妾宅に赤い百日紅咲く    《1
 



           古い住宅街の一角に、その家はあった。
           門柱脇には、見事な百日紅が真っ赤な花を咲かせていた。


                               * *


この春、就職戦争に敗北した俺は、不本意ながら親父の居酒屋を継ぐ事になった。 じゃ、まんまと若社長かよ? と、羨む輩は俺ンちに来い。 開店前の準備から日付けも変わる閉店後の後始末まで、おまえが遣らねば示しがつかぬと、ドヤされ、小突かれ、蹴飛ばされ。 時に賄い料理すら食べ損ねる激務の癖に驚愕の無収入、まさに丁稚というに相応しい俺の毎日は向こう数十年、親父が引退を決めるその日まで続くと思われた。 

だがある日、俺はその素晴らしい労働意欲を見込まれ、スカウトされる。


 「君はたいへん良く働くけれど、アルバイトなのですか?」

右手に山積みの皿、左手でテーブルを拭く俺に、仕立ての良いスーツに身を包んだシブサワ先生がおっとりと尋ねた。 

 「いやぁ〜センセイ、馬鹿をおだてて図に乗せンでくださいよ、デカイばっかでバイトのタシにもなんない野郎ですよォ。」 

口を挟む親父に、先生はおやおやと片眉を上げる。 

馬鹿はねぇだろう と、親父を睨む俺はガー言いたい気持ちを押さえ、いぶかしむ先生に感謝の目礼をした。 カウンターから乗り出した親父が、焼き上がった軟骨を先生の皿に乗せ 「実ぁアリャ、うちの馬鹿セガレなんですよう」 と耳打ちをする。 レモンを絞る先生はほうと小さく感嘆し、


 「御主人、良い息子さんをお持ちです。 彼は実に気持ちの良い青年です。」

と、俺に微笑むのだった。 

笑うと持ち上がる口髭は、髪と同じロマンスグレー。 昔の政治家みたいに整えた髭は、紳士然とした先生には良く似合っていた。 先生は綺麗な箸使いで、何か上等なもののようにカリコリと軟骨を齧る。 そして、冷酒のお代わりを注ぐ親父にこう切り出した。


 「御主人、もしも差し支えなければ御子息をお借りできないでしょうか?」

お、俺かよ? 俺? 

唐突な申し出に、親父の動きが止まる。 
が、続く先生の言葉は更に、俺ら親子をフリーズさせる威力があった。


 「御子息の人柄を見込み、頼みたい事があるのです。 私の愛人の、話し相手になって欲しいのです。」


人は、突拍子のない出来事に出遭うと、正常な判断力を失うという。 

いきなりのドラフト指名と、あまりに先生自身から掛け離れた 『愛人』 と云う言葉。 判断力三割減の親父は 「そりゃァ・・・まァ、かまわんけども・・・・」 と、答えも尻つぼみに俺の顔を窺い、俺はといえば殆んど反射で 「はあ、」 と頷いていた。先生は、知る人ぞ知る古美術評論家だった。 そして、この店には些か似合わぬ常連だった。 満足げに頷く先生はサラサラとコースターの裏に地図を書き、あらかじめ用意していたのか、懐から白い封筒を取り出す。 どうぞと手渡され、あぁと受取ったそれは微妙な感じに重い。


 「明日からでも、毎日でも、どうぞ訪ねてあげてください。」

中には結構な額の紙幣。 たじろぐ俺を見越してか、


 「何も言わずに納めて欲しいのです。 自分のプライベートの為に他人を煩わせてしまうのですから、そうでもしないと私の気が済まないのです。」

と先生は、いつになくきっぱりした口調で言うのだった。 親父はといえば、今しなくても良い付き出しの補充なんかを始め、どうやら見ない振りに徹するらしい。 ならばいよいよ、後には引けなくなった。 視線を泳がす俺に会社員四人組のテーブル席から 「生中三つ、ウーロンハイお代わりッ!」 と声が掛かる。 「ハイッ生中、ウーロン入りマスッ!」 元気に復唱した俺のお盆の縁にトンと触れ、

