キリング*アシッドフルーツ



                   吊り下がる黄色の果実が、
                   ラボの白い壁の手前、咽返る亜熱帯の香を漂わす。



黄色に斑紋が広がる頃、くちばしの長い艶やかな鳥や、長い尻尾の奇妙な獣がソレをつつき、毟り、クリーム色の柔らかく爛熟するソレが、多分、楽園なのだろう。 そこは温かく湿って、時折、豪雨が降りそそぐらしい。 ならばソコに行ってみたいものだと、クローヴが言った。

黄色の果肉、とりあげたのは、鍋の中とろけるチョコレートを、厳しい目付きで伺うマジョラム。 コツは煮とかし過ぎぬ事。 ひらひらと手のひらを閃かせて、寝そべるクローヴに、手伝いを促す。


『ソレはさ、昨日のマダムのアレだろ? 楽園なんて、胡散臭い。 暑いんだろ? 凄く。』

つるりと剥いた皮が、垂れ下がり、何かに似ている、そう、脱ぎ散らかした行為の後。 マジョラムは歌うように言う。 クローヴが、鍋にコアントロゥを数滴垂らす。


『暑いッてったら、レベル5くらい? そうだね、それじゃぁ君は、耐えられない。 レベル4でも眩むってのに。』


クリームの果肉が、チョコレートに浸った。 チョコレート色の肌をした夕べのマダムは、涙してうっとりと楽園を恋しがる。 

マダムの足元に跪き、マジョラムは、渇望をスキャンした。 混沌の中、掬い上げたソレをサーヴし、クローブは、現の狭間に漂うマダムに、願う記憶のキネマを流す。 感涙するマダムにとって、それがどんな記憶なのか、知る由も無く、ただ、二人は再生に手を貸し、傍観するのだった。 それが、二人の仕事だ。

キネマ屋。 記憶のスキャンとその再生。 それが二人の、目下の生業。



もとは、そんな稼業では無かった。 もっと、身体を張ったリアルな職場。 


アウターであったマジョラムは、獣の足跡に似た緑の痣があるその左手の甲以外、皮膚も眼も髪も何も、殆どを『病める人』に搾取されて、生き長らえた。

 人工のファイバーで再加工されたマジョラムは、完璧な贋物だから、ホンモノの内臓を大事にする。 輝くプラチナは抜けも伸びもせず、スミレ色の瞳は擬似体液を時折流し、艶かしい皮膚は決して傷つかず、温熱を感じない。 マジョラムは、美しい贋物だ。 


インナー出身のクローヴは、これまでの人生の半分をメディカルカプセルの薄緑の溶液に浸り、その良質の内臓を『病める人』に腑分けして、生き長らえた。

 象牙の肌は稀少だが、サンプルとあっては使い道が無い。 海を渡ったクローヴの肝臓は、東のマスターの腹腔に収まり、復活したマスターは、手始めに西の小国を二つばかり爆破させた。 実に役に立っている。 クローヴは贋物の内臓を、脆弱な外壁に包んで所持し、黒蜜の瞳孔は、常に鈍い光を知覚して、しなやかな若木の四肢は、終日回復せぬ、倦怠を友とする。 




数ヶ月前、二人は、処分場から運ばれた。 何が起こったかはわからない。 どろどろした内臓と骨肉のごった煮の中、立ち尽くす二人に向かって、その、禍々しく綺麗な女が手招きをする。 


――― 呆れたものねぇ、こんなに無駄をして!!


女の白い手を赤黒く汚し、幼子の如く手を繋ぎ、二人はそこを後にした。 


誰かが、頭を優しく撫でた。 そんな事、初めてだった。 泣いて泣いて、気付けば皆、忘れた。 過去は、無くなっていた。 振り返っても、靄の中。


そして、世界はゆっくり暗転し、目覚めた二人はキネマ屋となる。 
その女が、役に立つと言ったから、二人は、新しい職に就いて生を繋いだ。 



二時間後にやって来た最初の客は、途方もなく年をとった、せむしの老人であった。 躊躇は無い。 不思議な事に、為すべき事は熟知していた。 二人は、老人に見せてやる。 

女と男と大勢の子供達が、悲鳴と号泣の中、屠殺される様を。 そして一際声をあげ、くしゃくしゃの布切れを掲げた老婆が、無数の銃弾に崩れ落ちる様を。 せむしの老人は、 カァサン と、呟いた。 暗号? ソレを言う客は、少なくない。 そして、客は感情を顕わにする。 不思議だった。 


