ひねもすラジヲ  − 後 −
     
       



     ――― ぼんやり、海原に浮かぶみたいな一日を、想像できる? あたしとあの人に。 



ポリバケツ蹴飛ばしたと思ったら、天地がひっくり返り、植込みにゲロっていた。 膝をついたマンホールの冷たさよ。 胃液の逆流に身を任したミツルは、ザザザと血の引くヤナ感じに意識が遠のき、今、何故か、優しいコロンに包まれて、憧れのお姉様に見下ろされている。 そのお姉様が、野良猫を捨てるようにミツルの襟首を掴み引き摺り起す。


『お、オネェ様・・・』
『喋んじゃないわよ、とっとと降りな・・』

何処かの住宅地、マンションの前、ミツルは半開けのドアの外、タクシーの外へ転がり出てクラッとしゃがむ。 ココ何処? 俺、ナニ?


『ナニよ、吐くの?  やめてよ、オラ、そのコート返して、恩を仇で返す気? 図々しいわねぇ!』

ミツルは剥ぎ取られて、ようやく、自分が光沢ある銀灰のコートを羽織っていた事に気付く。 片眉を上げ、少し離れてこちらを見るお姉様は素敵だが、チョット怖かった。


『・・・・・・あなた、感じが違うよ、いつも大人で、余裕で、優しそうだったのに・・』
『ゲロッ吐きホモに愛想振ってナンになんのよ、馬鹿馬鹿しい。』

『レ、レズに連れ込まれたって、俺は何にも出来ませんからね!』
『あらぁ、行き倒れ拾ってやったのにソレ言うの?  へぇ、で、アンタ、なんか誇れる技でもあるワケぇ? 咥えんのも、しゃぶんのも、まぁ、アタシの方がずっと上手いと思うけど!!』


く、くやしぃ〜っ・・ハンカチを噛み締めたいミツルだが、勝ち誇り真夏のダリアみたいに笑うお姉様は、とてもゾクゾクした。 ほぉ〜ら、泣け泣け!・・真っ青な顔、呂律も回らず、それでも喰い付いて来るマネキン男の可愛さも、予想以上でミカリにヒットした。 

かくして薄いケツに膝蹴りを受け、さァ歩け昇れ寝るな吐くなとミツルが暖を得たその場所は、なんてか無機質の逆ってか、 男・浪人・一人暮らし そんな感じの部屋。 「汚したら殺すわよ」と、お姉様はミツルを便所に押し込む。 トイレの飾り棚、一冊の本がブックエンド付きで放置されている。
 『ケチケチ生活決定版!! 5年でローンが返せます!』 
大人で、お洒落で、クールな美女。 ミツルの中、色々崩壊し、せり上がるゲロと共に便所の水流に消える。 

・・・姉さん、節約より、掃除だと思うよ・・・ 拭った口元がヒリヒリした。 芳香剤が『消臭源』なのも、なんだかアレだった。 虚脱と酔いでぼうっとした脳裏に過ぎるのは、オレだったらこの部屋、素敵にオシャレにリメイク出来るのになぁと。 何しろ間取りはかなり良い。 グラビアみたいな陽のあたる部屋、彩り良く朝食を作り、眠たげなあの人に珈琲をドリップする、そんな朝・・・。 


便器を抱き締め、眠りに入るミツルは激しく夢見がち。 その、幸せな寝顔を見下ろすもう一人が舌打ちをする。


硝子細工の美青年、そう思えたマネキン男は見た目で七癖隠してるだけの、へべれけヘタレ男であった。 ユリエとの最後、情を残さぬよう部屋に連れ込む事はせず、ソレはつまり超プライベート仕様、ぶっちゃけ無法地帯の気ィ抜け巻くり部屋の出来上がり。 四方や、男をホモとはいえオスを連れ込む羽目になるとは・・・。

何故あの時、路上で伸びてるこの男を拾ったのか、ミカリ自身不可解である。 興味? ソレはある。 下心も無くはナイってか、ナニをするってより何だろう? この男に何を望んでいたんだろう? 綺麗な顔は繊細だが、涎を垂らし寝コケル男は無邪気で、ムショウに愛らしかった。 

異性としての『構え』が無く、同性へ向ける「見栄」も無い。 つまり気楽さをミカリは感じる。 そして、じんわり和むこの気持ち、成る程ペットとは癒し系の代表格。 


便座に凭れ、ずり落ちそうな猫っ毛の旋毛をそっと撫でてやろうと手を伸ばす。 が、玄関先、吊るした銀灰のコート、どう見てもゲロの染みを見つけムカッときた。 軽く小突くと、うぅん・・と甘えた呻き声。 

 かぁ〜わいぃ〜!! 

