** 恋愛自転車操業  **


     #1. 出会いの街角 もしくは 純愛発酵レベルV



 「す、すまんッ!!」

ベコンと下げられた頭を眺めるのは、ここに来て四度目だった。 


天辺の禿方が父親とそっくりで、さすが兄弟だなぁと思う。 鳴りっぱなしの電話の脇、鬼のような顔をした叔母と従姉がダンボールにギュウギュウと色ンな物を詰めてる。 既にガランとした室内、詰める物はもう幾らもない。 というか、多分、今そこらにあるのはきっと置いてく物なんだろう。 壁に貼り付けたままのカレンダー、家族写真を加工したそれの中、ピースマークで笑顔を振り撒く叔父達に翳りは微塵もない。 だけど叔父達は、そんな楽しいハワイ旅行の思い出すらココに置き去りにするつもりらしい。


 「すまん・・・タクちゃんゴメンな、ゴメン、俺らもうどうにもイカン事になってな、ゴメンな、兄貴らにはまた落ち着いたらどっかで連絡するから、だからタクちゃんも元気で、姉さんにもヨロシク言っといて・・・・・」

キョトキョト落ち着きなく辺りを見回すのは、恰幅の良い叔父には似合わない仕草だった。 

その時、プツンと切れるような静寂。 「金なんかありませんッ!」 従姉が死んだ蛇みたいな電話線を床に叩きつける。 三角の目をして叔母が叔父を呼んだ。 派手目の美人だった叔母は、僅かの間に随分老けて、険が強い顔になっている。 叔父がもう一度スマンと、六度目の頭を下げた。 だからタクヤも六度目の、釣られお辞儀をした。 

そして撤収。


ナカバヤシ タクヤ21才。 今朝方、意気揚々と生まれ育った地元を離れ、大都会へ羽ばたけとばかりに一人、この街に遣って来た社会人一年生。 そして、ほんの数時間後の今現在、早くも人生あぁ無情、一瞬にして倒産&失業の憂き目に遭う初々しい無職だった。 


 「どぉしよう・・・・」

春先とはいえ風はまだ肌寒く、薄手のジャンパーを通し背中がゾクゾクと震えた。 何しろ、今日から羽振りの良い叔父の事務所で働き、 「部屋なんざァ、余ってるぞ!」 の太っ腹を信じきって住み込む事大前提だったのだ。 「狭い、邪魔、出てけ!」 を繰り返してた兄とお腹の大きい兄嫁は、今頃もう、ようやく空きが出来たタクヤの部屋を素敵な愛の巣へとリフォーム三昧しているだろう。 今更帰る場所なんかない。 そもそも帰りの交通費も、どこかに寝泊りする金もなかった。 


 「もしかして俺・・・・路頭に迷ってる?」

スポーツバッグ一個分の荷物がやけに心許無く感じた。 
仮に金を送って貰ったとしても、届くまでココでホームレスをするのは全く気乗りしなかった。 
そして腹も減ってきた。 


日曜の歩行者天国は田舎育ちには信じられない人、人、人で賑わい、良い匂いのする方へ目を向ければ、テレビでしか見たことの無い洒落たサンドウィッチの販売車が、ソリャ齧れないだろう的な厚さのソレをテキパキと重ね、売り捌いている。 当然買う金はない。 が、吸い寄せられるように近付き、今まさにペロンと重ねられんとする、ジュウいう焦げ色のつくハムらしきから、もうもう目が離せないタクヤ。 グググ・・・ッと腹が鳴った。 それを合図に脳はパンや卵やハムや美味そうな匂いをガシガシと 「食べるべし!」 に変換して、タクヤの欲望を力技で揺さ振る。 

喉から手が出るくらい欲しい。 比喩表現無く欲しい。 帰りの交通費は無いけど、アレ買うくらいならある。 でもアレを買ったらその後更にキツクなるのは確実だろう。

でも欲しい。

     欲しいッ! 欲しいッ! 腹減った! クレッ、ギブッ!!


 「お待たせェ〜!! ねぇ〜〜パストラミスペシャルで良かったっけ?!」
 
 「ェッ!?」

咄嗟に受け取ってしまったのは、腹が減ってたせいばかりではない。 ピンと元気に毛先が跳ねた明るい茶色のセミロング、やや吊り気味の猫科の大きな目。 差し出された夢のサンドウィッチと、差し出してる夢みたいな美少女。 


 「や、お、俺?」
 
 「あーんレタスの端っこチョットちょうだーい! あ、ほっぺた冷たくなってるぅ〜」

摘んだレタスをウサギみたいにシャクシャクしながら、美少女はタクヤの頬をチョンと突付いてアイドルみたいに笑う。 すべすべした頬に誘惑的なエクボ。 キュルンとカールした睫毛。 気付けば左横に密着した体温を感じた。 ピッタリしたニットは ココです! と、存在感あるバストを強調して目のやり場に困る。 と言って下を向けば魅惑の美脚が蝶々みたいなスカートから伸びて、パステルピンクのパンプスが踊るようなステップを踏むのに見蕩れた。 


 「ねぇ、食べて食べて! アー横向けるとタレが危険かも〜」

グイッと腕を組まれ、ふわんとした感触に夢心地。 胸ッ! 胸だよ胸! お、おっぱいだよ! 