二人に理解出来ない事が、この世には余りに多い。


せむし老人のキネマ再生、それが、ラボでの初仕事であった。 

以来二人は、この白い部屋、レベル3の環境で生活する。 水色の小鍋で、マジョラムがチョコレートをとかし、そこにクロ―ヴが果実を浸す。 ウォーキングセンサーが客を迎え入れれば、望むよう、見たいものを見せてやる。 


他は知らない。 ただ、日がなそうする。 
それが生業だから。 他は知らない。



7つ並んだ、水草色のクリスタルスティックに、チョコレートを纏った果実が行儀良く貫かれ、冷暗所への順番を待つ。 マジョラムは、ソレしか口にはしない。 薄紅い口唇も、センシュアルな、舐めとる咎った舌も、糖塩酸苦を知覚するだけ。でも、ソレが食道を通過するのは、実に至福で、良いらしい。 

『贋物から天然へ、リアルに体感出来るって素晴らしいじゃない?』


クローヴは食事をしないが、マジョラムの為、それらの細工をいつも手伝う。 クローヴの器用で細い指は、果肉を摘み、その質感を楽しみつつ、美しい贋物、マジョラムの口唇へと運ぶ。 セラミックの歯列が、規則正しく咀嚼して、嚥下する、咽頭の跳躍が、何か、小さな生き物みたいに皮膚の下、動く様を、クローヴは至福と思う。 

『命令しなくても、ソレは動くんだろ? 奇跡みたいだな。』


そして、数日毎、二人はメンテナンスを受け、不足を補い、過剰を抜かれる。 キネマのコピィはファイリングされ、回収人に手渡されるが、それが一体、何処で、何に使われるかは、二人の知った事じゃない。 色々多分、有効らしい。 


良い事だ。 無駄が無く、皆、役に立つ。 役に立つ事、それは二人の最優先課題であり、無駄は最も忌むべき行為。 何しろ、記憶は無くとも、インナーとアウターの出だから、二人とも疑念を挟む余地も無く、そう思う、そう生きる、ソレで良し。 今は、キネマ屋だ、問題無し、そう云う事だった。




マジョラムが、二本目のクリスタルスティックをダストに投げ込む頃、シグナルの黄緑を感知して、クローヴの眼球がヒリヒリと沁みる。 瞬きすると、淡い紫がはじける。 調子は、悪くない。


『提督だよ。』


マジョラムが室内レベルをミディアムにチェンジする。 でないときっと、マジョラムは体温変化を内臓で感じ、作業途中に眩むだろう。 クローヴは、アンプルを外耳のきわ、コネクションより注入して代謝を落とす。 でないときっと、臓器負荷で伝達に障害が出る。 

常連客の提督は、斯くも、ハイリスクの客だったが、二人がソレを嫌悪したかと云えば、寧ろ、その逆であった。 提督は、選りすぐりの、良い客だった。


『さぁ、天使たち、暫しの夢を見せておくれ。』

長座したクローヴに凭れかかり、提督は、エアスプリングに寝そべる。 ひざまずくマジョラムが、恭しく、提督の精巧な義足を外し断端部の丸い縁に口づけをする。 クローヴは密着する裸の背中に胸を押し付け、皮膚の向こう、染み込む色彩、眼球に沁みる色彩を恍惚と感じる。 マジョラムは掌を、指を舌を這わせ、味わう記憶の滋味を頭蓋の最奥で認知する。 


薄っすらと、クローヴが汗ばむから、象牙に甘い艶が生まれ、その下に張り付く筋肉が美しく引き攣る。 

身を起こし、軽く撓らせたマジョラムは、優雅な所作で提督の排泄器官をその内臓に取り込み、脈打つ天然により殊更、美しい贋物となる。 

提督は、クローヴのさらさらした天然の皮膚を愉しみ、マジョラムの天然の粘膜を愉しむ。



蒼、蒼一色の濃淡。 

浮かび上がる白い閃き。 仰け反らした頤。 緑の瞳。 水面に揺らぐ濃緑、いや、黒い髪。 長い。 藻のように。 白。 白い砂の上小さな人影。 逆光、強い陽射しの黒。 ちっぽけな赤い布を身につけた女。 こめかみに黒い巻き毛。 一筋。 首の影に白い砂粒。 指が払う。 男の手。 繊細で長い薬指の男。 瑪瑙の指輪。 そこに唇、陽射しに透ける、ブロンド。 淫蕩な目元。 緩むと子供の顔。 たくらみと悪戯を青年が仕掛ける。 


