硝子片の月   《後編》              
      
       


       それでもまた明日は来た。 

こちらの都合などお構いなしに、昨日と同じように始まった。 6時40分に目覚ましは鳴り、7時28分のバスに乗り、学校へ行けば流れ作業のように時間は俺を先へ先へと流す。 立ち止まる事も許さず、先へ先へと。 

やがて流されるままに気付けばモリズミの横、レジを打つ俺がここに居る。 レジを打ち、在庫を確認し、二回目のトイレ掃除では便器の詰まりを直し、立ち読みする常連客を眺め、いつもと変わらぬ俺は変わらずここで働いているのだった。 昨日の今日なのに、意外なほど俺は冷静だった。 何故なら俺は、ちゃんと手に入れようと思ったからだ。 俺はちゃんとした形で、ナガサカを手に入れたい。 ナガサカの恋人になりたい。 俺がガキなのは事実だし、大した経験も無いから興味本位と言われても少し事実かも知れない。 だけど俺はナガサカが好きだ。 自分がゲイなのかどうか俺にはわからないけれど、でも、ナガサカを思うのに嘘なんかは無い。 

だから俺は、この気持ちをちゃんと出して行こうと思った。 ナガサカと向き合って、ちゃんと伝えるのだ。 そしてナガサカの気持ちを確かめる。 

本当に俺じゃダメなのか? 
ガキはダメか? 
なら何で抵抗しなかったのか? 

あんなキツイ事を言われたのに、俺にはナガサカが本気で嫌っている気がしなかった。 言葉のショックが醒め、冷静になればなるほど、ナガサカの真意は言葉通りで無い気がしてならなかった。 ホントに厭なら、義理でもあんなキスをするだろうか? まして俺みたいな年下のデカイ男と、あんな風にするだろうか? 俺はナガサカに聞きたい。ナガサカに確かめたい。 そして出来れば俺を選んで欲しい。

それで終わるなら、もう、後悔なんて無い。


だから俺は,ココでその切っ掛けを待つ。 淡々とバイトをこなし、向き合う瞬間をジリジリ待っている。 けれど、ナガサカはまだ来ない。 火曜の晩だと言うのに、今日は酔客が多かった。 客の一人がトイレを汚し、慌てて清掃に行けば今度は別の客が店の前で吐いた。 デッキブラシを握る掌が、汗でぬるぬると滑る。 そうして漸く後片付けから戻れば時刻は23時を回っていた。 ナガサカはまだ来ない。 店の前に俺は居たのだから、見逃した筈は無い。 バイトを上がった俺は、暫く原付きの横でナガサカを待った。 けれども時刻が半を廻ってもナガサカは現れなかった。 同伴日? そう思った途端、気張ってたのがシュルシュルと抜け、スッキリしないまま原付きを走らせる。 

宙ぶらりんな気持ちを明日こそはと奮い立たせ、俺はナガサカと向き合う切っ掛けを待った。 だけど、次の日も次の日もナガサカは店に現れなかった。


煮えきれない不完全燃焼の金曜、ついに週末まで現れなかったナガサカに焦れ、俺は自分から動く事にした。 バイトが終わった後、俺はもうナガサカを待つのはやめた。 もう、俺は待たない。 待たずに俺は、あの雑ビルへと向かう。

貼り紙だらけのガードレール、水を撒いたばかりの濡れたアスファルト、たった二車線を隔て世界がガラリと変わるのを感じる。 信号脇の植え込みに蹲る、会社員らしい男。 そのすぐ横で、バドガールの格好をした女の子と看板を持った男が立ち話をしている。 甲高い声で、携帯を掛けている褐色の肌の女。 それらを通り過ぎ、俺はあの雑ビルへ足を踏み入れた。 

横倒しのブロックで開放されたままのドア、やたら育ち過ぎたゴムの木の鉢、斜に置かれたスナックの看板と無造作に重ねたビールケース、一階の狭いエレベーターホールには男が二人話し込んでいる。 脱色した髪、整い過ぎた眉、むらなく日焼した肌はビニールみたいな質感で、大きく広げた胸元にはブランドロゴの入ったペンダントトップ。 これ見よがしに下げられたそれは、壁の間接照明を弾き鈍い山吹色に光る。