脳内タクヤは薔薇色のサバンナを走る。 甘い声に食べてよと勧められ、有に7pはある北壁を齧りながら、既に尋常でない頭はもしかして逆ナンパだったりして〜とあっさりドリームに突入。 

―― いや〜田舎じゃ兄貴の方がモテてたけど、でも実言うとホントにモテ筋で都会派なのは俺で、うん、だってチビの頃はお人形みたいって言われてたし、アーそういや修学旅行の東京駅で変なオジサンにお尻触られたりしてムカッとしたけど、でもそれは俺がイケてるからで、ノジマ酒店のバァちゃんだって「アンタみたいのが息子だったらねぇ」とかよく言ってたし、カワチ屋のオバちゃんも「タクちゃん、アタシャ心配だよ、都会は怖いとこなんだようッ!」って、いや、それはモテるのとは違うか、でも、だって俺今こんなスゴイ可愛い子にイキナリ超モテだし、おまけにサンドウィッチまで貰っちゃって、俺、お、そうだッ!

意を決し、精一杯の余裕でファーストコミュニケーションにトライ。


 「な、名前聞いてイイで・・・」

 「じゃ! またねッ! バイバ〜イ!」

 「へ?!」

一瞬で腕を解かれ、余韻を愉しむ間も無く解放された寂しい左半身。 タクヤは軽快なパンプスの踵が、素晴らしいフォームで走って行くのを呆然と眺めた。 な、なななナニ? 自ら飛び込もうとしたピンクの波は、潮を引くように春の街角に消える。 謎の美少女はバイバ〜イと小悪魔スマイルを残し、出会いと同じイキナリさでタクヤを放り出す。 

 「・・・・都会って、わかんない・・・・」

一人残されて、同じく残されたサンドウィッチを取り合えず頬張り、結構美味いよとタクヤは舌鼓を打った。 けど、何だろな・・・・新手のキャッチに捕まった気分だった。 しかし、食料にはありつけたし、美少女との束の間デートも味わえたし、どちらかというとこれはラッキーの仲間ではないか? 

ラッキー・・・・・なんとなく今の自分とは程遠い気がしたが、ラブリィ仔猫なあの美少女にはもう一度逢いたかった。 そう、名前も聞いてなかったあの子、もしかしてこの街で暮らせばまた逢えるんじゃないだろうか? しかしながら、それにはまず喰う寝る処に住む処、それら満たす職探し。 でなきゃ今晩、即ホームレスじゃんと、タクヤはモソモソ飛びでる貝割れをピリッとキタなと齧った。

喰い応えのあるソレと格闘しつつ、路肩に身を寄せてボンヤリそこらを眺める。 雑多とした街。 色んな人。 綺麗な様で綺麗じゃない街。 何しろ張り紙が多い。 至る所にベタベタと、中には兄貴のオカズ本みたいなどぎついヌードの変な広告までベタベタベタベタ・・・・・・・。 が、その中にタクヤは、素晴らしい お知らせ を見つける。


―― 宅配ピザ*美青年*スタッフ募集!! (要・原付き免許、上限27才迄)
           高時給! 高待遇! 未経験者大歓迎! 住居支給制度アリ! ―― 


    天職発見!!

 「・・・・・都会・・・・・・・素晴らしいよ!!」


美青年というあたり、まァギリギリかと自分に甘く点をつけ、さすが大都会、たかがピザ屋でも容姿にこだわるとは! と、感心した。 

 「イケメンだらけのピザ屋・・・」

芸能界進出→いいとも出演→ベストジーニストに選ばれタク様と呼ばれる自分・・・・・目くるめく妄想はうるうると薔薇色に輝く。 タクヤはタコの足みたいに貼られたポストイットを一枚剥し、すわと携帯を握り締めた。 列記された電話番号は090で始まったが、ここらに募集広告を貼るくらいだから多分、店はこの近所なのだろう。

仕事と住む場所とひっくるめで見つかっちゃったかも〜

始まりはアレだったけど、なんだかツイてる気がした。 ふと、藁しべ長者の話を思い出し・・・・ そうだよ災い転じて福だらけ、そういやあの話し最後はお姫様と結婚するんだッけか? じゃ、御姫様ってもしかあのコかなァ〜ひゃァ〜嘘ォッ! ・・・などと、タクヤの希望はまだまだ萎れてはいない。 

