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 月のない闇空は、神宮を食い荒らす炎の色を映していた。

 少し離れた戦場からは、神のいます宮を壊そうとする不届きな兵たちの吠え声が届いてくる。
 そんなはずはないのに、ものものしい地響きや鋼刃を交わす金属音、矢羽根のうなりまで聞こえてくる気がして、輝夜はひそかに身震いした。

「隠し巫女さま! 抜け道の口が開きました、どうぞお早く――」
「いえ、わたしは最後に……。他の、戦えない方たちを先に行かせてあげてください」
 駆け寄ってきた老臣に、輝夜かぐやは、巫女たちの筆頭らしい凛とした表情で告げる。 「ですが……」と気の進まない表情をする老臣の、八の字に霜を置いたような眉とその下にある小さな目を見つめて、やはり静かに続けた。
「わたしは隠し巫女であると同時に、この聖地を守る国主の妹です。わたしにも兄と同じように、皆の無事を守る義務がある」

 年のせいか涙もろい老臣が、ご立派です、さすがは我らが姫さま、と(輝夜にはかなり面映いことを)言いながら避難の指示に戻ると、入れ替わりに若い巫女が来た。

「隠し巫女さま。凍星とうせいさまより、奥宮にて内々に話がしたいとのお言伝が」
「――あにさまが? わかりました、すぐに行きます」
 伝言を受けた輝夜は、この場を最年長の巫女に任せて、足早に回廊に出た。




 戦えない巫女や下働きの者は避難させている最中、兵は残らず防衛戦に駆り出された後とあって、奥宮には外の騒ぎが夢かと思うほどの静寂が満ちている。
 奥宮の重たい扉を開くと、兄・凍星は、広々とした至聖所の中央で待ち構えていた。

「来たか、輝夜」

 妹を迎えた凍星の声は、淡々として威厳に満ちている。
 城の危機だというのに、輝夜の身を案じるそぶり一つ見せないことは、兄を慕う彼女の胸を無慈悲に抉った。けれど今は自分ひとりの悩みにかまけていい状況ではないから、その痛みは胸の奥にしまいこむ。

「そなたでも、状況はわかっておろうな」
 その名の通り、冬の夜空の月を思わせて冷たく硬質な声音に、背筋が伸びる。
 紅白の巫女装束にすすのにおいが染みこみ、黒髪も少なからず乱れていることが今さら気になりながら、冷厳な兄の軽蔑を受けないよう、神経を張りつめて言葉を選ぶ。たとえ妹として愛されてはいなくても、期待に応えられなくて失望されるのだけはいやだ。

「はい。上総かずさの守護大名が二千の兵を率いており、すでに壱ノ門は破られたと――」
「その通りだ。我が将兵ながら、神の威光を恐れぬ下衆どもを図に乗らせおって、情けない限りよ」
 数をたのみにした侵略者に苦戦している配下を、凍星は鋭刃のような声で切り捨てる。
 無慈悲な侮蔑。なぜ指示通りの働きさえできないのかと、ため息をつく。

「輝夜」

 同じ声音で呼ばれて思わずびくつき、「は――はい」と声が乱れた。
「そなたに命を与える。――ここな聖玉を、我の代わりに守れ」
 凍るように透き通った水晶が百八粒も連なる美しい数珠じゅずを、凍星は自分の首から外し、妹の首へと移した。輝夜は息をのむ。

 これは輝夜たちの一族が代々守ってきた家宝のひとつであり、聖地の正統な支配者の証だ。今火攻めを仕掛けている守護代がよだれを垂らして欲しがっているものでもある。

 兄の行為があまりに無造作だったせいで、輝夜は展開についていきそびれて何度も瞬き――直後に激しく動揺した。心臓がどくりと波打ち、喉が急速に乾上がるのを感じる。
 普段は凍星が肌身離さず身につけている宝を渡されるということは。
 まさか。
(あにさまは――まさか、討ち死にされる覚悟を?)



2010.09.01 up.

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