アポりナリスの情人 《後編》
はてさて、あの、願いを掛けられた子供はどうなったのだろう?
なにしろ女房の驚いた事! それはそうだろう。 気立ては良いが冴えない器量の自分と、腕っ節は強いが呑んだくれで団子鼻の亭主と、その二人の子供といったらせいぜい器量は悪いが丈夫で愛嬌があるといったのが相場だろう。 なのに驚いた、生まれた子供は輝くばかりの美貌。 産み落とされたこのあまりの美しさに、やぶにらみの産婆はポカンと口を開け、乳を欲しがりこの世の終わりのように泣けば、その愛らしい悲しみに人々は仕事の手を休め思わずシクシクと貰い泣きをした。
美しい子供はジアゾと名付けられた。
土地の言葉で 「明星」 という意味だった。
そんな風にジアゾは愛され、構われ、すくすくと育っていった。
ジアゾを一目でも見た者はたちまちその愛らしさに惹かれ、お腹の中にはムクムクとそぞろな塊が膨れ、やがて胸までつかえるようになり、気付けばジアゾの為に何でもしたい、喜ぶ顔を見られるならば持ち得る全てを投げ打ってでも良いとすら思うのだった。 ジアゾは幼くして人々の心を奪った。
けれど、子供が育つにつれ、少々困った事も出てきた。
ジアゾを愛するあまり、独占したがる者が後を立たなかったのだ。
ある者はすやすや眠るジアゾを揺り篭から攫い、コッソリ自分の部屋で寝かせた。 が、部屋から漏れる鳴き声の愛らしさにその母親がその子をよこせと言い出し、激しく揉め、その騒々しさに駆けつけた隣りの家の親父が、見知らぬ美しい子供に気付き、ようやく事無きをえた。 またある時、ジアゾが歩き始めた頃、ジアゾと手を繋ぎたいが為近所の子供等が石を投げあい争う騒動が起こった。 駆けつけた大人たちにより騒動は静まったが、拳ほどの石を顔面に受け、一人はめくらに、もう一人は潰れ鼻になった。 子供ですら、ジアゾを独占したかった。
我が子を巡る騒動に父親は頭を抱え、母親は血のめぐりが悪くなりぐったりと寝込んでしまった。
まさか我が子が美しいが故に諍いを呼ぶとは!
ジアゾが7つになった時、19回の誘拐と26回の諍いに耐え兼ねて、両親はそれまで住んでいたお屋敷の裏庭を離れ、村外れの空き地に小さな家を建てる。 家のすぐ裏には小さな小屋を作り、入り口には頑丈な鍵が二つ掛かるようにした。 誰も、そこから出て来れないように。
そうしてその部屋にジアゾを押し込めた。
「愛すべき我が子よ、愛するが故におまえを諍いから遠ざけたい父をどうか恨んでくれるな!」
酒も喉を通らなくなった父は、青白い顔でメソメソと泣いた。
「おまえを、斯くも美しく産んだ母をどうぞ恨んでくれるな!」
母親は父親にそっと剥がされるまで、愛しい美しい我が子を抱き締めオイオイと泣いた。
そしてジアゾはというと小屋の中に林檎が二つ置いてあるのに気付き、それを食べて良いか? 種を窓から飛ばして良いか? と魔物も迷うような微笑みで言うのだった。
ジアゾには、何故両親が泣いて悲しむのかわからなかった。
何故人は自分をつれて行こうとするのか、何故争うのかわからなかった。
ジアゾは少々頭が足りない子だった。 素晴らしい見てくれが七癖を隠していたが、形の良い頭の中身は母屋の犬よりも劣る知恵足らずだった。 なので、ジアゾは小屋へ閉じ込められる事も全く苦ではなく、むしろ好きなだけ寝て、食べて、御手伝いもしないで済むなんて! と、喜ばしく思っていた。
そうしてあっという間に10回春が来て冬が来て11回目の春が過ぎる。
月日は仔リスのような愛らしさを、豹のような美しさへと変え、ジアゾは18歳の美しい若者になっていた。
その日、騒々しい外の様子にジアゾは何事かと飛び起きて外を眺める。 綺麗な背骨が蛇のように動く剥き出しの背中には、着古した皺くちゃの寝巻きをだらしなく羽織った。 見れば窓の外に黒山の人だかり。 そしてその輪の中心、人々の頭を覆うように、黒い塊がワンワン唸りをあげている。
なんだろう?