若さとは無鉄砲で夢見がちで前向き。 だから、時々物凄い方向へ運命を捻じ曲げる事も有り得るのだと、まだこの時点では誰も知らない。 

タクヤ本人でさえも知らなかった。


                              **



             薄っすら曇ったバスルームの鏡には、間抜けなバスローブ姿が映った。


 「・・・バカボンか? 俺は・・・・」

180に少し欠ける身長は今時さして珍しくないサイズだろうに、卵色のバスローブからニュキッと膝下からの脛が覗くのは、どう贔屓目に見ても間抜けだなとホクジョウは思った。 

薄いフェイスタオルで擦る髪は半乾きで、目のすぐ下辺りまでを覆う。 掻き上げれば少し垂れ気味の目が覗き、抜け目無く面白がるような男の顔があった。 頬骨が高く、削ぎ落としたような輪郭。 若くは無い。 だが、ホクジョウは若い頃よりずっと今の自分の顔が好きだった。 少しくたびれて、少しずるくなって、身に付いた洒脱な軽薄さは警戒させずに相手の懐に入り込むには実に便利。 まばらな無精髭をだらしないと責められる事も無いし、責める相手も今のところ居ない。 

ふと唇に触れてから、思い立ち、椅子の背に放ったジャケットの内ポケットを探る。 が、手を伸ばしたそこに目当てのものはなく、代わりにカサリとした感触が触れた。 眉間に皺を寄せ、ヤナ物触ったなと手を引っ込める。 ドサリとベッドに腰を下ろしアーと声を上げるのは何だろう、いつからか癖になっていた。 アーと声を上げ、何んだかわからないモヤモヤを憂い、非難し、流そうとする儀式?


 「しかし、これはアーだよな、アーだ馬鹿野郎・・・・・・」

捜していたライターはテレビ台の横にあった。 だけど、煙草を探すのが面倒だった。 さっきの感触がすっかり色ンなものを呼び起こしてしまっていた。 キリキリするような想い。 けれど満ち足りた想い。 歯痒く長い時間を過ごしたあの頃の自分と、ずっとそこに居たもう一人の事を。

何しろ自分でも一途だったと思う。 そもそもホクジョウは、商社マンなんかにはなりたくはなかった。 ムラッ気があり怠惰な性分だから、居ても居なくても良い三男の立場に甘え、気楽な自由業でブラブラ食繋げりゃイイくらいにしか将来の事は考えていなかった。 けれど、そこにオカダが居た。 生真面目で馬鹿正直で、庇護欲を掻き立てて止まないあの男がそこに進むというのだから、ホクジョウはどんな努力も惜しまずそこに向かったのだ。 そしてマンマと難関を突破し、揃って背広を着て通勤電車に揺られる。 

巧くいっていた。 ホクジョウ的にはこの段階でゴールの筈だった。

そもそも物心ついたときからホクジョウには、自分がゲイである自覚があった。 それに関してはもともとの性格もあるが、さして悩まず充分にそっちの経験をも謳歌していたと言って良い。 だから、自分なりの攻め時引き際は熟知しているつもりで、要するに、喰えそうなものを喰い、喰えないものは欲しがらない。 けれど、何にでも例外はある。 オカダがソレだ。 絶対喰えない、かつ喰いたくて仕方ない例外中の例外。 

ならばどうしようもなく、ホクジョウは金魚の糞のようにいじましくオカダの後にピッタリと続く。 例外といえばもう一つ、志も無く入った商社に誰よりも馴染んだのはホクジョウで、ことごとく馴染めなかったのはオカダであったという事。 狐と狸が化かし合う魍魎館での生き方は、真っ直ぐなオカダには向かなかった。 仕事だけが評価される訳ではない世界、嘘や隠し事が出来ない馬鹿正直なオカダは、しばしばスケープゴートとして一癖ある上司らの格好の八つ当たり対象になった。 そしてある時上司のミスを一人で被る事になり、オカダは退職を決意する。

―― 俺はアマちゃんだったんだなァ、でも、俺は後悔してないぞ、ここまで遣れた自分を後悔してない。 これも経験だと思う。―― 

そう言って酔い潰れたオカダを担ぎ、その寝顔を一晩眺めたホクジョウは、翌日件の上司を殴り辞表を出した。 お前らのせいでオカダは、実家のお茶屋を継ぐと言って去ってしまったのだ。 馬鹿野郎、今度こそ静岡の外れに俺が追っかけてく理由なんか見つからないじゃないか? 無論、会社に未練なんか無い。 すっかり退職金ナシかと思ったら何か後ろ暗い事でもあるのか、後日結構な金額がホクジョウの口座に振り込まれて居た。 が、それに手をつけず気侭なバーテンで食繋ぎ、気持ち良く失恋のブルーに浸りつつ、是にて解禁とばかりに夜の喰いしん坊万歳を愉しむ。 

