妾宅に赤い百日紅咲く    《3





          疚しい気持ちがあるから、尚更後ろめたく思うのです。


   モヤモヤして苛々してあぁ畜生と思いつつも、俺はカラシマの家に通った。 
   通わずにはいられなかった。 


カラシマに逢いたかったから。 カラシマを眺め、カラシマと過ごしたいが為、俺は皆勤賞でその家を訪ねた。 そうして帰り掛け見るカラシマの、ガッカリ顔を密かに嬉しく思いつつ、俺は じゃァまた と言って一日を終える。 尤も、障子を貼ったり、緩んだ棚の修繕をしたり、収納の按配を点検したりもたまにはしたが、総じてコンナンで金貰って良いのかな程度の働きで、俺はボッタクリ労働を続けた。 行けば行ったで、そこには少なからず幸せがある。 微量のハッピィを求め、蟻の様に貪欲に俺はそこを目指す。 

親父スマナイ、俺はやっぱカラシマに惚れてしまった。 我ながらあっさり、ホモに転んでしまった。 しかもそれは不倫なのだ。 俺はヒトの物を、喉から手が出るほど欲しがっている。 欲しくてしょうがなくてキィと身を捩り歯軋りをする。 だけどしょうがないだろ? 思うだけなら構わないだろ? どうせヒトのモノなんだから・・・。

そう、俺のじゃないから、それを思い知らされたとしてしょうがない事。 

所有者=シブサワ先生は週に一遍かそこら遣って来て、カラシマの大歓迎を受けて泊まった。 平穏を装う俺は何度か一緒に晩飯を囲み、たいてい先生が風呂に入ってる間にコソコソと帰った。 そうして帰るに帰れない気まずい時は、出目金を構う。 今じゃヤツは、俺の顔を見て エサくれ! とパクパクするようになった。 ヤダヤダ、寂しいから飼われてる不細工な金魚と、それよかマシで雇われた俺が仲良しなのかよ馬鹿野郎・・・。


実のところ、最も切ない歯痒い時間はそんなお泊りの翌日だった。 定刻、コンチハ〜と顔を出せば、たいていもう先生は居ない。 それはまァ、良い。 居たってどんな顔したら良いのかわからないから、正直俺はホッとする。 でも、安らかにはなれない。 

見ろよ、今だってこんなにも俺は揺さ振られている。


 「モトキさんが片してくださったから、家の中使い易いんです。」

袖捲くりをしたカラシマが 「もう蹴飛ばす事もないし・・・」 と、白い細い腕にバケツをぶら下げて言った。 重そうには見えないが、水は七分程度に入っている。 じゃあ大丈夫か・・・・ ッてナニが? ナニ言ってんの? 

持ってあげなきゃとかハラハラした俺は、 おいおい、野郎がバケツぶら下げてるだけだろ? と、今更の突っ込みを自分に入れる。 そうだよ、忘れるな。 カラシマは男だ。 俺と同じ男だ。 

そもそも別段、カラシマは女っぽい訳じゃァない。 ほっそり色白ではあるけれど、薄く張り付いた筋肉も、骨ばったつくりも、どっからどう見てもボンもキュッもウッフンの欠片もない男のそれなのだ。 背だって170チョッとはあるだろうし、伸ばしっぱなしの髪だってサーファーにありがちなロンゲと言えなくもない。 男にしちゃ繊細な顔立ちだが、それすら決して女々しい顔ではないのだ。 

だけど、カラシマのイメージは花だった。 儚かった。 見てるとゾクゾクした。
つまり色っぽいのか?


近付き、縁側に寄ろうとする俺を、カラシマが 待って と、制する。


 「昨日からの風でザラザラなんですよ。 足、汚れますから、」

そうして雑巾を絞ると勢い良く、タタタと廊下を進んだ。 雑巾掛けするカラシマは、和服を着ていない。 白っぽいTシャツとベージュのユルッとしたパンツ。 珍しくもない、そこらの量販店でも売ってそうな在り来たりの普段着。 だけど、カラシマが着ると違和感があった。 似合わないとかじゃなくて、


 「着物のほうが、らしいよな、」

 「変ですか?」

 「そういうんじゃなくて、あーイメージの問題。」

 「和服じゃ庭仕事とか出来ないでしょう?」

少し呆れた顔をされた。 

とは言うものの、カラシマのイメージは和服だ。 百日紅咲く妾宅の、和服を着た儚い愛人。
 ・・・・ 嵌り過ぎ ・・・・


 「浴衣なんか着るの、ここ来てからなんですよ。 アッチから出てくる時、ホントに着の身着のままだったので、ショウタロウさんが 着替えに困るでしょう? って用意してくれて・・・・ でも、正直言えば浴衣は動き難くて困ります。 こう云うのが良いんですけど、」

Tシャツの裾をツンと引っ張るカラシマは 内緒ですよ? そう言って悪戯っぽく笑った。 
のようなひとコマにもクラクラやられてる俺。 やっぱりカラシマは、艶っぽく見える。 

それって、たっぷり愛されちゃってるから?