ジアゾは窓に顔を押し付け、その光景をじっと見つめる。 やがて人だかりのそれぞれが口々に自分の名を呼び、こちらを指差しているのがわかった。 同時に、近付いてくる彼等の頭上、唸っているのが無数の蝿だという事にも気付いた。
黒雲の様に、唸る蝿の大群。 蝿は何かを追いかけている。 追いかけているのは人だかりの中心、真ん真ん中に居るらしい誰か。 チラリと白銀の髪が見えた。 こちらを見つめる瞳が鳩の血の色をしているのが見えた。 蕩ける笑みを浮かべた唇が自分の名を呼んだように見えた。 そして、未だかつて見たこともない美しい誰かが小屋の前に立つのが見え、ジアゾは余りの緊張と興奮にベッドの下に置かれたおまるを取り出しジョボジョボと小便をした。 そうしてまさに小便の雫を切ろうと一物を小さく振っているところ、ガチャリと鍵が解かれ、彼の美しい人は目の前に立つ。
「あぁ! これはご立派な!!」
美しい人はジアゾの一物を眺め、一言そう洩らした。
そしてそれを不満とでも言うように、頭上の蝿たちは一際ウンウンと唸った。
ジアゾはたどたどしく、美しい人に声を掛ける。
「ぼ、ぼぼぼぼくと、あ、あ、ああそ、あそんでくれるのかな?」
「遊ぶといえばそうなのかも知れませんが、遊ぶのはあたしじゃありません。」
美しい人はツカツカとジアゾに近づき、身体のあちこちを出来の良いカボチャを選ぶ女のようにしげしげと眺め、そして
「あたしも不本意ながら色々見てきましたけど、どうやらあなたがこの地で一番、一等、ご主人様の注文に近い若者のようですな。」
そう言い半裸のジアゾの腹をちょんと指で押し、張りを確かめ、唸り、細く優美な指で一物を摘むと猫のように目を細め なるほど と言った。
また蝿が唸った。
「ご、ごごごごごごしゅじんんさまというのは、あ、ああ、ああんたみ、みみみたいなのかな?」
「そうも言えますけど、まァ、何ともあたしからは言えません。」
美しい人が、何を言えないんだか言えるのだかわからないが、ジアゾは写し身と一緒にアポリナリスの待つ神殿へと向かう事になった。 別れを惜しむ父母には壺一杯の金貨が渡され、母は半分引っ込んだ涙を前掛けで拭い、父は浴びるほど呑めるぞとうっとりした。 そしてジアゾは嫉妬深い蝿たちにたかられながら、踊るような足取りで美しい人の後に続いた。
まだ見ぬ美しいご主人様とやらで、ジアゾのちっぽけな頭は一杯だった。
けれど、思わぬ事が思わぬかたちで起こるのが物語の常。
神殿までの道中、山羊の皮を継ぎ合わせた絨毯を湿原に広げ、二人は三度夜明かしをした。 ジアゾは役にこそたたないが余計な事もせず、ただ眠る前に話をしてくれとせがむ以外には、とりたてて写し身を困らせる事はなかった。
けれど三日目の夜明かしの時、それは起こった。
いつものように、写し身はジアゾに話を一つ聞かせ、そして眠ろうと背を向けた。 だがジアゾは、もう一遍話してくれとその背中を揺すった。 だけども写し身はヘトヘトだったの、起きずに寝た振りをした。 ジアゾは尚も揺する。 寝たふりをする写し身。 ついにジアゾは写し身に馬乗りになりユサユサと揺する。 と、その時、ジアゾは未だかつて経験した事の無い不思議な衝動を、熱を、身体の芯に強烈に感じた。 そしてさらに激しく写し身を揺すり、横たわる良い匂いのする身体に両手を回してピッタリとしがみ付いてみた。
突き上げるような興奮に、ジアゾは獣のような呻き声をあげた。
・・・・・・ と、まァ後はお決まりさ。
いや不思議なものでこう云うのは誰も教えなくともそう云う風に成るべくして成り行うものなのだと、
あぁ巧くしたものだ。
ジアゾは他人の身体の不思議を存分に味わい、目が眩むような興奮と共に、己の身体の色々な働き自ら経験するかたちで存分に学んだ。 美しい人のそんな部分がそんな秘密を隠していたなんて! 何しろ、小便意外にその使い道があるとは全く、デジウは思いもよらなかった。 そして素晴らしい使い心地のソレ。 最中、美しい人は 何度もも 「やめときなさい」 と菊座に打ち込むジアゾを制したのだが、ジアゾはお構いなしに続けた。 そうして獣のように交わり、ジアゾは雄叫びをあげて達する。 その瞬間、デジウは世界がグルッと捻れたのを感じ、押し寄せる恐怖に頭を抱える。
気付けば蝿になっていた。
ブンブン纏わりつく蝿を払い、
「あぁもう、手土産は忌々しい蝿だけだなんて!」
さっきまでジアゾが纏っていた布切れで、ベタベタになった身体を拭い、ヘトヘトの写し身は主人への言い訳を考えつつもう一眠りをした。 その姿を見下ろし、蝿たちは相変わらずワンワンと唸って飛んだ。 その中の一匹がジアゾだったのは云うまでもない。
やがて朝になり、写し身は蝿を引き連れまた歩き始める。
そうして神殿へ着いたのはお昼を少し回った時分、ホテイアオイ売りが水瓶を担ぎ甲高い草笛で客を集めるそんな頃。
「戻りましたよ、ご主人様!」
一声怒鳴り、写し身はスタスタと神殿の中に入った。
勝手知ったる様子で広間を横切り、幾つかの廊下を渡り、沼を囲む回廊をぐるりと、主の部屋のある向こう方まで、優美な滑らかな足取りで進んだ。 写し身を見てペラペラたちは
−− 美しいあなた!戻って来られたのですねあなた!