 「では、頼みましたよ?」 

先生の駄目押しがやんわりと入った。 


その瞬間、俺の雇用は決まったらしい。 

日本列島が記録的な猛暑に見舞われる、八月初めの事であった。



                               **


晴れ渡る空、殺人的な太陽。 新しい職場を目指し翌日の朝っぱら、俺は暢気な各駅停車の旅を楽しみ、件の妾宅を訪ねる。 家から片道約40分。 駅前にはひなびた商店街があって、のんびり、こじんまりした年寄りの多そうな町だった。 通り沿い、目印の呉服屋を左に折れ、車が辛うじて一台入れるくらいの細い路地を五分ほど道なりに歩く。 するとポンと開けた景色が広がり、古い、大きな住宅が並ぶ一角。 黒いセダンが路注する二階家の隣り、一際立派な生垣のある一軒。 

表札はどこにも無い。 入り口は意外に小さな木戸で、木戸なのにペロンと貼られている大手警備会社のシール。 門柱脇には、立派な百日紅が重そうに枝を張り、零れんばかりに深紅の花を咲かせたそれは、夏の青空にハッとする色彩でアクセントをつける。 

見ていると目玉の奥がくらくらとした。 シミジミ、夏だなぁと言う感じがした。 
そんな風に、息苦しいような赤い花が咲くその家に、先生の愛人は居る。 


スッと息を吸い込み、撓んだ枝の陰、なにやら真新しい呼び鈴を俺は鳴らした。 が、応答がない。 さて留守ならどうしようと、そこらをキョロキョロ見回せば、背後をジョギング紳士が通ってチロリこちらを眺める。 ち、違いますッ! 俺は怪しくアリマセン! すかさず念を送る俺。 ジリジリした陽射しに、棒立ちの脳天がチリチリと茹った。 その後二回、三回鳴らしても中からの返答は無く、ならばしょうがない。 俺は、思い切ってスミマセ〜ンと声を張り上げてみた。


 「スミマセ〜ン! モトキですけどォ〜 留守でしょうか〜?」

呼びかけた瞬間、ガチャガチャと鍵の回る音がしてギギギと木戸が開く。


百日紅の赤、濃緑の葉陰、対峙する色素の薄い瞳は一度大きく開いてから細められ、笑みを浮かべた唇が呆然とする俺に ちょうど庭に出ていたのだ と、柔らかな声で告げた。 そして 「どうぞ」 と、中へ促す白い手。 

 「美人ですよ」 と先生は言ったが、確かにそれは間違いではない。

すっきり後ろで束ねられた髪は光に透け、晒された項は雪のように白く、伏目になった瞼には薄っすら静脈の青が浮かんだ。 ほっそり優美な立ち姿。 ハレーション気味の視界、藍染めの浴衣が目に染みる。 夏の庭を滑るように進む素足に、今時珍しい草履。 乱暴な夏草が胡桃みたいな踝に触れた。 彼の人は後に続く俺を振り返り 「暑かったでしょう?」 と花のように笑う。 


     だがしかし、男だった。
     幾ら優美でも綺麗でも男だった。


     先生の愛人は男だった。



                               **


 「ありものですけど、どうぞ。」

緩々した扇風機の微風が、生温い空気をのんびり掻き回していた。 


先刻、衝撃の事実に言葉も出ない汗だくの俺に男は冷えたお絞りと麦茶を勧め、来てくださって嬉しいですと頭を下げた。 社交辞令でもなく心底嬉しそうな表情で、男は暑がる俺に向けてはたはた団扇を仰ぐ。 男はカラシマと名乗った。 カラシマ ワク。 意外にも二つ年上の23歳。  

 「ワクなんて変な名前でしょう? 湧き水のワクと書きます。」

二ヶ月前まで、カラシマはN県の辺鄙な山村に居た。 10歳の時、自動車事故で両親を同時に失ったという。 以降、祖母と二人小さな畑を耕し、山菜を採り、ほぼ自給自足の山暮らしをカラシマは営む。 隣家まで徒歩30分などというそこは、おおよそこちらの世界からは隔絶された陸の孤島だったらしい。 そんな土地で生まれ育ったカラシマは、ある意味生粋の世間知らずだった。 ところが年明け早々に祖母が急死しした途端、意外な方向にカラシマの生活は傾いた。