  ッてどうでもイイじゃん・・・・

考えても考えても、考えないようにしても埒があかない下賎な勘ぐり。 


いっそ考えずに済むようにと頼まれもしないのに労働を買って出る俺は、炎天下、手拭のホッカムリをして我武者羅に庭の雑草を毟る。 家は長年使って無かったと聞くが、なるほど、これだけの広い立派な庭の割に、伸び伸びというかナチュラルというかホッタラカシというか。 菜園の周囲こそしっかり手が入っているが、点々と植わる庭木はオレだぜ! オレオレ! と自己主張して、鋏の入らない生垣の榊は伸び掛けたスポーツ刈のようにこんもりザンバラに枝を張る。


 「金持ちなんだから、業者入れようぜ・・・センセ・・・」

忌々しいシャモジみたいな葉の雑草を引き抜き、祟られそうな百日紅周囲を避け、茹だる夏の白昼をある意味満喫する俺。 いつしか作業に没頭してた。 


 「ぅわ!?」

すっと触れられて飛び上がる。


 「ごめん、驚いた?」

カラシマがいた。 

いつの間にやら俺のすぐ脇にしゃがみ込み、俺の顔に触れるカラシマが目を瞬かせている。 覗き込む目尻がほんの少し下がり、引っ込めた指先をもう一度伸ばしてカラシマが言った。


 「・・・顔に、泥がついてたから、」

「ドロ?」

咄嗟に触れようとすると、駄目! と、その手をカラシマが阻む。


 「手、泥だらけでしょう? それじゃもっと酷くなるから。」

見れば泥と草の汁が、爪の中まで入り込んでいる。 
途中まで軍手をしていたが、暑苦しく蒸れるので外してしまっていた。 


 「・・・動かないで・・・・目の、ちょうどすぐ下の・・・・」

しゃがみ込むカラシマが、膝を着いた。 

柔らかに湿った土と草の上に膝を着き、じっと覗き込む薄茶の瞳孔が瞬きもせず近付く。 俺も、瞬きを忘れる。 伸ばされる指先を、それが頬骨の上を辿り下瞼の際に触れる瞬間を、息を飲み、瞬きもせず、


 「・・・・モトキさん?」

触れた指先ごと、その手を俺は掴んだ。 

見開かれた瞳が、可哀想なくらい戸惑う。 あぁ戸惑うのは俺だって同じ。 仕出かした俺ですら戸惑っているのだ。 けれど、しようとしてる事ならわかる。 俺は自分が何をしたいのかは、物凄くリアルに分かっている。 でも、フリーズしたカラシマにはわからないのだろう。 


 「あ・・・あの・・」

カラシマには、わからないだろうけれど、


 「・・・んッ・・?!」

薄っすら開いた唇に、口付けた。

     解読不能、理解不能、意味不明、意味不明、
     零れ落ちそうなカラシマの目。 

固まるカラシマは、逆らう事すら出来ない。 俺にしたって突き飛ばされるまで止めない。 
重ねた唇の感触を味わい、そっと歯列に舌を這わせる。 ビクリと震える身体。 

子供の頃、巣から落ちた雀の雛を拾った。 拾い上げた掌の中、忙しく命を繋ぐ弱々しい命。 それを自分が支配しているという、奇妙な征服欲と庇護欲。

怯えて縮こまる舌先を挨拶程度に舐めた。 ふ・・と、微かな息づかい。 首筋から頬に目元に高潮して行く様を、これ以上ない至近距離でじっくり堪能する俺。 目なんか閉じるものか。 勿体無い。 柔らかな土と草の上、重ねた手の平の下、ピクッと動くカラシマの指が俺を煽る。 僅かに唇を離せば、切ない溜息が零れた。 斜め下に反らされた瞳。 

一瞬向けられた一瞥は酷く混乱してて、しかし、そこに怒りの気配はない。


「ここを出よう。」

目尻を染めるカラシマに言う。


「ここを、俺と出よう。」

それは切望だった。 そしてどうするのか、何が出来るのか、先の事なんかわからないけれど、俺はカラシマを連れ去りたかった。 ここから出したかった。 そしてずっと自分と居て欲しかった。 

けれど、カラシマは答えない。 黙するカラシマの逡巡する瞳。 
そして唇が開く。


 「・・・・だッて、ショウタロウさんが・・・・」

 「ッて、いつまでココで囲われてんだよッ?!」

発せられた名にカァッと血が上った。 
荒げた声に、カラシマが身を竦ませる。 

言葉を捜す唇は初めの一音すら見つけられず、問い掛ける眼差しには確かに怯えの色。

怖がっている? カラシマは俺を恐れている?

