204号のちび    《後編
     
        


「・・・・・それ、部屋番号じゃないの?」

「部屋?」

珍しく終電に間に合ったツザキは、1時過ぎの食卓で好物の鉄火丼を掻き込む。 

僕はその真向かいに座り、カツカツ丼を傾けるツザキにちびの話をした。 ツザキはそんな取り留めない話しをフンフン頷きながら黙って聞いていたが、首輪の番号の話を聞くと思いついたようにこう言うのだ。

「結局、猫が迷った時、名前なんか書くより確実なのは飼い主の所在だろ? だから、ちびの飼い主ってココの、204号室の住人なんじゃないかな?」

そう言って貝の吸い物を飲み干し、ホウと息を吐いた。 204号、そうか、部屋の番号か。 ツザキの意見はなるほどと思えたが、一つ解せない点がある。

「じゃさ、でもちび、どうやってベランダからここに来たんだろう?」

そう、ここは四階だった。 しかも件の204号からは右に三件移動して、そこから二階上がらねばならない。 あんな小さな仔猫にそれが可能だろうか?

「ウゥ〜〜・・・・だな、でもそら、獣道みたいななんか、仔猫ならではの通り道があるんじゃないの? そうそう、うちの会社、また猫が出たらしいし、」

「見たの?」

「や、俺は見てない。 けど社食から戻った時、今ココに居たんだッてデスクの周りがパニクッてた。」

「・・・・・・猫、会社気に入ったのかな?」

「かもな。」

食後の一服に手を伸ばすツザキから空いた皿を受取りシンクへと運ぶ。 

「浸けといてくれれば洗うから・・・眠いんじゃないの?」

妙に遠慮がちなツザキの声を背中で聞き、「たまには洗うよ」 と洗剤を泡立てていると、遠慮がちな男は何時の間にか背中に貼りつき、

「疲れてない?」

と言った。 

「そりゃ、僕よりソッチでしょう?」

そう受け流す首筋を滑るザラリとした髭の感触。 思わず身を竦めると、ポチャンと手にした箸置きが洗剤の溜まりに落ちた。 拾い上げようとする前に、ツザキが僕の名前を呼ぶ。 密着した背中、覆い被さるようなツザキの重み。 囁かれる名前は気恥ずかしく甘く、そしてツザキ自身の微かな心許無さを匂わした。 

「・・・もうちょっと、起きてて欲しい・・・・」

加えて、そんな懇願をされたなら、僕はこう言うしかない。 

「汗、流してきて、早く、」

そして耳の裏に唇を押し付けられ、ギュッとして離れて行くツザキを振り向かずに感じる。 振り向けるものか。 こんな赤い顔、如何にも期待してるような顔を見せられたもんじゃない。 あからさまに新婚な遣り取りに、我ながらキィッと身を捩りそうになった。 だけど、満ち足りてるのも事実。 ツザキが見掛けほど頑丈でないのも薄々わかったし、こんな自分でもツザキの支えになっているのかなという実感がホンの少しは持てた。 例えばセックスで? まぁそれでも良い。 取り敢えず、一緒に暮らして互いが寄り添えるなら幸いではないか? 

洗い物が終わると、浴室の水音がやけに大きく響いた。 リビングの壁時計は2時少し前。 明日起きれるかな、と思ってから、一人でまた赤くなった。 そうして思い起こせば今日一日、もやもやを一つも感じず過ごしていた事に僕は気付く。 ニャァと見上げる金の目を思い出すと、ほっこり緊張が緩むのを感じた。 また明日、ちびは来るだろうか? そんな風に待ち侘びる自分が、子供みたいにワクワクしてるのを不思議だと思う。 こうして、僕には小さな愉しみが出来た。



果たして翌日もその翌日も、ちびは何時の間にか現れ、ジャコバサボテンの葉陰で ニャァ と鳴いた。 そして僕は ちび! と仔猫を呼ぶ。 そんな通い猫のちびに、僕はささやかな幸せを感じていた。 ちびに話し掛け、時々膝に抱き、仕事中の足元にまどろむ毛玉を感じ、小休止のお茶の時間ならチョッとだけだよと二人で苺ジャムを舐める。 今までちゃんと動物を飼った事は無いが、ちびはつくづく煩わしさの無い、実にわきまえた猫だったと思う。 時々、あまりの察しの良さに、言葉がわかるのかなと思う事すらあった。 わかっているのかいないのか、絶妙なタイミングでニャァ言う金の目を見ていると、心の中、雑多とした諸々が、まぁいいやと流せる類に変わって行く気がした。 