色の薄い笑う形の唇が言葉をかたちづくるも、発せず。 


暖かな奔流。 クローヴは眼球に熱を感じる。 
マジョラムは背骨を伝う優しい波動を認知する。 
提督が、深く息を吐く。


鮮やかなリネンの山、倒れ込む女。 

笑う口元。 室内履きがポンと跳ねる。 豪奢な刺繍の黒い地の絹。ペディキュアは薔薇色。その、足首を掴む指。瑪瑙の指輪。流れる風はシャツを帆船の如く翻す。 男の背中。 無駄の無いしなやかな男の体躯。 滅多無いブロンド。 灰紺の瞳。 瞬きする瞼を縁取る、ブロンド。 

串刺しのベジタブルが歯列に引裂かれ、おどけた顔が笑う。 美しい男の口唇。 薔薇色の爪、細い指先がゆっくり辿る。 二つの唇が、勢いよく接近し、離れれば弾ける笑い。 耳朶は柔らかな水蜜。 


かたちづくるも、言葉は無い。


ひらひらする瑪瑙の指輪。 手繰り寄せる女の腕、儚い腕、手繰り寄せる男の腕。 ひんやりした砂粒の感触。 払い除ける、瑪瑙の指輪。 
軒にぶら下る、不思議なモービール。 極彩色の細工の小鳥が旋回、漂い、遊泳をする。 


その向こう、蒼、蒼一色の濃淡。



提督のキネマは、優しく、心地好かったから、そして、伴う行為も満更ではなかったから、二人は役に立つ事を、進んで行なう。 


憔悴し、かつ、幸福な微笑を浮べ、意識を手放した提督に、クローヴはしっとりと、抱擁をする。 小さく身体を震わせ、髪を払うマジョラムが、ふらつきを自制し、静かに身体をずらし、義足を断端分に装着する。 閉眼する提督に、二人はかしずき、その手をとって、そっと其処に、唇を落とす。 

其処に、瑪瑙の指輪。


『あぁ、シエナ、もう間も無くだ・・・ジョハン、残り幾ばくも無い・・』

提督が、低く呟き、作業は終了する。



再び点滅するウォーキングセンサーを確認し、客の居なくなった作業場で、二人は暫し、忘我する。 やがてやってくる、メディカルサポートを待つ、暫しの間、二人は激しい倦怠と同時に、湧き上がる暖かな感情を反芻する。 提督の記憶、キネマの意味。 それが引き起こす、これは何なのだろう。 


二人にはわからない。 わからないが、提督の次の来訪を、心待ちにするのだ。 そして、二人は密かに切望した。 また、この感情を味わいたいと、渇望した。


眼球の裏、カチリと一瞬、優美な男の簡素な指輪。




しかしながら、客を選ぶ権利など、二人にはなかった。 キネマの客は、上客ばかりでは無い。

例えば、そう、この、白髪の痩せた男。 


渦、黒褐色の渦。 

木の葉のように、吸い込まれる宙を掻く手。 Oの形に残像を残す汚れた小さな顔。 カーキの袖口。 袖口からグローブを嵌めた腕。 二本。 対で向き合う四本が、ズタ袋の両端を持つ。 袋の口から棒切れみたいな足。 飛沫すら渦に消える。飲み込まれる袋。 逆さ三日月の、笑う唇。 紫煙が細く上る。


男の渇望は、マジョラムの心拍を跳ね上げ、内臓の沸騰は皮膚にこもり、眩暈と嘔気を引き起こす。 汗ばまぬ蒼白に、猛禽の爪は深く喰い込み、鮮烈な赤、擬似体液の滴る様を、男は眺め、ほくそ笑む。 瞬く間に、治癒する膚、それがまた、嗜虐を煽る。 

『馬鹿め! 役立たずめ! 愉しませる事も出来ないのか?』


横一列に並ぶ数人。 襤褸を纏う。

一斉に走る汚れた数人。 潅木の根元に金属片。 踏みしだく足。 瞬いて砕ける、ガラクタの様。 カーキの襟、身を捩り哄笑する顎鬚。 走り出す数人に、目隠しの男が銃を放つ。 転がる女。 丸く身を縮める女の腕に小さな塊。きょとんとした二つの眼。 号泣する二つの眼。 乳児の歯の無い口が大きく開かれる。 西瓜の様に弾け消える。


眉根を寄せ、苦痛を耐えるクローブの瞼。 震えるそれを抉じ開けて、映し出せ、より深く、写し取れ、と、男はその象牙の頬を張る。 崩れかける、その体躯を引き寄せて、余分の無い筋肉の層、腰の窪みに滑らせた指、枯れ枝のような指が走り、文字を綴る。 

