の長、ギルサリア。俺も彼のことは父として以上に尊敬していた。だからその彼が逃げるなと言うなら、彼の言に従おう。国内にいる間は。
 それでも国外に出るなら、俺はこの瞳を隠してしまいたい。色違いの瞳は、《魔物の王》の瞳。何の偶然かそれと同じ色彩をもってしまった俺は、どうしても世間から避けられる。それでも父上は生まれもったそれを隠すことを逃げだと言う。ただ・・・。逃げだと言われても、俺は一度、落ち着いた生活をしてみたかった。
 俺の生まれたアリバルス国内で最も人気のある職業といえば、《言剣士》だろう。〈力の言葉〉をあやつる、《剣士》。多くの者が目指すが、自らを《言剣士》であると名乗ることの出来るまでになる者は少ない。ほとんどの者が《剣士》か《言使い》で留まってしまう。
 俺はその中で、幸運にも《言剣士》を名乗ることを許された。ただし、この職務を全うすれば・・・。
 《言剣士》を名乗る最終試験のようなもの。それは国外への使いである場合が多い。それぞれに役割が与えられ、残った数少ないものをさらにふるいにかける。俺に与えられたのは遠国フォテュトティアの施療院へ手紙を届けること。何か重要な内容らしいが、中身にかんして、俺は何も知らない。ただそれを届け、向こうから返事を受け取ってくればいい。
 そしてこの役割にたいして、俺はそれ程真剣になっている訳ではなかった。もちろん、手紙はきちんと届けなければいけない。だがそれは使命感とか、《言剣士》の称号を得るためではない。相手はその手紙を待ち望んでいるかもしれないからだ。俺が《言剣士》を目指した目的は、まさにこの旅に出ることだったから。なかなか身辺からを離してくれなかった両親から離れるには、この方法しかなかった。彼等はきっと知っていたのだろう。監視の目がなくなった俺が、この瞳を隠して生活するであろうことを・・・。
 俺は袋の底に入れた手紙を再度確認し、それを背に負う。瞳は隠した。後は街道に戻り、道を進めばいい。手形には色違いの瞳のことも明記されているから、国境では一度この布をはずす必要はあるだろうが、後はこのままでいればいらない騒ぎも起こるまい。次の宿場まで歩いて後三日。
 夜は街道を少しそれ、火を焚いて休んだ。うつらうつらとしながらも火のもりをし、まわりに気を配りながらだから、それほどゆっくり休める訳ではない。それでも。町中で宿をとれなかった時よりもましだった。両の瞳をさらした昨日までは、寝床に納屋をかしてくれるものすらいなかったから。誰に襲われるか分からず歩き続けてきた日々を思えば、野宿もそれなりに楽しい。
 それも、もう心配することもないだろう。ここから瞳を隠していれば、門前払いを食わされることもないだろう。昨日は運よく従兄弟の家に泊まることが出来たけど、これからはそんな幸運をあてにする訳にも行かないのだから。
 次の朝も、その次の朝も。いつまでもゆっくりしていても仕方がない。目がさめたらさっさと火の始末をして、ほんの少しのチーズをかじりそこをはなれた。これからさき、家にいる時とは違いゆっくり食事をする時間がなくなるのは少し寂しい。もっとも一人で食べていて、それ程楽しいかどうかは疑問だけど・・・。
 瞳を隠してから二日。歩き続けて夕方には小さな町のかげが見えてきた。思わず、右の瞳に手を添える。大丈夫。布はそこにある。瞳はちゃんと隠れている。安心した俺は、またゆっくり歩を進めた。
 町と言うには少し小さな、こじんまりとした町。ここにあるのは、宿屋と旅人向けの商店だけだった。アリバルスから陸路でオースティアに出るものは必ず通る交通の要所。旅の休憩所として発展した町だ。
 町中に入ると、通りには幾つかの宿屋がある。それはもう、笑える程にはっきりとランクが見て取れる。いかにも王侯貴族が使いそうな、仰々しい宿。中流の者や家族連れが使うような、居心地のよさそうな宿。実用一点張りの、価格を押さえた宿。そして、ただ屋根のある場所を提供するだけの宿。俺が泊まるつもりなのは、価格を押さえた宿。高い所に泊まるつもりはないけど、さすがに屋根だけと言うのは寂しい。久々に温かい寝床で、ゆっくりと眠りたかった。温かい食事もしたいし。
 目的の宿屋に向かう道すがら、役にたちそうな薬草を少しだけ仕入れる。妹が旅の前に少し用意してくれていたが、それだけでは少し心もとないものがあったから。
