妾宅に赤い百日紅咲く    《2》


     「そのデカイ鉢持てるか? アー揃いの大皿の横の、」

      「あ・・・ほらほら見て、このお茶椀金魚が描いてある。」

      「 ・・・和むよか先に、ココ何とかしねぇと・・・・」



今やすっかり日参、という感じだった。 ほぼ毎日電車に揺られ、百日紅咲く家を訪ねる俺。 そしてカラシマと喋り、カラシマの飯を喰い じゃ、またッ! と帰る俺。 時間が静かに止まったようなここは、居心地が良かった。 ゆるゆる力が抜け、気が緩み、トキに昼寝をする俺は心地良い風に薄目をあけ、傍らで団扇を仰ぐカラシマを見てジィンと感動に震える。 良妻賢母。 忘れ去られた死語が、何て似合うのだろう! 

なるほど、その言葉通りにカラシマは良く働き優しく笑った。 庭の草花を弄り、菜園に手を入れ、座敷にいきなり茶殻をぶち撒けたのには驚いたが 「こうすると埃が立たないんです」 と手際良く箒と塵取りで隅々まで払い、仕上げにキュッと雑巾をかける。 庭の隅にはポンプ式の井戸があり、晴れた日カラシマは大きな金ダライを持ち出し、そこで洗濯をした。 洗濯機はあるらしいが 「冬になったらの御楽しみにしてるんです。」 と、何だか愉しげにカラシマは言うのだった。 幾ら山育ちとはいえ、今時それは極端じゃァないだろうか。 

するとカラシマは


 「向こうでも、皆は普通だったと思いますよ。」

と言い、


 「家は少し特別だったみたいです。」

と、遠い目をした。


カラシマの話によると、陶芸家だったという父親は少々変わり者だったらしい。 電化製品の類は煮炊きや照明、保存に使う他、家の中には全くと言って良いほど無かったと言う。 


 「ツーかそんなんで友達と話し、合わなくなんねぇ?」

 「ん〜〜気にした事はなかったけど、話してる事がチンプンカンプンなのはあったかなァ・・・でも、まだ子供だったし、」

ポワ〜ッとしたのは子供の頃からか、と納得する。


 「いや、でも仲間内で携帯持ってねぇの? とかCD貸し借りするとか、ゲームとか、」

 「全校18人の小さな中学だったし、そういうの持って来てないから・・・」

 「中坊じゃアレだけど、高校とかさ、」

 「あぁ・・・ うん、僕は高校へは行っていないんです」

 「え、なんで?」

何でと言われても困るだろうが、驚いた事に、カラシマの学生生活は義務教育までで終わっていた。 

しかしその理由は悲惨陰惨な何かではなく、通える距離に高校が無かったという事。 交通手段が徒歩だけでは、片道二時間の中学までが限界だったと言う。 ましてや一人暮しなど経済的にも難しく、何より祖母一人を残せなかったのだとカラシマは言った。


 「でもさすがに中学の校長先生が心配して、資格は取っておくようにって、大学検定は受けたんですけど・・・・」

無駄になっちゃいましたね・・・ と苦笑するカラシマは、どことなく寂しい。 


 「学校、行きたかったか?」

 「・・・そうですね・・。 山の夜って、怖いんです。」

 「な?」

 「夜になると、手持ち無沙汰になってお婆さんと二人で、何となく話し込んだりはするんですけれど・・・でも時々、たまにですがどうしようもなく寂しくて、怖くなる時があるんです。 そんな時、いつも学校の事を思い出します。 誰がどうしたとか何を言っただとか、出来るだけ想い出して、愉しい気持ちを膨らませるんです。 中学を出てからも、昔の事ばかり思い出して・・・・・・ でも、だんだん記憶って薄くなって来るんですよね。 段々と上手く思い出せなくなりました。」

人寂しいカラシマ。 人が来れば喜び、帰り際はいつも悲しげなカラシマの、根っこにある孤独が少しわかったような気がした。 そんなカラシマだから、お婆さんが死んだ後、一人きりの何日かをどうして過ごしてたのだろうか? 目玉が溶けるほど、ハラハラ泣いたんだろうか? あぁだから、寂しくてシブサワ先生に付いてっちゃったんだろうか? 