もう一度殴り、幸せに浸るミカリだった。 


     おめでとう!おめでとう!おめでとう! 

二つの点が線となり、蛇行し進むのはその晩から。 ミカリの部屋が、見違えるほど綺麗になるのも翌朝から。



     ―――  君と二人、つけっぱなしのラジヲみたいに、音も言葉も意味を無くして、
            寄り添う事って、できるのかな?




シャカシャカとふるいをかけ、全粒粉と砂糖と胡桃、スキムミルクと諸々を入れ、ミツルはベェカリィをセットする。 ルバーブのジャムは紀伊国屋で買った。 「朝っぱらからンナ甘いもん喰えるかい?!」 と、怒鳴るミカリを予想して、スモークサーモンとクリームチーズも用意した。 窓際、モスグリーンのカーテンが揺れている。 あぁ、そろそろ、もうちょっと明るい色に変えよう。 

トコロデ何をしているのか? オマエはココの主婦なのか? と、我ながら照れた。 が、でもミツルはこの部屋を弄らずに入られない。 ココはどんどん、ミツル好みのオアシスに変る。


ミカリに拾われて、翌朝、蹴り起され、台所の惨状に眩暈がして、任せなさいと作った雑炊をミカリと二人、ふうして食べた。 

「おいしいわぁ、アンタ、ヘタレホモの癖にスゴイ技があったのねぇ!!」
 
失礼な感嘆をする笑顔のミカリに、ミツルはグイグイとほだされた。 ほだされても、でも、ミツルは困難な恋愛に相変わらず精を出し、ミカリは素敵な大人の顔で、短く儚い恋に夢中。 

だけど、ミツルはミカリのマンションに入り浸り、せっせと居心地良く手を入れて、ミカリはソレを満更でもなく、直に鍵を渡すようになる。 けども、ミカリは時折 2〜3日来んじゃないわよ と、ミツルを遠ざけ、ミツルはミツルで、誰かとの恋愛に舞上がり、破局の痛手をミカリにぶつけた。 

-- 俺たち、なんナンだろうな・・・。 

はっきりしてるのは、男に振られても次があるけれど、ミカリの代わりはどこにも居ない。 ミカリに縁切りされたらば、オレはもう、立ち直れない。 ミツルはちょっとゾクっとして、現在進行形のダーリンを思い、安心しようと思ったけど上手くいかなかった。 それでも深みにハマリそうなので、とっておきの珈琲を挽く事にした。 だってもうすぐ、ミカリが起きて来る。


彼の如く素晴らしき朝。 朝はこうして訪れる。 どこかで鼻声の女の子が歌ってる・・・それが、ラジヲからの音だと気付き、やっぱもう朝だと脳が指令した。 ブランケットを蹴り飛ばし、高く上げたつま先を五回まわして美脚を眺め、ミカリはパンの焼ける匂い、珈琲の香りに空腹を覚える。 そう云えば昨夜、ミツルが居た気がする。 そして昨夜は色々山場ではあった。

ガードの堅いユミちゃんと、ようやくイチャイチャに漕ぎ付け、しかし慎重にお泊りナシで別れて戻ると、カウチで寝転んでたミツルが紫蘇と茗荷の御茶漬けを作ってくれた。 そして今、ミツルはミカリの為にパンを焼き、珈琲を入れ、恐らく他にチョコチョコ気の利いた小皿を用意している筈。 

あいつ、何考えてるんだろう? 

あの日、拾った翌日から、ミツルの押しかけ家政婦は始まった。 部屋を整理し、微妙な模様替えでスッキリさせ、綺麗で胃にもたれない、つまりミカリ好みの、酒飲み好きには堪らない料理をチョチョイと作り、美味いと褒めると嬉しそうに笑う。 普通、これは下心ある女がする定番だろう?