それだから、先生を選ぶのか?


 「も、モトキさんッ!?」

走り出す俺は振り向かない、振り向けない。 俺は無言の糾弾に耐え兼ねてカラシマから逃げ出す。 逃げたのだ。 勝手に暴走しておいて、あとの責任も取れず逃げ出す俺は卑怯者なのだ。 庭の夏草を踏みつけ、バンと木戸を閉めると、鍵も掛けずに走る。 生垣の前、伸びをするジョギング紳士がハッと目を開き何事かと俺を見た。

 あー見ろよ、見ろ! どうもこうもねぇよ、不倫に失敗したんだよ、ホモ失恋だよ、悪いか畜生ッ!


そうして駅まで疾走して、俺は気付く。 
手ぶらだった。 なんにも持ってない。 全部置いて来てしまった。 
要するに、俺は電車に乗れない。 

荒い息を吐く俺はガードレールにケツを預け、そのままズルズルとしゃがんだ。
俺なんて死ねばいいと思った。 
カラコロを曳いたお婆さんが、 アンタどうしたの? と言った。

泣いちゃおうかな・・・・と、マジ思った。



                                     **


          昼前から約7時間。
          当て所もなく知らない町を彷徨う俺は、ただの不審人物だった。


     ♪ 〜 通りゃんせぇ〜 通りゃんせぇ〜〜

ココはどこの細道かといえば駅近くの細道なわけで、トボトボ歩く俺は後ろめたさと言う鉛を二十キロ背負い夏の夕暮れを猫背でトボトボ牛歩するのであった。 あぁもう・・・・。

何しろ世の中には歩いて日本を縦断する冒険野郎も居るのだからと、歩き始めた線路沿い。 が、ジリジリ照り付ける殺人太陽は手強く、緩々上り坂にダァー言った約90分にて根性無しの俺は折り返しを決める。 無駄に疲労する三時間であった。 その消耗たるや激しく、駅裏にある寂れた児童公園で、目付きの悪いキリンに跨り木陰で涼をとる絞り粕のような俺。 

参ったなァと、悔やんでも遅い。 なんで俺、あんなテンパッちゃったんだろう? なァんで『思うだけでイイの・・・』ッてプラトニック不倫を貫けなかったんだろう? なァ、出目金、俺ァどうしたら・・・と悩んだところで事態は一つも変わらないし、出目はダチでも何でも無い。 ヤツは今頃綺麗なあの人に名前を呼ばれ、粉末ミミズだのをガツガツ喰ってる頃。 ・・ 次に産まれる時は不細工な出目金になりたい ・・ 思い詰め涙ぐむ俺はかなりの廃人だった。

唯一の僥倖はといえば、左のケツポケットに200円を発見した事。 無論、電車賃の足しにもならない数字。 だけどこの腹は、満たす事が出来よう。 喜び勇んで菓子パンとパックのジュースを購入し、アリガタイよねぇ〜と公園に戻ってチビチビと食べる。 公園脇の横断歩道は引っ切り無しに、イマイチ音痴な『通りゃんせ』を流した。 哀愁たっぷりの ♪〜 行きはヨイヨイ 帰りは怖いィ〜〜 ッて、俺のココロの唄だとでも言うのか? そうなのか? だけど厭味なほど、御似合いだった。 まさにその通り。 

戻る勇気が出ないまま、ひんやりキリンの首に頬を押し付けて、子供や老人に気味悪がられる俺は、そこでそうしてウダウダと過ごす。 腹と渇きは満たされたが、やはり解決した訳じゃぁなかった。 希望なんて一つもなかった。

けれど、何にでも始まりと終わりがある。 


宙ぶらりんで時間を潰す俺は、傾く太陽に促され、その決断を迫られる。 
決めろよ。 

俺はカラシマとの事を、始まりにするのか、終わりにするのか。 永遠のような夏の日も、果てしなく続くような虚しい一日も、やがて、具体的にはあと数時間でハイ御終いとばかりに終わるのだ。 曖昧なままじゃいられない。 俺はカラシマに言うべき事があるのだ。 伝えるべきことがあるのだ。 まだ発していない言葉を、伝えきれていない俺の気持ちを。 だからカラシマに、ちゃんと好きだと言おう、愛してると伝えよう、そしたらカラシマは俺を選んでくれるだろうか? 先生よりも、俺を選んでくれるだろうか? 