 「祖母の借金を返せと言うんです。 柄の良くない男の人が入れ替わり立代わり来て、返せないなら働いて返せって、凄い剣幕で・・・」

そんな山暮らしの祖母に借金があったなどとは、にわかに信じ難かった。 が、男たちがちらつかせる借用書には祖母の署名と印鑑が押され、それが果たして祖母本人の物なのかカラシマに判断する術は無い。 祖母の年金と両親が残した保険金でつましく生活して来たカラシマだから、そんな多額の借金など返済出来る筈が無かった。 そんなカラシマに男たちは、生まれ育った山の家の立ち退きを迫った。 そして戸惑うカラシマに借金は働いて返せと、得体の知れない工場への雇用契約書を突きつける。 身を寄せる身内のいないカラシマは、降って湧いた災難に途方に暮れた。 

が、そこに現れた思わぬ助け舟が、シブサワ先生だった。 


 「この場は治めたから、家に来なさいって。 僕が面倒を見てあげましょうッて仰ってくれたので。」

つまり、カラシマはシブサワ先生に身請けをされた。

あっさりしたカラシマの話では、実際どんな遣り取りがあったのかはわからないが、先生は身一つのカラシマを連れて山を降り、この家をあてがう。 そうして先生は、物騒だから外には出ないようにとカラシマに指示し、忠実に守るカラシマは半ば幽閉状態でこの家で暮らす。 


 「でも、必要な物は週三回業者が届けてくれますし、さほど困る事はないんです。」

と、本人は言うが、要するにソレッて先生の口実なんじゃないのかなァと俺は思う。 

やっぱ、男の愛人なんてのは、世間から隠しておきたいものなんじゃないだろうか? しかし、その愛人生活がさほど苦ではないらしく、ノホホンとしたカラシマに後ろ暗い影はない。 それどころか濁り無く、透明で、その名の通り湧き水のようで、


 「でも・・・ずっと祖母と一緒に居たから、一人で居るのは落ち着かなくて。」

すいと立ちあがるカラシマは、いかにも年代物の扇風機を、まだ汗が引ききれぬ俺の方へと近付ける。 この家にはエアコンが無かった。 それどころかテレビも無かった。 古くて質の良い家具と、家電らしきが殆んど無い茶の間。 そんな茶の間に、どことなく浮世離れした浴衣のカラシマが佇むのは何やら時間が止まったようであり、一昔前のドラマのセットを見ているようにも思えた。 

そして立ち上がったカラシマは、ついでとばかりに縁側に置かれた金魚鉢を覗き、 「ハナさん、」 と呼びかけつつ、デカイ出目金にパラパラ餌を撒いた。 金魚はガツガツと瞬食して行く。 言っちゃ何だが不細工な金魚だった。 しかし、そんな不細工な金魚をカラシマは愛しそうに眺める。 束ねきれない後れ毛が、俯く横顔を儚く見せた。 


 「一人は退屈でしょう? と聞かれたので、少し、と答えたら金魚を買ってくれました。 だけども、金魚は返事をくれないから寂しいと言ったんです。 そしたらショウタロウさんが、とても良い方を見つけたのでその人にお願いしてみましょうって、そう言って。」

ッてつまりナンだ? 俺ッて、金魚の代わりかよ? 

・・・・・・ と思わなくも無いが、しかし、にっこり微笑むカラシマに 「来てくれてありがとう」 と言われ、 「や〜まぁ、どう致しまして」 などと間の抜けた返事をする俺。 そして判断力低下中の頭の中、 そういや、ショウタロウッて誰だ? と問い掛けるクエスチョンがあのシブサワ先生とイコールで繋がった時、うわマジかよ?! 

俺はここに来て初めて、生々しいリアルさで 『愛人』 と云う言葉の意味を突きつけられていた。 

カラシマは、先生の愛人なのだ。 
あんなに品良くしている先生なのに、こんなに涼やかなカラシマなのに、ぶッちゃけ二人はそう言う関係なのだ。 

アー、なんか猛烈に落ち着かない!