刻々とツザキのマニラ行きは近付いては居たが、けれど意外なほどフラットにそれらを受け止めている僕は、ちびに随分癒されていたのだと思える。 フラットな僕は不思議と眠気が抜け、相変わらず遅いツザキの帰りを待ち、話を聞いたりいちゃついたり、忙しいながら充実した毎日を送った。 ツザキが弱音らしい言葉を洩らすようになったのも、意外な変化だった。 こうした静かな気持ちで自分たちを眺めると、僕は、二人で暮らすという事を二人で一つくらいに履き違えていたように思える。 僕らは二人で支えあう個人なのに、互いを引き摺り二人で傾く、一種シャム双生児のような依存をツザキに抱いていたのでは無いかと、そんな事を考えたりもした。 いずれにせよ、ちびとのふれあいの中で、僕らは本来の付き合い方、距離を取戻せたのは事実だった。 それはとても、気持ちが解放される変化だった。
 

そうした何日か目の或る日、ちびが時折居眠りをする花台の端に、僕はツザキの着古したトレーナーをふわりと広げて置いた。 芥子色のそれは薄いガーゼを重ねた肌触りの良い感触で、長い事ツザキのお気に入りでもあったが、先日うっかり醤油差しを倒し目立つ胸元に歪な染みを着けてしまった。 捨てるには惜しいそれを、僕はチビに進呈しようと思った。 ポンポンと表面に窪みをつけ、じっと眺めているちびに どうぞ と声を掛ける。 ちびはすぐには動かず、暫くジィッとトレーナーを眺めていたが、不意にピョンと花台に飛び乗ったかと思えばそれに近付き、前足で何度も何度も寝心地良さを試すように何度も踏み踏み踏みしめて、それから 「よし!」 とばかりにゴロリ、長い尻尾を身体に沿わせて丸くなる。 そうして金の目を瞬かせ、満足げにニャァーと鳴いた。 

「ちび、君の場所だよ?」

僕はちびに話し掛ける。

「うちの子になったら良いのにねぇ」

それは無理だと知りながら、僕はちびをずっとここに引き止めたい気持ちで胸が詰まりそうになった。 けれど、ちびはそんな僕の気持ちも知らず、勝手に現れて何時の間にかどこかへ帰って行った。 

そう、僕は未だにちびがどこから現れてどこに戻るのか知らない。 注意して見ていても、その道中を目撃するのは一度も適わなかった。 マンションの204号、僕らがちびの飼い主と仮定するその家はいつも大抵カーテンが引かれ、どうやら昼間は居ない家だとわかった。 が、それ以上コンタクトを取る理由も切っ掛けもないので、実際確かめた事はない。 そして、ちびは現れて、ちびは消えて行く。 晴れの平日ならいつも。 ちびが現れない日、それは雨の日と如何にも降りそうな曇り空の日、そして週末だった。 そんな日は、幾ら待ってもちびは来なかった。 僕は黙々と仕事を進め、或いはツザキとじゃれあいに現を抜かし、ジャムの壜は冷蔵庫にしまわれたままヒンヤリと、ちびが現れるのを待ち侘びる。


「いっそ、うちでも猫かなんか飼うか?」

連日ちびの話をする僕に、ツザキがそう提案した事があった。

「子供とかさ、居ないだろ? それはそれで俺は楽しい事もあると思うけど、でも、この先色々あった時、愛情注げる生き物が居るとお互いの緩衝材にはなるんじゃないかなってさ、」

「・・・・そうだね・・・・でも、今は駄目だよ。 だってちびが来てくれてるんだから、そんな、新しい子を置いとくのはなんか、」

「だな、ちびも良い気しないよな・・・・」

そうして僕らは毎日、ホントにほぼ毎日、ちびの話をした。 一度も見たことの無いツザキには写メッてくれと頼まれたが、ちびを写真に取るのは容易でなく、毎回寸でで擦り抜けられてはツザキにガッカリされる僕だった。 そしてまた二人で過ごす穏やかな時間、自分ちの猫でもないのに、ちびが、ちびがと、勝手な名前で呼び、そして話の最後には 「うちのちびになってくれないかなぁ」 と僕が溜め息を吐き、ツザキが 「無理言うな」 と僕を抱き締めて御決まりの会話は終わる。 つまり僕たちにとって、ちびは不可欠な存在になっていたのは事実だった。 そして一方、ツザキの会社では相変わらず、謎の「都会猫」があちこちで目撃されていた。 