「あの、」

「は?」

途端に突き刺さる、値踏みするような視線。

「あの、三階のお店で働いてらっしゃる方でしょうか?」

「・・・・そうだけど、何? あッ! アンタ新しいバイト?」

「いや、」

「エーもう店始まっちゃってんじゃん、面接外ですんのかな・・・待ってよ、今支配人呼ぼうか?」

二人はてんでに喋り始め、まるで俺の話を聞かない。 危うく支配人とやらに携帯を回そうとする短髪を止め、じゃぁなに? と怪訝な顔をする二人に俺はナガサカの名を告げる。

「ナガサカ?」

「そちらに勤めてる筈なんですが、今日、来てるでしょうか?」

しかし答えは俺の予想に反したものだった。

「・・ツーか、ナガサカってヤツはうちには居ないよ。」

「で、でも、」

「だな、源氏名でも本名でもナガサカはいねぇ。 そいつトモダチかなんか? もしかして行方不明ッてヤツ? 」

わからなくなった。 

ホストクラブにナガサカは居ない。 ナガサカはホストではない。 ナガサカはココに居る筈なのに、確かにココで働いてる筈なのに。 呆然とする俺は、その場に立ち尽くす事しか出来ない。 どこに行けば良いか、どこにナガサカは居るのか。

 ―― もう会えないんじゃないか? ―― 

漠然とした予感に心は混乱を来たし、今すぐナガサカの名を呼び、闇雲にビル内を走り出したくなった。 

と、その時シルバーのピアスをした男が声を上げる。


「ん? ・・・そうだよッ!」

え? と、短髪の男がピアスの男を振り向く。

「そうだよそう、ナガサカってもしかしてあの人じゃねぇの?」

「エー? 誰よ、居たか? ナガサカ、」

「うんうん、そうだよホラ、ウェルネス商会の、」

「アァッ! 六階のイケメン!?」

つまりこう云う事だった。 

ナガサカと云うホストは存在しない。 がしかしこのビルの最上階、6階にある事務所にナガサカと云う男が居ると言う。 事務所の名はウェルネス商会。 このビルの持ち主であり、声や音で反応するベッドや車椅子など、高性能な介護機器をを扱う会社であった。 会社は各医療機関に対し、自社製品に対する24時間サポートサービスを行っている。 そこで、夜間の電話によるヘルプサポートを行っているのがナガサカと言う男らしい。 

「掛けてくんのって大体がナースだって言うし、口説いちゃえよって話しててさァ」

確かにナガサカは、一度だって自分がホストだとは言った事がなかった。 色んな客が居るから大変だと、殆ど女性相手の仕事だと、そう言ってたのに間違いはないのだ。 ならばあの二人の女性は何なのだと問えば、短髪が簡潔に答えた。

「あそこの所長とバイト」

出来る女風のがここの所長で、若い方はナガサカ同様に電話対応のバイト。 そして二人は実の親子なのだと短髪は言う。 そしてピアスの男は、さも羨ましそうに言うのだ。

「ビューティー親子に囲まれてナースとお話だろ? 美味し過ぎ、あの人、マジ、良いポジション居るよ絶対、」

ピアスの男の話を聞き、改めて俺は、自分が勝手に作り上げてきたナガサカ像がどんなに間違っていたのかを思い知る。 

ホストだから誰にでも優しいだの、口が上手いのは当たり前で本気にしちゃいけないだの、そんなの全部、勝手に俺が当て嵌めた 『軽薄なホスト』 であるところのナガサカ像ではないか? ナガサカが決して軽薄でなかったのは、俺も知っていた筈だ。 ナガサカは嘘なんて言わなかった。 軽妙な口調で喋り上手ではあったけれど、でも、だからといって心にもないおべんちゃらを言ったり、その場凌ぎのリップサービスで俺と係わった事は一度だって無かったのだ。 