   糞ッ、人の弱みにつけこんで狸ジジイッ! 

俺の中、シブサワ先生の人格はガタ落ち状態だった。 
それが勝手な八つ当たりだとわかっているけれど、でも、そう思わずに居られなかった。


そんな寂しがり屋な良妻賢母カラシマだが、人間だもの、やはり一つくらい大きな穴を持っていた。 駄目でトホホなすっぽ抜ける穴。 この家に通い始めて約一週間、通されるのはいつもこの茶の間だけだった。 後は玄関からここまでの短い廊下と、その途中の洗面所。 今時珍しいデカイ平屋には、まだ幾つかの未知部屋がある筈だが、カラシマはいつも茶の間に俺を通し、何かあればスッと消え、そしてまたスッとそこに戻る。 まぁ、敢えてウロウロするつもりもなかった。 だがその日、昼飯の用意に消えたカラシマを茶の間でゴロゴロ待っていると、突然グヮラングヮラン盛大に響く落下音。 


「どうしたッ?!」

返事がないのに慌てて、廊下を挟む真向かい、台所と思しき部屋に飛び込む俺。 
するとソコはエライ事。


「何・・・コレ?」

乱雑、というのではない。 散らかっている、とも違う。 

鍋だのカマだのザルだの皿だの、あらゆる台所関連がそこに集結して、膝下くらいの高さに積まれ、碁盤の碁石のように等間隔で、奇妙なオブジェのように屹立している。 どれもキチンと手入れはされていた。 埃も被っていない。 見れば積まれたそれらは、それぞれ用途により分類されてもいた。 


「どこに片して良いか、わからなくなって・・・」

つまり、収納が出来ないって? 

うっかり蹴飛ばしたかしたのだろう。 崩れた一山、蒸し器だの金ザルだのセイロだのの散らばる中、途方に暮れた顔のカラシマが小さく溜息を吐き 「呆れますよね」 と言った。 

そうして昼食度、俺はカラシマの案内で五つの未知部屋を巡回する。 どれも、台所と状況は同じだった。 全ての荷物が出され、分類され、積み上げられ、放置されている。 しかし、庭側最奥、八畳の和室に関しては、いつも通される居間同様きちんと整備され物は積まれていなかった。


 「ここは夜に布団を敷くので、来てすぐに片した部屋なんです。」

聞けばこの家は長く使っていなかったらしい。 
だが、カラシマを住まわせる為、急遽人が住める程度には整えたのだと言う。 


 「来てすぐショウタロウさんに手伝って貰って、眠るところと居間は何とか見られるようにしたんです。 それで、後はボチボチおやんなさいと言われてそうしたんですけれど、いざ並べてみても、どこに何を仕舞って良いやら・・・・・・」

ならば俺は胸を張って言うだろう。


 「じゃ、任せろよ。」

 「え?」 

大きく目を開き、俺を見つめるカラシマ。
得意満面の俺は感謝の色アリアリなカラシマに、頼りになる兄貴モードで言い放つ。


 「後は仕舞うだけなんだろ? じゃ、訳もない。 きちんと仕分けもしてあるし、だったらサッサと詰め込んじゃおうぜ?」

何しろ自慢じゃないが俺には、片づけられない親父と15年間暮らしてきた実績があるのだ。 仕事柄、飯は作ってくれる親父だったが、掃除洗濯はまるで駄目。 ならばと一手にそれらを引き受けてきた俺は、そこらの主婦よりかよほど整理整頓には自信があった。 その手腕、今見せびらかさなくては男が廃る。 

 やァやァ秘技妙技ごろうじろ!