「いらっしゃい」
 ちょうど夕刻だからだろうか? 食堂をかねているらしい一階には、何人かの男達がいた。仕事をおえた町の者達と、旅姿のもの。ここでは違和感なく同居している。
「泊まりかい?」
 俺は訪ねてきた主人らしい男にうなずきかえした。すると紙とペンが一枚差し出される。
「よかったら名前をどうぞ。次に来た時、少しまけるよ?」
 少し躊躇したけど、俺は結局そこに名前を書いた。帰りの道中でここに泊まることは大いに考えられるし、その時所持金が少なくなっていることもあり得る。まあ、野宿すればすむ話だけど。
「リディオン・ファストスさんね。黒髪、青い目、と。右目は怪我かい?」
 名前だけでなく、身体的な特徴も書いておくらしい。問いに俺はただ頷いておいた。この布をはずす気はないのだから、それでいいだろう。さらに言えば、偽名だし。
 俺の名は父上を思い起こさせのだ。イヤでも人の目は集まり、落ち着くことが出来なくなる。得に偽名を禁止された訳でもない。かまわないだろう。
 宿の主人は好意で少しまけてくれた。部屋は二階の小さな部屋で、ベッドがおいてあるだけだ。広くもないが、清潔なシーツのかかったベッドは柔らかそうで眠気を誘うし、風を遮断された場所と言うのは、それだけで落ち着くことができる。
 もう眠ってしまってもよかったのだけど、温かい食事の誘惑には勝てなかった。取りあえず唯一の家具であるベッドの上で一度荷物をほどき、片付け直してからもう一度背負いを肩にかける。荷物は置き去りには出来ない。大丈夫ではあるだろうが、用心に越したことはない。
 階下におりると、食堂はかなりにぎわっていた。ほとんどのテーブルはふさがっており、あたたかな湯気が空間をみたしている。俺は取りあえず空いている席を探した。満員ではないのだが、まるごと空いているテーブルはすでにない。どこかに相席を申し出なければ・・・。
 ぐるりとその食堂の中を見回して心よく相席を受け入れてくれそうな人を探していると、一人の美女がにっこり笑って手招きをしているのが目に入った。美女・・・と言っても、まだ14、5。俺とおなじくらいの年令だと思う。その相手が俺だと言うことを確認して、俺はその好意に甘えることにした。相席を頼んで回るより、よっぽど楽だ。
 席の前までやってきて、軽く礼をして美女の前に空いた席に座る。そうして顔をあげて驚いた。目の前の美女は・・・、正確には美女ではない。
「あんた・・・」
 美女だと思っていたその相手は、俺が言おうとしたその先の台詞を艶やかな笑みで消し去った。薄い茶色の髪に、珍しい琥珀の瞳。その短かめの髪は柔らかな波を作り、形のよい卵型の顔にかかっている。肌は透けるように白く、線もとても細い。これが男のものだと思うことにはかなり抵抗があった。だがそれは間違いがないと自信をもって言える。自慢じゃないが、俺は男女の区別で間違ったことは今までただの一度もない。
「不粋なことは言いっこなし。リドは何食べる?」
 柔らかなボーイソプラノ。少年の声にしても少し高すぎる気はするが、その少女じみた顔だちにはよく似合っている。少年のものとは思えない程の、思いたくない程の美しい笑み浮べて、彼は尋ねてきた。
 ところで。俺はこの少年に会ったことがあっただろうか? あったとしても、リディオンを名乗ったのは今日が初めてだ。その名を縮めてリドとよぶようなものの心当たりは、まるでない。伏せた本名からも、無理をしなければリドの愛称は出てこない。
「えっと・・・。リドってよばれるの、いや? でも、リディオンって言いにくいから・・・。〈力の言葉〉?」
 この少年は俺が黙っているのを違う意味でとったらしい。別にどうよばれようと俺は構わなかった。むしろ、リドと縮めてもらった方がいいかもしれない。リディオンなどと、碌な意味がない。
「いや、構わない。・・・君は?」
「俺はカイオーリア。カイでいいよ」
 カイオーリアとは・・・。〈力の言葉〉で潔き貴き風、とでも言う意味になるだろうか? 言葉にはすべからく意味がある。〈力の言葉〉はその強い力を効率的に使うための言葉だ。その言葉での意味ある名前は、本人をあらわす。この言葉の名をもつものは《言使い》など、〈力の言葉〉に関わるものが多い。彼もそうなのだろうか?