そんな心中も知らず、素直に嬉しげに真っ直ぐ向けられる視線に吸い寄せられ、魅入られ、シドロモドロに俺は固まる。 上の空で交わす雑談は、おおよそ脈絡無く、さぞやトンチンカンだったろうと思うが、カラシマは何でも興味深げに聞き、退屈している様子は無かった。 

そうしてなにが何だかの内に、そういう流れに従い、俺はカラシマと昼飯を食べる事になる。 何にもないんですけど・・・・ と言って部屋を出たカラシマは、俺が不細工な金魚を眺め、威嚇している二十分くらいの間にテキパキ支度をして、ちまちま盆に載せたそれらを大きめの卓袱台に並べた。 俄かに華やかになった茶の間。 紫蘇と葱とゴマと海苔と、小鉢に盛られた薬味と冷麦の鉢。 鉢には涼しげに、氷と山椒の葉が浮かび、ゴロンと温みのある中皿の上、こんもり円錐に盛られた色良い茄子と胡瓜。


 「夕方だったら食材が届くんですけど・・・すみません、せっかくなのに何も無くって、」

 「いや、充分です。 充分美味そうです。」

御世辞でなく、それは目にも愉しい夏のご馳走だった。 
申し訳なさそうな顔をするカラシマを前に、氷の浮かぶ鉢に箸先を沈める。 ツユには遠慮なく薬味を豪快に入れた。 


 「美味い・・・・・・」

思わず正直な感想がこぼれる。

言うほど腹は減ってなかった筈だが、冷麦の心地良い喉越しに次々箸が伸びた。 そんな俺を見て、不安げだった瞳が柔らかく緩む。 そうして漸く、カラシマは自分も箸をつける。 音も無く冷麦を啜るカラシマは、綺麗な箸使いをしていた。 そういう大人に育てられたのだろう。 ちゃんとした育ちなのだ。 なのになんで愛人なんだろうと、他人事ながらまた、モヤモヤとした。 いわゆる波乱の人生? しかしわかんねぇと思いながら、しんなり艶々した茄子を摘む。

 う、美味い・・・・。 

塩揉みしただけのそれなのに、茄子そのものに不思議と姫リンゴを思わせる香りがあって、瑞々しくて、なんとも衝撃的に美味いのだ。 ならばと胡瓜を口に放りこめば、それまたポリリと歯応えが適当に残り、水っぽくない濃厚な味がする、実に美味い胡瓜だった。 気付けばそればかり、俺は食べていた。 


 「それ、庭でとれたんですよ。」

そう言って庭に投げられたカラシマの視線を辿れば右手奥、青々した長方形。 家庭菜園というよりも、洗練されてプロっぽい感じの野菜群。 丸々した茄子がぶら下がり、胡瓜が揺れ、ピーマンはたわわに、まさに鈴なりのトマト。 


 「え、と、カラシマさんがアレやるんですか?」

普通、愛人は畑仕事をしないんじゃないかと思った。 けれどカラシマは遣るらしい。 ほら と、見せられた掌には不似合いなタコや傷が残る。 が、それは昨日今日出来たものではない年季が入った傷。


 「小さい時から畑は遣ってましたから、」

あぁそうだ。 カラシマはずっと、お婆さんと畑をして来たのだ。 


 「それに、土を弄ると何だか父の事を想い出すんです。」

薄い唇が胡瓜をポリリと噛む。 


 「父は陶芸家だったらしいんです。 らしいと云うのは実際どうだったか、わからないので。」

幼いカラシマは、土を練り轆轤を回す父を確かに覚えてはいた。 だが、それで生計を立てていたようには思えなかったという。 


「何しろ、作る傍から壊すので、売る以前に、仕上がった作品を見た事がないんです。 それに父の死後、祖母は家の裏手にある焼き釜を壊して畑を広げてしまいましたから、子供心にも、何となくその辺は祖母に聞いちゃいけない部分だなァとそのままになって。 だから、ショウタロウさんから父の作品を扱ったことがあると聞いて、あぁ一応仕上げた作品もあったのかとホッとしたんですよ。 ・・・それとか、」

指し示すのは、胡瓜と茄子が盛られた黒褐色の中皿。 
皿だの茶碗だのの価値など一つもわからない俺だが、その皿はなんだか良いと思った。


「俺、こう云うのわかんねぇけど・・・コレ、なんか良い感じですよね。」

見た時からそう思っていたから。 綺麗な色も無いし地味だけど、何だかホッコリ温くなるような肉厚の皿。 カラシマはそっと両手で持ち上げて、

 「僕も、これは気に入っているんです。」

と、静かな口調で言った。 
ふと、慈しむように皿を包む掌に、何故だか自分の手を重ねてみたくなった。

ッて、なんだ? ソリャ?