「それも黒猫だって言うしさ、うちのちびといい、あの手の猫は家出癖があるんじゃないか?」

「えー、実は誰かが会社に連れて来てるんじゃないの?」

「ウゥ〜ン、同じ事言ったオエラが居て、荷物検査をするとか提案したらしいんだけど物凄い勢いで却下。」

「だろうねぇ・・・・」

どこもこの時期、不思議と猫に縁があるのだなぁと二人で笑った。 

誰も彼もが小さな黒猫に振り回され、チョッと楽しい気持ちにワクワクとしていたその頃。 そんな素敵な毎日がずっと続けば良いと思った。 僕らとちびのワクワクする毎日。



やがて七月に入り最初の週末、ツザキは大きなトランクを買い、僕は必要な持ち物をあれこれ買い足し揃え、マニラ行きに備えた。 毎日電話をするから、とツザキは言い、八月は電話代破産かも知れないと僕が答えると、定期を解約するからと半分本気の口調で笑った。 そして粗方の支度を週末に済ませ、秒読みの平日、相変わらずちびと僕はのんびりと過ごし、ヒンヤリしたジャムを舐めた。 

そしていよいよ明日ツザキはマニラへ行くという水曜の昼過ぎ、今やちび専用となった蔦の葉模様の皿にジャムを盛り付ける僕は、

「あぁちび、今日でこのジャムはお終いだよ、」

と、薄赤い斑の壜底を待ち侘びて見上げる仔猫に見せる。 

ちびはちらとそれを眺め、そしてかまやしないとでも言う勢いでふぬふぬと今日のジャムを舐め、こ削げるようによそったお代わりを舐め切ると、満足げに手足を舐め、ついでに屈み込み眺める僕の指先をも舐めた。 空っぽの壜をザッと洗い、明日からどうしようかなぁと芥子色のトレーナーの上、渦のように丸くなるちびを僕はぼんやりと眺めた。 そして飲みかけのコーヒーを飲み、ヒョイと視線を戻した時、もうそこにちびの姿はなかった。急に風が冷たくなッた気がして窓の外を見る。 向うの空に見る見る黒い雲が広がっているのがわかった。 

あぁ降るなと思った。 だからちびは帰ったんだなと解釈した。

案の定、雨は間も無く降り始め、夜半過ぎまで続いた。 

さすがに出張前だからかツザキは23時前というここ暫くでは破格の早い時間に戻り、これでもかと用意した和食三昧に舌鼓を打ち、そして早々に風呂を済ませると永の別れだからなどと言い、ヒョイと僕を担ぎ寝室へ向かった。 明日の出発は昼過ぎ、10時に家を出れば充分間に合うのだから時間のゆとりは十分にある。 だから、僕らは少し破目を外す。 思えば、同居してからの方が色々淡白だったかも知れない。 次にいつ会えるかと思いつつ過ごす時間は、ずっと居る一日より濃いのかなと思った。 そしてその類に漏れず、次は二週間後というリスクのある僕らは非常に濃い二時間余りを過ごす。 乱痴気騒ぎの夢の後、すぅすぅ眠るツザキの下から抜け出すと、窓の外、叩きつけるようだった雨は殆んど止んでいた。 

雨はそのまま止んだが、朝になっても空はどんよりと鉛色の出発にはふさわしくない運鬱さだった。


「せっかく平日こうしてるのに、噂のちびには会えないか・・・・・」

垂れ込めた雲を眺め、ツザキが残念そうに言った。 

スーツを着てないツザキ。 機内は長いから、ラフな緩い服装で日曜みたいに寛ぐツザキだが、引っ切り無しにチケットを確認するのはやはり、気持ちは落ち着かないのだろうと思った。 そうして直に、一々確認の為取り出すのに焦れたか、ツザキはチケットの封筒を取り出し小振りのスポーツバッグの隣り、リビングのテーブルの上に置いてフゥと溜め息を吐く。 何もする事がない割に、何かするほどに時間はなかった。 気乗りしない何かを待つ時間と云うのは案外に早い。 時計代わりにつけたテレビの画面はこれといって興味の無い芸能ゴシップから始まり、九時半を廻った頃、安くて美味しい御弁当特集に変わった。 