だけどミツルは相変わらず不毛な恋に精を出し、短気集中で浮かれ、呆気無くフラレ、死にたいだの、もうダメだの、会社辞めたいだの、メソメソと大いに愚痴り、ミカリにドヤされ、ドツかれ、馬鹿ねぇと涙を拭いて貰う。 二人はダラダラとカウチで過ごし、雑魚寝で起きれば、すっきり次の恋へと準備万端なのであった。 ミカリとて、カワイコちゃんハントには余念が無い。 

そうする自分に後ろめたさは無いが、強いて言えば微妙に熱意が無くなっていると感じる。 恋の終わりのスピードが若干早くなってる気もしていて、いや多分、それは気のせいじゃないだろう。 

ミツルの恋愛に口を出すつもりは無いが、ミツルがつまんない恋にいつも敗れ、いつも泣くのはなんか辛い。 辛くて腹が立ち、それはミツルになのか元彼になのかわからないけど、馬鹿じゃないの?と憤り、終いにはミツルの猫っ毛をぐりぐりと撫で回して、ミカリは甘やかしてしまう。 そしてそんなミカリに喉を鳴らさんばかりのミツルにだって、オマエは何なのだ? と 耳を引っ張りたい時がしばしばあるのだった。


焦れた関係は、居心地良い表面をそのままに、二人の内側から侵食してゆく。 相変わらず、全く相変わらずの二人だが、ミツルはミカリへの依存と愛着に戸惑いつつ有耶無耶にし、ミカリはミツルへの庇護欲と愛着を、ガシッと片ツケて遣らん気になっていた。


 歯痒い二人の11月は、ミツル久々の大失恋。 新しい恋の門出に乾杯!な、やけっぱちピザパーティ。 

 ヤサグレ気味の夜は、へべれけに終わろうとしている。


すん、と啜り上げる音がした。 ブラウン管ではナルシーなホモの画家が、モデルのパツ金をコマス準備に虎視眈々。 音を消した油絵の画面が、湿った空気に良く似合う。 ラジオから流れる、ヴェルディのアリア。 兄貴声の歌い手が、息子と女房に愛してもらえない僕・・・などと、自ら恍惚と嘆いている。 そこにトゥーマッチなミツルの湿っぽい上擦った声。 


―― ・・・・・・ ミカリ、あきれてる?

『呆れちゃいないわよ、あんな屑に一瞬でもウツツ抜かしたアンタは、ホント偉いわ、尊敬しちゃうわ。 人間プライド低いと便利よねぇ〜、二秒でショボイロマンスに浸れてさァ。』


うわぁあっ、とミツルが激しく泣いた。 ザマをミロとミカリは意地悪く笑う。 そういや冷蔵庫の中、スーパードライは残り3本無いかも知れないと、20分前覗いたボトルラックを思い出す。 ピザはとうに冷め、干乾びたチーズとミートは、げんなり不味そうだった。 舌の先触れる奥歯の手前、トリごぼうのサラダがジャストフィットで挟まった様子。 楊枝なんて気の利いたもん、ココにはない。 


『歯ァ、磨くの』

立ち上がったミカリを見つめたのは、哀れに泣きはらし、縋りつく目。 どこも行きゃしないわよ、ッて、ココ、アタシんちじゃん。 最後から4本目かも知れない生温くなったスーパードライに頬を押し付け、辛子色のカウチに沈み込むソイツが弱々しく鼻を啜り、ソレを了解と見て、ミカリは洗面所に向かう。 棚の右奥、客用歯ブラシがある。 その手前、透き通った水色の歯ブラシと揃いのコップ。 ミツルのだった。 

アタシの男でもない癖に!

じゃかじゃか磨いたそのあと、イィッとチェックを終えたミカリは、グレーのタオルで乱暴に顔を擦り、徹夜に備えコンタクトを外し、病院みたいな洒落たゴミ箱に捨てた。 パコッと開いた蓋の向こう、一瞬見えたのはコロンのアトマイザー。 ミツルのコロン。 ただし二ヶ月だけ。 柑橘系のソレをつけてたもう一人、短髪でエセ爽やかな、あの男。 ミツルはここのとこ、趣味が悪い。 引っ切り無し、次から次へと胡散臭そうな男にまぁ・・。


―― もう、死んじゃいたい・・・。

膝の間に頭が落っこち、体育座りの丸めた背中がウサギみたいに震えてる。 ブラウン管、画家はモデルにメロメロだ。 ラジヲの男は嘆いてやまない − 死ななきゃ僕は、休まんないよう!! − 

   カァ〜ッッ! ドイツもコイツも、ドイツもコイツも! 