寧ろ、その場凌ぎで逃げ腰だったのは俺だ。 俺は自分を良く見せようとして、ナガサカに一歩踏み込む事が出来なかった。 ナガサカの事が知りたい癖に自分から近寄る事もせず、かといって自分の事は嫌われたら厭だと殆ど話した事がなかった。 年上だからとか、ホストだからとか、いちいち壁を作って来たのはいつも俺の方だったのだ。 でも、ナガサカは俺に自分を見せてくれていた。 自分の事を話そうとしない俺に、ナガサカは自分自身の事を話してくれた。 そうして話題の種を作ったのは、いつもナガサカの方だった。 ビデオだとか、CDだとか、まめに貸してくれたのもナガサカだった。 

なのに俺は、「良くわからない」としか答えようとしなかった。 ホントはそうじゃない、わからないんじゃない、それを巧く表す言葉が出て来ないのだ。 何か良い事を言おうと意気込むから、素直な感想が言えないだけだったのだ。 単純に、面白いかそうでないかを言えば良かったと思う。 そうすればそこから、もっと深い所で話せたかも知れないのに。

そんな風に俺はビルの前のガードレールに座り、多分この6階に居るナガサカを想い、そこでナガサカが出て来るのを待った。 

月のない夜、雑多とした街を眺め、むっとする空気に溺れそうになりながら、時折ビルを見上げてはナガサカの事を考えた。 途中、バイト先のコンビニに早足で飲み物を買いに走り、オヤという顔をされて曖昧に笑う。 無意識に手にしたのは、いつもナガサカが買うメーカーのお茶。 ガードレールに座り、俺はそれをゆっくりと飲んだ。 見上げる6階の窓は、何か貼られているのか暗いままであった。 そして、また一口お茶を飲む。 誰かを待ちながら、何かを考えながら、こうしてお茶を飲むという行為が、案外満ち足りている事に俺は気付いた。 もしかしてナガサカも、こうして俺を待つ事を、満更でもなく愉しんでいたのではないか?


やがて、東の空が薄っすらと、光を帯びて白く光る。

無断外泊になるんだろうか? と、不意に思い慌てたが、でも後ろめたい気持ちは残らなかった。 そしてまた一口、とうに温くなったお茶を口に含ませた時、バウンと乱暴に響くエレベータードアの開閉音。 てろんとした幾何学模様のシャツ、ジーンズを足に貼り付かせ、七月の温い朝の風に吹かれる白っぽいナガサカの姿。


「何・・・してんの?」

咽喉に貼り付くような声だった。 数日振りに見るナガサカは、いつもより華やかな色を纏っているにも拘らず、どことなく疲弊しているように見えた。 物憂い表情は、仕事を終えた後のそればかりではない。 紗を掛けたような疲労が、薄皮一枚の微妙さでナガサカを覆っているような気がした。 

「待ってたんだ。 俺ナガサカさんに話したい事あるから」

切れ長の黒い目が、じっと見つめる。 そしてグラリと首を後ろに反らし、凝りをほぐすように首筋を掌で擦り、深く息を吐いたナガサカは棒読みで言った。

「俺は話す事ないから」

言い捨て、歩き出すナガサカ。 強張る白い横顔は、慌てて後を追う俺なんて一つも見ようとはしない。 

「待ってよ、 ねぇ、ちょっと待って、ちょっと、」

横に並べばそっぽを向き、前に回り込めば露骨に迂回して、ナガサカは追尾する俺を避ける。 だけども俺は、そんなナガサカに怒りの波動を感じなかった。 ナガサカは俺を避けている。 あんな事をしたから? だけど、俺に対し怒っている訳ではない。 じゃ、何故避ける?