そうしていい加減遊び疲れ、潰れた知り合いのスナックの跡を改装し、ナンデモ屋を開いたのが四年前。 繁華街の真ん中という立地も手伝い、仕事はまさに 何でも屋 という感じに切れ目なく入った。 浮気素行調査から、子供の送り迎え、子守り、ペットの散歩、酔客大暴れ後の店の後始末から日曜大工諸々・・・・ 基本的に犯罪絡み意外何でも引き受けるが、働きたくない時は何もしないスタンスを通す。 そのような商売は小器用なホクジョウには向いていたし、一昨年、ひょんな事から有能なスタッフも手に入り非常に巧く行っていた。 人生上々だとすら思えたのだが、


 「イキナリこう云うの来ちゃうとねぇ〜・・・・・奇襲?」

朝っぱら投函された一通の手紙。 

簡単な数行と、結婚式の招待状、そして添えられていた写真。 とりわけ美人じゃないけど、人の良さが滲み出るような笑顔の女性、その横でこれまた幸せそうに笑うオカダ。 思えばそんな風に笑うオカダを、もう長い事見ていなかったのにホクジョウは気付く。 仕事を辞める前、イヤ、そもそも就職してからずっと、オカダはいつも歯を食い縛り、ゲッソリし、たまに見る笑顔は力無く取り合えずこちらを安心させる為に笑ったそんな無彩色の笑顔だった。 つまり、オカダはやっと笑えるようになったのだ・・・・自分ではなくこの女性の横で、


 「かと云って俺だってあのままじゃイランねぇし、切ないねェ〜」 


切ないなんてものじゃない。 人生捧げる勢いで純愛しちゃってた相手の華燭の殿とやらを見に来いと言われているのだ。 しかも、そこで友人代表のスピーチまでしろと言われてるメンタルSMプレイつきなのだ。 そしてホクジョウは、きっとそうするだろ自分をもう諦めている。 だって、オカダを喜ばせたいから・・・・・


 「ッて、俺は乙女か?」


齢43にして乙女炸裂な自分に呆れた。

けれど、乙女ホクジョウがここで湯上りに物思うのは乙女らしからぬ目的の為であった。 
チャッと時刻を見ればもうそろそろ。 


   『キャーもうねーホクジョウちゃんてばアッチコッチにビビビとクル筈よッ!』

そう一押しで勧めたのは、馴染みの店【カフェ・ド・ジルコニア】のマダム・ザボン(♂ 年齢不詳)。 

【カフェ・ド・ジルコニア】は表向きスナックだが、宅配ピザもやっており、ピザは配達員込みで二万五千円。 島田の鬘を被った長身は二メートルに近く、推定120`の巨体を揺らし濃厚フルメークで闊歩するマダム・ザボンは人としてはモノノケの類だが、その人選に間違いはなく、常に客のニーズに応えた配達員を寄越す。 料金は決して安くはないが、安全で損のないプレイを愉しめるので、恋愛はもう結構と思うホクジョウはちょくちょくこの店を利用していた。 そのザボンが今回、通りがかりのホクジョウをキャッチしてまで 「超お勧めが入ったのッ!!」 と勧めるのである。 期待しないといえば嘘になる。

期待でワクワクする心を落ち着かせようと、立ち上がり、グイッと背伸びをしたら背骨がゴジゴキと鳴った。 伸び上がれば更にツンツルテンのバスローブが、やっぱり死ぬほど興醒めだと思った。 いっそ脱いじまおうかと思ったその時、ノックが短く三回。

イソイソと覗けば、素手で鷲掴まれる心臓。


 「お・・・・オカダ・・・・?」

寝癖みたいな癖ッ毛、良く動く語る瞳、上背の割に小動物っぽい仕草と庇護欲を掻き立てる童顔。 あぁまるで時間が逆戻りしたように、初めて出逢った学食、キツネうどんの列に並びラーメンを受取り困惑する在りし日の若きオカダと全く、嫌になるほどそっくりで、


 「すみませ〜ん・・・ピザ・ジルコニアですけど〜〜」


            ザボンッ! おまえ、もしかして神様だろ?! 


高鳴る鼓動。 武者震い。 最早震え過ぎで轟々唸りを上げそうな欲望。 いにしえ童貞を切ったばかりの余裕のないアバンチュールを想い出し、 イヤ〜俺もまだまだですよ・・・ とドアノブに向かい呟くホクジョウ。 


      そうして、ホクジョウはドアをイソイソと開ける。 

      開けたドアは一つではない。
      



      運命と言う名のドアも、イソイソと開けた。








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