ガサガサとした不快な声で、詠唱する男。

『・・・ 波は向かう、さざれ石に向かうが如く ・・・』


夕焼け。 緋色に群青。 

夕焼けの草原。 背丈ほどの草をわけて数人が突付かれ、歩く。 カーキの服が数人。 小突き合い談笑する。 笑いさざめき、突付き、順番に吊るす。 緋色。 徐々に群青。 黒い小さな、ぶら下る数人。 僅かに伸び縮みする数人が、静かになる。 

夕焼け。 群青に緋色。


『・・・ 我らが命、時々刻々と、終焉に向け、先を急ぐ ・・・馬鹿め! 
愚かで薄汚い屑めが、いっぱしの権利を喚くか? 馬鹿め!! 』


男がマジョラムの髪を掴み、そのまま頭蓋を床に叩きつける。 伏せられた瞼はピクリとも動かず、静かに、擬似体液の赤を葉脈の如く流す。


キネマにノイズが混ざる。


クローヴが呻く。 窪んだ眼窩。 象牙は艶を失う。 男がどす黒い唇に、うっとり煙草を燻らせる。 止まった時間が、再び流れ、男はクローヴの肩、紫煙の先を押し付ける。 



作業終了。 


転がる二人は、点滅する黄緑を眺め、ただ、そうして、じっと、メディカルサポートの到着を待つ。 


マジョラムの指先が、クローヴの腹に触れる。 
何一つ、スキャンされはしなかった。 


クローヴの指先が、マジョラムの首筋を辿る。 
何一つ、色彩は見えなかった。 


何も無い、何も見えない、無に支配される二人だから、だから、どうと云う事では無い。 ただ、疲労していた。 ただ、今は修繕が必要であった。 壊れたモノは、直さねばなるまい。




ソレは、ファームの出身だった。 

人であり、個としてはヒトでない、パーツとしての生き物。 処分間近のソレが二体、処分場で共鳴し、F−6エリアは屠殺場の惨状となる。 二体がそれぞれお互いの中、どのようなカタストロフィーを映し出したかは知る由も無いが、その力は大きく、脅威であり、役に立つ類であった。 


2年前、処分場の惨状からソレを拾って来たのは女。 派遣された女は、リスクとなる個の人格、記憶を消した上で、キネマとしての試験作動を提案する。 
・・・襤褸みたいに転がってるけど、随分、役には立った筈だ・・・


女は、赤黒くなった象牙色が見る間に修復して行く様を、無表情に眺める。 
奇妙にへこんだ頭蓋も直に、プラチナに縁取られた優美な卵型のソレを取り戻すだろう。

作業服で屈みこむ、無毛の男がソレを、手早くひっくり返す。 無駄の無い、美しい作業手順。 女は、硝子みたいなエナメルの先、ソレが、あと、どのくらい役に立つのかを、慎重に査定した。 


『キネマとしては、もう、限界。 クラッシャーとしてなら、そうね、そっちのほうが、役に立つ時期かも知れないわ。』


無毛の男は無言で作業を遂行する。
そうして、試験期間は終了した。 


やがて、目覚める二体は即座に、クラッシャーを生業とする。

クラッシャー。 

マスターの為、無駄な役立たずを砕く、重宝な稼業。 

例えば数千人の群集の中、たった一人の役立たずを狙い、二人は実に手際良く、ソレを、無害な廃人に仕立てるだろう。 そして、甘いチョコレートをとかし、楽園に似た黄色い果実を浸し、コアントロゥの芳醇にうっとりして、二人は平和に暮らすのだろう。 



『ラクエン・・・なに? それ?』

クローブの問いに、マジョラムは、小鍋を混ぜる手を休める。


『わからない。 わからないんだけど、ソレ見てて、ふと浮かんだ。』

クローブは、マジョラムの手元、つるりと皮を剥がれた細長い黄色の果実を指差した。


マジョラムが、クローヴの首筋を引き寄せる。 しなやかな腕が其処に蔦の如く巻きついて、プラチナが揺れる。 クローヴは、鼻孔に広がる甘い香りに胸騒ぎして、咄嗟に腕の中、華奢で暖かな身体を抱き締める。


――― 優美な男の簡素な指輪。 それは、なに?



カチリと、一瞬、二人の脳裏に点滅したが、チョコレートと果実の香りは、ソレをあいまいの中に霧散させ、二人はまた、空虚な安楽にまどろんだ。



しっとりとした吐息の向こう、読み取る言葉は何一つ、
何一つ有りはしなかった。


触れる口唇は、柔らかく、何も映さなかった。



水色の小鍋の中、ソレが何を連想させるのか、
二人にはもう、問題ではなかった。








November 4, 2002




       *はむこ様 リク「BANANA、美形、切ない、スィーパー(またはダリアX)の影」
          文中、シェークスピアのソネット引用(訳文はいい加減ですスミマセン)。