「待てよッ!」

ヒョイと植え込みを跨ぎ、ひと気の無い早朝の通りを斜めに横断するナガサカ。 

「ナガサカッ!」

呼びつけた名前に俺自身動揺が走る。 そして見慣れたコンビニ前の駐車場、尚も歩き続けようとするナガサカの腕を、俺はあの路地の入り口で掴む。

「離せッ! 」

離すものか。 掴んだ腕毎引き寄せ、縺れるように足を踏み入れた路地裏、開放されたナガサカは壁に片方の肩を預け、整わぬ呼吸に荒く息を弾ませる。 だけど、それ以上逃げようとはしなかった。 そして観念したように目を伏せるナガサカは、目の前の俺を見ようとはしなかった。 そして数秒の沈黙の後、呟くような言葉が足元へと落ちる。

「・・・で・・今度は何しようッての?」

左腕を抱き締めるように、所在無く立つナガサカ。それは怒っていると言うよりも、そう、途方に暮れた表情だった。 

「何もしない。ただ、話しを聞いて欲しいだけだから、」

「へぇ・・・・それだけで済むの?」

ちらりと上目で見る挑発。 だけどドキドキしないのは痛々しかったからだ。 ギリギリの際に居るような緊張が、ナガサカを覆う。 それだからゆっくり慎重に、正直な言葉を俺は選ぶ。

「しないよ、ナガサカが厭ならしない。 でも、したいと思っている。 俺はナガサカが好きだ。 こないだも言ったけど、最初からずっと好きだから、」

「ふゥン、カミヤ君ゲイに宗旨変えしたんだ、」

一瞬、ナガサカの緊張が増した。 

何故? あの時もナガサカは同じような事を聞き、俺の答えに絶望的な顔をした。 
どうして? 何にナガサカは拘る?

「ねぇ、俺がゲイかどうかって大事? 毎日ナガサカの事考えてて、知りたがってて、俺は一日中、あんたの事で一喜一憂して幸せだったり苦しかったりしてるっていう、それだけじゃ足りない? 恋愛だって言えない?」

白い頬を強張らせ、俯いたままのナガサカ。 棘のある言葉はただ、悲しい。 俺にはどうすればそこに、伝わるのかがわからない。 こんなに好きなのに、こんなに欲しているのに。 けれど目の前の男は斜め下に視線を落とし、吐き捨てるように言うのだ。

「でもそう云うのは俺で試さないでくれるかな?」 

そしてわざわざ傷付く言葉を並べる。

「俺ならヤラせて貰えるとか思った?」

その癖、自分が傷付いた顔をしてナガサカは苦い笑いを浮かべる。

「はは・・・・随分舐められたもんだな・・・別に男が好きッて訳じゃねぇんだろ? したらそう云う事じゃねぇか、そりゃ女の代用品なんだろ? さぁ惚れましたってヒト巻き込んで、 存分お試しするつもりなんだろうけどさ、生憎、俺はそこまでお優しくはねぇよ、マッピラだね!」

かみ合わない遣り取りに、俺は遣り切れなさと腹立たしさを同時に感じる。 細い肩を揺さ振り、怒鳴りつけ、何でわからないのだとギュッと抱き締めて、いっそ泣かしてやりたいと思う。 目を合わせないナガサカは幾度か落ち着きなくシャツのポケットを探り、また自分の腕を抱いた。 そんな落ち着き無さと心許無さ、その様が何に似てるのか俺は気付いてしまった。 

嘘を吐いている子供―― 

全くナガサカはそれだ、ばれる嘘を吐いて、ばれる瞬間を恐れる子供なのだ。 ならば俺は、辛抱強く告白を待つ他にない。 嘘の無い言葉を、繰り返し伝えて行くしかない。 やがて本当を洩らすまで、

「・じゃ・・・どうしたら信じるんだろう・・・・・。 代用なんかじゃないって、お試しなんかじゃないって、 そりゃ、好奇心だってあるに決まってる。 けどそれって当たり前じゃないの? 他に何て言えば良い? わかんねぇよ。 ただ好きなだけだろ? 試すとかそんなんじゃなくて、好きな奴に色々したいのは普通だろ? 」