斯くしてカラシマを引き連れ、隙間をサーチし、大量の荷物をマシンの如く収納して行くヒーローな俺。 差し詰め、日頃役に立たない親父が、たまの大掃除の時大ハッスルして 「わーパパカッコイイ!」 とか女房に言われて御満悦。 ・・・と言う例えは、設定自体なんか間違ってるだろう? と思いつつ俺は頑張った。 俺はやった。 途中 「手伝いましょうか?」 と、カラシマも申し出たが、目新しい物を見ると 「あれぇ、これ何でしょうねぇ」 などとトリップしてしまうので、正直戦力にはならなかった。

 働く我らに幸あれ! 日暮れを前にして作業は無事終了。 


汗だくの俺にカラシマは、 支度は出来ているから、ひと風呂浴びては? と促す。 風呂まで頂いちゃうのもなんだかなぁ・・・・と変に照れが入る俺はホワンと幸せだったが、そこに水を差したのもカラシマ本人であった。

「あぁ、これでショウタロウさんにも安心して貰えます。」

・・・その名をココで出すなよ。


でも、有り難がり嬉しそうなカラシマを見れば、俺の中は達成感で一杯。 良い匂いのする檜風呂に浸かり、湯上り、用意してくれた浴衣をチョッと短いぞと思いつつ羽織、満足して夕飯を待つ俺。 すっきりした台所で、カラシマは鍋の支度をしている。 今夜は鶏団子の鍋だと言っていた。 縁側には網戸。 夕方の生温い風。 豚の置物の中、傾ぐ蚊取り線香が薄暗い部屋の隅に、うねうね煙りの曲線を描く。 いやぁ日本の夏! と思った。 

思ったその時、電話が鳴る。 

俺はこの家に電話があった事を知らなかった。 鳴った事が無かったから。 しかしそれは鳴った。 居間の飾り箪笥の横、ノスタルジックな黒電話。 ハァ〜イと台所から返事が聞こえ、カラシマが出る。


「ショウタロウさん?」

嫌なタイミングで、電話はシブサワ先生だった。 
吸い取られるように、テンションを落とす俺。 しおしお覇気を失った俺に、電話を切ったカラシマがトドメを刺した。


「今からショウタロウさんも来るそうです。 お鍋、一緒に食べられますね。」

喜色満面なカラシマの笑顔が、気持ち、抉るなァと思った。 


カラシマと先生の関係に付いては、最初から承知していたのだ。 でも、ポワ〜ッと涼しげなカラシマ本人にそんな気配は無いし、シブサワ先生自身にもそうした匂いは無い。 だからそれぞれピンなら、俺はどって事無かった。 多分、平静でいられる。 だけどカラシマからその名が出た時、超親しげな 「ショウタロウさん」 てな先生の名前が出た時、俺はどうしようもなくリアルに、それを意識せざるを得ない。 ましてその、二人揃って目の前に並ぶなんて、俺は・・・ 


「あぁ、すっかり打ち解けているのですね。 ・・・・安心しました。」

や、猛烈、落ち着かなかった。

品良く笑う先生の皿に、せっせと『食べ頃』を取り分けるカラシマ。 そんな仲睦まじさが余計隠微に思え、何喰ってるかわかんなくなるほど落ち着かない俺だった。 そんな俺の気持ちも知らず 「お代わりありますよ?」 と微笑みかけるカラシマを、もう見てられない。 落ち着かない。 無口になった俺は、カツカツと団子を齧り白菜を摘む。 


 「ハハ、若い人は旺盛で羨ましい・・」

そう言って先生が見るから、何か言わなきゃと焦る俺はキョトキョト辺りを見回し、


 「あの百日紅、見事に咲いてますよねぇ」

言ってから眺めるそれは、赤黒い夕暮れの空に溶け込み、なんだか壮絶に怖い感じがした。 


 「あれはね、昔、白かったと言います。」 

 「??」 

 「昔ねぇ、曾祖父の囲ってた女性が神経を病んで、ちょうどあの下で首を切ったんですよ。」 

 「へ、へぇ〜・・・」

 いヤッ、マジ怖い!