煮え切らない奴らにキレた。 煮え切らない自分にキレた。 キレたミカリは実行力の塊だ。 メソメソするミツルの手から温いビールを取り上げ、ぐっと不味い液体を一気にあおる。 猫っ毛の生え際に指を差し入れ、ネイビーのカシミアの胴中を跨ぎ、呆然と固まる肩を素敵に柔らかい辛子色に押し倒した。


―― な、何すんの?

『ナニすんだよ。』


見開いた薄茶の目を上から見下ろし、酒臭い口唇を挨拶程度に舐めてやった。 なんだよ、抵抗しないのかよ。 ならばよし、と、今度は耳の後ろと襟足をグリグリしつつ、ねっとりヤル気満々キスをかましてやった。 歯列を辿り、甘噛みした舌をやんわり吸い上げる頃、息が上がる前、腕がミカリに巻きつく。 縋る腕、裏腹な涙声。


―― だめ、駄目だよ、ミカリ・・・

『四の五の言うな、ヤラセとけ・・』


こんな状況ミカリは最強。 ナニが、『だめ』だ、ヤル気満々じゃないか! ヤブサカじゃ無いのにイヤだのダメだの言う手口は、どぉンと任せとけ。 スルリと捲くり上げたカシミアをすぽんと頭から引っこ抜き、しっかりソレに協力するソイツの首筋に口唇を落としつつ、片手でてきぱきズボンのベルトを外し、ファスナーを下ろし、久方振りのチンコに厳しい判定を下すミカリ。 カモン・レッツ・ゴゥ! キュッと触れたソコは意欲的。 



  ミカリはその夜、今年度4回目の失恋に泣く、みじめで可愛いミツルを力技でマンマと落とした。
  ミツルは度重なる失恋で身も心もメロウなその夜、頼もしく強引なミカリにガッチリ、しっぽり落とされた。


ミツルには、ミカリの好きな柔らかい肌、ふっくらしたおっぱいが無かったけど、恥じらいを持ってアンアン言う綺麗系の男ってのは、満更悪くはない。 しがみつき、涙に濡れて射精に身を震わすミツルは、ギュッとしたい可愛さがあった。 

一方、あれよあれよと致してしまったミツルだが、ミカリは予想以上のテダレだったので、すっかりコマされ乱れ捲くる。 チンコが無くても、コレならば・・・と思うほどに、ミカリとの初エッチは良かった。 


          ミカリは、ミツルを守ってやりたいと切実に思う。 
          ミツルは、ミカリの頼もしさにうっとりとする。 


ミカリはレズで、ミツルはホモだったけど、なんか、上手く行くんじゃないかなぁという気がした。 愛があれば、何とかなるような気がしてハッピィが止まらない。 ハッピィな二人は手をつなぎ、幼い姉弟のように眠る。 

手をつなぎ、ベタベタの身体を寄せ合い、アンモラルな二人はこっそり神様にお願いをした。 


『こんな、あたしだけど、』  『こんな俺だけど、』  『『幸せになりたいんですッ!!』』


神様が、一杯飲んでたら、まぁ聴かないでもないお願いは、師走の空、瞬く星へと昇るのだ。 ヴィラ葛飾506号、テノールが − 女心はコロコロ変わるぅ〜 − と嘆き、ホモの画家が耽美に野垂れ死ぬその部屋は温かく、ちょっと生臭かった。 


           甘いのは大好き?
           
           酸っぱいのも、二人にはお似合いだ。



暖かな陽射しが柔らかく、二人の足元を、砂粒がこそばゆくすり抜ける。 

     のどかねぇ、とミカリはノビをする。 
     のどかだねぇと、ミツルがつま先を反らす。 

波音は多分、つけたままの、無音のラジヲ。 

ひねもすのたりのたりのたり、幸福の海は、穏やかに光る。



甘酸っぱい生活は、こうして始まった。




November 23, 2002




      * BB 様 8787リク 
         「ホモ男くんとレズ子ちゃん・アブノーマルなふたりのノーマルなハッピーラヴ」