その時、パァンと通りでクラクションが鳴った。 馬鹿野郎! と叫ぶ罵声、ビクリと震え、目を見開いたナガサカ。 
そしてそれらはそれぞれの切っ掛けとなる。

「知らねぇよッ! 悪いけど、俺はもう帰る。 色呆けしたガキに付き合っちゃられねぇよ、」

掠れる声で怒鳴り、するりと立ち去ろうとするナガサカ。 長方形に切り取られた路地の外、白茶けたそこへ逃げ込もうとする背中を、咄嗟に俺は抱き竦めていた。 板のように硬く緊張した背中、しかし俄かに温度を上げ逃げ出しはしない背中。

「だったら最後に返事が欲しい。 俺の気持ちはもう全部話した。 だから後はナガサカが決めて。 俺じゃ、駄目? ナガサカは、俺じゃ駄目なのか? あの時、俺とキスしたのは厭だったのか? 俺とは、厭だった?」

「・・・・駄目とかどうとかじゃねぇよ、」

囁くような声が、頬を寄せた頭蓋から水底のように響く。

「じゃ、何?」

教えて欲しい、白状して欲しい、駄目じゃないなら何? 俺を選んでくれるのかを、教えて欲しい。 
長い深い溜め息。 同時に緩々と腕の中で弛緩して行く身体。


「・・・・・・だからガキは厭なんだよ・・・・」

「え?」

その重心が僅かにずれたのを感じた。 温みと、重み。 凭れ掛かる背中を支え、ジリジリと次の言葉を待つ。

「だからガキは厭だ。 勢いばっかで後先考えないで、言わなくて良い事わざわざ口にして、後戻り出来ない事にヒト付き合わしといて、」

そこで、ナガサカは息を詰める。 無意識の内、抱き締める腕に力が篭った。 小さく震えてるのはどちらの身体だろう? 飛び出しそうな心臓はどちらのそれだろう?

「俺が好き? 俺に恋してるッて? 好きだ好きだって馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかで、俺とどうしたいの? 年上で、男で、そんなのとキスしたいの? ヤリたいの? そんでやっぱ女がイイですってソッチは戻れるだろうけど、そのあと俺はどうなる訳? メソメソ泣きゃいいって?」

そんな事在る筈が無い! ありえない事を言うナガサカを、ただただ俺は抱き締める。 大人のナガサカが小さな子供のように思えた。 震える声も、すっぽり収まる身体も、愛しくて切なくて、どうして良いかもわからず、ただ、ギュッと離れないように抱き締める。 けれど、不安げな背中は憎まれ口を叩く。

「そんな事無いって、嘘でも即答出来ないガキは厭だ、」

「ごめん」

「すぐ謝るガキはもっと厭だ」

「ごめん・・・・」

拗ねた口調が愛しくて、溢れる気持ちをどうする事も出来なくて。 
抱き締め、謝る事しか出来ない俺に、小さな声が最良の提案をする。

「・・・・・謝るならキスしろよ」


反転する身体。 するりと巻き付く腕のヒンヤリした内側の感触。 
その名を最後まで呼ぶ事すら適わず、性急に余裕なく合わせられた唇。 
舌は舌を求め、互いの唇を食み、潤し、貪り尽くし、飢えを満たすような、冷たい水を飲み干すような
真摯で執拗に繰り返される俺達のくちづけ。


「もう逃がしてなんか遣らない・・・・・・・」





           ――   あの時、

不器用な俺たちは 貪るようにくちづけを交わす

ポケットの中 握り締める手のひらの内 薄く皮膚を傷つけるのは 
君があの日 踵で打ち砕いた 空色のガラス片 

ちりちりした痛みが 手の平よりこめかみに酷く 後ろ頭の重みに反射で瞼が落ち 
再び開いた眼球が探すのは 在るべき筈のない新月の所在 



           ――  あの時、

そして湿った吐息の狭間、薄く開いた黒硝子に映る真夏の天空を見る。
あの時の夜に続く、硝子片の蒼。



見上げる空の一部となり、やがて底無しの蒼に飲まれる。















July 9, 2004                                           
硝子片の月







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