触れた唇の柔らかさと、子蛇みたいに逃げた甘い舌。 反芻する感触は、いつしか夢見がちな脳味噌を支配して


――  『モトキさんが・・・好き・・・』 『ワク・・・、』  ギュッとしてチュゥッとして
     『ぁ・・だめ・・これ以上は、』 『なんで?』 『・・い、いけません・・・だって、ショウタロウさんが・・・・』
     『イイじゃないか? だって俺を選ぶんだろ奥さん?』      ―― 

   ッて馬鹿野郎ッ!!! 俺は団地妻を襲うセールスマンか? 


妄想に背を押され、いつの間にか歩いてきた馴染みの路上。 赤黒い空は不吉な夕焼け。 そしてこれまた不吉な百日紅が 来いよ小僧! とばかりに、黒く両手を広げ待ち構える。 と、その下に泊まるセダン。 黒いセダンの横、街灯の届かぬ暗がりで揉み合う黒い誰かと白い・・・ ナニッ?! 


 「カラシマァッッ!?」

黒いのがこちらを見たのがわかった。 が、顔までわからない。 サングラスをしていた。 夕方なのにサングラス。 ポリシーなのか、余程後ろめたいのか。 賭けても良いが後者だろう。 男はカラシマを攫おうとしてる。 カラシマをあのセダンに乗せようとしてる。 じゃ、なんでカラシマは叫ばない? 叫べない? 

大きく手を振り上げるカラシマの白い顔がこちらを向いた。 

差し伸ばされる腕。 カラシマが俺に手を伸ばす。 確かに俺に手を伸ばし、助けを求めているのに後ろ手に捻られ引き摺られるカラシマ。

 「だッ、誰かァッ!!」

俺は走る、全力で走る、叫びながら走る。 人っ子一人出て来ないから俺は走る、走る、


 「なッ、なにしてんだよテメェッ!?」

掴みかかる俺に、拳を振り上げた男。 頬に、こめかみに、鼻っ柱に、容赦なく炸裂するブワンとした激痛。 鉄錆の味。 だけど防御より、カラシマを引き離すのが先だった。 恐怖に引き攣った顔。 べったりガムテープが貼られ、声無き悲鳴を上げるカラシマ。 

     俺が助けるから、今すぐ助けるからッ! 

殴られても殴られても、俺は男を引き剥がそうとした。 喋らない男は片手でカラシマを後ろ手に捻り、開いた腕で俺をマシンみたいに容赦なく殴る。 ゴツイ指輪を中指にしてた。そんなゴージャスな凶器、反則じゃんと思った。 思った時、腹を蹴られる。 革靴も凶器だった。 ウェッと持ち上がって一瞬息が止まる。 二度目ヤラれたら死ぬかもと、古釘みたいに折れた俺はふと、目の前の膝に噛みついた。 


 「ゥア・・ッ?!」

初めて聞く男の悲鳴にザマヲミロと思い、ぐらつく歯よ頑張れ! と、俺はスッポンみたいに噛み付く。 そして、よろけるように解放されたカラシマ。 すり抜けた獲物に、もがくように手を伸ばす男。 そうはさせじと蛸のように絡まる俺はまたボカスカ殴られて気が遠くなる。 つんのめって生垣に突っ込み、こちらを振り返ったカラシマが戸惑う目をして俺を見る。


 「に、逃げろッ! カラシマッ! いいからサッサと逃げろッ!」

錆び付いたような声。 俺? 叫べば泡みたいな血が飛んだ。 男は絡まる俺ごとセダンに体当たりする。 痛みに頭蓋骨が軋んだ。 軋む頭蓋を髪の毛ごと引き摺られる。 霞んだ目が見た、サングラスのない男。 感情の欠片もない深海魚みたいな顔。 あぁ俺、殺されるなと思った。 愛の為に死んじゃうのかよと思った。 残念・・・ と思ったその時、魚男がポッカリ口を開け、グルンと回転する。


 「大丈夫かッ? まだ生きてるかッ?!」

叫ぶ赤いジャージのヒーロー。 
     じょ、ジョギング紳士ッ?!   嘘ッ!


赤いヒーローの活躍を眺めつぼやけてゆく視界。 

曇り硝子の世界で赤いヒーローは魚男を踏みつけ、男の手首と足首を、白い細い紐でクルクル手際良く縛った。 あぁメデタシ・・・・ スゥッと睡魔に襲われる俺。 まどろみの向こう、カラシマが俺を呼んでいる。 


あぁ、もっと呼んでくれよと嬉しくなって俺は眠った。 

落ちるように眠った。














 *妾宅に赤い百日紅咲く*3.                               4.へ続く