・・・・・・・ 毒されてる。 

俺はここの奇天烈な空気にすっかり毒されてると思い、黙々と冷麦を啜った。 そして食後の番茶を飲み干した後、途切れた会話の間合いを狙って、そろそろ失礼する旨を伝えるのだが、瞬間、あからさま過ぎるほどの あぁガッカリ・・・。 落胆がありあり見てとれるカラシマの表情は俺ン中の罪悪感をグイグイ引っ張り出して、


 「あぁ・・・すみません。 そうですよね・・・初対面なのに、長々引き止めてしまって。」

 「や、あぁ、っと・・・・」

ハの字に下がった眉尻を見て、ますます罪悪感が募った。 
いやでも別に俺は、コレといって何か悪い事をした訳でも無いのだが。 

しきりに恐縮しながら、済まなそうなカラシマがそこらをざっと片す。 俺はわたわた鞄を引っ掛けると、庭に降りたカラシマに続いた。 そこまで・・・と見送る筈のカラシマは木戸とは反対の菜園へと向かう。 そしてヒョイと腰を屈め、小気味良くもいで行く食べ頃の野菜。 もいだ野菜は手にした竹笊に入れ、若竹色の風呂敷でくるくると、持ち手のついた手提げのようにカラシマは包んだ。 


 「こんな御持たせしかありませんが、」

いや俺は充分過ぎる賃金貰ってるんです・・・とは言えなくて。

差し出すカラシマが、 何度目かの ありがとう を言う。 まだまだ八月の日は高い。 
まだまだ時間はあるのだ。 まだ、もう少し、居てやれば良かったじゃないか? 
頭の中で何度も再生される、ガッカリ気を落とすカラシマの表情。 

 ダァアアアーーーーーッ! もう、


 「・・・・・・明日、明日なら俺、もう少し遅くまで居られるけど、」

ズシリと重量のある包みを受取った俺は、意外なほどナチュラルに次の約束をしていた。 

エッ? と、カラシマが目を見開き、みるみる綻ぶ表情は、実にわかりやすく 超嬉しい! を表わす。 


 「良いのですか? ご都合は大丈夫なのですか?」 

覗き込むようにしてカラシマは尋ねるが、 「うん実は用事がある」 などと答えたらきっと、落胆のあまりハラハラと泣いてしまうだろうと思えた。 泣くな。 いや、でもハラハラ泣くカラシマはちょっと見て見たい気もする。 見て見たい。 似合いそうじゃん。 

    ッて、毒されてるよッ!


帰り道、報告がてら店に立ち寄り、開店前の仕込み中の親父に 御土産だ とカラシマの野菜を渡した。 


「すげぇなぁ、こんなん作ってるのかい?!」 

繁々野菜を眺める親父にざっとカラシマの生い立ちを話す。 
が、カラシマが男だという事は言わないでおいた。 理由はわからないが、何となく。 


「じゃァなんだ、バァさんと二人きり頑張って来た子なんじゃないか、なぁ? ダイキッ! おまえも父一人子一人で生きて来た端くれ、せいぜい話し相手にでもなってタンと愚痴でも聴いてやれッ! わかったかッ!」

 アー、いきなり家族が減る気持ちはわかるわかるぞォ〜 とシミジミする親父だが、事故で親を亡くしたカラシマと母親が男作って逃げたうちとでは、シチュ的に色々違うンじゃないかと思ったが。 【マサヲちゃん】 のロゴ入りTシャツに着替え、前掛けをしめた俺に大量の葱を刻み中の親父が背を向けたまま 「美人か?」 と聞いた。


 「何が?」

 「何がッてそらァ、ホレ、その健気な愛人さんだよ。」

 「・・・・美人だよ。」

嘘ではない。 
だけど、そう答えるのはちょっと微妙だった。 微妙な気持ちの俺に追い討ちを掛けるように


 「・・・おまえ、惚れんなよ?」

と、親父が言う。


 「ひとのモンには手ぇ出すんじゃねぇぞ?」

 「うるせぇよ」

ザケンな馬鹿・・・と答えつつ、でも、イマイチ自信がなかった。 
惚れない自信も、手ぇ出さない自信も

    ・・・・ 手を出す?



          青空に散らばる、百日紅の赤い花。 
          あの生垣の向こうに住む愛人に?


    たった半日足らずで、俺は、すっかり毒されてしまったのだろうか。 













 *妾宅に赤い百日紅咲く*1.                               2.へ続く