「なにが心配かって、やっぱ喰いものだろうな・・・」

資料の最終チェックを行うツザキがそう溢し、窓の外を眺め、そして あッ! と小さく声を上げる。

「ちび? な、アレちびじゃないか? ちび! うわホントに真っ黒な猫だ! ちび!」

ワタワタするツザキの示す先、まだ雨粒の残る真鍮の花台に黒い小さなちびがちんまりと佇む。 

「あぁ、会いに来てくれたんだよ!」

僕は窓に走り寄り、 ちび! とサッシを全開に開けた。 
瞬時に流れ込む湿った雨上がりの空気と黒い風のようなちびの残像。 

「ちび?」

風のようなちびは僕とツザキを擦り抜けて出窓の花瓶を倒し、写真立てを床に払い、

「うわぁ! おいッ?!」

サイドボードの縁に置いたコーヒーカップは綺麗な放物線を描き落下、その真下に置かれたツザキの淡い色合いの上着は見る見る黒々としたコーヒーに染まる。

「どうしたのッ? ちび?!」

慌てて着替えを始めるツザキは真青だった。 そして僕は尚も弾丸みたいに走り回るちびを追いかけ、怒鳴り、何とか捕まえようと躍起になり腕を振り回し叫ぶ。

「ちびッ! 落ち着いてよッ! ちびッ?!」

金のお皿みたいな目を見開いて尻尾を狸みたいに膨らまして、ちびはどうしちゃったんだろう? 一体どうしちゃったんだろう? 狂ったように走り回るちびはニャァとも何とも鳴かず、甘えの無いピリピリした雰囲気は何故か酷く必死な印象を受けた。 がしかし、そうか、と済む状況ではない。 ちびは部屋のあちこちで救い道のない破壊行為を繰り返し、これでもかと僕らの擦れ擦れでスルリと小さな身を交わす。 そうして物凄い跳躍でタペストリィを引き摺り下ろしたちびがリビングに逃げ込み、それを着替えから戻ったツザキが こら! とリビングの端で待ち構えた。 

「ちびッ!」

挟み込むようにちびを追いかける僕。 が、ちびはヒョイとリビングのテーブルに登りヒョイとツザキの航空券を咥える。

「それは駄目ッ!」

叫んだ僕とツザキが滑り込むようにちびに飛び掛り、しかしちびはしなやかに宙を蹴り、そしてそのまま窓の外、真鍮の花台の、ジャコバサボテンの葉陰の、

「ちびッ?!」

「お、落ちたか?」

わからない。 わからないけれど、ちびはフツリと姿を消した。 見回す地表、まだ湿った石畳にそれらしき痛ましい姿はない。 

「ちび、ちび、ちびッ!」

「ち〜び、ちび、ちびッ!」

僕らは呼びながらマンションの外を捜す。 航空券もそう、でもそれよりも僕はちびを捜していた。 ちびの姿を捜しながら、その癖想像する最悪の形で発見したくないと願っていた。 時刻は当に11時を回っていた。 マンション周囲を歩きながらツザキはあちこちに電話を掛け、結局新たに自腹でチケットを取り4時間後のノースウェストで向かう事を取り付けた。 

「件のちびに、まさかこんな形で会うとはな・・・・・」

苦笑混じりのツザキは、怒っているというよりは気落ちしているようだった。 僕はゴメンと自分が謝りながら、でも、心の中で どうかちびを恨まないで欲しい と思った。 そんな風に何往復かした時、植え込みを覗いていたツザキが

「ちび、飼い主のところに帰ったんじゃないか?」

と言った。

「ホラ、204号の、」

あぁそうだ、204号。 確かめた事はないけど、ちびはきっとそこに飼われて居ると僕らが思っていた二階の。 こんな切っ掛けは最悪だけど、僕らはちびの生存を信じてその、2階の部屋を尋ねた。 表札の無い部屋。 一回、2回、チャイムを鳴らしドアの外で待つ。