と、感極まり泣き叫ばんばかりに歌った。
けれど写し身はそんなのには構いもせず、重そうなドアの前に立ち、ゆっくり三度ノックをした。
ドン! ドン! ドン!
暫くすると、ギギギとドアが開いた。
写し身はその隙間から身を滑らし部屋に入り込む。 そして写し身の後を追い、無数の蝿たちもスルリ部屋へと入り込む。 写し身は部屋の中央にある天蓋付きのベッドに近付き、
「只今戻りました」 と声を掛けた。
スルスル天蓋が引かれ、ベッドの中央に大きなイボガエル。
どっしり鎮座しているカエルが、一言ゲロロと鳴き
「さて若者はどこだ?」 と写し身に訊ねた。
途端にワンワンいっそう喧しく唸り纏わりつく蝿たち。
「な、なんだなんだ? この蝿たちは一体、」
カエルのアポリナリスは写し身の頭上、唸る蝿たちを睨み、つまりこれは何事か? と
顰め顔の写し身に問うた。
すると
「何だッて蝿ですよ。 あなたの術に掛かった蝿ですよ! どれもこれもなんであんな場所にあんな出っ張りを入れたがるんだか、全く・・・・理解に苦しみますよあたしは!」
写し身は苛々した口調で吐き捨てる。
でも一番に不機嫌で苛々しているのは他でもない、期待外れに拍子抜けするアポリナリス、その人であった。
「だから蝿か? 蝿を連れて来たと? 冗談じゃない! 蝿だと?! 散々おまえなんぞに群がった蝿か?」
カンカンになったアポリナリスは、カエル特有の長い粘つく舌を伸ばし、飛び上がり、不愉快な蝿たちをパクパクと食べた。
「食べることないじゃないですか! あたしはどうなるんです?!」
写し身がキーキーと怒鳴る。
「どうもこうもない! この役立たず!」
そう言い返したアポリナリスは今まさに最後の一匹を舌に巻きつけ飲み込もうとするところ。
が、その途中叫んでしまった為舌の巻きが緩み、アポリナリスのパカリと切れ込んだ口に、大暴れした最後の一匹の蝿がぺたり、
ボウン!!
黒い煙と白い煙が小さな爆発をしてそして消えた。
煙の後に残るのは、麗しく艶やかなな美しさを取戻したアポリナリスと、その唇に自分の唇を押し付けたまま恍惚とするジアゾ。
「なんて事! 望みがこんなかたちで目の前に現れるとは!」
アポリナリスは自分の望んだそのままに出会い、生まれて初めて恋という感情に支配された。
そしてジアゾは
「ウ、ウウウウウうれしいなうれしいな、き、きれいなひとがまた、き、きもちいい、きれいなひとが!!」
腕の中に納まるしっとりとした肌にグイグイと、さっそく鎌首をもたげる一物を押し付けるのだった。
もはや飴細工のように絡まり、愛を交わす二人に写し身のミミズが叫ぶ。
「ちょっと! あたしはどうなるんです! あたしを戻してくださいよう!」
すると、覆い被さるしなやかな身体の下、すんなりした腕が伸び、写し身のほっそりした手首を掴み、引き寄せた同じ顔、同じ唇にそっと口付けを一つ落とした。
ぽん!
小さな煙の後、小さなミミズが大慌てで床を這って行くのが見えた。
そうして後に残るのは幸福な二人の愛の途中。
あぁ、全く幸福だとも。
求めるかたちは常に水のように変容するのと同じく、
幸福のかたちに決まりごとはない。
むかし、むかしの話。
October 28, 2004
アポりナリスの情人
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というリクで書く
* アポりナリスはイタリアだかどっかのコーラっぽい飲み物の名前(らしい)。