 確かに彼はその名の示す通り、何か風を思わせるものがある。それに・・・。彼の腕にある、精霊の護り石。それは護り石に違いないだろう。五色の粒の大きな宝石が、銀を利用して皮紐に止められている。護り石はそれぞれ色石が精霊を示すと言うから、樹木、炎、風、水、大地のすべての精霊の加護があると言うことになる。その作りは簡単に見えるが、黙っていても目が引き付けられる程美しい。それが多分精霊の力なのだろう。
「どうかした? 返事しないから、かってに頼んだよ?」
 カイオーリアはあどけない笑顔で笑ってそう言うと乾杯と言うように杯をかかげた。おい。ちょっとまてよ。その中身、琳琅酒じゃないか? 子供にその酒は強すぎる。さすがにまずいだろうと止めようと思っても、柔らかな笑みが制止を拒絶する。仕方なく、俺もいつの間にか手元に来ていた杯を差し上げる。その中身も、琳琅酒らしかった。薄い青色が揺れて、香しい独特の香りがする。
「カイはどっちからきたんだ?」
 どっち、というのは、アリバルスの国内外どちらかと言うことだ。俺は国内から来て、国外に出ていく。ここは一本道のまん中にあるから、うちに行くか外にいくか。二つしか道はない。
「俺はサールに行く所。人に会いにね」
 サールはアリバルスの首都の名だ。そこに向かっているなら、俺とはまったく逆方向だ。
「覚えててくれてたらいいんだけど。随分昔に会ったきりだから」
 カイオーリアはそう言って随分懐かしそうな顔をする。覚えてないかもしれないと思いながらもわざわざ会いに来ると言うことは、それだけ会いたいと言うことだろう。
 誰だろう? 聞きたい気はしたけど、しょせんは俺には関係ないことだ。それに、聞いた所で何ができる訳でもない。だが俺がそう思っている後ろで、カイオーリアはさらに言葉を次いでいた。
「ギルサリア=レイル・ファートルスっていうんだけど、知ってる? いま、どうしてるのかな?」
 知っているも何も。それは父上の名だった。それに、俺じゃなくても彼を知らない《言剣士》はいないだろう。見習いも、きっと《剣士》でも彼を知っている。いったいどこの誰が、自分達の長を知らないと言うのか。
「あ、知らない訳ないか。うわさでは《言剣士》の長になったって聞いたから。あぁ。やっぱり俺のことなんて忘れてるかなぁ?」
 カイオーリアは俺の思いなどそっちのけでひとり呟いている。それにしても。父上が《言剣士》の長になったのはいつのことだったか。随分昔。確か、俺がまだ小さかった頃。十年くらいは前の話だ。カイオーリアの口ぶりではそれよりも前に会っているようだった。だが、目の前の少年は俺とたいして違わない年に見える。まず確実に、二十は超えていない。父上に会った時、最大限に見ても五才を超えていなかったと言うことだ。そんな子供が、相手の名前はもとより、役職などまで注意深く覚え、のちのちのことに注意を払ったりするだろうか?
「ねぇ、リド。そんなに考え込まないでよ。食事が来たよ」
 テーブルにひじをついて頭を支え、すっかり考え込む体勢に入ってしまった俺に、カイオーリアは野菜の煮込みのわんを差し出した。パンと薄く切って焙った干し肉と、暖めた牛乳もこちらに押しやられてくる。カイオーリアは野菜を少し食べていた。
「ねえ、リドは今夜一人? よかったら・・・」
 カイオーリアはすっとテーブルに乗り出してきた。おい。ちょっとまて。そんなふうに目を細めて、うっとりとしたように俺を見上げるんじゃ無い!!
 駄目? と言うように小首をかしげて見上げるカイオーリアは確かに可愛らしい。可愛らしいんだが・・・。いくらなんでも男に走る気など毛頭ない。
「そんなに警戒しないでよ、襲ったりしないから。それに嫌だったら別にいいし。もちろん、気が変わってくれたら嬉しいけど」
 艶やか、というんだろうな。こういう笑みを。とても同じ年くらいには見えない。まるで随分年上の、世慣れた人が目の前にいるようだ。さっきのこともあったので気になって、聞いてみたのだけど、「美人に年を聞くなんて」なんてふざけた答えが帰ってくる。
「でね、リド。今日、部屋に泊めてくれない?」
「なっ・・・!!」
 食べていたものを、ふいてしまうかと思った。慌てることなど無いのかもしれないけど、さっきの話の後でこれだと、つい、動揺してしまった。どうしていきなりそんな話になってしまうのか・・・。だいたい、この宿もまだ空室を持っているだろうのに。
 慌てて、動揺して。落ち着くのに必死になったせいでちゃんと断ることを忘れてしまった。その成果カイオーリアはすっかり部屋に泊まり込む気になっていしまっているようだ。今さら駄目だと言っても、聞きそうに無い。金が無いのだろうか? だが、食事をとっているのだから、それに支払うだけの能力はあるはずだ。まさかそれで全部と言うことはあるまいが・・・。
「だって、リドが一番いい男だもん」
 ・・・・・聞くんじゃなかったな。いったいどこまで本気なんだか・・・。だけど。まあ、いいか。一日くらいなら一緒にいるのも面白いかもしれない。かなり変わっているような気はするが、悪いやつではないと思う。俺の見る目が衰えていなければ。
 この判断は間違ってはいなかったと思う。ただ、静かに旅をするにはむかない選択だったようだ。



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