「ここ、昼間見かけない家なんだっけ?」

そうツザキが尋ねた時、奥で物音がした。 何かを引き摺るような音。 阻止てかチャリと音がしてチェーンをつけたままのドアがそっと開けられる。

「・・・・どなた?」

恐々覗くの銀縁の眼鏡、くしゃくしゃした白い頭、小柄で小さなお婆さんは訝しげに僕らを眺め、 何の用か? と尋ねた。

「あの、すみません。ここの406に住む者なんですが、お宅で猫を飼ってないでしょうか?」

「猫?」

ツザキを見上げるお婆さんは小さく首をかしげる。 

「えぇ、黒くて毛足が長いまだ仔猫なんです、首輪に204とあって、だったらこちらじゃないかと思って、あの、もしかしたら怪我をしたかも知れないんです、」

そう続ける僕を遮り、お婆さんは

「うちじゃ、ないよ」

と言った。

「うちはね、確かに204だけど病人抱えてるからね、とても猫なんか飼えないんだよ。 だから悪いけど、あんた達が言うその猫はうちのじゃないよ、」

そして僕らはバタンと閉まるドアを呆然と見つめた。 確かめちゃいなかったが、ちびはここの猫だと思い込んでいたから。 ココでないなら、ちびはどこの猫なんだろう? 気を抜かれた僕らは、言葉もなく歩き出す。 家までの距離が長く感じられた。 そして玄関を入ればまた凄まじい惨状が、僕らを一層無口にした。 つけっぱなしのテレビはまだ、賑やかでハイテンションな情報を流し続けている。 そんな場違いな騒々しさの中、僕らは無言で室内を片付け始めた。 

と、急にブラウン管からのテンションが変わる。 カメラはタレント司会者から番組キャスターに代わり、画面はどこかの建物の前、ガラス張りの広々した建物、軽い興奮状態でどもりながら話す現地キャスター、その背後に離陸する飛行機が映りこむ。

―― 本日・・・・が・・・離陸40分後・・・何らかのエンジントラブルを・・・・空中大破、乗客203人・・・・・絶望的・・・・・・・・・

「お、おい・・・・・・」

画面の凝視するツザキが、呟くように洩らす。 上空からの画面。 黒っぽい海に点々と、紙屑みたいに浮かぶ無数の破片、

―― もう一度繰り返します、12時38分発 成田発マニラ キャセイパシフィックCX521便 添乗員含む乗客203人の生存は絶望的と・・・・・

「・・・・203?・・・・・」

何かがカチリと嵌った。

「ねぇ、」

ツザキを見上げる、と、ツザキは

「まさかだろ・・・まさかだよ・・・・・」

泣き笑いのような表情で言った。 がしかし、僕らはそれを見つける。 開け放ったままのサッシの外、真鍮の花台の上、ジャコバサボテンの葉陰、ポンと無造作に置かれた細長い封筒、トラベラーズチェックの派手な広告が印刷されたそれは、

「ちびッ!?」

一つも汚れてないチケットを握り、僕は曇天の空に叫んだ。

「ちびッ! ちびッ! ちびッ! ・・・・・・・」

偶然なんかじゃぁない。 あれは偶然なんかじゃない。 何もかも合点が行くのだ。 マニラ行きが決まった日に現れたちび。 真っ先にツザキの部屋に突進したちび、そしてそのツザキに姿を見せず、けれどその日からツザキの周辺で現れた謎の都会猫。 そうして僕らの周りに現れ、僕らを守ってくれたちびだからこそ、ちびの首輪の数字が実はツザキの命の数字だったのだと僕は信じて疑わない。 だからこそ、ちびはあんなにも暴れたのだ、あんなにも、選りによってのあのタイミングで、そして航空券まで持ち去って、

    ちび、 ちび、 戻っておいで、 ちび、 ちび、 おまえに感謝したいんだ、 ちび、 ちび、
    ねぇ、うちの子になろう?    ねぇ?    ちび?




     そんな風に、僕らはちびと出逢い、唐突にお別れをした。 

でも、僕らはちびがきっと、また戻って来てくれると信じて止まない。 そして今度こそ、ずっとうちの子にしようと思う。ずっとずっとうちの大事なちびで居て欲しいとあのお皿みたいな目にお願いしてみようと思う。


それだから、晴れた日には僕らはベランダのサッシを開け放ち、ボイルのカーテンをお転婆娘のお下げみたいに両端で括る。 切り取られた空、五角形の空の蒼、真鍮の花台には緑の噴水みたいなジャコバサボテンの鉢が一つ。 その葉陰、蔦の葉模様の小皿にこんもりと、甘い、赤い苺ジャムを一匙、


      ちび、ちび、  こんなに空が青いよ、


ツザキがのんびりと口笛を吹く。 微妙に音程の外れたOvere the Rainbow. 待ち侘びる朝に似合う不安定な音階。 花台の右端には芥子色のトレーナー。 ふんわり広げたそこは、多分昼寝には丁度良い筈。


      ちび、ちび、ここは君の場所だよ、
                           おいで、おいで、 戻っておいでよ、ちび、







     そうして僕らは二人、青空を見つめる。 
     小さなシルエットを懐かしみ、朝の風に吹かれた。









July 12, 2004









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>  うちのちび
 ・・・・  というお題で書く   有る意味、濡れ場を書くより厭な汗を掻く作業だったと思う。

      果たしてホモかプルにする意味はあったのか?こんなサービスは間違っているのか?
      (しかもサービスになってない)