俺はこう見えて超常現象だの心霊云々だのに、すこぶる弱い男だった。 子供の頃、ワイドショーの心霊写真特集を診て熱を出すようなセンシティブな性質なのだ。 だが、山の夜が怖いと言っていたカラシマは、ノホホンとした口調で 「土の質が変わったんでしょうかねぇ」 などと、生真面目に先生と議論している。 案外、その手の情緒はねぇのなと思った。 

こうしてキリキリする夕食は終わり、食後に桃を剥いて貰った俺は、カラシマに服を借りてサヨウナラを言う。 汗ビチョの服は、俺が風呂に入ってる間にカラシマが洗っておいてくれた。 だが、当然その時間に洗えば乾かない。


「泊まって行ってくださるなら、朝には乾くのですけど、」

冗談じゃないです。

今晩、恐らくシブサワ先生はこの家に泊まる。 最奥の和室で、カラシマと過ごすのだから。 こんな上品に枯れた先生でも愛人との夜にナニをどうするか、あぁもう考えたくないけど考えない訳に行かない・・・。 のように、あぁもこうもあるだろう夜に、同じ屋根の下スヤスヤ眠るなんて芸当、俺には出来る自信がないのだ。 無理。 お断り。 だって拷問じゃないですか? 

だから俺はカラシマにサヨナラを言い、玄関を出た。 先生は風呂に入って居る最中。 次に入るらしいカラシマは、いつも後ろで縛っている髪を下ろしている。 肩すれすれに伸びた髪は細く、僅かに癖があり、毛先は千切れたように気侭に伸びていた。 自分で適当に切っているのかなと思った。 顔周りを髪に縁取られると、余計に頬がほっそり青白く見え、別れ際の寂しげな表情もいつもよりずっと儚い感じがする。

 ・・・・ 大好きなショウタロウちゃんが泊まるんだろ? 寂しい顔すんなよ ・・・・・・。 

寂しげなカラシマを見ても、トゲトゲした苛立ちが生まれた。 

庭を横切るツンツルテンのズボンの脛、毟りきれなかった雑草が跳ねて、なんだか痒くなりそうだった。 木戸から出ると、貰った合鍵で鍵を閉めた。 随分信用されているのも、まぁ守備範囲外と云う事で・・・・ どこまでも卑屈になる自分が止まらない。 だいたい守備範囲だとどうなると言うのだろう? 関係ないだろう? 関係ない。 俺は遊びに来てるんじゃない。 仕事だ。 仕事なのだ。 

だって、アイツは他人のじゃないか?

とその時、ザッザッザッと間近で足音を聞き、ビクンと心臓が跳ねる。 見ればどって事ない、いつものジョギング紳士だった。 生真面目な表情で真新しいジャージの上下を着て走る紳士は、昼間も夜も、年がら年中ここらを走って居た。 健康維持には良いかも知れないが、仕事はいつするんだろうと他人事ながら気になる。 走り去る紳士を見送り、ふと、自分が件の百日紅の真下に立っている事に気付き、ゾッとして小走りで離れた。 

 あぁ怖い怖いッ! 

口の中モゴモゴ南無阿弥陀仏を唱えながら、当主が妾を囲うのは先生ンちの家風なんだなァと変に感心した。 まぁ一人二人じゃないかも知れない。 実際あの家には、何人住まわしたのか・・・・。 路地へ曲がる間際、怖いもの見たさで振り返ったそこ、妾宅のすぐ手前の家の前にいつか見た黒のセダンが停まっているのに気付く。 そういや朝来た時は、もう少し先に停まっていた。 近所の誰かの車だろうか? 路駐対策でチョッとずつずらしているのかも知れない。 


とっぷり暮れた夜に、赤い百日紅は見えなかった。 
少し、ホッとして、でも小走りで駅まで走った。


カラシマと先生の事は、考えないようにした。










 
*妾宅に赤い百日紅咲く* 2.
                          3.へ続く